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福島選出の吉野復興相に「復興補助金」が還流していた〔週刊ポスト2017年9月22日号〕

2017-09-13 12:49:28 | 東北大震災

NEWSポストセブンhttp://www.news-postseven.com/archives/20170911_611598.htmlより転載

2017.09.11

福島選出の吉野復興相に「復興補助金」が還流していた

吉野正芳・復興相(写真:時事通信フォト)

 

「震災復興のため」──そうして血税を集めて被災地に払われたはずの補助金が、政治家に流れていた。しかもそれが被災地選出の復興大臣だというのだから、看過できない。

3年間で714万円

「被災者の気持ちはどなたよりも私が理解しているというふうに思っております。被災地の復興に全力を尽くしてまいります」

 吉野正芳・復興相は今年4月の大臣就任会見でこう述べた。8月の内閣改造でも留任した吉野氏は生まれも選挙区も福島県だ。自宅が被災したという吉野氏にとって、東日本大震災の被災地復興は政治家としてのライフワークであり、被災者もその手腕に期待しているはずだ。

 しかも「前任の今村雅弘氏は被災者の怒りを買う失言(*注1)で辞任し、その前の高木毅氏は“パンツ泥棒疑惑”が問題視された経緯があり、政権の“鬼門”だった。その点、被災地出身の吉野氏なら問題は起こさないだろうという判断が起用の背景にあった」(大手紙政治部記者)といわれる。

【*注1/今年4月25日、二階派のパーティで今村氏が「これ(震災)がまだ東北で、あっちの方だったからよかった」と発言し問題になった】

 その吉野氏に被災者の期待を裏切る疑惑が浮上した。震災復興にはこれまでに多額の税金が投じられている。その中の1つに「ふくしま産業復興企業立地補助金」がある。

 同補助金は震災翌年の2012年に福島県が創設。県内で工場などを新設・増設する企業に補助金を支給し、地域の雇用を確保することを目的とする。主体は福島県だが、その財源約2000億円のほぼ全額は経済産業省からの補助金だ。現在までに約500の企業が県から指定を受け、「ふくしま産業復興企業立地補助金」を交付されている。

 福島県内の雇用は今なお厳しい現状にあり、県内就職件数は、震災が発生した2011年の4万9596件から年々減少し、2015年には3万8554件になっている。その状況を改善するための補助金のはずが、復興を先導する吉野氏の政治団体に流れていた。

 吉野氏が代表を務める「自民党福島県第五選挙区支部」は、2015年12月に福島県内の木材製材会社から12万円の献金を受けているが、この製材会社は同年3月に県から9750万円の補助金を交付されていた。政治資金問題に詳しい岩井奉信・日本大学法学部教授が説明する。

「政治資金規正法により、国から補助金の交付を受けた企業は交付決定日から1年間は政治献金できないと定められています。補助金を配分する立場にある政治家に対して、補助金交付の見返り献金が行なわれないようにするための規定です」

 製材会社から吉野氏への献金は、政治資金規正法に抵触する可能性が出てくるのだ。ちなみに「1年ルール」には当てはまらないものの、吉野氏は2013~2015年の間にこの補助金制度において県から指定された4社から合計678万円もの献金を受けていた。前出の製材会社の2013~2015年分を含めるとその合計額は714万円になる。果たしてそれは、「福島の雇用促進のため」という目的に適うものなのだろうか。

ロンダリングし放題

 このような例は過去にもある。2015年、西川公也・農水相(当時)は林野庁が創設した「森林整備加速化・林業再生事業」の補助金が交付された会社から300万円の献金を受けていたことが発覚し、引責辞任した。その後、安倍晋三首相はじめ閣僚たちに次々と補助金受給企業からの献金が発覚、返金などの対応に追われた。

 今回の場合は、復興の旗振り役である吉野氏に、「被災者救済」のためのカネが流れていたという構図である。だが、吉野氏の事務所の回答は驚くべきものだった。

「当該補助金は、国の補助金にあたらないので、政治資金規正法に抵触しないと判断しております」

 どういう意味か。政治資金規正法では、国から補助金を受けた企業から国会議員への寄附・献金を禁じる一方、地方自治体からの補助金については知事や地方議員への禁止規定があるだけで、国会議員については言及がない。それを根拠に吉野氏は違法性を否定しているわけだ。

 しかし、前出の岩井氏は「その理屈がまかり通るなら、国会議員は地元選挙区の補助金をロンダリングし放題になってしまう。国民を馬鹿にしている」と一蹴する。

「政治資金規正法の主旨に従えば、国からだろうと県からだろうと、補助金を受けている企業の政治献金は税金の還流なのだから認められないという考え方が筋。そもそも問題の補助金は財源を国(経産省)に頼っているのだから、“国の補助金ではない”という理屈も詭弁に見える」(同前)

 こんな“前例”もある。馳浩・文科相(当時)は2015年、石川県から補助金を交付された企業から受け取った合計232万円の献金を全額返金した。馳氏は当時、〈大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した〉と説明している。

 震災復興予算の流用問題(*注2)を暴いた『国家のシロアリ』の著者・福場ひとみ氏はこう語る。

【*注2/本誌・週刊ポストが2012年8月10日号で報じた、東日本大震災の復興予算19兆円(震災翌年の2012年から2017年度末までの5年間の「集中復興期間」に充てられたもの)の大半が被災地とは無関係の事業に使われていたとする問題】


「企業立地補助金は復興予算の中で最も流用された補助金です。被災地とは関係ない後援企業に受給テクニックを教え、その企業から寄附を受ける議員もいました。補助金の“キックバック”とも考えられるこの構図が今でもまかり通っているのだとしたら、看過できません」

 震災のあった年の2011年11月30日に開かれた財務金融委員会で、吉野氏は「雇用を考えた場合、多くの会社が立地をしていただいて雇用の確保、これが生活の大前提だと思います」と語っている。

