切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都市上京区 本法寺・・・巨大な佛涅槃図

2017-07-29 23:29:55 | 撮影

 京都市上京区にある本法寺へ行ってきた。堀川通りを北上し、途中東側へ入るのだがよくわからない。ようやく山門を見つけて、近くにいた人に駐車場を尋ねてみると、堀川通りに小さな入り口があるとのこと。そちらへ回ると確かに本法寺と書かれた小さな看板があった。車を入れるともうそこは境内の中だった。確かに堀川通からは非常に分かりにくい。すぐ隣に裏千家の茶道資料館があるのでそれが目印となる。
 本法寺はそれまで全く名前も聞いたことがなかった。京都市内の主なお寺は大概行ったが、この寺院のことは知らなかった。たまたまネットの地図で京都市内のお寺を調べていたら、結構広い境内を持つ本法寺を見つけて行くことにした。
 

 沿革についてはパンフレットに載っていた文章を下に載せておくが、かなり由緒のあるお寺だ。

   
 
 山門を入ると、各建物のほとんどが京都府の登録有形文化財に指定されている。また宝物として数多くの重要文化財を有しており、専用の宝物館もある。
 本堂は思いの他大きく迫力がある。二層の多宝塔は優雅な造形をしており、内部への入口となる庫裏も、如何にも大きなお寺としての風格がある。拝観料を納めて中に入ると、すぐ国の史跡に指定されている見事な庭園の一部が広がる。この庭園は本阿弥光悦によるものと言われ、彼の作品として唯一残っているもの。
 そしてなんといってもすごいのが、宝物館内の長谷川等伯による仏涅槃図。これもパンフレットにあった解説を載せておく。レプリカとはいえ、縦の長さ10m というのはド迫力というしか言いようがない。残念なのは、このレプリカが約30年前のもので、各パーツに分けた写真を引き伸ばして組み合わせたものなので、いかんせん全体がぼやっとしている。今現在なら、高精細なデジタル複製があちこちの寺院でも行われているので、是非そうして欲しいものだと思う。修行僧の若い女性のお坊さんに言ったところ、なかなか厳しいですね、というお答えだった。相当な金額がかかるようだ。しかし、必見と言えるほどの見事なものだ。涅槃図としては日本一の大きさだという。
 そしてつい先日、国の重要文化財に指定された日親上人の絹本著色日親像も、レプリカではあるものの掲げられていた。宝物館内部には他にも多数の重要文化財が展示されており、かなり見ていて満足感がある。宝物館から奥へ進むと、庭園の中心部分が現れ、とても大都会の住宅街の中とは思えないような落ち着いた光景が広がる。また本法寺は本阿弥家の菩提寺でもあって、本阿弥家一族や長谷川等伯らの墓もある。

      

  本法寺は日蓮宗僧侶である日親上人によって開かれたお寺だ。彼は信仰に深く帰依し、自分たちの信仰こそが唯一のものだとして、他の宗派を否定し攻撃するほどだった。厳格な信仰の強さから、足利時代は世の中が乱れ、そのことを将軍に申し出たところ、逆に強い反感を買い拷問を受けることになる。それでも彼は自分の意志を曲げることなく貫き通したと言う。また後には他の宗派から将軍へ批判の申し出があり、本法寺が焼かれたりもしている。このような攻撃や弾圧を受けながらも、日親上人の後を継いだ僧侶達が、信仰を守り通し現在に至っている。
 日蓮宗が他の宗派と異なって、ある意味我が道を行くといった独自性を持つのも分かる気がする。そういった点では日本の仏教宗派の中では、かなり厳格な信仰を持っているのではないかと言える。決して有名ではないお寺だが、境内も宝物館も枯山水の庭園もとても見応えがある。

   


『叡昌山本法寺は、室町時代に活躍した日蓮宗僧侶、久遠成院日親上人(一四〇七~八八)によって開創されました。その時期や場所は諸説ありますが、永享八年(一四三六)に東洞院綾小路で築かれた「弘通所」が始まりとされています。その後、永享十二年(一四四〇)に、日親上人の幕府諫曉が原因で最初の破却に遭い、康正年間(一四五五~五七)に四条高倉で再建しました。寛正元年(一四六〇)年、日親上人の他宗派批判が原因で、二度目の破却に遭った本法寺は、三条万里小路に移転して復興を果たすと、この寺を一門の中心地に定め、多くの僧侶たちが棲み繁栄しました。
 しかし、天文五年(一五三六)の法難によって一時は都を追われ、大坂堺に避難する事となりました。後に一条戻橋付近で再興し、さらに天正十五年(一五八七)、豊臣秀吉の聚楽第建設に伴う都市整備の影響で現在地に移転しました。その時の貫首日通上人は、外護者であった本阿弥光二・光悦親子の支援を受けて堂塔伽藍を整備し、本法寺は京都の町に一大栄華を誇るまでに及びましたが、天明八年(一七八八)に襲った大火で経蔵と宝蔵を残すだけとなりました。その後、檀信徒達の堂塔再建に対する願いは着々と結実され、今の本法寺となりました。』

