異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「人間創造以来の犯罪」南京大虐殺80周年 2017.12.13 HANKYREH

2017-12-14 03:02:44 | 南京虐殺

 

「人間創造以来の犯罪」南京大虐殺80周年

登録:2017-12-13 22:47
13日、南京大虐殺80周年を迎え、中国江蘇省南京市の大虐殺犠牲者記念館で開かれた国家追慕日行事で市民が黙祷している=南京/AP聯合ニュース

 白い上衣に濃い藍色の下衣で、胸には黒い花を付けた青少年80人が“平和宣言”を朗々と読みあげた。13日、中国江蘇省南京の大虐殺被害者記念館で開かれた国家追慕日行事には1万人が粛然と参加した。各々黒い服を着て、胸には白い花を付けた参加者の中には、習近平国家主席の姿もあった。午前10時、南京全域にサイレンが鳴り響き、市民と追慕客は全員黙祷した。

 80年前、中国国民党政府の首都であった南京は、おぞましい虐殺を体験した。1937年7月、中日戦争を起こした日本は、11月に上海を占領したのに続き、12月13日には南京を陥落させた。日本軍は6週間にかけて大量集団虐殺、性暴行、放火を犯し、この時に殺害された中国人が30万人に達すると中国政府は推算する。

 日本軍は、捕虜だけでなく民間人を相手に無差別射撃をして、銃剣術訓練、首切り試合、生き埋めまでした。口に出すことすら躊躇われる水準の惨状の各種記録は、この日の行事が開かれた記念館に展示されている。この時代を生きた中国の文豪、林語堂は小説『嵐の中の木の葉』で「神が人間を創造して以来、今まで…笑う兵士たちが赤ん坊を空中に投げて銃剣で落ちてくる子供を刺し貫き、それをスポーツと呼ぶのを初めて見た」と書いた。

 日本では、虐殺事件を公式に「南京事件」とだけ呼ぶ。1946年に開かれた裁判で、当時南京に駐留し虐殺に直接関与した日本軍指揮官が死刑に処された。全般的右傾化傾向の中で南京大虐殺の存在自体を否定する人々もいる。

 中国は終戦後、戦勝国であることを主張して、日本の賠償を拒否したこととは別に、日本の戦争責任と被害者問題に対する糾弾は終えていない。北京大の梁雲祥教授はAFP通信とのインタビューで「中国は、領海紛争など今日の紛争で日本に対するテコとして活用するために、このような歴史的問題も生かしたい」と話した。

 一方、日本の戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京戦犯裁判)を記念する施設を中国当局が上海に建設中だと中国官営のチャイナデイリーが13日報道した。記念館には、東京裁判関連資料などが展示される予定で、南京大虐殺記念館と共に「日本侵略歴史」の大規模記念施設として位置づけられる見込みだ。上海交通大学東京裁判研究センター主任の程兆奇教授は「上海市当局が適当な敷地を選定している段階」と話した。

北京/キム・ウェヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/international/china/823401.html
韓国語原文入力:2017-12-13 21:14
訳J.S
 
 
 
【関連記事】
2017-12-13 14:30
 - 今年は南京大虐殺80周年だ。80年前のあの寒い冬、中国侵略日本軍は南京を攻略すると、放火・殺人・強姦など悪事の限りを尽くし、中国の軍人・非戦闘員30万人を殺害した。筆舌に尽くしがたいほどの凄惨さで、世界に衝撃を与えた。 歴史は日本軍国主義によるこの暴行を恥辱の柱に打ち付けている。しかし日本国内では、南京大虐殺を否定しようと試みる勢力が常に存在する。特に近年、日本の政界と社会の右傾化が強まり、南京大虐殺を否定する言行が勢いに乗り、手段も多様化している。
 
 
 「人民網日本語版」2017年12月13日
 『世界記憶遺産――南京大虐殺文書』が11日、オンラインとオフラインで世界で発行された。計7集20冊で、他に総目録が1冊ある。各文書に中国語の解説があり、英語と日本語の訳文も添えられている。
 「南京大虐殺文書」は2015年10月に「世界記憶遺産」に登録された。貴重な文書を効果的に保護し、合理的に利用するため、中央公文書館、中国第二歴史公文書館、遼寧省公文書館、吉林省公文書館、上海市公文書館、南京市公文書館、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館は各館所蔵の南京大虐殺文書を整理し、デジタル化したうえ、データベースを構築した。紙の文書、写真、フィルム、物品などの形式があり、歴史的筋道が明確で、記録が整い、相互に裏づけ、補足しており、信憑性に疑問の余地はない。(編集NA)