 確かに補助金が「福島県民」でもある吉野氏の政治活動費になれば、“吉野氏の雇用(当選)”には役立つだろう。しかし、そんな使われ方に納得する被災者はどれだけいるのだろうか。

※週刊ポスト2017年9月22日号

 

 

 

 

 

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4/25  今村復興相 辞任の意向固める | NHKニュース ~震災復興に関連し「東北のほうでよかった」と発言

2017-04-25 21:33:55 | 東北大震災

 
                                TBSニュース : 今村復興相、震災被害「東北で良かった」すぐ撤回
 
 

今村復興大臣は自民党の派閥のパーティーで、東日本大震災の復興に関連して、「まだ東北のほうだったから、よかった」などと、被災者を傷つける発言をした責任を取りたいとして、復興大臣を辞任する意向を固めました。
安倍総理大臣は、国会審議などへの影響を最小限に抑えるため、速やかに後任人事の調整を進めるものと見られます。

 

************************

NHK NEWS WEB 
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170425/k10010960981000.html?utm_int=detail_contents_news-related-auto_001

今村復興相 震災復興に関連し「東北のほうでよかった」と発言

今村復興大臣は25日夜、自民党の派閥のパーティーで講演し、東日本大震災の復興に関連して、「まだ東北のほうだったからよかった」などと述べました。その後、今村大臣は、誤解を招きかねない発言だとして撤回し、謝罪しました。

続きを読む

今村復興大臣は25日夜、所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の復興に関連して、「社会資本などの毀損も、いろんな勘定のしかたがあるが25兆円という数字もある。これは、まだ東北のほうだったからよかったが、もっと首都圏に近かったりするとばく大な額になる」と述べました。

このあと、今村大臣はみずからの発言について、記者団に対し、「東北でもあれだけのひどい災害だったので、これが首都圏に近いほうだったら、もっととんでもない災害になっているという意味で言った。決して東北のほうでよかったという趣旨ではない。取り消させていただく」と述べ、撤回しました。

そのうえで今村大臣は、「ご心配いただいたことについては、改めてしっかりとおわびを申し上げる」と述べ、謝罪しました。

今村復興相「深く深くおわび」

今村復興大臣は25日夜、記者団に対し、みずからの発言について、「私の不適切な発言で皆様を傷つけたことを深く深くおわび申し上げます。まことに申し訳ありませんでした」と述べました。

今村復興相の一連の発言

今村復興大臣は、さきに記者会見で、質問した記者に対し、「うるさい」などと述べ、陳謝したほか、原発事故によるいわゆる「自主避難者」が帰還するかどうかは、自己責任だなどという認識を示しその後、撤回し、陳謝しました。

26日の参院復興特別委の審議 取りやめも

今村復興大臣が、25日夜、みずからの講演での発言を撤回し、謝罪したことを受け、民進党の榛葉参議院国会対策委員長は、自民党の松山参議院国会対策委員長に電話で、「あす予定されている参議院の東日本大震災復興特別委員会の審議は取りやめるべきだ」と求めました。これに対して、松山氏は、「状況を確認してあす改めて協議したい」と述べました。

宮城県知事「東北を軽んじている」

宮城県の村井知事は、「首都圏と東北を比較したらばく大な財源が必要になるというのは、そのとおりかもしれない。ただ、『東北だからよかった』というのは被災者の感情を逆なでするものであり、東北を軽んじている印象を与える。復興大臣という要職にあるので発言にはくれぐれも注意してほしい」というコメントを出し、批判しました。

南三陸町長「誤解招く」

宮城県南三陸町の佐藤仁町長は、NHKの取材に対し「もし首都圏で東日本大震災と同じ規模の災害が起きた場合、東北と比べるとばく大な額の財源が必要になることは間違いないので、そういった意味合いで発言したのではないか。悪意はなかったと思うが、受け止め方が分かれるような発言をするのは誤解を招くので気をつけてほしい」と述べました。

陸前高田市長「立場をしっかりと理解して」

岩手県陸前高田市の戸羽太市長は「被災地を傷つけるつもりで発言したわけではないと思うが、その言葉によって傷ついたり不快な思いをしたりする人は被災地にたくさんいる。復興大臣を頼りにしている人もいるので立場をしっかりと理解して発言には気をつけてほしい」と話していました。

東松島市長「趣旨を確認したい」

宮城県東松島市の阿部秀保市長は「今、初めて聞いて驚いている。影響力の大きい方の発言なので、発言自体がどんな趣旨で発言したのかまずは確認したい」と話しています。

原発立地の双葉町長「寄り添った姿勢感じない」

東京電力福島第一原発が立地し、原発事故の影響で町の面積の96%が住民が長期間にわたって戻ることが難しい「帰還困難区域」になっている福島県双葉町の伊澤史朗町長は、「発言が本当ならばあまりにも遺憾だ。今村大臣をめぐっては前回の発言のこともある。震災と原発事故で本当に苦しんでいる人たち一人一人に寄り添った対応が必要なのにそうではない姿勢を感じる」と話しています。

被災地で批判の声相次ぐ

今村復興大臣の発言について、東日本大震災の被災地、仙台市では批判の声が相次いでいます。

震災の発生当時、宮城県名取市に住んでいたという20代の男性は「怒りを感じています。人が少ないからと思っての発言だと思うが、大臣の身分での発言ではないと思う。まだ復興は進んでいない。現地の人の気持ちを考えてほしい」と話していました。

また仙台市の30代の男性は「6年経ってきているので、徐々に風化して震災のことが忘れ去られているのではないかと感じる。そういう発言をする人が復興大臣に選ばれたということは選んだ人の責任だと思うし、本人も自覚が足りないと思う」と話していました。
さらに20代の男性は「正直、悲しい。他人ごとだと感じているのではないか。復興のかじ取りをする人がこういう発言をするのは残念でむなしいし、あきれて言葉にできない」と話していました。

