カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

928.天気予報はどれが当たるか ― 雨のち晴れのち風のびわ湖

2019年09月27日 | Weblog

先日、どれを信じて良いのかわからない天気予報の日に、「チーム・気まま」でびわ湖を漕いだ。雨のち晴れ、無風のち強風の日のびわ湖の記録。

 

前日、明日のびわ湖の具合はどうかと予報サイトを調べると、3社とも北西の風、午前曇りで午後は晴れ。それは良かったのだが、風の強さが、K社:3ⅿ、Y社:5ⅿ、W社は何と8ⅿ! 8メートルの風は「チーム・気まま」の規定によれば即、中止だ。しかし3メートルなら当然漕ぐ。

で、いったい、明日はどうすれば良いのだろう。と思案の晩が明ければ、どの予報も風は収まっている。では決定。今回は、「あの店でカレーを食べるために往復10キロ漕ぐ」、の大看板。

出艇はちょっと変わった出方で。びわ湖では浜から直接漕ぎだすことが多いが、時々小さな川から出ることもある。今回の川は、「川」と言えないほどの小さな流れ。名前などないのだろうと思われる小さな川だが、国地の地図にも立派に名前が乗っている。

 

水溜まりにたまたま小さな瀬ができただけ、と言いたいほどの流れだが、今日はこの流れに乗ってびわ湖に出る。浅いが、そこはパドルさばきも鮮やかに見事にびわ湖に浮かぶ。

出艇前には小雨が降っていたが、じきに青空が見えてくる。

 

予報通り、風は穏やか。先月まではさぞかし賑わっていただろう、と言う浜には今は誰もいない。プレジャーボートも姿は見えず、貸し切りのびわ湖には「チーム気まま」だけ。湖面を騒がすのは時々跳ねる鮎の群れ。10センチに満たない鮎がカヤックの中に入って来た。写真に撮ろうと思ったのだがピチピチと飛び跳ねているので片手で押さえ、片手でカメラのスイッチを入れている間に、逃げてしまった。残念! 

今の時季、産卵のため遡上する小鮎が群れをなして湖面を騒がす。以前この時季には、小さな川にも岸の浅瀬にも、黒雲が湧くように鮎の塊がいて、産卵し終わった鮎の死骸が累々と続いていたのだった。しかし今回は数が少ない。これからなのか、場所が違うのか。それとも鮎の数そのものが少ないのか。

程なくしてこの辺り、少し行けば水泳場もあるが、少し行けば世捨て人が暮らしていそうな静寂の浜もある。

 

こういう木杭はびわ湖の襟飾り。浜と湖水の水辺を飾る。びわ湖の光景の中で、最も気に入っている眺めだ。

ではその光景の中に溶け込もう。

 

こんな水辺でゆっくり時を過ごすのは金のかからない贅沢。満月の夜に漕ぎだせば至福の夜。オリオンを横ぎる流れ星を見たら、もう、ここは天国かと思うに違いない。そう言えばここ何年か、月見漕ぎをしていない。宵の明星漕ぎも、明けの明星漕ぎもしていない。そろそろナイトパドリングがしたくなった。

内湖に続く小さな入り江にこんな花が咲く。

 

コウホネ。以前はもっとたくさん咲いていたと思うのだが、時季が終わったのか、早かったのか。あるいは数が減ったのか。黄色い花の咲く水草の中には大繁殖して駆除が追い付かない外来種もあるが、このコウホネはつつましく、種によっては絶滅危惧種に指定されている仲間もあるようだ。澱んだ水に、ロウソクのような灯りを灯す、可憐な花だ。

 

静かな水辺が続く。こういう木杭は水辺の暖簾。 暖簾は、扉のように内外を完全に断絶するのではなく、かと言って開けっぴろげの丸見えでもなく、見えてはいるが中と外の境がここにある、と示す絶妙な境。そんな暖簾のように、この木杭も波と風とを通しながらも母なるびわ湖と幼い水辺の境がここだと示している。

今回のツーリングはどこまで行っても穏やかな岸が続くコース。途中小さな流れが岸に切れ目を入れるが、そんな切れ目を目指して小鮎が群れる。写真ではわからないが、アユたちが右往左往している光景はこの時季ならではのびわ湖だ。

 

ヒガンバナの群生地があるこの辺り、漕いでいても赤い絨毯が見えるはずなのだが見かけたのはたった1本だけ。そろそろ咲いて良い頃なのだが。例年なら漕ぎながら赤い絨毯が楽しめるのだが、今年はどうした事だろう。 

 

急いだ訳ではないのにもうランチの店の前に来た。久しぶりにカレーを食べるためにわざわざ漕いでやって来た。

以前、沖島に佃煮屋があった頃(今も他の店はあるが)、その店の佃煮を買うためにわざわざ往復4キロを漕いでゴリやアユを買いに行った。そんな事をしたのも「チーム・気まま」だった。今日はここのカレーを食べるために、10キロを漕ぐ。

