カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

875.消える歴史、生まれる歴史 ― ガイドデビューの水郷

2018年05月29日 | Weblog

先日、「チーム・気まま」で水郷を漕いだ。 水郷は、「その時のそこ!」と狙い撃ちして漕ぐ時もあるが、びわ湖漕ぎを予定していたが風が強くて漕げない時に代替えコースとして利用することもある。

今回は、びわ湖漕ぎの予定の日に、そよ風が吹く穏やかな日に、田植えの水が入って1年で一番濁っている時季に、澄んだびわ湖を外して水郷を漕いだ。 まぁ、その理由には整形外科的諸事情ってやつがあったりして・・

と言う訳で、のんびり漕ぎの水郷へやって来た。

水郷へは、春に桜が咲いたからと、夏にヨシが茂ったからと、秋に水鳥がやってきたからと、冬に枯れ穂に雪が積もったからと、口実なんて必要なく、行きたい時に行っている。 のはずなのだが、車では行っても、漕ぎに行ったのは3年ぶりだった。何と、ご無沙汰したことだろう。

そんな水郷にさっそくに漕ぎだす。

いつもは偉そうに「案内役」を豪語する?私だが、今回は相棒がガイド役。 コースは(私が名付けた)南水路から北水路を抜け、西ノ湖から中水路で戻るコース。

     ガイドさん、よろしくお願いします。
     迷路の水郷、遭難せずに帰れますように。

迷路、とは言うものの、目印がたくさんあるし、どこでも上がれるし、岸伝いに行けば必ず戻って来られるので(たいていの場合は)、遭難するのは難しい。途中出会った屋形船の船頭さんと挨拶をかわし、ガイドデビューの相棒の後ろ姿を追いながら行く。

細い水路を抜けると広い湖面。ちょっと風が吹く。久しぶりの桜の公園。東屋もカヤックから見ると緑の中に埋もれている。ここは思いがけない出会いがあった場所、あとでゆっくり来よう。おっと、ガイドさんがもうあんな所に。

ヨシキリの声が響く水路を抜けると目の前が大きく開く。西ノ湖に出た。 地図で見ると単調な内湖のようだが漕いでみると、ヨシの湿地や小さな船溜まり、朽ちた板橋、田んぼの跡など、想像と好奇心をくすぐる見所満載の内湖だ。今回はチラ見をするだけにとどめる。

 

とは言うものの、ここまで来たならちょいとあの木にご挨拶に行く。

「境界の木」 以前ちょうどこの木の所が二つの市町の境界だったのでそう名付けた。今は合併され一つの市になったので境界はなくなったが、それでも「境界の木」はその役目を果たしている。境界の木は、秘密の水路の入口の目印でもある。 陸からは見えない、水面を行く者にしか見えない秘密の水路。 今はヨシが更に水路を狭めていた。

      ここ、本当に秘境っぽいんだけどな、行きたいな・・

いやいや、ガイドさんはもう引き返している。心残りではあるが、私も戻ろう。

 

西ノ湖から元来た水路を探してみても、素人さんには? ちょっとわからない。新米ガイドさんはわかるだろうか。

大丈夫、あの木が目印。「角の木」水路の角に立つ木。 周りの木や草が枯れる冬はよくわかるのだが、緑が濃くなるとどの木も同じに見えてくる。そんな時の目印は・・

角の木も無事にクリアしてその先は、

 

 

 「双子の木」

 どうやら「二卵性」のようです
 

 

 

 

 

 
何年か前の冬の日に、初めてこの2本の木を見た時、左右同じように枝を伸ばしているので双子のように見えた。それで「双子の木」と名付けたのだが、こうしてみると葉の付き方が違う。ガイドさんが「これは二卵性だね」と解説してくれる。そのようですね。

時代劇の撮影に使われる橋がある。ある時漕いでいると、「本番なので静かに通って下さい」と言われたことがあった。股旅風の役者を見上げるようにして漕いだことがあった。もしかしてパドルの水音は浪人が乗った舟の水音に使われたかもしれない。そうだったらいいのに。使用料は要らない。

昼食の公園には上陸場所が3カ所あるが、今回は第一ポイント。 上がってさっそくにランチの用意。

ガイドさんのバナナホットサンド(私のリクエスト)。これは意外とイケルので皆に広めたい。 私は、代り映えのしない豚汁。他にあれやらこれやらで、水辺のランチは豪華に彩られた。頂きます!

ランチの後はちょっと散策。ヨシ原の中に散策路ができている。木で作られた物は木道だろうが、金属で(鉄?)でできた物は、やはり「金属の木道」と言うのだろうか。

 子供ならすっぽりと隠れてしまう草丈。高く伸びたトウモロコシ畑の中から往年の野球選手が出てくる映画がある。「君が作れば彼は来る」そんなセリフのシーンを思い出す。誰かが小道を作り、私は来た。

この公園には、にも、いろいろな思い出がある。ウッドデッキから上がった日に「ウッドデッキさん」とあった。何年前の事だろう。ウッドデッキさん、元気にしているだろうか。「先生」の出版記念をしたのは桜の咲く時だった。私の名前が本の1行に書かれていて気恥ずかしかった。水没した散策路をカヤックで漕いだのは、何回あっただろう。

 

船頭さんの漕ぐ舟を見送って、私たちも舟出する。 3年ぶりの竜神さま。しょっちゅうお参りしているような気がするが、何と、3年ぶりの竜神様だった。

初めてお会いしたのはいつだっただろう。その頃は水辺でカメラを持ち歩くことが無かったので写真はない。初めてカメラに残したのは11年前。

 

 11年前の5月

 お社の横に涼し気な木
 竜神様をお守りしていました

 

 

 

 

 7年前の7月

 枝だけ残し木は枯れたようです
 まだまだ大きくなれるはずだったのに
 

 

 

 

 5年前の4月

 枯れた木の反対側に
 若い苗木が控えています

 世代交代の時です
 元気に育てと願います

 

 

 3年前の6月

 背伸びして竜神様を追い越しました
 アカメヤナギでしょうか
 

 

 

それから3年経った今年、竜神様の木はずいぶん大きくなり、お守りする役目をしっかりと果たしているようだ。

水郷にはどこにでもあるありふれた木なのだが、一期一会の出会いの人もいれば、十年一昔の思い出話をする人もいる。 水郷の歴史、竜神様の歴史、そして私のカヤック史が育つ水辺。ありふれた木が特別の木になる場所だ。

 

大きく広がるヨシ原。ヨシキリが盛んに鳴く。近くに巣があるのだろうか。賑やかと言うより騒々しい。水辺の鳥たちは、白鳥にしてもカモにしてもアヒルにしても、上品な鳴き声の鳥を知らない。カワセミでさえ、うるさくはないにしろ、可憐とも優美とも思えない。アオサギに至っては、10羽いたら騒音に近い。

 

その先には「スカートの橋」。地図には別の名前がかかれているが、この橋は「スカートの橋」以外の何物でもない。

腰板の外れた所にも風情がある。変に新しい板を貼ったりしないでもらいたいものだ。 古くなり朽ちて崩れることがナチュラルな自然であるなら、そこに人が手を加えない事がネイチャーの自然ではないだろうか。昔ながらの風情と言うならこの外れた腰板の橋こそ、昔ながらの風情かと、思うのだが。   

中水路の出口近くにこんな木がある。

 

「ぞうりの木」 7年前に気が付いたのだが、倒れたヤナギの根が抱えていたぞうり。剥き出しのはらわたをさらけ出し、それでもしっかり抱えていた鼻緒の切れた草履があった。水郷に来たら懐かしさにおいて、竜神さまと同じ格付けにある草履の木だ。 今はヨシが広がり、「ぞうりの木」の草履を見つけることは難しい。

何年か経てば、これが「ぞうりのき」であることを知る人も居なくなるだろう。残念な気がするが、そうやって水郷は新しい顔を作りながら歴史を重ねていくのだろう。ならば私は消える水辺の語り部になろう。

 

水郷を漕ぐのはこれで20回目位だろうか。漕ぐたびに歴史が積まれて行く。消える歴史、生まれる歴史。水郷に来る人はどんな歴史を作っているのだろう。とりあえず、相棒のガイドデビューは無事終わり、新しい歴史が生まれた。

 

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874 山にも海にも懐かしさ ― 記憶も揺れるゆらの海  

2018年05月26日 | Weblog

先日、久しぶりに和歌山の海を漕いだ。メンバーの中には、その気さくさ? フレンドリー? でかい態度? は、もはや「歴戦の友」と言っても過言ではない御仁もいたが、そんなメンバーで漕いだのは去年の9月以来の和歌山の海。 和歌山の海は前回は風があって予定の場所を変えて漕いだ。その前は現地まで行って、あまりの風に飲んで食べて寝て帰って来た。その前は・・

さてさて、今回はどんな海になることやら。

 

久しぶりの和歌山、海が目的だったが山のあの島も懐かしい。と言う事でインター下りてから更に30キロ程山に向かい、やって来たのはこんな島。「あらぎ島」

島は海とは限らない。びわ湖にも人が住む島はあるし、山の川の畔にも島はある。そんな島は時々あるが、こんな円形の棚田の島は珍しい。5年前にも来たことがある。その時は稲が緑に光り、島全体が盛り上がっていた。この5年でこの田んぼは、この川は、この土地は、何か変わったことはあっただろうか。私の記憶の中の「あらぎ島」は5年前と全く変わらず、時が止まったままだった。懐かしい。

懐かし続きに何度目かの温泉にも寄った。大きな露天には誰も居ず、もったいない、と貧乏性の独り言が出る。

今回は、これまた懐かしい海辺で一夜を過ごす。 その建物で見たこんな物。

 イタドリだろうか。デッキの隙間から申し訳なさそうに顔を出している。 少し前、「良寛さまと竹の子」の話をしたが、このイタドリはどうなるのだろう。明日にでも邪魔者として引っこ抜かれるのか、観葉植物としてデッキを飾るのだろうか、それとも食用として育てられ、ある日の夕げの一皿になるのだろうか。 それを見届ける日にまた来たいものだ。

メンバーが揃い、出艇地へと向かう。 今回ご一緒下さるのは ハンチングさん。 桜のびわ湖で偶然に会って、「また行きますね」と言ったその日がこの日となった。

抜けるように青い空。風無く波無く、今回も絶好の海日和り。このところ天気に恵まれどの日も漕ぎ日和りとなる。ありがたい事だ。 澄んだ水に薄紫の花が咲く

水クラゲはいつ見ても微笑ましいが、こんな色がついていると部屋に飾っておきたい。竜宮城ではタイやヒラメが舞い踊ると言うが、こんな水クラゲのラインダンスも面白い。きっと見た人も魚も居眠ってしまうに違いない。

海は、人を殺し街を破壊し生活を奪い取る力も持つが、癒し、感動、睡眠導入剤の力も持つ。何ともまぁ不思議な存在だ。

そんなクラゲに見送られ、海へと漕ぎだす。ちょいと一漕ぎで着きそうな距離にある島。無人島だが個人の所有なので上陸はできない。あの島は後で見に行こう。まずは岸沿いに岩抜けなどやりながら進む。

大きさはさほどでもないが、幾つかの洞窟がある。しかし、太平洋ではよくあることだが、目の前に波はなくても「隠れうねり」はある。その隠れうねりが洞窟入りを邪魔する。

残念ではあるが、海と空と山のコントラストはちっぽけな洞窟の一つや二つ論外にしても惜しくはない。それほどに面白い場面がやって来る。

 海にはよくある光景。硬いが脆い岩、そこに立つ孤高の木。どこに根を張っているのか。割れ目に風が運んできた土にしがみついているのか、自らの根で岩を打ち砕いて根を張る場所を作っているのか。 猿山のボスザルの様にも見える。一山一匹、私はどの山のボスになろうか。

岩のてっぺんに立つ木もあるが、張り付く木もある。みんな頑張って生きているんだな。

と見ていた岩に目が止まった。おや、あんな所に・・。

おや、あんな所に「ハート」の忘れ物が。

心を忘れて行ったのか、心残りを置いて行ったのか。それとも海への熱い思いを打ち明けているのか。ハートコレクターではないが、こういう形はなぜかよく見つける。これも又私のコレクションの中の「ハート」のフォルダに入れておこう。

ふと気が付くと遠くに見覚えのある景色。あの白く光る岩に懐かしさを覚える。そうか、この先の海だったのか。

こんな景色の浜で昼食とする。4年前に、やはりこのメンバーでこの浜に来たことがあった。その時は今回とは別の浜から出艇したのだったが、それでも確かにこの浜に来ていた。みんなでカメノテやシッタカなどを獲り、それを入れたパスタのランチだった。カワハギの刺身もあった。シュノーケリングをしてスズメダイも見た。 ところが・・

その記憶が朧で、確信が持てない自分が情けなかった。後でその時の記録を見直して、確かにあの日、あの浜に居たことを納得した。

やはり記憶と記録、どちらもおろそかにできない車の両輪だと改めて記録の大切さを思った。 それにしても私の記憶は・・・

思い出の記憶を振り返るに十分な時を過ごし、その浜を後にした。

その先には、行く手を塞ぐように岩礁帯が伸びる。引く潮、押す潮、流れる潮、被さる潮。こんな岩場の潮は予測付かない動きをする。時々押す潮で岩にぶつかり、時々引く潮で岩に乗り上げ。そんなスリリングな事も岩場の楽しみ。

振り返ると、どの岩の間を通って来たのかわからない。モーゼが海を渡り終えると海が閉じたと言う聖書の話。この岩達も私たちが通り終わるのを見届けてその道を閉じたののだろうか。 何年か前、紀伊半島をまわっている時、岩礁帯を抜ける場面で、先導してくれる人がよく「私の5メートル真後ろ、ついて来て!」と言っていた。 今回はそれほど緊迫した場面ではなかったが、そんな古い話を思い出しながら穏やかな海を行く。 

のんびり漕いでももうこんな所。あの島目指してまっしぐら。

蟻島。これは個人所有の島なので上陸できない。この島に限らないが、私有地の浜や島には上がって休憩するのにうってつけの岸がある。野菜の無人販売所のような料金箱があって、「お一人1時間500円で上陸OK」なんて岸があると、ツーリングの楽しみが増すだろう。ばったりその島のオーナーと出会い、島の絶景ポイントに案内してもらったりお茶をごちそうになったり・・ そこまでの贅沢は言わないが。

風も波もなくゴールもまじか。あまりにも穏やかな海にちょっと退屈した辺りで相棒がとんでもないリクエストをする。

「牽引希望!」 牽引したいと言うのではなく、して欲しいと言うのだ。

 

