ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

奴隷の世界歴史(連載第33回)

2017-12-06 | 〆奴隷の世界歴史

第四章 中世神学と奴隷制度

ローマ教皇の奴隷貿易容認勅許
 奴隷制の是非に関して、基本的な態度を長く曖昧にしていたローマ・カトリック教会であったが、大航海時代に入り、ポルトガルが先陣を切ってアフリカを供給源とする奴隷貿易に着手すると、神学的にもより明確な見解を出す必要に迫られた。
 15世紀半ば、アフリカへの遠征を精力的に実施していたポルトガル国王アフォンソ5世―通称「アフリカ王」―の求めに応じ、時のローマ教皇ニコラウス5世は黒人を奴隷化することを正式に認めたのである。
 その発端は1452年、オスマン帝国の最終的攻勢にさらされ、風前の灯であったビザンツ帝国からの援助要請に応じ、アフォンソ5世に対してキリスト教徒の敵に対する攻撃、征服、服属を認めた勅許であった。
 この最初の勅許の段階では、対イスラーム十字軍の許可であって、これを奴隷貿易に対する勅許と受け取ることは難しい。しかしこの勅許も虚しく、翌53年、首都コンスタンティノープルを落とされたビザンツ帝国は滅亡する。
 一方、ポルトガルによるアフリカ攻略は続行されており、アフォンソはより明快な教皇のお墨付きを欲していたのであった。これに応じたのが、1455年に発せられた同じくニコラウス5世による勅書「ロマヌス・ポンティフェクス」である。
 この中で、実力や禁止されていないバーターその他の合法的な契約によって連行された黒人の無信仰者―非キリスト教徒―の奴隷を購入する権利をポルトガル王に認めている。ただし、かれらをキリスト教徒に改宗させる努力をすることが条件であった。
 この勅許はポルトガルに奴隷貿易の独占的権利をも承認する内容となっており、これは後継の教皇らの勅許でも踏襲され、1493年にはアレクサンデル6世の勅書により、ポルトガルを後追いしていたスペインにも同様の権利が承認されたのである。
 こうしたローマ・カトリック教会の神学的見解は奴隷制全般を容認したものではなく―少なくとも、キリスト教徒の奴隷化は容認しない―、限定的に容認してきた路線を拡大したものと受け取ることができるが、ポルトガル・スペインの両帝国に対し奴隷貿易のゴーサインを出したことに変わりなく、これは大西洋奴隷貿易を正当化する神学的理論付けとして援用されることになる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 奴隷の世界歴史(連載第32回) | トップ | 奴隷の世界歴史(連載第34回) »

コメントを投稿