尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

芦川いづみを見つめて

2013年01月17日 22時58分40秒 |  〃  (旧作日本映画)
 日活の古い映画をいっぱい見ている。映画の中味ではなく、まずは女優芦川いづみのことを書いておきたい。今のテレビタレントなんか、美人というより親しみやすいという方が受ける感じで、顔そのものは(言っちゃなんだけど)「ファニー」系も多い。でも昔の映画黄金時代のアイドル女優は、皆うっとりするような美女、または清楚可憐でキュートな子、もしくは妖艶を絵に描いたような色気なんかだ。ストーリーを忘れて画面を見つめてしまう女優がたくさんいた。

 僕が昔から好きなのは吉行和子(1935~)と芦川いづみ(1935~)。吉行和子は、山田洋次監督の最新作「東京家族」で、老母を演じて健在だ。元は劇団民藝で「アンネの日記」のアンネに抜擢された女優である。舞台は引退していて、僕は最後の「アブサンス」を見に行った。映画では今村昌平監督の「にあんちゃん」の保健師役なんか大好き。大島渚監督の「愛の亡霊」の主役も演じた。作家吉行淳之介の妹、吉行理恵の姉だが、つまり美容師の吉行あぐり((NHKの朝ドラ「あぐり」のモデル)の娘である。あぐりさんは105歳でまだご存命だが、子どもは吉行和子だけになった。(2015年に107歳で没。)

 日活の女優は大体好きなタイプが多いけど、芦川いづみは1968年に藤竜也と結婚して引退している。昔の映画を見てない人は全然顔が浮かばないかもしれない。こんな人である。
 
 僕が好きなのは、大体顔が丸っこい。目元涼やか、お嬢様でも奔放娘でもなく、マジメで清楚ながら自分の意思もしっかり持っている。穏やかで一生懸命なタイプ。要するに、成績も悪くないけど、それより人柄がよく人望も篤い「学級委員」タイプで、それでは教員好みそのままではないかと言われそうだ。結局上流でも下層でもなく、自分の生まれた中産階級の娘がいいのかも。

 このところ、ずいぶん芦川いづみの映画を見る機会があった。初期では、川島雄三監督の「風船」(1956)で、足の悪い娘役を清潔に演じる。2つ年上の北原三枝(後の石原裕次郎夫人)がずいぶん大人の女性を演じているので、まだ半分少女という感じ。さらに川島監督の「赤信号 洲崎パラダイス」(1956)では蕎麦屋の店員役。マジメに働いているが同僚の小沢昭一に関心を持たれている。本人は三橋達也に憧れている感じだが、素直で働き者の娘を印象的に演じている。
(「赤信号 洲崎パラダイス」)
 川島雄三の、というか日本映画を代表する傑作「幕末太陽傳」(1957)では品川の遊郭「相模屋」の女中おひさ。落語をいくつかまとめて幕末の志士を加えた筋だが、「文七元結」の「おひさ」がモデル。映画ではフランキー堺の居残りに助けられ、父親の借金のかたに客を取らされそうになったけど若旦那と駆け落ちする。ここでも下積みをいとわずマジメに働く娘だが、自分をしっかり持っていて若旦那に祝言前に体を求められても応じない。こういう「清楚・清潔・しっかり者」が持ち味になっている。
(「幕末太陽傳」)
 石坂洋次郎原作の「乳母車」(1956)、「あいつと私」(1961)なども同じ。同じ原作者の「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」「あじさいの歌」などにも出ているが、今回は見ていない。「乳母車」では、父の愛人(新珠三千代)が住む九品仏(世田谷区)に押し掛けて、愛人の弟石原裕次郎と知り合う。父と愛人の間に生まれていた娘をめぐり、ちょっと通常はありえないような設定で話が進むが、若き裕次郎(1934年~1987年)と芦川いづみが演じると、若さがまぶしくてただ見つめてしまうしかない。

