今後混合診療が本格化する。
この流れはもう止まらない。
医者から、
「いい薬ができたのですが、これは保険適用外でしてワンクール○○○万円になります。どうしましょうか?民間医療保険にご加入ですか?」
と言われるケースは年を追うごとに増えてくるだろう。
自分のことなら、
「その薬は結構です」
と言える人は結構いるかも知れない。
しかし子供や家族のことになると難しい。
「お金さえあれば助かるかも」
という話になるから。
実際に新薬の方が効くのかどうか。
医学博士で統合医療を推進するアンドルー・ワイルは
「薬は新しいほど効く」
と書いている。
「『できるかぎり、新しくできた治療法を利用すべきだ。まだ効力があるうちに』
~この言葉がよく知られ、たびたび医学文献に引用されている事実は、それが至言である証拠だ。
実際に、新薬は発見されてから間もない。
まだ期待が高まっているうちは著効を示すことが多い。」
「時間がたつにつれて、その多くはしだいに効力が薄れていく。
10年か20年もたつと、医師はその効力をさほど評価しなくなり、だんだん使わなくなってしまう。
何が変わったのか?薬そのものやその薬理作用は変わらない。
考えられるのは、薬効に対する医師側(および生産者側)の信念の低下と、二次的に起こる患者側の信念の低下しかない。
新薬に対する信念が薄れていくにつれて、活性プラシーボとして働く力が弱まるのだ。
薬の直接作用を包み込んで燦然と輝いていたプラシーボ反応の光が消えると、本体だけがひとり残され、急激に魅力を失うのである。」
「人はなぜ治るのか」 アンドルー・ワイル
ワイルの言うように、薬の効果は単純に新たな発見によるものだけではないとは思う。
子供の頃に親から「薬が病気を治す」「病院で薬をもらって飲まないと病気は治らない」
などと植えつけられたら、強くその概念に支配されていることだろう。
更に「設備が立派な大きな病院ほど良い治療をしてくれる」、もっと単純なことでは「料金が高いほどすごい」、
という盲信も根強いものがある。
たとえ親がそうでなくても、健康(病気)番組や薬のCM、ネットなどで潜在的にコントロールされやすい状況だ。
彼らは”不安”を徹底的に煽ってくる。
しかし、それらはビジネスでありマーケティングだ。
降圧剤の問題では、論文(研究結果)や研究者の背景にお金が絡んで捻じ曲げられていた。
あそこまで極端でなくても、多かれ少なかれ絡みはあるだろう。
そして同じ問題でもノバルティス社に比べて武田薬品の方は報道が少なかったと感じる。
こういったところも金(マスコミへの広告費)次第なのだろうか。
自分で情報を取捨選択することが大切となる。
心の作用が占める部分が大きいということは、逆に言えば自分次第で何とかなる部分も大きいということだ。
盲信を外していくことは長期的に見れば最大の治療となる。
代替医療にしてもそれは同じだ。
以前、まだ自分が鍼灸の学生の頃に、
「遠くの治療院に通って○○病を治してもらった。あそこは○○社の偉い人も来るから凄いんだ」
などと言っていた年配の人がいた。
「ああ、治ってないな」と感じた。
本当に治ったのなら、「偉い人が来る」かどうかは関係がない心の状態となっている。
「自分にとってはよかった」
ぐらいにしか言えない。
権威に依存している状態はストレスであり、それは病気とも無関係ではない。
医師や薬への依存は信頼とは異なり、治癒力を妨げている。
安静は身体を動かさないということだけでなく、感情や思考の鎮まりも含まれる。
後者は東洋医学では重要視されているが病院では重要視されていないか、精神安定剤だろう。
治癒のため、盲信や依存から脱して本当に安静にすることは、とても大切だと思う。