宮城県気仙沼市の仮設住宅でも怒りの声が相次ぎました。
震災で自宅を失い気仙沼市の仮設住宅で6年近く暮らしている吉田規夫さん(68)は「いまテレビでニュースを見ましたが、被災者の気持ちを害するひどい発言だと思います」と話していました。また、同じ仮設住宅に暮らす小野寺厚志さん(62)は「ひどい発言でこんなことを言う大臣には辞めてもらいたいです。発言を撤回すればよいという問題でもありません」と話していました。

宮城県南三陸町の仮設住宅に6年近く暮らしている40代の男性は「非常に怒りを覚えます。こうした人が復興大臣をしているのは不適切だと思います。先日、宮城県の被災地に視察に来たばかりなのにこの程度の考えだから復興がなかなか進まないのではないか」と話していました。
また、宮城県女川町の仮設住宅で暮らす60代の男性は「復興大臣がこのような発言をするとは到底、受け入れられません。私たちに寄り添ってくれていないと感じます。もっと考えて発言してほしい」と話しています。
 
 
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NHK【クローズアップ現代】震災6年 津波と原発事故 行方不明者捜し続けて(2.017.3.09放送) ~がんんばれ、NHK現場職員!!

2017-03-14 19:37:51 | 東北大震災

※森友学園といい、原発事故報道といい、最近のNHKは様子がかわってきているようの思える。以前程ではないが、NHKスペシャル、またクロヨンらしい番組が見れるようになったのでは。がんばれ、現場の職員!!

クローズアップ現代http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3948/1.htmlより転載

No.3948  2017年3月9日(木)放送

震災6年 津波と原発事故 行方不明者捜し続けて

6年前、この場所には、8.5メートルの津波が押し寄せました。
こうした津波に加えて、福島県は原発事故により、多くの人がその暮らしを一変させられました。

こちらのポスターは、原発がある大熊町で暮らしていた木村紀夫さんが、行方不明になった家族を捜すために作ったものです。
今回の東日本大震災では、いまだ行方が分からない人が2,550人以上に上ります。
私たちは、震災直後から木村さんを取材してきました。
津波で行方が分からなくなった大切な娘を、原発事故で十分に捜すことさえできずにいた、木村紀夫さんの6年間です。

震災6年 津波と原発事故 娘を捜す父 6年の記録

今も自宅が帰還困難区域となっている木村紀夫さん。
長野県白馬村で避難生活を続けています。

長女の舞雪さん。
震災当日は小学校に避難しており、命を取り留めました。
あれから6年。
失った家族の話題が出ることは、ほとんどありません。

木村紀夫さん
「なんでここに、紅しょうがが出てるの?」

木村舞雪さん
「忘れていた。」

仲よし姉妹だった、舞雪さんと汐凪ちゃん。
汐凪ちゃんは、明るく活発な女の子でした。

明るい性格の妻、深雪さん。
笑い声が絶えない家族でした。
そんな家族を引き裂いた、あの日の巨大津波。
隣町の職場から駆けつけようとした木村さん。

飛び込んできたのが、原発事故のニュースでした。
警戒区域となった自宅。
捜索の許可を待つ時間だけが過ぎていきました。

木村紀夫さん
「時間がたったことで、見つかる確率は低くなっていると思うし、原発がなければ、こんなことなかったので。」

ようやく立ち入りが許可されたのは、震災から3か月がたった時のことでした。
しかし、現場にとどまることができるのは、2時間だけ。

妻、深雪さんの車が見つかりました。

木村紀夫さん
「免許証がある。
間違いない。」

その後、深雪さんの遺体は、40キロほど離れた沖合で見つかりました。
しかし、汐凪ちゃんは手がかりさえ見つかりません。
木村さんは、町への一時立ち入りの許可が得られるたびに、捜し続けてきました。

汐凪ちゃんがお気に入りだった靴が見つかったのは、1年後のことでした。
靴が見つかった場所の一斉捜索を警察に依頼しようと考えましたが、放射線量が高く、断念しました。

木村紀夫さん
「捜索している警察官は若い子が多かった。
それを見ていて、当時、(放射)線量も高かったし、汐凪を探すために、ここを徹底的に探してくれとお願いできなくて。」

その後も木村さんは、誰にも頼ることなく1人、汐凪ちゃんを捜し続けてきました。
震災から3年の月日が流れたころ、娘の捜索を続ける木村さんを支援しようという動きが広がり始めました。

その1人、福島県南相馬市に住む、上野敬幸さんです。
木村さんが警察にも頼めずにいることを聞きました。

上野敬幸さん
「親が子どもを捜したいって、当たり前の感情でしょ。
それを正直に言うことができないなんて、本当に間違っていると思ったの。」

上野さんも津波で、両親と2人の子どもを失いました。

長女の永吏可ちゃんは、すぐに見つかったものの、長男の倖太郎くんは行方不明のままです。
娘の亡がらが戻ってきてくれただけでも、よかったといいます。

上野敬幸さん
「今でも永吏可を抱きしめる時もあるし、その時の感覚って、一緒なんですよ。
永吏可を抱きしめているという感覚が、自分の中であって。
木村さんも抱きしめたいだろうし、親だからね。
子どもにしたいことは一緒じゃないですか。」

放射線量の低下に伴い、立ち入りの回数も増える中で、次第に捜索の支援の輪が広がっていきました。

汐凪ちゃんの帽子や体操服、数多くの品が見つかるようになったのです。

木村紀夫さん
「家族のものがたくさん出てきて、そうすると、テンションも上がるんだよね。
俺だけテンションが上がるんじゃなくて、一緒に探してくれるボランティアの人たちも、本当にテンションが上がる。
そういうことを繰り返していくうちに、ちょっとずつ気分が変わってきて、自然と笑いも起きるようになって。」

