カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

897.親愛なるメルへ ― 秋のSRJK

2018年11月14日 | Weblog

親愛なるメルへ

秋色が日ごとに濃くなる今日この頃。ご無沙汰しておりますがお元気ですか? お元気ですね。

先日、友人が「SRJKに行きたい」と言うので、3年ぶりに行ってきました。実は1年前に、他のメンバーのサポートで行くだけは行ったのですが、漕がずじまいでした。

今年、湖水に映る紅葉は昔と変わりなく、でも3年の時間の過ぎ去りを語っていました。そんな秋の日のSRJKを、久しぶりのメルへのお便りでお伝えします。

家から2時間の道のり、久しぶりの道には以前あったはずの店がなくなり、田んぼだった所に団地ができ、3年と言う時間は世の中を、私の道のりを変えるにはずいぶん長い時間のようでした。

SRJKに行ったなら必ず見に行く所があります。まずはあの「水琴窟」。水が滴っていなかったので、琴の音は聞こえませんでしたが、まだズンと踏ん張って湖面を見下ろしていました。そう言えば、ここでキャンプ、しましたね。シカの目が光って、可愛くもありちょっと不気味でもありました。 

進水式のスロープ、あそこは途中が崩れていて通行止めになっていました。それはまた後でお話しするとして・・

次は「鬼の涙石」。湖の水位がさほど下がっていなかったので、あの大石は見えませんでした。

 

後でゆっくり探してみましょう。

そうそう、大発見。以前「リスノコシカケ」があった木に、新しく「二代目リスノコシカケ」ができていました。この湖に来る楽しみの一つだった「リスノコシカケ」。それが消えてからも、いつかまた会えそうで時々見に来ていた木でしたが、立派な腰掛ができていました。

 

これがどの位大きくなるのか、また新しい楽しみができました。他にも幾つかの昔馴染みに挨拶して集合場所へと行きます。

今回のメンバーは3人。覚えていますか、「チェブロ」さん。この夏、一人でびわ湖一周を、さりげなくやりましたよ。メルが会ったのは何年前になるのでしょう。年々パワーアップしています。 もう一人、「ネイサン」さんは相変わらずです。

みんな支度が整ったようです、ではさっそく漕ぎだしましょう。

 

水辺の木々は色づき始め、とろけるような湖面にその姿を映します。 春には山桜の枝がカヤックに覆い被さる湖面ですが、今は柿の小さな実が枝垂れています。

 

いつだったか、ここの桜が見事に咲いた日に、「仕事は年中あるけれど、桜はあと2,3日。仕事なんかしてる場合じゃないですよ、明日にでも見に行って下さい」と唆しましたね。 でも今年の紅葉はまだ始まったばかり、あと10日は楽しめるでしょう。ゆっくりと見に行って下さい。

以前はあった、水中に立つ電信柱。今回は見つけられませんでした。あれから何年も経ち、倒れて湖中に沈んだのか、水位が上がって潜っているのか。 あの電信柱も、ダム湖の歴史を語る、私の大事な友人なのです。見かけたら、私が会いたがっていたとお伝えください。

探している内に、じきにダムに着きました。

 

穏やかな湖面。いつも思うのですが、今使っているカメラは青が、よく言えばきれい。悪く言うとどぎつい。以前使っていた別のメーカの物は、緑がきれいでしたが、これも天気が良いと、きれいすぎてペンキのように写りました。これは、カメラのせいか、私の腕、調整が悪いせいか。メルが近くに居たなら聞けるのですが。

細く入り組んだ湖水は手前の岸と対岸の岸が被さって、どこから来たのか、どこへ向かえば良いのか、迷路に閉じ込められたようです。

 

キツネに化かされた話はきっと、こんな迷宮の水辺でできたのでしょうね。何度来ても出口がわかりません。ただ水辺に沿って行けばスタート点に戻れると言う漠然とした安心感だけがコンパスです。

そんな迷路もここまで来ればもう安心。

 

朝見た、「鬼の涙石」の小路です。この辺りとおぼしき所の水面を覗き込んでも、青磁色の湖にはその姿を見つけることはできません。

覚えていますか、この石。初めて見たのは9年前の夏の日。そうですあの『鬼の涙石』の伝説が生まれた日です。翡翠色の湖水に、まるで浮かんでいるようでした。その後、大渇水の秋の日には岸辺からずいぶん上に掲げられ、磐座に鎮座する岩神様のようでした。もしかすると、遠い昔に弘法大師の杖が刻んだ「水封じ」の念仏が書かれているかもしれません。もし行ったなら確かめて来て下さい。

そうこうする内にもう、ランチの岸に着きました。SRJKは岸のすぐ近くに駐車できるので荷物を運ぶ手間がいらず、ここでのランチはいつも盛大です。

 

盛大、と言うほどでもないでしたね。でもメンバーがそれぞれ持ち寄った具材で「なんちゃって豚汁」大会。鍋の蓋が閉まらいほどに持って来た物全部押し込めて、これだけで、もうお腹いっぱい。 通りかかったハイキングの人たちが珍しそうにのぞき込んでいました。

いつもこのメンバーでのランチの時は、誰が何を、と決めなくても誰かが果物を、誰かがスイーツを、そして誰かが「お飲み物」を持ってくるのです。ところが今回は誰も「お飲み物」を持って来ず、背中が暑くなるほどの日差しの日には、ちょっと後悔の水分補給でした。もちろんノンアルですよ。 そう言えばメルはマッコリが好きだと言っていましたね。ノンアルのマッコリってあるのでしょうか。

エネルギー補給もたっぷりとして午後の部再開です。

 

この橋、きれいになりましたね。以前の色よりずいぶん濃い青になりました。見慣れた色と違うとちょっと違和感があるのですが、これも又SRJKにはもっともな色なのかもしれません。 

何年か前、瀬田の唐橋を塗り直す時、あの色が良いの、この色が良いの、濃いの、薄いのと議論されました。今の色になって間もない頃はなんだかぎこちない橋でしたが、何年か経つとこの色が一番落ち着いて見えてきます。

人の目がその色に馴染んでくるのと同時に、その色も又、自分の置かれた環境に馴染むよう努力しているのかもしれませんね。青空にも負けない鮮やかな橋でした。

青い橋をくぐってくと、こんな岩。この岩は私のお気に入りの岩です。

 

日差しの強い時にはこの岩に水紋が揺らめくのです。チェブロさんが岩の色の違いを指して「いつもはあそこまで水が来ているんだね」と言うので「そうだね」と軽く返事をしたのですが、よくよく見ると、左右で色の高さが違うように見えるのです。 もしかしたら地層の違いかもしれませんね。

その先はあのフェンス。デッキに上がらなくても通れました。ほんの少し隙間があったのです。昔?「ネイサン」さんと来た時は私が上がりました。「コーヒー牛乳」さんと来た時はあの人が、「サッチモ」さんと来た時は・・

いろいろな人が上がりましたが、一番クールに上がったのは、やっぱりメルでしたね。でしたよ。

 

その先は、益々湖面は穏やかに、益々色づきが増してきます。柱状節理の前で写真を撮ったことありましたね。岩の割れ目から生える木は、今も頑張って枝を伸ばしていましたよ。

岩と言えば、両側から切り立った岩の間を行くと、「ゴルジュ」と言う言葉を思い出します。初めてメルからその言葉を聞いた時、なんて洒落た響きだろう、とそんな言葉を知っているメルを、ちょっと尊敬したものでした。

最近は私も少しは物知りとなり「ノジュール」なんて言葉も使うのですよ。岩は冷たいようで暖かな思い出がありますね。

湖面は次第に狭くなり、ここはもう川です。

 

いつだったか、この絶壁に登っている人を見ました。何が面白くてそんな危険な事をするのでしょうね。と言うか、そう言えばメルも川沿いの崖を登って飛び込みをしていましたね。これは失礼。

 

行動の滝も見えましたよ。

 

目では見えたのですが、水量が少なかったので、写真には写っていません。木々の奥に高く落ちる滝があるのですがお見せできなく残念です。もっと水位が上がっていた時にはもっと滝の落ち口に近づけたのですが、今回はここまでです。

羅漢の滝も、岩肌がしっとり濡れるくらいでした。もっと上方まで行けば流れ落ちる滝が見えたかもしれませんが、ここも水位が低いので近づけません。

その先は、次第に水音が高くなり、お待ちかねの場面が現れます。

 

水位(貯水量)と流入量の絶妙なバランスが合うと私でも堰堤の向こうに行かれるのですが、今回は上がれませんでした。メルならお茶の子さいさいですね。でも、魚道には入ってはいけませんよ。あ、知ってますね。これまた失礼。

これは知っていましたか? 進水式の水中林。初めて見た時は林だったのに、いつしか1本だけになり、そして今年は1本もなくなっていました。いつの台風で削られたのでしょう、水辺に続く坂道は痛々しい姿になっていました。

    

  

6年前はまだ林でした。スラロームの練習もできました。3年前に来た時には1本寂しく立っていましたが、その木の下でカヤックを休ませてくれていました。その木も去年見た時にはまだ頑張って立っていたのですが今年は・・

いつかお話しした『水辺のアルバム』。そこに登場する物事は、1年の四季と言う時間の中で大きく変わっていましたが、月日と言う時間の中でもずいぶん姿を変えていました。新しく生まれた物、消えた物、それを新陳代謝というのか諸行無常と言うのか。 詩人のメルは何と表現するのでしょう。

ちょっと感傷的な水辺を漕いで、今回も無事終了しました。終わってからは恒例のコーヒータイム。ホットなコーヒーとロールケーキで次回の漕ぎの作戦会議。次に漕ぐのは・・

 

いい日でした。暖かな秋の日に、久しぶりのSRJKで紅葉の水辺を楽しんだ日でした。

 

メル、今日11月14日は『いい石の日』だそうです。鬼の涙石はどうしているでしょうね。

 

                                                      ~ 水辺のキャサリンより ~

 

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896.B‐Ⅴ-20 ― 秋のびわ湖・瀬田川漕ぎ

2018年11月10日 | Weblog

久しぶりにB-Ⅴシリーズ。これまで何度もびわ湖に出ても、中々B‐Ⅴ漕ぎの続きにならない。 まぁ、急ぐ旅でもないことだし、ぼちぼちと漕ぎ進もう。

そんなぼちぼち漕ぎのびわ湖5周目の20回目。今回は草津から大津。大雑把すぎる言い方だが、約16キロのびわ湖旅。小春日和の穏やかな日に、メンバーは4人。

実は今回の漕ぎ、私としてはB‐Ⅴ‐20なのだが、メンバーの1人、「モーニー」さんの『B‐Ⅰ-2』でもある。でもある、というか、私が便乗させてもらっている、と言った方が正しいかもしれない。

まぁそんなこんなのメンバーで、穏やかな秋の日にカヤックを楽しんできた日の記録。

 

予報通りの秋晴れの日、びわ湖の小さな岸に集合する。最近のメンバーズ、集合時間の30分前には集まるようになった。以前は9時集合なら8時59分着、と言うメンバーも今は30分早く着いている。その分早くスタートできて良いのだが、30分前集合が定着すると、結局集合時間が早まるので、それはそれでまた困ったことだ。

車をゴール地へ回送し、弁当持ったしさて出発。この先、人工島がある。矢橋の帰帆島。今回はその内側の水路を行く。

 

かつての渡し場があったのはこの辺りだろうか。何年か前、その名残の常夜灯に行ったことがある。近くに大きなイチョウの木があった。もしかして、あの木だろうか。岸に上がれないことはなかったのだが・・

やっぱり上がって確かめに行けば良かった。「矢橋の渡し」はびわ湖一周の中で3回、重要な要素として登場するのだから。この渡し場跡はその1つ目。通り過ぎてから残念な気持ちを引きずってパドルを握った。

最近はめっきり涼しくなったがワンドのような窪みにはまだこんな水草が茂っていた。

 

オオバナミズキンバイ。可愛い花を付け、家の池に持って帰ろうか、近所の川に増やして水辺の緑化にしようか、と思いたくなる草だ。しかしそれは絶対にやってはならない事。これは漁業者泣かせの迷惑な外来種だ。

赤や黄色に色づいた帰帆島を回ると、またびわ湖が見えてくる。

 

