かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

眼鏡

2022年03月27日 | 日記

20年近く前の自分の結婚式の時、大学時代の友人から眼鏡のフレームをもらった。

その友人は眼鏡の産地として有名な福井県の鯖江市に住んでいて、そのまた友人がデザインしたフレームとのことだった。

以来、数件の眼鏡屋に持って行ってレンズを入れてほしいとお願いしたのだが、すべて断られてきた。

理由としては自分がかなりの近視で乱視もあるので薄いフレームにレンズが入らない、もしくは壊れやすいからといった説明だったと思う。

何度か捨てようかとも思ったが、やはり捨てることはできず20年近く保管していた。

 

こないだふと眼鏡を新調しようと思い妻に話したら、「そういえばあのフレームは?」と言われた。

自分はすっかり忘れていたが、引っ張り出した。

そして技術力がありそうな眼鏡屋さんに持って行った。

駄目だったらフレームから買おうと半ば諦めつつ聞いたところ、すんなり「できますよ」とのこと。

おまけにレンズが割高にならず、レンズ交換の価格も格安だった。

とても丁寧で職人風の店長に測定してもらった所、遠近両用で作ることにした。

そして受け取り。予定より一日前の空いている時間に受け取ることができた。

かけ心地もうまく調整してくれていい感じ。

遠近両用は慣れるのに少し時間がかかりそうだけど。

 

後から友人に久しぶりにメールを送り、感謝の気持ちを伝えた。

友人も「まさか20年も保管していたとは」とビックリしていたが、喜んでくれた。

よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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学童

2022年03月19日 | 日記

6年前、子供と一緒に2つの学童(公立)を見学した。

最初は近めの学童。

庭がなくて外で遊べず、ちょっと窮屈そうだった。

もう一つは家からは少し遠いけれど、外で遊べる学童。

子供は外で遊べる学童を選んだ。

自分もその方がよいと思った。

その施設長の先生の印象が優しそうで、とにかく子供好きな感じだったから。

 

その先生は学童に入る際の集団説明会の時に、

「前任の施設長の方は長くやってこられ、自分は同じようにはできないですが子供たちと楽しくやっていきます。」

などと言われていたのをよく覚えている。

かなり後になってから、その施設長の先生が小中学校で校長までつとめた方だったと知った。

子供や保護者対応のプロだったのにそういったプライドを微塵も出さず、学童の長として一から始めようとする謙虚さに驚いたものだった。

指導力もさすがだった。

子供が入った頃はまだ四年生までの受入だったのだが、その頃の女子はグループにはっきり分かれていた。

そして一年生のかわいい子を選んでグループに入れたりなど、いかにもなことをやっていた。

でも、施設長が変わってそういったことはなくなっていった。

 

そして子供達はかなり自由に遊んでいた。

最初の頃は、夏休みはカードゲームもOKだった。(トラブルが起きてすぐ禁止になったけど)

男の子は泥だらけになっていたし、うちの子供もカエルをつかまえたり、近くの公園にみんなで行ってボールで遊んだりなどなど。

一輪車も乗れるようになった。

子供は夏休みや冬休みはお弁当を持って朝から夕方まで楽しそうに通っていた。

外で遊べない学童から移ってくる子もちょくちょくいた。

 

 

勉強は自習が平日一時間。

長期休みは二時間。

先生達は教えることはなく、見守る。

古い公民館で勉強している様子は寺子屋のようだと思った。

何より自学自習。

これは子供にとってすごく良かったと思う。

親に勉強しろと言われることなく自然に勉強の習慣がついたから。

最初は宿題だけやっていたが、次第に問題集を自分で進めていくようになった。

「教えてもらう」という受け身の勉強になる塾に通うよりも良かった。

本屋に行き自分で問題集を選び、それを進めていくというスタイルはこれから先も役立つだろうと思う。

 

子供は学童で本もよく読んでいた。

施設長の先生も本好きで、学童の本だけでなく高学年になったら個人的に本を頂いたり借りたりしていた。

 

こんな感じで低学年の時は月額3500円、長期休みも同じだった。

途中から段階的に値上げして、今では倍以上になっている。

 

 

真冬に妻が大雪のせいで渋滞に巻き込まれ時間内に車で迎えに行けず、自分が一時間ぐらいかかって歩いて迎えに行ったのも今となってはいい思い出だ。

うちの子供が最後の一人でも先生達に全く嫌な顔をされなかったし、子供も不安な様子はなかった。

 