楽ちんカヤックを楽しみたいと。 ハンチングさんは、えっ、まさか、と言いつつも快く(か、嫌々だったか)、しばらく引いてくれる。1人を引くのでも大変だろうが、その横にこっそり私もつかまり、知らん顔してしばらく2人分を牽引させた。 けっこうな筋トレになったのではないだろうか。 お疲れさまでした。

そんなお遊びもして、今日の漕ぎは終了した。

 

まだまだ日は高い。近くにステキなカフェがあると言うので次の作戦を練る名目で行ってみる。

古民家風の佇まいに店内はシックな装い。正直言って私好みの店だった。海辺の窓からは運が良ければ潜水艦を見ることもできると言う。と聞けば、次は「カヤック漕いで潜水艦見物ツーリング」がしたくなる。 

いつだったか東京湾でアメリカの艦船ブルーリッジのすぐ横を漕いだことがあった。とがめられることもなく艦上から手を振ってもらった。舞鶴では海上自衛隊の駆逐艦の横を漕いだこともあった。その時もすぐそばに行っても警告されることもなかった。 きっと何キロも先から私たちの行動を監視していて、カヤックの中に爆弾もロケット砲も入っていないことは透視されているから、こんな近くまで接近できるんだろうね、と話していたものだ。

由良の潜水艦はどうだろう。手を振ったらハッチを開けて手を振ってくれるだろうか。それとも潜航デモしてくれるだろうか。

 

夏を思わせる空の日に、紀州の海を楽しんだ日だった。良い日だった。 次は何にチャレンジしようか・・

 

 

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873.湾の続きは外海 ― 貝と卵と恵比須と鐘と

2018年05月18日 | Weblog

KWシリーズ。 KWシリーズは湾漕ぎを旨としているカヤック。そのすべての岸を余すことなく漕ぎ繋ぐシリーズだ。しかし、厳密に言えばどこまでが湾でどこからが外海なのか、その境界は定かではない。びわ湖と瀬田川の境には標識があるし、淀川と大阪湾の境にはゼロポイントのプレートがある。しかし海には「ここがその境界」と言うピンポイントの表示がない。

と言う事は、これまで漕ぎ終ったと安心している湾も、もしかすると10メートル、あるいは100メートル、漕ぎ残しているかもしれない。カヤックの軌跡に隙間ができると言うのは不本意な事である。

それなら海岸線をすべて漕げば、どこに湾と外海の境界があっても、自信を持って「くまなく湾漕ぎ」と言える。 と言う事で、外海の海岸線もくまなく漕いでいる。そんなある日の記録。

 

風無く、波無く、注ぐ日差しはあっても暑くはない。天気予報と言う未来世界の予言など、丸めてゴミ箱に入れても罰は当たらないほどに穏やかな日。漕ぐ距離も大してなく、ちょいとカフェに行くような気分で漕ぎだした。

途切れなく海岸線に軌跡を残すため、この海を漕いだ日の最終ポイントまで行く。 その日は五ケ所湾を出て東へ向い、途中から引き返して終了した。今回はその引き返したポイントに行くために、出艇しやすい浜まで戻り、そこからスタートする。

程なくしてこんな岩が見えてくる。

おそらくウの糞だろう。雪を頂く山のように天を突く岩。これは「白槍岩」と名付けよう。以前、この岩の少し先の浜まで来ていた。今回はそこが今日の本来のスタート位置。では改めてスタートする。

この海に来たのは4年前の事となった。その日も穏やかな海で絶好の漕ぎ日和だった。5キロ程先の海水浴場がはっきりと見え、ちょいと一泳ぎで行かれそうに近くに見えた。あの日からもう4年も経ったのか。半年前だったような気がするのだが。

小さな磯があり、大きな浜があり、大きな崖があり、小さな岩がある。緩急取り混ぜたバラエティーに富んだ海が続く。夏日だとか、熱中症だとかの言葉がニュースで出てはいたが、初夏の薫風が岸から離れた海の上にもそよいでいた。磯の香りと新緑の匂いのデュエットが流れる。

漕ぎを邪魔する風も波もないが、太平洋の奥から遠慮がちにやって来るうねりが岩礁に眠気覚ましの白波を立てる。

見とれていると突如目の前に隠れ岩が現れ、ヒヤッとする。波が崩れて消えたのでそこを通ろうとすると海面が引き、次の瞬間横の岩に覆いかぶさる。その波に押されると岩に乗り上げる。おっと危ない、座礁するところだった。 

なんてことにならないよう、こんな岩礁地帯は遠巻きに漕ぐ。それにしてもいいあんばいの白波だ。

 

崖の上にある小さな東屋、車で何度か行ったことがことがある。海を見下ろして、いつかこの海も漕ごうと海に手を振る私がいた。その私にやっと海から手を振る。

 

 そこから私が見えますか

 私はここですよ

 やっと、海から会えましたね

 

 

 

 

 

東屋の横には「つばすの鐘」がある。漕ぎ終わったら、また行ってみよう。鐘に、後で行きますよ、と言って先へ進んだ。

 

等高線の地図で見ても航空写真で見ても「浜」・「崖」・「建物」はわかっても、その「ニュアンス」まではわからない。崩れた崖と新緑の色重ねの中に配置された建物。一漕ぎするたびにそのバランスが変わって行く様は、やはりこの目に映った光景でしか確かめることができない。 

その変化に中に海藻・海草の世界もある。

ブーマーの立つ岩礁帯が続いたかと思うといきなり水面がザラザラする。ホンダワラが浮かび、ヒジキが岩を覆う。 どこにでもある海中の光景だが、荒々しい磯の白波から一転して竜宮城の揺らめく世界に投げ込まれたようで面食らう。 時々海女さんが潜っているのが見える。 邪魔をしないよう離れて漕ぐ。

「ウミシダがいた」と教えてもらった先には、初めて見た泳ぐウミシダ。

近年、クラゲに人気があるそうな。ふわりふわりと泳ぐ姿に癒し効果があるので人気が出たとのこと。このウミシダの動きもクラゲに似ている。そろ~りそろりと動かすその手?はおいでおいでと海中に誘っているかのようだ。つられてカヤックから身を乗り出し、ひっくり返りそうになる。 暖かい日とは言え、どっぷり海に浸かるにはまだ早い。 

目的のポイントまで行き、小さな浜で一休み。何度か通った岸なのだが、こんな隠れ家的浜があったとは知らなかった。波音さえしない長閑な海辺で、スマホからクラシックの曲が流れる。海辺の演奏会も良いものだ。

岸伝いに箱メガネと竿を持ったおばさん(失礼だろうか)がやって来る。何を採っているか尋ねると、「何かいるかと思って・・」とのこと。あったらめっけもの、の海のお宝さがしのようだ。何か見つかっただろうか。

またしばらくすると磯伝いに突然現れたおじさん。(お兄さんではないので・・) 「これ食べるか? おいしいよ、あげるわ」と言って、袋に入れた小さな巻貝を差し出す。名前は知らないがホラ貝の小さい物とのこと。思いがけない海の幸、ありがたく頂戴する。

浜にはこんな珍客も来たようだ。

ネコザメの卵とか。この中に小さな粒々の卵がぎっしり詰まっているのかと思ったが、さにあらず。そんなことになっていたとは・・ ネコザメの生態や卵について、新たな知識を得た。さて、これを誰に自慢しようか。

 

今回は海は申し分なかったし、目的ポイントまで漕いだし、土産もできたし、海辺の店で旨い物を食べたし、これ以上ない海漕ぎ日和だった。漕ぎ終わり、今日漕いだ海を今度は上から見下ろしてみる。

  

 遠くに小さく見える点は
 「白槍岩」

 下の岩礁帯は 
 白波の向こう側を漕いだ

 こう見ると
 僅かな距離だったんだな 

 

 

 

別の展望台からも眺めてみる。

「小学校唱歌」なんて古い歌に出て来そうなどことなく懐かしい光景の海。この岸にはホンダワラが多かった。ウミシダを見たのはこの辺りだっただろうか。

この岸はもっと波が打ち寄せていたはずなのだが、上から見ると何と穏やかな岸だろう。怖がって岸から離れて漕いでいた私に声援を送ろう。

地図として見ると前方しか意識しないが、漕ぎ終わった軌跡として見ると後方が愛おしく意識される。

もう1つ、いやもう2つ、確かめに行く所がある。1つはこれ

 

 つばすの鐘

 何度か来たことがあるが
 鳴らしたのは1度だけ

 次に来た時には鳴らそうか
 願い事が叶いますように

 

 

 

 

願い事と言えば、確かめ事の2つ目。 あの恵比須様はいずこに!?

 

 こんな所においででした

 鼻欠け恵比須さま

 お鼻が欠けてもにこやかに
 海を眺めておいでです
 

 

 

 

 

 

 

ずいぶん前から探していた恵比須様にやっと会うことができた。意外と近くにおいでだった。以前、散々探しても見つけられなかったのに、あの苦労は何だったのだろう。

 

漕いでもドライブしても散策しても、良い海風の1日だった。 遅い夕飯には頂いた貝。一緒に漕いだ人と分けようと思っていたのだが、ついうっかり? 全部持って帰って来てしまった。まぁ、あの人は、いつでも獲りに行かれるから、いいっか。

小さいながら、バイガイのようで旨い貝だった。おじさん?は「ホラ貝の小さい物」と言っていたが、食べ終わってから調べると、ホラ貝の内臓には毒があるので内臓は食べてはいけないとのこと。 

えっ! 幾つかは食べてしまったけど・・ 地元の人が食べて大丈夫なのだから、毒などないだろう。しかし、ホラ貝の内臓は食べないのが常識、としてそのことについては言わなかったのかもしれない。カニのエラは言われなくても誰も食べないように・・

と言うか、これは本当にホラ貝なのだろうか・・

 

そんなこんなで海漕ぎの日は終った。あれから何日か経ったが、救急車を呼ぶこともなかったので、毒はなかったようだ。

 

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872.変わった事・変わらない事 ― 紀伊長島の海

2018年05月10日 | Weblog

KW-KN漕ぎ。

三重県の海岸線もずいぶんと漕いで来た。的矢湾、英虞湾、五ケ所湾、さらに西へ進み、伊勢から尾鷲までの湾は岸に沿い、くまなく漕いで来た。それでも外海の海岸線は漕いでいない所が幾つかある。今日はその一つの岸を漕ぎ進めた日の記録。

 

出艇場所もお馴染みとなった。 岸の桜の古木には小さな実が付いている。 今の子は「マッチ」なんて言葉を知らないと言う。 その「マッチの頭より少し大きい位」のサクランボをかじってみる。 うっ、酸っぱい! やっぱり花桜の実は食べられないな。

そんな事よりそろそろ漕ぎだそう。一漕ぎするとまた出艇に都合の良い浜が現れる。この岸も何度か使った。

山の色合いは季節ごとに違いいつ見ても楽しめるが、今の時季の新緑は一口に「緑」と言うのは罪になるのではないかと思う程に万色を誇る。これはモノトーンのバリエーション。

寒くなく、暑くなく、風も穏やかで波もない。漕ぐには申し分のない海なのだが、カメラ的にはパッとしない天気。 もう少し晴れてくれると私のヘボカメラでも、もう少しマシな景色が残せただろうに。

そんなカメラが写した亀島と赤野島。いつも「亀島」と呼んでいるので、地図上の名前が出てこない。

この亀さんを見送ると早々に岸に向かう。まだ上陸休憩するほどの距離は漕いでいないのだが、今回はこの岸に大事な用があって、早々と上陸する。 その大事な用とはこんな用・・

店の自慢の石窯ピザ。一緒に漕ぐ人からここでのランチの提案があり、海辺の「食堂」でのランチを楽しみにしていたのだった。焼きたての香ばしい香りとチーズの匂いが格別のピザだった。今日は久しぶりに(?)グルメカヤックだ。

漕ぎ終わってから店で食事をすることはあるが、漕いでいる途中で上陸して店に入るのはめったにない。 水辺から歩いて行かれる所にあるレストランやカフェは、そう多くはない。わざわざ店に行かなくとも、岸でラーメンでも作った方が手っ取り早いのだが、あえてカヤック漕いで食べに行く、と言うのがカヤックの、オプション的醍醐味なのだ。

思い出してみると、びわ湖でウナギ、ラーメン、うどん、カレー、の店に行った。和歌山でも秘境めいたカフェに行った。三重の岸でも港のうどん屋やパン屋に行った。カキ筏にも行った。 浜名湖ではラーメンやウナギの店にも行った。 数えれば、けっこう行っている。

初夏の浜風がミカンの花の香りを運んでくる、そんなテラスで頂くピザに、ここを去りがたくなる。とは言ってもゴールの岸はまだずっと先。では、とまた浜への道を歩く。 

集落の外れの浜にはこんな木が立っている。

 

どこにでもある、どうってことのないように見える木なのだが、私にとっては特別な、懐かしい木。 実はここは、前回の記録でお話しした、12年前の風の紀伊長島漕ぎの日に上陸した浜。そしてこの木は、出艇地に歩いて戻る時にカヤックをつないで置いた木。3本ある木の、たぶん一番右側につないだように記憶している。 強い風に飛ばされないよう、みんなのカヤックを繋いでこの木に括り付けた。 

       浜の木さん、いつぞやは大変お世話になりました
       今もお元気そうで 何よりです

       そうそう、あの時一緒に漕いだナイアードさんに、先日思わぬ形で会いましたよ
       みんな変わらずカヤックを楽しんでいます

       ではまた来ますね、お元気で

12年前の日は、出艇地に戻る時に、地元の人が散歩のついでだからと、熊野古道を歩いて出艇地の浜まで案内してくれた。 「カヤック漕いで熊野古道」なんて、思い出のツーリングをした日だった。あの時の人は、どうしているだろう・・

新しい発見・出会いの岸も嬉しいが、懐かしい・再会の岸も嬉しい。旧友が居てくれると思うと、それだけでパドルに力が入る。懐かしい浜、道瀬の浜を後にして先へと進む。

折り重なる山並みと点在する島影、前を見ても後ろを見ても熊野の海は、雄大でいても身近にあり、毅然としていても孤独ではなく、畏れおおくもあり親しみもある。付かず離れずの海。何年経ってもこの距離感は変わらない。

