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近代科学の政治経済史(連載第10回)

2022-05-29 | 〆近代科学の政治経済史

三 産業学術としての近代科学

近代科学は、18世紀以降、理論科学と実用科学に分岐しつつ、後者は産業技術の飛躍的な進歩を促進し、産業革命の主要な動因となる。近代科学なくして産業革命もなかったことは間違いないが、産業学術としての近代科学の発展は近代科学が純然たる学問的探究の世界を脱して経済界と結びつき、産学複合を形成する契機ともなる。


理論科学と実用科学の分岐
 近代産業社会の幕開けとなる産業革命が18世紀の英国に発したことは広く知られているが、英国が産業革命の発祥地となったのは、その一世紀前の17世紀における近代科学の創始と深い関連性がある。
 前章でも見たように、英国では近代科学がチャールズ2世の庇護を受け、御用学術として発展していくが、その象徴である王立学会は形式上御用機関でありながら、プロイセンやロシアの同種機関のように完全な御用機関とはならず、民間の自由な研究組織として発展していった。
 ただし、王立学会が直接に産業技術の母体となったわけではない。王立学会はロバート・フックが指導していた当初こそ、実用性をも伴った実験科学―ガリレオ以来、近代科学の伝統であった―を主流としたが、若き日にはフックの論敵でもあったアイザック・ニュートンが会長職に就き、以後24年間も「君臨」すると、ニュートンの嗜好を反映し、思弁性の強い理論研究が主流となったからである。
 このことは、理論科学(基礎科学)と実用科学(応用科学)とが分岐する最初の契機となったかもしれない。理論科学を代表する王立学会はニュートン自身もごく短期間、庶民院議員を務めたように、政界とのつながりを強め、歴代会長には一定の科学的バックグランドを持ちながら政界にも身を置く人物(貴族を含む)の任命が増し、権威を高めた。
 こうした理論科学と実用科学の分岐によって、後者からは工学が誕生した。中でも社会基盤整備の物理的な土台を成す土木工学の分野である。その重要な先駆者であるジョン・スミートンも英国人である。
 とはいえ、実用科学としての工学は当初においてはアカデミズムの外部にあった発明家によって開拓されていくのであるが、後に改めて論及するように、工学者として名を成すスミートンも、そのキャリアのスタートは職人であった。

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