カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

915. 名句と共に島渡り ― 松島の海

2019年06月10日 | Weblog

民謡にもある松島。俳句にもある松島。日本三景でもある松島。多島海でも有名な松島。そんな松島の海を、いつか漕ぎたいと思っていた「いつか」がやって来た日の記録。

 

前日に食べきれない程の料理の山と格闘し、朝は朝で海辺の幸を頂いてやって来た海。初めての松島の海。「お初にお目にかかります」の海は上々の天気。わっせわっせと舟を運ぶと汗が滲む。例の四人衆、今日はどこまで漕げるだろう。さっそくに舟出する。

 

お堂がある小さな島にかかるこんな橋。目にも鮮やかな朱塗りの橋をくぐれば別の今日が始まりそうで引き付けられる。しかし、ここは通れない。

 

島のお堂は瑞巌寺の仏堂の一つ。乗ったままで失礼ではありますが、と手を合わせる。その先には大小さまざまな島。いよいよ『松島』本番だ。行き方はいろいろありそうだが今日はあの橋をくぐってから、と島を繋ぐ長い橋をくぐる。

前日に漕いだ海よりさらに平坦な島々が並ぶ。太平洋に面してはいるが、たくさんの島が波消しとなっているのだろうか、削られた岩でさえ優しさがある。

 

「枝くぐり」はできないが「岩くぐり」にいい具合の岸がある。ここも又水準器で計ったように一直線の水辺を作る。地層が引き裂かれることなく、押しつぶされることなく、折り曲げられることなく、静かに眠って来た証だ、少なくともこの岸は。 時々ノジュールがあり、洒落たペンダントトップを見せる。

右にも左にも島が見える。島なのか本土なのか。島なのか半島なのか。

 

地図で見れば今にもちぎれそうな細長い島がある。今は1つの島となっているが、遠い未来にはいくつかの小さい島に分かれているのだろうか。それとも周りの島と合わさって大きな島になっているのだろうか。 プレートの移動、などと言う言葉は科学に裏付けられた現実的な言葉のように聞こえるが、日々の生活の中では70年に1度御開帳される秘仏ほどに非日常な言葉だ。

それより、恋焦がれた2つの島が何万年もの時を越えてやっと手をつなぐことができた「引き寄せ島」
傲慢な巨人が神の怒りにふれて手足をちぎられて、放り投げだされた手足が島になった「手足島」
そんな、国土地理院の地図には記されていない名前を付けて行くのも島渡りの楽しみだ。

実際の地図にはそれぞれに名前が付いているが、その由縁を紐解いていくカヤックもまた良い。大型の動力船が近づくことのできない岩肌に触れて、岩の息遣いを感じるのも良い。

島の一画がやけに騒がしい。水鳥の雛のようだ。

 

びっしり営巣された木はでフン害で枯れている。びわ湖でも大問題となったが、害鳥として駆除された鵜には罪はなく、この海は、観光業者ではなく、水鳥の方に先住権があるのかもしれない。これ以上水鳥が悪者にならないためにも、被害が広がらないようにと願う。そうそう、カモメにエサをやらないで、と立て札があった。

幾つかの島を回り小さな浜に上がって昼食とする。ふと気が付くと後ろの崖が面白い。

 

「騒乱状態」の地層は呆れ返る興奮があるが、こんな地層のこんな切れ込みには惚れ惚れする興奮がある。切り込みを入れられた竹の切り口のようだ。左側は名刀正宗でバッサリ切ったところ。左側は竹挽鋸で切ったところ。斬鉄剣なら左右同時に切れるだろうか・・。作られた物語とこれから作る物語、何も語らない物はいろいろな物語を教えてくれる。

我ら以外、誰もいないと思っていた水辺に、突如人が現れる。えっ!いったいどこから!? カヤックの人が上陸するならわかるが、明らかに観光客風の人が歩いて来る、それも何人も。

なんと、ここは、長い橋が架かる島の遊歩道下だったのだ。観光客も驚いたに違いない。 実はこの島、2日前に散策に来た島だった。確かに遊歩道があったし、浜に下りる道があった。 今日はその道を上がって遊歩道に出る。展望所に上がると、今漕いで来た海、これから漕ぎに行く海が広がる。

 

どこからどこまでが1つの島なのだろう。案内板によれば、10個以上見えるはずなのだが、連なる島々は水平線を消す。名前も覚えきれない。まとめて「島」と言おう。 下からも、上からもの光景を手に入れたし、そろそろ出発しようか。まずはあの島、小さいが一人前に「島」と名が付く。

『千貫島』。伊達政宗公が「この島を館に運んだら銭千貫遣わす」と言ったのでこの名前がついたとか。今の時代なら、この位の大きさの物なら物理的には移動は可能だろう。大型ヘリで釣りあげるか、曳家工法で行くか。 その前に、千貫とは、今の金額ではどの位になるのだろう。費用対効果は・・

そんな下世話な話はこの位にして、それにしてもあの松はこの島には無くてはならない物のようだ。ロープで支えられている。確かに島の見栄えが良くなる。カモメは、悪戯者が来ないよう見張り番をしているのだろうか。お役目、ご苦労様です。

この木を見て、和歌山の島にある『火焔土器の木』を思い出した。この木を覚えているお方はそう多くはないだろう。

 

初めて会ったのは、ちょうど10年前のこの月。それから何度か会いに行ったが、最後に会ってから何年も経つ。どうしているだろう。今年、会いに行ってみよう。

更に幾つかの島を巡る。奇岩・珍岩、波が作るオブジェの妙をカメラに収めようとしたのだが・・

な、何とした事か、バッテリー切れとは! クライマックスの岩たちは撮り損ねたが、急遽差し替えたバッテリーで漕ぎの締めくくりは撮ることができた。

 

大漁旗を掲げる船がかき分ける波のようだ。「えんやぁどっと、えんやぁどっと」。そんな祝いのが唄が聞こえそうな岸がある。私もまた、祝い唄のご相伴にあずかろう。

12キロ程の松島の海を一巡りして無事お堂の浜に戻った。

 

景勝ではあるが奇をてらわず、穏やかないい海だった。

しかし、よくある話だが、

パンフレットにある幾多の島々が浮かぶ海、あの光景はドローンに乗らないと見られない景色だな。カヤックから見える島は連なって大きな島に見える。言い換えれば大島ができる程島が重なっている、と言う事なのか。それにしても、芭蕉はどの光景を見て松島を詠ったのだろう。

すっかりお腹を空かせ、ちょっと遠い街のお宿へと着いた。「海辺の民宿」と言う既存のイメージとはずいぶん違う洒落たお宿。それも又震災の結果とか。新しいを喜べない理由が、ここにもあった。

 

昨日の宿もそうだったが海辺の民宿はどこでも満足の料理が出る。しかしこのお宿には仰天した。

食べきれるだろうか、と一皿手を付けたところで舟盛がデンと登場する。これも通常料金の内なのか、と驚いていると、トドメを刺して牡蠣の群舞が舞い降りる。驚きを越えてあっけにとられ、写真を忘れた。

今日も又良い海だった。漕ぎにも宴にも、海の幸が満載だった。四人衆も今日は最後まで漕いだ。さて、明日はどうするか・・

 

コメント

914.久しぶりの再会 ― 新しい堤防の島

2019年06月09日 | Weblog

久しぶりに新幹線に乗った。久々ぶりに「乗り継ぎ」をやった。帰りの切符を買うのにスッタモンダがあったものの何とか乗り切り、遠出の旅は無事に終わった。そんな旅をして行ったのは宮城の海。長年思っていた海と島とをやっと成し遂げた日の記録。

 

遠くの街に3人のカヤック友がいる。私と同じ世代の人と、ちょいと年上の人と、一回り上の人。年に1、2度一緒に漕ぐのだが、今年も又そんな再会の日がやって来て、相変わらずの息災を喜び合った。 この四人衆、ボチボチ漕ぎを常とし、ほどほど漕ぎをモットーとする。

今回のメンバーは6人。我ら四人衆の他に強者がお二人。全員揃ったところで、小さな穏やかな浜から出艇する。この辺り一帯の堤防は白く整然と積まれ、小さな集落にも洒落た今風の家が建つ。その新しさが、先の震災の被害の大きさを物語っているようで、きれいな町だと喜べない。

しかし海は水も岩も木も美しい夏色で迎えてくれる。漕ぎだした浜は大きな島の浜。島とは言っても短い橋で結ばれていて、ここが「島」と言う感覚が湧かない。天気がはっきりせず、写真写りは悪いがこの位の風なら上々の海だと漕ぎだす。

 

じきに小さな洞門をくぐる。この辺り、目印とする高い山はない。複雑に入り組んだ地形と小さな島々に、洞門一つくぐると方向がわからなくなる。だから常に新しい感動を味わえる。得な性分だ。ここにも洞門があった。

 

岸は穏やかな地層とその上に松を乗せる岩。伊豆の猛々しい崖とも、山陰の荒々しい崖とも、熊野の艶めかしい崖とも違う、何と言うか、「清純な崖」とでも言おうか。 悶えるような収斂や、奇想天外な節理や、摩訶不思議な湾曲や、そんな地層学者を喜ばせる一発芸を持たない控え目さ。

 

長い間穏やかに積もり、静かに眠り、緩く木々を遊ばせてきた崖。島の海岸線はこんな崖の岸が続く。どこをとっても長閑な光景が連なり、ここに大津波が来たのだろうか、と俄かには信じがたい。

劇的なパフォーマンスをすることなく続いていた崖に妙に人工的な窪みがある。何だろう。

 

人工的、と思ったその切り取りもよく見ればそれもまた自然の営みで生まれた物だった。水平に堆積された地層はナイフで切ったように抜け落ちて、どこぞの城塞の入口のようだ。高くなく、低くなく、アイロンで伸ばしたように平らに続く地層、その地層が作る崖。どことして同じ所はないのに、どこも同じに見える。そんな水辺を漕いで、小さな浜に上がる。

 

向いの岸には白く伸びる防潮堤。的矢湾や英虞湾にも数限りなく防潮堤はあった。不思議な引力を感じ、その防潮堤の中に入ると、そこは別世界の不思議さがあった。 無数のガラス玉が埋もれていたり、かつての賑わいを偲ばせる廃屋があったり、栽培しているのか思うほどのハンゲショウの湿地があったり、バッタリ鹿とであったり・・

そんな発見はどれも、少し黒ずみ、少し藻が生えていたり、野積みの石が1つ2つ外れていたり、色あせた漁網が絡んでいたり、周囲の山とは明らかに違う植生があったり。初めて見るのに、なぜか懐かしい人の匂いを感じる防潮堤だった。だからそんな防潮堤を上って中を見てきた。

しかし三陸の、この島の防潮堤はまだ新しく、懐かしい匂いがしない。懐かしくはない姿が目の前に広がると胸が痛い。そんな浜で昼食をとり、風の出始めた海へ漕ぎだす。

 

向いの島との間の海峡。その幅は狭い所は100メートルもない。そのせいか波が立つ。潮も動いているようだ。海峡を抜ければ今度は風が当たる。さて、この状況でどこまで漕ぐか。

まぁ、私はいつも気ままな漕ぎをしているし、びわ湖での「チーム・気まま」は予定などあってないような漕ぎをする。しかし今回集ったメンバーの中の3人は、ちょっと風が出ると、波があると、案内してくれる強者に

「今日の我らの漕ぎはここまで。悪いけど、ちょいと一っ走りして車取って来て」 とか、「悪いけど、一人で漕いで帰って車で迎えに来て。ここで待ってるから」とか、何の躊躇もなく(?)言う面々だ。私は、それに便乗して待っている組に入るだけなのだが(という事にしておく)。

 

そんな事で、今回も小さな港の岸に上がり、歩いて車を取に行った強者を待つことにした。漕ぐ距離が短かったこともあり、早めに終わった夕方は今度は足を動かす番、と小径散策へと出かけた。

 

おっと、それを話すと長くなりそうだ。宿の夕食だろうか、魚の煮付けの良い匂いがしてきた。魚を待たせるわけにはいかない。今日の記録はここまでにしておこう。

いい海だった。運転手を歩かせたが、それも又我ら四人衆の四人衆たる所以だろう。さて、明日はどこを漕ぐだろ。

 

コメント

913. いつもの選択肢 ― やっぱりの水郷

2019年05月20日 | Weblog

もうずいぶん前の事となった水郷漕ぎ。1ヵ月近くもほったらかし?にしていたカヤックの記録。もうどうでもいいや、なんて罰当たりな事をやってはならない。まだかろうじて記憶に残っている今の内に、大切な記録を記しておこう。

 

まぁ、話せば長い大人の事情ってものがあり、記録の順序が後先になったが、1ヵ月ほど前の記録を書き出す。

友人とびわ湖漕ぎを予定していたのだが、当日予定していた水域はだいぶ風が出る予報。手の内にあるプランをいろいろ広げて、やっぱり水郷と決着した。友人とのカヤックで、びわ湖で風がある日は中止かグルメ旅か水郷となる。 で、今回は漕ぎモードに入っていたので、当然水郷。 

びわ湖に白波を立てる風も、ここまでは入ってこない。 

 

桜の頃には屋形船がひっきりなしに通り、うっとおしくも傍若無人の俄かカメラマンの餌食となる水路も、この時季になるとひっそりと本来の水郷らしくなる。いつもの岸から出艇し、いつもの橋をくぐり、いつもの木に会いに行く

「双子の木」双子ではあるが、これは「二卵性双生児」。そんなお話をご存知の方は、どれ程おいでだろうか。そうなのです、これはそっくりなようで似ていない木。 狭い水路には風は入り込めないが、西ノ湖の水面に出ると、やっぱりの白波が立つ。

