カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

904.選り取り見取りの引き出しから ― バチが当たらない海

2019年01月31日 | Weblog

今日は風も穏やかだし、絶好の海日和! と思われた日。ではあの海、プランAのあの外海へ、いざ!、と行ってみる。

確かに出発予定の浜にはそよ風が漂うが波はない。一日快適に漕げるだろう、と思ったのだが・・

「う~ん、午後から風がでるかも。すでに海面がキラキラしている(風が立ち始めると海面が揺れてキラキラ光るのです)。あのキラキラが・・」 

とケチを付ける、いやいや、慎重に思案する人がいて、プランAの海には何かあっても途中で上がれる浜がないので、と言う事で、海Aのプランはスタートの浜で却下。ならば陸のプランにと変更になり、そのスタート点に向かう道中で、

やっぱり、こんな良い天気の日に漕がないなんてバチが当たりそう・・と、AがだめならBでと急遽「海B」プランに変更。本当にいろいろな場面に合うプランがあるものだ。

と、前置きが長くなったが、風の影響が少ないプランBの海を漕ぐことになった。そんな二転三転の海を楽しんだ日の記録。

 

プランBの浜。幼稚園児のお砂遊びに持ってこいの穏やかな浜。

 

大寒とは思えない程の暖かさと明るく澄んだ海。冬の海は世間で思う程には寒くない。と言うか、思いのほか暖かい。水に手を入れて、「温かい」と感じる時もある。

今日のコースは短い距離、のんびり行こう。

 

漕ぎ行く先にはこんな大岩、小岩。うねりのある日には近づけない岩礁帯も、どこを抜けてもお構いなしの凪の海。昼前だと言うのに太陽が低い。こんなことで今が「冬」であることに気が付く。

低い崖を作る三層の色重ね。風の当たりが強いのだろうか、生えている木が一様に低い。当然と言えば当然の生え方なのだが、どこか違和感がある。初対面の人が丸刈りだと、一瞬緊張する。そんな感じに似ている崖だ。その先は緩く伸びる海水浴場。夏にはどんな賑わいがあるのだろう。

 

「びわ湖には海水浴場が一つもない」と言うと、「日本一の湖なのに、全然泳げないのか」と驚く人がいる。 いやいや、「水泳場」はたくさんあるが「海水浴場」はない。なぜなら、びわ湖は海水ではないから。 などと言う、引っかけ話はびわこ人の得意とするところだ。

遠浅の海はターコイズブルー。二漕ぎ、三漕ぎすると翡翠色。3回あくびをすればオーシャンブルー。カヤックの影を映してあくまでも澄んでいる。

早くおいでよ、と言わんばかりの砂浜が続き、ではお言葉に甘えて、とばかりに早めの昼食に上がる。

 

のどかな浜でのんびり過ごし、ではと腰を上げる頃、ちょっと風が出てきた。やはり、朝のあのキラキラが予想した風だろうか。まぁ、我(ら?)にとってたいした風ではない。

 

目指すゴールはこの岬を越えた湾の中。さすがに岬近くになると、海が波立つ。沖には白波がチラホラと立ち始めた。あと少し、あの岬を越えれば・・

と漕ぎ進めば、いつの間にか風も波も消え、また静かな海となる。そして、覚えておいでだろうか、あの白い展望台。

 

その展望台を見上げる海にある石碑。100年ほど前に起きた座礁・沈没事故の犠牲者の供養と、救助に当たった村人の努力を称えるものと言う。この石碑へは2度目。この石碑も海の語り部として存在し続けるのだろう。 海の恐ろしさや、命の脆さや、それを助ける勇気や、海への謙虚さや、あるいは戒めとして・・

今日は静かに迎えてくれた海。大岩・小岩の岩抜けを存分楽しんだ岩礁海域だった。磯の波に押されるたびにこの石碑の語る事を考える。

湾の中の岩抜けは楽しい。

 

行きつ、戻りつ、グルッと回り、スラロームして、調子に乗り過ぎて暗礁に引っかかる。おっと危ない。ちょっとボトムがガリッだか、ズリッだか言ったようだが、まぁ、気のせいと言う事にしよう。

