かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

願うこと

2021年12月29日 | 日記

こないだ子供と久しぶりに散歩した。

そうしたら少しうつむき気味でつまらなさそうに歩いていた。

話しかけても反応が鈍い。

何かあったかと思って聞いても特に何もなさそう。

その後公園で遊ぶと楽しそうで姿勢もいい感じに戻った。

帰り道はいろいろ話しながら楽しそうに歩いていた。

 

後で考えてみると、あれは学校に歩いていく時(状態)の再現なのだと思った。

重いランドセルを背負って片道約30分近くも歩くので猫背気味にならざるをえない。

そしてこの2年弱はマスク着用で、学校の先生からは他の子と距離を開けて歩いて話すなと言われているとのこと。

子供は通学団の班長をしていることもあって、こんな感じで毎日真面目につまらなそうに歩いているのかと思うと切なくなった。

 

そしてこういったことは多分、学校教育全体とも関わっているような気がする。

前回書いたように、作り手の想いが伝わってくるような市販の問題集はとても楽しそうに進める。

しかし学校の教科書に沿った問題集はつまらなさそうだ。

 

アインシュタインは“”正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。

という言葉を残したらしいが、やはり普通の公立小の教科書自体が子供にとってつまらないのだと思う。

義務教育(学校)では自分が学びたいことや疑問を持ったことを自ら調べ考えたりして学んでいくカリキュラムではない。

そのような人間作り(教育)は国から求められてはいないだろうし、そんなスペースも人員も予算もないだろう。

学校は社会に出て働くのに最低限必要なことと、国が植え付けたい「正しいこと」を子供に教え込むための機関だと思っている。

ただ受け身で座っているだけでは学ぶこと自体も楽しくなくなり、好奇心や自分で考える力も失われていくだろう。

中学や高校では順位や偏差値を上げる喜びを学ぶ楽しさにすり替えてしまいがちだ。

たとえは悪いがケージ飼いのニワトリのようなものだ。

その卵は放し飼いの鶏の卵と比べて美味しくなく、栄養に乏しい。
(海外を旅している時に食べた放し飼いの鶏の卵で作ったオムレツの美味しさに感動したことがあるが、日本だと一個100円とかすることだろう)

ストレスで病気になりやすいからワクチンや薬を使う。

 

子供の学校は理科の実験やら家庭科の実習やら楽しそうな授業がことごとくカットで外遊びも制限があったりした。

フリースクールを検討した時期もあったが、子供は今の学校(友達)が好きで離れたくないとのことで断念した。

何とか今の状況でもアインシュタインが言うところの「奇跡」を成し遂げないといけない。

だが奇跡とは言っても、スポーツなどと同じく結局は日々の積み上げだと思う。

家庭側で手間暇をかけていくしかない。

自分にできることで言えば子供の不要な緊張を解いていくことであり、子供に鍼をすること。

普段は子供が寝る前に鍼をしていることもあって手短に頭(顎周り)や手だけに鍼をしている。(マスクで顎関節に緊張が残りやすいし、ゲームや読書で手や目がよく疲れているから)

けど、これからは時々全体にも鍼していこうと思った。

何とか好奇心や学ぶことの楽しさを失わないまま、身体的には不要な緊張を抱え続けることなく成長してほしいと切に願う今日この頃。

 

 

 

 

 

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作り手

2021年12月28日 | 日記

うちの子供は塾に行っていないので、家でやる問題集を時々買っている。

事前にネットで調べて候補をいくつか考えておいて、一緒に本屋に行き子供が実際に見て選ぶ。

そうすると子供はコツコツ自分で進めていく。

 

その中でも楽しそうにドンドン進めていく問題集と何となく義務的に進めていく問題集がある。

よく進んでいくのは難しいか簡単かではなく、作り手の想いが伝わってくるような問題集。

自分が見ても何か「濃さ」を感じるし、作り手の物語に入り込むような感じ。

 

逆に進みがイマイチだったり義務的なのは教科書に沿った問題集。

スッキリしてはいるのだが、何か無機質な感じがする。

見た目はよいが栄養があまりない食事みたいな感じ。

これからは教科書の内容に関係なく、すべて子供が入り込めそうな問題集にした方がよい気がする。

 