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

正しい理解を、「南京事件・初歩の初歩」 / 1/21 アパホテルに本の撤去打診 冬のアジア大会組織~撤去する考えはございません。

2017-01-21 01:18:01 | 南京虐殺

アパホテルに本の撤去打診 冬のアジア大会組織
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170119/k10010845791000.html
 
 

1月19日 21時46分
・・NHKの取材に対し、「組織委員会から正式に申し入れは受けておりませんので、書籍の撤去についてはお答えできかねます。依頼があったとしても、撤去する考えはございません」としています。

APA HOTEL「南京大虐殺否定本は撤去しません。文句がある奴は本のどこが間違ってるか具体的に指摘して。
参考にするだけだけど。」

客室設置の書籍について 

・・・本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。

国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。

したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。

なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325
 

*******************************


※APA HOTEL「南京大虐殺否定本は撤去しない」報道に関連して

 南京事件は「あったのかなかったのか」という議論と、人数の問題、「30万人なのか実際はもっと少なかったのか」を、ます区別して考えよう!
下記を参照してください。


南京事件FAQ project http://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/ より引用

  南京事件 初歩の初歩

一体、「南京」で何があったのか。
 
 本来は笠原氏なり秦氏なりの新書を一冊読めば大体のところはわかるのですが、ネットではその手間すらかけずに、ネット情報のみでいい加減な発言をしている方を見かけることが珍しくありません。

 例えば、よく見かける「南京大虐殺はなかった」という表現にしても、発言者はどこまで意味をわかって発言しているのか。「中国側のいう30万人規模の大虐殺はなかった」ということでしたら、この点は日本側研究者のほぼ合意ですので、理解できないことはありません。しかし「南京における(少なくとも数万の)大規模な虐殺」の存在まで否定してしまうというのは、ちょっと無理な議論でしょう。

・・・・

まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。

 

よく「南京大虐殺の存在を証明しろ」という大上段に振りかぶった議論をする方を見かけるのですが、その点さえ承知していれば、ネット掲示板の小さなスペースでそんなことが不可能であることぐらい、すぐにわかるはずです。「証明」のためには、数多い事件群についてそれぞれ資料を並べ、検証を行うという膨大な作業が必要になってきます。(ついでですが、そのような「証明」を求める方は、まず確実に、「基本的な入門書」すら読んでいません)・・・・
 


◆日本の外務省「公式見解」 (外務省のホームページより)

歴史問題Q&A

問6 「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

1日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

2先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。

3こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日の内閣総理大臣談話の中で明確にしました。

 

◆「日中歴史共同研究」の座長、北岡伸一氏の見解

北岡伸一『「日中歴史共同研究」を振り返る』より


南京事件をめぐって

 南京事件について、日本軍の虐殺を認めたのはけしからんという批判がある。

 先述した通り、共同研究では南京事件にとくに時間をさいて議論してはいない。よく報告書を読んでもらえればわかるが、日本側は、日本側には犠牲音数について諸説あるということを紹介しているだけである。

 ただ、虐殺がなかったという説は受け入れられない

 日本の近代史の研究者の中で、南京で相当数の不法な殺人・暴行があったということを認めない人はほとんどいない。それは、戦前から日本の内部でも不祥事として割合知られていた。中国国民党が宣伝に利用したことは確かだが、だから虐殺がなかったということにはならない。

 実際、多くの部隊の記録に、捕虜の「処分」に関する記述がある。「処分」のすべてではないにせよ、相当部分は処刑である。捕虜に対しては人道的な対応をするのが国際法の義務であって、軽微な不服従程度で殺してよいなどということはありえない

 便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍である

 どの国でも最も愛国主義的な団体は、在郷軍人会など元軍人の組織である。日本陸軍では偕行社がそれであるが、偕行社は南京で調査を行ない、周囲からの強烈な批判にもかかわらず、虐殺があったと認定している(『南京戦史』)。(P235-P236)

