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山谷シスター 命の名簿 労働者の街 生きた証し刻む  〔東京新聞 2017.9.24〕 / 「ほしのいえ」紹介

2017-09-24 21:28:56 | 命 人権 差別

「ほしのいえ」の中村訓子さん=東京都荒川区で(池田まみ撮影)

「ほしのいえ」の中村訓子さん=東京都荒川区で(池田まみ撮影)

山谷シスター 命の名簿 労働者の街 生きた証し刻む 

東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017092490070407.html 

 簡易宿泊所が並ぶ東京・山谷地区で亡くなった日雇い労働者や路上生活者らの名前を、一枚の紙に刻んでいる女性がいる。三十年間で、その数は七十九人。無縁仏となる人も多い中、誰から求められるのでもなく名簿を付け続ける。それぞれの生きた証しを残すために。 (中村真暁)

 この女性は、炊き出しや生活相談などの活動をしている市民団体「ほしのいえ」(荒川区南千住)の代表、中村訓子(のりこ)さん(74)。カトリックのシスターだ。

 きっかけは、山谷地区で夜回りなどを始めたころ出会った労働者の男性の死だった。体を壊しても経済的理由で十分な治療が受けられずにいた。受診を勧め、入院したが、一九八七年三月九日に五十九歳でがんで亡くなった。

 駆けつけた病院で遺体と対面すると、口から血が流れたままで、ぬぐうこともなく放っておかれていた。「同じ命を持ち生まれてきたはずなのに、なぜ人によって対応が違うのか、許せなかった。このとき、私の『山谷』が始まった」

 名簿は、この男性が一人目。今月までに亡くなった山谷に暮らす人々や、中村さんと一緒に炊き出しなどをした仲間の名前が、命日、年齢と共に記されている。年齢は、二十四~七十七歳。二十、三十代の若者も少なくなく、餓死や病死、自殺の人もいる。

 ほしのいえのスタッフは、死去の報を受けて病院や火葬場へ駆けつける。「関わってきた命を放っておけない」と、誰もいない葬儀場で遺骨を拾ったり、家族から拒まれた遺骨を引き取ったりしたことも。周囲からは、死亡した際の状況もできる限り聞き取る。

 それでも名簿には、「イシさん」や「ネコの叔父さん」など通称名の人や、亡くなった日付がない人も。過去を語らない人が多く、詳細が分からないためだ。

 名簿は何度も更新し、普段は事務所に掲げ、スタッフが祈りをささげている。先月の地域の夏祭りでは、仏教とキリスト教の合同慰霊が初めて企画され、名簿を祭壇に掲げた。見た人から「このおじさん、死んだのか」「この人知っているよ」と声が上がった。

 「ちゃんと命を持って生きていたよ、と覚えていたい。名簿を見れば一人一人を思い出し、その人の話ができる。山谷の人たちが名簿の存在を知れば、(死後に)自分のことを祈ってもらえると安心できるのでは」

 世の中が弱い立場の人を追い込んでいく状態は変わっていないと、中村さんは感じている。「命の尊厳が認められる居場所があれば、もう少し生きやすくなるはず」と信じて活動を続けている。

 <山谷地区> 明治通りの泪(なみだ)橋交差点を中心に、台東、荒川区に広がる簡易宿泊所の密集地域。山谷は昔の地名。現地にある公益財団法人「城北労働・福祉センター」などによると、戦後、労働需要の増加で日雇い労働者の街となり、東京五輪前年の1963年には、簡易宿泊所222軒に約1万5000人が生活していた。現在は、宿泊所約150軒に約4200人が暮らす。宿泊者の平均年齢は66・1歳で、9割以上が生活保護を受給している。

(東京新聞)

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NHKドラマ『植木等とのぼせもん』9.2スタート・・・差別と戦争に反対し、治安維持法で逮捕された父・植木徹誠のことは描かれるのか?