波打ち際の岩にこんな木が生えている。

岩の割れ目に生える草はよくある。岩に張り付くように根を張る木もよくある。しかしこの木は岩の中から幹を伸ばしている。大きな幹を支え、水を吸収する根をいったいどこに伸ばしているのだろう。もしかすると硬い岩に見えていてこの岩はスカスカのスポンジ状に砕けているのだろうか。

川の堤防に桜などの木が植えられている。一説では、大きくなった木が根を張り、堤防の土をがっちりと掴むので堤防が丈夫になるので植える、と言う。しかしまた一説では、大きくなった木が台風などで揺さぶられ倒れると堤防にヒビが入ったり、土を掴んだまま倒れるので堤防が決壊する。だから木を植えてはいけない、とも言う。

どちらが正しいのかわからないが、岸辺の木もまた水際の岩を補強しているのか、破壊しているのか。硬い岩の様に見えていて、意外と表面は脆くガサガサと剥がれる。それはもしかして、岩から生える木の仕業だろうか。

大して漕いでいないのにここでも上陸休憩。

モノトーンに浮かぶ山と島と海と空。休憩のための上陸ではない。日向ぼっこでもない。穏やかな海を、ただぼんやりと眺めると言う贅沢を味わいたい、と言うための上陸だったようだ。

あるいは、この光景のどこかにきっと神がおいでになるに違いない。その神様の眼差しを感じたくて、この浜にいたのかもしれない。そんな浜に次第に上がって来た潮に促されるように、また漕ぎだす。

錦の魚にはお目にかからなかったが、時々こんな華やかな舞台も楽しめる。

海藻、海草、ソフトコーラル、巻貝の仲間、二枚貝の仲間。知ったかぶりをして学名なんかを言って間違えて恥をかくよりは、分類名で止めておくのが良いのが私の常だ。そして、魚の仲間も。

漕ぎ進むといつしか見慣れた山が見えてきた。ゴールも近いようだ。 そしてこんな水路に入る。若葉が息苦しいほどに光り、澄んだ水さえ緑に変える。春に来た時とはずいぶん変わっていた。

うまい具合に満ち潮に押され、まるで川下りのようにすいすいと進む。これが、時間がずれて最大干潮にぶつかっていたら、どんなに必死で漕いだだろう。このグッドタイミングは、計ってこの時間に来たのか、たまたまこの時間だったのか。 先導役の采配の良さだったのだろう(たぶん)

水路を抜けると広い池に出る。ここもお馴染みであり懐かしい。ここまで来たらゴールは目の前。ちょっと寄り道して行こう。

この池を知る人は多いが、こんな隠れ家を知る人は、多くはないだろう。私たちの秘密の場所にしておこう。この秘密の隠れ家にも友人がいる。「鍋」。

覚えておいでの方も多いだろう。1年前に見つけ、夏にも会った埋もれた鍋。 台所で活躍していた頃、この鍋にはどんな肉や野菜が入っていたのだろう。どんな人が腕を振るっていたのだろう。どんな災難で土に埋もれたのだろう。どんな出来事がまた太陽の下に出したのだろう。

泥と小石をてんこ盛りにして、鍋は今日も池の賄い係をしている。 味見は? それはカエルに任せよう。

 

又寄り道三昧のカヤック旅だった。新しい発見、懐かしい再会。どれも水際を行けばこその出会いだった。

帰りの高速のパーキングで久しぶりにこのハートを訪ねた。パーキングの踏み石にある石。特にハート型に凝っている訳ではない。この石に特別の思い出がある訳でもない。しかし、何年経ってもそこに行けば会える。その安心感に、物静かな親友のような温かさを感じ、このパーキングに寄りたいと思わせる。

気の向くままののんびり漕ぎを堪能し、満足した1日だった。残念だったのはこのパーキングに寄った時に買うプリンが、以前は2種類あり、そのどちらも好きだったのだが、今は1種類しか製造していないとのこと。みやげを買う楽しみが一つ減ったことだけが残念だった。

 

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871.歩いて越すか馬で越すか ― 熊野古道の峠道

2018年05月07日 | Weblog

先日、と言っても2週間ほどたっただろうか。野暮用があったり、PCの機嫌が悪かったり、旅行に行ったり、休養したり・・ と、何かとあって、記録がおろそかになっていた。まぁ、昨日食べた物は忘れても、2週間前のことは覚えているのでまだ幸いだ。幸いな記憶が残っている内に記録をしなければ。

 

久しぶりにバルトさんと世界遺産の熊野古道を歩く。熊野古道はいくつものコースがあるがその中でも更に分岐や近道・遠回りと、その人その時その場合によって歩き方が自由自在。私は、意気込みとしては30キロ程歩けるのだが、結果としては3キロ程の古道だった。まぁ、夢と意気込みは大きいにこしたことはない。

その3キロは、距離ではたかが3キロだが私の足には十分な3キロだった。

 

数ある熊野古道の中でもこのコースは難所とのこと。急な石道が続く。

石段であったり、石畳であったり、飛び石であったり、ゴロタ石であったり、小岩であったり・・ 道のりとしては山越えが近かったとしても、この石道を作る困難、歩く労力、かかる時間を考えると、多少遠回りであったとしても山の裾野に道を作った方が、どれだけ楽だっただろうに。遠い昔、紀州の殿様も通ったと言う石道を、今日は世界遺産の道として私が歩く。

暫く行くとこんな祠がある。

夜泣き地蔵。明治の頃までは旅人の無事を祈る石地蔵がおいでだったと言う。それがいつしか夜泣き封じを祈って夜泣き地蔵と呼ばれるようになったとか。小さな哺乳瓶が供えられていた。角ばった石は、赤い頭巾を被せられ、地蔵としての魂を宿して道行く人が合わせる手に慈悲の眼差しを送る。

大きな石段が続き、一歩一歩登って行くと息が切れる。思わず手をついた石に何かを感じた。 何だろう、この筋は・・

何かの文字のようだ。しかし石碑ではない。多くの人が歩く踏み石の一つにまじまじと見なければ気が付かないような線が刻まれている。 いったい何のために踏み石に彫ったのだろう。

       遠?*深?***

後日調べると、ある人がかろうじて文字は判読したが、その意味することは分からなかったと言う。石には時々それを作った人や関わった人が名前を刻むことがある。木津川では石工の頭領の名前が刻まれた石を見た。この石もこの石畳を作った頭領が彫った物だろうか。 

あるいは、今の人が旅行先の壁に自分の名前を落書きするように、遠い昔の旅人が雨宿りの時間を持て余し、自分の名前や出身の村を書いたのかもしれない。それがいつしか踏み石にされて・・

それにしても何千、何万と敷き詰められた石の中で偶然にもこの石に手をついたとは、私にも何か神憑り的な霊験があるのだろうか。それともこんな石は至る所にゴロゴロあるのだろうか。

フーフー言いながらも前方が開けてくると歩みが早まる。やっと着いた峠の頂上。かつての茶屋跡が公園として整備されている。見晴らしも良い。

 

ここにはどんな茶屋があったのだろう。小さな暖簾が架けられ、あねさん被りのばあさんが、

              「お武家さん、団子かい? 蕎麦かい? おやお茶だけ?」
              「旅の人、雨が降りそうだよ。この先は石が滑るから気ぃ付けて行きなされ」

そんな言葉が聞こえてきそうだ。私たちもちょっと一服する。

急な石段を登っても汗をかくまでにならないと言う程良い風が吹き、日陰でじっとしていると寒くなる。峠に来れば後は下るだけ。ではそろそろ出発しよう。

尾根の辺りに時々ある「木の根道」と呼ばれる道。この根は地を這って、入り込める土を求めて根を巡らせたのだろうか。必死で弄り、皮が剥け、先が砕け、それでも根を張れる柔らかい土を求めてもがいたのだろうか。それとも温かい土に埋もれて眠っていたのを、大雨がその庇護を剥ぎ取ったのだろうか。

剥き出しの根は痛々しいようにも見える。しかし、人が踏み歩くたびにその肌は磨かれて艶やかさを増す。気の毒なのか、もしかすると、肩こりマッサージのように、踏まれることを気持ちよく思っているのだろうか。毛細血管のような木の根道は旅人の足をくすぐる。

下りは楽ではない。登りは息が切れるが下りは膝が笑う。石を踏み外さないよう足元を確かめながら歩くと見えているのは1メートル先の石ばかり。 そんな時、すれ違った男性が

    「この先に(私たちからすると後方に)ギンリョウソウがあるよ、見た?」

と声をかけてきた。 えっ、そんな物があったとは全く気が付かなかった。ちょっと先にあると言い、案内してくれた。

 

 花言葉は 
 はにかみ・そっと見守る

 いかにもはにかんでいる花です

 

 

 

 

 

久しぶりに見たギンリョウソウ。案内してくれたのは地元で古道案内のボランティアをしている人で、毎日この峠を歩いているとのこと。さすが、どこに何があるかよく知っている。言われてから道の脇にも目をやるようにすると、意外にも、ここにもあそこにもと顔を出している。 

小道を逸れた林の中にもこんな祠がある。

 

薄板を重ねた物、野積みの石の物、大岩の窪みだけの物、石仏の祠はどれをとってもなぜか懐かしい。レンガ造りにお住いの仏さまは、どなただろう。路傍の石仏に思わず手を合わせる時、森羅万象の事々に神・仏を宿して崇めてきた日本人のDNAが私の中にうごめくことを感じる。

そうこうする内に世界遺産の山道は終わり、小さな公園に出た。朝、回送の車をどこに止めようか下見に来た公園だ。今回は別の所に止めたのだが、確かに駐車場はあるしトイレもあり使いやすい所ではあるが、ここに来る道は、我ら「狭道愛好家」でも一瞬ためらった、そんな道だった。

近くに滝がある。行ってみよう。お不動様がおいでだ。

このコース、ベンチや東屋、道標などきれいに整備されている。このお不動様も大事にお守りされていることがそこここに見て取れる。世界遺産には行政も観光協会も金も力も注ぐだろうが、地元の、あるいはそこを愛する人たちの日々の活動があってこそ、木も花も石も仏も守られているのだろう。 その全てをありがたく頂いて、また手を合わせる。

お不動様を後にすると、おや、大石? 何だろう、行ってみよう。

大きすぎ、カメラの位置からは全体が写らない。ぐるりと一周できるのだが、どこを見てもいつ転がりだしてもおかしくない状態。地震大国の日本、この石はいつからこの姿勢で揺るがないでいるのだろう。人が押したくらいでは動くはずはないのだが、それでも触るをためらい、そそくさと一周した。

1日分をしっかり歩いた気分なのだが、実際には3キロ程だった。その割にはいつものことながら時間がかかった。じっくりたっぷり検証したからと言う事にしよう。

古道ハイクを滞りなく済ませまだ日が暮れるまでにはたっぷり時間がある。では、とこんな所へも行ってみる。

ごつごつした堀跡に光が当たり、ここにもあそこにも妖怪の顔を映し出す。最近はあまり怖い物がなくなった私ではあるが、ひとけのない道の湿ったトンネルは、1人では行きたくない。

そんなトンネルを抜けると、見事と言う太さの竹がそびえる竹林。木戸を開けて入った所に東屋があるのだが、そこにこんな物が。

タケノコ。奥の物はもはや「竹の子」と言うより、「竹のお兄さん」だろう。しかし、このまま伸びると屋根にぶつかる日も近い。

良寛さまは床下から生えた竹の子が伸びられないでは可哀そうと床板を剥がしたとか、天井にぶつかりそうになった竹のために屋根を切ったとか、竹に関するいろいろな逸話がある。さて、ここの竹のお兄さんは、屋根を切ってもらえるのか、それとも自身が切られるのか。この竹の行く末が気になった。

そうこうする内に夕方も近くなった。ここで解散とし、私はちょっと、とある海辺へ向かう。

紀北町の海。この海は何度も漕いだ。あの島へも何度も行った。そしてここは特別な思い出がある浜。 久しぶりにあの神社にお参りして来よう。

薄暗い木立に囲まれてひっそりと建つ小さな社。すぐ後ろの山肌はこの何年かで大きく崩れた跡がある。お社も年代物ではない。いつの大雨の時だろう、どの台風の時だろう。今は神様はご無事のようだ。

覚えておいでだろうか、この木の階段。

もう12年前の事となったが。初めて紀伊長島の海を漕いだ日、蜃気楼が「地球防衛軍戦車」を見せてくれた日、白波は立たないのにとんでもない突風が吹いた日、潮が煙のように宙に舞い上がった日、ナイアードさんたちとこの浜に逃げ込んだ日、熊野古道を歩き出艇地まで戻った日。そして、その時歩いたこの階段の事を。

日々の生活の中では10年前の事はずいぶん昔の事のように感じられるが、カヤックでの10年はつい先日の事のように思われる。時間は、水の上では異世界の早さになるのかもしれない。そんな古い出来事を思い出しながら浜辺を歩く。 

 

ところで、「箱根八里は馬でも越すが・・」と言うが、今日の熊野古道「馬越峠」は本来、歩いて越す所なのか、馬で越す所なのか。 とりあえず私は歩いて越した。

 

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870.知っているのか知らないのか ― 沖島の水と土

2018年04月15日 | Weblog

先日、びわ湖の島に、カヤックではない船に乗って出かけた日の記録。

びわ湖には島があるが、その中で人が住んでいる島が沖島。世界的にみても珍しいのだとか。以前はカヤックで何度も島に行った。

島の佃煮屋では、給食センターにあるような大きな釜でクツクツと湖魚が煮られ、醤油の良い匂いが立ち込めていた。何種類もの試食をつまみ、1つ、2つの佃煮を買った。「わざわざ島まで買いに来てくれたお礼に」と、パックの蓋ができないほどてんこ盛りにサービスしてくれた。それが楽しみでカヤック漕いで買いに行った。その店が島から本土(?)に移ってからは、島に行く楽しみが半減した。友人は行く甲斐が無くなったと言う。

その後何年かご無沙汰していたが、今度は連絡船で行くことが度重なった。この1年でこれで4回目。通いなれる、と言うほどの回数ではないが、この距離なら通勤圏内と、言えなくもない。通いの船も座る場所が決まった。 今回はちょっとした楽しみのための島渡り。

集合時間より1時間も前に行く。島で行きたい所があったからだ。一緒に行きたいと言う人と湖岸の野道を行く。湖岸は初夏の装い。スミレが遠慮がちに、アケビがひっそりと、菜の花が勢いよく、ムラサキハナナが誇らしげに咲く。蕗の葉が両側を覆い、ビワがこっそりと小さな実を付ける。八朔か夏ミカンか、鬱蒼とした木々の中に明るいロウソクを灯す。どれをとってものどかで、どこか懐かしい。

枯草に埋もれるようにこんな石杭がある。

初めて島に来たと言う人に、

        びわ湖はね、法律上は川なんだよ。 一級河川びわ湖と言う名の川。
        川だから「河川敷」なんだよ、本当はね。

と知ったかぶりの蘊蓄を傾ける。

細い野道は島の人が畑に行くのに通ることはあっても、観光客が来ることはあっても、その数は少ない。ここまで来る人はめったにいない。そのめったにいない道を島の猫が先導してくれて、この鳥居前に着く。

弁財天が祀られている厳島神社の岸。赤い鳥居はびわ湖の水位によって岸辺に立ったり湖水に立ったり。もしかすると居心地の良い場所を選んで移動しているのかもしれない。カヤックで島を目指し、赤い鳥居に引き寄せられるように来て、この岸から上陸したこともある。

 初めてこの島に来たのは11年前。トトロさん率いる「チーム・ソクラテス」で来た。その2カ月後には師匠たちと来た。その時、岸辺には剥げて痛んだ鳥居が一つだけ立っていたがその後何年か経つうちに、石段が整備され、手すりが付き、鳥居も二基となった。 行くたびに少しずつ変化し、島の歴史、神社の歴史であり、私の歴史が流れて行った。

 島猫さんの先導で石段を登ると弁天様のお社がある。覚えておいでだろうか、こんな看板。

いつからあったのかわからないが、11年前に来た時にはお社の前の踏み板としてあった。9年前にもあった。その後弁天様にはずいぶんご無沙汰してしまい、先日行った時にはもうなかった。 そうか、もうないのか。いつからなくなったのだろう。この場所に似つかわしくない看板を楽しみに来たのだが・・

と思ったのだが、 

あっ、あった! 