ところが、汐凪ちゃんの捜索に影響を及ぼす、別の事態が持ち上がりました。
木村さんの自宅周辺が、除染で出た土などを保管する、中間貯蔵施設の候補地となったのです。
大量の土が運び込まれれば、汐凪ちゃんを捜すことはできなくなります。
木村さんは、汐凪ちゃんへの思いを訴えました。

木村紀夫さん
「津波で家族が流されて、いまも一人見つからない状況で探し続けていますし、これからも捜していくつもりです。
あそこが私にとって、いちばん3人とつながれる場所なんです。
それを人に手渡すっていうのは考えられない。」

津波によって、大切な家族を失った木村さん。
その後の原発事故で、ふるさとや仕事も奪われました。
あれ以来、木村さん自身の生き方も大きく変わりました。

自分の手で作った、まきストーブ。
少しでも電気を使わない生活を送ろうとしています。

木村紀夫さん
「きっかけとしては原発事故ですよ。
東日本大震災、それがなかったら、俺はこういう生き方をしていこうとは思わなかった。
変な言い方だけど、生活の一部みたいだ、3.11が。
それなしには、今はないよね。」

汐凪ちゃんの捜索に大きな進展がありました。
なかなか汐凪ちゃんの手がかりがつかめない中、木村さんは国の力を借りる、苦渋の決断をしました。
中間貯蔵施設の現地調査の際に、汐凪ちゃんの捜索を依頼することにしたのです。
まだ心の整理がつかない被災者も少なくない中、事故の後処理を急ぐ国。
複雑な気持ちを抱いていた、木村さん。

木村紀夫さんの捜索手記
“環境省にお願いするのは、ずっとためらっていた。
しかし、先の見えないがれきでの捜索をしてきた、ボランティアの仲間たちの気持ちと、ここにいるかもしれない汐凪のことを考えると、何としても見つけたい。”

国の捜索から3週間。
木村さんのもとに、知らせが届きました。
汐凪ちゃんの遺品らしきものが見つかったというのです。

ミッキーマウスがついたマフラー。
その中に、人の骨のようなものがくるまっていました。
木村さんは、マフラーに覚えがありませんでした。
しかし舞雪さんは、すぐに分かりました。

“そのマフラー、おそろいで持ってたよ。”

「汐凪ちゃんが見つかったことはホッとした?」

木村舞雪さん
「うん。
なんだろう、安心感が出たっていう。」

見つかった遺骨は、その後のDNA鑑定で、汐凪ちゃんのものと確認されました。
木村さんは、自らが撮った写真を見せてくれました。
砂にまみれた、3つの小さな歯。

木村紀夫さん
「もうちょっと汐凪を感じられるかなと思ったけど、こういう形になってしまうと、汐凪に会えたなという気持ちにはなれなかった。
実感が湧かない、これを見ても。
汐凪だという実感が。
これが寂しさを癒してくれるかというと難しい。」

汐凪ちゃんに会いたい。
その気持ちに突き動かされてきた6年間。
その歳月は、あまりにも長く、重いものでした。

汐凪ちゃんの遺骨が見つかった後も気持ちが晴れないという木村さんのもとに、捜索の仲間たちが集まりました。
捜索を今後どうするのかという話になりました。

「あそこに(捜索へ)行くことはいいこと?」

木村紀夫さん
「意義はある。
あそこにいると楽しいよ。」

汐凪ちゃんを捜し続ける行為そのものが、自らの力になっていたのではないか。
そう気付かされた木村さん。

木村紀夫さん
「皮肉な考え方だけど、汐凪が見つかるまで時間がかかったっていうことで、つながった縁って結構ある。
それがなかったら、これからどう生きていくか、やりたいことがなかったかもしれないし、なんか全部、汐凪の手の中で動いているような、そんな気もするし。」

木村さんは、今も毎月、大熊町に通い続けています。
新たな目標は、自らの手で汐凪ちゃんの遺骨を見つけること。
国の大規模捜索で掘り出された土を、1つ1つふるいにかけて捜し続けています。

「これは歯かなって。」

木村紀夫さん
「違う。
なんかこれ、植物ですよ。」

木村紀夫さん
「捜索自体も、ある意味楽しく笑いながらできてるし、不思議とそこに汐凪を感じたりもするんで。
なかなか出てこない。
俺まだ(遺骨を)一個も見つけてないしね。
おちょくられてるみたいで、汐凪にね。
そういう風に思えるようになったというのも、全然、今までと違うしね。
たぶん笑ってるんだろうなと思って。」

震災から6年。
汐凪ちゃんへの新たな思いが、木村さんの背中を押し続けています。

震災6年 津波と原発事故 娘を捜す父 6年の記録

ゲスト 天童荒太さん(作家)

天童さんは、福島の海に潜って、大切な人の遺品を捜すダイバーの小説を書かれたが、木村さんの捜し続ける姿を見て、どう思った?

天童さん:とても人間として大切な仕事をされているなと思いました。
人間にとって、本当の幸せというのは何なのかを考える時に、多くの人の死を見つめる中から思ったことは、大切に思う人と、ささやかだけど、共に過ごす時間。
怒ったり、あるいは泣いたり、笑ったり、けんかもするけれども、そこで、共に過ごす、ささやかな、豊かな時間こそが幸せだと思います。
けれども、それは時に、気づくのは大切な人を亡くされた時だったりするんですけど、ですから人間にとって本当に大切な仕事というのは、大事な人と過ごす、その時間を出来るだけ長く育んでいることと、もし、それを残念ながら途絶えた時には、忘れないように思い続けることだと思うんです。
ですから木村さんに限らず、大切な時間をなくされた方が覚えて、続けていこう、求め続けていこうとされるのは、とても人間として大切な仕事をされていると思いますし、木村さんは、そうした方の1つのシンボルのように受け止めました。

ようやく小さな骨と対面できても、まだやっぱり捜し続けるんだと その捜し続けるという行為そのものには、いったいどういう意味があると思う?