2017-09-08 13:59:47 | 命 人権 差別


闇と光 * 差別と人権  池田市民の会/池田市民共闘/池田支部
http://hageguma.exblog.jp/25514510/

by hageguma  プロフィールを見る

水平社に参加した植木徹誠は息子に人間平等の「等」と名づけた

植木等の父は治安維持法で逮捕されたドラマ『植木等とのぼせもん』今夜スタート…差別と戦争に反対し、治安維持法で逮捕された父・植木徹誠のことは描かれるのか?
2017.09.02 ©️ リテラ http://lite-ra.com/2017/09/post-3429.html

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 本日、新ドラマ『植木等とのぼせもん』(NHK)の放送がスタートする。このドラマは、植木の付き人を務めていた小松政夫の自伝的小説『のぼせもんやけん』(竹書房)を原案とした作品で、映画『無責任』シリーズや「スーダラ節」で一世を風靡した時期の植木等とそのまわりの人々の人間模様を描くドラマだ。

 山本耕史が植木等を、浜野謙太が谷啓を演じてクレージー映画のカットを再現したり、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)の再現シーンでは、NMB48の山本彩が園まり、元℃-uteの鈴木愛理が奥村チヨ、中川翔子が伊東ゆかりを演じる歌唱シーンもあり、映画ファン・アイドルファン・昭和歌謡ファンから熱い期待を寄せられているドラマである。ただ、そんな登場人物のなかでも本サイトが最も注目したいのが、伊東四朗演じる植木等の父・植木徹誠である。
 徹誠は浄土真宗の僧侶で、被差別部落に対する差別反対や戦争反対を叫び、治安維持法で投獄されるなど波乱万丈な人生を送った人物として知られている。彼は1978年に83歳で亡くなるが、その人生に興味をもつ者は多く、等は1987年に父の人生をまとめた本『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(朝日新聞出版)を出版している。

 そのなかで等は、若い頃キリスト教の洗礼を受けながら、その後に僧侶となり、しかもその間、社会主義者として労働運動や部落解放運動に取り組んでいった父に対し、彼流の言い方で「支離滅裂」と表しているが、その筆致からは、一貫して弱者に寄り添ったことへの確かな尊敬が読み取れる。
〈おやじはまた、日常生活においてもたぶんに「支離滅裂」だった。
 人間平等、部落解放、戦争反対を主張して、幾度となく検束され拷問を受けても、おやじは血を流しつつ節を曲げなかった。いつでも、どこでも、おやじは信じるところを叫んだ。その生き方は無垢な求道者そのものである〉
〈しかし人間とか人生とかいうものは、もともと逆説に満ち満ちているものなのだろう。一見、豪放な人間が実は非常に繊細であったり、粗野とみえた人間が心底やさしかったりする例は、身辺、枚挙にいとまがない。
 おやじ、徹誠の場合にしても、一見「支離滅裂」な言動に、貧しい、弱い、生身の人間に対する共感、という強靭な一筋の糸が通っていたことを、私は近頃、しみじみ感じているのである〉(『夢を食いつづけた男』より)


植木等の父は「戦争で死ぬな、なるべく相手も殺すな」と語った

 後に得度して徹誠となる植木徹之助は、1895年に三重県で材木商を営む家に生まれる。14歳のときに上京して真珠店の工場で働くようになるが、大正デモクラシーの空気が色濃いその時代、勤めていたその工場の寮で出会ったキリスト教と社会主義思想は彼に大きな影響を与え、労働運動などに参画するようになっていく。
 しかし、関東大震災で仕事を失い、また、その後の貧困で身体を壊した彼は、妻の実家である三重県の西光寺に身を寄せる。この地で部落差別の現実を目の当たりにして怒りを燃やした。またそれと同時に、親鸞の思想に出会い傾倒していく。
 その結果、彼は名古屋の本願寺別院で修行をし、徹誠と名を改めて三重県の朝熊に住み、その地にある三宝寺で住職としての仕事をこなしつつ、激しい部落差別反対闘争に身を寄せていく。
 なぜ、僧侶の徹誠が部落差別反対闘争に参加したのか? それは、いま生きている庶民たちを救済することこそが親鸞の思想だという立場をとっていたからだった。『夢を食いつづけた男』では、徹誠が三宝寺に着いた日、檀家の人たちに向かってこのように語ったと綴られている。
「私は死人の供養に来ましたが、同時に、生きている人びとの良き相談相手になるつもりでもいます。おたがいに友達同士として、苦しいこと、なんでも相談にきて下さい」
 時代はだんだんと戦争に向かっていく。そんななか、召集令状を受けた檀家の人がその旨を伝える挨拶に来ることもしばしばだったというが、そんなとき徹誠は、当時の人が絶対に言ってはいけないこんな言葉をかけていたという。
「戦争というものは集団殺人だ。それに加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では弾のこないような所を選ぶように。周りから、あの野郎は卑怯だとかなんだとかいわれたって、絶対、死んじゃ駄目だぞ。必ず生きて帰ってこい。死んじゃっちゃあ、年とったおやじやおふくろはどうなる。それから、なるべく相手も殺すな」(『夢を食いつづけた男』より)
 僧侶としては至極当たり前の言葉なのだが、部落差別に反対したり戦争に反対したりと権力に楯突くことをしていた彼は、ついに治安維持法で逮捕されることになってしまう。


