尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「高校紛争 1969-1970」という本

2012年03月23日 01時25分31秒 | 〃 (さまざまな本)
 小林哲夫「高校紛争」は、2012年2月の中公新書新刊である。2月新刊は充実していて、先に書いた「物語近現代ギリシャの歴史」の他に、成田龍一「近現代日本史と歴史学」も面白かった。歴史学や歴史教育プロパーの人向けだと思うので、ここでは詳しくは触れない。戦後歴史学のあゆみを3期に分け、「書き換えられてきた歴史」を分析している。僕は大体2期とある頃(60年代末から70年代)に学生だったから、その頃の本はほとんど読んでいる。最近の本になると、知らないのは少ないけれど、読んでない本が多い。。

 「高校紛争」という本は、「語られなかったもう一つの闘争」とあり、冒頭「忘れ去られた歴史がある」と書かれている。実は僕は忘れたことはないし、いずれ自分でも追及してみたいテーマだった。しかし、この本によって、ほぼ「高校紛争」というテーマの概説は書かれたと言ってよい。遺されたエピソードはまだたくさんあると思うけど、おおよそこの本で大体伝わるだろう。

 帯の裏にある紹介文。「1960年代後半から70年代初め、高校生が学校や社会に激しく異を唱えた。集会やデモを行うのみならず、卒業式を妨害し、学校をバリケード封鎖し、機動隊に火炎ビンを投じた。高校生は何を要求し、いかに闘ったのか。資料を渉猟し、多くの関係者の証言を集めることで浮かび上がる、紛争の実像。北海道から沖縄まで、紛争の源流から活動家のその後の人生までを一望する、高校紛争の決定版。」

 目次を見ると大体中身が判るので、引用してみる。(小見出しは省略。)
第1章 1969年10月21日、都立青山高校
 1 高校がマヒした日 2 時代に翻弄された高校
第2章 紛争の源流を探る
 1 1950年代の喧騒 2 60年安保の覚醒
第3章 社会への反抗、学校への抵抗
 1 羽田、王子、佐世保 2 初めての校長室占拠 3 卒業式闘争
第4章 高校生は何を問うたか
 1 生活指導、校則 2 教育制度 3 学校運営、政策 4 政治課題
第5章 活動家の実像
 1 社会問題としての高校紛争 2 活動家の苦悩 3 革命家をめざした高校生たち 
 4 バリケード封鎖の風景
第6章 紛争重症校列伝
 1 エリート校の問題提起 2 負のスパイラル 3 長期化 4 戦争の間近で 5 女子と紛争
 6 実業高校 7 稀なる勝利
第7章 紛争はどう伝えられたか
 1 沈静化へ 2 その後の活動家たち 3 学校は変わったか

 僕がこのテーマに関心を持っていたのは、紛争当時に中学生だったからだ。生々しい同時代史である。大学の学生運動は遠かったけど、自分が行くかもしれない高校のことは関心を持たざるを得なかった。具体的には、都立上野高校である。ここへは結局行ってない。当時は学校群制度で、群を受験し合格校は抽選で決まる。不思議な制度ではあった。これが「都立凋落」を招いたと今では諸悪の根源視されている。僕も抽選で高校が決まるというのはいくら何でもちょっと、と思うけど、実際その制度で合格した以上、あまり悪く言われるのも感じが良くない。群ようこ「都立桃耳高校」にあるように、抽選で決まったはずなのになんとなく各校の伝統的カラーが生き残るのである。僕は第5学区の52群を受けて、白鴎高校に振り分けられた。

 上野高校に行きたかったのは、上野が紛争勝利校で、定期テスト廃止自主ゼミ開設など素晴らしいと思えた改革がなされていたからだ。僕は当時から小説や映画に没頭していた。1970年公開の「イージーライダー」や「ウッドストック」「明日に向って撃て!」などは皆ロードショーで見た。「自由」に憧れたのである。上野高校で実施された自主ゼミのテーマが109頁に載っている。いわく「丸山真男の『日本思想』」「カミュ『異邦人』における極限状況の設定」「ルソー『エミール』」「梅本克己『現代思想入門』」「ヘーゲル『精神現象学』」「フッサール『現象学』」「パリコミューン」「アルカリ金属およびアルカリ土金属」「核酸の化学」と列挙されている。