天童さん:木村さんを突き動かしているのは、お子さんに会いたいという気持ちとともに、自分の罪悪感とか、後ろめたさがあると思うんです。
どうして助けられなかったのか、どうして自分が守れなかったのかという悲しみと、自分が生きていることの後ろめたさがあると思います。
でも、そうした罪悪感とか、後ろめたさこそが、実は愛の証しなんですね。
深く愛してきたから、また、今も愛しているからこそ、そうした感情を抱くのであって、今も本当に、自分の中には罪悪感や後ろめたさが、うまく自分で折り合いがつけられないから、今も思っていらっしゃるでしょうけれども、それは、僕は大切な祈りの行為だと思うんです。
彼は、捜し続けることで祈ってきたと思うし、その祈りを多くの人は見守って欲しいと思いますし、今も多くの人が、祈り続けているのだろうと思います。

今回、木村さんの言葉の中に、汐凪ちゃんの骨と会っても、出会ったような気持ちになるのかなと思いきや、なかなかその気持ちになれなかったというふうに言っていた 復興というのは、いろんなことが整理されたり、解決されたりすることだけではないのではないか?それより、もっと大事なことがあるのではないか?ということを気付かされた気がしたが?

天童さん:共生社会という言葉があって、共に生きる、人々と共に生きる、豊かに共に生きるというのは、とても大切な考え方ですけれども、共に生きるためには、生きることの裏返しである、死というもの、共に死を思う、あるいは共に死を悼める共死(きょうし)とでもいうような考え方があってこそ、実は共生というものがあるのではないか。
木村さんが、VTRの中で怒っていらっしゃったのは、関係する企業とか、あるいは公的機関が当事者であるにもかかわらず、共に死を悼むことをしてくれない、あるいは共に死を思う姿勢を見せてくれないからこそ怒っていらっしゃったのではないでしょうか。
われわれは、後ろを振り返ることを怖がる上に、今、前へ前へと進む生き方をしていますけれども、むしろ、その生き方を顧みて、突然の悲劇で動けなくなった人たちを振り返ったり、あるいは、時にはその人の元まで戻って、一緒に立ち上がれるまで待つとか、あるいは一緒に歩けるようになるまで、ずっと共に側にいるというような生き方を多くの人が選ぶ時、この社会は今より、もっと優しく、また、この世界は今より、もっと美しくなると思います。
(前に進むことだけが、決して全てではない 後戻りしたりすることも大事なこと?)
共に死を思ったり、共に悼める、そういう世界の中で、われわれはもっと生きやすい、優しい世界を作っていけると思います。

 

 

 

 

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【期間限定公開】日本未公開映画『福島原発の悲劇』~初公開は2016年3月11日イタリアSKYTG24テレビ・・・迫真の4年間にわたる旅のドキュメンタリー映画

2017-03-12 23:32:32 | 東北大震災

是非御覧ください

福島原発の悲劇 https://vimeo.com/207604996?ref=fb-share&1


映画『福島原発の悲劇』(英語版原題 "Fukushima: A Nuclear Story")…
vimeo.com
 

この映画は、昨年3月11日にイタリアのSKYTG24テレビ放送で初公開され、その後、アメリカ、カナダ、ブラジルも含めて、世界16ヶ国で放映されました。が、日本では未だ正式公開されてはいません。全テレビ局おことわりしました。

しかしながら、これは、特に日本人の為に作られた映画なのです。日本の人々がこの映画を観れるように、その権利を守るために、今から1週間にかけて、無料配信致します。
是非御覧ください。
そして、宜しければ、是非コメントをお寄せください。
宜しくお願い致します。

【あらすじ・解説】

これは、2011年3月に発生した二つの悲劇の真実を、4年間にわたって追った迫真の旅のドキュメンタリー映画である。

監督/マッテオ・ガリアルディ

脚本/クリスティン・ラインホルド、マッテオ・ガリアルディ、ピオ・デミリア

写真/ピオ デミリア、 ギッロム ブレッション

ナレション/ ウィレム ダフォ / WIllem Dafoe

制作/テアトロ・プリーモ・ストゥディオ、フィルム・ビヨンド

2016年、イタリア

東日本大震災の当日、東京に滞在中であった、Skyテレビ局のイタリア人特派員ピオ・デミリアは、津波に襲われた被災地に直ちに向かい、現地に辿り着いた最初の外国人記者となった。

彼は、津波によって破壊された町村を取材した後、政府が避難指示を出した福島第一原発から20㎞圏内の「立入禁止区域」侵入に成功する。

その時、原発の門までは到達するものの、中には入ることが叶わなかった。

彼が原発内に入るには、東京電力が2013年8月に福島第一原発を海外メディアに公開するまで、待たなくてはならない…

原発事故発生からの全ての出来事や政府の決定を細かく調べた上で、彼は300時間以上に及ぶ動画を撮影した。

衝撃的な映像と、破壊された地域の住民や地方当局[地方自治体]や政府当局へのインタビューを通して、政府と「原発村」の決定によって生じた社会問題が、注目されてゆく[浮き彫りにされてゆく]。

菅直人元首相の熱烈な独占インタビューでは、津波の後の福島第一原発事故について、真実が語られている。東京そして日本は、幸運にも[奇跡のような幸運にも]、より大きな災害から救われていた事実が明らかとなる[明かされる]。

この『福島原発の悲劇』という映画は、福島第一原発事故についてではない、寧ろ、福島第一原発事故から始まる物語の映画なのである。

原子力発電という方法は正しい選択なのか?リスクやお金はどれ程のものなのだろう?原発の設計計画を立てる際に、依頼者の利益よりもリスク対策は優先されているだろうか?