『本堂・開山堂・多宝塔・仁王門・庫裡・書院・大玄関・唐門・鐘楼・経蔵・宝蔵・石橋・棟札十三枚はすべて京都府指定有形文化財に指定されております。
佛涅槃図【原寸大複製】(真筆は国指定重要文化財)長谷川等伯
蓮池図【複製】(真筆は国指定重要文化財)伝舜挙
絹本著色日親像 (真筆は国指定重要文化財)伝狩野正信 』
(他HPより)

『長谷川等伯 大涅槃図
 本法寺の「佛涅槃図」(国指定重要文化財)は京都三大涅槃図のひとつに数えられ、その大きさは縦約10m、横約6mにおよびます。作者は安土桃山時代から江戸初期を代表する絵師長谷川等伯(1539 ~ 1610)で、自身の家族や心を寄せた日蓮宗僧侶らの供養を目的に、61歳のときにこの絵を描き本法寺に奉献しました。
 能登国七尾に生まれた等伯は、染物を生業とする長谷川家の養子となり、故郷で絵師として活動しました。その後、養父母の死をきっかけに京都へ移り住み、菩提寺の本山であった本法寺を拠点に活躍し、数多くのすばらしい作品を遺しました。当山では通常、佛涅槃図の複製を展示していますが、春季特別寺宝展の1ヶ月間限定で等伯の正筆をご覧いただけます。』

(本法寺パンフレットより)
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「金スマ」放送・・・発達障害者を取り上げていた

2017-07-29 01:08:17 | 社会

 今日TBS系テレビ局で「金スマ」を放送していた。広汎性発達障害のピアニストとして知られる野口あすかさんを取材していた。1年半ほど前にも同じ番組で紹介されていて、偶然それを見てこの人の存在は知っていた。今回は新たに単独演奏を越えて、オーケストラという大勢の演奏家との共演に臨む取り組みを取材していた。

 彼女が 広汎性発達障害と診断されたのが 22歳ということで 、それまでは 障害そのものが 分かっておらず、 幼少期よりその行動やコミュニケーションの仕方、認知の仕方などから友達ができず、また周囲からの理解もなく、常に本人にとっては厳しい環境の中で育ってきた。高校時代にはひどい差別といじめにも会っている。知的障害はないということで、成績は常に優秀で 国立の宮崎大学に進学したものの、大学という大勢で多様な人間関係の中に溶け込めずパニックを起こして、中退することになる。そして宮崎音楽短期大学に履修生として在学し、そこで彼女を理解してくれる恩師となる先生と出会う
 海外留学中に発作で倒れ、そのことをきっかけに初めて広汎性発達障害であると診断を受けた。帰国後にパニックを起こし、家の二階から飛び降りて 足に重篤な障害が残ることになった。普段は二本の杖を使って歩行するか車椅子の生活だ。そして彼女の生きがいとなっているピアノ演奏についても、ピアノを弾くという場面だけを見ているとあまりにも素晴らしく、表現力豊かな演奏に多くの人々が 感動するという。しかし1曲弾けるようになるまでには多大な努力が必要となることを 番組では紹介していた。楽譜がそのまま読めないために、彼女独自の工夫による楽譜を作って演奏につなげているが、そこに達するまでに実に長い時間を要する。彼女の障害の特性として彼女独自の方法というものがあり、それと違うと柔軟な対応が難しい ということがある。また大勢の人々の中に いるということ自体に、適用し難いという特徴もある。
 ご両親はそんな彼女に 生活面でできることを1つ1つ増やすために、買い物など、様々な課題を与え、自分でやりきれる力がつけられるようにされている。
 今回は大勢のオーケストラとの合同演奏の場面となり、彼女にとっては全く初めての体験となる。最初は適応できずに体に拒否反応が出るものの、本番のコンサートではそれを克服して見事な演奏を披露し、 一つの困難を克服する場面が 紹介された。
 番組では 15人に一人と言われる発達障害という紹介がなされていたが 、軽度から重度も含めおそらくかなり多岐に渡った 発達障害という定義においては 確かに、そのくらいいるのかもしれない。また発達障害のイメージ図が紹介されていたが 、これがもう少し説明を加えて紹介されていたらなお良かったと思う。アスペルガーや LD、ADHDなどと書かれていたが. 教育現場による人や障害者に関わる仕事をされている人、或いはその分野の研究者などを除いて、ごく一般の方々にとってみれば、どこかで聞いたことがあるようなという程度か、全く 知らない、分からない、というようなものだ。その意味では せっかく 3つの発達障害のくくりが示され、それが相互に重なっていたところの意味を説明されていればと思う。

