光りの「カナタニ」行くぞ!

日本の政治・経済・国防につてい情報発信します!
アジア情勢について情報発信します!
よろしく

戦前の日本と戦後の日本はまるで別の国 実は戦前はアメリカのような自由な国だった

2017年12月25日 06時33分55秒 | 日記

戦前の日本と戦後の日本はまるで別の国 実は戦前はアメリカのような自由な国だった

戦前の日本と戦後の日本はまるで別の国 実は戦前はアメリカのような自由な国だった

 
1925年に撮影された三菱プラントの工場の風景。

 

《本記事のポイント》

  • 現代の働き方は戦後の「常識」にすぎない
  • 戦前は決して暗黒時代ではない
  • 戦前の日本は、自由で自助努力を肯定するアメリカのような国だった

 

皇居でこのほど行われた天皇誕生日の一般参賀には、間もなく退位する今上陛下を見るために、平成の時代では過去最多の人々が訪れた。

 

しばらくすれば、平成が終わる。陛下は先の大戦への向き合い方について常に思いをめぐらせ、平和な世の中をつくろうとされてきたという印象がある。

 

戦前の日本と言えば、「暗い」「自由がない」「軍国主義一色」などの負の印象がつきまとう。漠然としたマイナスイメージが定着し、あらゆる戦後の価値観が肯定されている感がある。そんな時代を生きられた陛下がまもなく身を引かれる。

 

しかし、果たして、戦前の日本は、そんなに「息苦しい国」だったのか。

 

 

現代の働き方は戦後の「常識」にすぎない

最近、安倍政権は、「働き方改革」と称し、国民の働き方に口出ししている。例えば、最低賃金を引き上げて人手不足を解消しようとするなどの動きがある。

 

日本企業の雇用体系の特徴は「終身雇用」だが、実は戦前の日本は、現代のアメリカのように職を転々とする人が多く、雇用の流動性が高い社会だった。

 

1920年代前半では、工場労働者の離職率が、約70~80%(年平均)に達していた。労働者は自らのスキルが熟練してくると、待遇のいい会社に次々と転職していったのだ。

 

評論家の堺屋太一著『日本を創った21人』によれば、大正から昭和期にかけては、従業員の解雇がしやすい自由競争の時代だったという。たとえクビを切られても、労働者は、故郷に戻って農作業などで食いつなぎ、また新しい職を求めて都会に出た。この時代は、家族がいることが「社会保障」として機能していた。

 

次第に企業は優秀な人材を引き留めようと、さまざまな福利厚生を整えるようになる。勤労年数に応じた賃金や、積立式の退職金などがそれにあたる。パナソニックの創業者・松下幸之助が、世界的恐慌が起きた1929年に、社員のクビを切らない経営に踏み切ったのも、当時、雇用の流動性が高かったためだ。

 

その後、1937年に日中戦争が勃発し、企業は、戦争の影響で人手不足に陥る。政府は「従業者雇入制限令」「賃金統制令」などを出し、今の安倍政権のごとく、労働者の働き方を管理して対応した。この結果、終身雇用などの労働慣行が日本全体に広まることになる。

 

つまり、日本特有の労働慣行は戦中につくられ、それが社会に定着したのは戦後。戦前の日本は、先進国の中で最も転職率が高く、アメリカのような自由な社会だった。

 

 

戦前は決して暗黒時代ではない

文化面はどうか。現代人は「戦前の日本は、娯楽が少なかった」「軍国主義一色だった」というイメージが強いだろう。

 

戦前の庶民感覚を知るには、当時、最も売れた雑誌を見れば、ある程度分かる。その雑誌とは、1924年に創刊され、140万部を売り上げた大衆誌「キング」。これについて、保守界の重鎮である故・渡部昇一は著書『本当のことがわかる昭和史』の中で、こう語っている。

 

「私の自宅には、大正一四年(一九二五)から敗戦までに発刊された『キング』が揃っているが、誌面を通じて当時の雰囲気がよくわかる。その『キング』でさえ、二・二六事件について触れているのは、同事件から約二カ月後の昭和十一年五月一日号しかないのだ。たしかに二・二六事件当時、心配のあまり明治神宮に参拝した女学生たちもいたが、クーデター自体は三日間で鎮圧されているので、当時の一般大衆にとっては一過性の事件としか映らなかったのかもしれない」

