たまおのページ

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また同じことをかきこ

2024年03月10日 | Weblog
 3月 10日

 また同じことをカキコ。

 明日であれから13年ですねぇ。あのときは宇都宮市にいました。東京が
どれほど揺れたのかはわかりませんが、宇都宮は福島と東京の中間ぐらい
ですから、東京よりも揺れが激しかったと思います。
 夢に出てきたりはしませんが、この時期になると思い出しますね。

 地震発生のときは会社の事務棟にいたんです。機械棟ならどんなに揺れても
安心なんですが、古い事務棟でしたから倒壊するかも?なんて思いながら
机にしがみついていました。

 16時20分に東武宇都宮駅近くにあるホテルにチェックイン。これが17時を
過ぎていたら泊まれなかったでしょうね。すぐに食べ物と着替えを買うため
ホテルの隣にあるコンビニへ。この時点ではまだ商品はたくさんありました。
 ホテルの部屋で休憩しながらTVを見て、そうだ明日の昼食分も買って
おこうとコンビニへ行ったら、簡易に食べられる食品は売り切れていました。
コンビニからホテルに戻ったら、ホテルのロビーには人が溢れていましたよ。あぁ、早く動いて正解だったなぁ。って思いました。

 発生は金曜日、夜は余震で眠れませんでした。土曜も交通機関は動いて
いません。JR宇都宮駅まで歩いていって、タクシー乗り場に行ってみたら
長蛇の列。そうだ相乗りする人を探そう。「東京方面に行く人はいません
かぁ?」そしたら40代ぐらいの女性が2人手を挙げてくれたので、3人で
列に並んだのですが、タクシーが東京まで行ってくれないんです。(長距離
だと帰りの燃料を補給できないので行かない)

 並びながら困ったなぁと思っていたら、「東武線は浅草から南栗橋までの
運行を始めた」と、誰かが話しているのが耳に入ったので、一か八か南栗橋
まで行ってみることにしました。
 1時間か2時間並んだのかなぁ?やっと順番がきてタクシーに乗り込み
南栗橋へ。ノロノロ大渋滞の日光街道を2時間ぐらいかけて南栗橋到着。
東武線が動いていましたぁ。

 夕方に帰宅。我が家のご主人はアタイより遅く帰ってきましたね。なん
でも会社に泊まったそうです。
 ある程度冷静になる時間があったほうがいいですよね。アタイも後で
考えましたよ。宇都宮でもう1泊すればよかったなぁ。(食べ物を確保できて
れば)なんてね。

 被災者に比べれば、それほどタイヘンな体験ではなかったけれど、でも
貴重な体験ではありました。(^^)/
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