カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

967.米をかすのはどの岩か ― 瀬田川の岩と波

2021年06月11日 | Weblog

前回、瀬田川沿いの謎のパイプをお話ししたが、実はその日、他にも訪ねた所があり、これも又カヤックの歴史の一つとして思い出した。

最近は世の中に「自粛」と言う言葉が出回って、私のカヤック仲間も鳴りを潜めている。びわ湖でのカヤックは自粛項目のどれにも当てはまらないと思うのだが、世間の風のそよぎを感じてか、漕ぎに行こうと言うメンバーがいない。以前は一人でも漕いでいたのだが、それもニュースを見るたびに意気消沈。

そんなこんなで漕ぎの記録はご縁がないが、それでも思い出のご縁は山ほどあり、その整理に余念のない今日この頃。そんな今日の記録は・・

 

瀬田川を見下ろす小高い山に、立木の観音様がおいでになる。ずいぶん前に一度お参りに行ったが、階段がきつかった、と言う事しか覚えていず、それで何度かその寺の前を通っても又行こうとは思わなかった。それがどうしたことか、急に行ってみたくなり、水! 靴! 杖! と 準備万端整えて出かけた。

覚悟していたとは言え、800段の急な石段はこたえた。それでも、これしきの事でへこたれては太平洋は漕げない、と山に来ても「それ 碇あげ」を口ずさんだ。(知る人ぞ知るの歌です)

何人もの人に先を越されながらも、やっと上り切り、ありがたい仏様にお参りできた。以前、と言ってももう40年位前に来た時のことは覚えていないので、初めて来た所と言ってもいい。今度はしっかり目に入れ頭にとどめ、写真にも記録する。 次に来るのは40年後か、いや、もっと早くに、もっと颯爽と来たいものだ、と山を下りた。 杖にすがっても膝がガクガクするのはいかんともしがたい。

それでも無事に800段を下りればそこには初夏の瀬田川。良い具合に腹具合も減り、以前から気になっていた店でランチとする。

川に面したカフェ。初めてこの川を下った13年前にも建物はあった。その後オーナーが変わり、名前が変わり、しかし川縁の建物は変わらずにあった。久しぶりに店に入る。

以前来た時とはずいぶん様子が変わっていたが見下ろす川は昔のままだった。他に客は一人。日替わり定食を注文した。肉が焼ける匂いがしてきたが、千も万も生まれる波がどれも同じではなく、吸い込まれるように見つめていると、まだ料理が来ないでほしいと思った。

今日は放流量が多いようだ。上流の堰の放流量でだいぶ川の様子が変わるが、この辺りはラフトやスラロームのカヤックも見られる急流域。いつ見ても、そこそこの流れはある。川は(海もだが)よく知らないので、知ったかぶりは言えないが、放流量が多ければ激流になるかと言えば、そうとは限らない。岸の岩も隠れ岩もすっぽり沈んで平らな流れになる。今日はその部類だろう。

放流量が少なければ流れが緩いかと言えば、川底や岸の岩がガンガン現れて、豪快に白波が立つ。以前下った時はそこそこの流れだった。

あの日はたまたまいい具合の水量だったのだろう、この先にもいくつかの瀬があったが、無事に下りきれた。

琵琶湖の水位と洗堰の放流量、瀬田川の水位とさらに支流の水位、ダム湖の水位、それらが絶妙に交錯し合い、ネット上での計測値を見て現場の状況がわかるようになったのは、何年も経ってからだった。

堰やダムの今日の放流量は毎秒何トン、ゲート全開。ならばあの橋の下はダイナミックな激流。見に行こう! と激流の川や轟音のダム放水を見に行った。なぜか大増水の激流は心躍った。しかしこんな日はカヤックに乗らない。

水量が少ない時は小さな岩が所かまわず出ていて、これを避けながら行くのは、私には至難の業だった。こんな日もカヤックはしない(私は)

これ位なら、たぶん行けるだろう。という日が、ちょうど私が下った日だった。

そんな思い出のあるこの辺り。店の横にこんな物がある。

以前この辺りに「カエル岩」と呼ばれる岩があった。店の主(あるじ)に聞いてみると、以前の大水で流され、今はそれを偲んでこの置物があるとのことだった。

カエル岩もそうだが、こんな岩も有名?だった。「米かし岩」

「米かし」とは「米とぎ」のこと。無洗米は知っているが、「米をかす」と言う言い方は知らない人が多くなった。(私は元々、米は「とぐ」と言い、米を「かす」という言い方はしないが。)写真はだいぶ前の事なので、今もあるかどうかわからないが、以前はこの岩のことについての説明板があった。

この辺りには、甌穴と言われる波が作る穴が至る所にあった。米かし岩はその代表的な物だったようだ。それを見たくて、河原に下りた。しかし、車を止められる場所が限られ、先客が1台いるとその日は降りることを諦めた。運よく止められても、河原に下りるのはまた難儀な斜面だった。

この下の荒瀬でスラロームの練習をする人たちを見て、あれは人間ではない、超人だ。私にはとっても真似できない。と思っていた瀬を下ったことが懐かしい。甌穴は、更に大きくなったのだろうか。