 ゲストに 栗原類氏が招待されていて、彼自身が 2年前に自分の 発達障害を公開していた。その彼がその図を使って自分自身がこういう状況であるという説明をしていたが、こういうことをしっかりと自分の口で 説明できるというのは、勇気のいることだったろうし、本当に素晴らしいと思う。
 野口あすかさんもテレビという媒体で 全国に紹介される形になっているが、これをあえて 許可している ご両親も偉いと思う。お母さんは 彼女の発達障害についての生育歴を含めた内容を 各地で講演をするということで、世の中に理解を広める活動をされている。本当に大切で貴重な活動だと言える。そんな意味で今日の番組は 1時間といえども 十分内容のある番組だったと思う。


 話は変わるが先日、神奈川県相模原市の障害者施設で凄惨な殺人事件があってから 1年ということで、ブログにも記した。新聞ではその後も 当事者の 家族への 思いを取材した記事が載ったり、精神障害者に対する課題をどう考えて行くべきかといった記事なども あった。
 共同通信が 障害者をもつ家族に行ったアンケートの結果が全国の地方紙にも配信され、同じ記事が載ったかと思う。その中で相模原の事件以降、障害者に対する社会の目はきつくなったかという質問に対して、そう思うと回答したのが 70%もあったという。その記事の中にはなかったが、こちらで読んでいる地方紙の記事には 具体的な例として、バスの運転手から「殺すぞ」と言われたなどの具体例が載ってた。このことは直接的には 相模原の事件が容疑者が精神障害で、措置入院をしていたということが背景にあるだろう。精神障害を持っている人間は、このように 残忍で何をするかわからないという風潮が、報道と共に一気に広がったのは否めないところだ。
 しかしそれ以前に、普段から広い意味で障害者に対する差別的な扱いというのは日常茶飯時と言える。障害の実態や原因や特性をほとんど、或いは全く知らないまま表面的な部分だけを見て、怖い、汚いなどなどとマイナスイメージを作り上げて、障害者の人達を 見下し差別し、近寄ることもしない人たちが圧倒的に多いのは確かだし、普段は表立っては言わないが、匿名性のあるネット上では、障害者に対するヘイトクライムなど、溢れに溢れかえっている。そんなんどこにあるかって?ブログやインスタグラムやニコ動など、或いは 2ちゃんねるなど、ごまんとある。自分の名前を逸らされないことを良いことに、差別のし放題。こういう奴らこそ、ほんまに人間のクズとしか言い様がない。
 相模原の事件の後、厚労省は慌てて 何か対策をとらないとあかんと思ったのか、いやそうではなく、世間からなんでこんなんほっとくんや、などなどの声が殺到したかどうか知らんけども、 とにかく何かせんとあかんということで、所謂、精神障害者福祉法と言われる法律改正を行おうと案を作った。改正というけども、これは改正ではなく、まさに改悪だ。その法律改正については、措置入院の強化と退院後の支援計画と称して、実は該当者を見張るという内容を含み、謂わば警察も使った監視下において、事件を起こさせないような形に持っていくというもの。そのために精神科医や自治体と警察が 一緒になって、精神障害者を治療の対象者として見るのではなく、犯罪防止のための対象者にするような内容だ。
 このこと自体が精神障害者福祉法との趣旨とは全く外れてしまっている。これが提案されるやいなや 野党は 人権侵害だとして強く反発し、また 民間では様々な障害者団体や各団体 、一般の人たちからも強い反対と危惧の声が出されており、衆議院ではその後、他の愚かな問題が多く発生しているために時間不足もあって、継続審議となっている。
 このことを 国民全体はどのくらい知っているのかは分からないが 、今現在は新聞やテレビなども、例の森友問題、 加計問題 、自衛隊の日報問題など、 こちらの方が大きくクローズアップされてしまって、精神障害者福祉法に関わる報道は、今は全くといっていいほどない。ちょうど相模原事件から1年経ったということで 少し取り上げられただけであるが、このことをさらにしっかりと見ていく必要があると思う。
 この精神障害者福祉法そのものを どう見るかという問題もあるし、そこにある精神障害の定義についても それでいいのかどうかという疑問もあるし、あげればきりがないほど深く微妙な問題を抱えている。
 ただただ少なくとも今日の様なテレビ番組で、障害を持っている人々の置かれた厳しい実態や前向きに生きる姿がもっと紹介されても良いのではないかと思う。とりあえず 今日のところはここまでにしておく。

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