表示板の上に木の踏み板が被せられていたが、あの青い板はいつかの表示板に違いない。

もうなくなったと思っていた思い出がそこにあり、無性に嬉しかった。 この国道の表示板を知る人は、そう多くはないだろう。カヤックでびわ湖を漕ぐ人の中で、こんな古い表示板に価値を持つ人も、そう多くはないだろう。しかし私には大事なびわ湖の歴史であり記録だ。

久しぶりの弁天様。

ご無沙汰していた侘びと今日の参拝の礼を言い、僅かばかりの賽銭を供えた。 ふと見上げるとこんな太陽が輝いている。

先日飛行機からブロッケン現象を見たばかりだが、今日はこんな現象。こんな日輪を、縁起が良いと言う人、不吉な予兆と言う人もいる。私は「自然現象」→「太陽」→「虹関連」のファイルが増えるので大歓迎だ。

さて、そろそろ今日の本来の目的のため引き返す。 本来の目的とは・・

ちょっとした、心ほのぼのするイベントに参加した。

最近、こんな絵を描き始めた。子供のお絵かきと変わらない出来栄えなのだが、カヤックに乗れない日の楽しみになれば、と首を突っ込んでいる。

そのために来たのだったが、それもそうだがその後の昼ご飯も目的の一つだった。

魚、野菜、島の幸をふんだんに使った料理が並ぶ。鯉の煮付けは甘辛い醤油で煮込み、その煮汁だけでご飯が食べられる。旨い!

すっかり平らげて、醤油の香りの残る店を後にした。 帰りの船を1便遅らせて、昼からは島の反対側へも行ってみる。島にはもう一つの神社がある。急な斜面を登った先の見晴らしの良い高台にある。

鬱蒼とした森の中においでの神様、波打ち際の神様、滝の飛沫を浴びておいでの神様、風吹きすさぶ山上の小岩においでの神様。日本の神々はご自分に相応しい、居心地の良い、あるいは使命を果たすための場所をご存じなのだろう。港を見下ろすこの神様は何を思いここにおいでになるのだろう。

神社からびわ湖が見える。ここに見えているすべての岸を漕いだ。対岸からこの島へは何度も来た。湖上から見上げていた島から、今度は湖上を見下ろし、これでここでも1対の記録が記された。 下からも、上からも。もしかすると、カヤック史のまとめとしてここに来るよう島の神様がお導き下さったのかもしれない。

港に下りて散策する。

いつだったか、ちょうど桜の時にカヤックで島を一周し、ここの桜のトンネルの下で花見をした。湖面に被さるように咲き誇る桜は、家の近くで見るソメイヨシノより見栄えのする見事な花だった。今はすっかり散っているが、湖上に伸びる枝は盛り上がっている花々を彷彿とさせる。

この紫の花を誕生花とする人がいて、まだ会ったことのないその人を恋人と言っていた人を懐かしく思いだす。カヤックの先輩の人だ。 どうしているだろう。

島には老人が多い。そしてみな気さくな人たちだ。観光と言えるほどの島ではないが、あれがある、これがあると教えてくれる。ある人は庭に馬酔木が咲いているので見に来ないか、と招き入れてくれる。その人の家の前の道は埋め立てでできたとのこと。以前の波打ち際にあった石がこれだと教えてくれる。 また別の人は畑の事、イノシシの被害の事、漁の事、こちらが聞かずしても話しかけてくる。 島の事、知らなかった話をいろいろ聞いた。 そうだったのか・・

都会にある洒落た光景などなく、前だけを見て歩けば1時間とかからない島だが、石の1つ、花の1本、波の1色、雲の1片、歴史の1コマ、それらを心に止めて行くと、1日かけても回りきれない。

まだ記し残した島を記録に残すべく、夕方の便に乗った。その船に17,8人の小学生が乗って来た。遠足で来たのだろうかと思ったが、市内からの学区外入学の制度を利用して島の学校に通っているとのこと。そんな制度があったのか。

私は沖島の事はけっこう知っていると思っている。 どの岸にムベがあり、どの水辺にアケビがあり、どの辺りが岩抜けに良いか、どの磯に小魚がたくさんいて、どの辺りが枝くぐりができるか、桜の花見はどこが良いか、シュノーケリングするにはどこが良いか、港の岸壁の横は三角波が立つとか・・

島の周りの事は知っていると思っていたが、今日、島の中の事はその多くを知らないという事を、知った。

小さな島の書ききれない多くの事、忘れない内に記しておかなくては、と今日書き出した。

 

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869.十一分咲きの桜 ― びわ湖の北の桜漕ぎ

2018年04月14日 | Weblog

とっくに終わっているだろう、まぁ、ちょっとでも残っていれば毎年の様子を思い出して今年の分としよう。と思っていた桜が、思いの他しっかりと残っていて、今年も存分に花見を楽しんだ日の記録。

 

今年はなんだかんだで都合が悪く、海津の桜に行かれない日が続いた。もうすぐ咲く、やっと咲いた、三分咲き、五分、見事に満開・・  そんな話を聞くにつけ、今年の海津は葉桜を楽しもうか、と諦めていた。 そんなある日、ひょんなご縁とやっとできた時間のおかげで湖北の桜漕ぎとなった。

久しぶりにWWW号を積んで北へと向かう道。 何気なく窓の向こうを見ると、誰かが大きく手を振っている。 えっ、誰だろう。 運転しながらほんの何秒かで あっ! ナイアードさんだ!

久しぶりに会った。会う、と言うほどの時間ではなく、振られた手に振り返すだけの短い時間だったが、偶然に会った懐かしい人に思わず笑みが漏れた。

でもどうしてわかったのだろう。最後にナイアードさんと会ってから車を変えたし、道の向こうから走っている車の中の私がよくわかったものだ。 何だか朝から幸せな気分になり集合の地へと向かう。

途中、ちょっと立ち寄ったこんな所。

この道を通る時はいつも挨拶する石灯篭。これを見ればここがびわ湖だと言う事、間違いようもなくわかる。 春に秋に、そして雪の日に、必ずそこで待っていてくれると言う安心感。

遠く異国に住む人が日本に帰った時、ある人は東京タワーを見て、ある人は大阪城を見て、またある人は富士山を見て「日本に帰った」と実感すると言う。それらが日本を象徴するように、この丸い石の灯篭は、私のびわ湖の象徴だ。 今日は花見の人で賑わっている。私と世間話をする暇はなさそうだ。 では、失礼しよう。

 

待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いた。ゆっくりと辺りを散策する。

 

今日の出艇地にも桜はまだ咲き誇っている。 ここは私が初めてナイトツーリングをした所。 初めてここを漕いだ時、ここならナイトツーリングに持ってこいの所だと確信し、何度も下見をし、「ここでやりましょう! やって下さい!」と企画提案をし、実現した所だ。 漕ぎ終わって戻ってきたら、突然マンホールから水が噴き出すと言うハプニングがあったりした。 懐かしい。 ソロツーリングした時も、ちょうどここで桜祭りをやっていて上がって団子を買った。そんなこともあった岸だ。どれも懐かしい。

そうこうする内にメンバーが揃った。

初めて会う人。この人は今日が人生初のカヤックとのこと。。
2年ぶりの人。この人とは2年前の川辺で桜キャンプをした。ご無沙汰しています。
そして毎度毎度の人。

ではそろそろ漕ぎだそう。

湖岸に人が降りている。そう、ここはあの丸い石灯篭の岸だ。 人はそれぞれに自分なりの桜とびわ湖を撮る。色と形と光と風と、その一瞬の姿はシャッターを押した回数だけ記録される。この桜はいったい何百、何千の姿を残しているのだろう。 私の桜は「岸からも、水からも」の一対で記録となる。 丸い石に手を振って先へと進む。

 湖岸は桜の薄紅色だけではない。ヤナギの緑が初々しい。

とろけそうなほど物憂げで、羽毛のような儚さ、かすみをかけたような淡い色合いを「パステルカラー」と言う。これまでパステルの意味など考えたこともなく使って来た言葉だが、最近それを知ることとなった。それを知ると、この桜と柳の色合いをパステルカラーと呼ぶのが、新しく覚え立ての言葉のように新鮮に思える。

次第に薄れゆく桜の儚さと、次第に萌えたつ柳の緑、これをパステルカラーと呼ぶ。

 

桜の北湖。マキノ、海津、大浦、菅浦、それぞれに良さがあるが私は賑やかな所は遠慮したい。

桜の薄紅色を愛でに来た人に、雪洞の剛腕な赤は似合わない。 散る桜の音を楽しみたい人に、スピーカーから流れる音楽は暴力に等しい。 湖上のカヤックに岸からの傍若無人のカメラは腹立たしい。 ここはそんな無粋な世俗から離れる程本来の桜が楽しめる。 平日と言う事もあり、世俗は遠くにある。

暫く行くと、びわ湖には珍しく小岩が顔を出す岸がある。 あの隙間、通れるか。あ、やっぱり無理だったか。 お、今度はうまくいった。 お次はどこを通ろうか。と狭い岩間を狙っていると、前からシーカヤックがやって来る。 誰だろうと見ていると、先方から声がかかる。

     おやぁ、びわっこヨさんではないですか!     
     あらぁ、ハンチングさんではないですか!

和歌山の海で会う事の多いハンチングさんに、桜のびわ湖で会うとは思いもよらなかった。 

     久しぶりですね、1年ぶり?
     今日はどこまで?
     また一緒に漕いでください、よろしく!

よくあることだが、桜のびわ湖を漕ぐ日には思いがけない人にひょっこり出会う。 今日はこれで2人目だ。短い言葉を交わし、またそれぞれの湖水を漕ぎだした。

今日は往復コース。ではそろそろここら辺で戻りましょう、と引き返す。 大崎まで後僅かな所だったので岬の先端まで行きたかったのだが、不覚にも降り沈した人がいたりして、それにお腹が空いてきたので引き返すことにした。

 

岸には名残惜しそうに桜に向かう人達がいる。カメラを持ち、スマホをかざす。自分も写真は撮るが、私なりの記録・保存の仕方がある。人によっては、何枚も撮ることに喜びを感じ、その後の整理をしない人がいるが、今あそこで撮っている人はどんな記録の仕方をしているのだろう、と他人の写真の記録方法にちょっかいを出したくなる。 

会ったことのないどこかの誰かなのだが、カメラ・桜・写真、と言う一連の水辺で、なぜかその見知らぬ人とつながったように思えてくる。おせっかいなのか、興味本位なのか、好奇心なのか、それとも桜仲間なのか・・。

 

漕ぐ先にサギがいる。

 

親子だろうか、大きいサギと、小さいサギがエサをついばんでいる。たいていのサギはこの距離まで近づけることはない。しかし子供のサギが警戒心がないからか、なかなか逃げない。それで親も逃げない。 ツーショットを狙って何度か近づいた後に、いや、これはもしかしたら「ストーカー」行為なのだろうか、と気になり始めた。 

親はハラハラドキドキして逃げたいのに、子供がうまく飛べないから傍で見守っているのかも。何も私の写真のために、近くに居てくれるのではないのではないか。 たぶんそうだろう、きっとそうに違いない。

サギの親子には申し訳ない事をした。 配慮に欠ける私のやることだから、今日のところは許してほしい。 そんな詫びをしている間に親子は飛び去った。 ちょっと安堵するこの気持ちは何だろう。

午後の湖面はとろりと広がる。

 

いつだったか、こんな緑の湖面を「大浦グリーン」と言った人がいた。大浦グリーンに淡桜の影が揺らめいて長い帯が続く。 近江の国では「淡海」と書いて「おうみ」とも言う。ならば、「淡桜」は「おうら」とでも言うのだろうか。

すっかり散らずとも、花筏、花吹雪ほどに散っているかと思っていた今年の桜、それにさえ至らないほどにしっかりと咲いていた。よくぞ私を待っていてくれた、と褒めて、いや、感謝して漕ぐ。

おや、もうこんな時間。昼食にはずいぶん遅くなったが岸のカフェでランチとする。久しぶりに入った店。いつだったか友人とカヤックで来た時に、店のあるじがわざわざ上陸を手伝ってくれたことがある。あの時は何を食べただろう、今日はオムライスにしよう。

久しぶりのその店を後にして、最後の漕ぎに出る。 10キロ程の距離にしてはずいぶんゆっくりと時が過ぎた。 漕ぎ終わりメンバーを近くの風呂に案内し、また会いましょうと別れた。

 

帰り道、こんな所に寄る。びわ湖でどこが好きかと聞かれると、「それぞれに良き所」と答えるのだが、その中でもここは特に気に入っている場所だ。満月の夜にナイトツーリングをした湖水。 隠れ里のような入り江。謎めいたこんな物。