 この驚くべき高度なテーマ設定。これに当時の高校生はついてこられたのである。僕も行きたかったし、やりたかった。と同時にこの試みがいずれ潰えていくのも、また必然だったのだろうと思う。ここまで10代で問題意識が高揚したのも、60年代末期の一時的な現象だろうと思うから。でも、僕が六本木高校で作った「人権」という授業で本当にやりたかったことは、こういうことだったと思う。歴史を隔てて遙かなる残照がかすかに残り続けるのである。
 
 さすがに中学生は何もできないと思っていたら、都心の名門、麹町中で「中学全共闘」を名乗っていたのが、現世田谷区長保坂展人である。僕と同じ年で高校に拒まれた生徒が二人いた。内申書に闘争歴を書かれて落とされた保坂展人と埼玉県立浦和高校から血友病で体育の授業ができないとして落とされた大西赤人(作家大西巨人の子どもで、本人もショートショートを書いて作家活動をした)の二人である。僕はそのことを忘れないようにしたいとずっと心の奥で思ってきた。

 今思うと、高校生どころか大学生だって、革命を語るなんてチャンチャラおかしい。世界のことも自分のこともまるで判ってない。紛争の中にも「ジェンダー格差」はあったし、障がい者や被差別生徒のことは問題意識にもない。愛も知らずに世界を語るなんて。しかし、それだけでは当時の気持ちが伝わらない。大津波の映像を見て、自分に何かできることはないかと思わなかったか。原発爆発の映像を見て、日本のシステムを変えなければいけないと思わなかったか。2011年に高校生をやっていたら、みんな何かしら考え心動かされたのではないか。同じなのである。テレビや新聞でベトナム戦争の映像を毎日見て育った。日本では公害問題が深刻化し、日本政府はアメリカ政府や公害企業の味方をしていた。自分たちも何かできないのかと多くの人は思っていた。学校の勉強は現実に関わらないし、校則は厳しく生活は不満だらけ。何も起こらないわけはない。

 そしてそこに大学生の党派が持ち込まれる。このあたりは、多少の予備知識を必要とするかもしれない。さすがに年少の僕には全く知らない世界だった。知らないと言えば、50年代の出来事も全く知らないことばかり。高知では勤評反対を教師と生徒が共同でやっていた。これぞ忘れ去られた歴史だろう。また沖縄の「琉球政府立」の高校のことも出てくる。これは当時の本土には伝わらなかった。教師と一体になった反米軍、本土復帰闘争である。以後も現在に至るまで、沖縄の訴えでは高校生が大きな役割を果たし続けているのは承知のとおりである。

 高校紛争というのは、気持ちはよく判るんだけど、犠牲が大きく、思い出したくない人も多いだろうと察せられる。大学を辞めても、辞めさせられても、高卒の資格はある。通信教育で大学の勉強をすることは後でいくらでもできるだろう。しかし、高校の段階で「今の大学教育は本当の教育ではない」という信念を持ってしまったらどうだろう。あるいは紛争のために逮捕、起訴され高校は退学になった生徒も多い。中卒でいいではないか、とは現実には言えない場合が多いだろう。中卒で労働者となり革命家になると言われても…ということである。