ランチにはまだ早い時間だったが既にテーブルには4人の客。変わらぬ佇まいの店、薪ストーブも、湯呑みに入ったラッキョと福神漬けも、アラジンの魔法のランプを想像させる容器に入ったカレーも、どれも昔と変わらない。自分達の事はさておいて、マスターもちょっと老けたかな、とは気ままなメンバーの弁。私たちもそれなりに時を重ねてきているのだが。

何度も来ている所は写真を撮るのを忘れる。「変わらない」とは言え、その都度の1枚1枚が新しい歴史となると言うのに、うっかりしたことだ。ゆっくりとした時を過ごし、昼のまだ早い時間に店を出た。

 

午後は予報通り? いや、予報では午後も風がないはずだったが、湖面がざわついている。沖には白波が立ち始めたが北西の風の日のこの辺りの岸辺は波が立たない。帰りは寄り道せずに押す波に乗って思いの外早く元の浜に着いた。

出発の時に漕ぎ出した小さな流れを遡って岸に着けようと試みたが、浅すぎてパドルが捌けない。そんな小さな瀬の先は小さな瀞場。あ、何かいる。見ると小鮎が群れを成して大騒ぎしている。網を持っていれば取り放題。佃煮に、かき揚げに。と言いたいところだが、今は獲ってはならない時期。勝手に獲っているのはサギと鵜だけだ。

 

写真ではわからないが、塩焼きサイズの物もいる。あれも鮎だろうか。水位が上がった時にここに入り、水が引いてびわ湖に戻れなくなったようだ。元気な内に帰れると良いのだが。

岸に上がると沖の水面が黒くささくれている。けっこう風が吹いているようだ。往復10キロ程の距離だったが、何とも漕ぎやすいびわ湖で、いつになく早く終了した。こんなに早く帰るのはもったいない、と漕ぎの途中で見かけた店でコーヒータイム。いいびわ湖漕ぎだった。

 

雨のち晴れのち風のびわ湖。木杭も小鮎もカレーもコーヒーも、いい日のいいびわ湖を演出してくれた。みんな、みんなにありがとう。

 


927.伊勢と熊野を繋ぐ道 ― つづら折れの峠道

2019年09月21日 | Weblog

台風が去ったと思う間もなく、遠くの海ではまた台風が発生したらしい。海にはそこそこの波が立ち、空には見事な青空が広がり、峠には里の暑さがウソのような涼風が吹く日に、それではと熊野の峠道を歩いてきた。そんなある日の記録。

 

伊勢と熊野を境する峠、ツヅラト峠。近くに別の歩きやすい峠道があるが、古くはツヅラト道が使われていたとのこと。世界遺産にもなっている道はどんななのだろう、と歩いてみる。どの道もどの山も、いろいろなコースがあれば行き方もある。ペルーでは4000メートルを超える峠をバスで行った。マチュピチュは10日もかけてインカ道を歩いて行く人もいれば、目の前までバスで行くこともできる。

ではこの峠道はどんな風に攻めようか。10キロか、15キロか。と、思案して、結局、世界遺産部分にちょいと花を添えた距離ほどにした。達人なら2時間? 1時間?  そんな早く終えたのではもったいない、とたっぷりと時間をかけて楽しんだ。今回は伊勢側から上り、熊野側へ下りる。

今日ご一緒するのはバルトさん。まずは山の小さな神様にお邪魔しますの挨拶から。

 

この神様、最初にお参りしたのは5年前の冬。あれから幾度の雨風が襲ったが、山も神様もご無事だっただろうか。歩き慣れた人はここまでずいぶん歩いてきて、ここで一休みする辺りなのだろうが、私はここから出発する。

道はよく整備されていて迷う事もない。しかし公園の遊歩道と思うのはしばらくの間で、じきに古道らしい道となる。

 

いにしえの女衆はこんな道を、壺装束で伊勢を目指したのだろうか。急ぎ旅の男衆は手甲脚絆で熊野を目指したのだろうか。

 

名もない小さな山道は時には崩れていたり、落石があったり、分岐がわかりにくかったりするが、「熊野古道」として紹介されている道はどこも安心して歩ける。整備している人たちのおかげだ、ありがたい。礼を言わねばならない。

こんな道もご愛敬。木の根階段。

 

荷坂峠道ができてからはそちらがメインになったと言うが、なるほど、こちらの道は難所ではないが荷坂よりは険しい。息を切らせて登ってしばらくすると、峠のこんな景色で癒される。

 