ゴールまじかにあるこんな物。

 

以前見た時も、これは何だろうと思ったことを思い出した。そしてそれもまた調べず今日まで来たことも、思い出した。最近はこんなことが多くなった。 そんな事で自己嫌悪に陥ることもなく、前向きなカヤックは穏やかに終わった。二転三転のプランだったが、この日に絶妙のプランだった。

帰り道、ちょっと遠回りして今日の海を見に行った。

 

いつもの半分ほどの距離だったが、やっぱり、こんな日に漕がなかったらバチが当たっていただろう。 

いい海だった。いつもこんな日であってほしいものだ。

 


903.海からの日のための山 ― 峠を越えて塩の浜

2019年01月28日 | Weblog

先日、明日は風が吹くらしいと言う前日に、さて、明日の行動予定はと思案する。

人生の引き出しには大したプランは入っていないが、遊びの引き出しには、けっこう、ぎゅう詰めで各種プランが詰め込んである。海A・海B、山A・山B、探索A・探索B、狭道A・狭道B、それから、それから・・ 一つのプランを使うとすぐ次を補充するので、引き出しは常に選り取り見取りのプランが溢れている。

そんな引き出しの中から、これが良いんじゃないか、と選んでくれた人がいて、「それ、良い!」とそのプランに決まった。緩い峠を越えて、これから漕ぐ海に会いに行く。そんなプランを広げた日の記録。

 

たぶんこの道だろう、きっとそうに違いない、と歩き始めた小道。動物的直観、いや、経験に裏打ちされた確信を持つバルトさんと、赤い標識があるので間違いはない。

 

暫く行けば、これはもう立派な道だ。途中までは僅かに轍が残り、それもいつしか消えて、ハイキング道となる。海にはけっこうな風が吹いていたが、峠に向かう道はシダを揺らす風もない。

程なくしてこんな標識が見えてくる。

 

幾つかのハイキングコースの分岐点となる峠。朽ちたベンチが、めったに人が来ない道と思わせる。この峠、いろいろ調べたが正式に地図に記された名前を見いだせなかった。県の「峠一覧」にもない。通称?と思われる言い方はいくつかあったのだが、この峠に吊るされていた標識はその名前ではなかった。 小さな峠の名前、これもじっくりと調べなくてはならない事案だ。

そんな峠を下ると辺りの様相が一変する。大きく開けた平地が現れ、立派な石積みの水路もある。

 

歩いて来るには不便すぎる。船で来ても浜からは遠い。それでもこんなにしっかりと水路を作ったと言う事は、ここにそれを必要とする何かがあったと言う事。

 

更にその先には不自然なまでに平らな土地、崩れた家の跡、瓦、欠けたタイル。自然の山の雑木とは違う、植えられたような木々。かつてはここに生活があったと思わせる痕跡。敷地を囲うような古い石垣。 ここは畑があったのだろうか、それとも『平家の隠里』としてひっそり暮らす村があったのだろうか。

意外な所に田や畑を見つけたことは何度もあったが、たいていは古い街道に近かったり、船で行き来できる水辺近くだった。しかし、この開けた土地は謎がいっぱいだ。ぜひとも調べなくては。

そんな不思議な林が開けると、突然現れるこんな池。

 

これもまた名のない海跡湖。この池には魚がいるのだろうか、水鳥たちは来るのだろうか。ひっそりとした水辺。ただでさえ冬の池は殺風景だ。そんな水辺に広がる灌木の林。ハマナツメだろうか。群立と言うより、なぎ倒された有様。 その奥に、おや、あれは何かの花だろうか・・。

  

花かと思った白い物は、発砲スチロールの破片だった。いや、プラスチックの浮きやペットボトルや瓶や・・ 海岸からずいぶん奥まっているのだが、ここまで波が来たのだろう。どんな大波、どんな大風、どんな台風だったのだろう。ここは海のゴミ捨て場なのか。

 