 盛岡第一高校では、卒業式の校長式辞の前に「校長、あなたは真の教育者か もっと生徒に近づけ」「人間性無視の教育は御免だ 事なかれ主義を捨てろ」という垂れ幕が下がったとある。(82頁)言っちゃなんだけど、今でもこういう垂れ幕を下げたい校長はけっこういるんではないか。これは学校としては認められないかもしれないが、「痛快事」というべきではないか。一方、卒業式の答辞、送辞にこのようなものがあったと紹介されている。(83、84頁)「テスト、テスト、テストの教育。私たちはそのレールにのせられ人間でないどころか、生きものであることも忘れさせられてしまいます。」(大阪、清水谷の送辞)、「入学した時から鎖につながれ、その中に埋没した。教師は知識を切り売りし、受験以外には無関心な生徒を作ったのである。」(石川、金沢泉丘の答辞)、「先生に人間と人間のふれあいを求めたがついになかった。」(大阪、寝屋川の答辞)

 これらは今も心に響くのではないか。教育に対する大切な問いかけになっているのではないか。歴史を顧みるとはそういうことだ。もちろん当時の高校生がいくら頑張っても、政治を大きく変えることはできない。でも試みは後世の人間が志を受け継ぐことで生かしていける。僕はそういう大切な問いかけとしてこの本を受け取った。多くの若い人、教育関係者も目を通して欲しい。
 
 どんな学校が出てくるか知りたい人も多いだろうから、ちょっと書き抜いてみた。答辞は「合法的行為」だから抜かす。バリケード封鎖などが起こったか、計画されたような高校だけ。東京が圧倒的に多く、知ってる学校が多いので先に書。後は北から順番に。本書登場順。校名は当時のまま。

東京
(都立)青山、九段、武蔵丘、北園、上野、小山台、四商、西、駒場、城南、石神井、都立大附属、志村、江北、北、日比谷、葛西工業、世田谷工業、烏山工業、練馬工業、小石川、立川、新宿、竹台 (私立)武蔵、高輪、駒場東邦、桐朋、明治学院、麻布、東京農大一、女子学院(国立)教育大駒場、学芸大附属
北海道 小樽潮陵、江別、札幌南、夕張、札幌開成 岩手 盛岡第一、釜石商業 宮城 宮城第一女子、仙台第一、第二女子、第三女子 山形 山形南 福島 磐城、磐城女子
茨城 水海道第一、水戸第一 栃木 宇都宮女子 埼玉 浦和第一女子、浦和、川越 千葉 東邦、市川学園、東葛飾、千葉
神奈川 希望ヶ丘、栄光学園、平塚江南、川崎、慶應義塾、多摩、横浜翠嵐、横浜緑ヶ丘
山梨 甲府第一 新潟 新潟 長野 長野、上田染谷丘、須坂 静岡 掛川西、沼津工業 愛知 東邦、旭丘
京都 鴨沂、同志社、日吉ケ丘、桂、京都教育大附属、洛陽工業、堀川 奈良 奈良女子大附属 兵庫 葺合、須磨、灘
大阪 大手前、市岡、茨木、阪南、東淀川、生野、登美丘、大阪教育大付属池田、淀川工業、住吉商業、四条畷
岡山 津山 広島 広島皆実、修道、広島女学院、広島工業 鳥取 由良育英、米子東、赤碕 愛媛 愛光 高知 追手前、土佐 福岡 小倉、宗像 長崎 佐世保北 大分 大分上野丘 熊本 熊本 沖縄 首里、前原
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2 コメント

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何故都立桜町高校が入っていないのか? (猫田 実津悟)
2019-05-11 18:01:30
当時の当事者として都立桜町高校の名前が入っていないのは何故でしょうか?1か月間のバリケード封鎖を実行し、1か月の全校集会を毎日繰り返し、やっと封鎖が解除された学校が東京都世田谷区にあった事を。猫田実津悟
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コメントの趣旨は? (ogata)
2019-05-11 20:39:47
 今ちょっと原本が手元にないので確認できないのですが、原本に出てるのに書き落としたと言うことでしょうか。その場合は申し訳ないですが、まあ一資料として提示しただけですから。もともと完璧版じゃやないんだからと言うしかありません。7年以上前の本だし、出てない学校も多いでしょうが、多くの方の指摘によって事例を増やしていくべきでしょう。
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