偶然に壊れていたバルブのお陰で、より大きな惨事が避けられていた__

原発はどれくらい安全か?

原発施設の管理体制や使用(稼働)方法、そして安全性に関して、一体どれだけ知られているのだろう?

何十年も掛かったチェルノブイリ原発の場合とは異なり、福島第一原発は事故後2年で海外メディアを通じて世界中に公開され、何が本当に起きていたかがやっと分かった。

日本の国民は真実を求め、国の安全や未来を守るための抗議デモに、初めて多くの一般市民が参加した。

迫力的かつ繊細な日本アートである漫画を使うことで[日本の芸術、漫画が迫力的且つ繊細な描写で]、日本国内の歴史上や現代の悲惨な出来事についても紹介していく。

作品中には、ファブリツィオ・カンパネッリ作曲、ブタペスト交響楽団演奏による感動的な音楽が使用されている。

***********

nuclearstory.com/?lang=ja

 

 

 

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【東北大震災】引き続き、ご支援を。『東北ヘルプ』~変わらぬ想いを届け続ける Café de FUKUSHIMA 活動報告

2017-03-11 22:09:05 | 東北大震災

http://touhokuhelp.com/index.htmlより転載

 
 

変わらぬ想いを届け続ける
Café de FUKUSHIMA 活動報告



2011年3月18日。
東北ヘルプの支援活動は、世界から届けられた大量の物資を、
必要なところに運搬し、分配するお手伝いから始まりました。 
物流がある地域には物資が過剰に溜められ、
物流がない地域には全く不足していました。
それらをどうやって被災者のところまで届けるか。
人員が不足し方法も手探りの中で、活動は進められたのでした。
感謝なことに、多くの方との協力の中で支援は組み上げられました。

物資には支援をしてくださった方のお心がこもっていました。

「一日も早い復興を祈っています。負けるな!」
「復興のために私も頑張ります」・・・。

2011年3月22日。JIFHさまと協力をし「パンの缶詰」を仙台市・六郷に搬入したとき、
その缶の一つ一つにお送りくださった方々の手書きのメッセージが書かれていたことを思い出します。

震災から5年10か月、支援の形はその時に合わせて変化してきました。
ですが、支援してくださる皆様が届けてくださるお気持ちは今も変わることがありません。
そしてそのお気持ちを届けるという意味では、
わたしたち支援者の仕事もまた、変わることなく続いてきたと言っていいのかもしれません。

「Café de FUKUSHIMA」石川さんの支援活動のご報告を紹介させていただきます。
石川さんの活動を支えるのも、やはり皆様の変わらぬ想いです。
それを教会では「祈り」と呼んで、
その灯を大切にし続けているのではないでしょうか。


(2017年1月26日 東北ヘルプ理事 阿部頌栄)
 
