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映画【一死覚悟】神社参拝強要を拒否し、あらゆる拷問の末に殉教した朱基徹牧師の一代記

2016-03-20 00:38:02 | キリスト教 歴史・国家・社会

 

(イルサガクオ、일사각오、Determination for Death)
 
 
「あらすじ」日帝強占期(日本統治時代)に神社参拝が偶像崇拝にあたるとして神社参拝強要を拒否し、対抗してあらゆる拷問の末に殉教した朱基徹(チュ・ギチョル、1897年11月25日 - 1944年4月21日)牧師の一代記を描いたドキュメンタリー映画。
 
 
韓国映画「一死覚悟(イルサガクオ、일사각오、Determination for Death)」のメインポスター

(機械翻訳)

韓国プロテスタントが記憶しなければならない名前「一死覚悟」チュ・キチョル牧師
(ニュースシェア)160316
http://www.newsshare.co.kr/sub_read.html?uid=89551

 「神社参拝」は日帝強制占領期当時、日本が我が国に行った民族抹殺政策の一つだ。
帝は日本天皇を神格化し朝鮮人を精神的に支配するために、日本王室の指導者や日本の
国家功労者の位牌を置いた霊廟に参拝を強要した。

 そして1938年9月、朝鮮キリスト教長老会総会は日帝の強要と弾圧に屈服して神社参拝
決議をするに至った。これを始めにプロテスタント教団の大部分が「神社参拝はキリス
ト教の教えと矛盾しない儀式であり、国民としての義務だ」と宣言し、各教派の牧師が
率先して神社参拝した。しかし、自身の信仰を守って国と民族のために抵抗、我が国の
代表的な殉教者として残った偉人がいる。 

  「一死覚悟」という題名の説教で神社参拝を拒否し「朝鮮民族の愛国心を抹殺しよう
とする日本の悪政を糾弾しよう」と教徒らに訴えたチュ・キチョル牧師だ。チュ・キチ
ョル牧師は1897年11月25日、慶尚南道昌原(チャンウォン)生まれで1944年4月21日、
監獄で病死するまで短い人生を生きた。

 チュ牧師は神社参拝を拒否して日帝に抵抗したという理由で1938年から1944年の最後の
殉教まで5回、合計5年4カ月間の獄中生活をする。獄中でチュ牧師はこん棒打ち、むち
打ち、金釘踏み、逆さ宙吊りで鼻に唐辛子粉ばらまき、足の裏たたきなどとても思い出
すさえ苦痛な拷問にあいながらもついに信仰的心変わりをしなかった。

 拘束と釈放を繰り返すこと7年。眼疾、肺病、心臓病などが悪化して身体は日に衰弱し
ていったがチュ牧師は監獄で聖書を黙想し感謝讃美を絶やさなかった。1944年4月21日
金曜日夜9時30分。多くの拷問で満身瘡痍になったチュ・キチョル牧師は平壌(ピョン
ヤン)刑務所の片隅で49才で亡くなった。

  韓国教会があらゆる物議にまきこまれ、非キリスト教徒にさえ後ろ指を差されるなど
非難の対象になった頃、日帝の権力の前で一死覚悟で戦ったチュ・キチョル牧師の信仰
と人生を再現した映画「一死覚悟」が来る17日封切られる。

  

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神社参拝強要を拒否し、あらゆる拷問の末に殉教した朱基徹(チュ・キチョル)牧師の一代記

復活節を控えてキリストの
苦難を黙想する四旬節が始まった今、キリスト教徒にとって信仰の本質を考えさせる。

 

 

 

 

 


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