父の逮捕で“キョーサントー”“アカの子”といじめられた植木等は…

 徹誠は晩年になるまで、息子である等には逮捕された当時のことを話したがらなかったという。それは、その取り調べがあまりに苛烈で屈辱的なものだったからだ。皮チョッキを着たまま水風呂に沈められたり(皮は水を含むと縮むので胸が締め付けられて最悪の場合失神する)、「柔道の稽古」と称して何人もの警官から気絶するまで投げられ続けるということもあったそうだ。
 こういった人権無視の暴力的な取り調べを受けた徹誠も大変だったが、父が逮捕されてしまった等もまた大変であった。学校が終わったあと、父に代わって自分が檀家をまわったりといったこともあったし、また、父が思想犯であることをあげつらったイジメも受けた。「週刊ポスト」(小学館)2007年3月2日号には、当時受けたイジメについて語る等のこのような発言が掲載されていた。
「鬼ごっこをしていて、僕が鬼になるでしょ。すると“鬼さん、こっちこっち”って呼ぶところを“オイ共産党、共産党”ってみんなが呼ぶわけ。なんか自分のこと呼んでるなってことは分かるんだけど、“キョーサントー”なんて子供だから何のことか分からないでしょ。だから家に帰って“キョーサントーって何のこと?”ってお袋に訊いたのね。そしたら、“お前、どうしてそんなこと知ってるんだい?”って。“鬼ごっこしていて僕が鬼になったら、みんながキョーサントー、キョーサントーって呼ぶんだよ。キョーサントーって何のこと?”ってもう一度訊くと、“お金持ちはお金持ち、貧乏人は貧乏人って世の中は良くない。お金持ちも貧乏人もなく、日本全国みんなが同じくらいの収入で同じくらいの暮らしができるようになった方がいいというのが共産党っていうんだよ”と。
 それを聞いた僕は、“それはいいことじゃない”って子供心に思ったわけ。それからは、“キョーサントー”とか“アカの子”とか呼ばれても何とも思わなくなったよ」


父によるアドバイスがなければ「スーダラ節」は生まれなかった

 自らの思想に殉じて生きる父の活動は、植木家にとっては必ずしも良いことばかりもたらしたわけではなかったが、しかし、等はそれでも父に敬意の念を抱いていた。それは、芸能活動をするにあたって芸名を用いずに本名である「植木等」を用いたことにもよくあらわれている。彼は、父が確固たる思想のもとに名付けたその名を誇りに思っていたのだ。
〈三十の峠を超してから生まれた三男、私にはすんなり「等」と名づけた。絶対的平等が人間社会の根本だ、という理想を、いわば宣言したのである。私は、この名前を誇らしいと思っている。本名も芸名も、この名前一本でやっている〉(『夢を食いつづけた男』より)
 徹誠がもつこういった背景がどれほどドラマで描かれるかは未知数だが、ただ、このシーンだけは確実に入ると思われる逸話がある。それは、名曲「スーダラ節」にまつわるもの。もしも徹誠のアドバイスがなかったら、「スーダラ節」はこの世に存在していなかったかもしれないのだ。
 等が「スーダラ節」を歌うことになった際、「飲む、打つ、買う」に耽溺する男の自堕落な生活を明るく歌う歌詞があまりにも不真面目であることから、等は躊躇し、父に相談してみることにした。そこでこんな言葉をかけられ、歌うことを決意したという。「週刊プレイボーイ」(集英社)1990年12月18日のインタビューでこのように語っている。
「あのおやじならなんと言うか、と思って詞を見せたんですよ。「どうだい、おやじ、この歌、やろうかどうか俺は迷っているんだけど」と言ったら、「うーん、これは親鸞の生き様に通じる精神だ。地球上に人類が存在する限り永遠不滅の真理」だって。それで、どこがそうなんだって聞いたら、「わかっちゃいるけどやめられない、っていうのがそうだ」って言う。腹を決めてやってこいって」
 徹誠は「スーダラ節」の歌詞から、人間の欲望も含めた「生きること」の肯定を読みとったのだ。今夜スタートのドラマでも、是非ともこの父について多く描いてもらいたい。
(新田 樹)
 