漂着物の平原を越え海をめざす。足元からはカサカサ、パリパリ、カシャカシャ、ポキポキ、と乾いた音が聞こえる。小枝の折れる音、発砲スチロールの潰れる音、脆くなったペットボトルが砕ける音・・ 人工的な音の全くしない水辺に人が作る音が道を作る。そんな道を作った先にこんな浜が現れる。

 

大きく孤を描いて伸びる海岸。細かな砂利浜が、水面からグイとせり上がって浜になる。大海に開けた海ではよくある浜だ。打ち寄せる波が シャリシャリと歌い、ジャリジャリと騒ぎ、時にガガガー!と叫ぶ。そんな叫び声の時は波が真っ白な盛り上がる泡となって浜に攻め上がる。見るのは好きだが、絶対に近寄らない浜だ。

峠を越えてやって来たこの浜、塩竈浜。「しゅうがはま」と読むとのこと。この地方、〇〇竈 と言う地名が多いが、その字の意味やその言葉がもてはやされて使われていた時代を訪ねるのも、海辺の歴史に会えて面白い。今ではこの文字、読むことはできるが、書くことは・・・

キャンプには絶好の浜のようだ。テントにまとわりつかない細かい砂利、ロックフェスティバル開いても苦情の来ない人里離れた海辺、一晩焚火をしても尽きない流木。 

ただ、この浜に上陸するには海が穏やかな時でないと波の餌食となる。いつか、そう遠くない将来、この海を漕ぎたいのだが、その日にこの浜に上がれるだろうか。今日なら私でも上がれたかもしれないが。

その日、岸から離れて漕ぐ私に、今の内に手を振っておこう。

浜にはたくさんの足跡がある。砂浜と違って砂利浜の足跡は、「窪み」としか形を残さないのでどなたがおいでになったかわからないが、しかし、確かにこの浜はたくさんのお客人が来ているようだ。シカ、イノシシ、ウサギ、あるいは釣り人?

波音以外聞こえない浜に轟音の痕跡がある。

 

まるでブルドーザーで掘ったような跡。奥の林を流れる川から流れ出た水が掘った川床。岩と岩の狭い隙間から、山となって溢れ出た水が轟音を立てて海に突進した跡。どんなに荒々しい様だったのだろう。

瀬田の洗堰が全開すると下流の橋の辺りが逆巻く激流となる。目の前に迫るその猛々しさに興奮したくて見に行く。台風などで大きな災害が起こった時は公にはしないが、そうでない時には豪快な荒波を、瀬田川の、ひいてはびわ湖の紹介の一つとして、誰かに見せている。この海のこの川跡を作った流れを見ることはないだろうが、かつてここにあった濁流に会ってみたいと思う。どんな話を聞かせてくれるだろう。

静かな波音を聞きながら飲むコーヒーはまた格別だ。ここにチーズケーキがあれば、なんて贅沢は、言うまい。

浜を散策し、奥の林に入ってみる。 おや、先客の置き土産が。

 

クマではないだろう、たぶんシカだな。もしかしたら林の奥から彼がこちらを見ているかもしれない。「あ、いたずらがバレちゃった」とか、「オレの縄張りに入るとは、けしからんやっちゃ」とか言いながら。

そんないたずらは許せるとしても、こんな落書きは・・。

 

「H.十二.十二.二十四.〇〇」と彫られている。クリスマスの日にここに来た記念に彫ったのだろう。何の記念だったか知らないが、もしかして毎年この浜に来て木の成長を時の移ろいとして記録し、「自分史」編纂をしているのかもしれない。

18年前に、1本の筋として書いたのか、書いた時から幅のある文字として書いたのか。この木に聞いてみたかった。 もし私が50年後、100年後にまたこの木に来れるなら、この文字の幅や樹皮がどのように変わっているか確かめて、『樹木の生長と幹に彫られた傷の変化に関する一考察』なんて論文を書くのも面白い。そうなるとこの彫られた文字は落書きではなく貴重な学術資料となる。その日のために、今日、記録しておこう。

名残惜しい浜に別れを告げ、また池の畔を越えて山道に向かう。

 