「銀の穂水路」に行ってみるが、こんな風の日には釣りの船もまたここに来ている。糸の邪魔をしないよう、そそくさと出てヨシ水路に戻る。戻る途中、ちょっと気になる所があったので何だ、何だと調査開始。何やら黄色い花のようなものが広がっている。ヨシの水路はなかなか上がる所がない。それでもカヤックの鼻を突っ込んでようやく上陸。何と、ノウルシの群生ではないか。

 

ほんのり淡い黄色の花。正しくは花ではないのだが、まぁ、花と言っておこう。高島や長浜ではよく見かける群生だが、水郷にもあったとは、初めて知った。昔から群生していたのか、近年ここでも繁殖し始めたのか。 

私はこれを「ノウルシ」と思ったのだが、似て非なる物も多いと言う。鑑別法まで観察していなかった。惜しい事をした。なかなか上陸できない所だし、確認はまた来年になるだろうか。

いつもの岸から上がってランチとする。ちょっと早いが、まぁいいだろう。ウッドデッキに何やら洒落た物がある。

 

去年びわ湖で話題沸騰となった「あのベンチ」。あのベンチには今もメモリアルな一枚を撮ろうと言う人が訪れているが、水郷の「このチェアー」もまた味な佇まいだ。ちょっと風が吹いたら倒れそうな椅子。次に来る時までこのポーズでいてくれるだろうか。がんばれ「このチェアー」。

桜が終わった岸にはタンポポの黄色。曇り空の水辺を明るくする。のんびり休んだ岸を発ち、迷路水路へ入ろう。

 

屋形船がいる時は邪魔だなと思うのだが、全く会わないと水郷らしくないと不服を言う。ちょっと前とだいぶ後ろ辺りで船頭さんの舟歌が聞こえる距離に居てくれるとありがたいのだが。 

4月中頃の水郷は、ヨシ焼きの跡に緑の若芽が伸び始め、三分刈りのヨシ原が広がる。ずいぶん見晴らしいが良い。竜神様の幟が遠くからもすぐわかる。

久しぶりの竜神様。ご機嫌はいかがだろう。

 

傍のヤナギも大きくなった。先代の木が枯れて、新しくこの木になってからもう6年。立派に守り役の役目を果たしている。もうじき青い葉で木陰を作るのだろう。屋形船も他のカヤックも居ない。ではちょっと上がってお参りしよう。

 

今回も又100円玉を供え、水辺の安全と楽しい旅を願って手を合わせる。竜神様は玉子がお好きと聞くが、晩酌もおやりのようだ。残りは今晩の楽しみだろうか。

 

伸び始めたヨシの向こうからヨシキリの声が聞こえる。まだ短いヨシのどこに巣を掛けようか物件精査中だろうか。それにしても見晴らしが良い。あとひと月もしたらあの木もあの山も見えなくなるだろう。ヨシ原はいつも同じ姿ではいない。だから何度来ても面白いのだろう。

華やかな色彩に欠ける水郷。清楚に咲くこんな花が人目を引く。

 

名前に「サクラ」の文字が入るのだが、ソメイヨシノの桜とは似ても似つかない花だ。この木があるのは水郷の中でもここくらいだろうか。 小さな実が付くのも楽しみだ。

後ろから来る屋形船を先に送くれば、あの木が見えてくる。

 

「ぞうりの木」。共生していた時代を過ぎ、今は新しい命の大家としてその役割を果たしている。大家さん、がんばれ! 草履は頑張っているだろうか。

 

いる、いる。彼女も元気で頑張っている。枯れた木の毛根がしっかりと握ってくれるおかげで、幾たびの風雨にも耐えて「ぞうりの木」の看板となっている。草履もがんばれ!

のんびり漕ぎ進み、3ルートの水路を端折って1本だけにし、早々と上がって温泉へ。その後は、言わずもがなの湖畔宴会。

餅だんごのスープに鮒ずしカナッペ。あれやらこれやらで湖畔の「居酒屋 てんと」は酒が並んだ。

車中泊には良い時季になった。次はどこで宴会しようか。

 

コメント

912. 久しぶりの南の島(2) ― ターコイズの海

2019年05月19日 | Weblog

さてさて、川に続いて海の記録。

今日のガイドさんも初めて会う人だったが、以前からその活躍を見聞きしていたのですぐにその人と分かった。よろしく!

以前来た時に、まるで竜宮城のような華やかな海を見た。今回も、エメラルドグリーンのサンゴ礁に黄色いチョウチョウウオ、青いスズメダイや赤いサンゴもたっぷり見ようとシュノーケルを持参した。

 

のだったが・・ 

 

天気が悪かったことや相棒の体調が悪かったこともあり、華々しい遊びができなかった。それでも島に来て海を漕がない訳にはいかないと、小さな浜で出艇準備。

途中、普段目にしない面白い植物に出会った。

    

クワズイモは観葉植物として近くの花屋でもよく見るが、これ程でかい物は見ないし、その実(種?)は見たことがない。ちょっと見ると、マムシグサ系の実に似ている。赤いトウモロコシのようだ。

バナナはお馴染みの果物だが、花を見る事はめったにない。子供の頃、バナナは病気の時しか食べられなかったし、パイナップルは果物屋の店の奥に「展示」してあるだけの存在だった。いつでも食べられるようになった今、嬉しいような、憧れがなくなって残念なような・・。

漕ぎだす浜辺にはこんな花もある。

   

これからの時季、紀伊半島にはハマボウがたくさん咲くが、島には一回り大きなハマボウが咲く。昔はこの葉もトイレットペーパー代わりにしていたとか。想像しただけで痒くなる。グンバイヒルガオの葉は食べられるとのこと。どんな味がするのだろう。

漕ぎだせば今にも泣き出しそうな空模様。かろうじて日が射すと南国らしい海の色となる。何とか夕方までもってほしいと願う。

どこまでも澄んだエメラルドグリーンのはずの海はなぜかくすんでいる。ガイドさんが、「おかしいな、何でだろう。もっときれいなはずなのに」と申し訳なさそうに言う。まぁ、そんな日もあるでしょう。

「ターコイズブルー、ターコイズグリーンの海」と言えば、聞こえが良い。

最近は山の形状を見ると、水が出そうな所が(なんとなく)わかる。山には食べられる植物があり、海には魚も居る。水さえあればしばらくの野宿生活も可能だ。こんな滝があった。

 

浜には流木があり、風呂も入れるだろう。こんな滝の近くには長期滞在者が居ても頷ける。世捨て人?  サバイバル実践家? それとも風流人?

浜にはその姿に笑わずにはいられない岩がある。いや、笑って良いのか悩んだらいいのか。

 

この岩はいったい何を主張しているのだろう。緩やかな流れなのか、律儀な分割なのか、組み合わせの妙技なのか。加減乗除を同時に行う計算機の基盤はこんなふうになってはいないだろうか。

初めて飛行機に乗り眼下に湧く雲を見た時、子供の頃にこの雲を見ていたら私はきっと“雲研究者”になっていただろう。と思った。そして今、子供の頃にこの岩を見ていたら私はきっと“岩博士”を目指したに違いない、と確信する。

小さな浜が幾つもある。柔らかな砂浜に上がってランチとする。

 

焚火のやり方にも流派があるようだ。私流の分類をするなら、この焚火のやり方は「南方系」。 私がよく見るのは「半島系」。半島系は「北方系」の派生型かと思うのだが。

ガイドさんお手製のパスタには、先ほどの グンバイヒルガオの葉も入れる。これ!と言った味はしないが(わからなかったが)、これも又「天恵食」。ありがたく頂く。

浜を散策すると、ここにもあったこんな物。

 

紀伊半島の海でも何度も見た事のある形。「中国浙江省台州市海丰」、この浮きの出身地はどうやらそこらしい。紀伊半島では海丰出身の浮きも見たが、「浙江省臨海市桃渚」出身者が多かった。 はるばる遠くの何千キロも、ちょっと先の何百キロも、ほんの近くの何十キロも、浮き達は国境など気にせずやって来る。これは「親善」なのか、「侵入」なのか、あるいは「遭遇」なのか。壮絶な海の旅をしてきたのかもしれない浮き達の、しかしお気楽旅を羨ましくも思う。

きめの細かい柔らかい砂はずぶずぶと足が沈む。キャンプ初心者の頃は、低反発マットレスのような柔らかい砂が好きだった。しかしカヤックの達人たちはこんな浜を嫌う。体やテントにまとわりつくからだ。砂利浜の方がよっぽど良い、という言葉を何度も聞くうちに、私も砂利浜の良さがわかった。と言うより、そう言った方が、何となくイッチョ前のカヤック乗りのように見える。と言う事に気が付いたのかもしれない。

浜には面白い石・岩がある。これはジュゴン岩。

 

ジュゴンは「人魚」と言うにはちょっとぶさいくかと思う。鼻は低いし、目は小さいし。 この岩はそんなジュゴンにそっくりだ。 ノジュール、と言う石がある。ジュゴンの目にぴったりの石ではないか。

他にも、摩訶不思議 と言うほかないこんな石もある。

   

誰か落書きでもしたのだろうか。見事な出来栄えだ。昔飼っていたモルモットが白と薄茶色の毛だった。そう、この岩はあのモルちゃんのお尻にそっくりだ。「モルちゃん岩」と名付けよう。 お隣りの亀の甲羅のような岩は当然「亀岩」。誰か亀の甲羅を乗せたのだろうか。

ランチが済むころ、呼びもしない雨が降って来た。しかし南の島の優しい雨。降って、止んでの気まぐれ雨のようだ。別の浜にも上がってみる。

大きくせり出した岩にこんな物が見えた。

 

サンゴの化石とか。化石と聞くと「一大発見!」のように思えるが、この浜の岩にはここにも、あそこにも、とたくさんある。何万年、何十万年前の紛れもない事実が目の前にあることに不思議さを覚える。化石とは、壮大な時の移ろいを止めた物を言うんだな。

またこんな物もある。

 

先の大戦時、この島に強制疎開させられて、マラリアで亡くなった人達の無念さを忘れまじ、と建てられた石碑。戦争犠牲者とは、銃火で亡くなった人たちばかりではないことを、この慰霊碑に立ち、改めて思い起こす。

雨が本気で降り出した。南の島の雨は冷たくはないが、島自慢の彩をくすませて、味気ない。そんなこんなで海の景色を撮るのを忘れていた。次に来た時に撮りまくろう。

帰りの道でこんなお方がおいでだった。

 

セマルハコガメ? のそりのそりと(悠遊と?)道を渡り、車に踏まれるのではないかと心配になる。

 

島での時間はあっという間に過ぎた。まぁ、天気は致し方ない。相棒の体調も復活したようだし、短い滞在時間の中でたくさん案内してもらったので、良しとしなくては。心残りのする島に乾杯する。

 

サンゴ礁のエメラルドグリーンも、チョウチョウウオの黄色も、スズメダイの青も、サンゴの赤も見ることはできなかったが、ターコイズブルーもターコイズグリーンも見えた、と自慢して帰ろう。

 

いい島だった。次はサガリバナに再会しよう。

 

コメント

911. 久しぶりの南の島(1)― マングローブの川

2019年05月15日 | Weblog

ずいぶん留守にしてしまった。カヤックをしなかった訳ではないし家に居なかった訳でもないが、前回の投稿以来、何だかんだ、テンヤワンヤ、右往左往の日が続いた。そのため時間が取れなかったり、体がもたなかったり、気持ちが追い付かなかったり・・

まぁ、投稿が途絶えたからと言って、「あぁ、あの人も、とうとう、向こうの世界へ、逝ってしまったのか・・」と、気にかける向きもなかったようだし・・

さぁゴールデンウィークも終わったことだし、真面目に記録に励もう、と書き始めた今日。まずは先日の遠征記録から。

 

まだ雪が舞っていた頃、友人が南の島を漕ぐカヤックの映像を見て自分も行きたくなったと、それで一緒に行かないか、と誘ってきた。私はこれまでに2回行ったことがあるが、海も川も山も滝も感動するものだったので、3回目の島行きも二つ返事でOKする。

 

まだ4カ月も先の事と思っていたその日が今日の事となった日、久しぶりの飛行機の「eチケット」にあたふたする。たかが3センチ四方程の白黒のシミの中に、私が飛行機に乗るのに必要なたくさんの情報が織り込まれている。そのシミの一つが変えられたらそれは「今日のこの飛行機に乗る私」ではなくなるのだろうか。私の腕は、このゴマ粒程のシミの1つ分の情報か、足は2つ分か、頭は幾つ分のシミとを引き換えに飛行機に乗れるのだろう。

じっと見入ると目がチカチカしてくるそのシミの奥深さに異次元の旅に出かけ始め、「ここにタッチしてください」と言う声に我に返る。それも機上の人となれば、僅かばかりの(これは失礼か)機内サービスの選択を心待ちにする。

途中乗り継ぎをして、石垣島に着く。1日目はとりあえずはここまで。私たちの時間と体力と(お金も)とを総合的に考慮すると、こういう行程になった。夕食はホテル近くの居酒屋でこんな物を食べた。

 

えっと、これは「足」だね、豚の。 前足? 後足? これは骨? 骨にしちゃ、ずいぶん柔らかいよ。  で、これは筋かな? つまり、骨と筋肉を繋ぐ腱?

皿に乗った1品を味わう前に、さながら「解剖学講座」が始まった。 「ホヤ」や「ナマコ」を初めて食べた人間は相当勇気のある人だったのだろうが、豚の足や蛇の酒と言うのもかなりの度胸が要る。生理学・解剖学の話をしながらその度胸を増してから口にする。 なかなかイケル。

飲んで、食べて、1日目は終わった。

 

2日目。いよいよ目指す島、西表島へ。 港には案内して下さるガイドさんが出迎えてくれる。ずいぶん前、「師匠」がこの人にお世話になり、えらく感激したと話してくれていた。それでだろうか、初対面なのだがなぜか懐かしい。よろしくお願いします!