 

 

 

 

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スウィフトさんに詩織さん「泣き寝入りしない女たち」山田道子〔 毎日新聞 メディア万華鏡〕2017.8.28

2017-08-29 00:11:07 | 命 人権 差別

https://mainichi.jp/premier/business/articles/20170825/biz/00m/010/004000cより転載

 

 
スポニチに掲載された詩織さんのインタビュー記事
 
スポニチに掲載された詩織さんのインタビュー記事
 
 

メディア万華鏡

スウィフトさんに詩織さん「泣き寝入りしない女たち」

2017年8月28日 山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員

 米国の超人気歌手、テイラー・スウィフトさん(27)が性的暴行を受けたとして男性ラジオDJを訴えていた民事裁判で、勝った。

 米国内では大ニュースだったが、日本の一般紙では読売新聞が8月15日夕刊で「スウィフトさん 『セクハラ勝訴』/米、賠償金は1ドル」、東京新聞が同16日夕刊で「スウィフトさん勝訴」と報じたぐらいで、残念だった。

「スウィフトさん勝訴」を伝える東京新聞の紙面
「スウィフトさん勝訴」を伝える東京新聞の紙面

 米メディアなどによると、発端は、2013年6月。コンサート前の写真撮影会でスウィフトさんが男性DJらと写真を撮った時、DJがスウィフトさんのスカートの中に手を入れてお尻を触ったという。スウィフトさんは泣き寝入りせず、ラジオ局に訴えたところ、DJは解雇された。DJが「事実ではないセクハラ行為で解雇された」としてスウィフトさんに損害賠償請求訴訟を起こしたのに対し、スウィフトさんはセクハラをされたとして「賠償金1ドル」を求める訴訟を起こしたのだ。

セクハラ勝訴で賠償金1ドル

 「賠償金1ドル」が注目されたのは金額だけではない。スウィフトさんの代理人は「全ての女性は誰かが自分の体を触ろうとしたら『ノー』と言えると伝えたいだけなのです」「その女性が裕福か貧乏か、有名かそうでないかは関係ありません。どんな女性であっても、こんな被害にあってはならない権利があるはずです」と語ったそうだ。

 スウィフトさんは法廷で証言。被告代理人に「目撃していたボディーガードが止めるべきではなかったか」と問われたのに対し、「私はあなたの依頼人の行為を批判しているのです」と反論、闘った。自分の持つパワー、社会的影響力を自覚して、自分がやらねば誰がやるという強い思いが伝わってきた。

 女性誌「エル(ELLE)」連携のウェブサイト「エル・オンライン」によると、スウィフトさんは判決を受けて「私は自分が人生や社会において、またこのような裁判で自分のために闘うことに伴う莫大(ばくだい)な費用を負担できる能力において、恵まれていることを認識しています。私の望みは、社会が耳を傾けるべき意見を持っている人を助けることです」との声明を発表。性的虐待を受けた被害者を支援する団体に寄付をすることも明らかにした。

