カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

970. お久しぶりの海 ― そんなに長い、そんなに短い時間

2021年10月14日 | Weblog

久しぶりに、カヤックに行った。海へ行くのは10か月ぶり。そんなに長い時間だったのか、いや、そんなに短い時間だったのか、判然としな時間が過ぎた。長く続いた外出自粛、県境越自粛・・ びわ湖を漕ぐには何の問題もなかったのだが、びわ湖のメンバーは皆、何だかんだと理屈をこねて、パドルを握らなかった。そんな日々も今は昔。まだまだ世の中が完全復活した訳ではないがそろりそろりと動き出し、臆病者の私もそろりそろりと漕ぎ出した。そんな日の記録。 

 

久しぶりのカヤックは、海。春にびわ湖や水郷は漕いだが、海へ出るのは去年の暮以来。ちょうどKWシリーズが最終回を迎えた日以来だ。今思うと、KWシリーズは絶妙なタイミングで終了することができた。何年もかけて続けてきた大きなシリーズが終わったこともあり、何が何でも漕がなければと気負うこともなく、世の中の動きに合わせて来れば、気が付けば10か月ぶりの海だった。

今回は久しぶりの事もあり「リハビリ漕ぎ」的な緩い漕ぎとした。メンバーは3人。「お久しぶりです」の人と、「初めましての人」。どちら様もお手柔らかにお願いします、と漕ぎ出した。

久しぶりの出艇地。使いやすい浜だが一時はカヤック禁止となったことがある。すったもんだ、紆余曲折があったようだが、利用できるように尽力してくれた人(人達?)のおかげで、またここを利用することができるようになった。ありがたいことだ。改めてお礼を申し上げる。ありがとうございました。

と海に頭を下げ、いざ出発。 海の温度は陸より2ヶ月遅いと言う。毎年10月でも海はまだ暖かいが、それにしても今日は汗ばむ程の暖かさ。良く晴れ、風もない。絶好の漕ぎ日和だ。まずはあの橋を目指す。

大きな海からすれば小さな湾だが、小さなカヤックからすれば大きな湾だ。小さな半島を越え、この湾を渡り、2キロ程漕ぐとこんな橋に来る。この橋も久しぶり、5年ぶりだ。すぐ隣にある橋と一緒に「親子橋」と言うようだ。まずはお子さん橋へ。

隣の親御さん橋の方が幅が広く通りやすいと思うのだが、なぜか漁船はこの狭い方の橋を行き来する。きっとそれにも意味があるのだろ。疑問で終わらせずに、地元漁師や漁協関係者などに話を聞いたりすると、そこから海の知り合いが広がり、この海に関する意外な情報などが得られるのだろう。それをする人はますます自立し、しない私はますます他力本願の道を行く。まぁ、それも良しの人生を行こう。

漁船のお通りを待つ。今更こんな事を言うのは何だが・・ 「引き波」と言うが、引っ張られると言うより押される。絶対に前から押し寄せて来る。頭で理解する言葉の理屈と実体験とが一致しない最も顕著な現象だ。 何回。何十回経験しても、引き波には押される。一度「引き波」に引っ張られる感覚を体験したい。漕がずに前へ進むのだろうか。

なんてことを考えていると引き波にやられてひっくり返る。しっかりと迎え撃たなければ。

橋をくぐれば大きな池のように穏やかな海。こんな廃屋があるのはかつての養殖の海だった所、海が穏やかと言う証。

ここにどんな船が着いたのだろう。何を揚げていたのだろう。なぜ寂れたのだろう。どの廃屋も、遠い昔の繁栄と衰退の歴史を秘めている。ここをカヤックで通り過ぎる僅かな時間は、朽ちた建物にとっては瞬きする間もない程の時間なのだろう。ゆっくり話を聞きたいものだ。

以前KWシリーズの時にこの湾内をぐるりと回った。人の暮らしと過ぎ去った日の匂いが入り混じった、不思議な海だった。今回は奥へは行かず、早速に次の橋へと向きを変える。

荒々しい磯のように見えていて、広い湾の中、しかも今日は風もない。磯の釣り人も気楽に岩に上がれるだろう。岬を回ると次の橋が見えてきた。お子さん橋より大きい親御さんの橋。二つの橋にはそれぞれ地図に乗る正式な名称があるのだが、「親子橋」と言うのだから、お子さんと親御さんの橋に違いない。

この橋を素通りして先へ行ったこともあったが、くぐるのは5年ぶり。もうそんなに経つのか。

橋の下はいつも不思議な風が吹く。物理学的に言えば、不思議でも何でもなく解説できることなのだろうが、橋、という究極に狭められた距離を通り抜ける時の空気の圧力を、「何とも不思議な風」と思いたいし、そう言う人を友としたい。 

通り過ぎて振り返ると、同じ橋でも別の顔。太陽が当たり、赤が眩しい。

漕ぎ進むと上がるにいい塩梅の浜が見えて来る。ではあそこでランチとするか。

今日はお手軽コンビニ寿司と魚肉ソーセージ。デザートは頂き物の栗きんとん。覚えておいでだろうか、いつだったか、青空があんまりきれいで、写真を撮ろうとソーセージを空にかざしていたら、突然目の前を黒い疾風が飛び去り、気が付けば持っていたソーセージが消えていた事件の事。私はソーセージの写真を撮ろうと空にかざしたのだが、トンビには「はい、どーぞ!」と差し出したと見えたようだ。 このお手軽ソーセージを食べるたびに、そんな昔話を思い出す。

磯の潮だまりには一時としてとどまらない光の網が張られる。その網に捕まった貝。もう逃げられない。じっとなされるままに光の網に絡まっていた。

小さな浜。すぐ近くには堤防や港や漁船の行き来も見えるが、プライベートビーチに登録したいきれいな浜だ。後ろの森には石積みの跡があった。かつてはこの浜にも人の暮らしがあったのだろう。緩くコーヒータイムを楽しんで、またぼちと漕ぎに出る。水路を入ると大きな池のような閉ざされた海。そこに浮かぶ弁天様のお社。

鮮やかな赤色は5年前に来た時と変わらない。今も大切に守られているのだろう。隣の湾にもこんな弁天島があった。その弁天様には今回は行かなかったが、お変わりなくお過ごしだろうか。こちらの弁天様には、カヤックから失礼します。と手だけ合わせた。

まだ時間は早いが秋の太陽は帰りの準備が早い。私たちも元来た浜へ舟を向けた。

湾を渡りながら振り返るとあの「親子橋」。誰かが、もっと近づいていれば「めおと橋」と言うんだろうけどね。と言った。なるほど、と頷く。よく見ると橋と橋の間の島に東屋のような展望台が1つ。そしてその向こうの山の中腹には三角の展望台もある。

それら2つの展望台も、やっとこさ探して行ったことがある。ずいぶん前のこととなった。目を凝らしてやっと見つかる展望台が懐かしい。そうこうする内に元の浜が見えて来る。

ささやかな風が海面を揺らし午後の陽光が煌めく海を作り出す。こんな状況を何と言ったかな、ダイヤモンドなんとか・・

 

久しぶりに漕いだ三重の海。10か月ぶりだなんて、そんなに長い時間が経ったのか。しかし、そんなに短い時間しか経っていなかったのか。悠久の海は、時間なんて問題にしていないのだろう。 今日と言う日が良かったこと、漕いだ海が良かったこと。良い時間を過ごしたこと。

朝、ぎっくり腰が痛かったが、夕方には治っていた。 いい日だった。