カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

963.次の春 ― 水郷も新気分

2021年04月13日 | Weblog

物事は立て続けに起きることがある。給食にカレーが出た日、夕食もカレーだったり。お隣さんから大根もらった日に、お向かいさんからももらったり。ずっと買うのを迷っていスカーフを、自分への誕生日プレゼントにと買ったら、友人からももらったり。去年はとうとう水郷漕ぎをしなかったのに、今年は2週間で2度漕いだり・・

しかし、同じ様でいても、その場所・その時・その相手によって、全く新しい出来事になる。そんな新しい出来事に出会った水郷漕ぎに出かけた日の記録。

 

いつの頃からか知り合いになった人と、今度会おう、水郷で会おう、と言ったのが去年の春。言ってはいたが、世の中の禍のため、とうとう会えなかった。そして今年、念願のご対面となった。どんな人かと言うと、

まぁ、それを言うと話が長くなる。メンバーがそろそろ漕ぎ出すようなので話の続きは日を改めてしよう。

今回のメンバーは10人以上。私としてはこんな大所帯は何年ぶりか。ちょっと肩をすぼめて末席にお邪魔しよう。水郷は大体の事はわかる。先日も水郷漕ぎをすると言う人に、今までの写真を添えて解説書を送った。私の文章でわかってくれたかどうかは責任持てないが、今の時季なら、つまり、ヨシが刈られ見通しの良い今の時季なら、多少迷っても遭難することはないだろう。ヨシが茂った時でも、水郷で遭難した話は聞かない。

このところ暖かい日が続いたが、今朝は霜注意報が出た町もある。晴れてはいるが北風が冷たい。びわ湖は白波が立っているだろうが、水郷はこの位の風は全く問題ない。ではでは、漕ぎだそう。

お馴染みの桜水路。

2週間前に来た時は遠慮がちに咲く桜だったが、今日は「おいとまします」の桜だった。その代わりにと菜の花が出迎えてくれる。あの花もこの花も、こちらの都合の良い日に揃って咲いてくれることは、難しい。パンフレットの花たちはきっと「加工屋」さんが咲かせているのだろう。

木々は僅かな時間の間にもぐんぐん色を増してきた。淡い緑葉や赤い新芽。枯れ枝が復活していく新しい色だ。もうじき、葉が茂り、壁のように視界を遮るだろう。それもまた良し。

何という木だろう。2週間前から咲いている。不潔な水ではないが、水郷の水は濁っている。そのくすんだ水に鮮やかに写る花だ。青空にもよく映える(「バエル」とは言わないでほしい)

そうそうこの辺り、桑の木があったはず。初夏に紫色の実を摘んだ。手を伸ばしてバランスを崩し、危うく沈するところだった。甘酸っぱい実を食べた後で、「実には蛾の鱗粉が付いていることがあるので、よく洗ってから食べること」と言う注意を知ったが、あれから何年も経つがそれらしい病気にはなっていない。

龍神様にもご挨拶。今回は大勢でのツーリングだったのでお社前でのお参りはしなかった。先日の100円はまだあっただろうか。カヤックからは見えなかったが、龍神様、世のためにお使いください。

ヨシ焼が終わりしばらくし、焼けた匂いも薄れて代わりにほんのり赤い新芽の先が頭を出している。

今はまだ見通しが良いので初めての人でも方向も自分の位置もわかるだろうが、ヨシが伸び大きな壁となって立ちふさがると、まさしく迷路となる。まっすぐ行けばどこかの岸には着くし、運よく屋形舟に出会ったら、船頭さんの後について行けば、とりあえず何とかなる。

風が冷たかったが日差しは春。見上げる木の幼い葉を透かして太陽が眩しい。大きく葉を広げ、大空を全くに遮る日も遠くないだろう。

桜が終わったからだろうか、屋形舟が少ない。以前は桜の時以外でもたくさんの舟を見かけたが、今は観光バスでの団体客が来ないせいか、めっきり少なくなった。私は、観光客の多い所は、どうも、好きではない。

大きく開けた水路の中にこんな木がある。「恋人の木」

初めて見たのは8年前。この木を覚えておいでの方もおいでだろう。なぜ「恋人の木」なのか。それは、初めて見た時、2本の木はもっと肩を寄せ合い、互いの腕を絡ませ、寄り添っているようだったので、そう、名付けた。

