かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

つづき

2013年05月30日 | 日記

前回の記事で姿勢について書いた。

でも考えてみると昔と姿勢に関する状況が変わってないのではなく、TV局がそういうところなのだろう。

「正しい姿勢はこうです」

「食品に関する心配は風評被害です」

「先天性奇形が増えたのは風疹のせいです」

「中国のPM2.5大気汚染は日本にとって、とても危険です」

などなど。

昨日まで危険と言っていたモノや基準がいきなり今日から危険ではないことになったりするし、その逆もある。

当局の意向に沿って、「右向け右」と言ったら右を向く人をたくさん作ることがTVと新聞の使命なのだろう。

そのために『正しいことはTVと新聞が教える』というスタンスは欠かせない。

それに対して、内側の身体感覚を感じ取って自分で考える人が増えたら、デタラメが通りにくくなる。

 

そして学校も同じだ。

武道必修化で事故が多い柔道を教えたりするよりも前にやることがあると思う。

どこに関節があって、どのような動きをするのか。

呼吸はどのように行われているか。

そして自分にとっての心地よい姿勢や呼吸を自分で探すこと。

などを、身体を感じながら教えたほうが勉強や部活、普段の生活などにも役に立つと思う。

そして何より、柔道に役立つことは間違いない。

でもそういったことをしないのは、

「教師や学校に言われたことをしろ」

「自分の身体の声など聞くな」

ということなのだろう。

身体感覚に基づき子供自身の価値基準を育てる、ということは基本的な方針にないどころか、それに反するのだろう。

 

自分にできることは家族と、治療を受ける人の心地よい身体づくりをサポートすることで、少しずつ広がっていくのを待つしかない。

 

 

 

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姿勢

2013年05月29日 | 日記

少し前のことになるがTVを観ていたら、どこかの接骨院の先生が姿勢について話していた。

「よい姿勢とはこういう姿勢です」と言って、おもいっきり力を入れて顎を引きつけていた。

そして体操を教えていたのだが、にわとりがエサを食べる時のような運動だった。

今でもこういうことをやってるんだなーと思った。

自分が子供の頃と状況はかわってないようだ。

猫背体操や矯正ベルト。

自分もやらされたものだ。


自分は基本的に「正しい姿勢を他者が教えることなどできない」と思っている。

そして、唯一教えることができるのは「姿勢のこたえは自分の中にあってそれを感じ取っていくしかない」ということであり、中にあるこたえを感じ取っていくお手伝いなら可能だと考えている。

解剖学的な重心線や骨格などは今はネットでしかも3Dですぐに見ることができる。

それらを観ることでイメージしている身体構造などに誤解があれば自分でそれを解いていくことができるし、専門家に質問して問題を明確化したり誤解を解いてもらうこともできる。

しかしまず、「正しい姿勢は教えてもらわないとできない」という誤解を捨てないと、自分で学んでいくことができない。

 

世の中には正しい姿勢を教えることができると考えている人は多い。

相手に対して何らかの権力を誇示したくて、「お前は間違っている」と言いたい人はいつでもどこでもいるものだ。

もしくは治療院の先生などで不安を煽ることで商売する場合もある。

でも、そういう人たちの姿勢に関する教えは役に立たないどころか害が多い。

他人に「姿勢をこうしろ」と言われ、素直に「はいそうですか」とそれを意識していると余計に身体が緊張する。

「お前の姿勢はなってない、おかしい、ここをこうしろ。」とかいう人はまず自分の姿勢を見つめなおす必要がある。

おそらく、一見まっすぐに見えるが感情を抑圧して身体に緊張があると思う。

決して自分にとって心地よい姿勢ではないから、自分より弱い立場の人を緊張の道連れにしたくなるのだろう。

そんな人の言うことは聞かないほうがいい。

何か学ぶことを楽しんでいる人は子供に無理やり「勉強しろ」とは言わないのと同じく、自分にとって本当にいい姿勢をしている人は他者に「姿勢をこうしろ」とは言わない。

「姿勢矯正」という言葉は、どうせなら「姿勢強制」という漢字を使ったほうが自分としてはすっきりする。

 

バランスボールに地面から足を浮かせて座れるようになるには、何回か試して繰り返してバランスを感じていく。

そして座れるようになったときは余分な力みが抜けている。

(立ち)姿勢も同じようにバランスを感じ取っていくしかない。

ここで大切なのは「自分は間違ってない」「自分はできている、分かっている」などといった考えを脇においておくことだ。

それにしがみついていると慣れ親しんだバランスから抜け出せない。

目で姿勢を補正しないように暗い部屋で、もしくは目を軽く瞑って、ただ立って、各筋肉・関節にできるだけ余分な負荷がなく、呼吸が深くなり、リラックスできる姿勢バランスを感じ取っていくのがシンプルな方法だと思う。

何らかの心理的な葛藤があって身体を感じにくくなっていることがあり、その場合はサポートが必要なこともある。

でもそれは身体を感じ取れるようになっていくためのサポートであって、正しい姿勢を教えることではない。 

姿勢は誰かに認めてもらう『もの』ではなく、自分にとっての快適さ心地よさを探し求める『こと』だ。

 

 

 

 

 

