カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

959.久々ぶりのブログ ― 近況まとめて報告の巻

2021年02月19日 | Weblog

ずいぶん長い間留守にしていた。いや、家ではなく、このブログ。

風邪で寝込んだ訳でもなく、闘病生活を送っていた訳でもなく、あちらの世界に旅立った訳でもなく・・

自粛と気落ちと寒さとで漕ぎをしなかったため、「カヤックと過ごす」の報告ができなかった。4,5年前までは、カヤック以外の事も書いていたが最近はカヤックしか書かなかったこともあり、ずいぶん長い留守にしてしまった。

何かと我が身を案じてくださる方もおいでになるようなので、とりあえずの報告しなければと、最近の事など、思い出した事をまとめて書き始める。ではでは、まずはこんな挨拶から。

 

・「明けまして おめでとうございます」
  カヤックと過ごす非日常 の皆様、明けまして おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 「来年の事を言うと鬼が笑う」と言うが節分も過ぎ、鬼も居なくなったことだし、では言おう。来年は松の内に新年のご挨拶をしよう。

・「鬼がまだいた頃」 

正月三が日は静かに過ぎた。昨年から鬼の話題で盛り上がっているが、流行に乗り遅れてはと探したがなかなか手に入らい。1冊500円もしないはずなのに10巻だけ買うと1万円程する。計算が合わない。結局全23巻借りた。ついつい引き込まれ、一気に読むと目はショボショボするし、頭はクラクラするし、肩はグリグリするし、首はジンジンした。『カラマーゾフの兄弟』を読んだ後のような熱っぽい疲れに襲われた。それでも無事読破。久しぶりの大作読書だった。

・「初詣」

密を避け、初詣は七草の頃に行った。神も仏も信心深くない私は、「困った時の神頼み」に重宝する神仏がいれば、何の神様、どこの仏様でも寛容に受け入れる。で、今年は多賀の神様に今年の願いを頼みに行った。平日だったこともあり、駐車場はすぐに入れたし、参拝もゆっくりできた。蕎麦を食べ、おやつにはこれ、「糸切り餅」。各地の名物のその由来を知るのも土産となる。

・「思い出のお宿」

水郷の枯れヨシを見に行った帰り、久しぶりにこの店に寄った。20年位前、ここに泊まって水郷を漕いだことがある。その時にすでに、かなり古い建物だと思ったが、あれから20年程経ち、更に増した古さが洒落た喫茶店を引き立てている。目立つ場所ではないがなかなかの人気の店で、客が大勢いて諦めて入らなかったことが何回かあった。ハイカラなメニューの名前が言えなくて、「これ、1つ」と、メニュー表を指さした。春になったら久しぶりにまたここに泊まってみよう。

・「訂正の岸」

1月の末に、びわ湖にはもう春が来ていた。遠くの山には雪が残っている、と言うか、雪はこれからが本番だと言う時季に、毎年春を急かすように カンザキハナナ の黄色い絨毯が広がる。湖岸堤を下りるとそこは『訂正の岸』。

    人に卑怯にならず、自分に臆病にならず
    人に誠実であり、自分に正直であれ

そんなことを思い出させる岸がある。私のびわ湖一周に、大きな存在を示す岸。初夏のキショウブ、夏のヒマワリ。黄色が良く似合う、お気に入りの場所だ。

・「春待ちの湖水」

暇に任せて、と言う訳ではない。びわ湖のパトロールも重要な任務と心得ている私は、暇さえあれば、いや、時間を作ってパトロールに出る。2,3日前の雪もとけ、水辺の木杭はどうしているかと訪ねた日。

この杭の内側を、カヤックの底を擦りそうで擦らない水位を楽しみ、あの杭の間を縫うようにすり抜けられるか技を磨く。これも又やらなくては。岸の木杭良好。

・「紅葉のないもみじ池」

湖岸から少し山に入るとこんな池がある。湖岸の雪はとけていたが、山道に入るとシャーベット状の雪がタイヤの跡を作る。小さな池だが新緑の頃には林が盛り上がり、紅葉の頃には池が燃える。今は通れないが風情のある橋がこの池をフォトスポットとして有名にしている。真っ白な雪帽子がこんもり被る日には、多くのカメラマンがここに来るようだが、そんな日には私は車でここまで来れない。この池は漕いだことはないが、カヤック禁止とも書いてない。漕いでみたいような、しかし、神聖な場所として入ってはならないような。まぁ、漕がない方が大人の対応と言えるようだ。

・「桜待ちの岸」

小さな川が流れる岸に、小さな砂州ができている。内側は大きな水溜まり程なのだが、もう少し広いと「びわ湖のウユニ」と言えなくもない光景となる。今は枯れたヨシと芽吹き前の小枝の殺風景な色合いだが、あと二月もすれば、桜の薄紅色、ハマダイコンの薄紫色、タンポポやすみれが色を競い、パステル調のグラデーションが安らぎの岸を作る。ここも自慢の岸の一つだ。

