カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

878.優しそうでイケズな海 ― 舞鶴の海と岩と石

2018年07月02日 | Weblog

記録の順番が後先になってしまったが、ちょっと前、京都の海を漕いだ。3年ぶりの舞鶴の海は優しそうな顔をして、イケズな振舞で私たちを悔しがらせた。そんな海漕ぎの日の記録。

 

3年ぶりに成生岬を目指して、懐かしい浜にカヤックを並べる。前日に漕ぐはずだったのだが風があり陸漕ぎをした次の日、今日は申し分ない海漕ぎの日とばかりに皆、気が逸る。 いざ、洞窟入り放題! とばかりに漕ぎだした。

まずはあの島の洞窟へ。

 

手前に見えるむっくりした島。貫通洞窟があり、成生岬を目指す者たちの玄関口だ。17キロ程先の沓島もはっきりと見える。覚えておいでだろうか、4年前の夏の日を、

 

 

 日の出前に漕ぎだして 
 遥か遠くの島を目指した日

 朝日を背に、

 シルエットに浮かぶカヤックが 
 とてもきれいでした


 
 

 

GONN」さんや「コーヒー牛乳」さんとあの島を目指した日の事を。手前の冠島(大島)までのつもりで漕ぎだしたのだが、その先の沓島(小島)まで漕ぎ進んだ日の事を。帰りは向かい風が強く、中々岸にたどり着けなかった日の事を。何だかんだで37キロ程を9時間かけて一度も上陸せず漕いだ日の事を。 

あの日の島々が遠くに、しかしくっきりと浮かんでいる。あの日と同じ、懐かしい光景だ。今日はあんな所までは行かない。今日は岸沿いにのんびりと洞窟・洞門へ。

 

 漕ぎだしてほどなく、「今日は絶好のべた凪だ」、と言っていたはずなのだが、おや、これはおかしい。なんで洞門内に白波が唸っているのだろう。 漕ぎを邪魔する波はなかったのだが、前日のうねりがまだ残っているようで、ここの洞窟は入るを拒まれた。残念だが、洞窟はまだたくさんある。では先へ進もう。

言っているそばからあそこにも洞門が見える

見えてはいたのだが・・。ここも先客のうねりが占領してどいてくれない。ここも諦めて次に期待する。

 

天を突くような見上げる断崖はないが、百畳敷きの巨大な洞窟もないが、それでも日本海の荒波削る岸、奇想天外な岩が続く。奇岩が続き、洞窟も続く。しかし・・

 

どれもこれも、イケズなうねりのせいで、どれとして入れる物がない。それほどに大きなうねりではないが、私の得意とする「岸すれすれ漕ぎ」もできない。海漕ぎと言うより、しょっぱいびわ湖漕ぎ、のようでちょっと残念だ。

 

小さな浜に上がって休憩する。ここも何度か上がったことがある。

 

「象の鼻」と名付けた覗き穴。これは洞門と言うには小さいが、潮が満ちていた時に通り抜けたことがある。今回は潮が引いていて、これまた通れない。ことごとくに運が悪い。岬先端まで1キロを切った辺りで、その先に岩に打ち付ける白波が見える。

 

 

残念だったがここで引き返すこととなった。今回で3回目となる大浦半島。毎回、成生岬まであと1キロ、という辺りで引き返す。人を、いや、私を寄せ付けない成生の岬だ。 行けそうに見えるのだが・・ 

岸にはいろいろな見せ場がある。私が「滑り台の岩」と呼ぶこんな岩。

 

この岩の表面がどんなふうになっているのか、上がって見てみたいと思うのだが、他のメンバーはそんな事にはとんと興味がないようだ。

 

岩と島の違いの定義で言うならこれは「島」だろうか、それとも「岩」? 遠く伊根の山々を後ろに控え、何かの目印のように立つ。

 

 

沖には岩、岸には崖、そして水辺にはこんな物。

 

