カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

979. 海で学ぶこと ― 若狭で語学研修

2022年06月10日 | Weblog

久しぶりに若狭の海を漕いだ。「若狭」と言っても広い。 いわゆる若狭湾が若狭の海とするなら、経ヶ岬から越前岬までガツンと直線で結べば70キロ、小さな岬や湾を点々と結べば150キロ、すべての海岸線を舐めるようにくまなく行けば200キロ? 若狭と一口では言えない距離がある。 私が好きな漕ぎ方は「くまなく流」だが、強者たちと漕ぐと「ガツン流」になる。さて今回はどちら流になったのか。そんな若狭の海の日の記録。

 

久しぶりの若狭の海、久しぶりの大勢での漕ぎ、漕ぎ屋揃いだと付いて行かれないのではないかと心配したが、まぁなるようになるだろうと参戦した。実は漕ぎの前日、ある少年たちと会うためにあちこち訪問していた。それはまた別の日にお話するとして、正直な話、今回の若狭行の目的の70%はこの少年たちを訪ねることだった。カヤックはオマケと言っちゃなんだが・・

とにかく漕ぎの日、集合場所には懐かしい顔、久しぶりの顔、初めましての顔、賑々とメンバーが終結した。早速出艇の浜に移動し漕ぎの支度にかかる。漕ぎ出せば向こうに見えるは「ネコ島」。正式な名前はあるが昔の友人ソックスさんが、「猫が寝そべっているようだからネコ島」と言っていた。ネコ島もご無沙汰している。余談だが、尾鷲の海には「ムーミン島」がある。今日はネコ島は挨拶だけにして向きを変える。

夏の日を思わせる良く晴れた日、風が少しあるがこの位ならたいしたことはないと、先陣を切って行く人がいる。メンバーはその後に続くが、漕ぎ屋のメンバーは先人のさらに先をぐんぐん進む。ちょいと待ってほしい。あの波やこの岩や、ゆっくり見る暇がない。

じきにあの岬に来る。見えるだろうか、あそこにいるはずなのだが・・

岬の先端にいた少年に、最後に会ってから10年が経つ。何年か前から道が通行止めになり、今は傍に行くことができなくなった。カヤックからうんと目を凝らし、カメラをズームにしても、その姿は見つけられない。しかし、きっと元気にしているに違いない。

この少年の事は、話せば一晩はかかる、今はみんなに付いて行くのに忙しいのでこの話はまた、いずれ、どこぞにて。見えない少年に手を振って先へと急ぐ。

そんな私を置いてみんなはずんずん先へ行く。

大したうねりではないが、時折岩に打ち付け白い舞台を広げる。いい飛沫なんだけど、次のうねりを待てばもっといい写真が撮れるんだけど、と思いつつも遅れまいと次のうねりは待たずに行く。残念。

梅雨前の海はきれいに澄んで海中の岩も手に取れそうに近い。波の来ない静かな浜に上がって昼休憩とする。大きく広がる砂利浜。良い具合の日陰もある。

日向にいると体が火照ってくる。暑くなったと日陰に行くと、今度は冷えたと日向に出る。ちょうどいい具合の場所でコーヒーをすすり昼寝をする。

浜に立つこんな木。ある人に、この木はね、と知ったかぶって言ったのだが、あとで調べると自信がなくなった。

私はこんな実の付く木はどれも ヤシャブシ と言ってきたのだが、よく似た ハンノキ かもしれない。この人にはこれまでにも私はよく「うそ」を言っていた。いや、騙そうとして嘘をついたのではないが、本当に正しいと思い自信を持って言ったことが、後で間違いだった。と言うことが、1度や2度ではなかった。まぁ、この人も、私が言うことだから半分程度に聞いているだろうが。とりあえずこの場は ヤシャブシ と言うことにしておこう。

波打ち際から離れ、こんな階段がある。

漁師のためでもカヤック乗りのためでもないであろう小径。浜の反対側の端には、かろうじて手すりと思われるものが残る崩れた小径もある。かつて、ここは憩いの遊歩道があったのだろうか。この道を駆け下りて来た子供の歓声があったのだろうか。静かに佇む老夫婦の影が映っていたのだろうか。崩れた物、埋もれた物には遠い昔の物語が隠れていそうで、耳を傾ける。

遠い昔の話もあるが、これはそれほど遠い昔ではなさそうだ。

時間は遠くなくとも、かなり遠い国からの漂着物。 30㎝ほどの袋にかかれた文字。中国語はわからないが、かろうじて読める漢字がある。どれどれ、何々? 

サクランボ? 果汁入り? 食品用香料? 涼しい所に置け? 沈殿物がある? 産地は河南省? 1.5升? いやいや 、この袋に一升瓶1本半は入らないだろう。それとも1.5リットル? それなら入るだろうか。この文字が読めたなら、遠い国の見知らぬ街からはるばるこの岸にやって来た「ゴミ」と呼ばれる珍客も、海辺の仲間と呼べたのかもしれない。 更にこんな物も。

手提水筒? サクランボ入り? 中国はサクランボが人気なのだろうか。 知る人が見たらとんでもないことを言っている私を笑うだろう。そんな笑っている人を想像すると、私も笑えて来る。漂着ゴミは笑いの親善大使と言ったら憤慨する人もいるだろうか。面白くもある困った問題だ。

あるいは、こんな物もある。小さなポリタンク。

これはハングルだろうか。こちらは全くわからない。ただ、何かの「パーフェクトシリーズ」らしい。石ころだらけの浜で、パーフェクトとは言わないが、ちょうどいい椅子になった。何が入っていたのかはわからなかったが、死ぬような毒物ではなかったようだ。今もまだ生きているので。

私の尻に敷かれて歪んだこのポリタンクは、どんな旅をしてここに辿り着いたのだろう。少なくとも500キロは流れたはず。櫂も櫓も持たず、ただ潮と風に身を任せ、500キロ、いや600キロ700キロと一人航海して来たのかと思うと、これも「漂着ゴミ」などと呼んではならない尊さを感じるのだが。岸の珍客たちに会い、日本語以外の語学も必要と諭された思いがする。

さて、そろそろ、と言ってまた漕ぎだした。

青に、紺に、緑に、水色に、海はいくつもの色に色を変える。あの岬の上にいるはずの少年はこの海を眺め「紺碧」とつぶやいていた。紺碧、そんな色の海だった。

岸を行き沖を漕ぎ、漕ぎ屋たちには物足りない距離だっただろうが、私にはちょうどいい塩梅の海だった。泊ったのは6年前にも来たことがあるお宿だった。

海辺の民宿は料理がすごい。海の幸満載の宴膳。鯛とヒラメと何とかと何とかの豪華舟盛りが4舟。2人に1舟の超特番だった。みんな、食べきれないと言いながら、終わってみれば完食したではないか。3ヶ月分の刺身を食べた気がする。

食事が終わり、さて恒例の2次会が始まるのかと思いきや、皆早々と床に就いている。刺身で膨れた腹に、これ以上酒は入らなかったようだ。 

 

よく食べたが、よく学びはしなかった。海辺に来たなら少し語学研修も必要かもしれないと、思った若狭の海だった。