秋の澄んだ空気は10キロ離れた島も近くに見せる。大島、先日、あそこへ行こうと誘われたのだが、何だかんだで行かず終いとなった。初めて行ったのは、あれはカメラさんやペンタさん達とだった。「ロウソク岩」と名付けた高い岩があった。もう、7年も前となったのか。今度、また行こう。

見晴らしの良い展望所、漕いだ島、漕いだ岬を下からも上からも、と記憶と記録に残す。ゆっくりと景色を堪能し、そろそろと言って下り始める。

 

途中何ヶ所かに野面積みの石垣がある。粗野な趣が古道に相応しい。縦の石があれば、横の石もある。熊野古道で時々見かける石畳。

 

「ヒール」なんぞと言う物が存在しなかった時代には泥濘よりは歩きやすかったのだろう。しかし捻挫に注意が要りようだ。山道の途中で小さな祠があった。

 

山神様がおいでになる所はいろいろだ。小さいながらも立派な社だったり、石を積み上げた祠だったり、岩の小さな窪みだったり、雨ざらしの道端だったり。石の姿だったり、丸太だったり。そうそう、男性が自分の奥さんの事を「山の神」などと呼ぶこともあった。山の神は人の姿にもおなりになるようだ。

 

もうずいぶん下って来た。短い距離にしてはだいぶゆっくりしてきた。木の根の、幹の、石の形の、色の、どれとして同じではない、同じではない日のささやかな違いを記録することが私の楽しみである。だから、時間がかかる。

まだまだ暑い日ではあったが、峠の道は尾根風が心地良く、麓に下りれば水音高い渓流が涼を呼ぶ。流れのそばにこんな仏様がおいでになる。

        

中においでになるのがご本尊? 外にお立ちのお地蔵さまは脇仏? プライバシーどうのこうのと言う時代、あまり覗き見するのは失礼かと思い、ここでやめた。蛇やムカデや蜘蛛や蜂が怖かったからではない。この先、平坦な道を行き、熊野古道のお手軽峠ハイクは無事終了した。古道はどの道も平らな一直線の道ではない。折れ曲がり右に左にを繰り返しているが、この道は、「ツヅラト」の名に相応しく、本当に99回は曲がっているだろう。

終了したところで、まだ元気が残り、昼からはこんな所へも行った。

 

海を見下ろす高台にある神社。歴史は古いようだが、建って何百年も経つと言う社殿ではない。意外と、と言っては罰が当たるかもしれないが、意外ときれいだ。 入ってすぐに楠の巨木がある。

 

幹回りは10メートルを超すと言う、樹齢900年とも、1000年とも言われる古木の幹はその歴史を折りたたむかのように深い皺が幾重にも重なっている。1000年と言う時間を一目にして教えてくれる木。 地元の人が草取りをしていた。近くに行って話を聞く。仕事の手を止めて語る話にこの地区の時代の移り変わりを垣間見た。

近くにこんな物があった。

 

水準点を示す古い覆い。錆びて、いつの時代からの物かわからないが、マンホールのような蓋に絵柄が付いているのが珍しかった。日本列島と、ヘルメットを被り測量機械を動かしている作業員のような画。かなりの錆び様。千年の大楠には及ばないが、これもまた歴史の生き証人なのだろう。お仕事、ご苦労様です。と言って後にした。 

帰りにこんな所に寄った。

 

マンボウたちは今日も元気に空を泳いでいた。やっぱりマンボウは青い空に限る。

 

良い日だった。終わってみれば倍は歩けただろうと思ったのだが、次の日、珍しく筋肉痛が起きた。伊勢と熊野を分ける峠道は、そう、甘い道ではないようだ。

 


926.二つの第一目的 ― スズメとハート

2019年09月19日 | Weblog

先日、残暑厳しいある日、出直しの洞門くぐりに行って来た。8年前に初めてピアスさんとくぐった洞門、去年の冬にクマカラさんとそばまで行ったのにくぐれなかった洞門。その洞門にまた行きたくて、行って来た。そんな残暑の日の記録。

 

9月に入ってもまだまだ暑さは続き、陸では涼風が吹いても海はまだ暖かい。まだ十分に潜れる。洞門くぐりが第一の目的だったが、シュノーケリングも又、第一の目的だった。去年も今年も、シュノーケルを使いはしたが、存分に使う機会がなかった。今回が今年最後の海中散歩になるかと心して出向いた。集合の公園には桜が咲いていた。

 

秋ごろに狂い咲きする桜や、毎年11月に咲く早咲きの桜はあるが、まだ「熱中症」と騒いでいる時季に桜とは驚いた。桜の体内時計を狂わせた天候は、人の体内時計にも影響するのだろう。連日のだるさはこの時計の狂いからだろうか。

さて、集まってからどこから出艇するかで協議が始まる。「暑いのですぐにでも海に入りたい」や「午後から雷雲でるらしい」とか、ならばそのどれも考慮して漕ぎだす浜が決まった。