これはいったい何だったのだろう。今はすっかり荒れ果て朽ちた木が崩れ落ちているが、6年前にはまだその姿形を留めていて、想像をかきたてた。

 

 6年前の姿

 5年前もまだこの形でした

 でも今は・・

 

 

 

 

 

平安の世に、狩衣の若武者と香を焚きしめた十二単の姫が恋心を詠ったような。 江戸の世に、置屋から逃げてきた遊女が身の哀れに涙したような。 明治の世に、下駄ばきの書生が国家の行く末を熱く語ったような。 昭和の世に、子供たちがびわ湖に飛び込んで遊んでいたような・・。 その想像のどれ一つをとっても小説のあらすじとなる。

たった6年と言う短い時の移ろいの中で、びわ湖の歴史はとんでもなく長い時間を送っていたのかもしれない。

いつだったかお話ししたように思うのだが、かつてこの辺りにあったと言う『ジャンジャン渡し』。ある人が子供の頃その渡し船に乗っていた、と言っていた。その人ならこの想像の構造物を知っているかもしれない。連絡してみよう。

 

まだつぼみ、咲き始め、三分咲き、五分咲き、満開。 満開の次は散り始めか? いいや、びわ湖の北では『十一分咲き』の桜があった。 今年もいい桜だった。

 

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868.お不動様も花見かな ― 桜のダム湖漕ぎ

2018年04月08日 | Weblog

全国の桜が競い合うように咲き誇った頃、宮川上流のダム湖を漕いだ。はち切れそうに膨らんだ花びらが、「今漕がなくて、いつ漕ぐか」、と言っていたので、ちょうど満開の日に漕いで来た。そんな日の記録。

 

 ちょっと前、ドライブがてら下見に来た岸から出艇する。その時、「このダム湖で砕氷ツーリング、しようか」などと言った人がいたが、そんな寒い冬の日から何週間も経たない内に、桜は満開になって迎えてくれた。

このダム湖は「桜の名所」と言う事はないのだが、水辺には桜の公園もある。 水辺に限らず、花の咲かない時は気が付かないが、花が咲くといたる所に桜木があることに気が付く。峠の一本桜から一目千本の桜、長堤の背割り桜も校庭の桜も、ゴミステーションの横に立つ木が桜だったと知るのもこの時季だ。桜は一年分の自己主張をこの1週間でするようだ。

 

初夏の陽気のダム湖は時折釣りのボートを見かける以外動くものがない。風は意気消沈し、波は居眠りしている。枝くぐりの枝に捕まらないようそれでも敢えて枝の下をくぐる。

漕ぎだして間もなく、水際に小さな窪みがある。「入り江」とは到底言えない小さな地形の変化。ちょっと行ってみよう。

 

 「入り江」の奥は小さな川があり、その先は清流のせせらぎとなる。ダム湖に漕ぎ出した当初から、水のきれいな湖だと思っていたのだが、これほどに清い流れが入っていたとは、意外と言うか、感動だった。行きつく所まで行って、戻る。

戻ったと思うとまた次の「入り江」に続く。地図で見ると単調な、ソーセージのように細長いだけのダム湖に見えていて、カヤックが近づくと秘密の扉を開ける、と言う仕組みの湖なのだろうか。

 

そんな次の扉が開いて招かれた湖水に入ると、あ、あれは何だろう。何か人工的な物がある。

あれは、何か、祠のような・・ 心急いて行ってみると、

 

 初めまして お不動様

 お生まれはいつですか
 誰がお作りになったのですか
 どうやってここにおいでになったのですか 

 これまであなたにお会いできた人間は
 何人くらいいたのでしょう。

 いえいえ、身元調査なんて
 していません

 ただ、とても気になったものですから

 

 

 

小さな祠におはすお不動様。お不動様にしては柔和なお顔をしておいでだ。

それにしてもいったい誰が、いつ、立てたのだろう。ダム湖ができてからお祀りしたのだろうか、それともダム湖ができる前からここにおいでだったのだろうか。もしそうだとしたら、いったいどこにここに参る道があったと言うのだろうか。急斜面の小さな岸に立つお不動様。

お不動様はたいてい水辺においでになる。険しい山道の崖っぷちにおいでになったとしても、そこから遥かに水辺が望める崖っぷちだ。

と言う事は、察するに、このお不動様はダム湖ができてから水辺の安全を願って立てられたのだろう。「建てる」と言うには小さすぎる祠には賽銭箱などなく、しかし私が手を合わせた印として100円玉を供えてきた。 次に行くことがあった時、その100円がなくなっていたら、お不動様が浄財としてお使いくださったのだろう。ありがたい事だ。

もし増えていたら、どこかの誰かが「いったい誰がお参りしたのだろう」と不思議がりながらも、その人も又100円をお受け取り願って置いて行ったのだろう。その顔を想像すると無性に嬉しくも、おかしくもある。

カヤックか、もしかしたらバスボートが来るかもしれないという岸のお不動様に別れを告げ、先の水辺へと漕ぎだす。

 

満開の桜の下での弁当は、それも良いものだが誰もこんな所には来ないだろうと言う秘境めいた岸で昼食とする。

道の駅で調達した弁当。うな寿司の人、エビ天巻きの人。桜餅に八朔に、みんな合わせれば豪華ランチの出来上がり。 持って来た水でラーメンを作ろうとする人がいたので、「こんなきれいな水ならここの水でつくらなくちゃですよ」と言って、清流の水を汲ませた。当然でしょ!

目の前の川の水で淹れたコーヒーはまた格別。 私の「天恵食」フォルダの中の「水」のファイルに、また新しい項目が増えた。 

ここまでは誰も来ないだろう、と思っていたらひょっこりとサップの人が現れた。ちょっと驚いたが、この清流はカヤックだけの秘密の場所ではないと知って、ちょっと残念な気持ちがしたのはケチな領分だからか。

食後はちょっと散策。どこまで行かれるだろう。せせらぎの川は小さいながらも明るい河原を広げ、かなり先まで行かれそうだ。地図で見るとだいぶ先まで続いている。この先もかなり気になったのだが、今日はダム湖漕ぎ、の日。そろそろ戻らなくては。

所々、と言うか、随所に小さな滝がある。

最近は雨が降っていないと思うのだが、この水源はどこなのだろう。確かに、高くはなくとも山々が連なってはいる。その山が滝を作っているのだろうか。 ダム湖の水がきれいなのも納得できる。

 

大きな黒鯉に驚き、きれいな色鯉に歓声をあげ、ズンズン進む。地図ではダム湖と言うより細い川になっているがまだまだ行かれる。

と、向こうから何かやって来る。あ、さっきのサップの人だ。この先の橋の所まで行ったとのこと。では我らも行かなくては。とパドルを進める。そして、これ以上は進めないと言う所を折り返し点とする。

 

ダム湖、と言うよりもはや「川」となって流れ下る水。その水に逆らい行きつく所まで漕ぎ上る。やがてこの先に水は存在しない、と言うほどに微かになり、ここが行き止まりとなる。

カヤックの水路はこの先には見えないが、思えば、この遥か先には先日行った別のダム湖があり、遊覧船も浮かぶ大きな湖水となる。水はいったい、向こうのダム湖からどの道を通ってこのダム湖に来るのだろう。 糸のように細々とした流れに、旅の話を聞きたいものだ。

何年か前、「木津川源流探しの旅」をした。ちょうどその日に「木津川源流」の碑を立てに来た人と出会い、この日、この時、この場所での偶然に驚いた。その碑から更に道なき道を登り、とうとう分水嶺前で、木津川の最初の一滴に出会った。 そんなことを思い出し、この川の源流はどこだろうと、ふと、思った。

源流・分水嶺。妙に心躍る。 海に注ぐ川の誕生の地は、それは海の誕生の地。かつて海まで下ったこの川、今度は源流まで歩く。いつかそれも又カヤックの旅としたい。

湖岸には桜公園がある。見事に咲き誇る桜、ちょっと上がって小休止。

この2年ほど行っていないが「SRJK」にも見事な桜が並ぶ。春はソメイヨシノを遠くに望み、ヤマザクラの枝をくぐり、夏にはむせ返るような緑、秋には見事な紅葉と、いつ行っても楽しめるダム湖だ。暫くご無沙汰しているSRJKを思い出した。

このダム湖の四季はどうなのだろう。それもまた楽しみだ。

 

水辺を行けば、すっとんきょうな声でウグイスが鳴く。ずいぶん暖かくなったと言うのにまだ鳴きの練習ができていないようだ。このウグイスは谷渡りの途中で咳払いをしそうだ。

 

ひっそりとした岸はこんな水辺。

 

水音に誘われて行く岸はこんな水辺。

 夏なら滝に打たれて涼むにちょうどいい滝だ。

 

のんびりゆっくり、満開の桜と萌え出す緑に包まれたダム湖漕ぎ。気が付けばもうゴールの岸に着いた。

岸に上がると、おや、あの人は? 今日、3回目に会うあのサップの人だ。私たちと同じコースを、もしかしたらそれ以上の距離を漕いだようだ。 座って漕ぐカヤックでもそこそこの距離があるのに、立って漕ぐのはさぞ大変だろうと思うのだが、パドルが長い分、意外とカヤックより長い距離に向いているのかもしれない。やってみたい気もするが。

 

今回もいい水辺だった。 それにしてもあのお不動様、気になるなぁ。

 

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867.春のびわ湖で流氷体験 ― BーⅤー18の漕ぎ 

2018年03月31日 | Weblog

びわ湖5周目の18日目の記録。

先日、桜があちこちで咲き始めたと話題が広がった日、風がなく時季外れに暖かかった日、そして霞がかかったように煙った空の日、

また、「チーム・気まま」でびわ湖を漕いだ。 前回、まさかと言うほどびわ湖を漕いでいなかった日から何日も立たずに、立て続けにびわ湖漕ぎとなる。まぁ、人生もカヤックも、割り切れる予定が立たないところが面白いのだろう。 

 

そんな日の出艇場所はこんな所。急に暖かくなった水辺には黄菖蒲の芽が、待ちきれないと顔を出している。

ここは私(達)のいつもの場所、「占有地」とは言わないが、言えないが、気持ちとしては「我らが所有地」と思っている。 まぁ、他の人が使っても良いけど・・ の感がある。

もう、何年も前、初めてこのチームでこの岸をゴールとした時、上がる場所を20メートル程行き過ぎて藪漕ぎをしてしまったことがある。ヨシや藪草の茂る中をカヤックを運びながら、こんなバカげた事を、いや、こんな楽しい事をやるのは私たち位だね、と笑っていたことを思い出す。 ちょうどこの辺りだ。懐かしい。

岸には鯉釣りの人が何本もの竿を並べている。日向ぼっこをしながら、昼寝をしながら、釣れるまでの時間をのんびり過ごすことを楽しみとしているとのこと。貴重な時間を追いながら生活を送る人が多い中で、「湯水のように時間を流す」、そんな暮らしを楽しむと言うのはこの上ない贅沢ではないだろうか。さりげない身なりのおじさんではあるが、「とんでもないセレブ」なのかもしれない。

セレブおじさんの邪魔をしないよう、ソロリソロリと漕ぎ出そう。今回は前回漕いだコースのちょうど対岸になる。お向いさんの岸に手を振って行ってきますの挨拶をする。

その先は枝くぐりの岸。今はまだ枝だけの木々もじきに緑のトンネルとなるだろう。今はまだ透かし模様の枝を広げている。見通しの良さを楽しんでくぐる。

じきに大きく開けた所となる。

 ヨシを波から守る柵。岸近くで所々に施されている。このようにヨシを守ってはいるが、守られて育ったヨシはこのように毎年枯れて朽ちて湖中に沈む。この循環もまた水質浄化のサイクルに適っているのだろうか。いつも考えてもわからない。

箱入り娘のヨシもあれば、自由奔放に遊ぶ放蕩息子のヨシもある。 

そんな所ではカヤックもヨシと一緒に遊ぶ。時々カヤックに驚いて跳ねる魚や水鳥にカヤックも驚く。その水音が消えると後は静寂。びわ湖でカヤックを漕ぐなら、こんな光景を楽しんでこそ「びわ湖カヤック」ではないだろうか。 

長閑な田舎の風景から都会のにぎにぎしい光景と続き、ふと見れば遠くにびわ湖大橋が横たわる。 

それにしても美しい流れだ。約1400メートル。近江大橋と共に、びわ湖の最も細い部分に架けられた橋。「びわ湖横断」と言うと大そうな事に聞こえるが、この橋の下を行けば立派に「びわ湖横断」となる。そう言えば久しく横断をしていない。

 遠くに見えていた橋がいつの間にか目の前に来る。

橋上で工事をしていた。作業する人の声が聞こえたが、彼らは自分の足の下を人が通っていることに気が付いただろうか。

1車線がメロディーロードになっている。この位置では曲は終わっているので聞こえないが、西詰めの下では車に乗っていなくても、通った車が奏でる曲が、湖上に居ても聞こえる。カヤックで湖上に浮かびながらびわ湖大橋が歌う「琵琶湖周航の歌」を聞く。これもまた「びわ湖カヤック」の楽しみだ。

橋を過ぎると小さな砂浜が現れる。夏にはここでシジミが獲れるとのこと。しかし私はまだここでシジミとりをしたことがない。次に来る時は熊手を持って来ようか。浜を上がるとショッピングモールがある。焼きたてパンもアイスクリームも調達自在。流行りの服からアウトドア用品の足りない物も手に入る。

しかし我らはこのすぐ先の別の浜でランチとする。 さてさて今日はどんなランチとなるだろう。

 

 こんなランチ

 「流氷カレー」!
 と野菜サラダ

 詳しく解説すると・・

 

 

 

 

相棒が一年前に期限が切れた非常食米があるので・・と持って来た米は、十分に食べるに耐え得る物だった。1年まえの期限切れには驚かなかったが「流氷カレー」なる物には驚いた。群青のルーは北の海、白いルーは流氷を意味する物だとか。 なるほど・・

私は庭に生えていた「ヤブカンゾウ」を持って来た。それを茹でて流氷の海に浮かべ、「ジャイアントケルプ」に見立てた。セロリの漬物はラッコ。 にわかにびわ湖の水辺が宗谷の海になった。後で考えると、流氷の宗谷の海にジャイアントケルプがあるかどうか、ラッコがいるかどうか疑問だったが、まぁ、そのいい加減さが「チーム・気まま」の良さだろう。

1年まえに期限が切れた米にはジャイアントケルプがちょうどいい。

 