そんなことを考えていると、鍼などの治療技術も似ているなと思った。

自分はどこかの有名人のセミナーや勉強会等に大金を払って見栄えの良い商品(治療技術)を買うことはない。

何か治療のための高額な機械を買うこともない。

そういった物事に自分はあまり価値や魅力を感じない。

逆にあまり説明が整っていなくても(科学的でなくても、鍼の場合伝統的でなくても)、その人が作り磨き上げてきた技術であれば何か学ぶべきことがあると思っている。

そして自分もひとつの技術を磨いていくのが楽しいし好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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裸足

2021年12月18日 | 日記

前回書いた裸足歩き。

始めたきっかけはよく覚えている。

大学3回生の時で、もう25年以上前。

夏休みに滞在していたヨガニケタンの図書館にあった本を読んでから。

最近も裸足歩きが流行っているみたいなので、何か周期的にブームがありそう。

 

ヨガニケタンの後ネパールに行き素足でトレッキングした。

そうしたら子供が面白がって何人も後ろからついてきたりした。

その後大学近くの比叡山もよく裸足で歩いた。

就職してからはストレスが溜まると公園などで裸足で歩いたり、山登りに行って所々裸足で歩いたりしていた。

 

でも、そんな自分よりもこないだ友人の子供の方がはるかに上手く歩いていた。

人は元々素足で歩くように設計されていて靴歩きの方が不自然なはずだから、子供の方が自然に戻る力が強いのか。

それとも学習能力や適応力が高いのか。

子供から学ぶことは多いと改めて思い知らされた。

 

 

 

 

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山歩き

2021年12月17日 | 日記

先日、友人と友人の子供と三人で山歩きをしてきた。

自分にとってのんびり歩ける心地よい山。

 

これまで自分はその山を何度か素足で歩いたことがあった。

登りの途中だったり、下りの途中だったり部分的に素足で歩いていた。

今回は友人の子供が素足で歩きたいということで、自分も後ろについて全部素足で登った。

 

靴の歩き方と素足での歩き方は異なる。

普段靴歩きに慣れている人が、急に素足になっても靴を履いているように歩いてしまう。

そうするとうまくいかない。

がさつに足をおろすと痛いし、体重のかけ方や足の力の入れ具合等も違ってくる。

染みついた習慣は急に変えられないので、一歩一歩神経を研ぎ澄ませて慎重に歩くことになる。

 

友人の子供は普段から素足で歩くことが多いらしく、痛くないとのこと。

スイスイ登って行くのを後ろから見ていて学ぶことが多かった。

自分は尖った石の上に足をのせると痛いけど、後はそこまで痛みはない。

特に今回は落ち葉が多くそういう道は気持ちよかったし、だんだん副交感神経が優位になってリラックスが深まり眠くなってきた。

友人はかなり痛いとのことだったが、それでも何とか三人で登った。

 

山頂でお弁当を食べ、下りは靴を履いて自分も初めてのルートを歩いた。

どこも痛みはなく歩き終わったが、足は夜になってもぽかぽかしていた。

翌日以降も何となく心身がスッキリした感じ。

またやってみたいと思う。

 

 

 

 

 

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よく聞く

2021年12月07日 | 日記

秋からこの曲を一番聞いている。

 

Chara 『ミルク』

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山歩き

2021年12月06日 | 日記

先月、比叡山に登った。

昔の感覚でスケジュールを立てていたので疲れ果てた。

「もう無理をしてはいけない」と心から思った。

 

 

 

 

 

 

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雨の日

2021年12月06日 | 日記

今日みたいな雨の日にラジオからこの曲が流れるとなんか落ち着く。

 

雨音はショパンの調べ 小林麻美 with C-POINT

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2021年12月05日 | 日記
久々のブログ。

先日、初めて日間賀島に行ってきた。

夕日と日の出が見れたし、何十年かぶりに親戚の方とも再会できた。

楽しく、食べ物も美味しい旅行だった。

今度は夏に行って釣りと海水浴をしてみたい。








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