・「ザゼンソウ」

2月の初め頃、もう咲き出した、と言う情報があったので行ってみた。確かに咲き出してはいたが、やっと外套を脱いだばかりで座禅の足も痛たそうだった。あれから2週間経ち、今はふっくらと膨らんでいるだろうか。積もった雪の中に、丸く雪を溶かして陣を作り、瞑想にふける。そんな禅僧の姿を思い浮かべる。

・「蕎麦」


蕎麦が植えられるのは痩せた土地と言うが、良い蕎麦を育てるにはそれなりの世話が要るだろう。近江の国は蕎麦の産地が幾つかあるが、どこの蕎麦も美味い。その中でもここの蕎麦は冬季限定で、今のうちに行かないと今年の蕎麦は食べられない。私はとろろかおろし。今回はとろろでこの冬の蕎麦を楽しんだ。

・「薪ストーブ」

蕎麦も良いが、この店のカレーも良い。気取らない、ノスタルジックと言う言葉が合いそうな店内。岸辺に近く、カヤック漕いでカレーを食べに来たことがある。薪の炎は眠気を誘う。居座って本を読んでいても、追い出されはしないだろう。

・「ウサギの木」

お馴染みのこの木。今やびわ湖のアイドル的な木となったが、この木を世に広めたのは私ではないかと、密かに思っているのだが・・。 初めてこの木を知ってから14年経つ。白兎が跳ねまくっていたこの岸からB-Ⅰシリーズで漕ぎ出した。この日は水位が上がって木杭は頭にできたカサブタ程しか見えなかったが、水位が下がったらあの杭の間を通り抜けて行こう。

・「ケンナの木」

なぜケンナかと言うと、話せば長くなるが「ウッドデッキさん」を思い出す木だ。詳しい事はいずれまた。この木にも、晴れの日、風の日、雪の日、いろいろな日に漕いだ思い出がある。この木も14年前に出会った。漕がなくとも何度かご機嫌伺に行ったが、びわ湖の風雨がその姿を変えていく。下の写真は10年前の同じ時季の木。

10年経ち、枝ぶりが大きくなったように見えるが、実際は折れた枝が垂れ下がり下方に枝が伸びたように見える。一方で、細い枝が折れ、やけに風通しが良くなった。痛めつけられそれでも強く立ち、次第に影を小さくし、いずれの日にか倒れる。水辺の木は根こそぎ倒れても、なお何年も生き続ける。 この木もそんな人生「木生」を送るのだろうか。どこまでお付き合いできるだろう。

・「比良雪景色」

良く晴れた日に、「ビワガメ」がどうしているか会いに行った。行ったのだが水位が上がり、彼(彼女?)はすっぽり湖中に沈んでいた。まぁ、きっと元気にしているだろう。また今度行こう。 岸の桜はまだ蕾を閉じ、対岸の比良山系も白く光っていた。白、と言えばアヒルたちも青いびわ湖のアクセントに一役買っていた。営業一課の優秀なスタッフだ(ろうか)。

以前、ここにヨットが停泊していた。使っている物だったのか、オブジェとして係留していたのか、今でいう「映え」な光景だった。(写真中の楕円形の黒い影はUFOではありません。修正が面倒だったので・・) ここの店ではいつも シフォンケーキとコーヒー。今の時季は屋外のデッキは寒いが薪ストーブが嬉しい。

・「三上山遠望」

びわ湖の風をもろに受けるこの辺りはよく白波が立つ。ここの波を見て、「ここがこの位ならあそこはあんなだろう」と、波状況を知る場所だ。気象協会の風予報なんかよりよっぽど信頼できる。この日は結構白波が立っていた。ウサギの木の岸はウサギ飛びまくりだろうな。 

私はフツーのデジカメをズームにすることはあるが、望遠レンズなんぞは持っていない。時々、観光案内のパンフレットにある写真を見て、これは嘘だ、と思うことがある。この場所からあの山を見ても、絶対こんな近くには見えない。ない! 存在しない!! あの写真のあの景色を見たいと思って来た人は、どんなにがっかりするだろう。 雨晴海岸から見た立山とか、牛着岩から見た富士山とか、西の湖から見た伊吹山とか・・望遠レンズは遠くのものを(必要以上に)近くに見せる。あれはマヤカシだ。本当の、人の目で見える光景を見せるべきだと、思うのだが・・ 

そんなボヤキを言いながら、この場所からあの三上山は、こんなに大きくは見えない。

 

そんなこんなのびわ湖パトロールをしたこのひと月だった。さてさて、いつ漕ぎに出ようか。