12月 13日
荒川区と釜石市の歌つながり。
アタイ、荒川区の「第九演奏会」に参加して8年です。
釜石市と荒川区は友好都市交流を結んでいることは知って
いましたが、そのきっかけについては知りませんでした。
キッカケは音楽・歌だったんですよ。
荒川区政50周年記念(1982年)として、歌を区民募集し、
決まったのが「あらかわ~そして未来へ」という歌です。 その歌が
素晴らしいということで、釜石では「この町そして未来へ」と
タイトルを変え、歌詞を少し変えて歌われるようになっていたんだ
そうです。
それは、荒川少年少女合唱団の設立に尽力された、渡邊顕麿先生が、
転居された釜石で広められ、市民の歌として親しまれたそうです。
先生が亡くなった後でひょんな事からそのことが解った釜石市から
「著作権のこともありますので、どうしましょうか?」と荒川区に
相談があり、荒川区では、作詞者・作曲者に了解をいただいた上で、
「どうぞお使いください」でした。
以来、釜石市と荒川区は防災協定も結び、友好関係が本格的に
なっていったんだって。
震災・津波の被害が大きかった釜石へ、今年は無理のないところで
応援しようと、第九演奏会当日にメッセージを交換しました。
なにしろ、「かまいし第九」は13時半~ 「荒川第九」は15時~
演奏でしたから、多少のズレはありましたが、ほぼ同時刻に演奏会
だったんですよ。
荒川第九団員は義援金、お客さんへは募金をお願いして、多くの方に
賛同していただきましたよ。
震災以後、私たちには日常生活が戻っていますが、被災者の皆さんは、
まだ何も終わっていない、まだ何も始まっていないという状況だそうです。
つうことで、本番(一昨日)第九を歌ったあと、客席といっしょに
「あらかわ~そして未来へ」を歌いました。
1番は釜石市の詩で、2番は荒川区の詩で歌いましたよ。
シンプルなメロディで数回聞けば、誰でも覚えられます。
んで、第九本番当日、アタイの動きについては明日からカキコします。
荒川区と釜石市の歌つながり。
アタイ、荒川区の「第九演奏会」に参加して8年です。
釜石市と荒川区は友好都市交流を結んでいることは知って
いましたが、そのきっかけについては知りませんでした。
キッカケは音楽・歌だったんですよ。
荒川区政50周年記念(1982年)として、歌を区民募集し、
決まったのが「あらかわ~そして未来へ」という歌です。 その歌が
素晴らしいということで、釜石では「この町そして未来へ」と
タイトルを変え、歌詞を少し変えて歌われるようになっていたんだ
そうです。
それは、荒川少年少女合唱団の設立に尽力された、渡邊顕麿先生が、
転居された釜石で広められ、市民の歌として親しまれたそうです。
先生が亡くなった後でひょんな事からそのことが解った釜石市から
「著作権のこともありますので、どうしましょうか?」と荒川区に
相談があり、荒川区では、作詞者・作曲者に了解をいただいた上で、
「どうぞお使いください」でした。
以来、釜石市と荒川区は防災協定も結び、友好関係が本格的に
なっていったんだって。
震災・津波の被害が大きかった釜石へ、今年は無理のないところで
応援しようと、第九演奏会当日にメッセージを交換しました。
なにしろ、「かまいし第九」は13時半~ 「荒川第九」は15時~
演奏でしたから、多少のズレはありましたが、ほぼ同時刻に演奏会
だったんですよ。
荒川第九団員は義援金、お客さんへは募金をお願いして、多くの方に
賛同していただきましたよ。
震災以後、私たちには日常生活が戻っていますが、被災者の皆さんは、
まだ何も終わっていない、まだ何も始まっていないという状況だそうです。
つうことで、本番(一昨日)第九を歌ったあと、客席といっしょに
「あらかわ~そして未来へ」を歌いました。
1番は釜石市の詩で、2番は荒川区の詩で歌いましたよ。
シンプルなメロディで数回聞けば、誰でも覚えられます。
んで、第九本番当日、アタイの動きについては明日からカキコします。