水上に伸びる街並みはびわ湖のベニス。舟に揺られて行けば舟歌の一つも歌いたくなる。これはカヤックではない、ゴンドラだ。  帰帆島に架かる2つ目の橋をくぐる。


橋は、どの橋でも2つの世界を分ける結界線。生活習慣だったり行政区だったり町名だったり学区だったり、どちらが聖でどちらが邪か分けることができない空気や景色でさえも、その世界を分ける。分けると言うよりも、橋で切り取り、額にして別の壁に架ける。橋は斬新な景色を作り出す芸術家のようだ。

不思議な結界線を越えると、やっぱり世界が変わる。

 

ここはもうびわ湖。湖岸の浅瀬にはヨシやカヤのような水草。あれはパピルスだろうか。いや、パピルスはないだろう。しかし、びわ湖にいるはずのないピラニアが居たこともあるのだから、びわ湖にパピルスがないとは限らない。びわ湖には不思議がいっぱいある、それがびわ湖だ。

そうこうする内にこんな橋をくぐる。

 

近江大橋。びわ湖大橋よりわずかに小振りだがびわ湖を横断する重要な橋。この線に沿いまっすぐにどんどん加速して音速を越えると宇宙に飛び出せる・・そんな発射台にも見えてくる。

びわ湖の最も幅の広い所を行けば20キロの横断になるが、ここはまだびわ湖。1300mほどの橋の下を行けば、立派に「びわ湖横断」が成立する。宇宙にも、湖上にも物語を繋げてくれる橋だ。

 

今日は釣り人が殆ど居ない。珍しい事だ。更にボートの練習も出ていない。メンバーズはレースレーンに位置ついて、ヨーイドンとミニレースを行う。500mでも全力で漕ぐと息が切れる。タイムは・・

この表示板、覚えておいでだろうか。

 

『ここがびわ湖の始まり。ここがびわ湖の終わり』。を告げる表示板。対岸にも同じ物があり、目には見えない「境界線」を敷いている。「県の物?」のびわ湖だが、そのびわ湖もいくつかの市に分けられている。

もし財布を落としたら、どの管理区域の警察に行くかわかるようにだろうか。湖上にロープが張ってないのでわからないが・・
もし湖底油田が発見された時、どこの行政区に利潤が出るか喧嘩にならないようにだろうか・・
もしビッシーが暴れて街を破壊した時、ビッシーが住んでいた市に損害賠償請求できるようにするためだろうか・・
もしこの表示板が壊れたら、県が修理するのだろうか、国だろうか・・

いろいろな想像がつながっている「境界線」だ。

その境界を過ぎればびわ湖と別れて瀬田川漕ぎとなる。湖岸も川岸も、そろそろ紅葉がきれいな時季となった。そんな岸に上がって昼食とする。

朝の集合が早かったので昼食も早めの時間となり、午後のスタートも思いの外早くなる。陽の傾くのが早いこの頃、午後の暖かい内に漕ぎ進めるのはありがたい。

程なくして今日4つ目の橋をくぐる。今度は「瀬田の唐橋」。

 

前述で、矢橋の渡しはびわ湖一周の重要な要素の1つ目。と言ったが唐橋はその2つ目。正確に言えば、ここはもうびわ湖を出ているので「びわ湖一周」内ではないが、矢橋とは深いつながりがあり、3つ目の重要要素とも深く関係しているので、やはり唐橋は外せない。

 ご存じだろうか、この諺『急がば回れ』、由来はこの唐橋だと言う事を。そしてこの唐橋で、先ほどの「矢橋の渡し」とつながって来ると言う事を。 詳しく言うと・・ それはさておいて、

その唐橋をくぐり、瀬田川下りを楽しむ。暫く行って、そろそろと戻り始める。戻る時には緩いとは言え川上りとなる。ちょっと力をいれよう。

川岸の木々が、見事に紅葉している。

 

近年、モミジは真っ赤になる前に茶色になり、見事な紅色を見るのは珍しい。一方、ナナカマドやモミジバフウ、ナンキンハゼなどの赤が目立つ。アカメガシワの黄葉も際立っている。赤と言えば、あまり見たくない赤もあった。ジャンボタニシの卵。これでもか、と言うほど密集して付いていた。この赤は見たくない赤だ。

そうこうする内にこんな方がお出迎えしてくれる。

 

 

 俵の藤太のムカデ退治

 急いで回った唐橋に 
 こんなムカデがいたのでは

 やっぱり舟が早いかな?

 

 

 

 

ちょっと取り込み中とのことでこちらを向いてくれなかった。大ムカデ退治の真最中とのことだ。それは邪魔してはいけない。よろしくお願いします、と軽く挨拶してその場を去る。

そんなこんなのびわ湖・瀬田川漕ぎ。あっという間の16キロだった。穏やかな秋の日に、びわ湖に軌跡を残すカヤック旅だった。 

        モーニーさん、びわ湖の小さな出会いを楽しんで下さい。

        その積み重ねが「びわ湖一周」を仕上げてくれることでしょう。

 

 

 

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895.ムベかアケビか ― 沖にある島一巡り

2018年10月25日 | Weblog

ちょっと前の話。最近はいつも「少し前・ちょっと前・だいぶ前・かな~り前」の記録を記している。そんな今日はびわ湖の沖にある「沖島」へ行った日の記録。

 

久しぶりの沖島。この1,2年、定期船で行ってイベントに参加することは何度かあったが、カヤックで行くのは久しぶりだった。以前はカヤックで佃煮を買いに行っていた。給食センターのような大きな釜で作った佃煮を、わざわざ島まで買いに来てくれたお礼にと言って、山盛りにおまけしてくれた。それが楽しくて友人とわざわざカヤック乗って買いに行った。その店が島を出てから島に行く楽しみが半減した。しかし、それに代わる楽しみもできて、最近また行くことが多くなった。その島に、今日またカヤックで行く。 

集合場所へと向かう途中、あのお方にご挨拶。

 

 

 ビワガメさん、 
 先日は後ろからで失礼しました

 今日は先を急ぐので
 道端から失礼します

 

 

 

 

ススキが出そろった秋の岸でビワガメは、桜の紅葉を待っているようだった。もうじきこの道も、赤くなった桜葉で賑やかしくなるだろう。

 

出艇の浜に揃ったカヤックたち。シーカヤック、リバーカヤック、ファルト、フィッシングカヤック。私はWWW号。みんなご自慢の愛艇で集う。ではそろそろ出発しましょうか。

 

今日はクラブのメンバーでのびわ湖漕ぎ。穏やかな湖面に漕ぎだせば、あっという間に島に着く。島をよく知るサッチモさんが、「これはびわ湖の富士山」と教えてくれる。

 

いかにも富士山だ。へぇ~、ここには何度も来ているのに富士山があったなんて知らなかった。と、知った顔して何度もこの島を案内した事を、ちょっと恥じた。

しかし後で以前の写真を見直してみると、ちゃんと記録していた。ただ、「富士山」としてファイルしていなかったので記憶には残っていなかったのだ。ただの岩では記憶に残らないが「びわ湖の富士山」と名前が付くと、それは一般的な名称ではなく、個別の、固有の、世界でただ一つの名前となる。やはり「名前を付ける」と言うのは記録にも記憶にも大切な事なのだと、改めて思った。 これは『富士山の岩』

細長い沖島は南側と北側で様相が大きく違う。北側は山が水際まで迫り、富士山や、ピラミッドや、何やら彫った跡があるという大石や、スラロームにもってこいの飛び石や、鳴りを潜める隠れ岩や、水辺に垂れ下がる木々や・・変化に富んだ水辺が楽しめる。

 

ところが今年は、先月の台風のせいか、水際の木の多くが倒れている。その木に絡まっていた葛やアケビやムベなどもすっかり枯れている。無残な姿の水辺が続く。

以前は盛大にムベ刈りをした岸にもさっぱり見当たらない。私が手にできたのはたったの一つ。しかも小振り。

 

アケビは時季が終わったとしても、ムベは鈴生りにあるはずなのに、残念だ。来年にはまた赤い実を付けてくれるだろうか。ぜひとも復活してもらいたい。

この島には昔は石切り場があった。その切り屑だろうか鋭利な角を持つ石が波打ち際に沈む。この岩もその名残だろうか。

 

これが尾鷲の海なら「ほら、柱状節理がきれいに・・」なんて嘘を言っている岩だ。所々に、割る時に打ったノミの跡が残る石がある。江戸の石工か、明治の石工か、小さな島を賑わせていた人たちの影がどこかにありそうで、探してみる。探しても、欠けた石と枯れたつる草と倒れた木と、そして静かな岸辺しかなかった。

 

目を転じればここは うみ。 「エリ」が無ければ志摩の海とも、紀伊の海とも言い張れる。

 

時々、遠くで ゴロゴロ・ズズーン と雷鳴のような音がする。20キロも離れた自衛隊の演習場からの音。水の上は音がよく届く。内緒話のつもりが、みんなに聞こえてしまう。

島を半分ほど回ると「町」の気配がしてくる。スタートしてからここまでは人工物を目にすることはないが、この辺りからは人や建物が見えてくる。小さく砕かれた石の浜に上がり、散策に出かける。

小さな島の小さな集落。軒と軒が手を繋ぐほどに狭い道も風情があっていい。しかし、よそ者は「風情の何の」、と言うが住んでいる人たちにとっては生活を覗き見られるようで、不快な事もあるのではないだろうか。 軒先での写真は控えよう。

程なくして港に出る。

 

 何があるかな 

 ゴリ(ウロリ)を買う人 
 アユを手にする人

 

 

 

 

 

 

湖魚の佃煮やちょっとした土産を売っている。どれどれと覗き込み、あれとこれとを買い求める。時間があれば山の神社に行くのも良い。今回はお参りは港からとする。

カヤックに戻る途中、島では貴重な?カフェがある。今日は営業しているようだ。 と、メンバーの何人かがその店を覗きに行ったまま、中々出てこない。聞けば、コーヒータイムと洒落こんでいたとのこと。私も行けば良かったと、残念だった。

カフェ素通り組のメンバーは一足先にカヤックに戻る。するとそこに珍しい御一行がおいでになる。

 

どこぞの放送局のロケ班。沖島の魅力を伝える取材中とのこと。インタビューは「広報担当者」に任せ、私はちょっと離れて見るだけ。時々カメラがこちらを向く気配を感じたが、ピース、はしなかった。しかし、いつ放送されるのだろか、どの局だろうか、と気にはなった。

そうこうする内にカフェ組も戻って来て、そろりと出発する。

 

穏やかな日、遠くの湖西の山並みがすぐ近くに見え、今日なら対岸まで漕げたに違いないと過剰な自信も湧く。

 

こんな岩があるのは島の北側、今の内にすり抜け技の練習に励み、また傷を増やす。人によっては、絶対に船に傷を付けたくないので、岩場には決して近づかない、という人がいる。しかし私は、敢えて傷つけようとは思わないが、楽しんだ結果で傷がついたとしても、そうやって楽しむことこそカヤックの「道具」としても本命だと思っている。飾っておくための道具は、いらない。少なくとも、私を楽しませることに誇りを感じているWWW号は、その傷こそ「カヤック冥利に尽きる」と、言っているに違いない。私はそう、信じている。

サッチモさんが私の信条を復唱してくれる。『 枝はくぐるためにあり、岩は抜けるためにあり、ヨシはかき分けるためにある 』 だよねと。 その通り! 