私も友人もガッツリ漕ぐ人間ではない。この地ならではの出会いを楽しみながら、距離にすればいつもの半分ほどのコースで漕ぎだす。まず驚いたのはこのヤドカリ。

 

長さは10センチはある。このお宅は部屋数が多いのか、リビングが広いのか。家が大きいのは良さそうだが重くはないのか。通勤・買い物が大変ではなかろうか。シー・トレーラーハウス気分なのだろうか。そんなヤドカリに見送られカヤックに乗る。漕ぎだせばそこはマングローブの川。

 

びわ湖にも水辺に枝垂れる木はある。水面に葉を濡らす木もある。しかしこんな「緑の防潮堤」のように続く水辺は極少ない。ましてや、数時間で水位が1メートルも変わる岸などない。この水辺が午後にはどんな風に変わるのか、想像するのも楽しい。

水辺に沿って行くのも良いが、満潮のマングローブ林なら潜り込まないなんて、そんなもったいない事は出来ない。さっそくに入り込む。

 

鬱蒼としている木々もあれば、高原のシラカバ林を思せわる木々もある。長いシーカヤックを自在に(?)操り、スラロームよろしく通り抜ける。

面白い木があった。

 

紙風船を小さくしたような実(?)。中が空洞になっていて、昔はこの中に蛍を入れて愛でたとか。風流な遊びをしたものだ。

こんな木もある。

 

パイナップルかと見紛う大きな実。子供の頭ほどあろうか。食べられないことはないがおいしくはないと言う。しかしホテルのコース料理の中に、芯のキンピラが出てきた。それなりに食べられる物だ。

マングローブにはいろいろな木がある。こんなのや

 

こんなもの。

  

ハスノハギリ、アダン、マヤプシキ、イボタクサギ、メヒルギ、オヒルギ、その他、名前を聞いたが覚えていない木々。水辺で見ればただ「緑の木」としか見えない木も、色と形で自己主張をする。

本流から支流に入るとまた世界が変わる。人工物の全く見えない支流の先に、突然浮き桟橋が現れる。いったい何のための桟橋だろう。と思っていると、カヤックのための(?)上陸用桟橋らいし。ふわふわ浮き沈みするデッキから上陸する。

 

立派な木道が続く。亜熱帯樹木林を巡るコースがあるが、誰でも勝手に上がって良いと言うのではないようだ。許可証を持つガイドさんの案内が条件か。 木道に囲まれた湿地は水鏡。

 

その木道でランチとする。砂浜や砂利浜でのランチはいつもの事だが、むせ返るような熱帯樹木の木陰の秘境感と、敷かれたシートのレジャー感の乖離が背中をゾクゾクさせる。「外で食べると何でもおいしい」これは禁句だ。

 

ガイドさんが朝から用意してくれた「サバ丼?」。 皿に盛られたご飯に、「そんなにいっぱいは食べられない」なんてことを言った後に、しっかりお代わりもする。美味しい、食った、食った。

食事の後は、この先をちょっと散策する。

 

身の丈を越す大きなシダ、何やら聞こえる鳥の声。ジャングルツアーを満喫する。恐竜の時代にはこの光景がどこにでもあったのだろうか。こんな茂みの中から突然小さな恐竜が現れる、そんな映画があった。まさか恐竜は出てこないだろうが、ヘビは居るらしい。それも今日は出ないでほしい。木道はずっと続いていたが、そろそろカヤックの続きをしなくては、と引き返す。

1時間ほどの間に潮が引いて、上陸した時の水鏡の水面が大きく変わっている。

 

何か異様感が溢れている。肌がザワザワとしてゾクッとする違和感。恐怖のような、不快感のような。

見れば、何百と言う小人たち。それも、膝を抱え、泥に這いつくばり、のけ反って、地獄の責め苦に呻いているような姿で。あるいはゾンビか、はたまた地下遺跡から溢れ出た虫か。そんな風に見えるのだが・・。 

 

あ、映画の見過ぎかな。

さて、川に戻ればまたカヤックの世界。上陸前よりずいぶん水位が下がっている。川の様子も一変している。これぞマングローブ林と言う光景。

 

一口にマングローブと言っても種類があり、それぞれに根の張り方が違う。「敬礼!」とばかりに角度を揃えて並ぶ根、ユーフォ―キャッチャーのように何かを掴もうとする根、中世ヨーロッパの女性貴族のスカートのように膨らんだ根、組体操の様に上の幹を支える根。

 

水位が下がり、もう林の中へは入れない。支流を上れるだけ上り、また本流に戻る。

午後になり川の様子がずいぶん変わった。朝には見えなかった干潟が大きく広がり、島となっている。 その干潟に上がってみると、おや?あのトゲトゲは何だろう。

 

これは、既に木となっているマングローブの根とのこと。幹本体からはるばる遠征して根を出している。遠征しているのか、出張しているのか、徘徊しているのか。花火大火の場所取りのようにも見える。

干潟にはこんなお方がおいでになった。

 

トビハゼが逃げるには、砂の上より水面を行く方が早い。その走り方と言ったら、久しぶりに「エリマキトカゲ」なんて名前が出た。走り方がそっくりだ。 コメツキガニの逃げ方も素早い。のそのそ、わらわらとどこからともなく集団で現れて、そろそろと逃げ始めたかと思うと、一瞬にして砂に潜る。それも皆同じ方向に逃げる。見事な集団行動だ。鳥や魚もそうだが、どんな統制、伝達、指揮系統があるのだろう。偉ぶった人間には持ち合わせない、eシステムのような物があるのだろうか。 

水没と干潟の繰り返しの中でしっかりと根を張る木。台風もたくさん来るからか対策は万全のようだ。びわ湖のヤナギもこんな風に根を張っているなら、あれほど見事なまでの倒れ方はしないだろうのに。マルバヤナギにこのマングローブの根を見習ってほしいと思うのだが。

 

いつものツーリングより短い距離だったが南の島の水辺を満喫した日だった。 華々しい色合いに欠ける水辺だったが、宿への道にはハイビスカスやブーゲンビリア、そしてこんな花。初めて見たゲットウ。

 

南の島は水があってもなくても見どこどころ満載だ。さて次はどこを漕ごうか。

 

コメント

910.いつでも行かれるがいつも行かない滝 ― やっと会えた熊野の滝

2019年03月26日 | Weblog

飛行機に乗って1万キロも離れた国へは何度も行った。往復千キロ運転して遠い街へも何十回も行った。急に思い立ってびわ湖一周200キロのドライブもよく行く。 遠い街の裏通りにある洒落たイタリアンの店を知っている―知る人ぞ知るの隠れた名店。 遠くの山の古道の苔むした石仏が300年前の物だと言う事も知っている―地元の人でもめったに行かない古道。  遠くの海辺の藪の中に神社跡地の石碑があることも知っている―これを知る人はおそらく、地球上で10人はいないだろう。

それでいて、自分の住む街の古墳の主を知らない。駅近くに5年前からあると言う店の名前も場所も知らない。遠くの街からガイドブック片手に来る人に「国宝の仏さまがあるお寺はここですか」と聞かれても、国宝も仏さまも寺の名前さえ知らない。家から1キロ程の距離なのに。

それを嘆くと「いつでも行かれると思うと、意外といつも行かないものだよ」と慰められる。 そう言えば、あの滝も、「いつでも行かれるから、今日じゃなくても」と言って行っていなかった。人生、明日何があるかわからない。思いついた時にやっておかなくては。思い立ったが吉日、と初めての滝に会いに行った日の記録。

 

今日は風がないので海漕ぎもできる、と言う日だったが、何だか空模様が怪しい。濡れながらカヤック漕ぐにはまだ寒い。それならあの滝、人はいつでも行かれると言うが、私は行ったことがない滝へ行こう、と思いついた。案内役はバルトさん。今日もよろしく。

今は住む人も少なくなり、しかも高齢者が殆どと言う集落の小さな通りを抜けて行く。 人の気配がなくなった小道だが、かつての人の気配を感じるこんな物。シシ垣。

 

人と獣の凌ぎ合いで勝ったのはどちらだろう。この細く立ち並ぶ樹は、これから木材として活用されるのだろうか、それとも寿命と共に土に還るのだろうか。何十年か前の先祖が願った「後世」とは、こういう姿だったのだろうか。

今にも雨が落ちそうな林で、こんな樹を見つけた。

 

見事に白く「塗られ」ている。幹は目立って苔が付いているのではなく、虫がいるのでもない。おそらく何かの病気なのだろうが、あまりにもきれいに白くなっているのでその見事さに拍手する。 薄暗い林の中で一際目に付く樹、何と言う樹だろう。スマホにかざすと花の名前がわかると言うアプリがあるが、今頃の林の木々はどれも「以下同文」の様相を呈している。分類学上、これは「白い樹」と名付けよう。

滝を目指すにはいくつかルートがあるようだ。今回は一般に知られているのとは別のルートを行く。まぁ、私はいずれにしても初めてなので一般も特別も例外もない。ただ付いて行くだけ。 向こうの道を行き、やっぱりと引き返し、藪の中を行き、枯れ沢を歩き、もはやどこをどう行ったのかわからなくなった頃、こんな物が目の前に現れる。

 

おや、こんな所に橋? 誰が渡るのだろう。と思いきや、

 

導水橋のようだ。立派な水路を作り水を引いたのはいつの時代だろう。田の水か、生活の水か。麓の集落には手押しポンプの井戸が幾つも残っている。山の水、井戸の水、水道の水はそれぞれ別の使命があったのだろう。

道は次第に狭くなり、崖路となる。めったに人は来ないような道だが、ガイドブックにはこの先の滝が紹介されているので、ハイキングの季節には訪れる人も多いのだろう。そんな人たちのためにか、こんな心遣いがある。

 

ハイカーの安全のための心遣いなのか、水路を壊されないようにとの防衛策なのか、いずれにしても私は大いに助かった。 途中、川の水を取り込んでいるようなパイプがある。そう言えば海から上がってカヤックを洗う所に流れている水は、山の水だと聞いたことがある。もしかしたら、ここから引いているのだろうか。そして次第に大きくなる水音。滝が見えてきた。

 

念願かなって、とうとう会いに来た滝。新桑の滝。2段になって落ちる滝。水煙を巻き上げる豪快な滝ではないが、山の清涼感を盛り上げるには十分な滝だ。小さな滝つぼに下りる、これは明らかに人為的に作られたと思われる石段がある。と言う事は、この先に行かれる、行け、と言う事だな。こういう滝にはたいてい「お不動様」がおいでになる。 どんな不動だろうか。行ってみなくては。

下りて上って、2段目の滝つぼまで来たが、お不動様も、お社もない。「不動の滝」と名が付いているので、かつてはお不動様がおいでだったのだろう。どこに行かれたのか、どうしてここをお発ちになったのか。小さな滝のお不動様に思いを馳せた。

夏ならばこの水に浸かって涼を取ったり、身を清めたり(?)するのだが、それをするにはまだ冷たい。

それに・・

去年、やはり滝に行って、「人生初蛭」を経験したので滝には少なからず警戒する。滝の上に続く道があった。山を越え、いくつかの浜につながる道のようだ。だがそれはまた別の日に、と岩肌に触れて滝を後にした。

滝を後にした後は、途中で見つけた、どこぞにつながる小道。いったいどこに行くのだろう。確かめなくては。

 

今にも崩れそうな崖路の先にはシシ垣の道。見事に積まれた石が長く伸びる。守るべき物を大切に思う頃のシシ垣だ。途中、いくつかの砂防ダムがあった。

あったがどれも土砂で埋まっていた。最近砂防ダムの是非が問われている。土砂で埋まっていると言うことは、今までに役に立ったと是とするか、これからは役に立たないと非とするか。自分ではどうすることもできない自分の存在を、当のダムたちは過去の人間の遺産として受け入れているのだろうか。

雨が降り始めた林にこんな樹が立つ。

 

芽吹き前の樹は名前がわからないが(芽吹きの葉や花を見ても、たいてはわからないのだが)、小石ばかりの土に吸盤で止めたように立つ樹。高く伸びる幹を、爪先を立て必死で大地にしがみついて支えている。この根で今年の夏を過ごせるだろうか。力強くもあり、切なそうでもあり、がんばれと声援を送る。

ぽつりぽつりと落ちる雨粒に、林の苔が鮮やかになる。 おや? あそこにいるのは?。

 

穴の開いた切り株の中から、悪戯っぽい顔を覗かせる小人、あるいは妖精、あるいは森神様の使い。苔の家が気に入っているようだ。夏にも秋にも、こんな姿でいてほしい。

こんな所に車が?と思う道に、意外にも轍が残っている。しかもまだ新しい。誰がこんな所に来るのだろう。林業の人か、イノシシ取りのハンターか。車が通っていると言う事は、この先に何かがあると言う事。行ってみなくては。と言って進んだ先に、こんなお方がおいでだった。

 

実は、同じ道を2度通り、先ほど既にお会いしていたのだが、改めてご挨拶して気が付いた事。

今から120年以上前の「寛政」年間に建てられた仏様のようだ。寛政、と言う元号があったとは、今まで全く知らずにいた。そう言えば、もうすぐ新しい元号となる。いつかの世に、「平成? それっていつの事? 何があった時代?」 と言われるようになるのだろう。私は平成の世に、30年以上生きて歴史を作った。