 

渡部氏は、キングには軍事的なことが1ページも書かれていないとし、「戦前の日本は暗黒時代ではなく、国民は自由を愛していた」と論じている。

 

 

戦前の医療は株式会社が中心

さらに、戦前の日本と戦後の日本が別の国だというのは、医療事情を見ても分かる。

 

1880年代までは、公立病院の数は200を超えていた。ところがその後、財政難によって閉鎖が相次ぎ、1930年頃には80程度に過ぎなかった。その一方で、私立病院の数は1888年時点で339院だったのが、1936年には約3000院にまで増加した。

 

戦前の医療は、株式会社の運営が中心であり、公立病院が多い戦後とは大きく異なる。公立病院が増えた要因は、日中戦争で戦傷者が増えたことにあり、厚生省も1938年につくられている。

 

つまり、国家が医療を管理するのは、戦争期につくられた統制社会の影響なのだ。その証左に、戦前の私立病院の医療費は自由価格であり、基本的には自己負担。現代のアメリカのような医療システムだった。

 

 

戦前はアメリカ寄りの国だった

こうしてみると、戦前の日本は、現代社会よりも、自由な雰囲気があり、自助努力の精神が強く、アメリカのような国柄だったことが分かる。

 

戦後の日本について「社会主義が成功した国」と評すこともあるが、戦前と比較すると、その論理もうなずける。戦後の「常識」とされているシステムは、先の大戦を契機につくられたものが多分にしてあり、現代人は“有事下"で生活しているといえる。その意味で、現代人は、自由が抑圧されていると感じるのではないか。

 

日本をより自由な国にしていくためには、歴史から学ぶことが必要不可欠だ。平成が終わろうとしている今こそ、正しい歴史観を持つべきであろう。

(山本慧)

 

【関連記事】

2018年1月号 オレたちの絆が世界を守る - 2018年を「信仰」で読み解く

https://the-liberty.com/article.php?item_id=13821


「ニュースター・メンズ・オーディション ―明日への挑戦―」が開催 個性豊かなスターの卵が集結!

2017年12月25日 06時31分54秒 | 日記

「ニュースター・メンズ・オーディション ―明日への挑戦―」が開催 個性豊かなスターの卵が集結!

「ニュースター・メンズ・オーディション ―明日への挑戦―」が開催 個性豊かなスターの卵が集結!

 

 

宗教法人・幸福の科学が母体の芸能事務所ニュースター・プロダクションが主催する「ニュースター・メンズ・オーディション本選大会」が17日、幸福の科学の研修施設である東京正心館で開かれた。

 

ニュースター・プロダクションは、神への信仰にもとづいた「本物の美しさ」を世界の人々に届けるために、映画事業、音楽事業、その他のさまざまな芸能活動を展開している。

 

本オーディションは、9歳~25歳の男性を対象に、今年7月から10月末にかけて、日本全国で募集。メインコンセプトは「明日への挑戦」で、俳優やタレントを目指す男性たちが、明日の自分に挑戦し、夢を実現していく場所と位置づけている。

 

「映画・ドラマ・舞台・CMなどに出演し、未来のスターとなる人材」を探すことを目的とし、「信仰心・勇気・意志の力で困難を乗り越え、人々に感動を与えられる」ということも選考基準としている。グランプリ受賞者は同プロダクションに所属することができ、レッスンを通して、映画・ドラマ・舞台・CMなどへの出演や、歌手デビューの可能性もある。

 

 

10人のファイナリストが個性あふれる特技を披露

「ニュースター・メンズ・オーディション本選大会」では、これまで一次(書類)審査、二次審査、三次審査、最終審査を勝ち抜いた10人のファイナリストが、審査員と観客の前に登場し、ウォーキング、ポージング、演技披露、特技披露・自己PRを行った。

 

自己PRでは、J-POPの歌の熱唱やキレのあるダンス、独り芝居やお笑いのネタ、楽器の演奏や口笛、バドミントン、アクロバットなど、それぞれが個性豊かな特技を披露した。全員の自己PRが終了した後、会場に集まった観客も審査に参加し、投票が行われた。

 