この石標、覚えておいでだろうか。3年前にこの海で見つけた石標。「舞鶴要塞第三地區地帯標」と読める漢字が彫られている。その上にアルファベットのような文字があり、3年前からその意味が分からずにいたのだが、最近やっと解明した。

この石標は誰が、何のために、誰のために、立てたのだろう。戦時中、この辺りを通る漁師にだろうか。軍の施設があるから近づくなとの警告のためか。それなら別にこんな小さな石標を建てなくとも、地元民は誰でも知っていただろう。

それとも戦後、戦争と言う愚かな行為が行われた記憶を風化させないため、戒めと鎮魂のために建てたのだろうか。それなら、こんな、カヤックでしか来られない岸には立てないだろう。

あるいはこの一帯を「戦争遺産」として登録するための布石なのだろうか。意外と、全く関係ない理由で立てられたもので、これを知っている人が腹を抱えて笑っているかもしれない。

三重県の海岸線で、100メートルと空けずに「三重県」と書かれた石標の立つ辺りがある。思わず、「はいはい、そんなに何度も言わなくても、ここが北海道でも沖縄でもないことはわかりますよ」と言いたくなる。いったい何のためにあんなに何本も、わざわざ費用をかけて立てているのだろう。

たった1本の石の杭だが、時空を越えて海辺の話題をさらっている。

 

また、海にはよくあるこんな岩。

 

ありふれていて、取り立てて名前を付ける程の事はないような岩でも、縦に横に刻まれた筋を見ると、さぞ痛かっただろうと、その健気さに特別の名前を付けてあげたくなる。彼には(彼女には)どんな名前が似合うだろう。

かと思えばこんな岩もある。

 

『貴重な地層を隠すためにありふれた土をかぶせておいたのに、気が付けばその土が剥がれ落ち、「あっ、しまった、見つかってしまった!」と慌てふためいている岩』 ちょっと長すぎる名前だろうか。 こんな模様の2段構えの形状ははこの海のこの岩しか知らない。

 

荒々しい岩が続いた岸の終わり頃にはこんな長閑な浜がある。

 

やけに緑色をしている。笹濁りの緑ではない。サンゴ砂の緑でもない。どうやら藻が繁殖しているようだ。びわ湖の夏の菅浦でよく見る色だ。ペンキを流したようなグリーンはどぎつくて疲れる。それでも海からの景色、浜からの景色には長閑けさが溢れている。

そんなこんなの海を見ながら漕げば、いつの間にか元の浜に戻っていた。 

 

優しいようでいてイケズな海は、洞窟入りを許さなかったし、成生の岬は今年も私の訪問を断った。しかし3年ぶりの海は変わらずにそこにあり、時の移ろいが滞りなく存在していたことが嬉しかった。

              いつかきっと、岬の先端まで行ってみよう。 連れてってもらおう。

 



3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
舞鶴要塞第三地區地帯標について (たまや)
2020-07-04 14:27:17
「舞鶴要塞第三地區地帯標」ですが、戦前に舞鶴要塞があった時に、砲台などの周囲に設けられた様々な規制範囲を示すために立てられた標柱の1つです。横の面には標柱の番号や設置年なども刻んであるはずで、それを一度現地に行って確認してみたいのですが、差し支えなければ場所を教えて頂けますでしょうか?
石標の場所 (びわっこヨ)
2020-07-07 17:15:34
たまやさん こんにちは。 お返事遅くなりすみませんでした。

お問い合わせの場所は、これは正確な位置でないかもしれませんが、大体の場所としてお知らせします。

舞鶴市野原の成生岬への途中。
35度 35分 11秒、 135度 26分 7秒辺りだと思います。 正確ではありませんが、この石標の前方に大きな岩があったと思います。

FZ 1Z と彫られていたと思います。設置年が記されていたとは知りませんでした。ご参考までに。 
ありがとうございます (たまや)
2020-07-10 01:38:22
ありがとうございます。さすがに船でないと厳しい場所ですね。手段を検討してみます。位置からみて、成生岬の先端に大正末期から計画されていて昭和8年に建設取り止めになった成生岬砲台に関係する標柱だと思います。