そして、こんな文字も気が付いた「にしきみち」。一緒に行った人と、(隣の集落の)錦に行く街道だったんだろうね、と勝手に決めつけた。しかし後で調べると、確かに錦集落へは続いている道だが、早馬が走り、編み笠を被り手甲脚絆の旅人が茶店で団子を頬張る、そんな街道とは、ちょっと違うようだ。険しい山を超える、「登山道」のようだ。それにしても、120年以上前の人が手を合わせたであろう石仏に、平成の人間も又手を合わせ、いにしえを偲んだ。だいぶ里に下りてきて、そぼ降るに体が冷えた頃、薄暗い林の中で光る物があった。

 

掌より大きなキノコ、サルノコシカケだろうか。夕暮れの街を照らすランプのようだ。なかなか洒落ている、気に入った。

荒れた畑には常滑焼の瓶が放置され、樹には何かの小動物の仕掛けがあり、畦にはミツバチの巣があり、屋敷跡には錆びたリヤカーがあり、動と静とが混然となっている里だ。

 

いつでも行かれるからと、いつも行っていなかった滝を、とうとう見に行った。あっちの小路を行きこっちの枯れ沢を進み、どこかの林をかき分けて行ったので歩いた道を覚えきれないし、出会った順番も不確かなのだが、小さな滝を見に行っただけの山で、たくさんの物に出会った日だった。

 

山の滝は川を下り海へと注ぐ。あの日会った滝の水は、いつ、熊野の海へ着くのだろう。また、会いに行かなくては。

 

コメント

909.遠き海より流れ寄る ― 熊野の灯浮標

2019年03月24日 | Weblog

また来ようと思いつつ、また行こうと言いつつ、なかなか遂げられていな事が増える一方だが、不意にその一つを遂げることができた。波間を漂い、「お先に」と言って浜に上がった先輩たちに会いに行った日の記録。

 

海にはいろいろな物が流れ着く。「やしの実」だけではない。中国から来た漁具の浮きや、韓国のペットボトルや、近くの海に浮かんでいた浮標や・・。海を旅してきた物は多くの物語が詰まっている。手を触れて、その物語を聞いてみたい。そんな気持ちでいろいろな物を拾い、触れてきた。 

去年の秋に、熊野の浜で大きな塊を見た。灯浮標のようだ。見かけはしたのだが、その時は浜には波が打ち付けていたし、先が長い旅だったので上がらずじまいだった。それが、どうも気になっていた。ずっと気になっていた。 あれは何の浮標だろう。いつか見た灯浮標のように、元あった場所がわかる手掛かりがあるだろうか。確かめたい。ずっと、気になっていた。それならば、今日なら大丈夫と絶好の漕ぎ日和に誘いを受け、それを確かめに海に出た。

 

桜の便りも聞こえ始めた頃、風無く波無くうねりも無い日。 お馴染みとなった岸から出発すれば、これまたお馴染みとなったこの光景。

 

今日もひっそりしている。何度か来ているが毎回通る所が違う。鼻先をかすめたり、先端の櫓の下をくぐったり、橋脚の横を通ったり、波打ち際を漂ったり。どの場所から見ても存分に錆びている。ある人は「廃墟」と言うだろうし、ある人は「遺跡」と言うだろう。私は、「宇宙探索船の発射台」と言おう。

ここから発射された宇宙船が5年後に戻ってくると、科学の粋を集め銀色に光っていた発射台が廃墟となっていた。唖然とする乗組員。船内の時計は2019年を示しているが、発射台管制室のカレンダーは2219年のまま、赤茶けていた・・。 そんな映画ができそうだ。(前回は別の話だったような気がするが)

下をくぐる時、頭上の捲れかけた鉄板が落ちてはこないかと、少し落ち着かない。急いで通る。また来ましたよ、また来ますね。と言って発射台を後にする。

穏やかな岸を行くとまず現れるのが、これ。

 

去年の秋にここを通った時に見つけたのだが、その時は波が打ち付けていて上陸しなかった所だ。今日はこんなに穏やかに迎えてくれる。

 

 故郷の海を離れて 

 汝はそも 波に幾月

 

 

 

 

 

 

 

どんな潮に揉まれたのだろう。どんな波に打たれたのだろう。どんな風に逆らったのだろう。頑丈な骨組みが折れ曲がっている。それでもこの灯浮標の戸籍が残されていた。

彼(彼女?)は平成13年岡山の生まれで、第2子らしい。身長は不明だが、体重は3トン。耐浪型 太陽電池式。特技や体質、実家もわかる。実家の紋章が面白い。どんなかって? 多くのカヤックがそれを確かめに行く楽しみを奪うほど、私は野暮ではない。

耐浪型、と記されたプレートを付けたまま、折れ曲がり錆びた塊はじっと海を見ていた。別れがたい気もするが、次の岸にも久しぶりに会いに行く物があるので、またの再会を約束してこの岸を後にした。

そして久しぶりに再会した物とは3年前の冬に会った物。ニグチノ島沖灯浮標。去年の秋には上陸できなかったが、今回はさらりと浜に上がる。懐かしい再会だ。

 

新しい任地としてこの浜に来たのか、不本意ながら左遷されたのか、それとも芸術家の道楽に付き合ってここに居るのか。おっとりしながらも重厚に構えている。 と、おや? 何か違う。前任地を示すプレートは3年前と同じに付いているのだが・・

 

そうか、向きが変わっているのだ。 覚えおいでだろうか、この灯浮標。以前会った時はこんなふうだった。

 

 

 われもまた 渚を枕 

 一人身の浮寝の旅ぞ

 

 

 

 

3年前は海辺の岩を枕にしていた。しかし、首が痛くなったのだろうか、ぐるりと向きを変えている。勝手に寝返ったのか、大風が揺り動かしたのか、それとも大地の気まぐれでコマのように回って今の位置で止まったのか。 いずれにしてもこれ程に大きな物を動かした力は何だろう。風か波か大地の変動か、彼の意思か。 でんとして構えているようでいて、実は軽快なステップの持ち主なのかもしれない。

この浜で暫く休憩し、奥の林を探索する。 前回来た時に林の中で紫色の小さな実を見つけた。ところがそのことを、すっかり忘れていた。一緒に行った人にそう言われても記憶にない。記録を読み返し、やっと思い出した。そうだった、ムラサキシキブの実を見つけたのだった。しかし後で調べ直すと、コムラサキだったのではないか、という気がする。 まぁ、大した違いはないようだし、私の植物記図鑑においては、「紫色の小さな実」と記しておけば間違いはない。

懐かしい岸は去りがたかったが、錆びた友人にこの海の記録を託して、私たちは次の目的地へと出発した。3つ目の訪問地はこの岸。

 

これも去年の冬に見かけたのだが、挨拶に行かれなった灯浮標だ。どんな顔をしているのだろう。

 

 海の日の 沈むを見れば 

 たぎり落つ異郷の涙

 

 

 

 

 

 

 

ずいぶん試練の時を過ごして来たようだ。櫓は失せ、巨大なコマとしか見えない姿になり、艶やかだったであろう顔には深いしわが刻まれ、ただ横たわるだけ。いつの生まれか、どこから来たのか、親兄弟はいるのか。故郷の海が恋しくはないのか。触れてみても赤い錆しか返ってこない。灯浮標の長老として、この海の歴史を聞いてみたいのだが。 

この海に横たわる灯浮標たちはいずれどこかに引き取られ、生まれ変わってまた活躍するのか、それとも無縁仏となってこの浜で消えていくのか。200年位後の世に来ることができたなら、「ずいぶん歳を取りましたね」と声をかけよう。彼は何と言うだろう。「お互い様ですね」と言うだろうか。

今回は3つの灯浮標を訪ねたが、実は以前、もう一つ見ていたのだった。後日、以前の記録を見直して気が付いたのだが、大きな岩の陰に、もう一つあったのだった。これはうっかりしていた。と言う事は、またその錆びた物に会いに行かなくてはならないな。

そんな後悔を残して、こんな穏やかな海をちょいと寄り道して帰る。 

 

この辺りの海は岩礁や大岩・小岩が多い。今日のような穏やかな日は岩抜けにはもってこい。どの岩を抜けようか。2つの島を回り、小さな洞窟に入り、こんな景色に見とれて元の浜に戻る。

熊野の山々がシルエットに映るこの海のこの光景が、私は無性に気に入っている。どの山にどの神がおわすのか、いずこの神にも今日の海を感謝する。

 

私はよく、カヤックで出会った木や岩や橋や石仏や、いろいろな物に「また来ますね」と言っている。今日会った錆びた物達にも、「また来ますね」と言って来た。さて、その約束を果たすのはいつの事となるだろう。

      ~ 名も知らぬ 遠き海より 流れ寄る 灯浮標幾つ ~

 

コメント

908. 10年ぶりの海 ― 古い物と新しい物の紀州

2019年03月08日 | Weblog

少し前の事となったが、久しぶりの海を漕いだ。10年ぶりの海を、1年ぶりのハンチングさんと5日ぶりの友人と初めての人とで楽しんできた。そんな日の記録。

 

沖の無人島漕ぎを期待していたのだが、どうも風がある。目的としていた海域は風が5~6メートルとのこと。そんな白波の立つ所など、毛頭漕ぐつもりはなく、そんなことで、風の弱いこの辺りを漕ぐことになった。期待とは違っていたが、中止にならないだけ良かった。いや、10年ぶりの懐かしい海だったので、これもまた、大いに良しの海だった。

順調にアクセルを踏み、目の前が浜と言う所で駐車場の入口を迷った。無料と思っていた駐車場が有料で、と言う事は集合はこの駐車場ではないな、と「無料駐車場」を探して彷徨った。しかしそれは勘違いで、結局500円払って無事合流できた。

広い浜に着くと、思いだした、思い出した。あの橋、あの建物、あの発電所の煙突(?)。10年前、「TKシリーズ」を漕いでいた時「うずまき」さんと、この海を漕いだ。10年?、もうそんなになるのだろうか、4,5年前のような気がするのだが。

 

10年前、朝陽の煌き思わせるようなサンブリッジをくぐり、ではムーンブリッジはどんなにロマンチックな橋なんだろう、とときめいててくぐると、だいぶ期待とは違っていた。そんな昔話をしながら通る。

 

このマンション群も懐かしい。初めて見た時に、こんな所に住めたら良いだろうな、と思ったものだ。朝陽も夕陽もお好み次第、ヨットも良いしカヤックも良い。魚は新鮮で潮風も心地良い。しかし、台風の時はどうなんだろう。などと、買えもしないマンションの心配をしたものだ。

これも健在だった。

 

海に浮かぶテーマパーク。大賑わいとは見えないが、じっと見ていると動いている。お隣りのスイングドラゴンも動いている。今日なら待たずに乗れるだろう。ずいぶん前、びわ湖岸にバンジージャンプがあった頃、行こう、行こうと思いながら行かずにいる内に、いつの間にかなくなっていた。観覧車も消えていた。こういう所は「子供の遊び場」などと言っていないで、行きたいと思った時に行っておかないと後で残念な思いをする。ジェットコースターなんぞ、今の内に行かないと「年齢制限」で拒否されると悪い。

観覧車をぐるりと回ると、開けた海の向こうに白い帆のヨットが浮かぶ。

 

小さなヨット、初心者のスクールのようだ。見るからにヨタヨタと流されている(それは失礼か)。ベテランカヤック乗りの我等は、「彼等はね、たぶん初心者だよ。だからちゃんと舟を方向転換できないよ、きっと。突っ込まれると悪いから、我々が避けないとね」。とヒソヒソと話す。そんな声が聞こえたかどうか、ヨットたちは我等の進路から遠ざかって行った。

 

目指すはあの白いビーチ。

この辺りにはこんな眩しいほど白いビーチが幾つかある。海外から輸入した砂を敷いている所もあると言うが、今日のような海の青さと空の青さに挟まれて、白いラインは異国の光景だ。夏にはどんなに賑やかなのだろう。今はカヤックが通るだけ。

この先は、どこまで行くのだろう。とりあえずはあの岸。

 

遠目には賑やかしい観光地のように見えるが、その実は・・ それはまた後にして。

無人島を目指していたのだが、ちょいと風もあるようだし、のんびり日向ぼっこのランチが良い、と言う事になり、小さなビーチに上がる。「うずまき」さんとこの海を漕いだ時も、この浜に上がった。近くの小山の展望所から、漕いで来た海・漕いで行く海を眺めて和歌山の海を綴った。そんな浜でゆっくりし、今日はここまで、と元の浜へ戻る。

帰り道(帰り海?)、先ほどのホテル群の岸に寄る。

 

営業しているホテルもあるが、廃墟と言いたくなる建物もある。この煉瓦の岸も、10年前にはこれ程に崩れてはいなかった。遊歩道も健在だった。どんな風がこの岸に吹き付けたのだろう。どんな波がこの煉瓦を打ち砕いたのだろう。10年前に、既にその役を成していなかった煉瓦の建物の、その誕生と廃れた経緯を知ると、ただ「時の流れ」の一言で片づけたくない寂しさがある。

こんな鐘もあった。

 

「夢の鐘」。どんな夢を託し、どんな夢を叶えてきたのだろう。これは今も現役なのだろうか、今もご利益?があるのだろうか。周りの散策路が崩れているので、もしかすると歩いては行かれないのかもしれない。となれば今更ながら、岸から上がってみれば良かったな、と後悔する。

 

この岩も見覚えがある。「蓬莱岩」。親子だろうか、「いってらっしゃーい」と手を振る子供に「ありがとう、またね~」と手を振る。見えない過去の、あるいは未来の自分に手を振ることはよくあるが、現実の人間に手を振ってもらう・手を振る、ことは珍しい。いつになく嬉しくなる。ここも上がれば良かったと、と後になって悔しがる。

漕ぎ進めばこんな物も見えてくる。

 

これもまた使われていない古い灯台。いつの時代の物だろう、灯りを点す部分が洒落ている。それを店先において、「喫茶・灯台」なんてするのはどうだろう。いやいや「カフェ・ムーミンの家」。夜は灯りを点けて、今流行りのインスタ映え名店になると思うのだが。