 こうした不快な事実を直視する知的勇気こそが、日本の誇りなのであって、過去の非行を認めないのは、恥ずかしいことだと思う。

 また、われわれは報告書において、南京事件は主として日本に責任はあるが、中国側の対応にも問題があったことを指摘している。

 蒋介石は勝てるはずがないと知りながら南京防衛を決意し、かつ、南京戦の前に南京を脱出している。唐生智という南京防衛を担当した将軍も直前に脱出している。

 ふつう軍隊は勝てなくなったら降伏する。そうすると指揮官は軍法会議で死刑になるかもしれないが、兵士は助かる。それが戦闘のマナーなのであって、そういうことをしないで指揮官が脱出するという無責任な行動をとったことが大きな虐殺を引き起こした一因であることを明記した。中国側がよく受け入れたと思う。

 全体として中国側の出席者にはあまり柔軟な姿勢はみられなかったが、それでもこの点などは変化の兆しなのかもしれない。歴史家の秦郁彦氏が新聞紙上で同様に中国側の柔軟化について言及しているが(「産経新聞」二〇一〇年二月一日)、さすがは昭和史研究の第一人者だと感じた次第である。(P236)

(『戦争を知らない国民のための日中歴史認識』所収)


 
<関連>

南京事件に関するFB記事へのコメントに対して

吉原 庸郎

・・・・

ついでに...失礼ながら...
南京事件について、ご本人は調べられたことがあるんでしょうかね?
・・・
南京事件について、証拠写真や書類や証言は幾多もありますが、反論される方々は「それはねつ造だ」とか、「~~されるはずがない」という主観の思い込みが殆どのように思えます。
南京事件について、ご本人は調べられたことがあるんでしょうかね?

張り付けた資料は、
日中歴史共同研究の日本語論文(2010年1月31日発表)。
http://t.co/8TxA9ZVfEi

2006年10月に安倍晋三氏が訪中した際に胡錦濤国家主席に提案し、翌月、麻生外相と李肇星外交部長との会談で決定された「日中両国政府の共同歴史研究(2006年―2009年)」でまとめられたものです。
国際協力の共同研究で、”安倍晋三氏から提案し出来上がった”ものです

南京攻略と南京虐殺事件については全305ページの271ページから・・
旧来の歴史家も、安倍晋三氏が自ら選んだ歴史家も、南京虐殺事件の存在を認めています。
265ページ/305ページ 
・第 2 章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦  
 波多野澄雄  庄司潤一郎
第 1 節 盧溝橋事件の発生と全面戦争への拡大 
1)盧溝橋事件の勃発と拡大要因
2)関東軍の積極介入と北支那方面軍の南下
3)上海派兵
270ページ/305ページ
4)南京攻略と南京虐殺事件

 当然のことながら、安倍晋三氏と歴史認識の違う真っ当な学者や政治家は、もっと詳細な資料を根拠に、もっと残虐な事実として解明しています。
少なくとも、反論は、先ずこの資料を編纂した安倍晋三氏の息のかかった学者さんにするべきではないですか?

 

 <関連記事>

安倍首相が否定したい南京大虐殺を日本テレビの番組が精緻な取材で 「事実」と証明!ところが番組告知は...

2015.10.08

nnn_151008_top.jpg
『NNNドキュメント'15』HPより


「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」

 こんな驚愕の発言をしたのは、自民党の原田義昭・元文部科学副大臣だ。原田氏は、中国がいま、世界記憶遺産に「南京大虐殺」と「慰安婦」関連の資料を登録しようとしていることへの対策を検討する自民党「国際情報検討委員会」の委員長。今月2日の会議後、記者団に対しこのように語ったという。

「存在自体を」「否定」というのは、つまるところ“慰安婦も南京大虐殺も全くなかった”という主張だ。これは政府の公式見解とも異なる問題発言だが、しかし、ほとんどのマスコミは深く追及するそぶりを見せないでいる。

 そんななか、奇しくもその2日後に初放映されたひとつのテレビドキュメンタリーが話題を呼んでいる。4日深夜放送の『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、自民党が「否定」する「南京事件」を検証したのだ。その内容は、元日本軍兵士の証言や当時の日記といった“一次資料”を取りあげ、さらに矛盾や不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを試みるというものだった。

・・・・・・

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ハワイ真珠湾を訪問する安倍首相は、南京にも行きますか?」・・・記者からの質問に、稲田防衛相は 2016.12.7

2016-12-08 18:10:13 | 南京虐殺

安倍首相は南京も訪問を=社民党首

 社民党吉田忠智党首は8日の記者会見で、安倍晋三首相が米ハワイの真珠湾を訪問することを歓迎した上で、「中国、朝鮮半島に耐え難い苦痛を与えたのも事実だ。象徴的な南京に行くべきだ」と首相に求めた。 

