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共産論(連載第46回)

2019-06-11 | 〆共産論[増訂版]

第8章 新しい革命運動

(1)革命の主体は民衆だ(続)

◇「プロレタリア革命」の脱構築
 かつては威勢よく「プロレタリア革命」を呼号したマルクス主義者らも、労働者階級が資本主義を血肉化していく状況の中ではもはや困難な「プロレタリア革命」を断念し、資本主義に順応していくようになった。実は今日の世界の残存マルクス主義政党(ソ連邦解体以降も残存する各国マルクス主義政党)の多くも、「現実主義」の名の下、明示的または黙示的にこのような路線転回を図ってきたところである。
 しかし、ここではそうした自己放棄的なあきらめの「現実主義」には乗らず、どこまでも共産主義への道を模索してみることにしたい。そのためには「プロレタリア革命」を従来とは異なる名辞と方法論とによって、脱構築しなければならない。

◇「搾取」という共通標識
 ここで最初に確認すべきは、共産主義革命の潜勢的な中心主体はあくまでも労働者階級だという鉄則である。ところが、上述のように今日の労働者階級は深く分断されている。しかしこれを再統一することを可能にする標識がある。それが第3章でも論じた「搾取」である。
 その点、資本主義的用語法では「搾取」の意味を矮小化し、極端な低賃金労働の場合に限定しようとするが、第3章でも見たように、相対的な高賃金の労働者でも実際には様々な名目で不払労働を強いられており、「搾取」されているのであった。
 搾取されていることにおいて、一般労働者層と上級労働者層、一般労働者層中の安定層と不安定層、さらには民間労働者と公務労働者の間にも本質的な差異はない。差異があるとすれば、搾取の表れ方である。すなわち低賃金搾取で生計が立たず貧困に陥るか、高賃金搾取によって生計は立つが疲労困ばいし、過労死/過労自殺に至るか、その差にすぎない。
 また安定層と不安定層の差異も、正規労働者に対する解雇規制の緩和や正規労働者の賃金抑制―経営基盤の弱い中小企業では従来からそうなっている―によって一挙に相対化されていく。
 他方、現職労働者層と退職労働者層の世代間対立の止揚はなかなか困難である。しかしこれも「搾取の日延べ」という観点から一定の解決はつくように思われる。
 つまり、退職労働者層の年金給付額は、納めた保険料とともに現職当時の賃金水準を標準に算定されるから、現職時に低賃金で搾取されれば将来の年金受給額も低水準にとどまる。このように老齢年金とは老後まで続く「搾取の日延べ」にほかならない。このことは、受給と負担の関係が完全に対応する自己責任主義的な所得比例方式の年金制度が導入されればいっそう明瞭になる。
 従って、現職労働者が着々と納めた年金保険料に支えられた年金収入でのうのうと暮らす退職者というイメージは正確でない。現実には年金だけでは足りず、生活難に陥る高齢者も多い。それは将来のあなたや私の姿かもしれないのである。

◇「プレビアン革命」の可能性
 それにしても、「労働者階級」というようなくくり方がもはやリアリティーを持ちにくい時代である。そこで「搾取」を共通標識に統一されるべき新しい名辞として、「民衆」=プレブス(plebs)を提示してみたい。民衆こそ、共産主義革命の主体である。
 ところで、「民衆」の類語に「大衆」があり、このほうが膾炙しているかもしれない。しかし、ここでは「民衆」と「大衆」を明確に区別する。「大衆」とは政治的に覚醒しておらず、浮動的であるがゆえに日和見的であると同時に扇動されやすく、最悪の場合ファシズムへ誘い込まれるバラバラの個人から成る群衆、言わば烏合の衆にすぎない。
 これに対し、ここで言う「民衆」は政治的に覚醒した革命的階級として連帯・結合した諸個人の凝集である。その中核を成すのは賃労働者であるが、それに限らず貧農・小農、無産知識人、零細資本家等々、およそ資本の法則に痛めつけられ、共産主義社会の実現に活路を見出さんとする人々全般を包摂するのが「民衆」である。
 そして、各国ともこうした民衆こそが人口構成上もおおむね多数派を形成しているのである。よって、このような―少数派をも包み込んだ―真の多数派たる民衆の名において実行されるのが、共産主義革命である。要するに、それは「民衆による、民衆のための、民衆の革命=プレビアン革命(plebeian revolution)」という名辞にまとめることができる。

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