こないだ子供と久しぶりに散歩した。
そうしたら少しうつむき気味でつまらなさそうに歩いていた。
話しかけても反応が鈍い。
何かあったかと思って聞いても特に何もなさそう。
その後公園で遊ぶと楽しそうで姿勢もいい感じに戻った。
帰り道はいろいろ話しながら楽しそうに歩いていた。
後で考えてみると、あれは学校に歩いていく時(状態)の再現なのだと思った。
重いランドセルを背負って片道約30分近くも歩くので猫背気味にならざるをえない。
そしてこの2年弱はマスク着用で、学校の先生からは他の子と距離を開けて歩いて話すなと言われているとのこと。
子供は通学団の班長をしていることもあって、こんな感じで毎日真面目につまらなそうに歩いているのかと思うと切なくなった。
そしてこういったことは多分、学校教育全体とも関わっているような気がする。
前回書いたように、作り手の想いが伝わってくるような市販の問題集はとても楽しそうに進める。
しかし学校の教科書に沿った問題集はつまらなさそうだ。
アインシュタインは“”正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。”
という言葉を残したらしいが、やはり普通の公立小の教科書自体が子供にとってつまらないのだと思う。
義務教育(学校)では自分が学びたいことや疑問を持ったことを自ら調べ考えたりして学んでいくカリキュラムではない。
そのような人間作り(教育)は国から求められてはいないだろうし、そんなスペースも人員も予算もないだろう。
学校は社会に出て働くのに最低限必要なことと、国が植え付けたい「正しいこと」を子供に教え込むための機関だと思っている。
ただ受け身で座っているだけでは学ぶこと自体も楽しくなくなり、好奇心や自分で考える力も失われていくだろう。
中学や高校では順位や偏差値を上げる喜びを学ぶ楽しさにすり替えてしまいがちだ。
たとえは悪いがケージ飼いのニワトリのようなものだ。
その卵は放し飼いの鶏の卵と比べて美味しくなく、栄養に乏しい。
(海外を旅している時に食べた放し飼いの鶏の卵で作ったオムレツの美味しさに感動したことがあるが、日本だと一個100円とかすることだろう)
ストレスで病気になりやすいからワクチンや薬を使う。
子供の学校は理科の実験やら家庭科の実習やら楽しそうな授業がことごとくカットで外遊びも制限があったりした。
フリースクールを検討した時期もあったが、子供は今の学校(友達)が好きで離れたくないとのことで断念した。
何とか今の状況でもアインシュタインが言うところの「奇跡」を成し遂げないといけない。
だが奇跡とは言っても、スポーツなどと同じく結局は日々の積み上げだと思う。
家庭側で手間暇をかけていくしかない。
自分にできることで言えば子供の不要な緊張を解いていくことであり、子供に鍼をすること。
普段は子供が寝る前に鍼をしていることもあって手短に頭(顎周り)や手だけに鍼をしている。(マスクで顎関節に緊張が残りやすいし、ゲームや読書で手や目がよく疲れているから)
けど、これからは時々全体にも鍼していこうと思った。
何とか好奇心や学ぶことの楽しさを失わないまま、身体的には不要な緊張を抱え続けることなく成長してほしいと切に願う今日この頃。