 

http://www.recordchina.co.jp/a156892.htmlより転載

「安倍首相は南京にも行きますか?」=記者からの質問に稲田防衛相は…―中国メディア

配信日時:2016年12月7日(水) 10時50分
「安倍首相は南京にも行きますか?」=記者の質問に稲田防衛相は…
 
6日、看看新聞網によると、安倍晋三首相が米ハワイの真珠湾を訪問することについて説明した稲田朋美防衛相に対し、記者から南京に関する質問が飛んだ。写真は真珠湾。
 
 
2016年12月6日、看看新聞網によると、安倍晋三首相が米ハワイの真珠湾を訪問することについて説明した稲田朋美防衛相に対し、記者から南京に関する質問が飛んだ。 

稲田防衛相は同日午前の記者会見で、安倍首相がオバマ米大統領とともに現地を訪問し、戦没者慰霊式典に出席することを説明した。この際、記者から「真珠湾に慰霊に行くということですが、今後、南京に慰霊に行く必要性について考えますか?」と問われると、「真珠湾に慰霊に行くのは日米同盟を強固にし、アジア太平洋地域の平和と安定を図り、価値観を共有するため」と明言を避けたという。 

安倍首相が真珠湾攻撃から75周年を迎える日の2日前に訪問を発表した狙いについて、専門家は「米国で新政権が発足する前に日米同盟を強固なものにすること」とし、「オバマ大統領の広島訪問にならい、追悼の念を表すとみられるが、謝罪をすることは絶対にない」と分析している。(翻訳・編集/北田)
 
 
【関連記事】
 
 
 
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

悲しみと怒りは消えていない~南京大虐殺の現場を訪ねて (レイバーネット)

2015-12-27 18:13:39 | 南京虐殺

LNJ Logohttp://www.labornetjp.org/news/2015/1225nankinより転載

悲しみと怒りは消えていない~南京大虐殺の現場を訪ねて

     佐々木有美

  *幸存者(大虐殺で生き残った人)の楊翠英さん

 

動画(太平門虐殺事件のお話 5分)

 12月10日から15日まで、日中労働情報フォーラムが企画する「日中不再戦の誓いの旅」に参加した。主な目的は、12月13日に行われる南京大虐殺犠牲者追悼式典参加と史跡などを訪ねること。北京で国際交流協会や、日中職工対外交流センターとの交流のあと、12日夕方に南京に到着した。現在800万人の人口を擁する南京は、大都市である。駅から市内へバスで向うと、夕闇に包まれた街はあちこちに高層ビルが立ち、夜景が美しい。78年前の大虐殺の面影は、当時街をとりまき、今も一部残る城壁に見られるくらいだ。

 13日朝、追悼式典に向う。活気のある大通りのあちこちに「圆梦中华 勿忘国恥」のパネルがある。意味は「中華の夢をかなえよう 国の恥を忘れるな」。また、「正義必勝 和平必勝 人民必勝」の看板も掲げられていた。昨年から国家行事として行われるようになったせいか、式典の警備は厳重だった。バッグの持ち込みは禁止。金属探知機で一人ひとり検査された。

 式典が行われたのは、虐殺記念館のある巨大なメモリアルパーク。小学生、若者たち、軍人、市民など約1万人が集まった。椅子に座り前列中央にいたのは、30人の幸存者(虐殺で生き残った人たち)だった。日本からも様々なグループが100人くらい参加した。昨年は習近平国家主席が挨拶をしたが、今年は李建国全人代副委員長だった。日本への直接的な批判はなく「いかなる民族、いかなる国家も侵略戦争をしてはいけない」「前のことを忘れず後の戒めとなす。記憶は歴史の教訓だ」と述べた。


 *写真上は「新華社」より

 式典後は、“銘心会 南京”のグループのフィールドワークに合流した。代表の松岡環さん(写真下)は元教員。1980年代末から南京大虐殺の調査活動をすすめるとともに、被害者への「心のケア」として交流会やお見舞いの活動を続けている。生き残ったお年寄りは現在約100人。松岡さんは、日本で大虐殺を否定する人たちがいる今、彼らの願いはただひとつ、「必ず日本の人たちに南京大虐殺の事実を伝えてほしい」ということだと語った。