琵琶湖の水位と洗堰やダムの放流量で瀬田川の水位とさらに支流の水位、ダム湖の水位がわかるようになったと言ったが、一番影響が大きかったのはこの川。

瀬田川の支流になるが、この先が天ケ瀬のダム湖に続く。そのダム湖に行くには、あの荒瀬を下って行くか、この支流から行くかになるのだが、この支流、水位がとんでもなく変位する。

ある日の支流。4メートルはあるだろう堰が川を遮る。ここから飛び込んでもカヤックは漕げない。

しかしまたある日には、どうぞこちらへ、と言わんばかりに門ができる程水位があがる。こうなると、荒瀬を下らなくてもダム湖へ行くのは簡単になる。

そしてまたある日には、堰はすっかり水没し、川と言うより池のような水面となる。こんな日には米かし岩もすっかり沈み、甌穴の河原ものどかな岸辺となる。

いろんな水位の川を見てきたことを振り返り、カヤックの歴史を作ってきたと感慨にふける。そうこうするうちに、料理ができた。器に盛られたご飯の上に生姜焼きの肉や目玉焼きが乗る。

「米かし岩」のランチの日。さて、この米はどこで、かしたのだろう。

 


966.思い返すか置き去るか ー 瀬田川通信

2021年06月04日 | Weblog

初めて気が付いたのはもう13年前の冬の日。この川を下った日。毎日気にしていた訳ではないが、時々ふとした時や、その近くを通った時、そう言えば、あれはいったい何だったのだろう、思い出すこと。

瀬田川の川岸に走る4本のパイプ。どうってことのない管なのだが、唐突に現れ、これ見よがしに突っ走ったかと思えば、突然に消える。何かのケーブルとは思ったが、それが何なのか突き詰めようとは思わなかったが、ずっと頭の片隅から消えなかった。 先日、瀬田川の川岸に行った時、そう言えば、この近くにあったなと思い出し、久しぶりに見に行った。 それが何かわかるかもしれない、と小さな期待を大きく膨らまして歩いた日の記録。

場所は知っているので、まずは近くの神社にお参りしてから探査に行く。どんなパイプかと言えば、こんなパイプ。

僅かに太さの違う4本のパイプ。塩ビだろうか、金属だろうか。

       きりーつ! 左向けぇーひだ~り! ぜんしーん! 

よく訓練された精鋭部隊か、金メダル候補の団体競技か。どこまで行っても一糸乱れぬ隊形を誇示する。13年前に撮った姿も、先日撮った形も変わっていない。13年もこの姿勢を保っているとは、肩が凝らないかとの心配も無用だろうか。

今回初めて気が付いたのだが、パイプの近くのマンホールの蓋に「淀川」・「通信」と言う文字と、何やらの模様が刻まれている。 石垣に張り付いている部分もあれば、モノレールのように地上に浮かんでいる部分もある。

かと思えば、忽然と消える。下の写真はずいぶん前の物なので、その後延長されているかもしれないが、最近はこの辺りを漕いでいないので、この先は定かではない。

この、突然の消滅がこのパイプを更にミステリアスな物にする。木々の葉が茂る頃にはこの「モノレール」は密かに隠され、道の対岸にあるこのパイプなど、気づく人もいないだろう。いつだったか、地元の人が話していたこと。その人のおじいさんが、この工事が行われていた時、工事関係者を泊めていた、とのこと。私が知る唯一の手ががりだ。

道の対岸も気づきにくいが、道の下は更に気づきにくいだろう。と言うか、おそらく見えない。川からでなければその存在は、無いも同然の謎のパイプ。

やはり、突然現れ、いきなり消える。飛び出す場所があそこでなければならない理由が、きっとあるのだろうが、もう少し下にしたら曲がる回数が減り、手間も工賃も少なくなるだろうに・・ などと言うのは素人丸出しと、言うのだろうか。

パイプは川も渡る。

よくよく見ると、確かに橋の下に張り付いていて、また突然 橋台に姿を隠す。まるで忍者のようだ。

遠くからでは正体を突き止められないが、かといって傍に行っても手掛かりがない。遊歩道の石垣の他には、近くで見られるのはここだろうか。

小さな橋の下。いつでもこの位置で写真が撮れるとは限らない。車を止められる僅かなスペースさえもない、この道。かろうじて1台止められる橋の前は、ー これは私のお気に入りの橋なのだが ― 意外にも他の車が止まっていることがある。わざわざはるばる来たと言うのに橋に寄ることができず、憤慨して帰った事も、何度かあった。

そんなこんなの思い出のあるこのパイプ。今も現役で働いているのか、「通信遺産」として資料集に収められているのか。知る人が知れば、呆れかえる程簡単な事なのかもしれないが、「不思議」とか「未知」とかの曖昧さを残しておくことも、パルテルカラーの人生なのかもしれない。

と言い訳して、

ふと思い出したこのパイプ。今は、この思いを置いておくことにしよう。もう10年程してから思い返す楽しみも、とっておきたいし・・