 

そんな岩抜けもそろそろ終わり、島の南側に出る。ここからは先ほど行った港や集落、学校など 町らしい光景が現れる。漁船、連絡船、レジャーボート。消防艇はめったに見られないので島巡りのポイントが高い。

じきにこんな鳥居。厳島神社の鳥居。

 

ここから上がって、あの神様にお参りに行ったこともあった。何年も前、初めてこの階段を上った時、ずいぶん高い所にある神様だと思ったのだが、今はちょいと一上りのお社だ。今回は上がらなかったがカヤックで詣でるのも良い。

周囲7キロの島を一巡りして、元の浜へと戻る。

 

戻る途中の湖中から唐突に1本の竹棒が出ている。何かの目印だろうか。この下にエビ籠があるとか、祭りの幟を立てるためとか。 航路の標識ではないだろう。もしかすると、台風で流されて来た迷子竹かもしれない。こんにちは、さようなら。と短い挨拶をして朝の浜へと向かう。

 

穏やかな日の沖島漕ぎ。ムベもアケビもなかったが、それでも沖島は楽しめた。 あ、ムベは1つだけは手に入れた。小さいけれど、甘さは特大だった。

 

              

 

      来年は、顎が痛くなるほどに食べたいものだ。

 

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894.洞窟は入るためにこそある ― 伊豆の町と海(2)

2018年10月24日 | Weblog

伊豆の海漕ぎの2日目。海辺のお宿も3度目となりお馴染みとなった。夕べは遅くまで飲み、語り合ったようだ。「ようだ」、と言うのは私は睡魔に勝てず、あえなく早寝をしてしまった。

そのお宿にこんな物がある。ソフトボール程の泥団子。

 

しかし、泥団子も細かい土で作り、よく磨けばそこそこにツルツルにはなるが、これほど滑らかにはならないような。それにこんなきれいな色付けもできないと思うのだが・・

よくよく見ると、土の表面に漆喰が塗られていた。さすが漆喰の町。泥団子にも漆喰とは。 そう言えば前日に行った美術館や旧小学校にも飾られていた事を思い出した。

お宿にはこんな不思議な鏡もある。


覚えておいでだろうかこの『鏡』。どんなに覗き込んでも自分の顔が写らない、と言う『魔法の鏡』。よく写る普通の鏡もあるのだが、この鏡に関しては、こちら側の自分は見えないが、向こうの世界の物は見える、と言う不思議な鏡だ。どんな鏡かは、お宿に行って確かめるのが一番だ。 

そんなこんなのお宿に見送られ、今日の海に漕ぎに出る。今日は前日より風もうねりも無く、洞窟三昧ができそうだ。

 

さっそくにこんな洞窟。

 

どこまで続くのか、この先どんな大きさなのか、それは入ってみなければわからない。ならば行かねば!

岸沿いに一つ一つ覗き込んでいく。同じような岸が全く違う岸になる。誰かが行きつ戻りつしている。何があるのだろう。「ほら、道がある。ここだね、きっと」 そんな声がする。 何があると言うのだろう。

 

確かに道らしき細い筋がある。そうか、ここか。

実は前日、漕ぎ終わってからみんなと行った所。今回の伊豆の旅で行きたかった3つ目の所がここだった。

 

 室岩洞

 不意に、 
 石工の人形が現れてドキッ

 

 

 

 

 

 

石切り場跡。天井に頭をぶつけそうになる所もあるが、中は意外と広く、迷路状態。照明も一応ある。しかし、1人2人で入るのは腰が引ける。そんな石切り場跡は海に面していて、かつては切り出した石を崖の上から海に落とし、船で運んでいたとか。 その滑り落とした跡が細く道となって残っている。 その細道を、海の上から見つけたのだった。「ほら、道がある。ここだね、きっと」と。 前日上から見下ろし手を振った私、今日はその海から見上げ、昨日の私に手を振る。

 岸沿いに進むと次々に現れる洞窟・洞門。

 

右回りで抜けるか、左周りで抜けるか。それは先頭の人次第。それ続け、とばかりに列ができる。もう一度回って来たいと戻りかけるが、先を漕ぎたいメンバーズはズンズン行ってしまう。置いて行かれては大変と慌てて追いかける。

その先の見上げる岩にこんな物が見える。

2年前、ここの露天風呂から手を振った私が見え・・ いや、見えはしなかったが、あの日の私に手を振った。今回は露天の縁に立つ人はいなかったが、もし居たならさぞ驚いたことだろう。その驚いた顔を想像するのも、また楽しい。                                              

岸と岩と地層はますます面白さに磨きがかかり、小島・大岩・抜け放題。

 

これこそ、漆喰で描かれた模様のようだ。フランス王妃が作らせた宮殿のバルコニーか、社交界デビューした貴婦人のドレスの裾か。はたまた、誰かがクリームケーキに手を突いてしまった時の再現か。それにしても地球はいったいどこで、こんな繊細な技術を身に着けてきたのだろう。 ご立派!

この辺り、大きな洞窟に奇岩の岸。観光船が来ない訳がない。

 

観光船が来ない内に、来ない所に、入れない所に、と攻めて行く。観光船が入れない洞窟にもカヤックはすいすいと入って行く。それを船の客が盛んにカメラに収めていた。私は撮られるのは、あまり好きではない。洞窟の中に逃げていこう。  ここまでおいで~!

 

洞窟は、風が無くてもうねりがあると入れない。 スカッと晴れた日ではなかったが、洞窟にはたくさん入れたので、お天道様が晒を被っていても、それは良しとしなくては。

 

あんな洞窟、こんな洞窟、いろいろ入った。

 

中で隣の洞窟とつながっている物、10艇程入れる広い物、両壁を手で押してやっと通れる狭い物。 おそらく、これまでにも入ったことはあるのだろうが、どの洞窟・洞門も初めて通る感動がある。

それ行け、やれ行け、ここはどんなになっているかな。

 

行きは岸を舐めるようにくまなく行き、かなりの距離になったが、帰りは沖を一直線に戻る。7キロを休みなく一気に漕ぐのは、かなり体力使った。それでも痩せなかったのはなぜだろう。

そんなこんなの洞窟巡りも無事終わった。たくさん入ったように思うが、2年前にはあそこに行った、4年前にはあんな所も入った、と今回行かれなかった所が次々に思いだされる。しかしこの残念さは、次にまた来るための呼び水となるのだろう。

 

洞窟は、入るためにこそ、そこにある。 さて、次はいつ来ようか・・

 

 

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893.海辺の美と文と漕と食 ― 伊豆の海(1)

2018年10月23日 | Weblog

最近の記録、なぜか「押せ押せ」の尻に火が付いた状態で記録している。今回の記録も、10日も前の事となった。まぁ、人生まだまだ何十年もある(はず)、ボチボチ片づけて行こう。

 

そんな今日この頃に記すカヤックの記録。今回は伊豆の海。

4回目となる海への道すがら、以前から行きたいと思っていた3つの場所のうちの2つに寄ってから行く。

その1つ、海辺の町の漆喰鏝絵の美術館。江戸時代の左官職人が鏝で描いた漆喰絵が展示されている。館の入口に、この町の代名詞とも言う「なまこ壁」のウェルカムボードがある。さりげなく飾られた草花が白い漆喰によく映える。いや、漆喰の壁が野草を引き立てているのだろうか。

 

展示されている物の多くは撮影禁止だが、許可されている絵が何枚かある。これもその1枚。

 

詳しい事は美術館でご対面してもらうことにして、平面的な絵画にはない立体感が、ふくよかさをより柔らかく仕立てる。展示場の入口にはルーペが置いてある。つまり、ルーペで見ないとその繊細さがわからない程緻密に細工されている。これが鏝で描かれた漆喰の絵かと、溜息が出るほどに見入ってしまう。

2つ目の寄り道はこんな所。

 

明治の風が吹き始めた頃に小さな町に建てられた小学校。迎賓館かと思うような重厚な玄関。和洋取り入れた造りは、文明開化とはこんな匂いだったのだろうか、と遠い昔を忍ばせる。

赤子を背負って学校に通う子。絣の着物に草履の子。色褪せた写真で見た光景が今の世に現れる。ここもじっくり見ると町の歴史、住民の心意気、建築の粋など、資料の奥深さに感銘を受ける。 

 

 

と、そんなこんなの見所に寄って、いよいよ本番の漕ぎの海へと急ぐ。

4回目となる海は少々の風と空いっぱいの雲。暑くなく寒くなくは良いのだが、もう少し晴れていてくれると、どんなにか見事な景色が見られるのだが、と欲も出る。

次々に集結するメンバーたち。今回は10人程、私としては異例の大所帯。それも漕ぎ屋揃い。その中で私の立ち位置は、何と言っても1番。それも下から1番目の名誉? この位置につくと、黙っていても何かとサポートが付くという特典がある。そんな特典を甘んじて受けて、メンバーズの足を引っ張らないようにと気合を入れる。

では出発。この地方は火山が敷いた大地と太平洋が穿つ大槌で、目を見張る地層や奇岩・洞門・洞窟で溢れている。 漕ぎ出してすぐにこんな洞門。

                                                                 

浜から程近く、これなら日課として朝飯前に毎日でも漕ぎたい所だ。風のある日は崖を歩いて来よう。夏なら泳いで来るのも良い。 こんな環境が私の子供時代に無かったことが悔しくもある。

入江の岬に来ると、ちょっと風がある。ウサギがちょこちょこしているのが見え、方向を変えてまた洞窟巡りをする。

 

洞窟・洞門はたくさんあるが、中には今にも天井の岩が落ちて来そうな所もある。めったに落ちる物ではないだろうが、「あの岩は去年落ちた」と指さされる岩が海中にあるのを見ると、その洞門は敢えて行くこともないだろう。と指を加えて通り過ぎる。

 

もう少し層が幅広いと「ミルフィーユの岩」と言いたい所だが、この緻密さは「結城紬」だろうか。松の文様入りはかなり値が張るに違いない。そんな着物を着て行く茶会も当分ないし、今回は見るだけにしておこう。

暫く行き、隣の港に入ると、こんな物がある。

 

「混浴露天風呂」その言葉に興奮したり顔を赤らめたり。しかしここは水着着用なので安心して入れる源泉かけ流しの温泉。さすが伊豆だ。地元の人たちが管理してくれていて更衣室もある。上着を投げ捨てどっぷり浸かる人、足湯を楽しむ人。カヤック漕ぎ達は海辺の塩湯にほっこりした。

温泉でゆっくりし、さて、とまた漕ぎだす。

 

天気が良ければ富士山が見えるはず、と言う。目を凝らすと、あの雲の向こうの斜めの線は、もしや・・。強引に「富士山が見えた」と言い張って『富士見ツアー』を成立させた。しかし、あれは、本当に富士山だったのだろうか・・

岸を見れば次々に奇岩・妖岩・怪岩が現れる。

 

出た! またあの丸い石。最近になってちょっと調べると、いろいろな事がわかった。どうやらこの丸い石は「幼子を抱いたマリア様」でもなく、「謎の宇宙人の繭」でもなさそうだ。堆積、圧縮、生体跡、そんな科学・地質の分野に属する物のようだ。物によっては中に化石などが入っていたりきれいな模様ができていたりで、高値で売れるらしい。

何につけ、論理的な結論を出す過程で、「不思議」とか「混沌」とか「夢」とかあるいは気障な「ロマン」とか言う心の柔らかい部分を、ガチンと叩き割られることがある。地層の中の石はやはり、「マリア様」や「宇宙人の繭」であってほしい。

形もそうだが色も面白い。

 

硫黄の黄色、鉄の赤、山の岩は苔が生えて緑となる。ではこの青は何が起因しているのだろう。いやそんな分析はよしとして、この色は以前食べた「ノコギリガザミ」の色だ。ではここを「ノコギリガザミの岩」と名付けよう。そう言えばノコギリガザミのハサミにそっくりだ。

 

その先は、久しぶりに見たこんな岩。牛着岩。

 

エンジン船が来るので傍までは行かなかったが、ここから見る富士山は絶景とのこと。またしても富士を見逃した。以前来た時にもその絶景を拝むことはできなかった。冨士は伊豆には留守をすることが多いようだ。

洞門も洞窟も、天井から岩が落ちてくるのは私がいない時、と信じ次々に通る。

  

思った通り、岩も小石も、落ちることはなかった。

水準器で測って重ねたような平行な地層もあれば、「胃カメラと胆石とギックリ腰と思いっきり肘をぶつけるのを一度にやった時の顔」のような地層もある。

どんなに苦しかっただろう、どんなに切なかっただろう。と同情する一方で、自分の事でないとその悶え方も笑えて来る。「水疱瘡をかきむしった象の足」、それもまた可哀そうか。

 

そんなこんなの海漕ぎも無事に終わった。塩の温泉で潮を落とし、それからもう一つのお楽しみがあったのだが、それを記していると料理が冷める。キンメダイの煮付けにアワビのバター焼き、アジのたたきに生シラス・・

 

あぁー、記録は後回しだ。

                                   とりあえず カンパーイ!

