記録の順番が後先になってしまったが、ちょっと前、京都の海を漕いだ。3年ぶりの舞鶴の海は優しそうな顔をして、イケズな振舞で私たちを悔しがらせた。そんな海漕ぎの日の記録。
3年ぶりに成生岬を目指して、懐かしい浜にカヤックを並べる。前日に漕ぐはずだったのだが風があり陸漕ぎをした次の日、今日は申し分ない海漕ぎの日とばかりに皆、気が逸る。 いざ、洞窟入り放題! とばかりに漕ぎだした。
まずはあの島の洞窟へ。
手前に見えるむっくりした島。貫通洞窟があり、成生岬を目指す者たちの玄関口だ。17キロ程先の沓島もはっきりと見える。覚えておいでだろうか、4年前の夏の日を、
日の出前に漕ぎだして
遥か遠くの島を目指した日
朝日を背に、
シルエットに浮かぶカヤックが
とてもきれいでした
GONN」さんや「コーヒー牛乳」さんとあの島を目指した日の事を。手前の冠島(大島)までのつもりで漕ぎだしたのだが、その先の沓島(小島)まで漕ぎ進んだ日の事を。帰りは向かい風が強く、中々岸にたどり着けなかった日の事を。何だかんだで37キロ程を9時間かけて一度も上陸せず漕いだ日の事を。
あの日の島々が遠くに、しかしくっきりと浮かんでいる。あの日と同じ、懐かしい光景だ。今日はあんな所までは行かない。今日は岸沿いにのんびりと洞窟・洞門へ。
漕ぎだしてほどなく、「今日は絶好のべた凪だ」、と言っていたはずなのだが、おや、これはおかしい。なんで洞門内に白波が唸っているのだろう。 漕ぎを邪魔する波はなかったのだが、前日のうねりがまだ残っているようで、ここの洞窟は入るを拒まれた。残念だが、洞窟はまだたくさんある。では先へ進もう。
言っているそばからあそこにも洞門が見える
見えてはいたのだが・・。ここも先客のうねりが占領してどいてくれない。ここも諦めて次に期待する。
天を突くような見上げる断崖はないが、百畳敷きの巨大な洞窟もないが、それでも日本海の荒波削る岸、奇想天外な岩が続く。奇岩が続き、洞窟も続く。しかし・・
どれもこれも、イケズなうねりのせいで、どれとして入れる物がない。それほどに大きなうねりではないが、私の得意とする「岸すれすれ漕ぎ」もできない。海漕ぎと言うより、しょっぱいびわ湖漕ぎ、のようでちょっと残念だ。
小さな浜に上がって休憩する。ここも何度か上がったことがある。
「象の鼻」と名付けた覗き穴。これは洞門と言うには小さいが、潮が満ちていた時に通り抜けたことがある。今回は潮が引いていて、これまた通れない。ことごとくに運が悪い。岬先端まで1キロを切った辺りで、その先に岩に打ち付ける白波が見える。
残念だったがここで引き返すこととなった。今回で3回目となる大浦半島。毎回、成生岬まであと1キロ、という辺りで引き返す。人を、いや、私を寄せ付けない成生の岬だ。 行けそうに見えるのだが・・
岸にはいろいろな見せ場がある。私が「滑り台の岩」と呼ぶこんな岩。
この岩の表面がどんなふうになっているのか、上がって見てみたいと思うのだが、他のメンバーはそんな事にはとんと興味がないようだ。
岩と島の違いの定義で言うならこれは「島」だろうか、それとも「岩」? 遠く伊根の山々を後ろに控え、何かの目印のように立つ。
沖には岩、岸には崖、そして水辺にはこんな物。
この石標、覚えておいでだろうか。3年前にこの海で見つけた石標。「舞鶴要塞第三地區地帯標」と読める漢字が彫られている。その上にアルファベットのような文字があり、3年前からその意味が分からずにいたのだが、最近やっと解明した。
この石標は誰が、何のために、誰のために、立てたのだろう。戦時中、この辺りを通る漁師にだろうか。軍の施設があるから近づくなとの警告のためか。それなら別にこんな小さな石標を建てなくとも、地元民は誰でも知っていただろう。
それとも戦後、戦争と言う愚かな行為が行われた記憶を風化させないため、戒めと鎮魂のために建てたのだろうか。それなら、こんな、カヤックでしか来られない岸には立てないだろう。
あるいはこの一帯を「戦争遺産」として登録するための布石なのだろうか。意外と、全く関係ない理由で立てられたもので、これを知っている人が腹を抱えて笑っているかもしれない。
三重県の海岸線で、100メートルと空けずに「三重県」と書かれた石標の立つ辺りがある。思わず、「はいはい、そんなに何度も言わなくても、ここが北海道でも沖縄でもないことはわかりますよ」と言いたくなる。いったい何のためにあんなに何本も、わざわざ費用をかけて立てているのだろう。
たった1本の石の杭だが、時空を越えて海辺の話題をさらっている。
また、海にはよくあるこんな岩。
ありふれていて、取り立てて名前を付ける程の事はないような岩でも、縦に横に刻まれた筋を見ると、さぞ痛かっただろうと、その健気さに特別の名前を付けてあげたくなる。彼には(彼女には)どんな名前が似合うだろう。
かと思えばこんな岩もある。
『貴重な地層を隠すためにありふれた土をかぶせておいたのに、気が付けばその土が剥がれ落ち、「あっ、しまった、見つかってしまった!」と慌てふためいている岩』 ちょっと長すぎる名前だろうか。 こんな模様の2段構えの形状ははこの海のこの岩しか知らない。
荒々しい岩が続いた岸の終わり頃にはこんな長閑な浜がある。
やけに緑色をしている。笹濁りの緑ではない。サンゴ砂の緑でもない。どうやら藻が繁殖しているようだ。びわ湖の夏の菅浦でよく見る色だ。ペンキを流したようなグリーンはどぎつくて疲れる。それでも海からの景色、浜からの景色には長閑けさが溢れている。
そんなこんなの海を見ながら漕げば、いつの間にか元の浜に戻っていた。
優しいようでいてイケズな海は、洞窟入りを許さなかったし、成生の岬は今年も私の訪問を断った。しかし3年ぶりの海は変わらずにそこにあり、時の移ろいが滞りなく存在していたことが嬉しかった。
いつかきっと、岬の先端まで行ってみよう。 連れてってもらおう。
お問い合わせの場所は、これは正確な位置でないかもしれませんが、大体の場所としてお知らせします。
舞鶴市野原の成生岬への途中。
35度 35分 11秒、 135度 26分 7秒辺りだと思います。 正確ではありませんが、この石標の前方に大きな岩があったと思います。
FZ 1Z と彫られていたと思います。設置年が記されていたとは知りませんでした。ご参考までに。