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オオバコ相撲

2013年05月27日 | 日記

昨日、大野極楽寺公園に行ってきた。

延々とオオバコの相撲(茎をからませてひっぱりっこ)をやった。

最近、ポケモンのカードバトルに夢中な娘は、「最強」という言葉に敏感に反応する(最強デッキとか)。

そしてオオバコ相撲でも、より強い茎を求めて公園を探し回って、帰ったあと少し熱が出た。

自分もプロレスファンから格闘技ファンになって30年以上。

昨日もヴェラスケスVSビッグフット2を楽しんでいたのであまり娘のことは言えないが、「ちょっと落ち着け」といったところだ。

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小指に注意

2013年05月26日 | 鍼治療

こないだPCから離れて思ったことのひとつに、

「右の小指から肘、肩、首が緊張していた」ということだった。

今回は顔まで疲れを感じた。

経絡でいうと小腸経だ。

小指は何かを握るための要(かなめ)だ。

素問「陰陽応象大論」では五行論が展開され、肝-怒-筋-目などと関係があり、

「変動にありては握と為る」

とある。

もともと「怒」という漢字の意味は柴崎保三氏(『鍼灸医学大系』p684)によると

「日本人が考えているような単におこることではなくて『はけ口を求めて外に出ようとするのを、ジワジワと力をこめておしつけて置く』、そのような心理状態をいうのである。」

とのこと。

毎日遅くまでPCで放射能関係の情報を見ていたのだが、知らないうちに怒っていて握り締める動きをしていたのだろう。

そのようなやり場のない怒りが続くと、

 

「筋肉が慢性的に収縮していると、随意運動では、筋肉につながっている効果器神経(effector nerve:外界に能動的に働きかけるための神経)が、切り離されてしまいます。感情がチャージされた筋肉が、慢性的な筋肉の緊張によって意識から切り離され、この筋肉につながる神経が神経網から分離するときに、感情の抑制が起きるのです。」  

『からだは嘘をつかない』 アレキサンダー・ローエン著

 

となって、小指をはじめ握ろうとする力が入っていること、怒っていること、に気づかなくなってくる。

五行で言えば母である木(肝)から子の火(小腸)に異変(実)が伝わるとも言える。

 

そして、「動き」としては手の回内・回外は構造上、肘の真ん中あたり(橈骨頭)から手の小指側(尺骨茎状突起の辺り)を通るライン(尺骨)が軸となっている。

元々間違えて親指側を軸に動かしている場合も多いが、たとえそのことを知っていても小指側の意識が低くなると親指側を軸にして動かそうとするのだろうと思う。

その動きには構造的に無理があるため、続けていくと手首や肘、肩、首に緊張が生じる。

経絡でいうと、尺骨茎状突起の辺りは小腸経の「養老」というツボがあり、小腸経の筋肉の緊張にこのツボに鍼をする(うちでは接触させる)ことは多い。

そこへの意識を高めることで手の動かし方が正常に戻るということも効果の理由のひとつだろうと思う。

ネットを観ていて腹がたったら、手(とくに小指)に余分な力が入ってないか要チェック。

 

 

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こないだ

2013年05月23日 | 日記

こないだ鍼灸学校時代の友人が奥さんと一緒に遊びに来てくれた。

彼は沖縄の治療院で働いていたのだが、向こうでいよいよ開業するとのこと。

自分の治療スタイルを確立して、準備万端といった感じだった。

治療方法は異なっても、スタイルを追求している人と話すと楽しい。

 

娘は恥ずかしがって「あいさつしない」と言って隠れていたのだが、少しずつ近づいてきて友人の奥さんと打ち解けて遊んでいた。

そして2人が帰った後で「あのやさしいお姉さんすき」と言っていた。

沖縄みやげありがとうございました!

 

 

 

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風邪

2013年05月20日 | 日記

4月のおわりに娘が風邪をひいて、自分が5月のはじめに風邪をひいて寝込んだ。

回復してきた後もネットをする気が起きなくて、そのまま3週間近くネット断ちしていた。

これほどネットに触らなかったのは久しぶりで、いろいろ気づくことがあった。

 

 

 

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あーあ

2013年05月08日 | 日記

2013年4月8日に書いた記事がこちら↓


今日が保育園初日だった。

その前の数週間、家では保育園の話題を極力避けてきた。

その話題が出ると子供は「絶対行かない」と言って、だまったり、怒ったり。

自分の親が家に来た時に、その話題をふられても素っ気なく返事をしてその話に触れようとしない。

妻の実家に行った時も、「行きたくない」と言っていたようで義母は「本当に行けるの?」と嫁さんに本気で心配して言っていたらしい。


そのため淡々と準備をすすめた。

入園式前日の夜に名札やら上履きやらに名前を書き終わったとき、娘がぼそっと

「あーあ。できちゃったか。」

とつぶやいたのが印象に残ってる。

先週金曜日が入園式。

だが、まだ一人で行くものだとは思ってなかった様子。

 

そして今朝、嫁さんが朝送っていった。

別れるときは泣いたようだが、迎えに行ったら
意外にも

「ママが途中でお出かけしたけど、たのしかった」

と言っていたらしい。

これから先まだどうなるか分らないけど、よかった。


 

そんな感じでこれから少しずつ楽しくなっていくだろうと思って安心していた。

そしてその2週間後に書いたこと。↓


 

子供が保育園に行き始めて2週目。

 

初日に午前中だけ行って、まずまず楽しそうで、ばーばにも自分で「保育園いったよ」と電話したりして、すっかり油断していたら。。。

 

その夜、泣き出した。

 

そして、「どうしても行きたくない」と言い出した。

保育園が嫌なわけではないようだが、ママと離れるのがイヤとのこと。

 

初日の夜に書いたblogを下書きに戻した。

 

そして、嫁さんと話し合って、「本当に少しずつ慣らしていこう」ということになった。

 

娘が保育園で感じる楽しい体験を少しずつ広げて、自分で行きたくなるように。

 

まず、疲れ過ぎて微熱が出ていたので、2日目は挨拶だけ行って休ませた。

 

そして翌日は午前中だけ行くようにした。


少しずつ保育園に行く時間を長くしている。

 

 

そして今は連休となって落ち着いてきたよう。

少しずつ、楽しく行けるようになるといいなと思う。

 

 

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