 

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892.アケビは生ったかムベはまだかいな ― 亀とびわ湖

2018年10月21日 | Weblog

ちょっと前の話になったが穏やかな秋晴れの日に、「BG」のメンバーでびわ湖を漕いだ。大体16キロ程なのだが、それを伝えるとメンバーの一人が「これまでにびわ湖を1日16キロも漕いだことはない!」と言う。そんなはずはない、絶対に一緒に漕いでいる。あれは確か・・

と調べると、やはり漕いでいる。何年か前、同じ区間を漕いだことがあるので16キロとは言わないまでも、15.8? 15.7? キロは漕いでいる。そんなこんなで「15キロ区間漕ぎ」と言う事にして漕ぎだした。

 

今の時季は暑くなく寒くなく、今日は風もなく波もない。絶好の漕ぎ日和り。岸に寄れば「さぁおいでなさい」と言わんばかりに岩抜け用の岩が並ぶ。

 

この辺りはびわ湖にしては珍しく岩場が続く。ついうっかりボトムを擦ることはあっても、こんな穏やかな日に岩抜けをしないなんて罰が当たる、とばかりにまた傷を増やして来る。

岸にはこんな光景もある。

 

皇室にも献上すると言うムベ。食べるにはまだちょっと早い。これが色づく頃、びわ湖もそろそろ冬の準備に入る。待ち遠しいような、まだ来なくていいような季節だ。それにしても以前はもっと見かけたと思うのだが、今年は不作なのか、時季が合っていないのか。 そう言えば、アケビも見ない。

岸から目を離し、振り返れば沖島。

 

出艇した時には目の前に半分だけ見えていたのだが、ここまで来るとその全景が見える。2つの島のように見えるが、実は1つの島。人が住む淡水湖の島は珍しいのだとか。あの島にはこの2,3年、定期船で行くことは何度かあったが、カヤックで漕いで行くのはもう何年もない。そろそろ漕ぎに行かなくては。

そうこうするうちに「亀島」が見えてくる。

 

お馴染み、カメジマ。島ではないが島のように見えるのでそう呼んでいる所だ。今日のゴールはあの島の向こう。まだだいぶ先だ。軽く押す風に鼻歌交じりで漕ぎ進む。

 

お次も又馴染みの店

おや? 今日は休みかと思っていたのだが、客がいるようだ。実は今回のコース、メンバーの一人が、久しぶりにこの店に来たいと言うのでこのコースにしたのが、後で、今日は休みのはずとわかって、ちょっと残念だった。しかしどうやら私の勘違いだったようだ。デッキの人に手を振って先へと進む。

この辺り、隠れた桜の名所。春の薄紅色の花、夏の青葉、秋の紅葉。いつ来ても水と桜樹を楽しめる所だ。ここを整備してくれるボランティアの力が大きい。ありがたい事だ。

海へはよく行くが、海亀はめったに会わないし、いつ会えるかもわからない。しかし湖亀はいつだって会える。 いや、水位が上がると会えないこともあるのだが、今日は久しぶりの再会となった。

 

「ビワガメ」この岩をそう呼ぶのは私と、あとは誰だろう。反対側から見た姿が本来の「ビワガメ」なのだが、今回は逆方向のルートで、しかも近くに釣り人がいたので、これはちょっとオチャラケの恰好。それも又ビワガメの生態を知る上で貴重な資料となる。

ビワガメに別れを告げしばらくすると今度は「ドングリ岩」。シルエットに映るその大岩は、これも又びわ湖のランドマーク。この岩から北と南で岸の光景が変わる。秘境の北とアーバンの南。

 

と言うと、言い過ぎだろう。しかし、確かに自然の岩や山の迫る岸と植林や保全策がとられた岸とに分かれる。ある意味これも「境界の岩」だろう。誰かがこの岩の事を、他の名前で呼んでいた。しかし、これは誰が何と言おうとも「ドングリ岩」に他ならない!

その岩を過ぎればこんな神様が。

 

桜の頃、カヤックでこの灯篭の下に来て弁当を食べる。そんな花見を何度もしたが、何年も前の事となった。このところ、この神様にもご無沙汰している。この鳥居前で上がることもあるのだが、今回は港に寄ってみる。

 

青空に白い船体も良いし、茜色に輝くマストも良い。小さな港だがびわ湖の学習船の寄港や、近くには西国巡りの寺もあり、水路・陸路、どちらでも楽しめる所だ。「びわ湖周航の歌」の歌碑もあり、パドルで漕ぐ人、ペダルで漕ぐ人、タイヤで進む人、靴で進む人。それぞれのチェックポイントとなる。

ここから見る「カメジマ」は私のびわ湖お勧め光景の一つ。それにしてもあの亀は、いったいどこを目指しているのだろう。

 

たっぷり楽しんでまた漕ぎ進む。

大きく開ける湖面は海。太平洋の外海に開く湾と言っても頷ける景色。朽ちた木杭がかろうじてここが深海ではない、と教えてくれる。

 

沖から見る岸が好きな人もいるが、私は岸から見る岸が好きだ。

 

小さな波が波消杭の間に潜り込み砕ける時の輝き。大きく垂れ下がった枝が作る隠れ家のような空間。水底深く続く藻はまるで竜宮城へ誘う道の様。黒雲のように蠢く小鮎たち。午後の煌きの岸は、「枕草子」の一節にあっても良いと思うのだが。『秋は午後。水辺の煌き いと おかし・・』

メンバーの一人がまだ行ったことがないと言うのでこんな所に上がる。清少納言の歌碑がある。

 

遠くに見える沖島を詠ったものとのことだが、学者が重箱の隅をほじるように研究すると、その説も不確からしい。しかしそんな研究より、びわ湖に昔の歌人が来たと言うこと、この水に手を濡らしたかもしれないという事、もしかしたらこの土を、清少納言も踏んだかもしれない、と言う遥かな思いを楽しもう。

 

まだまだたくさんの出会いがあった。龍神様の岩屋も岸辺のカフェも、八ッ崎も、跳ね橋も、蛇篭の岸も、中海の堤防も、干拓前の湖岸の石積みも・・

アケビもムベも口にできなかったし、多くの所を横目に進んだことに心残りがあったが、それでも久しぶりにビワガメに再会できたし、多くのびわ湖に出会った日だった。

          良い日だった  良いびわ湖だった  

         そろそろあの島にも行かなくては・・

 

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891.押してもらって楽ちん漕ぎ ― 志摩の外海

2018年10月10日 | Weblog

陸からだと崖の上をくねくね行くので20キロ以上はあるんじゃないだろうか、いや30キロかも、と思う距離。実際には20キロもなく、海からは17キロ位だと言う距離。それなら、まぁ良いだろうと漕ぎだしたが、17ではなかった日の記録。

 

出艇地で駐車料金を払いに行くとそこのお兄さんが「あ、カヌーの人ですね。どうぞ」と挨拶をしてくれる。以前2回会っただけなのに、それも10カ月も前の事だと言うのに、何の特徴もないこの顔をよく覚えているものだ。もう顔なじみ? この辺りで悪い事は出来ない。と、品行方正に舟出する。

今回は3人での舟旅。皆さん、よろしく。

何度か見た海も、季節や天気、見る方向で別の景色になる。まぁ、私が「覚えていない」と言うのが一番の要因なのだが。だから、毎回新しい感動がある。

この島、来たことある。とまでは覚えていても、「あそこの浜でランチしましたね」と言われても、それは覚えていない。へぇー、あんな所に上がったのか、と改めての感動をする。

 

予報に反して生暖かい風が吹く。漕ぎを邪魔する風ではないはずなのだが岬から外海に出ると、あると言えばあるような風が吹く。

 

遠くに見えるは神島。今度、あそこへ行かないかとお誘いを受けているのだが、この私に行けるだろうか。行けなくもないか・・。その向こうはもう伊良湖。陸路からだと230キロはあるが、海路なら20キロ程。海は無料のバイパス。かなりの体力と多少の波瀾を楽しめるなら、対岸への海渡りは楽しいものだろう。

 

灯台にもいろいろある。周りが公園になり大きな駐車場がある所、中が見学できたり係の人が説明してくれる所もある。しかし、そんな所は数少なく、たいていは無人のひっそりとした所にある。この灯台は、と言えば・・

石鏡灯台。以前、歩いて訪ねて行ったことがある。もしかしてホテルの庭ではないか、と思うような所に建つ小さな灯台だった。今海から見ると、小さいながらも岩礁の海からは頼もしく見える。

軽いうねりがある。軽いとは言え太平洋のうねり、岩に打ち付けると白波となって立ち上がる。そんな岩場でも海女さん達が潜っていた。邪魔にならないよう離れて漕ぐ。

この辺り、リゾートホテルが多い。海を見渡す高台に「この海、貸し切り!」と言わんばかりに誇らしく建つ。一度泊まってみたいと思うが、まず財布状態を確認してからだ。

辺り一帯は岩礁地帯。岸から離れているからと油断していると、不意を突いて現れる岩とブーマー。よそ見は禁物。

 

思っていたより風とうねりが出る。それが無ければもっと岸近くで、岩抜けや崖の花調べや岩場の魚や、そんな物を楽しみたいのだが、この辺りはめったに穏やかな事はないとのこと。今日はまだ良い方らしい。しかし邪魔な風と波ではなく、むしろぐんぐんと押してくれる力。おかげでかなり速い漕ぎとなった。

この灯台が見えたらゴールまで後わずか。鎧崎灯台。

 

ここへ来るまでそこそこのうねりや波があったが、それはそれでそこそこ楽しむ余裕があった。しかしこの灯台を越える時は、狭い岩礁の間を抜けて行くのでそこそこの緊張があった。大きく引く波に逆らい、覆いかぶさるうねりを振り払い、岩に乗り上げないように、揺さぶられないように・・。

そんなこんなで、ダイナミックに打ち付ける白波の写真は獲れず終いだった。岩場を通り抜け、ほっとしても、まだこんな所がある。

 

気付かずにうっかり行こうものなら、乗せられてひっくり返される、はっきり見える落とし穴。くわばらくわばら、近づかないで行こう。

 

そんな海を漕いで今日のゴールはこんな浜。

 

朝の回送時には30キロはあるんじゃないかと感じられた距離も、実際に漕げばその半分もなかった。いつもの事だが、車の回送時にはこんなに長く漕げるだろうかと弱気になり、漕いでしまうと、意外と短いじゃないかと強気になる。

 

今回は程良い追い風・追い波のおかげで思った以上に早く着いた。これなら途中でもっと寄り道してもよかったな、と安堵の後悔をするのだが、いやいや、今回のコース、簡単に寄り道できるような海ではなかった。

浜にはこんな先客がいたようだ。

 

イヌではない、シカやイノシシでもないしクマでもない。世間で害獣と言われる命たちも海で生活の糧を得ているのか、余暇を楽しんでいるのか。漕ぎ終わり、元の岸に戻る途中、こんな所に寄ってみた。

 

今日漕いだ海。さっきよりうねりも波も小さくなっている。これなら岩抜けも断崖タッチもできそうなのだが。遠くからだから、そう見えるだけなのだろうか。下からも、上からも。これで今日の楽ちん漕ぎは完結した。

 

20キロは漕ぎたくないと言うと、17キロ位だから、と言うので漕ぎだしたが、漕いでしまえば17もなかった。楽ちんだと思ったのは、追い風・追い波だったからだけでなく、距離が短い事もあったのだった。 いい海だった。

 

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890.1/2+1/2=0 ― 鳥羽の島で作るゼロ

2018年10月05日 | Weblog

1/2と1/2を足すと、たいていは1になる。しかし、たまぁ~に、0になることがある。そんなゼロになった日の記録。

 

台風と台風の合間の晴れた日に、ちょいと海漕ぎに行って来た。何度か来ている海だが、今回は初めて行く島、菅島。本土?からは近いのだが風や波があると小さなカヤックでは、私の漕ぎでは行かれない。そんな島に、今日なら大丈夫と言う日に、勇んで漕ぎだした。

漕ぎ出してじきにこんな鳥居が立っている。

 

伊射波神社の鳥居。この鳥居に挨拶するのも3回目。3回目はお馴染みと言って良い回数だ。

     ご無沙汰しております、お変わりありませんか     
              今日は神様のお傍に伺うことはできませんが     
              こんな所から失礼してお参りさせてもらいます

と手を合わせる。今度またゆっくりとお参りに来よう。

岸を離れて島に渡る。良く晴れた日、秋の形を作る雲が空に高く浮かぶ。幅1キロとない水路に貨物船やタンカーが行き交う。大きい船は意外と速い。遠くに見えていても、一呼吸している内に通り過ぎていく。その合間に急いで行こう。

 

ちょっと本気漕ぎで島まで渡る。やれやれ、無事渡りきると採石場のうなり声が聞こえる。山肌が、痛々しいと言えばそうだが、脈動していると言えば、生きている証となる。この島の姿はこれからどう変わっていくのだろう。 

渡ってしまえば岸沿いにのんびりと漕ぐ。程良く見上げる高さの崖、露骨とまでは行かない地層、わずかに波が寄せる岸。どれも長閑な海漕ぎの舞台となる。その長閑な海に何やら不気味な声。あっ、こんな所に恐竜出現!