こんな所にまで波が来たのだろうか。林の中には海の置き土産が散乱する。倒されたハマナツメの大木、花をつけ始めたヤブツバキ、威勢のいいいウバメガシ、赤い幹はどこかでも見たな。 おやおや、この痛々しい姿の木は何だろう。

 

これは悪戯ではないな。いや、もしかすると、いたずらで傷つけた所から病気になったものかもしれない。近寄ってみると、けっこうエグイ。何と言うか、・・・・・ 

エイリアンのハラワタ、とでも言うか・・

それも、もっともっと近づいて、鼻の頭が幹に付くほどの所で見ると、ミクロの世界の万華鏡のようで、これはこれで美しい。客観的、なんて言葉は、見る距離によって、相対的に醜にも美にもなる。浜の林で見た日付の傷跡も、悪にも善にも変身する。 葉を食い荒らす幼虫と蝶の関係にも似ている。

そんな小道を進むと、行きに通った時には気が付かなかったこんな物に気が付く。

 

小さなトレーラーだろうか、それともカート。錆びた骨組みとタイヤを曝け出すだけの姿になって、この地の変遷を記している。 いつの時代に動いていたのだろう。何を運んでいたのだろう。どんな人が操作していたのだろう。その人はどうしてここに居たのだろう。そしてどうしてここに居なくなったのだろう。黙して語らずの塊に熱くなるのは私の悪い癖のようだ。

道中シダや灌木や杉などで見通しは悪いがここからは海が見える。

 

さっき行った浜が見える。行く時に、「あんな遠くまで行くのか」と言った浜に行って、物足りなさを残してまたここに帰って来た。意外と近い浜だった。しかし私にちょうど良い峠越えだった。

海から見る日のために越えた峠。いつかあの海を漕いだ時、今ここに居る私が見えるだろうか。その日の私に、今、手を振る。 

 

いい山だった。いい浜だった。いい日だった。  さて、あの海を、いつ漕げるだろう。

 


902.初登り ― 馬と鰻

2019年01月18日 | Weblog

先日初漕ぎを済ませたばかりだが、お次は「初登り」。 登る、と言うほどの山ではないので(お山に失礼か)登ると言うより「歩く」と言う方が当たっているだろう。 そんなお山歩きをした日の記録。

山と言えばバルトさん。今年もよろしく、と後について行く。

車を降りてすぐに歩き出せば、目の前に試練の石段。高校野球部の学生なら3往復一気に行くのだろうが、こんな所で意地を張って休まず登り、心臓破裂させても周りに迷惑かける、と他人を思いやって何度か立ち止まる。

そこから先は山道の小路。かつては作業の車が通っていたのだろう、一応の舗装がしてある。そんな小道にはこんな木が。

 

柑橘系にはたくさんの種類がある。ミカン・キンカン・夏ミカン、この3つは間違えることはない。大きさがはっきり違うから。しかし最近は特大のキンカンが出て、ダイダイと見分けがつかない。丸いレモンもあり、ユズと間違える。まぁ、選別業をしている訳ではないので、今どきに緑の葉とオレンジ色の実が付く物は全て「ミカン」と言う事にする。

そのミカンの木の下にはたくさんの実が落ちているのか、捨ててあるのか、茶色の土に明るい水玉模様を作っている。そんな実を「もったいない」と思う気持ちは、貧乏性とか、いじましいとか、あるいは「日本の食糧危機にどう対応するかを問う」とか言う社会派の提言なのか。単純に「天恵食」リストに入れたいだけなのか、私にもわからない。

たわわに実った木を振り返りながら進むと、ここにもミカンがあった。

 

粉状はフスマだろうか。米やミカンが添えられ、これはイノシシの「松」のごちそうなのだろうか。今年は猪年。干支と言って、もてはやされているのは1月位で、後は害獣と呼ばれて駆除の対象となる。撃たれた姿に可哀そうと言い、牡丹鍋をおいしいと言う。命の置き所を真摯に受け止める心が問われるのだろう。