 スウィフトさんの歌を考察したコラムなどをおさめた「ロマンティックあげない」(新潮社)の著者、松田青子さんはスウィフトさんと他の女性歌手とのフェミニズムに関する論争に着目。「テイラーの面白いところは、人として、フェミニストとして学んでいる過程を同時進行で見ることができる点だと思う」と書いた。今回の裁判もそうだ。

ミレニアル世代のキーワード「社会貢献」

 日本にもスウィフトさんとほぼ同じ年齢で泣き寝入りしなかった女性がいる。2年前に元TBS記者に意識を失った状態で強姦(ごうかん)されたとして、顔を出して被害を訴えたフリージャーナリストの詩織さん(姓は非公表)。性暴力を受けたとする当事者が記者会見するのは極めて異例だ。

記者会見した詩織さん=東京都千代田区で2017年5月29日、巽賢司撮影
記者会見した詩織さん=東京都千代田区で2017年5月29日、巽賢司撮影

 「レイプがどれだけ恐ろしく、その後の人生に大きな影響を与えるか伝えなければならないと思った」「被害者は悲しい弱い存在で恥ずかしいと思わなきゃいけないという状況に疑問がある」と詩織さんは会見で語った。

 「『元記者から性暴力』顔を出し公表/励まし・中傷 交錯」(毎日新聞6月9日朝刊)によると、会見後、ネット上では「勇気ある行動」などと励ます声の一方で、「ハニートラップ」「胸元開けすぎ」などのバッシングが広がった。が、詩織さんはスポーツ紙や雑誌のインタビューにも応じた。

 スウィフトさんも詩織さんも「ミレニアル世代」。ミレニアル世代とは1980~2000年ごろに生まれた若者層。インターネットが当たり前の環境に育ったなど特徴はあるけれど、今までのどの世代よりも「社会貢献」を当然だと思っているそうだ。

 日米2人の女性には、自分の行動を通じて社会を変えていこうという強い意思を感じた。正直、ミレニアル世代と言われる人たちにはぴんとこなかったけれど、彼女たちを見て少し分かったような気がする。

 
 

 

 

 

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【筆洗】「みんな、こいつを生かしておくと・・・」「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい。やっちまえ」〔東京新聞 2017.8.27〕

2017-08-28 00:14:49 | 命 人権 差別

東京新聞 TOKYO Webhttp://www.tokyo-np.co.jp/…/…/hissen/CK2017082702000141.html

筆洗  2017年8月27日 

 「みんな、こいつを生かしておくとなにをしでかすかわかンねエぞ、なんしろ、宇宙人だ」「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい」「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。(集団の暴徒になっている)


▼一九七一年放映の「帰ってきたウルトラマン」の「キミがめざす遠い星」。テレビ放映時のタイトルである「怪獣使いと少年」の方がなじみが深いか。ただ自分の星へ帰ることだけを願う宇宙人と、それを手助けする少年にデマに扇動された一般市民が襲いかかる

脚本は上原正三さん。一つの事件を題材にしている。一九二三(大正十二)年の関東大震災の朝鮮人虐殺である。「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマにあおられた人々によって朝鮮人らが殺された。差別、人間の集団心理の恐ろしさを沖縄出身者として、この作品で描きたかった

▼その朝鮮人犠牲者の追悼式。小池百合子東京都知事は歴代知事が応じてきた追悼文の送付を今年は断った。突然の方針転換である

▼都慰霊協会主催の大法要ですべての犠牲者に哀悼の意を表しているためとは説明になっていない。「虐殺の事実を否定するもの」と批判されても仕方があるまい

▼その追悼文は日本人にとっての「お守り」だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れたとき、「やっちまえ」のあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる。

 

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【9/1関東大震災】「朝鮮人殺害はなかった」はなぜデタラメかー朝鮮人虐殺を否定するネット上の流言を検証する

2017-08-28 00:14:26 | 命 人権 差別

【関東大震災】
1923年(大正12)9月1日正午直前、関東全域と静岡県・山梨県の一部を襲った大地震による災害。震源地は相模湾。マグニチュード7.9。死者・行方不明一四万、家屋焼失四五万、全壊一三万。混乱下に、社会主義者や朝鮮人などへの不法逮捕・虐殺事件が起きた。大辞林 第三版の解説より)

 

http://01sep1923.tokyo/lies-in-20min/%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB%E5%BF%99%E3%81%97%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB5%E5%88%86%E3%81%A7%E8%AA%AC%E6%98%8E/

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−関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するネット上の流言を検証する−

20分でわかる「虐殺否定論」のウソ

All the lies in “denial of massacre” revealed in just 20 minutes.

