尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

学校は「リゾーム」(地下茎)である

2011年03月30日 21時33分19秒 |  〃 (教育問題一般)
 昨日は、指導力不足教員より、むしろ「指導力過剰教員」が問題なんでは、と書きました。
 その通りだと思っているのですが、これだけでは実は不十分です。なぜなら、指導の対象である生徒を抜きにして、「指導力」だけを取り出して、指導力があるとかないとか言うことは実はできないのです

 つまり、ある先生はある科目の時には分りやすい授業をするけど、ほかの科目の時は不得意そうで、クラス担任になったら頼りになる先生だったけど、部活顧問としては「イマイチ」だった、とか。「指導力」は学校の様々な場面で様々な発露をしていくもので、生徒との「関係性」の中でしか発揮されません。

 だから教師の側の「指導力」だけを強化しようとして、学校外で研修したり、面倒くさい書類作りをいっぱいさせるのは逆効果になります。研修や講習に時間が取られる分だけ、生徒理解の時間が減って、教師と生徒との関係性は弱体化していくわけです。

 学校というところは不思議なところです。金八先生の話で、学校は組織で動くと書きましたが、教員の仕事はそうなんですが、生徒と教師、生徒と生徒の関係性は組織的には動きません。
 いや、やはり生徒のことは学級担任(学校の組織の役割)が一番理解していることが多いと思いますが、それでも他の教科の教員に話に行ったり、部活の顧問に悩みを相談したり、保健室なら登校できたり、図書室の司書が一番よく話を聞いていたり…というようなことは、実によくあります。さらに、事務、用務、警備員(今はいないけど)、給食調理などの人と関わりがある場合だってけっこうあります。

 生徒に関する思わぬ情報は、生徒本人から相談があるというより、むしろそういう様々な接点を持ついろんな教職員から入ってくることが多いと思います。
 見回り中にタバコで捕まえたとか、部活でトラブルがあったとか、保健室に話に行ってクラスでの悩みを打ち明けてるとか…。それ以外でも、いろいろな生徒との雑談の中で、学校の教職員は様々な人間関係の微調整をやり続けています

 妙に耳聡い、目聡い教師が学校に一人くらいはいるもので、生徒の誰と誰が付き合ってたけど最近別れたらしいなんて情報をたくさん持ってます。生徒が最近元気なかったりすると、職員室で雑談してるときに、「振られたばかりなんだよね」なんてズバリと言う先生がいたりします。

 学校は、そこに通う生徒と、そこで働く教職員が絡み合う人間関係の網です
 インターネットをワールドワイドウェブ(世界規模の蜘蛛の巣)と表現するなら、学校は「スクールワイドウェブ」(©尾形)と言ってもいいでしょう。

 哲学用語を引用して考えるなら、まさに「学校はリゾームである」と言えます。
 リゾームというのは、ドゥルーズ、ガタリによって唱えられた、ヨーロッパ近代思想史を塗り替える概念ですね。ドゥルーズもガタリもすでに10年以上前に他界して「ポスト構造主義」さえ古びた感もありますが、実際の学校や生徒の行動を理解するときに「リゾーム」(地下茎)や「ノマド」(遊牧民)という概念は有効なのです。

 生徒間の絶えざるグループ編成と崩壊と再編成…及びその際の不思議な人脈関係はまさに「ノマド」というしかないです。
 そして、様々な人間関係が絡み合い、中心を持つようで持たない、いろいろなところでつながっている関係は、地下茎という比喩が一番ピッタリくるんじゃないでしょうか。

 で、今日は学校論でおしまい。しかし、今日の文章だけでも学校をピラミッド型社会にする試みや、教師の研修を強化したり、教員免許を更新制にするのが、ただ間違っているというに止まらず、むしろ学校の教育力を損なうことになるのかが分ってもらえるのではないかと思います。

 毎日、字ばっかりです。長いし。長い文章書くの大好きですから。
 4月になったら、画像も載せると思うので、もう少しお待ちください。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 指導力過剰教員 | トップ | 学校と会社の仕事はどこが違うか »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (呉一郎)
2011-03-31 10:46:37
お上が、そして教員側が「何故教育をするのか」を見失い、生徒側が「なぜ学ぶのか」を見失った時、どちらも二極化と成果主義を免れず、良い目的のために作ったシステムが、結果的に本来の目的を達成する最大の障害になってしまうという自己疎外が起きるのですね。
返信する

コメントを投稿

 〃 (教育問題一般)」カテゴリの最新記事