こんばんは。東京地方、今日の気温は温かく3月並みだなんて、これが3月ではさみしいものです。正午でも十分寒すぎ、外でワイシャツ腕まくりでは。
さて、世の中、「旬」というものがありまして。いまさら山口百恵にTV出演で「横須賀ストーリー」など歌ってもらいたくない、という問題でね、半年前ここで話題にしようとした話。
で、女の歌手の話題だとそのまま属人的な俗人的な話題になりますが、大相撲やサッカーのような体力勝負は20代前半、野球は技術と精神力で、少し高級に20代後半、ゴルフは少々ボケが始まる(ことでメンタルに有利な)30代から。
みたいに文化的な仕事というのはしゅんがあります。
その中で、早くにしゅんが終わってしまうのが(歌手のように)見た目ではない青春グループ
昔なら詩人や歌人、そして今なら漫画家。
例をあげてみると
新沢基栄の『ハイスクール!奇面組』
高田エミの『ねこ・ねこ・幻想曲』
佐々木倫子の『動物のお医者さん』
いえ、もちろん個人的趣味ですが。ではありますが、いわせてもらえば、完璧に若人の生きた時代を捉えていて、なんでこうゆう芸術作品に与うべき国家的賞がないんだろう,と思ってしまいます。なにも年寄ってあげるだけが文化賞じゃあるまい。「新人賞」でも「芸術賞」でも「ベストセラー賞」でもない文化賞。もっともそれも、生きた証し、みたいになって売れる売れないの資本主義チックではありませんね。
いや、別に長期連載『名探偵コナン』を認めないとかそういうんじゃなくって、作品を何歳なら描けるか、って問題ですが。コナンなら還暦でも描けるしょ。
ついで、子供に教えてもらったのが
こうの史代の『ぴっぴら帳』
おう、これはすごい。国家的賞にはちょっと小粒すぎるけれど、青春にしか描けないしゅんの漫画(青春にしちゃ年が、、、とかいっちゃいけませんな)。
でもこの人これ以上描けないんでは、と思ったらそうではなく、その後の
『夕凪の街 桜の国』が代表作だそうで。
「原爆投下後の広島市を描いた作品」とのことですが、まあ、そういうことはあるよね。というところで。
で、この辺でこの「しゅん」なる話題を止めて様子を見たのが半年以上前。縁があれば上記作品が目の前に現れてその後が書けるだろうし。と思ったら、今週現れたのが同人の別作、『この世界の片隅に』、って題名だけだけど。朝日新聞。この人なかなかがんばっております。とはいえ、この作品てば、ここでの「しゅん」の話を越えている主題ですので、この辺で締め切り。しゅんを越えて、「コナン」になっちゃったもよう。「へうげもの」になった、でもいいけど。
ぴっぴら帳よかったんですけどね。(って、なんか文句ありそうな、、、)
というわけで、集約。生活を歌うものにとって、青春というものは消えていってしまうかなしいものです。あるいは、かなしいものだから消えていってしまうものです。現実にそぐわない自分を、仲間たちの存在によって支えていく生活。年とともに、どちらかが失われていく。そしてそれは、それを読み解く者にも同じに。
かなしみのしゅんというのは人間には1回限りしかないもののようです。
なにをいってるんだ、中年おじさんの生活は涙だらけだって?
それは、苦しみ。どうちがうって言って、苦しみは消えないでしょ、かなしみとは違う。って断言するのもかなしいね。
中高年になれば忘却力はつきますよ。あと一息。がんばってください。
さて、世の中、「旬」というものがありまして。いまさら山口百恵にTV出演で「横須賀ストーリー」など歌ってもらいたくない、という問題でね、半年前ここで話題にしようとした話。
で、女の歌手の話題だとそのまま属人的な俗人的な話題になりますが、大相撲やサッカーのような体力勝負は20代前半、野球は技術と精神力で、少し高級に20代後半、ゴルフは少々ボケが始まる(ことでメンタルに有利な)30代から。
みたいに文化的な仕事というのはしゅんがあります。
その中で、早くにしゅんが終わってしまうのが(歌手のように)見た目ではない青春グループ
昔なら詩人や歌人、そして今なら漫画家。
例をあげてみると
新沢基栄の『ハイスクール!奇面組』
高田エミの『ねこ・ねこ・幻想曲』
佐々木倫子の『動物のお医者さん』
いえ、もちろん個人的趣味ですが。ではありますが、いわせてもらえば、完璧に若人の生きた時代を捉えていて、なんでこうゆう芸術作品に与うべき国家的賞がないんだろう,と思ってしまいます。なにも年寄ってあげるだけが文化賞じゃあるまい。「新人賞」でも「芸術賞」でも「ベストセラー賞」でもない文化賞。もっともそれも、生きた証し、みたいになって売れる売れないの資本主義チックではありませんね。
いや、別に長期連載『名探偵コナン』を認めないとかそういうんじゃなくって、作品を何歳なら描けるか、って問題ですが。コナンなら還暦でも描けるしょ。
ついで、子供に教えてもらったのが
こうの史代の『ぴっぴら帳』
おう、これはすごい。国家的賞にはちょっと小粒すぎるけれど、青春にしか描けないしゅんの漫画(青春にしちゃ年が、、、とかいっちゃいけませんな)。
でもこの人これ以上描けないんでは、と思ったらそうではなく、その後の
『夕凪の街 桜の国』が代表作だそうで。
「原爆投下後の広島市を描いた作品」とのことですが、まあ、そういうことはあるよね。というところで。
で、この辺でこの「しゅん」なる話題を止めて様子を見たのが半年以上前。縁があれば上記作品が目の前に現れてその後が書けるだろうし。と思ったら、今週現れたのが同人の別作、『この世界の片隅に』、って題名だけだけど。朝日新聞。この人なかなかがんばっております。とはいえ、この作品てば、ここでの「しゅん」の話を越えている主題ですので、この辺で締め切り。しゅんを越えて、「コナン」になっちゃったもよう。「へうげもの」になった、でもいいけど。
ぴっぴら帳よかったんですけどね。(って、なんか文句ありそうな、、、)
というわけで、集約。生活を歌うものにとって、青春というものは消えていってしまうかなしいものです。あるいは、かなしいものだから消えていってしまうものです。現実にそぐわない自分を、仲間たちの存在によって支えていく生活。年とともに、どちらかが失われていく。そしてそれは、それを読み解く者にも同じに。
かなしみのしゅんというのは人間には1回限りしかないもののようです。
なにをいってるんだ、中年おじさんの生活は涙だらけだって?
それは、苦しみ。どうちがうって言って、苦しみは消えないでしょ、かなしみとは違う。って断言するのもかなしいね。
中高年になれば忘却力はつきますよ。あと一息。がんばってください。
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