 最初に訪れたのは太平門の虐殺記念碑。南京市内には、虐殺記念碑が25あるというが、この太平門の虐殺は目撃者が一人も残っていず、研究もされていなかった。97年から松岡さんが始めた日本兵士の聞き取り調査で虐殺の事実が判明し、それをきっかけに唯一人生き残った男性がいたことがわかった。松岡さんの働きかけで2007年この地に虐殺記念碑が建った。

 南京攻防戦では、日本軍は南京城壁を囲み、複数の門の突破を試みた。太平門もそのひとつだった。三重県の歩兵33連隊の第6中隊が太平門に突入したとき、門にはホカホカの饅頭とエンジンをかけたままの車があったという。日本軍は、約400人の男女・こどもを一箇所に集め、最初は地雷でふきとばし、その後はガソリンをかけて火をつけた。それでも生き残った者は、銃剣で喉をついて殺した。「死体の上はグリグリして歩かれんぞ」という元兵士のことばに現実感をもったという松岡さん。400~500人にのぼる捕虜の中国兵は近くの水の枯れた水路に入れて機関銃で一斉に殺した。(松岡さんはドキュメンタリー映画『太平門 消えた1300人』を制作している)。

 南京には、日本軍侵攻時に欧米人により国際安全区(難民区)が作られた。山の手線の内ぐらいの広さで25の建物が避難所として指定された。今の南京大学(当時の金陵大学)もその一つで、約3万人を収容していた。その一角にも、虐殺記念碑がある。90年前後、大学付近にたくさんの遺骨が発見された。96年にここに記念碑を建てようという話が上がったとき、松岡さんたちは支援を申し入れたが断られたという。

 日本人と一緒に追悼したくないという中国の人たちの意思は固く、それは長い間続いていた。1997年、日本人の呼びかけで南京大虐殺の大シンポジウムが南京で開催された。このときも、共同の追悼は拒否されたが、虐殺記念館の館長の「日本人も一生懸命思って追悼をやるのだ。だから、たとえ心のうちは別でも、同じ場所で追悼しようじゃないか」ということばでやっと追悼は実現した。「泣きました。ほんとうに。10年かかりました」と話す松岡さんの目には涙が滲んでいた。

 南京大学で避難していた人たちはどんな生活をしていたのか。建物の中にもいたが、多くが草ぶきの掘っ立て小屋でザコネをしていた。雨が降るとすごく濡れた。昼間日本兵に会うと必ず殺されるので、避難民は日本兵が宿舎にもどる夜、空き家で食べ物を探したり、家族やその遺体を捜したそうだ。日本兵は安全区の大学にも、ずかずか押し入り女性を拉致し強姦をした。他の避難所でも同様だった。そのため多くの女性は、アメリカ人の女性宣教師ミニー・ボートリンのいる金陵女子文理学院なら大丈夫といううわさを聞き、そこに逃げた。しかし金陵女子大もけっして安全ではなかった。

 金陵女子文理学院は、現在南京師範大学になっている。訪れたときはすでに夕闇が迫っていたが、ミニー・ボートリンの笑顔の銅像(写真上)はわたしたちを暖かく迎えてくれた。安全区委員長のジョン・ラーべは「ボートリンは、中国の女の子たちを、親鳥がひな鳥を守るようにして日本兵の魔の手から守ろうとした」と言っている。しかし現実は、彼女自身も日本兵からなぐられるような事態が起こっていた。病気になり、その後米国に帰ったボートリンは、1941年にガス自殺をする。『ザ・レイプ・オブ・南京』(1997年)を書いたアイリス・チャンも、心を病み拳銃自殺をした。非人間的極限を見た人たちの傷の深さを思った。松岡さんは「南京大虐殺にかかわって事実を掘り起こしたり、中国の女性に同情した女の人たちが、日本軍国主義と闘って、なかなかそれを克服できなかったことが、すごく悲しい」と語った。

 13日の夜は、記念館で追悼のキャンドルナイトが開催された。小学生、中高生、軍服を着た若者たち、市民、それに各国の仏教者たちがいた。その中でひときわ脚光を浴びた幸存者の女性(一番上の写真)。もう90歳は超えているかに見えるがしっかりとキャンドルを持ち、厳しい表情で前方を見続けていた。強く射る様な彼女の瞳を見たとき、南京事件から78年の歳月はわたしの中で消滅した。当日と翌朝のTVは、虐殺記念日を特集的に伝えていた。市内各所で行われた慰霊祭、幸存者の話、定刻にいっせいに街中で行われた黙祷、それと合わせて鳴り響くクラクション。悲しみと怒りは消えていない。

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加