以前、若狭の海に開く湾に「竜宮城」があった。覚えておいでだろうか、この姿。

 

観光目的で作られたものの、その任を務めることなく消えて行った竜宮城。何年か前「コーヒー牛乳」さんが、いつ崩れるかわからないので今の内に、と言って案内してくれた竜宮城。その後しばらく経って、台風の日に本当に崩れ落ちたと言う。本来の観光には活躍しなかったとしても、この「廃竜宮城」は、この湾を漕ぐカヤック乗りには名所となっていたのだが。

近年は「廃墟巡りツアー」に人気があるとか。廃線路、廃隧道、廃炭坑、廃選鉱場、廃村、廃校舎・・ 古き良き時代の郷愁と、映画の中に入り込んだような探検感とをうまくマッチングさせた企画ではないだろうか。「錆びた物・廃れた物巡り」、私がガイドならこんなツアーを企画するのだが。まぁ、これで儲かるほどに客が来るかどうかは・・

きれいな海水浴場も、今だからカヤックで通れる所、存分に岸漕ぎをする。岸から離れれば遠くの山に大きなお寺、紀三井寺。あの寺の桜が咲くと和歌山に春が来ると言う。ゴールの浜にはウィンドサーフィンやサップもいる。10年前にはサップなんて、(私は)見たことも聞いたこともなかったが、今ではカヤックよりメジャーかもしれない。他にも、あれは? これは? と思うものが新旧折り重なって点在する。漕いで良し、歩いて良し、眺めて良しの和歌の海だ。


10年ぶりの海は、時の移ろいがそんなにも早いものだったかと、そんなにも私の時代も早く過ぎ去っているのかと、軽く衝撃を受ける海だった。さて、これからの10年を、どう迎え漕ごうか。

 

コメント

907.びわのうみ ひねもす とろりとろりかな ― 比良の雪見

2019年03月04日 | Weblog

暦の上では春と言うが、日めくりカレンダーでも春に間違いない、と太鼓判を押せる日に、「チーム・気まま」でびわ湖を漕いだ。とろりとろりとした湖水を愉しんだ日の記録。

 

今回のメンバーは3人。以前は集合時間の1分前に現れるのが常だったメンバーも、最近は30分前に登場する。今回も申し合わせたように同時に30分前に揃ったので、ちょっと笑った。

「チーム・気まま」の良い点、集まってからその日のコースを決定すると言う気ままさ。今日は、この時季なら雪見も洒落ている、と湖西を漕ぐことにした。それは事前に決めていたが、集まってから回送無しの往復でのんびり行こう、という提案に決定する。

朝の内は比良の山にかかっていた薄雲も次第に晴れて柔らかな春の空となる。風無く、波無く、暖かく、水は気持ち良く澄んでいる。そんな水辺を漕ぎだせばじきにこんな所に来る。

 

見応えのする所ではないが、思い出のあるこの岸。もう、12年も前の事となったが、4人でこの湖岸の少し沖を漕いでいた時、突然の雷に襲われた。皆、他のメンバーの事など見捨てて?我が身大事と一目散にこの浜目指して漕いで、岸のトイレに逃げ込んだ。そして土砂降りで雷が鳴り響く中、トイレの中で皆で訳もなく腹がよじれる程大笑いした。

あの小さな溝から水が溢れ出し、浜に置いたカヤックが、すんでのところで流されるところだった。この話を知っているのは、ずいぶん長いお付き合いのお方だ。そんな懐かしい岸を進むと小さな岬を越え、振り返ると残り少なくなった雪景色の山。

 

「雪見カヤック」と銘打ったこの日としては遠慮がちな雪だが湖岸を引き立てる役者がそろっている。私のお気に入りの岸の一つだ。

透明度の高い水辺のこんな光景もびわ湖の一つ。いかにもびわ湖らしい光景。

 

この辺り、かつては板の橋があり、人々の日常の生活用水をびわ湖から得るのに大切なものだった。水遺産としてのびわ湖と人々を繋いでいた「橋板」。今その再生を目指す取り組みが始まっている。

水か浜かその境も定かでない岸を行けば、いろいろな物と出会う。この鳥居も懐かしい。

 

あと一ヶ月もすればこの鳥居も半分は桜に隠れるだろう。湖上からお参りするも良し、上がって鳥居をくぐるってお参りするも良し。今日はカヤックからご挨拶する。

水辺の行く手を遮るものは何もないはずなのに、何だろう、こんな物が通せんぼする。

 

大きな木だ。何年、何十年生きてきたのだろう。根元からバッタリ倒れている。去年のあの台風だろうか。かろうじて岸にしがみついているが、次の大波で根元の砂が削られたら、もう・・。僅かばかりの根で冬を越した大木が、夏の暑さに耐えられるだろうかと心配になる。

覆いかぶさる枝の下に潜り込むと、こんな物が付いていた。

 

後でわかったのだが、ヒマラヤスギだった。杉とは言ってもマツの仲間で、握りこぶし程のあの茶色い物はマツカサだった。湖水に落ちているその実は、金平糖を撒いたようにチカチカとしていた。何度も来ているこの岸に、こんな木があったことに初めて気が付いた。見ているようで、何も見ていなかった自分の漕ぎを、少し、恥じ入った。そのマツカサを足元に置いて漕ぎ進む。

穏やかな岸にはこんな物も建つ。4年ぶりの再会。

 

二基の常夜灯。昔この辺りは湖上水運の要所で、特産の石や米などを積んだ船が行き交い、交易の蔵が立ち並んでいたと言う。常夜灯の名前にその名残りを見る。懐かしい常夜灯も変わりはなかった。また会いましょう、と別れを告げ先へ行く。

静かな湖水。静かなのは波風がないと言う事だけではない。夏には我が物顔で波を立てる水上バイクも、今は鳴りを潜め、「チーム・気まま」は貸し切り状態のびわ湖を進む。

振り返れば僅かに白さを残す比良の山並み。水辺の木も、もうすぐ芽吹くだろう。緑の葉が茂る頃、この小さな橋板に、どんな影を落とすのだろうか。

            

これまで何度も「雪見カヤック」をしてきた。思いがけずに吹雪いて岸の土留め板の影で風をしのいだ日もあった。淡雪が桜の様に舞う日もあった。積もった雪の上をソリの様に引いて出艇した日もあったし、小さな雪だるまを乗せて漕いだ日もあった。いろいろな雪見があったが今回は「花見」のような暖かさと穏やかさ。こんな雪見はデッキにお猪口でも乗せて漕ぎたい。

やがて白い砂の先に緑の松林が見えてきて、昼食の浜に着く。メンバーは各自思い思いの昼食を用意するが、見れば皆「ラーメン」。暑いほどに良い天気となった浜で、熱々のラーメンもまた良いものだ。

近くに内湖があり、ここからの眺めも良い。

 

去年、びわ湖では『あのベンチ』が話題となった。びわ湖を前に湖岸に立つ1本のセンダンの木と、その下に置かれたベンチ。場所がどこか言わない、と言う「暗黙の了解」があり、誰言うともなく広まった『あのベンチ』を探して、多くの人が湖岸を彷徨った。

私の良く知る所だったが、世間で騒がれるまでは、そのベンチの良さ、その木の良さに気が付かなかった。そう言われれば絵になる風情だな、と後付けに納得したものだ。ほとぼりが冷めた頃、テレビで紹介されたのが、ちょっと興ざめだった。

今回、湖西の内湖で見たベンチは『このベンチ』として脚光を浴びるだろうか。私がその火付け役になるかもしれないが。

漕ぎ出してからずっと澄んだ湖水だったが、この浜の透明度は例えようがない。少し深くなると緑から青、群青と色を変え、写真に色を塗ったかと思う程に美しい。

 

急ぐ旅ではないが、そろそろ、と言ってまた漕ぎだす。

 

白砂青松の岸は、夏には賑やかな声が響くのだろうが、今はまだひっそりとしている。穏やかな湖面にはパドルが落とす滴の音も立たない。

これから向うのは「琵琶湖周航の歌2番」の歌碑がある所。

 

ここも久しぶりに上がった。「おときさん」も健在で、思わず一緒に口ずさむ。歌碑は気が付いても歌のボックスに気が付かない人がいる。ここで聞くからこそ、びわ湖をさらに知ることになるのだが。余談だが、未だに!?「琵琶湖哀歌」と「琵琶湖周航の歌」を混同している人がいる。嘆かわしい、と言うのか、その違いを広めていないびわ湖人の怠慢なのか。確かに歌詞もメロディーも似ているが。

ちょこっとまったり漕ぎ、をモットーとする「チーム・気まま」はここで引き返すことにする。

 

朝は霞んで見えなかった対岸も、陽が上るにつれ朧に見えてくる。湖西に「蓬莱」と言う地名があるが、もしかすると仙人が住むと言う蓬莱も、あんな風に霞の中に浮かんでいるのだろうか。

 

同じルートでも行きと帰りでは別の景色と天気。帰りの湖面は、ますますに静かになり、こんなベタ凪ぎは漕ぎにくい、と贅沢な愚痴を言いながら、今回の雪見カヤックはゴールした。

カヤックを降りて驚いたのは、コックピットに先ほどのマツカサが見事に開き、散々に散り、バラが一輪咲いていた事。

 

そう言えばこのバラ、「シダーローズ」と言ったな、と思い出す。

穏やかなびわ湖で、とろりとろりと気ままに漕いで、雪見もできたし、バラの土産まで手に入れて、本当に良い日だった。

 

もう一度、雪見ができるだろうか。

 

コメント

906.上からも下からも ― 手をかざして展望台

2019年02月26日 | Weblog

先日、これも又絶好の漕ぎ日和、という日に、こんな日でなければ行かれないと言う海を漕いで来た。

断崖絶壁が続き、太平洋のうねりが来ようものなら叩きつける白波にひっくり返され、到底上陸することができないと言う、(私にとっては)魔の海域。そんな岸をのんびりと漕いだ日の記録。

 

海岸線を繋ぐ漕ぎシリーズでの一環。今回の行程は16キロ程だが、シリーズで必要とするのは外海の10キロ部分。あとの6キロは繋ぎのための漕ぎなのだが、その部分は3年前に漕ぎ、懐かしくも見所のある海だ。

暖かく、穏やかな日和。冬のいでたちで漕ぐと、暑い位だ。どっこいしょ、と漕ぎだせば、こんな橋が見えてくる。

 

 

親子橋と言われる二つの橋。3年前に来た時はそれぞれの橋をくぐって先の海を楽しんだ。今回はここはおまけの部分、本来のスタート点までそそくさと通り過ぎる。対岸の展望台から見ればこんな風に見える。かつて上から見た橋を、今日は下から見る。この展望台に行ったのも3年前の事となった。

 

 ズームしています

 実際はもっと
 小さく見えます

 

 

 

 

 

 

スタートしてしばらくは、全く波もうねりも無い湖水状態。とろりと気だるそうな海が続く。それも、岬のこの辺りに来ると、ちょっとうねりも出て、太平洋らしくなる。

 大した波でもうねりでもないのだが、大岩と大岩の間を通る時には、「うぉー」と身構えたり、「とりゃ!」と気合を入れる場面となる。浅瀬の岩礁にはそれなりの白波が盛り上がり、前を行く人が振り返って見るが、こんな位はへの河童、と何の問題もないふりをして漕ぐ。

 

大尾根から分岐した小尾根、それが海に落ちると三角山になる。せり立つ崖が剥き出しになっている地形はこの辺りではよく見る。しかし切り取られた尾根が並ぶのは珍しい。「おにぎり山の岸」と名付けよう。そして再会の浜。

 

塩竈浜。先月、峠を越えてこの浜に来た。そして「いつか漕ぐ海」として見ていた海を今日は漕ぐ。細く長く伸びる浜。山と海を、ある時は隔て、ある時はつなぐ浜。浜は、二つの世界の橋渡しをしているのか。あるいは結界を成しているのか。

おとなしいように見えていて、思わぬうねりが入る。小さなうねりなのだが、私が上がろうとするのを邪魔する波を作る。ここに上陸するのは、呆れ返るほどうねりのない、海が油のようになる日に上がることにしよう。先月この浜から手を振っていた私に、今月は海から手を振る。

大岩、小岩、ひょっこり現れる岩礁、遠くのブーマー。穏やかな海でも退屈させない出し物が満載の海。岩抜けの楽しみも忘れてはいない。

 

目の前の岩に気を取られている内に見上げる尾根の海になる。

なだらかに続く尾根。春の海と空と山。その境に見とれていると、おや? あれは何だろう。

 

何か見えないだろうか。いや、確かに自然にできたにしては不自然な直線的な何か。思いっきりズームにしてみると、やはり何かある。

 

よくよく見ると、お堂のような物と中に石仏のような物。この近くにはハイキングコースがあり、その地図には祠と展望所が記されているが、位置的にそれではない。後で調べると、ここを通る山道もあるようだが、この「お堂?と石仏?」を記したものを見つけることはできなかった。謎の仏様?!

以前、 五ケ所湾の岬のお不動様に会いに行った時のような興奮が起きる。行ってみたい。しかし海からは無理だろう。ならば山を越えてなら行かれるだろうか。「下からも、上からも」私のカヤックの拘りでもあるこの一言を、ぜひとも実現したいものだ。さて、いつ行こうか・・

 

上に気を取られていると目の前にこんな岩。この一角だけ、見事に赤い岩がそそり立つ。なるほど、「赤石鼻」と名付けられる所以だろう。ここを過ぎればこんな浜。

 

小さな浜にも名前がある。名前があると言う事は他の物とは区別する、特定する必要があったから個別の名前が付いたのだろう。ここは、うねりが入ると上陸が難しいし、わざわざ山越えして来るにも難儀な浜だ。ここには何か、特段の意味があったのだろうか。

 

そんな浜に上がって昼食とする。今日は頂いたインゲン豆の煮込みなのだが、西部劇のガンマンや西部開拓史の頃のカウボーイがこんな豆料理を食べてる場面を思い出す。お湯を注ぐだけの半レトルトながら、食事の一品と言うより、メインディッシュして十分満足できる物だった。ご馳走さまでした!