海から出た恐竜の頭に見えないだろうか。カヤックなど丸飲みにできそうな裂けた口、獲物を狙う蛇のような目、象でさえ食いちぎれるような恐ろしい歯。 これは「T・レックス岩」としてこの辺りを行くカヤック達に注意しなくては。

 

かと思えばこんなかわいい石もある。

 

船溜まり跡だろうか、崩れた岸の海に積まれた、これも消波ブロックだろう。消波ブロックにもいろいろな形がある。厳つい重戦車のような物もあれば、こんな花のブローチのような物もある。もしかすると、穴の中から出て来るカニを、モグラ叩きのようにして獲る海人の漁場かもしれない。

程なくして何やら浜に階段が見えてくる。

 

「どうぞおいで下さい」と言わんばかり(に見える)階段ではないか。この辺りに神社があるはずなのだが、これだろうか。それなら行かなくては。と上がってみる。

 

やはりそうだった。小さなお社ではあるが、ほったらかしの神様ではない。大事にお祀りされているようだ。確か、弁天様だったかと。弁天様が神様か仏様か定かでないにしても、学問に優れますように、楽器がうまく弾けますように、それから金運にも恵まれますように等々、ひっくるめて「何卒よしなに」とお参りする。

そろそろお腹が空いてきた。あの白い灯台の岬を回ったらお昼にしよう。

 

小振りながらもきれいな浜が続く。人里離れた静かな浜。かと言って、絶海の孤島と言うほどの隔絶はなく、疲れた週末に、ふらりときてキャンプして、星が流れるごとに1杯ずつの酒を飲む。そんな夜を過ごすにちょうどいい浜だ。1人も良いし、皆とでも良い。

そうこうする内に広い浜に着く。夏には海女さんのお祭り・神事があるとのこと。見てみたいものだ。この浜の上に白髭神社がある。まずはお参りに行こう。

 

白鬚神社は各地にある。滋賀で白髭神社と言えばびわ湖の湖中に大きな鳥居が立つ、あの白髭神社だと思うが、鳥羽の島にも白髭さんはおいでになった。小さいながらも玉砂利の敷かれたお社と鳥居。今日の海の感謝と旅の無事を願って手を合わせる。

お参りも済んだし、カヤック達が待つ浜に下り、気持ちの良い海を見ながら昼飯にしよう。

 

今回のメンバーは2人。1人はラーメンを、1人はパスタを作る予定で準備してきた。

のはずだったのだが、相方さんが、

「しまった、やってしまったかも!」と声を上げる。なんと、ストーブのガスは持って来たが本体を忘れたとのこと。

「アハハ、そんなこともありますよ、たまには。じゃあ私のを使って・・」

「あっー! 私はガスを忘れた!」 

めったにないこんなミスを、2人揃ってやってしまうとは。なんてこった! 本体とガス、項目では揃っていたのだが機種が合わず、1/2ずつ持っていても、結局何の役にも立たなかった。

ならば、と島の商店に買い出しに出ることにした。小さな町の事、しばらく歩くと港に出る。そこの小さな商店でパンとミカンとソーセージを手に入れて今日の昼ご飯とした。この商店があって、本当に助かった。いざとなれば水で戻した麺でも、乾燥したままでも食べるのだが、それは無人島で遭難した時の楽しみにとっておこう。

 

港の小さなベンチに腰かけて潮風に当たりながらのお手軽ランチ。『外で食べれば何でもおいしい』と言う言い方は、作ってくれた人に失礼な言い方だと、以前お話ししたことがある。しかし、冷めたソーセージも海風のスパイスが効いて、格別なものだった。

いつだったか、こんなポーズで写真を撮っていたらサッと目の前に黒い物が飛んできて、次の瞬間手に持っていたソーセージがなくなっていた。トンビにやられたのだった。別に「はい、どうぞ」のポーズをしたのではない。盗られる前に引っ込めよう。

カヤックのラフな格好でソーセージを食べる私たちは地元の人にはどう見えたのだろう。得体の知れない輩が来ている、と島中に「不審者情報」が流れたかもしれない。           

      不審者ではありません      
      ちょっと、昼飯の手はずをミスったカヤック乗りです

 

港のランチ会場を後にして浜に戻る途中、こんな光景に出会う。

 

防潮堤の上や駐車場に海草が広げてある。上陸した浜で会った人が落ちている海草をたくさん拾っていたので尋ねると、干して肥料にするのだと言っていた。これの事だな。海の町らしい光景。天然のエコ肥料だ。

決して華やかな島ではないが、そっと置かれた光景は絹のハンカチに包んで引き出しにしまいたいような、どこかしら懐かしい思い出のような光景が迎えてくれる島だった。

 

      

懐かしい、と言えば、向かいのあの島、答志島を回ったのは去年の6月。もうそんなに前の事となったのか。あの島も懐かしい。

 

島にもゆっくりしたし、そろそろ出かけようか。

 

穏やかな午後の陽に鳥羽の島々が連なり、地平線を作る。この海も、くまなく漕いで来た。漕ぎ残しはなかっただろうか。

 

 1/2と1/2を足すと、たいていは1になる。しかし、たまぁ~に、0になることがある。そんなゼロを作った日の海だった。

   

             いい海だった

 

 

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889.能登の旅 その4最終回 不思議な石の海 ― イルカは居なかったが・・

2018年09月26日 | Weblog

前日の夜、お馴染みの、久しぶりのブラッキーさんが合流する。相変わらずの語り口に懐かしく過ぎていた時間を取り戻した。

 

朝の街には小雨が降っていたが、夏の終わりのほの暖かい雨だった。足元の濡れたマンホールに描かれているのは宇宙船? いやいや、椀と箸。マンホールの蓋の図柄はその街の産業・伝説・文化などが描かれている。ここは塗り物の街、この画はプラスチックではない、輪島塗の椀と箸。

決して大きくはない街だが見所はたくさんある。とは言っても、今日のカヤックの予定が詰まっていたのでこれだけ限定と、言って見学に来たのはこんな所。

 

キリコ会館。ずらりと並んだキリコは壮観だ。のけ反って見上げるような高い物もあり、これらが街を練り歩く姿は勇壮だろうな、としばし見とれた。

見とれた後は又、イルカは居るか? と海に出る。おととい漕いだ後に地元の人から「最近はこの辺りには居ないよ」と聞き、では反対側の湾には居るかも、とやって来た。

 

地図では小さな湾だが漕ぎだせば広い海。とりあえずはあの島を目指そう。小さな島に何やら建物が。今は使われていないようだが、何の建物だったのだろう。寺か神社か別荘か、あるいはお宿だったのか。島を回ると崖に張り付くように道らしき物、明らかにトンネルと思われる物。いつの日に誰がこの島に来ていたのだろう。

そんな島もあれば、こんな島もある。

 

きれいに削られた面にボタンを縫い付けたような崖。2日前に見た島のボールとは少し違っているが、これも又平面からいきなり飛び出す石。

 

夏休みの宿題の工作に、「海で拾った石で亀を作りました。手足も首も引っ込めた時の様子です。隙間ができないように並べるのに苦労しました」と一筆添えて提出したら、1年生なら「努力賞」になるだろうか。

先生から「よくできましたね。石のでき方にもいろいろあります。調べると面白いですよ」、というコメントが返ってくるかもしれない。

こんな石もある。

 

きれいに並べられている。これはきっと誰かが並べて貼り付けたに違いない。弘法大師とか蓮如上人とか。あるいは能登守忠助とか、もしかして海津之七神楽耶命とか・・。それぞれの人(神・仏)にそれぞれの『創作民話』ができそうだ。

        昔むかし ある所に たいそうケチな男がおってな 
             ・
             ・

        とうとう石にされて歩くことも泳ぐこともできんようにされてしもうたんだと。

                          ~能登の民話集より 第17話~     

 

おっ、この話、もっと書きたくなった。

それは後の話として、磯を知る人ならヒザラガイと言うかもしれない、そんな形の石があった。

 

イルカを探して対岸に渡る。途中、沖を眺めてみるがそれらしき影も水しぶきも見えない。岸の崖にこれまた面白い石を見つけ、イルカの事などすっかり忘れてしまった。長さ1メートル位だろうか。

 

不自然なほどに白い石。幼子を抱いたマリア像。縦にして見れば、そう見えなくもない。あるいは未知の生物の巨な繭。昔「コクーン」と言う映画があった。海から引き揚げられた繭には不死の力を授ける力があり、老人は若返り・・

そんな話だったが、この繭にはどんな力が秘めているのだろう。触れてみるには手が届かなかったが、それはそれで将来に残す未知の出会いと別れだったかもしれない。それにしても不思議な形だ。 

 

そうかと思えばこんな岩もある。

 

野菜でも果物でも、表面の見た目からは想像できない切り口がある。ごつごつした岩の、スッパリ切り取られた断面が見せる滑らかな表面。海の底深くに潜む巨大な魚の鱗にも見える。

    昔、能登の海に、山ほどの大きさで、大そうな悪さをする怪魚がおったんだと。
    困り果てた漁師たちが三日三晩、海の神様に祈ると神様が現れ、こうお告げになったんだと。

    「その魚は私が戒め、これまでの罪滅ぼしにこの海の守り主として安全と豊漁を約束させよう。 
    その代わり、その魚は決して獲ってはいけない。
    目印にその魚の鱗を1枚取って岩に張っておこう。
    鱗が1枚取れている魚がその魚じゃ」

    そう言って神様は魚の鱗を1枚取り、岩に張り付けたんだと。
    怪魚はその鱗を見ては、漁師たちを苦しめてはいけないと言う神様との約束を思い出し、
    漁師たちは海を守ってくれる怪魚を大事にお祀りすることを忘れなかっんだと。

    おかげで今でも能登の海ではたくさんの魚が獲れるんだと。どんからさ。

          ~能登の民話集より 第8話~ いや、第9話だったかな。

 

なぁんて、昔話が作れそうだ。もしかすると、もうあるかもしれないが。

そんな海辺の先にはまたまた話題になりそうな穴。

    

     

こんな穴が点々と続く。メンバーの一人が、動物が開けた穴だろうか、と言っていた。土ならまだしも、この崖の岩に穴を開けるのはよほど強い爪か牙を持つ生き物だろう。もしかすると、これまでに見た球状の石が抜け落ちた跡かもしれない。

あるいは、

カッパドキアに岩の穴に作られたホテルやレストランがあるがここは狭くて入れないだろう。迫害を受けたキリスト教徒たちが隠れ住んだ岩屋もある。穴の奥にキリスト像が隠されているのかもしれない。仏像・仏画で有名な莫高窟も岩の中だ。文化遺産的見方もできれば、敵艦隊を迎え撃つ要塞の砲眼にも見える。真相を知る人が大笑いしながら教えてくれる時まで、謎の穴としておこう。

 

と、そんなこんなで漕ぎ終わった能登の海。

 

とうとうこの海ではイルカに会えなかった。今は長期出張か、海外遠征にでも行っているのだろう。それでも、書き切れないほどの記憶と記録を記して来た。

いい海だった。いい島だった。いい仲間たちだった。

これでイルカが居たら、言う事なかったのだが。

 

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888.能登の旅 その3 ― パドルのちアクセル

2018年09月25日 | Weblog

今日も又風も波もなく、程良い太陽が柔らかく照らす日。さて今日は私のリクエスト漕ぎ。観光パンフレットで見て一目ぼれした島、見附島。見るだけなら歩いても行かれるのだが、漕いで行って、だんだん近づいて、島に触れ、ぐるっと回り、歩いては行かれない所で記念の一枚。それをしなくては島に行く楽しみは半減する。

舟出する岸にあるこんな物

 

御多分に漏れず立派な落書きが。日本人もけっこうな落書きをするが、海外には「落書きの文化」がある国もあると言う。その国の政府は国の恥として対策に乗り出していると言うが、『文化』と言うものは脈々と受け継がれた血がさせるもの。そう簡単には消されないだろう。

日本人の落書きで一番ショックだったのは、以前、ケルン大聖堂の塔で、手を伸ばしただけでは届かない金網の外側に日本人の名前が書かれていた事。まぁ、ある国の文字で描かれていた落書きが、実はその文字の国以外の国の人が書いていた、なんてこともあったので、一概に文字と国籍は、文字と民族は同じと決めつけられないところは、あるのだが・・

以前、と言うか、昔、と言った方が良いかもしれない頃に、こんな歌が流行った。

「リンデンバウムの大きな幹に 愛の言葉を 彫って来た・・」 リンデンバウム・菩提樹・愛・落書き・・

今思うとこの歌は、落書きを、愛の行為と美化しているのではないかと。

         愛なら、分化なら仕方がないのか・・         
         いやいや、それは違う!

