切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

相模原市の 障害者施設 殺傷事件から1年

2017-07-24 23:27:20 | 社会
 神奈川県相模原市の 障害者施設で、元職員の 男が 入所者の 障害者を 19人殺害したという事件から一年がたった。

 その時のことはあまりにも衝撃的なことで、 今でも明確に覚えている。その後の様々な報道で 被疑者が 若く、また 当該の施設の職員であったということに驚いた。しかも かつては 周囲の友人達にもそのような 素振りはなかったのに、ある時期から急に 障害者を差別するような発言、或いは この世から抹殺すべきというような発言が出始め、同時に 大麻も その頃からやっていたという。
 事件から1年も経つのに まだ公判が始まっていないというのは 一体どういうことか。こういう常軌を逸した事件が起こると必ず出てくるのが、精神的な問題が背景にあるのではないかということで、 精神鑑定を行うということだ。それに時間がかかっているのかどうか 分からないが、早く 公判を始めて、法的な裁きを 行うべきだ。もちろん 普通に考えれば 死刑以外の 判決は ありえない。でももし精神鑑定で 通常の 思考能力がないと いう判定がなされれば、場合によっては 無罪放免だってあり得る。
 もちろんそんなことは どんなことがあっても 許されないと思うし、如何に死刑反対論者であっても、 証拠か完全に揃っているような、尚且つ 鬼畜のごとき情け容赦のない 凶悪事件であることを考えると、 死刑以外の選択肢が ありえないということは、論理的にも 心情的にも 理解できるはずだ。
 今日の テレビのニュースや 新聞報道でも、 1年経った今現在の 被害者の家族な発言などが取り上げられ、死亡はしなかったものの、重症を負って 助かった障害者本人が 受けた心の極めて大きな 影響についても 報じられていた。
 こういう事件が起こる 背景には 世の中にある、差別思想、 選民思想、 そして 優生思想があると思われる。もう100年以上も前に西欧の学者だったか、優生学について 系統立てたと言われるが、その根底には、歴史的に 常に 優位な立場にあった 白人たちの 選民思想があったからこそだと思われる。
 この日本でも戦後の長い間、「優生保護法」という名前の 法律が 施行されていて、実際に 知的障害者たちに強制避妊手術を 行なっていたという闇の歴史がある。つまり 国家自体が、知的であれ、身体的であれ、障害者そのものを 社会的に 問題がある存在として捉え、そういった障害が 広がらないようにするという 誤った考え方に 基づいて、強制避妊手術などを 行なってきた。まさに国家による 差別であり、 優生主義であり、 障害者の 抹殺行為である。
 今は法律の名前が 変えられたけれども、その基本的な考え方は 脈々と官庁の中だけでなく、国民の間にも 相当な割合で 根付いている。実際 ネットを見ると、障害者だけではなく、韓国朝鮮人や黒人などに対して、或いは 沖縄の人たちに対して、かなりひどい 差別的な 発言が溢れかえっている。先程ニコ動で 久しぶりに この事件の 動画を見てみたが、コメントが 大量に 流れていき、その中に 犯人に対して、よくやった、とか 障害者は抹殺すべきだ、とか、 このようなコメントをが 次々に流れていく。もちろん これを真っ向から 否定し批判するコメントも多くあるが、匿名性をいいことに 自分が 偉いのかどうか知らんが、まさしく選民思想に凝り固まった 優生主義を世の中に流して、自分は 大物だと言わんばかりのゲスな人間が いかに多いことか。
 日本という国は、よく外国から 安全で 清潔で 皆さん親切で、 とても良い国だ 、といった評価が なされるけども、そんなことを言われて喜んでいる馬鹿は ほんまに能天気としか言い様がない。上辺の 状態だけで 良い国だと思われて 悦に入っているなど、愚かとしか言い様がない。
 実際には 今回の 事件に限らず、普段から 企業社会や 学校社会や 地域社会、 家族社会 などなど、 様々な場所で差別、餞別、 あいつよりは上、といった 発言やトラブルや内面的な 動きで満ち溢れている。
 障害を持った人たちが なぜ 不必要なのか、抹殺されるべきなのか、そしてまた実際に、国がそのようなことをやってきたし、表面上は やめても、国民の中に そのような思想が 蔓延しているということについて、責任を感じてる奴が いるのか。また説明した奴がいるのか。
 障害を持った人たちは 支援学校という 教育の場で 学んだ後、 いやが応にも社会に出ることになるが、大半の人たちは 今回の事件があったような 障害者施設で 活動するか、或いは 在宅のまま地域で過ごしていくか、いや地域ではなく家の中だけで過ごしていくか、というのが実態だ。 軽度の障害者は ごくわずかだが、民間企業に 採用されることがある。 一応法律で 一定の 従業員数以上の 企業は、全従業員数の 2%を障害者雇用しなければならないという法律がある。 実際に 積極的に 採用している企業もあれば、この法律を守らない企業もたくさんある。 守らない企業は何をするかというと、国に罰金を払う、 それでおしまい。
 障害者の施設では やはり障害者も 働いて、その対価を得るという 大事な役割があり、あちこちから 下請けのそのまた下請けの 小さな仕事を、やっとのことで 取ってくる。軽作業が中心だが、毎日働いて 障害者たちが獲得する 賃金は 驚くべき少額である。しかもそのような 軽作業でさえ 100円ショップが台頭してきて、今仕事を 取ってくること自体が 困難な状態にある。それでも 障害者たちも 施設の職員たちも、懸命に 励ましながら仕事をしている。そこには当然 働いたという喜びもあれば、日々の コミュニケーションを通した 喜怒哀楽などもある。 障害者だから 表情も何もないということは 決してない。れっきとした 一個人であって、日々を懸命に生きていることには 間違いない。そういった意味では 我々と 同じだ。
  1年前の事件は 1個人が起こしたものではあるが、 その周りには人々の中に ある 優生思想というものが、そしてまた選民思想という厄介な、人を差別し 見下す考え方が染み付いてしまっている、という実態がある。
 こういったことは もっと積極的な形で 啓蒙活動が必要だし、障害者施設そのものが もっともっと ニュースなどでも取り上げられて、懸命に 生きている人々を 紹介するというのも大事なことだと思う。
 この話については自分自身が 支援学校に勤めた経験もあり、まだまだ言いたいことが 山ほどあるが、 とりあえずはこの辺りにしておく。
 それにしても 一刻も早く、狂気の殺人犯を 法廷の場に 引きずり出し、法の裁きを 受けさせるべきだ 。あまりにも時間取りすぎだ。
コメント
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