リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

誤訳の席巻

2010-11-13 21:52:23 | 歴史への視角
 こんばんは。気候もよく、勤務仕事もそんな大変でなく、にもかかわらず、あんまよくないお日和で。いや、それでは贅沢も度を過ぎますでしょうか。

【前段】
 さて、唐突ですが、一人の労働者には、労働者である自分と、市民である自分というものがいるそうです。
 「もっと仕事減らしてくれなきゃ体が持たない。人を増員してくれ」と言ってる労働者A、あるいはそう思うけど口には出せずひたすらがんばっている労働者Aと
 「なに、日航? 飛行機高すぎ。パイロットも客室乗務員も整理当然」といっている市民である自分Aですな。

 こうゆう分裂が労働者的に問題なのだ、という話が昔から評論家的にあって、ま、分裂は現象であってそんなものが問題なわけじゃないけど、分裂がなければそれは組合運動的にやりやすいのは確かなのです。
 分裂していない労働者というのは、「小市民」部分のない労働者のことです。
 「小市民」とは、市民である自営業・資本家業に対して、雇用労働者なのだけれど、ヒマな時間とカネがある人間のことです。小市民でないというのは、一日、通勤時間もなく朝から晩まで働いて、付き合う社会は地域的職業労働者の間のみ、というところですね。数十年前の資本主義諸国の労働者にはたくさんいたところです。たとえば日本炭鉱労働者。こうしたところの労働者の本体(本隊)は、ほんとに鉄鎖と地域的共感、それに少々の寝具・衣服しか持っていない。 
 こういう労働者は、資本家に屈従するか、資本家と戦うかのどちらかしかないし、その他の選択肢がない中で闘えば、闘争は労働評論家が満足するものとなる。「万国の労働者よ、団結せよ!」と言われれば、よしがんばるぞ、みたいなことにもなる。それはシンプルで分かりやすいが、先進資本主義国ではそうはならない。そのことを分裂と呼ばれても、個人としては進展なのだ。問題は「分裂」なる現象ではなくて、その基盤の社会進行の変え方なのだ、って話で、まだ続いていくんですけどね。これは実は前段。もともと長い話だし。
 応用理論作成中ですが、先達が言いたい放題の序論ばかりで放りなげた仕事が無秩序に散乱してるんで困ります。
 で、今日はこれは本題ではありません。下記【本題】の調べに、3時間以上使ったので、毒食わば、で文にしとこうというわけです。 
 

【本題】  
 で、上記の分裂していない労働者とは、「共産党宣言」にある「鉄鎖しか持たない」労働者だ、と書こうとして、ちょっと参考にウィキペディアを見てみると
 
「プロレタリアはこの革命において鉄鎖のほかに失う何ものをも持たない。彼らが獲得するものは世界である。万国の労働者、団結せよ」、、、

 、、、あ~~ん??
 なんだよ、「この革命において」って??
 
 単に、「労働者は鉄鎖のほかに失うものは何もない」でしょ!
(「共産党宣言」大内兵衛・向坂逸郎監修(相原茂ほか訳)『マルクス・エンゲルス選集5:共産党宣言』新潮社。(と思われる。なにしろ他の訳がネットに上がってなくて)
www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no73/06isamber.pdf )

 そういえば、学生のみぎりの出来事を思い出しました。
 頃は1973年、その頃は日本共産党といえば有名なものでしたが、その党の方針で、マルクス・エンゲルスの出版物の訳語を変えたのです。大月書店版、てやつ。
 ずっと以前ここでも話題にしましたが、「プロレタリア独裁」は響きが悪くて一般人が引くから、「プロレタリアートの執権」へ(もうすでに、その訳語さえ党綱領から外した)。それと同じく、テレビも住居も持っている一般人向けに、共産党宣言訳に「この革命によって」を書き入れたのでした。といって新旧絶版のようですので、証拠があるわけではありません。その頃、左翼の間で嘲笑の話題になったできごと、ということです。なにしろ、ちょっと前に長嶋選手が『社会主義になると野球ができなくなる』と心配した時代。その後宮本顕治共産党書記長が長嶋と対談してそんなことはありませんと否定してた気さえします。