 

おっと、落書き文化講座の時間ではない。目指すはあの島。見附島。

 

なだらかに伸びる海岸線のその先にお目当ての島が見えている。3キロ程先。歩いても1時間とかからない距離、急いで漕いではもったいない。そろりそろりと漕ぎだす。

 

遠くに小さな粒に見えていた島も次第にその文様が現れる。 大きくなる島に、何やら白いスジが巻かれている。何か調査用のロープだろうか。

近づくと、ロープではない、もっと幅がある。もしや、遊歩道? きれいにぐるりと回っている。あんな断崖に遊歩道を付けるとは粋な事をするものだ。しかし、足を踏み外す人はいないのだろうか。

更に近づくと、いや、あれは遊歩道なんかじゃない。

 

見れば、途切れてはいるもののまっすぐに伸びた、そして、なぜか段違いにずれた地層。なぜあの時代のあの層だけ白いのか。あの段差が生じた時に、いったい何が起きたのか。地震にしては他の地層がずれていない。もしかして、「だいだらぼっち」が踏み抜いたとか。そんな伝説は、ないのだろうか。

島の反対側に回ると、これまた見事な模様。

 

例の白い筋がまるでレース飾りのように揺らめく。 ますます気になる、ますます気に入った。

ずいぶん昔、初めて飛行機に乗った時、眼下に見える雲の面白さに目を奪われ、「もし子供の頃にこれを見たならば、私はきっと雲の研究者になっただろう」と思った。

海にでるようになって、巨大な地層のうねりを見るようになってから「もし私が子供の頃にこれを見たならば、私はきっと地層の研究者になっただろう」と思った。悲しいかな、そのどちらにもなれなかったが、今もその憧れは消えない。

昔、日本で初めて宇宙飛行士の募集があった時、自分はなれなくても自分の家族をさせたいと、募集要項を取り寄せたことがあった。この話は本人が一笑に付してお終いだった。

宇宙旅行の話もあった。これもずいぶん昔の事、とある飲料メーカーが、あと何年か後に実現した時、その費用1000万円程の内300万円だけ本人が出せば、残り700万円をメーカーが出してくれる宇宙旅行の予約があった。ほんの何分かの宇宙だが、大きな夢が膨らんだ。

ただ、300万円と言う金額もまた夢の話だったので、宇宙旅行もまたまた夢の話となった。今はたった600億程の金があれば月に行かれる時代。雲の夢も地層の夢も、もっと手軽に叶えられるのだろうか。

 

こんな岩肌に見とれていると、こんな鳥居にやって来た。

 

浅い岩場が続き、海中廊下のようだ。この鳥居と、その先の神様への参拝道なのだろうか。海中を腰まで浸かり島の神への参拝を、信仰の証しとした人々がいたのだろうか。 私たちは足も濡らさずに島に触れる。

島へは上がることはできないが、島の回りをぐるりと回り、ここで念願の記念撮影。ハイ、ポーズ。

 

別名「軍艦島」とも言われる島。そう言われるのも納得の威厳だが、レースの装飾をまとった姿は豪華客船とも、言えるだろう。どんな旅を運ぶ船なのだろう。

4キロ足らずの漕ぎに満足し、浜に上がる。

 

ここにもハートの鐘。気恥ずかしくて鐘を鳴らせなかった。それにしてもハートと鐘は、いつも海の見える所にあった。海の見えない山の中にも、ハートの鐘はあるのだろうか。今日のこれからの移動の事もあり、早めに終了した。

 

さて、これからは今晩のお宿へ向かいながらドライブ観光と洒落こむ。

憧れの秘境のお宿。見てるだけ、に終わったのは心残り。この海を漕ぐのも楽しそうだ。海辺の露天風呂の人と挨拶交わすのも、面白い。

 

半島先端に建つ白亜の灯台。手を振っても、見下ろす海には誰も居なかった。この灯台への道も狭かったが、狭すぎて歩いてしか行かれなかったので、脱輪は、しなかった。

 

ここが日本列島の中心を示す石碑。「日本の中心」と言う土地は、実は他にもいくつかある。それぞれにそれなりの理由があるのが面白い。日本一暑い、日本一寒いと自慢?する街。一番と中心、他に譲りたくないと言う気持ちは、郷土愛と言うものなのだろうか。

海沿いの道を走ると所々でこんな物を見かける。

 

ハサギ。私の故郷でも昔はよく見たが、今はめったに見ない。観光用にわずかに残っている位だが、能登にはまだ現役のハサギがたくさんあった。久しぶりの光景に懐かしさが込み上げた。

 

あれやらこれやら、まだたくさん見て来たのだが、そろそろ目的の街に着く。話の続きは一杯飲んでからにしよう。

                           

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887.能登の旅その2 ― イルカは居るか

2018年09月22日 | Weblog

1年ぶりの友人たちと一夜を過ごしたお宿。能登の海が見下ろせる部屋から御来光を拝む。

 

日常の中でこういう場面は殆どないが、いや、全くないが、キャンプや旅行に出た時には極力、生まれたての太陽を出迎えるようにしている。これまでの人生で、何千回、何万回?と迎えた朝だが、明るくなっているのが当たり前のこととして受け入れてきた朝。なぜ明るくなるのか、なぜ薄紫と黄金色が一緒に存在するのか、なぜ白くなるのか、なぜ眼を焼き付かせる明るさになるのか。

そんな、学校で習う知識とは別の次元の力が、太陽を育てるのだと思うのだ。手を合わせて崇め、復活の象徴として祀り、一つまみ程の太陽が一日のエネルギーを降り注でくれることと、私たちは期待ではなく確信をしているので、その力強さに憧れて、日の出を迎えたくなる。

 

さてさて、今日は漕ぐ日。助っ人さんと合流し、さっそくに出艇地へと向かう。

今回一緒に漕ぐ友人は2人。私とどっこいどっこいの漕ぎの人達なので、気負いも気後れもなく、ある意味「我がまま言い放題」の気楽なメンバーだ。

今回の能登漕ぎには二つの目的があった。その一つ、「イルカに会う」。居るか居ないかわからないと言えばそれまでだが、居てほしい、会いたいと言う願望でこの海を漕ぎ始める。

 

 

秋の気配が広がる空。穏やかな海は時々無風となり、漕ぎにくい程のべた凪。イルカがいれば、その黒い頭がよくわかるのだが、それらしき黒い物が見当たらない。小さな島に上がり昼食とするも、そこにも現れない。イルカは今日は出張しているのだろうか。

イルカ居ないか、と単調な海を彷徨ってこんな小さな岬へ辿り着く。

 

海ではありふれたと言えばありふれた光景。広い海ではあるが、地層の模様を見ると、海より大きな地球の存在を意識する。どれ一つとして同じではないその姿に飽きることはない。

海には剥き出しの地層がたくさん見える。こんな地層もよくある姿。

 

縦のスジ、横のスジ。堆積した時代を示すスジもあれば、変動した時代を記録するスジもある。表面に積もった土砂の性質を表すスジもある。この横スジは、縦スジは・・

線にばかり気を取られていたがふと見ると、こんな不思議な物に目が行く。

 

これは球状の石。長さ70~80センチ位だろうか。平らな地層から突如飛び出して、しかもこの模様。宇宙の果てに棲む邪悪な怪獣の玉子とも思える不気味な物体。この形は、この色は、いったい何だろう。おや、あそこにも。

 

こちらは巨大カボチャのような石。ハロウィンにはまだ早い。菊模様の練切り菓子のようにも見える。石川県は練り菓子も有名。海辺の崖も、和菓子のおもてなしをしてくれているのだろうか。季節が進むと赤や黄色の菊を咲かせるとか・・

まだイルカは見えない。もしかしたら引っ越ししたのだろうか。

変わったクラゲが居た。長い触手。

 

以前、水中に手を入れて間近で写真を撮った時、触ってはいなかったのに酷い痒みに見舞われたことがあった。それ以来、触手の長いクラゲには近づかないようにしている。そんな事で水面上から撮った一枚。

う~ん、やっぱり陰険な、不穏なトゲトゲ。

今回会ったクラゲはこれ一つだった。今年はあまり発生していないのか、この湾にはいないだけなのか、それとも今はクラゲの時季ではないのか。単調な海で出会う物は、イルカやウミガメのような観光大使でなくとも、なぜか嬉しい。

 

広い湾を、ほんのちょい漕ぎのつもりだったのだが、イルカを求めてなんだかんだで20キロ以上になった。イルカは居なかったが大きな湾でのほんの一筆の距離に、能登の海を漕ぎまくった、と言う充実感が溢れた。

 

今回一緒に漕ぐ友人たち、一人は80才近くの女性。タンデムで漕ぐ年配の女性は何人か知っているが、一人で20キロを、それもひょいひょいと漕ぐ女性は、この人しか知らない。漕ぎ終わればカヤックを運び、買い出しにも行き、夜は二段ベッドの上段で寝る。毎年会うごとにパワーアップするその体力、気力に脱帽する。私の師匠だ。

 

ちょっとのんびり漕ぎ過ぎた。夕方にゴールし、急いで今日のお宿へ向かう。夜中、強い雨が襲ってきたが、洒落たお宿で快適な一夜を過ごしたメンバーだった。

 

さて、明日はいよいよ、あの島へ。

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886.能登の旅 その1 ― 海辺の出来事

2018年09月19日 | Weblog

先日、念願の能登漕ぎに行って来た。 まだ寒い冬の日に願い、初夏の日に決まり、稲が黄金色に実る日に、やっと行って来た。 「やっと」、「念願の」と言うと、どんなに大そうな遠征だったか思われそうだが、漕いだ距離は強者には笑われそうな、ささやかな距離。それでも、百近く残している「冥土の土産」の一つを手に入れた、そんな海漕ぎの日々の記録。

 

関東に、毎年1年に1度、一緒に漕ぐ友人たちが居る。今年も又その友人たちと漕ぐのは能登の海。能登と言っても広い海、そのほんの一部の極僅かを漕いだだけだったが、いろいろな物を見、いろいろな事に出会い、半島ぐるりとドライブして、たくさんの記憶と記録を残せた。

4日間の旅のまずは1日目。

この日は移動日。 家からみんなとの合流地までは寄り道しなければ300キロ、5時間弱。しかし、せっかくはるばる行くのだから、寄り道しないなんてもったいない。そんな罰当たりな事は出来ない。こことここに行って、それとそれをやって、あれとあれを見て・・。盛りだくさんのプランを引っ提げて家を出る。

ゆっくり明ける朝に付き合って、ゆっくり家を出た。そして、もっと早くに、夜明け前に出れば良かったと、ちょっと後悔しながら3時間走り、最初の寄り道をする。

 

渚のドライブウェイ。時々CMで見るお馴染みの浜。ずいぶん前に家族と来たことがあるが、昔も今も「海の道」は変りなくあった。どこまで水際に近づけるか、試してみたかったのだが、試した結果、「そっか、ここまで来ては、動かなくなるんだな」との結果を記録するのも厄介そうなので、試行はこの辺りまでとした。 

結果、ここまでは安全に走行できると記録する。海が荒れる日には通行止めになると言う。きっと私のような、試行の限界に挑戦する輩がいるからだろう。ちなみに、ここで海にはまって動かなくなった車はいるのだろうか。そんなアホはいるのだろうか・・

8キロ程走り、渚を出るとこんなオブジェが迎えてくれる。

 

これは桃太郎だろうか。

 

これは・・。砂で造られた見事な像。細かな所まで繊細に作られ、この浜の砂ならではの作品なのだろう。雨が降ったら崩れるのだろうか・・

今思うと、もっとゆっくりと説明を見ておけば良かったの思うのだが、その時はまだ先にいろいろな寄り道が待っていたのでちょいと端折ってしまった。 

その先は、正道を敢えて外し、邪道の細道を敢えて選んで次の目的地へと進む。これ以上行かれないと言う所で車を降り、急な坂道を歩いて着いたのはこんな所。

 

青い空に白い灯台が浮かび上がる。現存する日本最古の木製灯台とか。遠い日に、暗い日本海の荒波を行く船を港に導いた命の灯だったのだろう。どれだけの船がこの灯台を見上げて来たのだろう。

