かっぱblog

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2023年12月28日 | 日記

こないだ子供に「錯覚」と「錯角」のアクセントの違いを指摘された。

これまでたまに自分が子供のアクセントについて「それ違うよ」と直すことがあったが、子供に指摘されたのは初めてだった。

ちょっと驚いた。

保育園に入る前まであまり多くの人と触れ合わなかった(多くの人の言葉を聞かなかった)せいか、TVをほとんど見なかったからか、子供はこれまでアクセントにかなり無頓着だった。

 

そして音程に対してもあまり鋭くない。

毎年、学校でクラス対抗合唱コンクールがあり、結構熱心に練習するらしいのだが今年ボソッと

「私、音程がよく外れる」

と言った。

「ああ、そうなんだ」

と軽く応えた。

当然自分と妻は以前から知っていたのだが、これまで特に言わなかった。

自分は保育園の頃から小学校高学年までピアノをやっていた(やらされていた)し、妻は三歳ぐらいから琴をやっていたのに対して、子供は小学校高学年から琴をやるようになるまで(それもゆるく)特に何もやっていなかったら仕方ないと思っていた。

 

子供は合唱コンクールの練習でふと気がついたらしく、そこから音程やアクセントを意識するようになったのか言葉のアクセントや歌の音程のズレが少なくなっていった。

また、毎晩一緒に英語の音読をしているのだが、最近急に上手くなっている。

耳が発達しているように思う。

聴覚の臨界期は五歳ぐらいまで等と言われているが、後からでもある程度は発達していく。

もちろん絶対音感などは無理だろうけど、意識的に学習していくことでカバーできる部分は結構あるのだと思う。

 

そしてこれは他のことでも言えると思う。

ポイントは「自分で気づくこと」だろうか。

外からの強い指摘だと、傷ついたり反発したりして逆に遠回りになることも多いと思う。

「お前は音痴だ」などと言う言葉は最悪だろう。
(自分が小学生の頃、こういうことを女子児童に言った音楽教師がいたのを覚えている)

心身の能力を自分(自我)と同一視せず、客観的に捉えることで学習や発達がスムーズになる。

 

最近では子供は友達とカラオケに行くようになり楽しそうだ。

 

 

 

 

 

 

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