はじめに忙しい人のためにかいつまんで説明


1923年(大正12年)9月の関東大震災時、混乱のなかで流れたデマによって人々が自警団を結成し、軍や警察も関与する形で、朝鮮人を無差別に虐殺するという事件が関東各地で起こりました。この出来事は、歴史の常識として中学の教科書にも載っていますが、最近、「朝鮮人虐殺などなかった」と否定する人々がいます。しかしこうした主張は荒唐無稽であり、史実・論理・常識に照らして、全く成り立つ余地がありません。そのうえ、こうした考えが広がることは、私たちの社会にとって現実的な危険をはらんでさえいます。それはなぜでしょうか。忙しい人のために、かいつまんで説明しましょう。

◉関東大震災時の朝鮮人虐殺とは?

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生。昼前という時間と強風の日であったことから火災が拡大し、東京や横浜を中心に10万5000人以上が亡くなりました。

このとき、思いがけない災害を目の当たりにした人々の間で「火災の拡大は朝鮮人が爆弾を投げたからだ」「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」といった悪質なデマが広がったのです。

デマを信じ込んだ人々は各地で武装して「自警団」を結成。朝鮮人や、朝鮮人と誤認された日本人や中国人を殺害しました。警察も数日の間、流言を信じ込んで拡散に加担してしまい、戒厳令で出動した軍もまた、殺害に手を染めました。

殺された朝鮮人の数は不明ですが、数千人に上るともいわれます。

◉関東大震災時の朝鮮人虐殺は「なかった」という人々

ところが最近、インターネット上には「朝鮮人暴動は流言ではなく事実」「暴徒への反撃だから虐殺ではない。つまり朝鮮人虐殺はなかった」と主張する人々がいます。そうした書籍も出ています。彼らが根拠とするのは、震災直後の新聞記事です。確かにそこには「朝鮮人が放火してまわる」「朝鮮人1000名と軍が戦闘/1個小隊が全滅」といった見出しが躍っています。ここにしっかりと書いてあるじゃないかというわけです。

確かにこの時期にはそうした記事が無数に書かれているのは事実です。しかし、これらの記事の存在を「証拠」として「朝鮮人暴動が本当にあった」とする主張は成立しません。

◉「デマによる朝鮮人虐殺」は歴史学の常識

まず、歴史学においては、「朝鮮人暴動というデマによって多くの朝鮮人が虐殺された」ということは、学問的には動かしようがない定説であり、明らかな史実と認識されていることを押える必要があります。日本女子大の成田龍一教授のようなリベラル派から東京大学の北岡伸一名誉教授のような保守派に至るまで、まともな歴史学者でこれを否定する人は一人もいません。保守系の育鵬社も含め、ほとんどの中学の教科書にも書かれています。

 

2008年、自民党政権下で、内閣府中央防災会議の専門調査会が作成した『1923関東大震災報告書第2編』でも、流言の拡大と朝鮮人虐殺についてくわしく書かれています。そこでは「震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であった」「軍、警察、市民ともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使した」「日本の災害史上、最悪の事態」だったとまとめています。

内閣府中央防災会議専門調査会『1923関東大震災報告書第2編』→リンク。とくに同報告書の第4章「混乱の拡大」、同第2節「殺傷事件の発生」→PDFを参照のこと。

 

この報告は歴史学者、社会学者によって書かれていますが、こうした専門家たちは当然、最近のネット上で「朝鮮人暴動の証拠」として騒がれている当時の記事を読み込んでいるはずです。そもそもこうした記事は、どこかにひた隠しにされていた古新聞がネットに流出したのではなく、専門家が縮刷版にまとめ、専門家が研究のために読み込んでいるものです。にもかかわらず、これらの専門家たちはそうした記事を暴動の証拠として読むことはないわけです。なぜでしょうか。