この浜、地図には道は見いだせなかったが、来た人がいると、後でわかった。どこの誰だかわからないその人が山から来たこの浜に、私がカヤックできた事を知らせたいような、この浜を共有した仲間のような親しみを感じた。

穏やかな海ではあったが、風が出ない内にと出発する。その先は、これまでは瑠璃の青一色だった海に翡翠の緑が現れる。

 

海底の砂の構成がどうのこうの、岩の種類がどうのこうの、海水の成分がどうのこうの・・ 小難しい講釈をすれば色の違いの解明はできるのだろうが、ただただ美しいと感動できる心を、素直であると喜びたい。

右を見れば水平線の太平洋、左を見れば手が触れられる岩、そして前方にはこんな光景。

 

五ケ所湾の岬が長く伸び、さらにその遠くには御座の岬。どちらも行ったことはあるし、何度も見ているのだが、田曽の灯台はあんなに岬先端から離れていたのだろうか。御座の灯台はもっと岬先端にあったはずでは?

『GPSには、一般の人には知らされていないが、実はモード切替があって、地図で見る時と歩いて行く時、そして遠くから眺める時では、距離を補整している』 きっとそうに違いないと思うのだが・・

惑わせの海を漕げばゴールは目の前。これは間違いない距離。その最後の漕ぎでこんな物を見つけた。

 

岩の上の小さな鳥居。どんな神様を祀っているのだろう。こんな鳥居を、以前にも見たことがある。どこだったろう。確かに見たことは覚えているのだが、それがどこだったか、記録にも記憶にもない。気になって、気になって落ち着かない。誰か、覚えているお方はいないだろうか・・

心配した風も吹くことはなく、のんびりカヤックが終わった。今日漕いだのは、いつだったか展望台から見下ろした海。

 

あの浜を過ぎ、あの岬を回り、あの半島をずんずん進んだ岸。覚えておいでだろうか、その展望台に居たこんな人を。

 

手をかざして海を見ていたその人は、下を漕ぐ私たちに気が付いただろうか。

        

いい日だった。いい海だった。上から見た海を漕いだ日だった。次は下から見た山で、今日の海を見てみよう。

 

コメント

905.呆れた連中 ― 富士の砕氷カヤック

2019年02月09日 | Weblog

この時季、「雪の富士五湖巡りバスツアー」はけっこう人気があり、いろいろなツアーが出る。しかし、バスの窓から見るのではなく、「雪の富士山を見ながら漕ぐ」をしたいと思っていた。

何年か前、それを言葉にし文字にして、「雪の富士山を見ながらカヤックを漕ぐ」を叶えたのだった。考えれば、10月には富士に雪が降るし、桜が咲いても冨士には雪が積もっている。ならば、この寒さの最中に行かずとも良かったのだが、例のバスツアーに感化され、ついついこの寒さの時に行くことになった。 

あれから何年か経ち、気が付けば「雪を見るカヤック」から「氷を割るカヤック」となっている。これぞ究極の『非日常』と言うものだろう。そんな非日常を精進湖で過ごした二日間の記録。

 

富士に行くのは6回目。道も慣れたものだ。しかし2年ぶりの道、途中曲がり角を間違え、自衛隊に入りそうになったが、社会見学に来たと言い訳することもなく元の道に戻った。よくある話だ。

抜けるような青空の日、北海道では猛吹雪のニュースが流れていたが、私が行く富士は暖かな太陽がまどろんでいる。道中での寄り道も旅の楽しみ。行きの道すがら帰りの土産の品定めをする。一昨年、富士で買った器が家族に好評だったので、その店にまた行ってみる。2年前と同じ棚に、同じように並べられ、同じように太っ腹の値引きをしてくれる。時は2年と言う違いを作っているのだが、この店は時が止まったまま同じだった。「以前と同じ」、と言う記憶を持てることに何かほっとする。「おまけ」の言葉に釣られ、予定外の物まで買ってしまった。それも又いつか、ほっとする記憶となるのだろうか。

集合場所に集結するメンバーたち。あの顔、この顔、懐かしい人に、つい先日会った人に。顔なじみの輪に話が弾む。メンバーが揃ったところで早めの昼食。

 

ご当地キャラ「うどんぶりちゃん」にも久しぶりに会った。彼女も相変わらずに元気だった。一昨年会った時は確か3歳だったので今は5才。ずいぶん物知りになった事だろう

お腹もあったまり、いざ目指す湖へ! 道にはほとんど雪はなく、2,3日前に降ったと言う雪が僅かに白い世界を作っていた。

 

いつもの岸。快晴、風無く思いの外暖かい。今年も申し分ない富士山と湖。 ただ、これまではキャンプできていた岸がキャンプ不可となっている。これは痛い。ここならテントの中から富士の日の出が見られたのだが・・

別の岸はキャンプ可能だったので一安心。キャンプ場のおじさんが、「すごく寒いよ。寒くて途中で帰る人もいるけど、大大丈夫?」と心配してくれた。      

                                おじさん、大丈夫です。みんな、タダ者ではないですから。

大宴会場のテントが設営され、各人今夜の寝床の準備をする。テントの人、車中泊の人、それぞれ覚悟はできている。支度が整うと、いざ出陣。

夏にはカヤックも来ると言うが、この時季に来るのはちょっと呆れた連中だろう。 そんな連中のためにいい具合に張った氷が迎えてくれる。割り甲斐のある厚さ。

貸しボート屋のおじさんが、エンジンボートで氷を割っている。釣り客のボートが出せないので水路を作るために割るのだとか。ならば、多少の協力はさせてもらいましょう。

 

湖の奥の方には誰も手を付けていない氷原が広がる。みんな我先にと突っ込み、ユサユサ揺らし、割って行く。ガリガリ!・ゴリゴリ!・ズリズリ!・バリバリ!。 氷の擦れる音が祭り太鼓のように鳴り響く。誰かのカヤックとぶつかりそうになっても、パドルは空しく氷上を滑り、艇のコントロールができない。ゴメン、またぶつかった。 スターンでガーン!・ゴーン!と音がするが、他のカヤックとぶつかったのか、氷にぶつかったのか。振り向くのもままならない。

 

メンバーズは果敢に挑戦する。バックして勢い付けてから突撃。少しずつ、少しずつ氷が開け、ある瞬間、シャーっと一条の筋が入る。そこにカヤックの鼻先を押し込んで、1メートル、2メートルと割進む。漕ぐカヤックではない。砕氷カヤックだ。

 

砕かれた氷が、新しい氷に乗り、瞬く間に凍り付く。さっきまで開いていた水路が、気が付けば氷に閉ざされ、前にも後ろにも動かれない。

      ちょっと、ちょっと、みんなぁ、置いてかないでー!

割っても割っても氷原は続く。氷に遊ばれることに疲れた頃には太陽が山の端に隠れ、急に寒くなる。今日の砕氷カヤックはお開きとする。

外気は5度。10人は入れると言う大きなテントにストーブやセットコンロが4つも入ればじきにコートを脱ぎ始める。次々に出て来る料理と酒。携帯用のガス炊飯器も登場し「居酒屋 湖畔」は大賑わい。

 

ほうとう汁の大鍋から湯気が上れば、テントの天井から水滴が落ちる。道理で、外は-3度。いつの間にか靴の中に入った水が凍っていた。ずいぶん夜が更け、それぞれの寝床に入った頃、外は-5度だった。それでも覚悟の車中泊は快適な暖かさで夜を過ごせた。

 

そして翌朝、

すっぽり潜ったシュラフはぬくぬくだったが、明け方、シュラフから出ている顔が冷たくて目が覚めた。そうだろう、フロントガラスは外はもちろん、中も凍っていた。ペットボトルの水も凍っていたので車内もずいぶん冷えたようだ。

しかし、天気は快晴。これはもう、見に行かない訳にはいかない。と夜明け前に起き出していつもの岸に行く。

 

日の出はもうじき。湖岸にはカメラの列ができ、場所取り状態になっている。その列の仲間に入り明けて行く空に見入る。

もう少し時間が早いとベルベットの闇に薄明るい山が写り、やがて群青色から薄紫に変わり、薄紅色からオレンジに変わる空が見られたのだった。今年は少し来るのが遅かった。

空は刻一刻と色を変える。 釣り船屋のモーターボートが日の出前から氷を割っている。

       あのぉ、そこの氷は割らないでほしいんですけど・・

       あと少しの間は・・

太陽は地平線から頭を出しただろうか。山の端が輝く。あと1分もすれば復活した陽光がレンズを貫く。岸まで凍り付いた湖面には二つの富士。今年も又良い富士山と出会えた。空と山と光と、どの一つにも感動と感謝が溢れる。

メンバーがそろそろと朝ご飯に集まって来る。テントの中のガスストーブを点けようとしたが点かない。ボンベにはまだガスは残っているのだが、冷え切ったガスはなかなか点火しない。ならば、とジンジンと冷たいボンベを懐に入れしっかりと抱える。

抱えながらこんなことが頭に浮かんだ。「冷たい海に投げ出され、体温が下がり命が危なくなった人を助けるために、裸になって遭難者を抱き、自分の体温で温めた」。そんな話を聞いたことがあるな・・

今、冷えたガスボンベを抱いている私も、そんなふうに見えるかな・・

ちょっと、かなり、次元の違う話にボンベを抱えながら笑えてきた。懸命の蘇生のおかげか、ガスの命も復活し、朝からしっかり腹ごしらえとなる。

そろそろ出艇の頃、おや、水際に立つテントが目に入った。それも煙突付き。サウナでもやるのだろうか。ここまではたまに見る光景だが、ま、まさか! 上半身裸の男性が、氷に寝そべっている。

砕氷カヤックと言うと呆れ返られるが、その呆れた我らの上をいく御仁がおられたとは。いやはや言葉もない。そんな光景を見て、ふと、あの人を思い出した。覚えておいでだろうか、「やかんの人」。

 

このやかんを持って世界を旅していた青年の事を。ユーコンの、薄氷が張る川の水を頭から被り、こんなタープで作ったサウナに入っていた人の事を。

氷とサウナ、北欧では珍しくない光景なのだろうが富士の水辺で見るその姿は驚きだった。そんな驚きの中で、あの「やかんの人」を思い出した。あの頃は機内にやかんを持ち込むことができたが、今はどうなのだろう。彼は今、どうしてるだろう。一昔前となった人を、思い出した。

さて、思い出は岸に置き、今日も砕氷作業開始。

 

今日はちょっと場所を変える。昨日よりは氷は薄い。グサッと刺すとパドルが入る―所もある。とはい言え、滑らかに凍った湖面は滑らかな「水面」のようなそぶりをし、漕ごうとするパドルが氷面で空振りする。ガリガリッ、ズリズリッと。おっと危ない。

以前びわ湖でささやかな砕氷カヤックをやった時、びわ湖の氷は、パリパリ、ピキピキ、シャリシャリと割れ、チリンチリンと鳴った。富士の氷からすれば何と幼い氷だっただろうか。

もう2年分の氷を割った、と堪能し、砕氷カヤックを終えた。岸には粉々にした氷のかけらが打ち寄せられ、それも又凍っている。

 

貸しボートのおじさんは、釣り人のために氷を割る。流氷の北海道では観光のために氷を割る。南極海では観測のため氷を割り、オホーツクの海では閉じ込められた船の救助のために氷を割る。それぞれに生活や観光や研究や救助や、何かに貢献するために氷を割る。 では、富士で氷を割る連中は、いったい何のために割っているのだろう。

今回、氷の湖で新艇の進水式をした人がいる。自分の舟は、ましてや新艇ならば、傷一つも付けないように神経使うのが常だ。それを覆して、氷割りに挑むのだ。あっぱれ!と称賛する。私の信条「カヤックは飾るための物ではない。楽しむための物」その信条を共有できる御仁だ。氷も岩も、傷は楽しんだ証。むしろ、勲章と言いたい。いったい何のために氷を割るのか。その答えは私の、そしてここに集ったメンバーの信条の中に見出せるのだろう。 

漕いだのは僅かな距離だったが、呆れた楽しみを愉しんだ。 標高900メートルの氷の湖だが二日間とも快晴で風無し。日中はコート無しでも過ごせる暖かさ。絶好の砕氷カヤックだった。

良い日だった。いい湖だった。いい氷だった。いい富士山だった。いいメンバーがいたからこそ楽しめた砕氷カヤックだった

 

もし、誰かが、こんな遊びをしたいと思ったら、たとえ漕ぎに自信があったとしても、1人、2人ではやらない方が良いだろう。万が一沈した時、水と違い氷が張っていると水面上に上がれないかもしれない。すぐにレスキューしてくれる仲間がいることが大事だ。 万万が一沈しても、冷水を直に浴びないようなウェアも必要だろう。万万万が一沈したら、すぐに温まれる用意もしておかなくてはならない。

そんな心得を持つ呆れた仲間が増える事を、楽しみにしている。

 

コメント

904.選り取り見取りの引き出しから ― バチが当たらない海

2019年01月31日 | Weblog

今日は風も穏やかだし、絶好の海日和! と思われた日。ではあの海、プランAのあの外海へ、いざ!、と行ってみる。

確かに出発予定の浜にはそよ風が漂うが波はない。一日快適に漕げるだろう、と思ったのだが・・

「う~ん、午後から風がでるかも。すでに海面がキラキラしている(風が立ち始めると海面が揺れてキラキラ光るのです)。あのキラキラが・・」 

とケチを付ける、いやいや、慎重に思案する人がいて、プランAの海には何かあっても途中で上がれる浜がないので、と言う事で、海Aのプランはスタートの浜で却下。ならば陸のプランにと変更になり、そのスタート点に向かう道中で、