丸い灯台を見慣れている目には四角灯台はレトロであり、斬新である。四角い高い物など、今の世の中いくらでもある。しかし、のけ反って見上げる高層ビルに郷愁を感じないが、こんな小さな方形の建物には切ない程の懐かしさを感じる。札幌の時計台も、道後温泉の櫓も、古い寺の朽ちかけた鐘楼にも、似た感情が湧く。「四方」と言う形状には人の心を動かす秘めた力があるのだろうか。

世間では最近、こんな所を「パワースポット」と称して騒ぎ立てる。私はその言葉は好きではないが、やはり何かの霊力を感じるのはなぜだろう。

 

そんな灯台の帰り道、な、何としたことか、この私としたことが、こんなことになってしまった。

 

「狭道愛好家連盟関西支部長」を自認する私としては、甚だ不本意な状況となった。渚の浜で動かれなくなる、そんなアホがいるだろうかと嘲ったが、渚でなくても動かれなくなるアホがここに居たとは・・

幸い、すぐにレスキュー隊が来てくれたのだが、かなり落ち込んだ。30数年の運転歴で、事故はまだないが、脱輪は3回。しかし、3回ともすぐ近くにお助けマンが居て、いつも何とかなって来た。

今回も脱輪を戻すのはあっという間だったのだが、その後に・・。それを話していると陽が暮れる。最終目的地はまだずっと先なので、この話はまたいずれかの機会にお話し、しよう。

 

気を取り直し、友人たちとの合流地への道すがら、こんな所に寄る。

 

当初のプランではここで遊覧船に乗り洞窟に入り、更にその先の幾つもの見所に行くはずだった。しかし、あの事件ですっかり時間と気力が失せていた。

何だかんだでみんなと会えたのは陽が陰る頃。1年ぶりの再会に話が弾んだことは、言うまでもない。

 

終わり良ければ全て良し。 さぁ、明日は漕ぐぞ!

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885.びわ湖ガールズの日 ― びわ湖の夏はそろそろかまだまだか

2018年09月02日 | Weblog

ちょっと前の話になるが、

夏も終わりだろうか、と思う日。いや、まだまだ夏の盛りだ、と思う日。そんなある日に、久しぶりに「びわ湖ガールズ」の顔ぶれが揃う。みなそれぞれにカヤックを楽しんでいる面々だし、それぞれの人とは時々漕いでいが、揃ってびわ湖、となると稀になる。2年ぶりとは驚いた。

 

1週間前の夏風邪が尾を引いてか、ぶり返した暑さにやられたか、体調が万全ではない。それに加えてメンバーの一人が、「ステテコを買いたい」とご所望。湖西名産の縮みのステテコ、となれば漕ぐ場所は決まりだ。そんなこんなで今日の漕ぎはちょこっと漕ぎの10キロ程。

さて、今日はどんなびわ湖になるだろう、と漕ぎなれた水辺に漕ぎだす。

 

先日の台風のせいだろうか、岸が露に削られている。海では、遥かな時を過ごして幾重にも重なった地層が石となり岩となり崖となり、硬い美しさを見せる。びわ湖の、できたばかりの地層はチョコレートケーキのような、柔らかい、しかし痛々しい切り口を曝け出す。

 

今回は遠くから見るだけだったが、このケーキ、じっくりと調べたらこの岸の日記が記されているかもしれない。30年前の嵐で飛ばされた誰かのサンダルや、20年前の台風で壊れたボート小屋のトタン板や、10年前の洪水で流れて来た皮のカバンとか・・

100万年ものびわ湖の歴史の中の、ほんの一瞬の出来事の地層。水郷の「ぞうりの木」や片上池の「やかんの岸」が、何も語らない過去の記憶が今にその水辺の記録となっているように、今見ているケーキの岸にも、誰にも言わない記録があるに違いない。ちょっと覗いてみたい。 それにしてもこのケーキの地層、1メートル積もるのに何年かかったのだろう。

 

水泳場には色とりどりのテントが立ち、砂遊びの子、泳ぐ人、カヤック、サップ、ジェットスキー、何やら見た事のないバカでかい浮袋? それぞれのびわ湖を楽しんでいる。

じきに「留守番の木」の岸。

 

この浜がこんなに賑わっているのは珍しい。知る人ぞ知る、の浜だと思っていたのだが、良く晴れた日、朝から30度もある日、夏休み最後の日曜日とあっては私の秘密の浜も大賑わいだ。そのせいで、岸に近づくのをためらった。留守番の木にも、沖から手を振って挨拶とする。

 

車が入れる岸にはジェットスキーもたくさんいる。思うに、彼らは、自分が乗って楽しむことより、ギャラリーに見せることを楽しんでいるのではないかと。 人が大勢いる岸から程近い、カヤックが近くに居るという所では急ターンで波を作ったり、ジャンプしたりする。それを技の披露とも言うだろうが、迷惑とも言う。

しかし、人もサップもいない、広々とした、波立て放題と言う所でやっているのを見ることがない。歓声と拍手が原動力なのだろう。そう言えば、冬の海でロールをするカヤックも、周りの期待と声援におだてられ? 回っている(と、私は思うのだが)。本人は「冷たくない、寒くない」と言うが、思うに、絶対に、冷たく寒いに違いない。 冷たい・寒い、の感覚が各人で違うと言われれば、それもそうだが・・

 

朝から30度の気温も空の雲には秋の気配がする。

 

浜を外れると湖面を騒がせる物はない。こんな所は岸の匂いを身に被せ、草のささやきに耳を傾ける。静かだ。広いびわ湖を漕いでいて、ちょっと寄り道のクリークに入ってみる。

 

今は一面に広がるヒシ。ここは5月にはキショウブが、7月にはコウホネが、9月にはホテイアオイが咲く。まっすぐ駆けて行くカヤックには見えない秘密の場所。私のお気に入りの場所。ヒシが小さな実を付けていた。冬には「まきびし」に仕上がるヒシだ。そっと見守ろう。

その先は安曇川デルタ。 支流か本流かクリークか。あるいはジャングルか。とりあえず彷徨ってみよう。

浅い川床の向こうにはサギの群れ。近づくと一斉に飛び立つ。

 

ずいぶん離れていると思うのだが、何を怯えているのだろう小心者が。ただのカヤックなのに。 その割には小鮎をつつく様は傍若無人だ。漁師の仕事を横取りする。それにしても青い空を背景に一斉に飛び立つ白い姿は壮観だ。

この辺り一帯はどこを入ってもジャングル気分の水路が続く。水位によってこの筋から隣りの筋に行かれたり、小枝をかき分け密林探検家となったり、水草を引き寄せながら進んだり、まさしくジャングルとなる。

しかし、今回は緑のジャングルは飛ばし、先へと進む。このジャングルはナンキンハゼが葉を赤く染め、白い小さな実が実る頃、その時の楽しみにとっておこう。

 

昼に上がった園地の岸。この園地こそ、知る人ぞ知るの超一流の穴場のはずなのだが、これまたテントを立てたキャンパーが何組もいる。 私たちだけの、ごくごく限られた、びわ湖に認められた一部の人間しか知らない岸だと思っているのは、見識の狭いカヤック乗りだけのようだった。

簡単なランチが済むと、急ぐ用があった訳ではなかったが、その岸にゆっくりすることもなく発つ。

先日の台風のせいか、いつもは澄んでいる岸もちょっとくすんでいる。それでもこの辺りは抜群にきれいだ。

と、おや? これは、

 

魚を撮った訳ではない。 水面下1メートル位の所に、岸から沖に伸びる石畳。幅2メートル程だろうか。この辺りは自然の石が広がるような場所ではない。明らかに人工的に整然と並んでいる石。

びわ湖にはいくつかの湖底遺跡がある。遺跡、と言うほどに時代が遡っていなくとも、100年ほど前まで使われていた桟橋跡や、戦国武将の水城に続く秘密の馬道、とまことしやかに語り継がれる石畳もある。 今、カヤックの下に続いている「石畳」とおぼしき水中参道は、いったい何なのだろう。これも又私の『びわ湖七不思議』の一つだ。

今日を逃すとびわ湖に浸かるのは来年までお預けか、と慌ててびわ湖に浮かぶ。温く柔らかい湖水から見上げると、朝感じた秋の気配は消えて、空にはまだ夏の雲。夏休み最後の良く晴れた日曜日、湖西の岸辺は残りの夏を楽しむ人たちが賑やかに集っていた。

 

びわ湖ガールズの今日の漕ぎ、大きなイベントもなく、激動の漕ぎもなく、スペシャルな冒険もなく、感動の出会いもなく・・淡々と、緩やかに、久しぶりの再会を思い返すようなびわ湖だった。びわ湖の夏はそろそろ終わりだろうか、それともまだまだ続くのだろうか。

 

 

そう言えばこの『B.G』のメンバーで漕ぐのは今回で7回目。昼はたいてい何かを作った。チーズはんぺんだったり、野菜担当の人が「野菜忘れてきた野菜味噌鍋事件」の時もあったし、パスタ&スープを作ったり、アサリ鍋のためにわざわざ高速乗ってアサリを買いに行ったり、飯盒で炊いたご飯と茶碗蒸しのランチの時もあった。

メンバーそれぞれの、びわ湖の歴史を作ってきたランチだった。次回はそう遠くない秋の日に、どんなランチで集おうか。

 

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884.夏の日の雑談 ― 漕がない川の思い違い

2018年08月23日 | Weblog

ちょっと話は古くなったが、記録的な暑さになったこの夏に、漕がない、まだ記録していない水辺が幾つかあったことを思い出し、記憶代わりに書き記す。

 

ある日の午後、軽く海漕ぎをした後に、「塩抜き」とばかりに近くの滝へ行った。 

4年前に一度来たことがあるのだが、通った道は全く覚えていない。これで良いのだろうかと心配すると運転する人が、以前来た時にこの曲がり角の岩に擦りそうになりながら通ったので、この道に間違いない。と言う。

よくそんな事を覚えているものだと恐れ入った。

恐れ入ったのだが、道は間違えようのない一本道。対向車が来たらどっちがバックするか喧嘩で決めなければならないような道も、喧嘩することなく誰にも会わずに着く。

 

車を降り、更に細い崖路を行くと鳥居のようにそびえる大杉の幹の間から目指す滝が見えてくる。注連縄が張られ、聖域の滝への入り口であることを示している。

 

 古和浦の滝

 水音を轟かせて三段の滝が落ちています 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4年前に来た時には手にすくい、「天恵水」として口に含んだ。山の水は、見た目にはきれいであっても野生動物の糞尿が混ざらないとは限らないし、その結果のウィルスや細菌がいないとも限らない。だから、原則、生水は飲まない方が良いのだが、時々「天恵水」として口にする。何度か飲んだが未だ発病はしていない。(と思っている)

今回は猛暑の最中、塩抜きを兼ねてどっぷりと浸かる。。

 

修験者であれば「滝行」と言うのだろうが、払うべき邪念のあり過ぎる身としては、「行」と言うのはおこがましい。滝壺に落ちる水は、見る以上の圧力がある。全身の筋と筋肉と骨とを気合でつないでおかないと、下手すると首の骨が折れる(と思われた)。 

以前は、風呂屋の打たせ湯程の水で「滝行」と言っている映像を見るにつけ、あんな程度の水量で「滝行」などと、偉そうに言うんじゃない。と思っていた。しかし、水の力はか弱そうに見えて、その実強靭だ。そう言えば、川でも海でも、水の力を侮って痛い目に遭う事がよくあることを、思い出した。

 

早々に水から上がり、お不動様に水辺の安全を願い、お借りした滝の礼と、騒いだ詫びを言って滝を後にした。 しかし、お不動様、4年前にもこんなに鮮やかないでたちだっただろうか・・

 

またある日には、こんな水とも触れ合った。

 

山肌を駆け下りて、勢い余って苔を踏み抜いて落ちる水。斜面のあちこちで飛び出すさまは、火花を水玉に変えた線香花火のようでもある。チクチクと刺さるような水も、これも又「天恵水」と手に受ける。

山の水は手に受けられる姿にもなるが、どんなふうに変身しているのか、見せてくれない水もある。

 

 北山川電力所

 電力所と発電所
 どう違うのか?

