カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

983 見えなかった永遠 ― 沈はどこでするか

2022年10月06日 | Weblog

沈も楽しい」、そんな事を言っていた時分があった。 沈をするほんの1,2秒の間にいろいろな光景がスローモーションのように見えて、それは沈した人でなければ分からない楽しさだ。(と、私は思うのだが)

人が亡くなる時にこれまでの思い出が走馬灯のように次々出て来るとかいう。あの世に行った人が、「そう言えば亡くなる時にこんな光景見ましたよ」と報告しに来たのだろうか。誰かそれを確認したのだろうか。私はまだ亡くなったことはないのでその状況は何とも言い難いが、「永遠が見えた」と思える経験はしたことがある。何度かした。・・ 何度も、した。

残念ながら、「永遠」を見ることはできなかったが、久しぶりに乗り沈をした。それもみんなの前で、盛大に、しかも、大汗かいて、大恥かいて・・ 屈辱的な舟出をした、そんな日の記録。

 

たまにあることだが、川から出艇して海に出ることになった。「これは楽勝だわ」と言うメンバーは次々に乗り込み、みんなをじっくり観察していた私は最後になった。こういう所からの乗り込みは前にもやったことがある。あの要領でやればいいな。

過去の記憶と今の理論では10秒ほどで乗り込み完了となる。  過去の記憶とはこんな・・

水郷のウッドデッキ。この位の高さなら楽勝だった。友人たちに、こうやって乗ったら簡単だよ、などと偉そうに言ったものだ。それが、いつだったか、そうあれはGONNさんたちと冬にここを漕いで、このデッキから乗り込む時だった。押さえておいて、と頼んだのでちょっと気を抜いた途端、

見事にひっくり返った。みんなが見ている前で。あの沈は、ちゃんと頼んだのにちゃんと押さえていなかったGONNさんが悪い、と今も思っている。しかし、ちゃんと意識してやれば、ちゃんと乗り降りできた。

そのデッキに上がっていたある日に出会ったのが「ウッドデッキさん」だった。少し話をしてみると、何と私たちはひょんなことで知り合っていたことがわかり、二人とも驚いた。まさかあの人があなただったとは! ウッドデッキさん、元気にしているだろうか、どこを漕いでいるだろう。

 

段差がなくても川ではよく沈した。そして「永遠」を見た。これ以上修正不能となった時から完全にひっくり返るまでの1秒か2秒、その間に何かの映像が、1枚また1枚とセピア色の絵となって次々に、しかしゆっくりゆっくりと永遠に続くかと思う程に長い時間続いて現れるのだった。

私はその一瞬の間の長い時間に見る「永遠」が好きだった。だから沈は嫌いではなかった。ファルトでもリジットでも、1月でも2月でも、沈は楽しかった。流されている時には永遠は見えなかったが耳元で奏でる波音を聞かれるのも、沈した者の特権と享受した。 

しかし、今回のような川沈はいただけない。どれほどの醜態を、これでもかとメンバーに見せつけた話など、聞きたい人はいないだろう。言い訳をすれば、再乗艇できなかったのは、物理的にできない理由があったから、2度も沈したのは「熊からさん」が押さえてくれなかったから・・

その後、どんな事態になったかはいずれまた、どこぞの水辺で・・