道は次第に狭く、山は急に険しくなる。

落ち葉に足を滑らし登れば、いよいよ急斜面となる。こんな急斜面を「道」とは言わないだろう。もしかしてルートを間違えたのではないだろうか。と不安になる頃、道案内のロープが見えてきた。所々に結び目があり、滑らないようにとの(たぶん)配慮がある。ありがたい。登って来た下を見れば、よくあんな急斜面を登ったものだ、と自分で感心する。

そんな斜面もだんだん開け、ここが頂上だろうか。

 

木々の合間から麓の家並が見える。息を切らした割には大した高さではない。頂上と思ったのは城跡で、山の頂上はもう少し先。今度は尾根伝いに緩く登る。その先に大岩が道を塞ぐ。

 

山の尾根、上から落ちて来た物ではない。飛ばされて来た物でもない。いったいどうやって、この尾根にあるのだろう。何百年前の地すべりで周りの土が流され、この大岩だけが残ったのだろうか。それとも・・

この大岩はどうやら頂上はすぐ先、と知らせる案内岩だったようだ。じきに大きく開けた頂上に出る。

 

五ケ所湾が一望でき、立体地図となって現れる。 あそこが「白い椅子の筏」、あそこが「ハマジンチョウの岸」、あそこに「岩の上の小便小僧」があり、あの影に「ガラス玉の宝庫」があり、満月の夜に漕いだのがあそこで、岬のお不動様がおいでになるのはあの向こう・・

漕いだ所は平面地図に書き込んでカヤックの軌跡を記録しているが、上から見ると漕いだ時の臨場感溢れる感動が蘇る。200メートル足らずの山だが登る時の労力と、登った時の眺望は、私の足と心臓に富士登山ほどの感動を与えた。

登る時に汗ばんだ背中が尾根の風で冷えてきた。そろそろ下りるとしよう。 おや、あれは何だろう。

 

かろうじて「道」と思われる筋沿いの木に白いテープが巻いてある。トレイルランのルートを示す物のようだ。端がちぎれているので、去年の物がそのまま付いているのか、それとも今年用に準備された物か。

私の好みで言えば、こういう物は、あまり好きではない。何かのイベントで目印を付けることは必要であっても、付けるなら直前に付け、それが済んだらすぐに全て撤去し、としてほしいのだが。

それとも、山の道しるべのように、常にそこに置いておくべき大切な目印なのだろうか。こんな標識のように。

 

その是非は私にはわからないが、道は更に続く。

 

「木の根道」。開けていると言えば開けている山道なのだが、毛細血管のように浮き出る根は、歩きにくい。つまづかないよう下ばかり見て歩くのでせっかくの景色を見ていられない。

そんな山道も、やれやれ、ここまで来たら後は鼻歌交じり。

 

向いの山には去年登ったが、ずいぶん上まで作業の車が入っている。あの細道を行く人は、「狭道愛好家」の師範級の腕前のようだ。私も腕を磨かねば。そんな山道を下って来ればこんな神様がおいでになる。

 

小さな祠に祀られた神様。その祠を守るかのように立つ大木。幾本もの根が岩をがっちりと掴む。「わしづかみ」と言うが、これは木の根が岩をわしづかみしている様ではないだろうか。これが自分の使命と言わんばかりに岩を放さない。

(私としては)ずいぶん歩いた。かなり腹も減った。そして今日はなぜかこんな贅沢ランチ。

 

潮の香りのする店で鰻の甘い匂い。ごちそうさまでした。

 

馬の山の風に吹かれ、鰻に舌鼓を打ち、今年の山登りも好調に始まった。贅沢続きの昨日、今日。さて明日は伊勢えびかな・・

 


901.今年の海を照らす灯台 ― 安乗崎・大王崎

2019年01月15日 | Weblog

やっと、今年の初漕ぎを果たせた。初漕ぎはびわ湖に行くことが多かったのだが、近年は海漕ぎが多くなり、結果、漕ぎ納めも初漕ぎも海が常となった。

冬に海に出る、と言うと仰天する人がいるが、冬の海は意外と暖かい。川やびわ湖でかじかんだ手で漕ぐような時季でも、海は季節の温度より2か月遅いと言うように、たいていは水温の方が暖かい。特に冬場の太平洋側は波やうねりが少なく、夏より穏やかかもしれない。