やっぱり、こんな良い天気の日に漕がないなんてバチが当たりそう・・と、AがだめならBでと急遽「海B」プランに変更。本当にいろいろな場面に合うプランがあるものだ。

と、前置きが長くなったが、風の影響が少ないプランBの海を漕ぐことになった。そんな二転三転の海を楽しんだ日の記録。

 

プランBの浜。幼稚園児のお砂遊びに持ってこいの穏やかな浜。

 

大寒とは思えない程の暖かさと明るく澄んだ海。冬の海は世間で思う程には寒くない。と言うか、思いのほか暖かい。水に手を入れて、「温かい」と感じる時もある。

今日のコースは短い距離、のんびり行こう。

 

漕ぎ行く先にはこんな大岩、小岩。うねりのある日には近づけない岩礁帯も、どこを抜けてもお構いなしの凪の海。昼前だと言うのに太陽が低い。こんなことで今が「冬」であることに気が付く。

低い崖を作る三層の色重ね。風の当たりが強いのだろうか、生えている木が一様に低い。当然と言えば当然の生え方なのだが、どこか違和感がある。初対面の人が丸刈りだと、一瞬緊張する。そんな感じに似ている崖だ。その先は緩く伸びる海水浴場。夏にはどんな賑わいがあるのだろう。

 

「びわ湖には海水浴場が一つもない」と言うと、「日本一の湖なのに、全然泳げないのか」と驚く人がいる。 いやいや、「水泳場」はたくさんあるが「海水浴場」はない。なぜなら、びわ湖は海水ではないから。 などと言う、引っかけ話はびわこ人の得意とするところだ。

遠浅の海はターコイズブルー。二漕ぎ、三漕ぎすると翡翠色。3回あくびをすればオーシャンブルー。カヤックの影を映してあくまでも澄んでいる。

早くおいでよ、と言わんばかりの砂浜が続き、ではお言葉に甘えて、とばかりに早めの昼食に上がる。

 

のどかな浜でのんびり過ごし、ではと腰を上げる頃、ちょっと風が出てきた。やはり、朝のあのキラキラが予想した風だろうか。まぁ、我(ら?)にとってたいした風ではない。

 

目指すゴールはこの岬を越えた湾の中。さすがに岬近くになると、海が波立つ。沖には白波がチラホラと立ち始めた。あと少し、あの岬を越えれば・・

と漕ぎ進めば、いつの間にか風も波も消え、また静かな海となる。そして、覚えておいでだろうか、あの白い展望台。

 

その展望台を見上げる海にある石碑。100年ほど前に起きた座礁・沈没事故の犠牲者の供養と、救助に当たった村人の努力を称えるものと言う。この石碑へは2度目。この石碑も海の語り部として存在し続けるのだろう。 海の恐ろしさや、命の脆さや、それを助ける勇気や、海への謙虚さや、あるいは戒めとして・・

今日は静かに迎えてくれた海。大岩・小岩の岩抜けを存分楽しんだ岩礁海域だった。磯の波に押されるたびにこの石碑の語る事を考える。

湾の中の岩抜けは楽しい。

 

行きつ、戻りつ、グルッと回り、スラロームして、調子に乗り過ぎて暗礁に引っかかる。おっと危ない。ちょっとボトムがガリッだか、ズリッだか言ったようだが、まぁ、気のせいと言う事にしよう。

ゴールまじかにあるこんな物。

 

以前見た時も、これは何だろうと思ったことを思い出した。そしてそれもまた調べず今日まで来たことも、思い出した。最近はこんなことが多くなった。 そんな事で自己嫌悪に陥ることもなく、前向きなカヤックは穏やかに終わった。二転三転のプランだったが、この日に絶妙のプランだった。

帰り道、ちょっと遠回りして今日の海を見に行った。

 

いつもの半分ほどの距離だったが、やっぱり、こんな日に漕がなかったらバチが当たっていただろう。 

いい海だった。いつもこんな日であってほしいものだ。

 

コメント

903.海からの日のための山 ― 峠を越えて塩の浜

2019年01月28日 | Weblog

先日、明日は風が吹くらしいと言う前日に、さて、明日の行動予定はと思案する。

人生の引き出しには大したプランは入っていないが、遊びの引き出しには、けっこう、ぎゅう詰めで各種プランが詰め込んである。海A・海B、山A・山B、探索A・探索B、狭道A・狭道B、それから、それから・・ 一つのプランを使うとすぐ次を補充するので、引き出しは常に選り取り見取りのプランが溢れている。

そんな引き出しの中から、これが良いんじゃないか、と選んでくれた人がいて、「それ、良い!」とそのプランに決まった。緩い峠を越えて、これから漕ぐ海に会いに行く。そんなプランを広げた日の記録。

 

たぶんこの道だろう、きっとそうに違いない、と歩き始めた小道。動物的直観、いや、経験に裏打ちされた確信を持つバルトさんと、赤い標識があるので間違いはない。

 

暫く行けば、これはもう立派な道だ。途中までは僅かに轍が残り、それもいつしか消えて、ハイキング道となる。海にはけっこうな風が吹いていたが、峠に向かう道はシダを揺らす風もない。

程なくしてこんな標識が見えてくる。

 

幾つかのハイキングコースの分岐点となる峠。朽ちたベンチが、めったに人が来ない道と思わせる。この峠、いろいろ調べたが正式に地図に記された名前を見いだせなかった。県の「峠一覧」にもない。通称?と思われる言い方はいくつかあったのだが、この峠に吊るされていた標識はその名前ではなかった。 小さな峠の名前、これもじっくりと調べなくてはならない事案だ。

そんな峠を下ると辺りの様相が一変する。大きく開けた平地が現れ、立派な石積みの水路もある。

 

歩いて来るには不便すぎる。船で来ても浜からは遠い。それでもこんなにしっかりと水路を作ったと言う事は、ここにそれを必要とする何かがあったと言う事。

 

更にその先には不自然なまでに平らな土地、崩れた家の跡、瓦、欠けたタイル。自然の山の雑木とは違う、植えられたような木々。かつてはここに生活があったと思わせる痕跡。敷地を囲うような古い石垣。 ここは畑があったのだろうか、それとも『平家の隠里』としてひっそり暮らす村があったのだろうか。

意外な所に田や畑を見つけたことは何度もあったが、たいていは古い街道に近かったり、船で行き来できる水辺近くだった。しかし、この開けた土地は謎がいっぱいだ。ぜひとも調べなくては。

そんな不思議な林が開けると、突然現れるこんな池。

 

これもまた名のない海跡湖。この池には魚がいるのだろうか、水鳥たちは来るのだろうか。ひっそりとした水辺。ただでさえ冬の池は殺風景だ。そんな水辺に広がる灌木の林。ハマナツメだろうか。群立と言うより、なぎ倒された有様。 その奥に、おや、あれは何かの花だろうか・・。

  

花かと思った白い物は、発砲スチロールの破片だった。いや、プラスチックの浮きやペットボトルや瓶や・・ 海岸からずいぶん奥まっているのだが、ここまで波が来たのだろう。どんな大波、どんな大風、どんな台風だったのだろう。ここは海のゴミ捨て場なのか。

 

漂着物の平原を越え海をめざす。足元からはカサカサ、パリパリ、カシャカシャ、ポキポキ、と乾いた音が聞こえる。小枝の折れる音、発砲スチロールの潰れる音、脆くなったペットボトルが砕ける音・・ 人工的な音の全くしない水辺に人が作る音が道を作る。そんな道を作った先にこんな浜が現れる。

 

大きく孤を描いて伸びる海岸。細かな砂利浜が、水面からグイとせり上がって浜になる。大海に開けた海ではよくある浜だ。打ち寄せる波が シャリシャリと歌い、ジャリジャリと騒ぎ、時にガガガー!と叫ぶ。そんな叫び声の時は波が真っ白な盛り上がる泡となって浜に攻め上がる。見るのは好きだが、絶対に近寄らない浜だ。

峠を越えてやって来たこの浜、塩竈浜。「しゅうがはま」と読むとのこと。この地方、〇〇竈 と言う地名が多いが、その字の意味やその言葉がもてはやされて使われていた時代を訪ねるのも、海辺の歴史に会えて面白い。今ではこの文字、読むことはできるが、書くことは・・・

キャンプには絶好の浜のようだ。テントにまとわりつかない細かい砂利、ロックフェスティバル開いても苦情の来ない人里離れた海辺、一晩焚火をしても尽きない流木。 

ただ、この浜に上陸するには海が穏やかな時でないと波の餌食となる。いつか、そう遠くない将来、この海を漕ぎたいのだが、その日にこの浜に上がれるだろうか。今日なら私でも上がれたかもしれないが。

その日、岸から離れて漕ぐ私に、今の内に手を振っておこう。

浜にはたくさんの足跡がある。砂浜と違って砂利浜の足跡は、「窪み」としか形を残さないのでどなたがおいでになったかわからないが、しかし、確かにこの浜はたくさんのお客人が来ているようだ。シカ、イノシシ、ウサギ、あるいは釣り人?

波音以外聞こえない浜に轟音の痕跡がある。

 

まるでブルドーザーで掘ったような跡。奥の林を流れる川から流れ出た水が掘った川床。岩と岩の狭い隙間から、山となって溢れ出た水が轟音を立てて海に突進した跡。どんなに荒々しい様だったのだろう。

瀬田の洗堰が全開すると下流の橋の辺りが逆巻く激流となる。目の前に迫るその猛々しさに興奮したくて見に行く。台風などで大きな災害が起こった時は公にはしないが、そうでない時には豪快な荒波を、瀬田川の、ひいてはびわ湖の紹介の一つとして、誰かに見せている。この海のこの川跡を作った流れを見ることはないだろうが、かつてここにあった濁流に会ってみたいと思う。どんな話を聞かせてくれるだろう。

静かな波音を聞きながら飲むコーヒーはまた格別だ。ここにチーズケーキがあれば、なんて贅沢は、言うまい。

浜を散策し、奥の林に入ってみる。 おや、先客の置き土産が。

 

クマではないだろう、たぶんシカだな。もしかしたら林の奥から彼がこちらを見ているかもしれない。「あ、いたずらがバレちゃった」とか、「オレの縄張りに入るとは、けしからんやっちゃ」とか言いながら。

そんないたずらは許せるとしても、こんな落書きは・・。

 

「H.十二.十二.二十四.〇〇」と彫られている。クリスマスの日にここに来た記念に彫ったのだろう。何の記念だったか知らないが、もしかして毎年この浜に来て木の成長を時の移ろいとして記録し、「自分史」編纂をしているのかもしれない。

18年前に、1本の筋として書いたのか、書いた時から幅のある文字として書いたのか。この木に聞いてみたかった。 もし私が50年後、100年後にまたこの木に来れるなら、この文字の幅や樹皮がどのように変わっているか確かめて、『樹木の生長と幹に彫られた傷の変化に関する一考察』なんて論文を書くのも面白い。そうなるとこの彫られた文字は落書きではなく貴重な学術資料となる。その日のために、今日、記録しておこう。

名残惜しい浜に別れを告げ、また池の畔を越えて山道に向かう。

 

こんな所にまで波が来たのだろうか。林の中には海の置き土産が散乱する。倒されたハマナツメの大木、花をつけ始めたヤブツバキ、威勢のいいいウバメガシ、赤い幹はどこかでも見たな。 おやおや、この痛々しい姿の木は何だろう。

 

これは悪戯ではないな。いや、もしかすると、いたずらで傷つけた所から病気になったものかもしれない。近寄ってみると、けっこうエグイ。何と言うか、・・・・・ 

エイリアンのハラワタ、とでも言うか・・

それも、もっともっと近づいて、鼻の頭が幹に付くほどの所で見ると、ミクロの世界の万華鏡のようで、これはこれで美しい。客観的、なんて言葉は、見る距離によって、相対的に醜にも美にもなる。浜の林で見た日付の傷跡も、悪にも善にも変身する。 葉を食い荒らす幼虫と蝶の関係にも似ている。

そんな小道を進むと、行きに通った時には気が付かなかったこんな物に気が付く。

 

小さなトレーラーだろうか、それともカート。錆びた骨組みとタイヤを曝け出すだけの姿になって、この地の変遷を記している。 いつの時代に動いていたのだろう。何を運んでいたのだろう。どんな人が操作していたのだろう。その人はどうしてここに居たのだろう。そしてどうしてここに居なくなったのだろう。黙して語らずの塊に熱くなるのは私の悪い癖のようだ。

道中シダや灌木や杉などで見通しは悪いがここからは海が見える。

 

さっき行った浜が見える。行く時に、「あんな遠くまで行くのか」と言った浜に行って、物足りなさを残してまたここに帰って来た。意外と近い浜だった。しかし私にちょうど良い峠越えだった。

海から見る日のために越えた峠。いつかあの海を漕いだ時、今ここに居る私が見えるだろうか。その日の私に、今、手を振る。 

 

いい山だった。いい浜だった。いい日だった。  さて、あの海を、いつ漕げるだろう。

 

コメント

902.初登り ― 馬と鰻

2019年01月18日 | Weblog

先日初漕ぎを済ませたばかりだが、お次は「初登り」。 登る、と言うほどの山ではないので(お山に失礼か)登ると言うより「歩く」と言う方が当たっているだろう。 そんなお山歩きをした日の記録。