 「あいつと私」は、安保闘争を背景に、若い世代の性と倫理を描く。35年くらい昔、文芸坐のオールナイトで見て、設定にかなり驚いた記憶がある。石原裕次郎が仕事中心の有名な美容師の息子役で、この一家がかなりぶっ飛んでいる。芦川いづみは大学(慶應日吉校舎でロケされている)の同級生として裕次郎と知り合い、家を訪ねる関係になる。近づいたり疑問を持ったりしながら、二人はだんだん互いを大切な存在に思いあうようになる。今見ると、当時の風景は新鮮で設定も面白いけど、基本にある「ボーイ・ミーツ・ガール」の魅力があふれている。田園調布に住んで、大学に通う中産階級の娘の一生懸命の生き方が共感を誘う。
(「あいつと私」)
 小沢昭一が同級生(これはいくら何でも苦しいが、小沢昭一が演じるとなんでもあり)で、「1960年6月15日」に東京会館であった結婚式に一緒に出る。そのあとで、裕次郎と小沢昭一と芦川いづみが肩を組んで安保闘争のデモに行く。この日付は、もちろん当時の人は誰でも判った。国会前で東大の女子学生樺美智子が死んだ(殺された)日である。同じ日に結婚式をやってる人もいるが、安保やデモをめぐって皆で議論している。同級生の吉行和子は、政治意識にめざめ結婚式にはいかずデモに行く。友人とはぐれて早めに帰るが、友人に衝撃的事件が起きる。一方、デモを見ていた芦川いづみは母親に電話して「私の背中にお母さんがくっついているの。デモの場にいると、それを感じるの。お母さんに離れて欲しいの」と訴える。この一途なセリフに、自由を求める当時の若者の気持ちがよく伝わる。

 この映画は石坂洋次郎という作家を通して、戦後民主主義や性と自由の問題を今も突きつけているように思う。「まだフェミニズムがなかった頃」の若い女子大生の悩みがリアルに伝わる。そういう意味でも大変興味深い映画だが、もっとも映画の大部分は芦川いづみの清楚で可憐な一生懸命に生きる姿を大写しで描く。衣装も大変素晴らしく、ここでもほとんど見つめているしかない。吉永小百合が妹役だけど、さらに小さい妹が酒井和歌子。(なお、昨年亡くなった中原早苗=深作欣二夫人も同級生役で、小沢昭一とともに追悼の気持ちで見た。)

 こういう清楚な女子大生と違うのが、「霧笛が俺を呼んでいる」(1960)で、主人公の船員赤木圭一郎の友人、葉山良二の恋人(情婦というべきか)。赤木が横浜に来て友人の消息を尋ねると、2週間前に死んだばかりと言われる。それに疑問を持ち調べ始めると、怪しげな男たちが様々に現れ、殺人事件も起こる。ホテルの食堂でまだお互いを知らない段階で、霧笛が聞こえる中を見つめ合う一瞬が、運命の転変をもたらす。翌日、謎の電話で赤木が横浜の埠頭に行くと、そこに芦川が来ていて事情を語り合う。この横浜港の埠頭で出会うシーンは日活アクション史上に残るロマンティックな出会いだ。その後も城ケ島へのドライブなどロケも素敵だ。
(「霧笛が俺を呼んでいる」)
 木村威夫の美術による日活アクションお決まりの無国籍バーでは、なんと芦川いづみが歌を歌うという素晴らしい場面がある。そして葉山良二の裏の顔を突き止め、葉山が死んでいないことを知る。そしてこれも日活アクションによくある、「日活国際ホテル」でのアクション場面。日比谷の「日活国際ホテル」は、今のペニンシュラホテルのところにあった。地下駐車場も日活映画によく出てくる。最後は、赤木は横浜港で慕情を押さえながら、「日本の嫌な思い出が消えるまで帰ってこない」と言い残して、船に乗って去っていく。日活アクション史上有数の傑作だと思うが、ロマンティックな港町で芦川いづみがたたずむだけで、もううっとりして見つめてしまう。

 これだけ芦川いづみを見ていると、実にチャーミングでキュート。こういう英語がよく似合う。清楚系もいいが、「硝子のジョニー 野獣のように見えて」(1962、蔵原惟繕監督)という不思議な傑作もある。
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2 コメント

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芦川さんの出ている中では (谷川)
2013-12-04 18:46:03
堂々たる人生が好きです
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見てません (ogata)
2013-12-04 21:46:35
 いや、見てません。教えていただいてありがとうございます。ずいぶんたくさんあるので、見てない映画が多いです。自分の場合、劇場でしか見ないので(原則)、「名作」や有名監督のものは多く見られますが、それ以外はなかなか見るチャンスがないですね。ラピュタ阿佐ヶ谷の、芦川いづみ特集や源氏鶏太特集でやってたと思いますが、見逃して残念。次の機会があれば、絶対に逃さないようにしたいと思います。
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