最後の二年間は新コロ対策で禁止事項が増え続けて、みんなで遊べず楽しさが減じたようだった。

学童に行かず帰ってくる日が増えはじめて、特に最後の一年間は家に帰ってくる方が多くなった。

公立学童なので市の方針にガッチリ従うのは仕方ないとは思っていた。

その分、子供は友達の家で遊んだりして学童とは違う遊び方を身につけていったようだった。

 

いろいろあったが、楽しくためになった六年間の学童ライフだったと思う。

感謝。

 

 

 

 

 

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卒業

2022年03月19日 | 日記

 

『十一、二の子ってのは、いちばん命の力が強い時期だって、ヤクーは信じていたんだ。

7つより幼い子ってのは、まだ魂がこの世にしっかりとどまっていなくて死にやすい。

十四、五になると、次の命を産みだすために身体が準備をはじめて、そちらに力をとられてしまうってね。』

精霊の守り人 上橋菜穂子著 トロガイの言葉より

 

 

こないだ子供の卒業式があった。

最初に卒業生が入場してきたときに、すぐ前を歩いていった自分の子供を認識できなかった。

通り過ぎてから妻に言われて気づいた。

普段と格好や雰囲気があまりに違っていたからだったと思う。

式には中学校の制服のブレザーを着て出たのだけど、随分大きくなったんだなと改めて思った。

保育園の頃から知っている他の子供達も成長して雰囲気が変わっていた。

式自体は新型コロナ対策ということで簡略化され淡々と進み、体育館は開けっ放しで寒くて、特に感極まるということはなかった。

 

卒業式の後、多くの子が開放された体育館で走り回っていた。

スマホを片手に仲間で写真を撮ったり、黄色い帽子に友達や先生の名前やメッセージを集めたり、中には「イケメン男子の写真を集めるんだ」と走り回る女子もいた。

とても生命力にあふれていた。

 

そんな中、うちの子は騒ぎに入らず自分と妻のそばにいた。

時々友達に声をかけられて一緒に写真を撮ったり先生と写真を撮ったり。

こういう性格は小さいころから変わらないんだなと思った。

自分も妻もそんな感じなので、子供に「行ったら?」などと強く勧めることはしなかった。

ひょっとしたら子供も高校や大学に行ったら変わるかも知れないけど。

 

この位の年齢の子供は命の力が強いのもあるけれど、精神的にも成熟している時期なのではないかとも思う。

「〇〇に所属している(していない)自分」「〇〇を持っている(持っていない)自分」といった外に依存したアイデンティティで覆いつくされたまま老人となっていく大人は多いが、この11歳、12歳の頃はまだ希薄だ。
(もちろん既に覆われていり子もいるだろうけれど)

その分、内面は深いし純粋だと思う。

実際、子供の方が自分よりも大人だなと感じることはよくある。

自分の子供はもちろんだけど、保育園の頃からちょくちょく見てきた子たちも、この先仮面に覆いつくされず大人になっていくとよいなと思う。

 

そんなことを想いながら体育館を後にして、近くの学童へ6年間のお礼を言いに行った。

施設長の先生ともう一人の先生がいた。

お二人とも優しい女性で、6年間親や学校の先生とは異なる立場で子供の成長を支えて下さった。

学童で喧嘩して泣いた時も、ケガした時も、嬉しいことがあった時も、子供は多分いろいろ話していたと思う。

子供の中学校の制服姿を見て凄く喜んでくださり、うちの子供のよいところを改めて認めて褒めて下さった。

特に施設長の先生は涙ぐんでいて、うちの子も自分も泣きそうになっていた。

やっぱり6年間の結びつきは強いなと思った。

そして何とか繋がりを残してあげたいと思った。

子供もその先生も本が好きで、個人的にお借りしてたりしたので、多分そこら辺で。

この先も子供が自分達(親)に言えないような相談や悩みを話せるような関係であるとよいなと思う。

そして「月末までは来れるからまた来てね」と先生に言われて家に帰った。

 

いろいろと感じて思った一日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最後の

2022年03月17日 | 日記

こないだ、最後の交通パトロールが終わった。

 