そんな冬の太平洋を漕いだ日の記録。

 

岬を2つ越え、灯台を2つ越えるには良い具合の日が来た。天気は曇りながらも暖かく、北西の軽い追い風。良い具合の海漕ぎの日だ。これで朝から日が射していたら「絶好の」と言うのだが、まぁ、この冬場でこの状況は上出来の海と言わねばならない。

出艇地に向かう途中、港の漁船がどれも日の丸や大漁旗を掲げている。まだ正月の内だから? いや、それにしても賑々しい。何やら露天の店も出ている。後でわかったのだが地元の神社の神事が行われる日だった。そうと知っていたら見たかった、と残念に思ったのは、2,3日後だった。

さてさて、と穏やかな湾にカヤックを浮かべ、そろりそろりと初漕ぎに赴く。

 

対岸の岬までは約1キロ。安乗崎と対になって「湾の始まり・湾の終わり」を作る。神社の入口には守り役の「狛犬」が立つが、岬には灯台がつきもの。しかしあの岬には灯台はあっただろうか。岩礁が多いあの海、湾を守る役は誰?が担っているのだろう。昔座礁した船の慰霊の鐘が見える。

さて、こちらの岬はこんな灯台。安乗灯台。

10年前に初めてこの海を漕いだ日に、それはそれは青い空に真っ白な灯台が眩しかった。四角い灯台があるなんてことにも驚いた。その後この灯台に上り、いつかまたこの海を漕ぐ日が来るのだろうか、と漠然と眺めていた日を思いだす。その灯台真下を、今日は漕ぐ。

冬の海は優しく迎えてくれ、思いのほかパドルが進む。しばらく行くと漁師の小船が何艘か見える。冬でも海女さんが潜っているのだろうか、と思っていた。邪魔にならないよう少し離れて漕いでいたのだが、船の人が何やら手を振っている。

こういう時、よくあるのは「邪魔だ、あっち行け!」と言って追い払うように手を振る場面。しかしその人は「おいで、おいで」と手招きの手を振る。何だろう。

 

傍に行くと、「これ、あげるわ」と無造作にカヤックに投げ入れたのはサザエ。「えっ、良いんですか、わぁ、ありがとう!」4つも頂いた。ついでに、と言っては何だが、獲っているところを写真に撮りたいんですが、とポーズもお願いした。快く受けて下さった漁師さん、ありがとうございました。サザエは夜の酒の肴となった。

少し早めの昼食に近くの浜に上がる。浜には幹の大部分が黒焦げになった丸太があった。置いてあるのか放置されているのか。誰かが焚火をしたのか、流木の処分に燃やしたのか。

 

白い浜にある黒い燃え残りは、どの浜でも思うのだが、誰かがここで火を焚き、暖まり、獣を除け、空腹を満たした。そんな見知らぬ誰かの人生の一部を垣間見るような、共有できたような、「海の同志」とつながったようで見知らぬ誰かを懐かしく思う事がある。

半面、

まっさらな無垢の浜に憧れて上がって見たら、見知らぬ誰かの生活臭(暖を取り、煮炊きをすることは「生活」と思うのだが)が投げ出されている。焦げた物は「破壊・消滅・悲惨・災害・・」そんな負の現場を思い出させる。 私が行く浜に負の遺産を残すな!、と憤る。 

そんな相反する思いを受け止めながら、幾つもの浜は燃え残った流木を受け入れている。世の中にいろいろな考え方の人がいて、いろいろな状況があり、それが良い事か悪い事か、海が決める事なのだろう。

せめて、人工的なゴミだけは残してはならない。

その燃えた丸太、生の時には一様な木肌をしている物も、燃えると鱗模様となる。なぜ細かい亀裂ができるのかと言う事は、案外と簡単な理由なのかもしれない。しかしこの模様、木が芽吹き、成長し、倒れ、この浜に流れ着き、そして炭に変化する過程で辿る木の人生(木生?)を一枚の絵にしたようで、どの燃木も見飽きない。じっくりと燃え残りの話を聞きたいものだ。