波音を聞きながらコーヒータイムを過ごし、この浜に来たなら見て来なくては、と腰を上げる。

遠目にはまだ黄色い絨毯を敷き詰めたように見えるが花の殆どは折れて首を垂れている。この花も長い間鮮やかな黄色を楽しませてくれた。もうそろそろ今年の任務も終わりのようだ。ご苦労様でした、と労を労い別れた。

 

この位置から見るこの光景は、私には特別な意味がある。私が「訂正の岸」と名付けた岸だ。

間違いは誰でもやる。しかし間違いと指摘されて訂正しないのは、それは「噓」になる。自分の間違いを訂正する事を恐れてはいけない、と発信する場所である。

      自分に正直であり 人に誠実であり     
      自分に臆病者にならず 人に卑怯者にならず

 

そんな思いを背中にして漕ぎ進めば、冬の日に白鳥を見た川や気の早い鯉のぼりが泳ぐ岸や、おや?さっきも車で通った道なのに、あんな建物、あったかな? の岸が流れていく。 そして気が付けばもうゴールの岸に着いた。

対岸の岸はかすんで見えず、水平線の彼方は太平洋かと見紛う大海原のびわ湖だった。カヤックを積んでスタートした岸に戻ると、もう鯉釣りのおじさんはいなかった。なぜだが残念な気持ちになった。「ただいま」と言いたかったのかもしれない。「釣れましたか」と聞きたかったのかもしれない。水辺を同じくした人はみな友人のような気がしてくる。

比叡の山も障子越しの虚ろさだ。こんな比叡もまた春らしいと言うのだろうか。

今回は風も波もなかった。暑くなく寒くなく、カヤックを漕ぐには良い気候となった。思いがけずに桜の時季に流氷に出会ったびわ湖だった。

これで遠くまで見通せたなら申し分のない日だったのだが。

 

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866.BーⅤ-17 ― そんなはずはないびわ湖風

2018年03月23日 | Weblog

今年は例年になく漕いでいない。しかも例年になく記録が遅い。この記録も1週間も前の事を書いている。しかし、まぁ、1週間はまだ良い方だろうか。1ヵ月前の事を、朧となった記憶を広げて書いた時もあったし、まぁ、1週間はましな方だろう。と言い訳しつつ書き始める。

 

今回はB- Ⅴ-17の日の記録。 びわ湖一周シリーズの5周目の17回目。

久しぶりのびわ湖、久々の「チーム・気まま」、久々々ぶりのBⅤシリーズ。

     えっ、びわ湖が5ヵ月ぶり?
   え、えっ、「チーム気まま」が2年ぶり??

まさかまさかの記録を紐解いてみれば、唖然とする数字が出てくる。 最近は海に行くことが多くなったので、カヤックに乗ってはいてもびわ湖にご無沙汰するようになった。それにしても5か月ぶりとは、情けない。

それ以上に「チーム・気まま」で海は漕いでも、2年近くびわ湖を漕いでないとはにわかには信じがたい事だ。最近のこのチームは漕ぐより「食・湯・遊」ツーリングが多くなったからだろうか。去年はこのチームで3回出かけたが、3回とも漕ぎ無しのツーリングだった。 その代わりお宿とグルメには詳しくなったが、カヤック乗りとしては呆れ返る。まぁ、そこが「気まま」と冠する所以なのだが。

その久しぶりの「チーム・気まま」、いつもの?岸から漕ぎ出す。 この時、私は大きな失敗をした。私としたことが、何とした事か、びわ湖大橋の写真を撮り忘れたのだ。

久しぶりだったからなのか、いつもの変わらない事だからだったのか、そそくさと通り過ぎてしまった。近くに緊急車両が並んで居たからだろうか・・

 

ま、それはともかく、1日中3メートルの風と言う予報のびわ湖に漕ぎ出した。

漕ぎ出してすぐに目に入るこんな物。

出来島(でけじま)の木の灯台。「出島」とも書くようだ。海でよく見る石の灯台とも違い、旧街道でよく見る常夜灯とも違い、不思議な形をしている。明治の文明開化の光を今につないでいる。アニメに出てくる巨大な人型ロボットに似ている。もしかして、夜、こっそりと歩き回っているのかもしれない。近所の人が毎朝掃除しているのに次の日には小石が散らばっているとか・・

 

 2代目うみのこ

 近江の国では
 「湖」を「うみ」とも言います
 本当に海のような湖です

 

 おや、
 今日最初で最後のびわ湖大橋が
 覗き見してました

 

 

その先の造船所には2代目「うみのこ」が浮かぶ。滋賀県の小学5年生が船に泊まってびわ湖の学習をする船だ。35年働いた初代に代わり、今年から就航するびわ湖の学習船。

林間学校、臨海学校、子供たちの好奇心・冒険心を膨らませる宿泊学習はいろいろあるが、湖上の船で泊まる、と言うのはさすがびわ湖の国だ。私は乗ることができなかったが、初代「うみのこ」に親子2代で乗ったと言う家族がいる。新しい2代目も「親子で乗った」と言う家族をたくさん作ってくれるだろう。

うみのこには沈まないほどに大きな期待を託し、造船所を後にする。そしてお馴染みのこのお堂

私はいろいろな所をくぐりたい。水面に垂れ下がった木々の枝、養殖筏をつなぐロープ、朽ちかけた桟橋、のけ反って通る洞門、湖中の鳥居・・ 魚や水鳥以外、誰もその下をくぐる私に気が付く者はいない「くぐり」がある。 カヤックの醍醐味だ。

しかしここはけっこう人目に触れる。今回もお堂の回廊に大勢の人がいたのでくぐらなかった。真上から傍若無人にカメラのシャッターが襲いかかって来る。 白髭神社の鳥居もくぐるのは好きだが、岸からのレンズが迫って来る。 だから人がいる時はくぐらない。観光客の好奇の晒し者にされたくないからだ。

久しぶりの浮御堂、くぐらないのはもったいなくも残念ではあったが、そそくさと漕ぎ去った。

漕ぎ始めてまだどれ程の時間も距離も経っていない辺りで、「ちょうど良いから」とランチタイムとする。

チームの合作ランチ。今日はホットサンド、ミルク餅フルーツ乗せ、そしてコーヒー。BGMにびわ湖のさざ波、湖畔のそよ風付き。 久しぶりの気ままランチを楽しんで、そろそろ出発しようとびわ湖を見ると、

ん? さっきより波が立っている。そう言えば風も出てきた。 あれ?今日は1日3メートルのはずだったのだが。 ま、どうってことない風だし、出発しよう。

 

覚えておいでだろうか、この「手すり?」

初めて気が付いたのは10年程前だろうか。湖中から出た杭なのだが、唐突に現れ、しかも傾き具合も10年前と変わらない。この間に大嵐が度々襲い、湖岸には倒れた大木が痛々しいが、この「手すり?」は何の寄る辺もないびわ湖の真っただ中で、健気にも立つ。彼ら(彼女ら)は自分たちの今の存在意義を誇りとしているのだろうか。過去の存在意義を懐かしんでいるのだろうか。 謎の物体である。

下は8年前の写真。この手すりと近江富士とのコラボを『 びわ湖九景 』にしよう、と言ったのを思い出した。

 

謎の物体に見とれている内に、あれあれ? あの白い物は何だろう。 白波が立つほどの風が出る予報ではなかったのだが・・

まぁ、無理となればどこでも上がれるので心配はなかったが、横波を受ける辺りでは久しぶりにまともに波をかぶった。ウェアの中まで濡れたのは想定外だった。今日は濡れずに帰る予定だったのに、とチーム内でボヤキの声が上がる。 それでも春の太陽が優しく温めてくれる。

 

このコースを漕ぐのは久ぶり。いろいろな記憶が蘇る。 

   あの岸でアヒルに会ったことがある。 あのアヒルは今もいるのだろうか。
   あの水辺にはハスの小さな群落があった。 草津の群生が壊滅があそこはどうだろう。
   あの澱みに睡蓮が群生していた。睡蓮の群生はびわ湖では珍しい。今もあるだろうか。

風が強くなるとのんびり写真を撮ることもできなくなる。しばらくは真面目に漕ぎに励む。

それでもこれは撮っておかなくては。

「びわ湖のUFO」とも言われた水質観測塔。ずいぶん前から稼働せずにあり、年内にも撤去されるとのこと。また1つびわ湖の名物が消えるのか。しっかりと見ておこう。

 

3メートルのはずはないな、この風は。とぶつくさ言いながら、沖の白波を睨む。 朝ののんびり漕ぎから午後のガッツリ漕ぎまで楽しんで、この岸に無事ゴールした。

 

三角の赤い鳥居。あまり見かけない形。これもびわ湖のこの岸辺を特定する物だ。 

        鳥居の神様、どうもありがとうございました。

 

漕ぎ終わり、チームは解散し、帰りのびわ湖大橋の風速計は6メートルと表示されていた。そうだろ、6メートル、確かにあったあの風は。と納得して家に帰った。そしてネットで見てみると、

えっ! 1日中3メートル!?  そんなはずはない! あの白波は絶対に6メートルの風だ。 

びわ湖には時々、「そんなはずはないびわ湖風」が吹く、と言うのは本当の話だな・・

 

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865.ちょいとのつもりが ― 熊野のダンパー

2018年03月04日 | Weblog

先日、梅が咲き、よく晴れた、暖かい、風もうねりもない(はず)の日に、KWシリーズの続きを漕いだ。

 

熊野の海辺もだいぶわかるようになった。「明日はあの岸、集合」の合言葉にもすぐに「了解」の対応ができる。 しかし、完璧に理解できている訳ではないので、似た名前の岸や、「その辺り」の別の岸に行くことが、ないわけではないが。

まぁ今回は、間違えても集合時間には余裕をもって出かけたし、間違えてもちょっと戻れば良かったので事なきを得た。そんなことは敢えて言わなくても日常の事なのだが。 

この岸もお馴染みになった。1年前、送水管の峠道を歩いたのがずっと昔のような気がする。桜の時季に来ようと思いながらその時季を逸した。今年もそろそろ桜の話題が出てきた。ここの岸の桜はどんな景色になるのだろう。今年こそは、と毎度のセリフを言う。

 

今日は熊からさんと。合流後、ちょいと漕いでこの岸をゴールにしようと車の回送に行く。

おや? おやおや?? 今日は風もうねりもないはずなのだが・・

 写真ではとても穏やかな波に見えているのだが、実際はけっこうなダンパーが打ち寄せている。 思わず、「私が最も得意とする波じゃないですか!」と開き直る。まぁ、熊からさんと一緒だから、何とか、いや何とでもなるだろうと、この波も心配の種にはならなかった。

準備万端整い、いざ、と熊野の海に漕ぎ出す。 ささやかな風はあるものの、我らが漕ぎを邪魔するような物ではなく、冬の終わりの暖かな日差しを楽しみながら漕ぐ。

ここにも「亀島」がある。亀島なのか、岩の配置でそう見えるのか、島は漕ぎ進むにつれその形を変えるので人を惑わす。そして楽しませる。 ここの少し北にも私が名付けた「長島のカメさん」がいる。いろいろな海に、いろいろな友人がいると広い海も狭く感じる。

まずはあの島を目指して、と向かった島が後ろに去り、岸から1キロほど離れても見慣れた島々が見える。漕げば遥かに遠いのだが晴れた空と青い海の中ではほんの一漕ぎの距離に迫る。 あの島、行った。あの島も行った。その時々に一緒に漕いだ人の顔が思い浮かぶ。 つい先日も一緒に漕いだ人、しばらくご無沙汰している人、風の便りに聞く人・・

 振り返れば熊野の山々。遠く、雪を頂く峰が見える。大台ケ原だろうか。北の国では今まさに大雪の真っただ中と言うが、梅が咲き桜が咲く熊野の海から雪の山を眺めると、それほど高くはない山が、5千メートルの山にも思えてくる。 言い換えると「海は暖かい」、と言うことなのだろうか。

岩も小島も、どこの海に行っても同じようにある。「インディアンロック」は山陰だけではないし、「ゴジラ岩」は伊豆だけではないし、「軍艦島」も能登だけではない。しかし付けられた名前は同じでもその土地、その海での姿は違っている。 亀島が各地の海や湖があるように。

この二つの岩(島?)もどこにでもありそうで、しかし、この海でしかない岩だ。7年前の11月、この海を漕いだ時にこの岩を「夫婦岩」と言った人がいた。私は、「双子岩」もいいな、と言った。そんなことを思い出しながら、風の出始めた海を漕ぐ。

そして今日の目的地のこんな洞門へ。ところが・・

この洞門をくぐるのを楽しみにしてきたのだが、おやおや、予想外のうねりが邪魔をしている。 遠目にはどうってことのない波に見えるが私が行こうとするとでかい一発波が来て洞門の中で破裂する。タイミングさえ合わせれば、破裂した波に負けない力があれば行かれるのだが・・

いやいや、ひっくり返ったらタンコブだけでは済まないだろう。残念だが今回は見送った。

先端をぐるりと回り、反対側から見てみると、

この位置から見るとハートの洞門。7年前となったが、ピアスさんたちとここを漕いだ時にくぐったことがある。

 

 覚えておいでですか 
 7年前の日を

 日の射さない、
 でもうねりのない日でした

 WWW号とくぐった日です
 ピアスさんが撮ってくれた1枚です

 

 

 

すっかり忘れていたが以前の記録を見てみると、そうだ、キャンプして、「卵かけごはん専用醤油」があることを知った日だった。 あの時のみんな、どうしているかな。 またここをくぐりたいな・・

 

スタートして一気に洞門まで渡ったが、向かい風がちょっかいを出していた。その風も岸伝いに行くと穏やかな追い風となり、岩に打ち付ける白波を楽しむ余裕も出る。 岸近くの岩場にこんな鳥居がある。

海辺で時々見かける岩場の鳥居。どんな神様なのか、どこにおいでなのか確かめることはできなかったがパドルを止めて手を合わせる。

予想外のうねりは私が上陸するのを邪魔する岸となり、いくつかの浜を見送ってやっと昼食にありつける。 熊からさんの作るホットサンドをほおばり、波音のGBMでコーヒータイム。 眠くなるが潮が上がって来た。そろそろ出発しよう。

 

 風裏の水辺は、のたりのたりと揺れる。早春の海を絵にすると、こうなるのだろうか。 そんな海ばかりではなかった。しかし今日の風も波もうねりも、まだまだ十分に「楽しい」範疇だった。岩に打ち付ける白波もゆっくりと楽しめる強さだ。