あれから8年が経ち、けんか別れをしたのか、お互い自立した別々の道を見出したのか。人生には、いや、木生にもいろいろあるのだろう。

この木の足元は石で囲われ、小島が保護されている。何か深い訳があって、わざわざ守られているのだろうか。この島を見るといつも「沖ノ鳥島」を思い出す。巨額の費用をかけて守っている沖ノ鳥島には日本にとって大きな意味がある。恋人の木の島にどれほどの意味があるのかわからないが、それでもそれなりの費用と労力をかけ、この木を、この小島を守っているには、何か意味があるのだろう。見たことのない沖ノ鳥島を思い起こさせる場所だ。

こんな木もある。ウワミズザクラ。

特徴のある花。水郷では珍しい、私が知る限りではここだけだ。実は食べられると言う、今度採りに来よう。

水郷には枝くぐりができる木は少ない。その数少ない枝があればこれはもう、くぐらねば。

どの辺りまでくぐれるか、頭をぶつけないぎりぎりまでそばに行く。今はまだ毛虫がいないので安心してくぐれる。そうそう、毛虫はいなかったが、蛇が泳いでいた。鎌首を上げ威嚇して来たが、カヤックの大きさに圧倒されたのか、そそくさと逃げて行った。メンバーが大勢いたので怖くはなかったが、1人、2人の時に出会ったら、怖くて身動きできなかっただろう。水郷で蛇に会ったのは初めてだった。金運が向いてくる兆しだろうか。だと良いのだが。

この辺りはヨシの伸びが早い。もうじきヨシの高い壁がそびえ、ヨシキリのうるさいまでのさえずりが聞こえるだろう。「迷子になりたい衝動」がふつふつと湧くのもこの辺りだ。

ヨシの迷路からぐるりと回って、あのヨシの向こうは西の湖。今回は風があったので西の湖を漕ぐ事はしなかったが、西の湖のヨシ原に潜り込むのも面白い。突っ込みすぎて抜け出せなくなり、焦るのもまた、ヨシ原の醍醐味。 

早く遠くへ行くことが目的ならば、モーターボートに乗ればいいし、筋肉の限界を知りたいならばトレーニングマシンに乗ればいい。カヤックに乗る理由と言うのは、カヤックでしか行かれない所、できないことを楽しむことだと思っている。例えば、枝くぐりとか、岩抜けだとか、ヨシ原に突っ込むだとか・・

西の湖と水郷の境にこんな木がある。「双子の木」

何年か前、初めてこの木を見たのは細い枝がレース模様に空が透けて見える時だった。右と左と同じように傾いて、その仕草が双子のように見えた。 その後、葉が出始めた頃に見ると明らかに葉が違う。どうも「双子」ではないらしい。いとこだったのか、それとも「二卵性双生児」だったかもしれない。いずれにしてもどちらも元気に育っている。西の湖の良い歴史を作る木たちだ。

味気ないカフェオレ色のヨシ原に、ほんのり明るく光る一角がある。ノウルシの群生。

黄色く見えるのは、本来の花ではないが、面倒なので「ノウルシの花」と言っている。菜の花の優しさとも、ヒマワリの力強さとも違う、儚い黄色。寝ぼけ眼のヨシ原にちょうど良い柔らかさだ。

そしてお馴染みのここ。2週間前には薄紅色の桜が盛り上がっていたが、もう新緑の公園となっている。時は、桜は、木々は、静かにしかし着実に動いていた。

このウッドデッキには苦い思い出がある。ずいぶん前の寒い時期、めったに大勢では漕がない私だが、その日は知っている人、知らない人、大勢で漕いだ。そしてこのデッキから上がり、乗り込む時に不覚にも、乗り沈した。沈は恥ずかしい事ではないが、一番見られたくない人に見られてしまい、今も悔しい思いがしている。水郷の、お気に入りの場所だが、苦い場所でもある。 そうそう、「ウッドデッキさん」と出会ったのは、うれしい出来事だった。やっぱり、うれしい思い出のウッドデッキだ。

そんなこんな、いろいろな思い出を振り返る水郷漕ぎ。念願の友人とも会えたし、わずかな間に「初めの春」から「次の春」へ、水郷も新しい気分になったようだ。