子供が小学校に入学する時に、子供会の役員の方から

「当番で1か月に一回か2か月に一回のペースで低学年だけの下校の時の通学団を見守る」

という話を聞いたときはビックリしたものだった。

うちの子供は学童に入ることが決まっていたこともあり、

「学童に行くことだし、子供会に入らなければやらなくてよいのか?」

と聞いたところ、

「それでもやってもらう」

と言われて2度ビックリ。

この制度は小学校の校区内でも最も遠いうちのエリアだけのことらしかった。

そして自分の実家や他の地域の人に聞くと子供会(親)は朝(登校)で午後(下校)は老人会となっている所が多かった。

これなら会社勤めでもちょっとの遅刻で済むのだが、このエリアは子供会も老人会も一緒に午後だ。

共働きで会社員なら有給休暇を使うしかない状況。

しかし子供会の人でも祖父母と同居や近居の人が自分が住むエリアは意外と多く、当番を祖父母にやってもらっている人もいた。

 

そんなことで始まったパトロール。

妻より自分の方が時間の都合がつくのでほぼすべてのパトロールに行った。

暑い日も寒い日も雨の日も。

暑い日は一年生にとってあまりにランドセルが重く、遠くて、歩けなくなってしまう子もいた。

荷物を持ったり励ましたりしながら何とか歩いた。

子供が言うことを聞かなくて道路にはみ出たりなども多かった。

正直何度か「負担だな」と思ったこともあったし「うちの子は学童に行って下校は関係ないのに不公平だな」と思ったりもした。

が、前回のblogで書いたように子供の交通事故は辛い記憶があるのでかなりナーバスな自分。

子供が歩くには危険な箇所も複数あり、そしてこの制度が始まったのも下校時の交通死亡事故からと後から知ったこともあり、より一層真面目に務めることになった。

 

特に今年度は妻が子供会の役員でパトロールの割り振りを決める係だったこともあり、企画する側の苦労も知った。

子供会が頼んでも断る方もいた(近所に祖父母が住んでいても、学童に行ってなくても)。

それぞれ事情があるので仕方がないことだけれど。

 

そしてこないだが交通パトロールの最終回だった。

通学団を迎える場所に行く途中に、たまに苗を安く少し売っている謎の園芸店?のようなところがあり、きれいな花がいくつか咲いているサクランボの鉢植えを売っていた。

いつもそこは人がいないのだが、今回は中に人がいた。

以前、うちにサクランボの鉢植えがあった。

それは子供が小学校入学時に市から記念としてもらったものだった。

少しずつ実がなってきたのだが、昨年枯れてしまい子供はとても残念そうだった。

そのため店の人に

「このサクランボが欲しいのだけれど、これからパトロールなので終わったらまた来ます」

と声をかけてパトロールの場所へと歩いた。

そして子供達を見守り歩いて、最後のパトロールが終わった。

6年間事故なく見守れたことにほっとした。

 

そして自転車で園芸屋に行ったところ、まだ売っていて無事に買うことができた。

子供が学童から帰ってきた後で見せたらやはり喜んでいた。

パトロール最終日に入学記念のサクランボが復活したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真

2022年03月03日 | 日記

こないだ母親に鍼をするために実家へ行った。

何年も実家に行っていなかったのだが、今年に入ってから鍼をするために時々行っている。

 

駅から実家へと歩く途中、近所の写真屋さんの前で思わず立ち止まった。

そして大きく飾られていた子供の写真(七五三風)に見入った。

自分がよく遊んでいたその写真屋さんの子供だと思ったから。

これまでその写真が気になったことはなかった。

最近飾りはじめたのか、自分が以前に実家に行っていた時はお正月かお盆ぐらいで店が開いていなかったのか、これまで意識したことがなかった。

 

その子は自分の一つ年下で写真屋さんの次男。そして保育園の時に交通事故で亡くなった。

もう40年以上前のことだ。

その子との記憶が鮮明に思い出された。

 

少し落ち着いてきたら、服装などから考えて40年前の写真ではないと思いはじめた。

そうしたら写真屋さんのおばさんが車で店に帰ってきた。

久しぶりだったがおばさんはすぐに自分を認識してくれた。

そして写真の子供は誰か尋ねたところ、

「長男の子供で孫だよ」

と教えてくれた。

自分が、

「あまりにも似ていたから、驚いて・・」

と説明しようとしたが途中で我知らず言葉が出なくなった。

 

立ちすくんでいたらおばさんは理解してくれたようで、その後しばらく話をした。

その子はもう大学生になること、写真屋は継がないこと、など。

そしておばさんはふと、

「あれからもう40年か」

と呟いた。

事故の後しばらくは自分と話すたびにおばさんが少し涙ぐんでいたのをよく覚えている。

今は長男夫婦とお孫さんに囲まれ、まだ現役で写真屋を切り盛りしていて幸せそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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