鍼に限らず、治癒の過程では様々なゆれ動きがある。
たとえば、怒り。
それまで抑えていた怒りを認識することもあるし、それまで怒ることだと思っていなかったことに対して怒りを感じはじめることもある。
もし子供の頃に「怒りを出すことを親から許されない環境」=「怒りを出すと生き残れない環境」で育ち、抑圧が癖になっていると様々な問題を引き起こす。
それが治癒過程で怒りを出しても安全と気づくと、出てくることがある。
そして次第に客観視され、おさまっていく。
また、強い思い込みの下に生きてきた人が、その思い込みが外れることで、それまでの自信を保てなくなることもある。
その思い込みに基づいて記憶の引き出し・加工を行い、他者へ自動的な反応や断定的な物言いをしていたのが、できなくなったりする。
それも次第におさまって、思い込みが少なく・弱くなっていく。
こういったことが高齢者に起こると、たとえ本人が嫌がっていたとしても、家族が「認知症」として病院に連れて行くことがある。
当然、病院では「お薬」を出す。
精神に作用する薬の副作用は多様だ。
問題などなかったのに、問題が生じてこじれていくこともある。
家族の不安が現実化してしまう。
治癒に伴なう変動を、過程として観察することは大切だ。
何歳になっても治癒力はある。
身体だけでなく、心も。
感情の揺れ動きなどを経て治癒していく。
それは治癒過程であり、認知機能の向上(改善)の過程とも言える。
鍼の場合、効果や影響を限定して考えている人(過小評価している人)が多いため、そういった過程を理解してから受けてもらうことが必要になる。
特に高齢者の場合、「過程(家庭)の理解」が欠かせない。