変わらぬ想いを届け続ける Café de FUKUSHIMA 活動報告
東北ヘルプの支援活動は、世界から届けられた大量の物資を、必要なところに運搬し、分配するお手伝いから始まりました。物資には支援をしてくださった方のお心がこもっていました。そしてそのお気持ちを届けるという意味では、わたしたち支援者の仕事もまた、変わることなく続いてきたと言っていいのかもしれません。・・・・・・
「避難」と「暮らし」を見つめながら Café de FUKUSHIMA 活動報告
今年度は、被災者にとって大きな変化の年になります。多くの地域で帰還と自治体の再開が予定されているからです。ですが現在避難されている方々のお気持ちは複雑です。そこには「帰還」と「暮らし」との間の苦悩がにじみます。
震災から6度、年が改まりました。残酷な時間の変化の中で、多くの方が懸命に「暮らし」を重ねております。石川さんのご報告から、祈りを新たにしてまいりたいと思います。
「奉仕」ということ
2016年秋、ノルウェーの神学生であるマルタ・フロイランさんが、東北震災の現場で実習をしてくださいました。その報告をいただきましたので、右に掲載いたします。
生きる場としての被災地 Café de FUKUSHIMA 活動報告
----鳥取での大きな地震の知らせに驚いております。まだ詳報は届いておりませんが、現地の方々に神様の守りがありますように。----
被災地とはどのような場所でしょうか。そこには今も、地元の方々の生活があります。5年7か月を経た被災地の今を、石川さんがご報告くださいます。
訪ねる 出会う Café de FUKUSHIMA 活動報告
人を訪ねる。簡単なことだと感じられるかもしれませんが、それを定期的に続けることは、やはり大きな働きであるといえます。そのとき、心の内から湧き出るような力を求められるのです。あるいは祈りのうちに支援が進められるとき、それは、自分の持っている力を頼りとすることではなく、祈りによって与えられる力を見つめることなのかもしれません。
私たちにとって平和とは何か ―キリスト教社会福祉の使命―
日本キリスト教社会福祉学会第57回大会(2016年6月24日~25日・関西学院大学)に、川上事務局長が登壇し発題しました。その 発題内容を以下にご報告します。
「『障碍者』と災害」 講演録
被災地では、社会の弱さ・痛みが、はっきりと露出してきます。社会の弱さを(あるいは押し付けられながら)担っておられる方々の痛みとして、被災地には、社会の弱さと痛みが露出します。このたび、「キリスト友会東京月会」さまが、「東京フレンド」誌上に、講演の要旨を載せてくださいました。ここに感謝を込めてご紹介いたします。被災地の現場から、古くからある課題の新しい切り口が示されればと願っています。
関わること 援けること Café de FUKUSHIMA 活動報告
支援の根っこにあるものは、当事者と支援者、つまり人と人との関わりの中から現場の声を聞くことに他なりません。現場の声にはなかなか問題の出口が見えないと感じられるかもしれません。ですが大事なことは、ここには解決の糸口、出会いと多くの関わりが記されています。そこからどのような道をたどって、問題の出口を目指していくのか。その道を当事者と共に歩むのが支援なのではないでしょうか。
生活の声を聞く Café de FUKUSHIMA 活動報告
いよいよ「住」に関わる支援が佳境を迎えています。 津波被災地では、仮設住宅の閉鎖・集約が始められました。放射能被災地では、再居住への懸念が厳然と存在します。これらの声は、現場に出向くことでようやく聞こえてくる、生活の声にほかなりません。石川長老のご報告からぜひこういった現地の声、特に居住という生活の最大の根幹再建の中にある声を、祈りに憶えていただきたく存じます。
報告:東日本大震災から熊本大地震へ
先月、4月16日を本震として発生した熊本震災への対応を報告させていただきます。4月18日から、東北ヘルプの川上事務局長と中澤理事が現地に入り、様々な方とお会いをさせていただきました。その報告書と中外日報様の記事、そして現地の写真をご紹介させていただきます。どうぞ熊本の被災地、被災者の皆様を憶えていただければ感謝です。
地域のつながりと自立。生きる力。Café de FUKUSHIMA 活動報告
被災支援の目標とは何でしょう。その目標の一つは、被災者、被災地の自立ということができるでしょう。そのためには地域のつながりが大切になってきます。つながりは人の生きる力を支えてくれるからです。石川長老のお働きでも、このことを大切にされておられるようです。被災地の方々の自助として、自治体がどのように運営されているか。またその働きがどのように再建されていくか。どうぞ皆様の祈りに覚えていただければ幸いです。
報告:熊本・大分地震への対応について
表題の件について、以下の通りご報告いたします。
1.先週末に「本震」が移動した熊本の地震の被災現場へ、東北ヘルプの業務として、中澤理事と川上、そしてOMの宣教師2名が、二台の自動車を用いて、物資支援に、本日向かいます。・・・
人の手の温もりある支援を。 Café de FUKUSHIMA 活動報告
熊本・大分の群発大地震への東北ヘルプの活動報告はこちらをご覧下さい。
福島の被災者からこんなお話しを良く伺います。支援者にゆっくりとした交流の時をつくってもらいたい。さりとて現在、支援者は眼に見えて減少しております。そこに被災者の寂しさが重なってまいります。だからこそ、支援者の方々の訪問は心から喜ばれています。こういった機会を作り、提供することが、今大きな意味を持っています。・・・
5年目の春を迎えて。 Café de FUKUSHIMA 活動報告
震災から5年目の春を迎えております。福島県北部で支援を展開されている石川和宏さんのご活動を報告いたします。今回の石川さんのご報告の最後にこのように記されてありました。「フクシマの被災者の皆さんと、時を共有するほど、『同情と共生』から距離を置くことはできなくなる。」場所が離れておられる方も、祈りにおいてはともに現場に立つことができます。祈りの中で「同情と共生」を求めてまいりたいと思います。
痛みの声に学びながら 「世界核被害者フォーラム」速記録
2015年11月21-23日に、広島国際会議場にて「広島・長崎被爆 70 周年 核のない未来を! 世界核被害者フォーラム」が開催されました。会議の中で語られたのは、世界中の核被害者の方々の痛みから生まれる声です。こういった声が集まる場に、東北の被ばく者の声も寄せ続けなければならないのでしょう。どうぞご高覧いただければと存じます。
ハートニットプロジェクト 「こうべガーデンカフェ」のご報告
ハートニットプロジェクトは、仮設住宅で過ごす人々に、ニット作品の製作を通して、交流と心の癒しを分かち合うことを目的として、活動が始まった支援活動です。活動は大きく展開します。その上質な作品の仕上がりから、販売が計画されるようになり、販売の結果を皆で喜び合う、良い循環も生まれました。今回、こうべガーデンカフェに参加されたご報告を頂戴いたしましたので、皆さまにご紹介させていただきます
同情と共生:原発被災者1200人にお会いして
2015年4月から、Café de FUKUSHIMA(カフェ・デ・フクシマ)を展開されている、石川和宏長老が東北ヘルプのニュースレターにご寄稿くださいました。ホームページだけの完全版です。「知らなければ同情はできないし、同情を欠いて共生はできないと思うのです。私にとって同情と共生とは、キリスト者として生きる証しです。」石川長老はそうお話しくださいました。ぜひご一読ください。
10月発行 東北ヘルプニュースレターの公開