◉デマが横行した震災直後の新聞

震災直後、東京では通信・交通機能が崩壊しました。東京にあった十数社の新聞社のうち、焼け残ったのは3社のみ。この3社も、取材や新聞発行はなかなかままならない状況でした。地方紙は、壊滅した東京の状況を避難民からの聞き取り取材で知ろうとしました。こうして、裏もとらずに伝聞を書く記事が氾濫してしまいます。「伊豆諸島すべて沈没」「富士山爆発」「品川が津波で壊滅」「名古屋も全滅」「首相暗殺」等です。流言をそのまま書いているのです。見てきたような朝鮮人暴動記事も、こうした流言記事の一つでした。

◉誰も朝鮮人暴徒を見なかった

1~2ヶ月して落ち着いてみれば、名古屋が全滅していないことや、富士山が爆発していないこと、首相が殺されていないことは誰の目にも明らかでしたので、これらの記事は当然、「デマだった」ということになりました。

 

「朝鮮人1000名が軍と戦闘」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった類の流言やそれを書きとめた流言記事も同じです。落ち着いてみれば、朝鮮人暴徒を「この目で」見たという人は一人もおらず、毒が検出された井戸もありませんでした。爆弾をもっているとして朝鮮人を捕らえてみれば、それはパイナップルの缶詰にすぎなかった―といった話がたくさんあります。こうして数ヵ月後には、「朝鮮人暴動」の流言や流言記事を、事実と受け止める人はほとんどいなくなったのです。関東大震災の回想の類は、有名人から無名人まで大量にありますが、90年後の今に至るまで、「数百人の朝鮮人暴徒が進撃するのを見た」とか、「井戸に入れられた毒で死ぬ人を見た」といった証言は一つもありません(一方で朝鮮人虐殺の目撃証言はたくさんあります)。そんなものは、震災直後のデマ記事のなかにしかないのです。

◉当時の公式記録もメディアも「虐殺」を記録

世の中が落ち着いてきて、一体何が起きていたのかが見えてくると、ほとんどの人が、朝鮮人暴動が存在しなかったこと、逆に罪のない朝鮮人が多く虐殺されていたことを理解します。戦前の代表的保守派ジャーナリストの徳富蘇峰は、震災火災に匹敵したのが朝鮮人大陰謀という流言飛語災だったと書き、作家の田中貢太郎は「鮮人暴動の流言に血迷った自警団の鮮人および鮮人と誤った内地人に対する虐殺事件」について記述しています。これが、震災から1~2ヵ月後の世の中の常識なのです。ある新聞関係者は、だいぶ後になって、震災直後の「朝鮮人暴動」などのデマ記事横行について、「数えるだに苦悩を覚える」と振り返っています。

 

行政当局も同じです。震災から数日間は流言を真に受ける部分もあった行政当局も、しばらく経つとそれが事実でないことを理解します。司法省の報告書は、組織的な「不逞計画」(暴動やテロのこと)は存在しなかったと書いていますし、警視庁は、民衆が朝鮮人に「猛烈なる迫害」を加え、殺傷にさえ至ったことを「一大恨事」だと報告しています。結局、残ったのは、根拠のない流言によって多くの朝鮮人が殺されてしまったという事実でした。先に紹介した内閣府中央防災会議専門調査会の報告書は、朝鮮人と、朝鮮人と誤認されて殺された日本人、そして中国人の被殺者数を、震災の死者(10万5000人)の1%~数%に上ると推測しています。

◉震災直後の記事は朝鮮人暴動の証拠になりえない

以上の事実経過を踏まえれば、ネット上に震災直後の新聞記事を貼り付けては「ここに書いてあるから実際に暴動はあったんだ」と主張する人々がいかに馬鹿げているか、分かってもらえるかと思います。

 

ちょっとたとえ話で説明してみましょう。

 

1994年、松本サリン事件がおきました。このとき、「ガレージに農薬があったからあやしい」といった理由で、会社員の河野義行さんが警察に犯人扱いされ、メディアもこれに便乗して、プライバシーまで含めて、あることないことを大量に書き、河野さんの一家を苦しめました。しかし結局、警察は彼を逮捕できず、翌年には地下鉄サリン事件が起こったことで、真犯人はオウム真理教の教団であることが分かりました。結局、河野さんへの人権侵害によって、捜査機関やメディアは深刻な反省を求めらることなったのです。