グランプリを受賞した右田翔大さん。

審査の結果、グランプリは、自らの強みや志を真摯に語った右田翔大さん(20歳)が受賞した。

 

また、「審査員特別賞」に山本進太郎さん(15歳)、渋谷勇貴さん(21歳)、山本泰広さん(21歳)の3名が、さらに、「グッド・キャラクター賞」に鉢嶺太陽さん(17歳)が選ばれた。

 

会場に集まった観客の投票で選ばれる「オーディエンス賞」は、渋谷勇貴さん(21歳)が受賞し、審査員特別賞とのダブル受賞となった。

 

左から山本進太郎さん、渋谷勇貴さん、右田翔大さん、鉢嶺太陽さん、山本泰広さん。

 

グランプリを受賞した右田翔大さん(20歳)は、次のように感想を述べた。

 

「グランプリを受賞した時の気持ちは、皆様への感謝の思いしかありませんでした。(中略)自分の個性を出して、仕事を楽しみながら、多くの人に何かを与えられるような役者になっていきたいと思います。天上界の美を多くの人に伝えるということは、『ニュースター・プロダクション』でしかできないことだと思います」

 

 

社長が総括「天上の美を体現したい」

最後に、ニュースター・プロダクションの大田薫代表取締役社長が登壇し、オーディションを支えてくれた人々に感謝の言葉を述べたうえで、次のように今後の意気込みを語った。

 

「これからニュースター・プロダクションは、『新時代の美の創造』をテーマにさらに活躍を続けてまいりたいと思います。その美しさというものは、単に見た目がかっこいい、美しい、演技がうまいなど、この世的なレベルで終わるものではなく、神より流れ出る本当の美しさ、天上の美というものを体現しなければならないと思います」

 

「皆様がまだ観たこともないような、素晴らしい天上界を表したような演技、歌、ダンスなどを披露できるようにこれからも精進を続けていきたいと思います。ニュースター・プロダクションの明日への挑戦に、ご期待いただきたいと思います」

 

さまざまな事業を通して「新時代の美」を世の中に提供していくニュースター・プロダクションの活動から、今後も目が離せない。

 

【関連ページ】

ニュースター・プロダクション公式ホームページ

https://newstarpro.co.jp/

 

【関連記事】

2017年2月27日付本欄 「プリンセス・オーディション・アワード」才能あふれるスターの卵たちが集結!

https://the-liberty.com/article.php?item_id=12664


SHINeeジョンヒョンさんが自殺 「完璧」を求められ4割が自殺を考える韓国芸能界の闇

2017年12月25日 06時29分49秒 | 日記

SHINeeジョンヒョンさんが自殺 「完璧」を求められ4割が自殺を考える韓国芸能界の闇

韓国の人気アイドルグループSHINee(シャイニー)のジョンヒョンさんが、27歳という若さで亡くなり、ファンや関係者からは惜しむ声があがっています。

 

ジョンヒョンさんの死後、友人を介して遺書が公開されました。「僕は体の中から壊れてしまった。じわじわと僕をむしばんでいった憂鬱は結局僕を飲みこみ、僕はそれに勝てなかった」などと綴られており、死因は自殺だったと見られています。

 

韓国では芸能人が自殺するケースが後を絶ちません。人気女優だったチェ・ジンシルさんは2008年、インターネット上の誹謗中傷が原因で鬱状態になり、自殺。「冬のソナタ」に出演し、日本でも有名だったパク・ヨンハさんも2010年、32歳の若さで自ら命を絶ちました。2015年にはKARAの新メンバー候補だったソジンさんが22歳で自殺、その翌年には俳優のキム・ソンミンさんが43歳で自ら命を絶っています。

 

2005年から2010年までの5年間で、自殺した韓国の芸能人は14人に上り、深刻な状況です。延世大学行政学院の大学院に在席する女優のパク・ジニさんが2009年に発表した論文では、調査した260人の韓国の芸能人のうち、約40%が軽度あるいは深刻な鬱病を患い、40%以上が自殺を考えたことがあるという結果がでています。

 

多発している自殺の原因はさまざまですが、芸能人を追い込んでしまう要因の一つとして、事務所や一部のファンが「完璧なタレント」を求めていることが挙げられます。本欄では、韓国の芸能界が抱える闇について考えていきます。