尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

末木文美士「日本思想史」を読む

2020年03月30日 22時42分29秒 |  〃 (歴史・地理)
 末木文美士(すえき・ふみひこ、1949~)「日本思想史」(岩波新書)を読んだ感想。末木氏は東大名誉教授で、仏教史が専門である。新潮文庫で出た「日本仏教史」が非常に面白かったので、名前を覚えた。他にも一つ二つ読んだような気がする。今回の本は「〈王権〉と〈神仏〉で読み解く」と帯に書かれていて、「古代から現代までを一気に駆け抜け、構造と大きな流れを掴む、画期的な通史」とも出ている。確かにその通りの本で、一人で全部書く人はなかなか現れないだろう。

 「王権」と呼ぶのは、日本の政治思想である。日本は国家形成時より「万世一系の天皇」(歴史的事実かどうかの問題と別に)が統治することになっていた。だから天皇制をどう国家統治機構に位置づけるかが問題にある。中国のような「皇帝独裁」「易姓革命」の思想は成立しなかった。日本では「天皇」も、後の時代の「征夷大将軍」も次第に名目の権威化していった。そして体制を支える仏教、儒教、神道などとの複雑な関係が形成された。古代から江戸時代までの思想を著者は「大伝統」と呼ぶ。

 近代になって、「天皇を中心とする国家」が外形的には大日本帝国憲法として成立し、それを「国家神道」が支えるが、民衆の間では仏教で祖先祭祀を行った。これが「中伝統」。敗戦で中伝統が崩れて、平和・人権・民主などの「人類普遍」の価値がタテマエとして掲げられたが、ホンネの世界ではアメリカ依存が続き、思想崩壊状態になっている。これが「小伝統」で、日本人はこの三層の思想構造の中で生きてきたととらえる。この大伝統・中伝統・小伝統というのは判りやすい。

 著者の専門を生かして、それぞれの時代の宗教の状況が詳しい。江戸時代の仏教など、あまり知らないことが出ていて有益だ。現代では、宗教はそれほど重要性がないような気もするが、災害やテロなど「大量死」の時代を迎えて、日本人の死生観を問うことは意味があるとする。その意味で戦後思想において、原爆や靖国神社をどうとらえるかが大きな問題として描かれる。これらは非常に重要な視点だと思う。しかし、全体としては多くの思想家、宗教家などを羅列的に紹介している印象が強い。ただ宗教の歴史に関しては、知らないことも多くて多くの人に一読の価値がある本だ。

 「王権」と「神仏」という問題設定そのものが、正直に言えばよく判らない印象もある。「思想」というものは、「人生いかに生きるべきか」と「どのような社会を作っていくか」が中心的なテーマだろう。「現世」はいつも「憂き世」「浮き世」なので、そのような「世間」から逃れて、理想をどこに求めるか。前近代では「神仏」の世界が現世と別に人々に大きな意味を持っていた。近代では「復古」と「革命」とベクトルは逆になるが、現世の時間軸を越える社会が求められる。

 もう一つ、日本の思想の中にあるのは、「現世離脱」の様々な生き方だと思う。平安時代には高級貴族にも「出家」が多くなるが、その後「隠者」として世に隠れ住む人々が出てくる。前近代には権力が分立していた時代が多かったから、その間をうまく使って「アジール」(世俗権力が侵すことが出来ない聖域)が成立した。近代では一応全ての領域にわたって「国家」が覆い尽くすことになっている。しかし、現実には宗教的、思想的、社会的に自立性の高い空間が存在する。革命党派や新興宗教はその典型だが、その裏に博徒などもあった。「世間」と「アジール」で日本思想史を語ってみたい気もする。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「桜を見る会」とニューオー... | トップ | チェーホフの4大戯曲を読むー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃 (歴史・地理)」カテゴリの最新記事