 岩の白波は楽しめたのだが、さて、ゴールの浜の砕ける白波は、と言うと・・

朝、回送に来た時より強くなっているようだ。一か八かで上陸する、と言う方法も、ない事はないが、もしひっくり返って濡れるのは嫌だし。と言うか、もし、ではなく私はきっと、絶対ひっくり返る、と自信を持って言える波だった。 

で、そこでの上陸は却下。6キロほど進んで元の出発した浜まで戻り、無事終了した。

向かい風に遊ばれ、うねりに邪魔され、ダンパーに拒否され(私がビビったのだが)、チキンな岸へ逃げかえり、ちょい漕ぎのつもりが結局16キロほど漕いだ。 しかし、良い海だった。

漕ぎ終わり、夕陽が落ちる頃、いつもの温泉で潮を落として帰る。 もう、桜が咲いていた。 冬はもう、終わったな。

 

それにしても熊野の海は、しょっちゅう、ダンパ―ってやつにいじめられるなぁ

 

 

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864.寺と神社と水と木と ― 宮川上流探索

2018年03月03日 | Weblog

風はあったが暖かな日差しに恵まれた日に、かねてより気になっていた所を探索に出かけた。寺と神社と水と木に恵まれた熊野路で幾つもの発見をした日の記録。

久しぶりにバルトさんと熊野路探索に出かけた。ほんの少し前に、「氷を割ってみるのも良いですね」なんてお誘いがあったのだが、この暖かさ、氷なんてどこにあるのだろう。梅が満開で、早咲きの桜も咲き出していると言うのに。 そんな川沿いを、何度も下った宮川を、今日はズンズン上って行く。

よく晴れた日、川も山も空も春ののどけさ。今日は漕がない日だが、ついつい「ここは漕げるかな」、「どこから出艇できるかな」と下心が騒ぎ、ちょっと下見と言って川辺に下りる。

ダム湖はどこも穏やかだ。ここなら風がある日も大丈夫だろう。よしよし、ここはなかなかよさげ。桜の頃が良いかな。と、目星をつけて先へ進む。

広い道も進むにつれ細くなる。細くなる、とは言っても小型ながらもバスも通る道、我ら「狭道突撃隊」にとっては退屈するほど立派な道だ。 

その道も次第に狭くなり、ダンプカーとすれ違う時にちょっとヒヤッとする辺りに来ると大きなダム湖が現れる。観光船が出るらしい。ちょっと見に行こう。

 今は休止のようだが湖上観光と登山の客を運ぶとのこと。ずいぶん水位が下がっているが、満水の時には優雅に湖上散歩を楽しめるのだろう。 ちなみに、ここは漕げるのかな・・ カヤック禁止とは書いてないが・・

道々気になる石像がある。七福神のようでもあるが、違うようでもある。苔むした古石もあれば、平成と彫られた像もある。これは・・

こんな像もある。これはあの人だろう、二宮金次郎さん。だが・・

何か違う。ふくよかな顔、鼻筋から長く流れる眉、大きく下がる耳たぶ、何だか観音様のような・・

長い時をこの路傍でじっと本を読み、とうとう石になったと言うのだろうか。悟りを開いて仏になったと言うのだろうか。古い石像の横をダンプカーが通る。その音にも動じず、その人は石のように佇んでいた。

そしてこんな橋が現れる。

 

 大きな吊り橋 
 14トンまでOK

 14トン? 1.4のまちがいでしょ?
 だって吊り橋ですよ

 14トンと言ったらダンプカーでしょ
 まさかダンプカーは通れないでしょ

 えっ? 14トン?
 え、え? ほんとに14トン!?

 

 

 

 

14トンまでOKと言う橋を1トン余りの車で渡る。絶対大丈夫のはずなのだがなぜか尻がムズムズする。高所恐怖症を自負するバルトさん、わぁ、わぁ、と言いながらアクセルを踏む。そして私は揺らそうと飛び上がる。 途中でワイヤーが切れることはなく、隙間から落ちることもなく無事渡りきる。やれやれ。

道はますます狭くなり、いよいよ我ら「狭道突撃隊」の本領発揮の道となる。そんな道の途中で「六十尋滝」の案内。滝? それも行かねば。 山道をしばらく行くと水音がしてくる。

ずっと高い所から3段になって落ちてくるまでは見えたのだが、その先、どれだけの高さがあるのか確認ができなかった。90メートル? いや、六十尋あるに違いない。 岩に当たり砕け散って落ちる滝は、流れを水滴にし、水しぶきを水煙に変え、滲ませた水をまた流に変えて下って行く。 岩肌を伝いながら七変化の姿で六十尋の旅をする。

 

滝に別れを告げ、行きつく所はどこか、と先へ進む。そして行きついた所に現れるのが今日の目的地。

 

 

 宮川第三発電所

 何か音がしています

 誰も拍手をしてくれなくても
 誰かのために仕事をしています

 ならば、私が拍手しましょう

 お仕事、ご苦労様です

 

 

 

  

この近くには先ほどの観光船の船着場がある。ここまで船で来て山に入るようだ。幾つのルートがあるかは知らないが、こんなルートもある。 

今は入山禁止となっているが、登山道入っていきなりの鎖場。足元は30センチ程の所もある。しゃがみ、のけ反り、鎖に身を託して進む。こんな所がこの先にもあるとのこと。ゲートが開いていたとしても私は行かない。 まだ冥土に行くには早い。

 

この近くにこんな物がある

 

 衛星電話

 1分300円 
 100円玉しか使えない

 緊急時は・・

 この電話が鳴っていたら必ず出て・・

 携帯電話がつながるのは何キロ先から・・

 

 

 

 

 

駅前の公衆電話では見かけない文字が並ぶ。この文字を見るとなぜだか手先に緊張の電気が流れる。ここはそれほどに緊迫する所なのだろうか。 携帯電話は7キロ先までつながらないと表示されていたが、どうやら最近アンテナを立てた電話会社があるようで、つながる電話もあった。

誰もこんな所に来る人はいないだろう、と思っていると、発電所関係の車がやって来た。ちょっと驚いたような、ちょっと安心したような、つま先に不思議な感覚が流れる。

 

町の観光案内を見ると「神木」と書かれた神社がある。神木? 樹齢1200年? これは行かねば。

 

神木の大杉。高さは40メートル、樹齢1200年とか。ひっそりした山に凛としてそびえる大木は、その下に立つだけで霊気を授かる。

それは、溢れかえる1200年の喜怒哀楽をただじっと体内に潜ませて、それが1200年の時の中で昇華して霊気となり、樹上から降り注ぐ。それは巫女が舞う時に鳴らす鈴の音のようなものかもしれない。巫女の鈴音が頭上に降り注ぐように、霊気は心に染み入って来る。

ちょっと身震いをして、大杉を後にする。 その身震いの余韻が抜けきらない内に、今度はこんな木に会いに行く。

これも見事な大木。樹齢300年以上のスダジイ。

木の下に立つ人間と比べてその大きさがわかるだろう。 広く枝を伸ばすその姿は、全ての人間を受け入れようとする千手観音の腕にも似ている。私は何本目の腕にすがっているのだろう。

広げているのは枝だけではない。 むんず、と言わんばかりに地面をわしづかみにして立つ姿は威風堂々としている。

板根が大きく張り幹には苔を宿し、土地の人々と道行く旅人を見守って来たのだろう。 古く大きな木は神木・霊木と呼ばれるが、もう一つ、「語り部」でもあると思う。長い歴史の秘話を知っていて語らずの語り部だ。 いつか、こっそりと、私に囁いてもらえないだろうか。

まだまだ書きつくせない多くの物を見、出会い、感じた日だった。 良い日だった。

 

寺と神社と水と木と、宮川上流には知らせたいが秘密にしたい事が、たくさんあるものだ。

 

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863.さざ波白波鯖の波 ― 大きな鯖の古和の海

2018年02月24日 | Weblog

久しぶりの投稿。インフルでもなく、海外遠征でもなく、連日連夜の残業でもなかったのだが、なぜかカヤックにご無沙汰してしまった。この私が、何とした事か、今年に入ってまだ1回しか漕いでいない。そんな事、「あってはならない」事態が日常となった。いや、そんな事、あってはならない! と、久しぶりに出かけた海の記録。

インフルでも、遠征でも、残業でもなかったがこのひと月は、何かと漕ぎに恵まれなかった。体調不良や天気は仕方ないとして、「寒い」を理由に漕がなかったとは、私も不甲斐なくなったものだ。いや、今年の寒さが異常だったからなのか。それでも以前は吹雪の中でも漕いだし、氷を割って漕いでいたりもしたと言うのに・・

まぁ、人間ができてきて、「真冬のカヤック」なんてアホな事はしない分別が付いたと言う事にしよう。それでもオリンピックの「雪と氷の祭典」を見るにつけ、この貴重な寒さの時季に「雪と氷のカヤック」をしそびれた事は残念に思う。4年後と言わず、1年後までに心と体を鍛えておこう。

 

さてさて、前置きが長くなったが忘れない内に先日の、今年2回目のカヤックの記録を記そう。

行きたい所、調べたい事があったので、漕ぎの前の日に家を出る。 

行きたい所とはこんな所。調べたいことがあったし、招き猫にも会いたかったし、ここのマンホールの写真もまだ撮っていないことに気が付いたから。

第一の目的を存分にたのしんでから、そして次の目的は・・

もう何人もの地元の人に尋ねてきたのだが、誰としてその存在さえも知る人がいなかった、謎の神社の石碑。

何度かお話ししているのでご存知の方も多いだろう。かつて、ここに神社があったと言う印の石碑。

石碑の四面に彫られた文字からすると、神社は境内300坪程、石碑は100年ほど前に地元の漁師によって建てられたようだ。どんな神様だったのだろう、どうしてここから去ったのだろう、ここにおいでだった神様は今はどこにおいでなのだろう。

これまでもいろいろな人に尋ねたが誰も答えを持っていなかった。今回も地元の古老に尋ねても知らないと言う。いろいろ調べたが、しかしもう、この石碑の出生の秘密探しも、幕を下ろそうと思うに至った。

そんな目的も果たし、次の日は今年2回目の漕ぎの海へ向かう。今回はペンタさんたちと一緒の漕ぎ。


      初めまして、の人
      ご無沙汰しています、の人
      どこかで会いましたっけ、の人

      お互い、「初めまして」と言ったが、暫くして何年か前に遠くの海で
      一緒に漕いでいたとわかった、の人

      どなたさまも、どうぞよろしく!

今日漕ぎ出すのはこんな舟が並ぶ海。

 

 おや、ちょっと会わない内に
 また友達が増えましたね

 初めましての舟 
 お久しぶりの舟

 そして
 前に会いましたっけの舟

 

 

 

覚えておいでだろうか、3年まえの事となったが『ツクヨビヒメ』のお話。「創作昔話」として作ったお話の主人公となった小舟だ。孤独だった姫が恋をして、千年の時を経て結ばれて、そして今では・・

今度は『ツクヨビヒメ家の人々』のお話を書かねば。

何だかんだの支度が終わり、いざ出発。風が、思った以上にある。この先はどうだろう、穏やかであってほしいのだが。 おや? 今回は頭上をドローンが舞っている。けっこう風が出てきたがあんなに高く飛べるものなんだ。 

いつか自分の漕ぎ姿をドローンで撮りたいと思うのだが、プロに頼むと私の支払能力の一桁上の金額となる。これは・・ 無理だ。 誰か、一升瓶1本程で撮ってくれる人はいないだろうか・・。 

今回は漕ぎが目的ではなく、「牡蠣を食らう」が目的。しかも風が強くなったので漕ぎはほんの印程度。どんな海かと言うと、こんな海。

 

 

 ニラハマ展望台より望む 
 古和浦の海

 

 

 

 

 


実は前日に、久しぶりにハラハラドキドキしたくてこの展望台に来た。展望台への道は相変わらず狭くて落石がある。運転中にこんなのが落ちてきたら・・ などとは考えず、しかし、
対向車が来ても絶対海側へは避けないし、バックもしない! とは十分に考える道だ。 明日はこの海を漕ぐんだな、と久しぶりの古和浦の海を眺めていた。

その海にみんなでワイワイにぎにぎと漕ぎ出すと、風もまた、ワイワイにぎにぎと騒ぎ始める。小さな岬を回ると沖では白波が立つ。うねりはしないが明らかに帰りを邪魔する風。早々に岸に上がり休憩を兼ねて今晩の薪を集める。流木はたくさんあったのだが、カヤックに積んで帰ることを考えるとあまり欲張れない。

「私も拾いました」のパフォーマンスには足りるだろう程度の木を積む。

海は、相変わらず騒いでいるが見事に青く澄んでいる。

 ん~ん、この色、この模様、何かに似ているな。

あ、鯖だ!

