かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

安静

2015年05月30日 | 鍼治療

 

今後混合診療が本格化する。

 「混合診療、大幅拡大へ…患者・医師合意で(読売新聞)」

この流れはもう止まらない。

 

 

医者から、

「いい薬ができたのですが、これは保険適用外でしてワンクール○○○万円になります。どうしましょうか?民間医療保険にご加入ですか?」

と言われるケースは年を追うごとに増えてくるだろう。

自分のことなら、

「その薬は結構です」

と言える人は結構いるかも知れない。

しかし子供や家族のことになると難しい。

「お金さえあれば助かるかも」

という話になるから。

 

実際に新薬の方が効くのかどうか。

医学博士で統合医療を推進するアンドルー・ワイルは

「薬は新しいほど効く」

と書いている。


「『できるかぎり、新しくできた治療法を利用すべきだ。まだ効力があるうちに』

~この言葉がよく知られ、たびたび医学文献に引用されている事実は、それが至言である証拠だ。
実際に、新薬は発見されてから間もない。
まだ期待が高まっているうちは著効を示すことが多い。」

「時間がたつにつれて、その多くはしだいに効力が薄れていく。
10年か20年もたつと、医師はその効力をさほど評価しなくなり、だんだん使わなくなってしまう。
何が変わったのか?薬そのものやその薬理作用は変わらない。
考えられるのは、薬効に対する医師側(および生産者側)の信念の低下と、二次的に起こる患者側の信念の低下しかない。
新薬に対する信念が薄れていくにつれて、活性プラシーボとして働く力が弱まるのだ。
薬の直接作用を包み込んで燦然と輝いていたプラシーボ反応の光が消えると、本体だけがひとり残され、急激に魅力を失うのである。」

    「人はなぜ治るのか」 アンドルー・ワイル

 

ワイルの言うように、薬の効果は単純に新たな発見によるものだけではないとは思う。

子供の頃に親から「薬が病気を治す」「病院で薬をもらって飲まないと病気は治らない」

などと植えつけられたら、強くその概念に支配されていることだろう。

更に「設備が立派な大きな病院ほど良い治療をしてくれる」、もっと単純なことでは「料金が高いほどすごい」、

という盲信も根強いものがある。

 

たとえ親がそうでなくても、健康(病気)番組や薬のCM、ネットなどで潜在的にコントロールされやすい状況だ。

彼らは”不安”を徹底的に煽ってくる。

しかし、それらはビジネスでありマーケティングだ。

降圧剤の問題では、論文(研究結果)や研究者の背景にお金が絡んで捻じ曲げられていた。

あそこまで極端でなくても、多かれ少なかれ絡みはあるだろう。

そして同じ問題でもノバルティス社に比べて武田薬品の方は報道が少なかったと感じる。

こういったところも金(マスコミへの広告費)次第なのだろうか。

自分で情報を取捨選択することが大切となる。

 

心の作用が占める部分が大きいということは、逆に言えば自分次第で何とかなる部分も大きいということだ。

盲信を外していくことは長期的に見れば最大の治療となる。

代替医療にしてもそれは同じだ。

以前、まだ自分が鍼灸の学生の頃に、

「遠くの治療院に通って○○病を治してもらった。あそこは○○社の偉い人も来るから凄いんだ」

などと言っていた年配の人がいた。

「ああ、治ってないな」と感じた。

本当に治ったのなら、「偉い人が来る」かどうかは関係がない心の状態となっている。

「自分にとってはよかった」

ぐらいにしか言えない。



権威に依存している状態はストレスであり、それは病気とも無関係ではない。

医師や薬への依存は信頼とは異なり、治癒力を妨げている。

安静は身体を動かさないということだけでなく、感情や思考の鎮まりも含まれる。

後者は東洋医学では重要視されているが病院では重要視されていないか、精神安定剤だろう。

治癒のため、盲信や依存から脱して本当に安静にすることは、とても大切だと思う。

 

 

 

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眼差し

2015年05月26日 | 日記

赤ちゃんや幼い子供の無邪気さは、ある種の神聖さを感じさせる。

子供が大きくなってからも、親はそのキラキラした何かを覚えている。

そして大きくなった子供の中に、そういった何かをふと垣間見る時、思い出す時、特別な眼差しとなる。

そうすると子供は自分の存在(絶対的に”ある”ということ)を自覚できる。

そして安心する。大人も癒される。

こういったことは、たとえ自分の子供でなくても同じだ。

 

逆に、「結果や部分だけを見て(相対的に)評価を下す」ことだけをされたら子供の心は消耗する。

子供が無理して評価を得ようとしても、いつか破綻する。

学校でも家でもそれをやられ、そういった視線にさらされ続けたら子供は堪らない。

相対的な場だけでは本当に安らぐことはできない。

それは大人でも同じだ。

 

最近、赤ちゃんの泣き声や子供の声が迷惑で黙らせろという論調が多いと感じる。

もちろんマナーは必要だし、親が周囲へ配慮することは大切だ。

しかし行き過ぎた論調には、沖縄戦で「赤ちゃんが泣き声をあげて敵に見つからないため」と軍が殺していった話を思い出させる。

社会が壊れているのだろう。

 

 

 

 

 

 

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遠足

2015年05月14日 | 日記

子供が遠足。

昨日からとても楽しそう。

出かけるときも、跳ねてるようだった。

ワクワク感がいっぱい伝わってきた。

いい天気でよかった。

 

 

 

追記:

帰ってから寝るまでずっとテンション上がりっぱなし。。

遠足ってすごいな。

 

 

 

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より手前

2015年05月13日 | 日記

鍼治療をする上で、陰陽や五行は大切だ。

たとえばこの記事で書いたことも、陰陽や五行を基に施術していけば、はじめから反対側の足の内反(を解くツボ)に辿り着くこともできる。

陰陽や五行を基に、脈などから証を立てて施術していくこともできる。

そういったシステムを作った先生(すでに亡くなられている)のお話はいろいろお聞きしたが、並外れた人だったようだ。

 

相手の問題に対して、個人(的感情や価値判断)を持ち込むと、あまりうまくいかないことが多い。

特にはじめのうちは尚更。

例えば慢性的な緊張は、その人が「そうしている必要がある」、「そうしていなければならない」、「それが絶対正しい」と強く信じているからそうしている。

それに対して「それは悪い・間違い」などと指摘しても逆効果にしかならない。

特に皮膚に直接触れる場合、こちらがそう思うだけでも相手は感じ取ることもある。

しかし、システム化したやり方に従っていけば、反発など(投影や転移とも言える)は極力防ぐことができるだろう。

「よい/悪い」「(価値として)上か下か」ではなく、陰陽の偏りや五行のバランスとして観ること。

そこで個人性は薄まる。

陰陽や五行は善悪などより手前の、より根本に近い観方なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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公園

2015年05月10日 | 日記

気持ちよい天気だったので、久しぶりに公園に行ってきた。

 

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風邪

2015年05月01日 | 鍼治療

たまに風邪を引くと、身体のコントロールを失ったように感じる。

咳が出たり、喉が痛かったり、鼻水が出たり、鼻が詰まったりすると、呼吸と言葉により注意を払う。

熱が出ると、普段考えないようなことや記憶も表面に出てくる。

そして、

「自分は身体をコントロールしている、できる」

などという想念が外れる。

 

それらは棚卸しなのだろう。

モノだけでなくコトも。

 

 

 

 

 

 

 

 

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