私たちの働きは、支援のネットワークを構築することを目標としています。今回、私たちはこの10月に、ここ数ヶ月の活動や、そこから見えてきた展望を、ニュースレターの「9号」としてまとめさせていただきました。 そしてニュースレターを、わたしたちと新たにお繋がりを持ってくださった皆さまを中心に発送させていただいたのです。このニュースレターを今回、ホームページにて全体を公開させていただきます。
その地で生きる人々と共に
震災から4年と8ヶ月を過ぎました。被災者の皆さまのご生活と平安をお祈りいたします。 「Cafe de ふくしま」、石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。放射能被災地での生活は、苦しいものです。「共に生きる」ということがよく言われます。なぜ共に生きることを願うのでしょう。石川さんの報告書は、まさにこの問いを私たちに投げかけてくださっているように感じるのです。どうぞご一読ください。
出会いを通して
報告が遅れてしまいまして、お詫び申し上げます。今週から、また随時ホームページを更新してまいります。「Cafe de ふくしま」、カベナント教会の石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。石川さんのご報告は現在の被災地の人々の生きた声です。一つ一つの「出会い」を大切にするときだけ、そのような視野を持ちうるのではないでしょうか。石川さんのお働きの実にわたしたちも与らせていただきたいと思います。
支援者のお働きの中から見えてくるもの
宮城県南部から福島県北部で活動を展開されている 「Cafe de ふくしま」、カベナント教会の石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。東北ヘルプは、石川さんのお働きに幾ばくかの支援をさせていただいております。そしてその地道な支援から、被災地の現在が非常によく見えてまいります。支援者の皆さまから、たくさんのことをお教えいただいて、わたしたちの働きや、祈りが支えられているのだと思うのです。
「宗教者」に求められていること
今年、2015年3月11日に「中外日報」さまにご掲載いただきました記事をご紹介させていただきます。この震災の災害救援の中で、宗教者は様々な活動を行ってきました。震災から4年を迎えました。この4年の働きで宗教者の働きをどう振り返ることができるのか。「心の相談室」の働きでかかわりを持ってくださいました、金田諦應老師、鈴木岩弓東北大教授、川上直哉東北ヘルプ事務局長の全3ページの対談記事です。
連帯から目指す「核」からの解放
東北ヘルプの活動を取り上げてくださった、各メディアの記事を、皆様にご紹介させていただきます。今日は中外日報さまが、2013年12月19日に報じてくださいました、「世界教会協議会(WCC)」の報告記事です。 どうぞ、ご高覧いただきたく存じます。
仮設住宅でのディアコニア報告書 2015 年 6月 1日
支援活動で2つの忘れてはならないことがあります。一つは、今被災地で起こっていることをありのままに見つめることです。またもう一つを忘れてはなりません。常に客観的な資料を当たり、現状を分析することです。今回の石川さんのご報告は、末尾に詳細な資料を付してくださいました。支援の現場で最も必要な、「現場への密着」と「世界(情報)への直結」ではないでしょうか。すばらしい石川さんのお働きの成功を祈りつつ、お届けさせていただきます。
仮設住宅でのディアコニア報告書 2015 年 5月 15日
被災地の現在、支援の今を知るために、大切なことがあります。定点観測のように、一つの地域、一つの働き、一つの団体を追い続けることです。その変化をつなぎ合わせることで、はじめて全体像を俯瞰することができます。石川さんのお働きは被災地の今を知る意味で、最良のモデルではないでしょうか。どうぞ、報告書を通して、被災された方々の今と、石川さんのお働きを祈りに憶えていただきたいと願っております。
仮設住宅でのディアコニア報告書 2015 年 4 月 29 日
遅れてしまいましたが、放射能被災地で活動を続けられている、石川和宏さんの報告を皆さまにご報告させていただきます。放射能被災の事柄は、これからが支援の本番です。その働きは、長く、その場に寄り添うことが求められます。現在の、現地の方々の息遣いが聞こえてくるような報告です。 ご一読ください。
「エキュメニカル功労賞」受賞にあたって
このたび、東北ヘルプは日本エキュメニカル協会さまから「エキュメニカル功労賞」をお贈りいただくこととなりました。日本エキュメニカル協会さま並びに、東北の諸協会の皆さまに心からの感謝をいたします。どうぞ被災地のために、これからもお祈りをよろしくお願い申し上げます。今回頂戴しました、賞状、「エキュメニカル情報」の東北ヘルプの箇所、そして報道くださいました、キリスト新聞さま、カトリック新聞さまの記事を転載させていただきます。
原発の課題と私たち
わたしたちは宗教者として、被災地、被災された方々と関わっています。そういった取り組みの一つの形を、「臨床宗教師」と呼んでいます。わたしたちは、宗教者として現場に関わり、現場で言葉をつむぎ、そこに生きる人々と出会わせていただくのです。ご紹介させていただく記事は、そんな臨床宗教師としての福島での働きをキリスト新聞さまが記事にしてくださったものです。
「続 復興・被曝と祈りの力」
今週から定期的に、これまで東北ヘルプの活動や被災地について取り上げていただいた過去の報道を紹介させていただきます。今回は2014年7月の「朝祷」誌に掲載を頂きました記事を転載させていただきます。
原発、放射能をめぐる課題は巨大です。「祈り」は長い時を耐え忍ぶ中で必要なものです。どうぞ被災された方々の祈りが守られるように、皆さまの祈りの支えを願う次第です。
東北ヘルプ 2015年4月までの活動について
震災から5年目を迎えております。東北ヘルプは、これまでの活動の中で、標語を定めて活動の指針とさせていただいておりました。そしてこの2015-16年を望見する中で、新しい標語を「小さく、現場で」として、活動を行っていこうと話し合っております。今回は、2015年4月までの東北ヘルプの活動をまとめさせていただいた報告書を皆さまにお届けいたします。
震災5年目を迎えての新しい支援の働き
この3月で、東日本大震災5年目を迎えました。5年目を迎える中で、様々なご事情で撤退を余儀なくされた支援者の方もおられます。しかし同時に、現地の方々との出会いの中で、活動を具体化し、新たに始められている方もおられます。地道な取り組みをされている支援者の方々を、皆さまの祈りに憶えていただければありがたく思います。

2014年10月21~27日 東北ヘルプ業務報告

まず、21日火曜日夜に、東北ヘルプ代表の吉田先生と神戸でお会いできましたことは、まさしく僥倖でした。子どものころからの憧れであった神戸改革派神学校を、拝見できました。それに加えて、深夜まで報告と相談をさせていただき、私の今見えている事柄が、ずいぶん整理されました。
そこで見えた事柄は、これからのタイムスケジュールです。
復興・被曝と祈りの力(1)(2014年3月『朝祷』誌 収録)
2014年8月2日(金)、ドイツからシュナイス宣教師が来仙されました。世界に被災地を伝えること。それが、シュナイス宣教師のミッションでした。8月2日の朝5時、私はシュナイスさんと共に福島県の南端・いわき市中心部にある日本基督教団磐城教会、いわき市在住の母さんたち16名と、保養面談会が行われる会場(礼拝堂)へと向かいました。


 

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