と、のんびりしてからまた漕ぎだす。

岬を越え、静かな磯を越え、小さな港を越え、長い浜を越え、振り返るとずいぶん漕いで来た。

 

遠くに見えている岬の向こうから岸伝いに漕いで来た。しかしまだ先は長い。

 

風は弱く、軽く押すうねり。一緒に漕ぐ相方さんが、「普段はこの辺りは波が荒れこんなに岩場近くまで近寄れない」と話している。今日は本当に良い日だった。少し荒れれば近づけない岩礁帯も今日は寄り放題。さてどの岩の間を行こうか。

崖の上に建つ建物。

 

時々海辺の崖の上に瀟洒なホテルやそびえるマンションが建つ。波も岩も似たり寄ったりの岸では大きな目印となり、GPS代わりになる。そうか、もうこんな所に来たのか、と。

こんな所を過ぎるとあんな物が見えてくる。

 

 

 曇り空と逆光で
 ドラマチック加工したようです

 本当は 
 とても穏やかな海でした

 

 

 

 

大王崎灯台。1年ほど前、日本一周を目指して漕ぐ青年(?)をこの岸で出迎え、灯台の上から見送った。天気の良い日で、銀色の波の粒が敷き詰められた真っ青な海を、ぐんぐん遠ざかって行った。その人に手を振って、いつか自分もこの波に浮かぼう、その日はいつになるだろう。と心待ちにしていた。

 

そしてやっとその日が来た。穏やかな海はどの岩の間もお望み通りの抜け放題。去年、この灯台の上から見下ろした海を思い起こせば、あの岩の間を通ったんだな、と自分の軌跡が見えてくる。

 

 去年、青年を見送った時の海

 今年は私がここを行く

 この下を通り、
 あの岩の間を通り

 こんなふうに、見えるのか

 

 

 

 

今年、私を迎えてくれた海は、10年前に来た時ほどには、去年見たほどには青くなかったが、それでも荒くれる岬の岩礁帯を、こんなに優しく通してくれたのだから、贅沢は言うまい。いや、感謝しか言えない。

 

去年、あの上から青年を見送って手を振っていた私に、今度はこの下からあの日の私に手を振る。

     来ましたよ、お待ちどうさまでした。

そんな岬の灯台も瞬く間に通り過ぎ、空には青さが広がってきた。抜群の透明度の海、太陽が射す磯は水晶のように透けて見える。朝からこの太陽があったなら、途中の海はどんなにきれいに見えただろうに、と晴れた太陽に愚痴が出る。

 

ゴールの浜まで後わずか。浜の多い海岸には洞窟・洞門が少ない。今回のルートでは貴重な洞門を、最後のお楽しみとしてくぐる。

 

いよいよゴールを目の前にして、何と、雪山が現れる。

 

まるで雪を被ったように白い岩。岩と言うより、小さい島だろう。その岩肌は海鳥の糞で雪山のように白い。びわ湖の「沖の白石」はその名前の由来に、(鳥の糞で)白く見えるのでその名が付いたと言われている。ここは「志摩の沖の白石」とでも名付けようか。

18キロの初漕ぎは穏やかに終わった。久しぶりに行った温泉では中国語が飛び交い、ここも又国際化の波が来ていることを実感した。

 

さて、夕食にはお待ちかねのサザエ。

 

以前、やはり志摩の海で ヒオウギガイ をトロ箱にいっぱいもらったことがある。勝手にアワビやサザエやウニやエビなどを取ると「密漁」となるので、漁師からもらった物であるのに、カヤックに売り物ともなる貝を入れていると、なぜだか後ろめたくなり、人目に付かないようにとさっと片づけた。気が小さい我らだ。

そんなサザエも網の上で泡を吹いて来ればこっちのもの。久しぶりのサザエに舌鼓を打った。

ただ、

これは、遠慮した。

 

見事に翡翠色のそれ。勾玉かと見紛うその輝き。これが旨いらしいのだが、食べ物にとやかく言う私ではないが、これは・・・

 

いい海だった。いい初漕ぎだった。灯台を2つ越え、今年のカヤックも明るいに違いない。