 

ところが、もし誰かが、2014年のいま、松本サリン事件直後の新聞や雑誌をコピーしてネットに貼り付け、「これを見ろ、ここに『この会社員が怪しい』とはっきり報道されているじゃないか。我々はこれまで、サリン事件の犯人はオウム真理教だという俗説にだまされてきたのだ」と主張したらどうでしょうか。

 

彼が本当に、誠実に、「サリン事件の真相を知りたい」と思うのであれば、事件直後の誤った報道、誤りであったことが明らかになっている報道に執着するのではなく、その後の事実経過を含めて検証するべきです。もしサリン事件の犯人について新説を主張したいのであれば、これまでの定説、証拠の山を否定するに足るそれなりの論証を行わなくてはならないはずです(そんなことは不可能でしょうけど)。

 

ネット上で、あるいは書籍で「朝鮮人暴動はあった」「その証拠に記事があるじゃないか」という人々が行っているのはこういうことです。彼らは「書いてあるから事実」と繰り返すだけで、震災直後の新聞がどういう状況にあったのか、そして朝鮮人虐殺問題をめぐる「その後」、落ち着いて以降の時期の行政の記録やメディアの報道、90年間に書き残された様々な証言に目を向けることは、全くしないのです。

 

そもそも、関東大震災時に朝鮮人や、朝鮮人と誤認して日本人や中国人を殺傷した事件で起訴された日本人の数は566人に上ります。一方で殺人や放火の罪で起訴された朝鮮人は1人もいません。もし虐殺否定論者が言うように、自警団が朝鮮人暴徒と戦ったのであれば、同数か、せめて半分くらいの人数の朝鮮人が起訴されてもよさそうなものです。また、朝鮮人が竹ヤリや日本刀で殺されているのを目撃した証言は無数にあるのに、朝鮮人が竹ヤリや日本刀で日本人を襲っているのを見たという証言は、震災直後のデマ記事以外にはありません。これだけでも答えははっきりしているのではないでしょうか。

◉虐殺否定論は社会にとって現実的に危険

以上見てきたように、関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する論は非常に浅はかなものですが、笑ってみすごすわけにはいかない問題性があります。ひとつは、言うまでもなく、いわれなく殺された90年前の犠牲者たちに濡れ衣を着せ、被害者を加害者に仕立てるという、非道徳的な行為であることです。

 

もうひとつは、現代の社会に危険な影響を与えるということです。災害時には、外国人や他民族、マイノリティを危険視する流言がしばしば流れます。そしてそうした差別的な流言が悲劇につながってしまう事例も、古今東西に見られます。

 

関東大震災の時に、朝鮮人が地震に乗じて暴動を起こしたのだ―というトンデモ歴史観を持つ人は、今後、大きな災害が起こった場合にも、真っ先に「外国人が暴動を起こすに違いない」と考えることでしょう。そうした流言を拡散するかもしれないし、とんでもなく誤った判断を選択するかもしれません。こうした人が増えてしまったら、社会におよぼす危険性はさらに高まります。

 

虐殺否定論の言説が広がることで、ごく普通の人々は「歴史学には『虐殺はあった』派と『虐殺はなかった』派の対立がある、真実はきっとその中間にあるのだろう」などと思うようになるかもしれません。それだけでも、結局は先に書いたような危険性に行き着くでしょう。外国人が暴動を起こすといった流言をわずかでも信じてしまう可能性があるからです。実際には、歴史学に「虐殺はなかった」などという言説の居場所はありません。虐殺否定論は、ホロコースト否定論(ナチスドイツがガス室でユダヤ人を虐殺したなんてウソだというトンデモ歴史観)と同レベルに荒唐無稽であり、同レベルに危険なのです。

 

さて、「はじめに」はこれで終わります。

「もっと詳しく話を聞きたい」という方は、次の文章へと進んでいただければと思います。

 

 

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