山と言えばバルトさん。今年もよろしく、と後について行く。

車を降りてすぐに歩き出せば、目の前に試練の石段。高校野球部の学生なら3往復一気に行くのだろうが、こんな所で意地を張って休まず登り、心臓破裂させても周りに迷惑かける、と他人を思いやって何度か立ち止まる。

そこから先は山道の小路。かつては作業の車が通っていたのだろう、一応の舗装がしてある。そんな小道にはこんな木が。

 

柑橘系にはたくさんの種類がある。ミカン・キンカン・夏ミカン、この3つは間違えることはない。大きさがはっきり違うから。しかし最近は特大のキンカンが出て、ダイダイと見分けがつかない。丸いレモンもあり、ユズと間違える。まぁ、選別業をしている訳ではないので、今どきに緑の葉とオレンジ色の実が付く物は全て「ミカン」と言う事にする。

そのミカンの木の下にはたくさんの実が落ちているのか、捨ててあるのか、茶色の土に明るい水玉模様を作っている。そんな実を「もったいない」と思う気持ちは、貧乏性とか、いじましいとか、あるいは「日本の食糧危機にどう対応するかを問う」とか言う社会派の提言なのか。単純に「天恵食」リストに入れたいだけなのか、私にもわからない。

たわわに実った木を振り返りながら進むと、ここにもミカンがあった。

 

粉状はフスマだろうか。米やミカンが添えられ、これはイノシシの「松」のごちそうなのだろうか。今年は猪年。干支と言って、もてはやされているのは1月位で、後は害獣と呼ばれて駆除の対象となる。撃たれた姿に可哀そうと言い、牡丹鍋をおいしいと言う。命の置き所を真摯に受け止める心が問われるのだろう。

道は次第に狭く、山は急に険しくなる。

落ち葉に足を滑らし登れば、いよいよ急斜面となる。こんな急斜面を「道」とは言わないだろう。もしかしてルートを間違えたのではないだろうか。と不安になる頃、道案内のロープが見えてきた。所々に結び目があり、滑らないようにとの(たぶん)配慮がある。ありがたい。登って来た下を見れば、よくあんな急斜面を登ったものだ、と自分で感心する。

そんな斜面もだんだん開け、ここが頂上だろうか。

 

木々の合間から麓の家並が見える。息を切らした割には大した高さではない。頂上と思ったのは城跡で、山の頂上はもう少し先。今度は尾根伝いに緩く登る。その先に大岩が道を塞ぐ。

 

山の尾根、上から落ちて来た物ではない。飛ばされて来た物でもない。いったいどうやって、この尾根にあるのだろう。何百年前の地すべりで周りの土が流され、この大岩だけが残ったのだろうか。それとも・・

この大岩はどうやら頂上はすぐ先、と知らせる案内岩だったようだ。じきに大きく開けた頂上に出る。

 

五ケ所湾が一望でき、立体地図となって現れる。 あそこが「白い椅子の筏」、あそこが「ハマジンチョウの岸」、あそこに「岩の上の小便小僧」があり、あの影に「ガラス玉の宝庫」があり、満月の夜に漕いだのがあそこで、岬のお不動様がおいでになるのはあの向こう・・

漕いだ所は平面地図に書き込んでカヤックの軌跡を記録しているが、上から見ると漕いだ時の臨場感溢れる感動が蘇る。200メートル足らずの山だが登る時の労力と、登った時の眺望は、私の足と心臓に富士登山ほどの感動を与えた。

登る時に汗ばんだ背中が尾根の風で冷えてきた。そろそろ下りるとしよう。 おや、あれは何だろう。

 

かろうじて「道」と思われる筋沿いの木に白いテープが巻いてある。トレイルランのルートを示す物のようだ。端がちぎれているので、去年の物がそのまま付いているのか、それとも今年用に準備された物か。

私の好みで言えば、こういう物は、あまり好きではない。何かのイベントで目印を付けることは必要であっても、付けるなら直前に付け、それが済んだらすぐに全て撤去し、としてほしいのだが。

それとも、山の道しるべのように、常にそこに置いておくべき大切な目印なのだろうか。こんな標識のように。

 

その是非は私にはわからないが、道は更に続く。

 

「木の根道」。開けていると言えば開けている山道なのだが、毛細血管のように浮き出る根は、歩きにくい。つまづかないよう下ばかり見て歩くのでせっかくの景色を見ていられない。

そんな山道も、やれやれ、ここまで来たら後は鼻歌交じり。

 

向いの山には去年登ったが、ずいぶん上まで作業の車が入っている。あの細道を行く人は、「狭道愛好家」の師範級の腕前のようだ。私も腕を磨かねば。そんな山道を下って来ればこんな神様がおいでになる。

 

小さな祠に祀られた神様。その祠を守るかのように立つ大木。幾本もの根が岩をがっちりと掴む。「わしづかみ」と言うが、これは木の根が岩をわしづかみしている様ではないだろうか。これが自分の使命と言わんばかりに岩を放さない。

(私としては)ずいぶん歩いた。かなり腹も減った。そして今日はなぜかこんな贅沢ランチ。

 

潮の香りのする店で鰻の甘い匂い。ごちそうさまでした。

 

馬の山の風に吹かれ、鰻に舌鼓を打ち、今年の山登りも好調に始まった。贅沢続きの昨日、今日。さて明日は伊勢えびかな・・

 

コメント

901.今年の海を照らす灯台 ― 安乗崎・大王崎

2019年01月15日 | Weblog

やっと、今年の初漕ぎを果たせた。初漕ぎはびわ湖に行くことが多かったのだが、近年は海漕ぎが多くなり、結果、漕ぎ納めも初漕ぎも海が常となった。

冬に海に出る、と言うと仰天する人がいるが、冬の海は意外と暖かい。川やびわ湖でかじかんだ手で漕ぐような時季でも、海は季節の温度より2か月遅いと言うように、たいていは水温の方が暖かい。特に冬場の太平洋側は波やうねりが少なく、夏より穏やかかもしれない。

そんな冬の太平洋を漕いだ日の記録。

 

岬を2つ越え、灯台を2つ越えるには良い具合の日が来た。天気は曇りながらも暖かく、北西の軽い追い風。良い具合の海漕ぎの日だ。これで朝から日が射していたら「絶好の」と言うのだが、まぁ、この冬場でこの状況は上出来の海と言わねばならない。

出艇地に向かう途中、港の漁船がどれも日の丸や大漁旗を掲げている。まだ正月の内だから? いや、それにしても賑々しい。何やら露天の店も出ている。後でわかったのだが地元の神社の神事が行われる日だった。そうと知っていたら見たかった、と残念に思ったのは、2,3日後だった。

さてさて、と穏やかな湾にカヤックを浮かべ、そろりそろりと初漕ぎに赴く。

 

対岸の岬までは約1キロ。安乗崎と対になって「湾の始まり・湾の終わり」を作る。神社の入口には守り役の「狛犬」が立つが、岬には灯台がつきもの。しかしあの岬には灯台はあっただろうか。岩礁が多いあの海、湾を守る役は誰?が担っているのだろう。昔座礁した船の慰霊の鐘が見える。

さて、こちらの岬はこんな灯台。安乗灯台。

10年前に初めてこの海を漕いだ日に、それはそれは青い空に真っ白な灯台が眩しかった。四角い灯台があるなんてことにも驚いた。その後この灯台に上り、いつかまたこの海を漕ぐ日が来るのだろうか、と漠然と眺めていた日を思いだす。その灯台真下を、今日は漕ぐ。

冬の海は優しく迎えてくれ、思いのほかパドルが進む。しばらく行くと漁師の小船が何艘か見える。冬でも海女さんが潜っているのだろうか、と思っていた。邪魔にならないよう少し離れて漕いでいたのだが、船の人が何やら手を振っている。

こういう時、よくあるのは「邪魔だ、あっち行け!」と言って追い払うように手を振る場面。しかしその人は「おいで、おいで」と手招きの手を振る。何だろう。

 

傍に行くと、「これ、あげるわ」と無造作にカヤックに投げ入れたのはサザエ。「えっ、良いんですか、わぁ、ありがとう!」4つも頂いた。ついでに、と言っては何だが、獲っているところを写真に撮りたいんですが、とポーズもお願いした。快く受けて下さった漁師さん、ありがとうございました。サザエは夜の酒の肴となった。

少し早めの昼食に近くの浜に上がる。浜には幹の大部分が黒焦げになった丸太があった。置いてあるのか放置されているのか。誰かが焚火をしたのか、流木の処分に燃やしたのか。

 

白い浜にある黒い燃え残りは、どの浜でも思うのだが、誰かがここで火を焚き、暖まり、獣を除け、空腹を満たした。そんな見知らぬ誰かの人生の一部を垣間見るような、共有できたような、「海の同志」とつながったようで見知らぬ誰かを懐かしく思う事がある。

半面、

まっさらな無垢の浜に憧れて上がって見たら、見知らぬ誰かの生活臭(暖を取り、煮炊きをすることは「生活」と思うのだが)が投げ出されている。焦げた物は「破壊・消滅・悲惨・災害・・」そんな負の現場を思い出させる。 私が行く浜に負の遺産を残すな!、と憤る。 

そんな相反する思いを受け止めながら、幾つもの浜は燃え残った流木を受け入れている。世の中にいろいろな考え方の人がいて、いろいろな状況があり、それが良い事か悪い事か、海が決める事なのだろう。

せめて、人工的なゴミだけは残してはならない。

その燃えた丸太、生の時には一様な木肌をしている物も、燃えると鱗模様となる。なぜ細かい亀裂ができるのかと言う事は、案外と簡単な理由なのかもしれない。しかしこの模様、木が芽吹き、成長し、倒れ、この浜に流れ着き、そして炭に変化する過程で辿る木の人生(木生?)を一枚の絵にしたようで、どの燃木も見飽きない。じっくりと燃え残りの話を聞きたいものだ。

と、のんびりしてからまた漕ぎだす。

岬を越え、静かな磯を越え、小さな港を越え、長い浜を越え、振り返るとずいぶん漕いで来た。

 

遠くに見えている岬の向こうから岸伝いに漕いで来た。しかしまだ先は長い。

 

風は弱く、軽く押すうねり。一緒に漕ぐ相方さんが、「普段はこの辺りは波が荒れこんなに岩場近くまで近寄れない」と話している。今日は本当に良い日だった。少し荒れれば近づけない岩礁帯も今日は寄り放題。さてどの岩の間を行こうか。

崖の上に建つ建物。

 

時々海辺の崖の上に瀟洒なホテルやそびえるマンションが建つ。波も岩も似たり寄ったりの岸では大きな目印となり、GPS代わりになる。そうか、もうこんな所に来たのか、と。

こんな所を過ぎるとあんな物が見えてくる。

 

 

 曇り空と逆光で
 ドラマチック加工したようです

 本当は 
 とても穏やかな海でした

 

 

 

 

大王崎灯台。1年ほど前、日本一周を目指して漕ぐ青年(?)をこの岸で出迎え、灯台の上から見送った。天気の良い日で、銀色の波の粒が敷き詰められた真っ青な海を、ぐんぐん遠ざかって行った。その人に手を振って、いつか自分もこの波に浮かぼう、その日はいつになるだろう。と心待ちにしていた。

 

そしてやっとその日が来た。穏やかな海はどの岩の間もお望み通りの抜け放題。去年、この灯台の上から見下ろした海を思い起こせば、あの岩の間を通ったんだな、と自分の軌跡が見えてくる。

 

 去年、青年を見送った時の海

 今年は私がここを行く

 この下を通り、
 あの岩の間を通り

 こんなふうに、見えるのか

 

 

 

 

今年、私を迎えてくれた海は、10年前に来た時ほどには、去年見たほどには青くなかったが、それでも荒くれる岬の岩礁帯を、こんなに優しく通してくれたのだから、贅沢は言うまい。いや、感謝しか言えない。

 

去年、あの上から青年を見送って手を振っていた私に、今度はこの下からあの日の私に手を振る。

     来ましたよ、お待ちどうさまでした。

そんな岬の灯台も瞬く間に通り過ぎ、空には青さが広がってきた。抜群の透明度の海、太陽が射す磯は水晶のように透けて見える。朝からこの太陽があったなら、途中の海はどんなにきれいに見えただろうに、と晴れた太陽に愚痴が出る。

 

ゴールの浜まで後わずか。浜の多い海岸には洞窟・洞門が少ない。今回のルートでは貴重な洞門を、最後のお楽しみとしてくぐる。

 

いよいよゴールを目の前にして、何と、雪山が現れる。

 

まるで雪を被ったように白い岩。岩と言うより、小さい島だろう。その岩肌は海鳥の糞で雪山のように白い。びわ湖の「沖の白石」はその名前の由来に、(鳥の糞で)白く見えるのでその名が付いたと言われている。ここは「志摩の沖の白石」とでも名付けようか。

18キロの初漕ぎは穏やかに終わった。久しぶりに行った温泉では中国語が飛び交い、ここも又国際化の波が来ていることを実感した。

 

さて、夕食にはお待ちかねのサザエ。

 

以前、やはり志摩の海で ヒオウギガイ をトロ箱にいっぱいもらったことがある。勝手にアワビやサザエやウニやエビなどを取ると「密漁」となるので、漁師からもらった物であるのに、カヤックに売り物ともなる貝を入れていると、なぜだか後ろめたくなり、人目に付かないようにとさっと片づけた。気が小さい我らだ。

そんなサザエも網の上で泡を吹いて来ればこっちのもの。久しぶりのサザエに舌鼓を打った。

ただ、

これは、遠慮した。

 

見事に翡翠色のそれ。勾玉かと見紛うその輝き。これが旨いらしいのだが、食べ物にとやかく言う私ではないが、これは・・・

 

いい海だった。いい初漕ぎだった。灯台を2つ越え、今年のカヤックも明るいに違いない。

 

コメント