 

漕ぎだせは穏やかな海、青い空、白い雲。夏の景色が早く潜ろうと誘う。ではさっそくに、と漕ぎだして間もなくの浜に上がってシュノーケリング。「もぐる」と言っているが、正直言うと、私は泳ぎもままならないが、もぐれない。それでも浮いたままで覗き見る海の中はやはり竜宮城。

 

鯛もヒラメも舞い踊ってはいなかったが、お馴染みのスズメダイが歓迎してくれる。前回の海では、まさしく竜宮城の乱舞が見られたのだが、悲しいかなカメラが壊れ記録に残せなかった。今回はささやかなもてなしではあったが、今年最後になるだろう水中(水面)散歩に彩を添えてくれた。ありがとう魚たち。体の火照りも収まり、お昼には早すぎる昼食をとり、白く湧きあがる雲に押されてまた漕ぎだす。

 

遊んでおいきよ、と言わんばかりにパドルを引き留める海。海はどんな色で引き留めようか算段するが、ちょいと先を急ぎますので、と誘惑を振り切って先へ進む。じきにこんな物が目に入る。

 

岩の上の鳥居。珍しい物ではないが、何と言う神様かと気になる。鳥居の他に見える物はなかったが、この海の幸と無事を願う気持ちを受け止めてくれる神がおいでなのだろう。どこぞの神様、今日の無事をお守りください。と手を合わせる。

 

遠くまで見渡せる海。あの島行った、あの岸漕いだ。あの浜でキャンプして、あの山を歩いた。懐かしい思い出が蘇る。 岩に張り付いた貝を獲ってみそ汁を作ってくれた人はどうしているだろう。漕ぎながら船酔いしたあの人は、まだ海を好きでいてくれるだろうか。次第に後ろになる思い出に浸りながら漕いでいると、首が痛くなる。

そろそろあの洞門が見えるころだ。

 

熊野の海を漕ぐ人なら一度はくぐったことがあるだろう、この洞門、天満洞。初めてくぐったのはもう8年も前となった。ピアスさんとくぐった日の事をご存知の方は、どれ程おいでだろうか。キャンプの朝、わざわざちょっと先の集落まで「卵かけごはん用卵」を買いに行ってくれた人がいた。ゆったりと時間を送る楽しみ方を知った日でもあった。

そんな海のこんな洞門。

 

去年の冬に来た時にはうねりが入って、くぐることができなかった。ではでは、8年ぶりにくぐるとしようか。

洞窟の出口や洞門の天井から見る外界は少しおどろおどろしく、大いに神秘的だ。「漆黒の明るさ」、相反する言葉のようだが、暗さが一層の光を作る。何度経験してもその暗さと明るさがどの一つも同じではなく、夢幻の劇場だ。

今回の第一目的を二つ済ませ、広がり始めた雨雲を少し気にしながら、あの島もちょっと気になるので、とあの島に向かう。

 

こんな形の島(岩)は海ではよく見る。ライオンのような、スフィンクスのような、ラクダのような。見る位置で七変化の姿となる。

近づくと、おや、あんな所にあんな物が。

 

上がるに難儀しそうな岩の上に鳥居が建つ。その横には「二又神社」の幟が。見れば島の頂上辺りに小さな祠のような物もある。どんな神様なのかわからなかったが、海の幸いを守ってくれる神に違いない。私たちもカヤックの無事を願って手を合わせる。この先へも行きたかったのだが、午後の雷予報が気がかりだ。そろそろこの辺りで引き返すことにしよう。

帰りは一気に行くとしても、この洞門は通り道、くぐらない訳にはいかない。

 

行きに通った時と形が違って見えるのも、洞門の面白さ。この日、うねりが無かったことは本当にありがたかった。

世の中に「ハートの〇〇」と言うのはいろいろある。「ハートの入り江」と言うのがあるが、う~ん、ハートと言えばハートだが、ちょっと苦しいな、と思う入り江だ。ここは「ハートの洞門」と言えなくもないか。

そうこうする内に、遠くの空から雷鳴が聞こえてきた。これまでに2回、カヤックで漕ぎだして雷に追いかけられたことがある。いずれも、「他のメンバーはどうなってもいいのでとにかく自分だけは助かりたい」と必死で漕いだことがある。(みんながそう思っていたようだったが)。 そんな事で、今回も私は焦って漕ぎだしたが、相方さんはのんびり構えている。じきに雷も消え、どうやら私が読みを焦ったようだった。とにかく、無事ゴールして、ほっとした。

 

第一の目的、今年最後のシュノーケリング。もう一つの目的も第一だった洞門くぐり。スズメダイとハートの洞門。どちらの目的も果たすことができ、いい海漕ぎの日だった。 次の海はどこを漕ごうか。