 ま、この組織はそんなものなんでそこまではいいんですが、ネットで調べているうちに某、相対的に大きな新左翼過激派までこの訳を広めていることが分かったのでびっくりぎょうてん。はあ、政治屋の大衆路線というのはそういうものなのか、みたいなもんで。おかしいね、昔、一緒に嘲笑したでしょ? まあ、今はそんな人は引退したんでしょうね。
 とにかく今ではネット業界はこの訳ばかりです。呆れたったら。
 
 原文は下記。
 
”Mogen die herrschenden Klassen vor einer kommunistischen Revolution zittern. Die Proletarier haben nichts in ihr zu verlieren als ihre Ketten. Sie haben eine Welt zu gewinnen.”
(ウムラウトなし)

USAのウィキペディアによると
"Let the ruling classes tremble at a Communist revolution. The proletarians have nothing to lose but their chains. They have a world to win."

 まあ、ドイツ語原文に"in ihr"というのがあって、これが「彼女(彼ら)の中に」という意味で、「彼女(彼ら)」が"einer kommunistischen Revolution"か"Die Proletarier"で訳が違う、ということなんでしょ。私のドイツ語は独学なんで、いまいちですが。

 英訳では、きれいさっぱり落としております。
 じゃあ、落としたら悪いかっていうとそうではなく、この英訳は、エンゲルス監修の英訳と同じですから(私は日本語訳は今は持ってないけど、英語訳は持っている)、どうでもいいマルクスの口癖を消しただけ、というのが普通。だいたい、一つのセンテンス内で同じ代名詞を違う対象に使ってごらんなさい。語学教師から罵倒されますよ(ihre Kettenのihreは、流行の訳でもDie Proletarier。それとも、共産党革命なり某セクト革命には鉄鎖が必須とでもいうのかしら)。

 『そんな文法論議が問題なのではない、実質はこの訳でいいではないか。労働者はこの革命において失うものがないだろう』、という話が出ますかね、
 それを嘲笑の題材にしたんですよ、40年前。
 労働者が「この革命」で失うものがあろうがなかろうがどうでもいい、問題は、革命の手前の、「この蜂起的運動」(=革命ではなく、革命運動)へ参加することで失うものがあるか、なんですよ。この党宣言のテーマは、資本家を革命に慄ませるべき蜂起運動へのアジテーションの話なのですよ。わかりますか? そのために、『万国の労働者よ、団結せよ!』なのです。
 
 わかんないやね、平和な若い人には。
 
 「共産党宣言」は全ての国において、論文ではなく、運動のアジテーターの役割(組織化、オルグの武器)を果たしてきたんですよ。
 きみ、そこの、きみ、世界はこうなんだ、さあ、一緒に運動しよう。親が? 妻が? 家が? カネが? (政府・支配者の弾圧で私の人生の未来の全てが消える) 何を言ってるんだい。無産階級が失う何を持っているというんだい? そうだ、そのきみの鎖を解き放ちたまえ!
 それはマルクスの時代からそうだった。マルクスだって「この革命」が今日来るなんて思ってたわけではない。まずは、この蜂起に(革命「運動」に)人を動員することが問題だったのだ。それは日本の60年でも70年でもそうだったし、日本共産党のその頃の幹部たちもそうやって偉くなってきたのだ。
 のに、なんだって? 運動をすっとばして、「この革命」って、そんなもんいつ来るんだよ?
 そう、関係者は分かるように、「この革命」は、選挙票の大多数的獲得によって明日来る。つらい革命運動に人をだまくらかして誘う必要などない。そう仮定すべき議会主義によってのみ必要な言葉なのです。先に述べた事情はその頃の共産党幹部は百も承知、知っててウソをつくから嘲笑したわけです。補訳したいんだったら、「革命『運動』において」、だよ。
 
 もういいや、くだんない。大衆主義は結構ですけどね、そのぶん、偉そうなことを言わなければね。
 
   、、、それにしても、知識の行方って、いったい
   
   
   (なお、注。エンゲルスが監修していない議会主義者が翻訳したフランス語版は怪しい)
 
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