そうだ、こんな模様の波を「サバ波」と呼ぶことにしよう。2019年版『カヤック用語辞典』に、「風が強く、沖では白波が立っている時に、岸近くで見られる鯖模様の波のこと」と記されることだろう。

そこそこに薪を集め、帰り道(海)はかなりの向かい風。久しぶりに「それ碇あげ」の歌が出た。漕ぐだけでも大変な時に歌うなど、余計苦しくなると思われるだろうが、これが意外と力になる。「我らが腕には 力が溢れ・・」 その歌もじきに歌う必要がないほどに穏やかな場所に来る。

元の岸に戻って腹ごしらえ。

特性カレーうどん。隠し味の効いた旨いうどんだ。カレーうどんが売り!と言う店に行くと、汁はね対策のエプロンが付くことがある。食べ終わってからエプロンを見ると、見事に黄色い水玉模様ができている。今日はエプロンがないのできっと、もろにジャケットに付くだろうな。

今晩は、焚火のキナ臭い臭いが沁み込んだジャケットに更にカレーの匂いを沁み込ませ、それを着てシュラフに入る。鼻先のシュラフの匂いを思わずクンクンと嗅いでいる今晩の自分を想像する。 嫌な臭いとなるか、いい匂いとなるか。

食べ終われば今日のメインイベント、牡蠣剥き大作戦。みんな黙々と牡蠣に挑戦し、見事な戦果を挙げた。

ここにあるのはほんの一例。フライに素焼き、アヒージョに何とか・・ しゃれた名前の料理は名前を覚える前に食べ尽くした。 小さな物や崩れた物は大きな鍋でグツグツと煮られ、その匂いもまた一品となる。

湧き上がる汁は、遠い宇宙の星のクレーターにも、沈した川で逆巻くボイルにも、人間が乗れる巨大なハスの葉にも見えてくる。そろそろこの丸を私の椀に移したい。

大きい牡蠣は焚火で焼いて。味付けなど一切しなくとも、海の味がいつまでも舌に残る。

海辺の焚火も川辺の焚火も、BBQ広場の焚火でも、火にはいつもやかんが乗る。

誰のどのやかんも煤けてどこかへこみ、たいていは蓋のつまみが融けている。そのへこみ具合、融け具合はそのやかんの活躍の歴史であり、持ち主もわかる。このやかんはご主人様と良い旅をしてきただろうか。今日は私に良いコーヒーを淹れてくれる。

時折屋根をガタガタ鳴らす突風が吹き、線香花火のような火の粉がジャケットに突進してくる。 火の匂い、煙の匂い、薪の匂い、オリーブオイルの匂い、牡蠣の匂い、そしてワインの匂い。いろんな匂いをしみ込ませたジャケットを着込んでも寒くなって来た。

食べて飲んで、次第に薪がなくなって・・。そして久しぶりの古和浦の海の日が終わった。

良い海だった。 良い牡蠣だった。 良い夜だった。

次に漕ぐ時は、できるなら、「鯖波」でない海が良いのだが・・

 

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862.待ってましたの初漕ぎ ― 熊野灘に初詣

2018年01月20日 | Weblog

先日の大雪のニュースはすっかり鳴りを潜め、今度は「異常な暖かさ」がニュースになった。そんなある日、待ちに待った初漕ぎに出る。

今年初めてのカヤックのチャンスは正月早々にも内湖であったのだが、うっ、寒い! とキャンセルした。 それから何日かして、海漕ぎのチャンスがあったのだが天気が荒れ、これは中止になった。 何年か前までは、雪の上でファルトを組み立てたり、車から水辺までソリのようにカヤックを引いて行ったり、吹雪の中を漕いだりしたのだが、そんな日があったことなど遠い記憶の中の出来事となった。

そんな私が初漕ぎに出た日は、雲一つない青空、風も息を殺し、波は身動きせず、太陽は我が世を謳歌するように輝き、そんな日だった。


当日その場で行先を決めることはよくあることなのだが、今回は前日に「明日は上出来の穏やかな日になりそうだ。ならば外海漕いでも大丈夫。となれば、あそこをつなげよう」と思い立った。以前から候補に挙げていた志摩半島の外海。案内してくれる人が、「明日なら大丈夫」と言うので、ここを漕ぐことにした。
   
 

穏やかな海の小粋な岩たち。うねりのある時には近づけない所もちょいとすり抜け、大胆にかすめて行く。



岬の白い灯台、いつだったか歩いてそこに行き、この海を見下ろした。いつか漕ぎたいと思っていた海を今日漕いで、あの日、岬から手を振った私に、今日は海からあの日の私に手を振る。 



 4年前の冬の日に

 灯台に続く道から見た海

 いつかこの海を漕ごう
 と思っていた海





 



いつか漕ぎたいと思いつつも、いつでも漕げるからと4年も漕がなかった海。 岬に立っていた私に、やっと手を振ることができた。 

所々に海女小屋が建つ。あそこは行った、あそこも行った。浜を歩いて行った所を海から眺め、地図での岸と頭の中での岸が一致する。この浜へ行った時にはこんなことがあった、あの浜へ行った時にはあんなことがあった。記憶の引き出しから出される浜は鮮やかに蘇る。


穏やかな海は遠くに点に見えていた島を形のある島にした。



スプーンのように見えたから「スプーン島」、食パンのように見えたから「食パン島」。 何年か前に、初めてこの海を漕いだ時にこの島の横を行き、この名前を付けた島だ。国土地理院の地図には別の名前が記されているが、私の地図にはスプーン島と食パン島と記録されている。

食パン島の方が小さいが高さがあるので遠くから漕いでくるとまずパンが見え、しばらく漕いで大きいが低いスプーンが見えてくる。 これが地球が丸いと言う証しなんだろうか。

2つの島を沖に見ながら静かな浜で昼食とする。



もう何年も前、熊野の川と海を200キロほど漕ぐ旅の途中で、この浜でキャンプしたことがあった。近くのスーパーに買い出しに行く人にビールを買って来てと頼んだ。 そう言えばこの浜に「車馬等乗り入れ規制区域」と書かれた立て札があり、今の時代に馬で乗り入れる人がいるものなのか、とおかしくも不思議に思った。そんな、どうでもいい事が妙に思い出される。 

あの立て札、今も「馬 乗り入れ」と書かれているのだろうか。確かめて来ればよかったな・・

寒中のこの時季に、暑いと言って腕まくりする。こんな絶好の漕ぎ日和に初漕ぎができた事、今年のカヤックは(も!)幸先が良い。

目の前に広がる太平洋を見ていると、海とは今視野に入っているこういう広がりを「1単位」と言っても良いのではないかと思えてくる。「領海12カイリ」だのと言われるより、右を向て左を向いて、その間の広さを「1海単位」とする方がわかりやすい。日本全体では何単位の海があるのだろう。 私は何単位の海を漕いだだろう。


シャー、シャーと単調に鳴る波の音は眠気を誘う。コーヒーを1杯のんだら、出発するとしよう。



ずっと前から気になってるのだが、浜から突き出したこのトンネルはいったい何なんだろう。桟橋のようにも見えるが、なぜ穴が開いているのか。潮が満ちていれば通れそうなのだが。 

それにしても海の色がきれいだ。海を漕ぐと「エメラルドグリーン」なんて言葉はありふれていて安っぽくさえ感じるのだが、やっぱりこの海を言い当てる言葉は「エメラルドグリーン」だろう。


程なくしてこんな灯台の前に来る。 麦崎灯台



この灯台も探索で来たことがある。その日は海が荒れていて、こんな海を漕ぎたくはないな、と思ったものだが、今その灯台の下を鼻歌交じりで漕ぐ。ここも面白くも悲しい伝説がある海だ。


とろりとろりと漕いで、大小の浜を過ぎてそしてここに来る。



 深谷水道沖

 英虞湾と熊野灘を結ぶ水路

 いろいろな人が通ります

 漁船、釣り船、そしてカヤック







前日は橋の上から、遠くを漕ぐ人を見送り今日は私がここを漕ぐ。誰か橋の上から手を振っているだろうか。私が青い海を漕ぐ姿を誰か見ていてくれるだろうか。 他人に見送られたいのではないが、下で漕ぐ自分を上から見てみたいと、常々思っている。

思いは言葉にすると、文字にすると、叶うと言う。その思いを、先日言葉にし、今日は文字にする。 

       いつ叶うだろう・・
       誰が叶えてくれるだろう・・


風無く、波無く、うねりも無い海だったが何だか小さなブーマーが見えてくる。見渡す海のあちこちに長い棒が立ててある。この辺りは岩礁や浅瀬が多い事を示す棒だとか。風・波がある時にはあの棒のずっと沖を遠回りしないと通れない海域とのことだが、この日は本当に運の良い日だった。手の届く所には白い砂が波の模様を作り、パドルの届く辺りでは翡翠色の海底が続き、目の届く沖まで瑠璃色の海が広がる。

そんな海を漕げば、昨日登った灯台が遠くに見えて来る。



えっ、と言うことはもうゴール?



この日はあの灯台までは行かなかったが16キロほどを漕ぎ、今年の初漕ぎを無事終えた。

           良い日だった 良い海だった

           今年のカヤックも良い漕ぎの予感がする

            

    

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861.千里の道も一歩から ― 新しい年の始まり

2018年01月19日 | Weblog
新しい年の始まり、と言っても1月も半ばを過ぎ、「新年」などと言う感覚は街にはない。しかし、私のカヤックはまだ初漕ぎをしていないので、新しい年が始まっていない。そんな今年ではあるが、「初漕ぎ」はまだでも「初探索」は無事済ますことができた。
更に、大きな志でカヤックを漕ぐ人に縁あって初めて会うことができた。 年の初めに、勢いが付く事と人に出会うことができた、そんな日の記録。


カヤックで日本一周を目指している人がとあるお宿に来ていて、明日そこを出発するとのこと。その人に会うのは初めてだし、そのお宿に行くのも久しぶり、ぜひとも行かなくては、と出かけた。 連日の寒さは北陸地方に大雪を降らせ、私の街にも5センチ程の雪が積もった。幸い湿った雪は昼からの太陽で不甲斐なく融けていった。これで遠出も安心だ、と三重の海を目指して高速を走る。

久しぶりに行った「お宿」で会ったその人は、ほっそりとした、どこにカヤックで日本一周するようなエネルギーを潜ませてるのだろうと思う人であったが、いろいろな経験と思慮と支援者とを身に纏った人だった。 皆で鍋をつつき、いろいろな話をした。 明朝出発するとのことで早めに就寝した。

久しぶりの「お宿」でシュラフに入ると、ガラス越しに見上げる空には数え切れない星が瞬く。テントでも寝ながら星を見ることはできないが、冬の最中に星を見ながら眠りに就けるとは、これはかなりの贅沢と言うものだろう。


そんな贅沢な夜も気が付けばもう朝。舟出をする人に、1回目の別れを告げ、岸を離れる人を見送った。



   行ってらっしゃい、気を付けて
   また会いましょう、
   すぐに? 

その人を見送ると私たちも次の行動に移る。行動とは、今見送った人の2回目の見送りをすることだ。 そのために、こんな所で待ち受ける。



ここは深谷水道。2年ほど前に私もここを通ったことがある。この橋をくぐり、次の橋をくぐり・・



そして熊野灘に出た。その時は往復してまた湾に戻ったが、今日ここを通る人はそのまま日本一周の旅を続けるとか。 

いつ来るかな、まだ来ないかな、もう来るかな。と水路を見下ろしていると、

あ、来た来た! また会いましたね。 挨拶をする間もなく元気にパドルを捌き、瞬く間に通り過ぎて行った。



カヤックの漕ぎ姿を上から見ることはめったにないが、こんな風に見えているんだな、私もあんな風に絵になっていたのだだろうか。と第三者の目で見るカヤックが不思議に思え、また自分のあんな画を手にしたい、とも思った。

ここで2回目の見送りをして、では次の行動は・・。次は3回目の見送り。この先の灯台からの見送り。さっそくに移動しよう。



 大王崎灯台

 ここから太平洋が
 ぐるっと見渡せます

 この下を通る人に手を振ったら
 気が付くでしょうか










灯台の上に上がると太平洋の風が体の奥にまで染み渡る。眼下の潮の匂いが脳をコツコツ、コツコツとつつく。心地良い振動が血管を伝わる。



あの人は、この海を漕いでくるはず。まだかな。 あ、あの方向に、何かキラッと光る物がある。その光が動いて次第に近づいてパドルの形になった。

           来た、来た!


灯台の上から見下ろすと、小さなゴマ粒が浮いているようだ。



黙々と漕ぐその姿はじきに銀色の波の一つに同化して海と一体になる。



     眩しい、どこにいるんだろう。
   
     あ、いた、いた!



銀のステージに浮かぶその人は銀の光の一粒となり、やがて青いステージの幕の彼方に消えていった。




            3回目の見送り、今度こそさようなら、いってらっしゃい。
            またいつか、どこかで会いましょう。


雄大な光景と壮大な志に触れたあとはやけにお腹が空いた。ちょっと先に旨いウナギの店があると言う。ウナギ? では行かねば。とその店へ行く。

登録有形文化財となっている古い宿。一見しただけではそこがウナギの店とは気が付かない。その店で頼んだウナギは



これは「ご飯少なめ丼」。 で、一緒にいた人が注文した「ご飯大め丼」を見て思わず笑った。写真のご飯の倍は入っているだろう丼の蓋が閉まらずに、ベレー帽のようにウナギに被さっている。 笑うのに気を取られ、その偉大なる大盛丼を写真に撮るのを忘れた。返す返すも口惜しい。

十分にお腹を膨らませ、ウナギのまったりした旨さを口に残して店を後にした。店の前の神社にこんな木がある。



 巾着楠

 根元が大きく膨らんだクスノキ

 
 不思議な形の木です

 どんな思いと経験でこんな風に
 なったのでしょう








初めてこの木に会ったのは3年前、カヤックの予定が風で中止になった日だった。苔むした老木にとって3年と言う時間はどんな時間だったのだろう。大きく変わることなく3年を過ごして来たようだ。

私の3年は数え切れないほどの劇的な出来事に溢れていた。良い事、悪い事。嬉しい事、悲しい事。それでも3年は穏やかに過ぎたと言えるだろう。この木ほどに長生きはできないだろうし、この木ほどに寡黙に暮らすことはできないだろうが、苔の奥に秘めた穏やかさと力強さとを授かって行こう。


次に、ここまで来たのなら当然としてこんなお寺にも行く。



青峰山 正福寺。船舶守護の霊峰とか。なるほど、船の絵馬や写真がたくさん奉納されている。古い由緒ある寺のそこここに見事な彫刻が見られる。重厚な造りの山門にも繊細な彫刻が随所に施され、その見事さに感嘆する。



本堂の扉にも、船との関わりが色濃く見える。



私はこれを「舵輪」と見たのだが、いや、実は他の意味のある文様なのかもしれない。ひっそりとした境内にそれを尋ねる人もなく、思い込みの舵輪は「さすが船にご利益がある寺」として、私のファイルに片づけられた。

       観音様 間違っていたらすみません
       今度来る時までには、もっとよく調べておきます

       そして、私と私の仲間たちのカヤックの波路もお守りください

広い境内に建つお堂や門、そのどれにも見事な彫刻があるのだが、そのどれも長年の風雨にさらされてか、瓦も腰板もずいぶんと痛んでいる。これだけの広い寺を管理・維持するのは、たいへんな事なのだろうが、胸が痛んだ。


と、ちょっと感傷的になった山ではあったが、これで今年の舟の無事も大丈夫だろう。そろそろお宿に戻って夕飯としようか。


夜、部屋の外では降るような星。部屋の中では懐かしいキャンドル。 



久しぶりに灯したこのキャンドルを見ていると、初めてこの光を見たのもやはり水仙の咲くこの時季だったと思い出す。この灯りを「太陽」と書いたことを覚えている人はいるだろうか。一緒にその花を見た人は今、どうしているだろう・・



遠くを目指して漕ぎ進むあの人は、今頃どうしているだろう。「千里の道も一歩から」の喩のように、「遥かな海路も一漕ぎから」のカヤックを、今年も目指して行こう。

動から静のたくさんの事に思いを巡らせた一日だった。初探索は済ませたので、次はいよいよ「初漕ぎ」だな。

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