 

 

 

 

 

送水管だろうか、山の斜面に長く線を引く。あの中を滑り落ちる水はどんな姿をしているのだろう。大玉の塊が波状砲となって転がっているのか、幾百万もの泡となって飛び跳ねているのか、それとも小さな鋭い槍となり、互いを突き合いながら落ちているのか。

余談だが、発電所と電力所の違いを、この場に来て初めて知った。私の人生の中で「電力所」と言う言葉はそれまでは存在しなかった。そうだったのか・・

更に上流を目指す。

川には橋は付き物。1日何万台も通る橋もあれば、こんな橋もある。

 

木の吊り橋。厚く苔の生えた橋板。夏の日の絵葉書にありそうな一場面。この橋が活躍していたのはいつだったのだろう。木こりが腰に弁当包みを下げ、斧を担いで渡ったのだろうか。猟師がイノシシを引きずって渡ったのだろうか。あるいは隣村の医者に行くために子を負ぶった母が渡ったのだろうか。

橋は此の岸と彼(か)の岸を繋ぐもの。目の前にある橋は、今の時と彼の時を結ぶもの。朽ちかけた橋板の向こうは異次元の世界に陥りそうで、足が止まる。

また、こんな吊り橋もあった。

 

これは今も使われているのだろうか。踏み板の上に置かれた網が近年のにおいがする。瀬音を透かせて橋が揺れる。これも又行き先不明の、不思議な、ちょっと怖い、それでも心時めく橋だ。いったいこの先には何があるのだろう。

めったに人が通ることはないだろう、と思っていると、意外と林業の車と会う。私が出会って来た「林道」と名の付く道はたいていが、落石や崩れかけた路肩や枯葉の積もった道が多かった。しかしこの川沿いの道は、意外ときれいだ。少なくても1週間以内には誰か通ったな。と思っていると、今日、通っている。この道は生きている林道だ。そして気が付いた。ここは林道ではなく、れっきとした国道だった。

 

橋の上から見下ろせば、二つの川の合流点。地図を見ても川の名前が記されていない。その代わり「〇〇谷」と言う名がその川筋に被さっている。確かに、谷には水が集まり川となる。この深山では谷と川とは同じ意味の言葉なのだろう。

まさかこれが国道か、と思うような道。(私たちのような)マニアにはたまらなく魅力的な酷道も、崩落現場の通行止めで引き返すことになる。向こうに光が見えるトンネルの先はどうなっているのか行ってみたい気持ちが沸騰していたが、しかし、もしこの先まで行かれたなら県境を越え、更には紀伊半島奥深くまで踏み込んで行ったに違いない。良い具合の所でストップがかかったものだ。

引き返す道で気が付けばこんなダム。

 

クチスボダム。10年以上前、初めて地図でこの名前を知った時からクチスボとはさしずめ、このダムを設計したオランダ人の名前だろうかと思っていた。この名前に漢字があったとは、これも又初めて知った。「スボ」には形容がないが、「窄」にはその背景を知る手掛かりがある。私は「口窄ダム」であってほしいと思うのだが。

このダムの下流域には確かに水が流れていたのだが、この辺りでは乾いた河原が広がるのみ。伏流水なのだろうか。あるいは放水口が別にあるのだろうか。下流の惚れ惚れする清流の兆しは、まだここにはなかった。

その惚れ惚れする清流とは・・

 

魚飛渓。名高い澄んだ渓流。夏の水辺は泳いだり飛び込みをする子供たちで賑わっていた。私も今年初のシュノーケルを持ち出した。

 

水鏡はよく見る。油を流したような水面に周りの景色が映り込み、シンメトリーの世界を作る。水の表面には鏡がある。しかし、水の裏側にも鏡があると言う事、これもまた初めて知った。

水は、熱く、冷たく、固く、柔らかく、透通し、反射し、命を育み、命を奪う。「水は方円の器に随う」と言う。また「水清ければ魚棲まず」とも言う。水はいったい、人はいったい、どんなあり方、生き方をすればいいのだろう。

火照った体を冷やして川から上がった。

実は、この川に来てとんだ勘違いをしていたことに気が付き、ガツンと一発食らった気がした。

この渓流「魚飛渓」、長い間、銚子川だと思っていた。「清流銚子川の魚飛渓」と。銚子川には何度か来たがその都度、銚子川の魚飛渓、と言っていた。しかし今回、魚飛渓は銚子川ではないと知った。その支流の「又口川」に位置していた。思い込みとは恐ろしいものだ。

以前、ある人が、「北山川を熊野川と思い込んでいた」と言っていた。全然違うでしょ、と笑ったのだが、又口川と銚子川も、末には合わさったとしても、やはりそれぞれの別の生まれ故郷を持つ別の川。今まで間違えて言っていたことを恥じて、詫びた。

 

今回の川紀行でいろいろな事を知った。記した事、まだ記していない事。そのどれも自分史の1ページとなった。

そうそう、まだ記していなかった事の1つ。

人生初ヒル にやられた事。ヒルは引っ張ても簡単には取れない事、火をつけると取れる事、そして、噛まれると血が出る事。

 

1つでは、なかったか・・

 

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883.更新と消去 ― 座佐の記憶と記録

2018年08月11日 | Weblog

このところカヤックの記録が滞っている。 猛暑で気力が失せていることに加え、盆前の行事や野暮用が重なり、カヤック記憶も曖昧になって来た。これは大変と急いで記録にかかる。

                                                                                                                                

台風の余波が残る日に、ここなら大丈夫と漕いだ海跡湖。久しぶりに、1年半ぶりに漕いだ。今回は毎度毎度の人と、お久しぶりのBBさんと。BBさんとは2年ぶり? お互い変わらないね、と言いつつも、思い出せないほどの多くの出来事が詰まったこの年月だったようだ。

いつもの出艇地には絵になる木が幾つかある。川べりに立つセンダンの木は新緑の時、薄紫の花の時、鈴なりの実を付けた時、レースの枝越しに青空を透かせる時。それぞれの時に、この地であることを語るランドマークの木。

  

また、海辺立つ桜木は、海霧の雲海に包まれる朝の時、勇ましく漕ぎ出るカヤックを見送る昼の時、海苔網を優しく守る夕べの時、月明かりを長く伸ばす夜の時。それぞれの時に、この地であることを知らしめる灯台の木。

そんな名高い木ほどには気にされないが、こんな木もある。

 

ヌルデ。どこにでもあるが華やかさはない木。この出艇地には数え切れないほど来ているのに、この木をこれ程意識したことはなかった。と言うか、ここにヌルデの木があったことに気が付かずにいた。

春に、夏に、秋に、冬に。朝に、昼に、夕に、夜に。いったい何十の出会いの機会を、私は通り過ごして来たのだろう。罪悪感のような気持ちが湧いた。 人生で出会ういろいろな人たちとの関わりも、自分の気づき1つで光り輝くものにも、透明なものにもなるのだろう。人生訓を聞かされた思いがした。

 

今回目指すのは座佐の池。ちょいと一漕ぎの所ではあるが、湾内のたおやかな水辺と外海の猛々しい雄叫びを兼ね備えている海。ただ、今日はしゃっくり程度の風がそよぐだけ。

 

漕ぎだせば夏の青い海。見慣れた景色に写真を撮るのも忘れていると、長く緩く弧を成す座佐の浜となる。今日は海と池はつながっているだろうか。 気が急いてくる。

 

この浜を象徴するこの物体。荒らしの夜に流れ着いたのか、ある使命を帯びてここに置かれたのか。幾多の波と風に耐え、化石となってもこの場に踏ん張る塊。力強くも物悲しい、この浜のランドマークとなっている。

さて池は・・ このところたいした雨は降っていなかったようだが池の水位はだいぶ上がっている。

 

この海跡湖、砂州で海と隔てられているが、時には、めったにない事ではあるがその砂州が切れて海とつながることがある。その時には海から池へ、池から海へ漕いで行くことができる。いつだったかその流れを遡り、海から池へと入ったことがある。もう、何年前の事だろう。あれから何度も来ているが、海に注いでいる場面には出会わなかった。砂州が高い堤防となっていたからだ。

今回は池の水位は上がっていたが、やはり砂州が海と池とを隔てている。よいこらしょ、と舟を運び、海漕ぎから池漕ぎとスイッチを入れ替える。

池は北に少し大きめの物と、南にそれより小ぶりな物とがある。いつ来ても二つの池はつながっていず、しかし、確かに水が流れた跡だけを見せていた。今日はどうだろう、まずは南池から。

 

ひっそり広がる湖面は木々の緑を映し込み、幾つもの伝説が潜んでいそうに謎めいている。この池に来るには、カヤックならほんの一漕ぎだが歩いて来るとなると、山道を冷や汗かきながら歩かなければならない。だからだろうか、人工的な臭いのない世界がある。「ガラパゴス」とは、そんな隔絶された世界の代名詞として使われるが、この池も又歩く人にとってはガラパゴス状態なのだろう。ただ、カヤック乗りにとっては散歩ほどにお手軽な水辺だ。

池の向こう岸に挨拶に行かなければならない物があるが、それは後のお楽しみと北池に進む。

 

今回は水位上昇により北と南の池が水路でつながれていた。何度来ても中々漕げないこの水路。ここに水があるのを見たのはずいぶん昔の事となった。 ずいぶん昔の事は、それが事実だったのか、希望だったのか、空想だったのか、記憶の中で混沌とする。何年か前にこの水路を漕いだと言う記憶は、あれは現実の事だったのか、妄想の事だったのか。

しかし今は、確かにこの水路を漕いでいる。 びわ湖水郷の桜公園が水没して散策路をカヤックで漕げるようになるのは、びわ湖の水位を調べればわかる。しかしこの座佐の水路が漕げるかどうか、知る術はあるのだろうか。わからないから運任せの「幻の水路」なのだろう。そんな水路を抜けると大きく広がる北池。 

  

東に目を向ければ大きく湾に伸びる砂州。あの向こうは海。万人を受け入れるそぶりをして、時々大波を食らわせる外洋のうねりをとどまらせる自然の堤防だ。 西に目をやれば、緑深い山々。「平家の隠れ里」と言われれば、さもありなん、と納得できる山と谷。「伝説の池」と言われれば、やっぱりな、と頷く池。

 

水際にはハマナツメやカヤが生い茂る。これは何と言うカヤだろう。いつも気になっているのだが、はっきりとした答えが得られていない。気になる植物だ。岸をぐるりと回りまたあの水路を通る。

 

この池に初めて来たのはカメラさんと一緒の時。水の流れていないこの場所で記念の一枚を撮ってもらった。その時の写真を、今も大切に飾っている。カメラさんのカメラを借りて撮った写真は、どれも「修正後」のようにきれいに撮れていた。カメラさん、どうしているだろう・・

 

幾つもの踏み跡を残してきたこの道を、今日はパドルの雫を残して行く。 北池に入るとこんな花が目に入る。

 

ヒオウギ。以前ある人がこことは別の海跡湖でヒオウギを見たと言っていた。私も実物を見たいと思い、花の時季に行ったのだが見ることはできなかった。今は図鑑でもネットでも簡単に見ることはできるが、生きている花の(木の)、生きているがままに出会えてこそ、そこに宿る生命の不思議と力を感じることができるのではないかと思っている。汽水湖に生きるヒオウギ、思いがけずにその生きざまを見た。

そして、クライマックスのこの「錆びた物」

 

 

 お久しぶりです、お元気でしたか

 おやまぁ、今日は暑いので

 水に浸かっているのですね

 

 

 

 

  

水位が上がった池は「錆びたエンジン」に足浴をさせていた。何度も会っているこのエンジンが、これほど水に浸かっているのは初めて見た。 水が干上がっている時には船板が見え、これも又「廃船」と呼べるのだろうが、今はその板も見えずただの錆びたエンジンでしかない。その錆びた物を訪ねて、何年が経っただろう。この池にもこの錆びたエンジンにも私の歴史が刻まれている。

                                                                                                 

たいした距離ではなかったが、何かずっしりした思いを胸に元の岸に戻った。途中、「神社跡地」の石碑がある前に来ると、今回寄らずに素通りすることに心落ち着かないものがあった。 あれほど散々調べたが、とうとうわからなかったあの「神社跡地」。 目印にしていた黄色い浮きも今はなく、岸からは見えない茂みの中にあんな石碑があることなど、いったい誰が知っているだろう。

あの石碑を見たと言うのも、もしかしたら夢だったのかもしれない。あの石碑は幻だったのかもしれない。 最近はそんなふうに思いながら石碑前を通ることがある。

 

記憶に残るもの、残らないもの。記録に残した事、残さなかった事。私のカヤック史は更新と消去の追いかけっこでできている。

 

 

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