カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

931.古き良き時代 ― 海辺の町を訪ねて

2019年10月26日 | Weblog

1年ぶりの海へ行くことになった。漕ぐのも楽しみだが、海辺の町を歩くのもまた良い。何度も行っている町、見所はたくさんあるのだが、時間がなくいつも細切れの散策となる。それでも何度か行き、つないで行けば町の大方を見ることになる。そんなパッチワーク散策の記録。

 

家から400キロ程の町、道中は高速道路やバイパス、見晴らしの良い峠道、などドライブも楽しい。

が、

毎度のことながら、道を覚えようと言う気がないのでナビ任せ。それでもあそことあそこ、の切り替えポイントさえ間違えなければ何の問題もない道中。しかし、高速から別の道に入る時、ナビが「分岐を右!」。 そうですか、はい右ですね。とハンドルを切った途端に「分岐を左!」。えっ、今、右と言ったじゃん! そんな急に左と言っても曲がれない! この野郎!

と、スイスイ行かれる道を行かず、信号いっぱいの市街地ルートに行く羽目になる。ナビに腹を立てたが、そう言えば、去年も同じ失敗をしたな、と思い出すと、自分にも腹が立つ。いやいや、そんな道を作った誰かが一番悪い、と誰かにも腹が立つ。

まぁまぁ、市内観光をしたと思う事にして、こんな温泉でほっこりする。

                      

以前にも来たことがあるが、港の奥の崖の上。ただ浸かるだけの、しかし絶景の露天風呂がある。この先は有名な観光地。観光船も通ればカヤックも来る。うっかり立ち上がると・・

 

「上からも下からも」のカヤックが楽しめる温泉だ。今回のカヤック旅、この温泉を見上げて漕ぐだろうか。海のご機嫌次第だ。 前線の雨もたいしたことなく無事お宿に着き、ここでまた温泉に入り、酒宴を広げ、そして布団に入る。

 

翌朝、漕ぎメンバーとの集合までちょっと時間がある。では、と去年行かれなかった見所へとお邪魔する。

なまこ壁・漆喰で有名なこの町にこんな時計塔がある。

 

小さな子が「バイキンマンだ」と言ったのには笑ったが、1つ1つの細工にも、その意味する事があるのだろう。その時計をよく見ると、不思議な数字がある。13時。

 

この町には日常にない時間が流れているからと。「非日常」、これは私のためにある時間ではないか。何度も漕いだこの町の海に、非日常を分かち合える時間があったと事を知り、ますますこの町とこの海が好きになった。

そんな時計のそばにこんな建物がある。

 

明治の頃の呉服商の屋敷。今は資料館となって見学できる。当時の建物は天井が低い。私が頭をぶつけることはないが、天井が低いと「圧迫感」と言う時もあるが「重厚感」とも受け取れる。ぎっしり詰まった満足感漂う屋敷だ。

 

かつては反物を品定めする客が、あれは派手だ、これは地味だ。どれにしようかと決めかねている姿で賑わっていたのだろう。

賑わいの店先の奥に、中庭の見渡せるこんな部屋もある。

 

障子の桟模様にも、「粋」を大切にした呉服屋の心意気が滲む。 こんな障子から差し込む月明かりで寝付いたら、こんな障子から差し込む朝日で目覚めたら、心安らかな日々を送れるだろう。

部屋にはこんな計らいもある。

 

釘隠しにも洒落心。最近は洋風の生活様式が増え、「家紋」などと言う言葉さえ知らない世代が増えた。家康の家紋は知っていても、自分の家に家紋があるとこういう事を知らない。あるいは、本当にないのかもしれない。家紋など、時代劇の小道具の一つと思っている人もいるだろう。釘隠しに家紋、豪商の金のかけ方が偲ばれる。

こんな所にも粋な心意気。

 

舟天井の渡り廊下。今風の、一面にクロスを張った天井とは程遠い手間のかけ方が、古くなればそれも又味の一つになる職人技。木の家は気持ちが穏やかになる。 

古い物の展示の中にこんな物があった。

 

炭を入れていたアイロン。私は使ったことはないがこの形が、ユーコンの川辺に置き去りにされている船を思い出させた。古い鉄の塊、川の流れを進んだ船と、呉服の織目を進んだアイロンが、なぜか重なって見える。

他にも見た事ある物ない物、私が愛する「錆びた者たち」がたくさん眠っていた。じっくり見ていたら日が暮れる。そろそろ行かねば、と外に出る。そこにはこんな物。

 

水琴窟には土に埋まっている瓶型の物、地に建つ壺型の物、あるいはSRJKのような円柱の物、いろいろあるがここではひょうたん型。 耳を澄ますと、ピーン・・、キーン・・、チーン・・、と繊細なささやきが聞こえる。貝殻の一片が、ゆっくりゆっくり深い海の底に沈んで行き、やがて見えなくなる。そんな時間を楽しむ間隔で鳴る。久しぶりに聞く水の琴音だ。

じっと聞き入ると眠ってしまいそうだ。しかし、今日はこれからみんなと会って漕ぎ出さなくてはならない。心を残しながら体は海辺へと向かう。

 

さぁ、今日は誰と漕ぐかな。


930. いつか確かめに ー 日高の七不思議

2019年10月24日 | Weblog

台風のうねりが入り始めたので、海漕ぎの予定を急遽変更した日。ではどこへ行くか。幾つか候補が上がった中で、これでしょ、と言う川になった。久しぶりの川、懐かしい川。時計は、おじいさんは、トンネルは、ハマボウは、みんなどうしているだろうと、再訪した日の記録。

 

久しぶりに行った川。川と言うよりも河口と言った方が正しい。何年か目に見かけた「おじいさんの家」、まだそのままにあった。錆びた塊のような、しかし小さな煙突が暖かさを滲ませるおじいさんの家。

                       

おじいさんを覚えておいでの方はどれほどいるだろう。

錆びた扉を開けると、中には裸電球が1つ灯り

     背中を丸くした老人が何やら叩いている
     恐る恐る入ると丸眼鏡が振り返り、
     「 なんか、用かい? 」 としゃがれた声で言う

     そんなお話ができそうな・・

そんな事を言ったのは8年も前の事だった。今回も又おじいさんに会う事はなかったが、河口に建つ「おじいさんの家」は8年の時間の短かったことを教えてくれた。

 

川は緩く上げ潮に押され、静水の湖。のんびりとあのトンネルを目指す。「トンネル」と言っているが、古い橋脚。なぜかこれだけが残され、この川を象徴するモニュメントのようだ。何年ぶりかにくぐってみよう。

 

河口から見ると、ゴマ粒のような小さな点だったものが、近づくとやはり、意外と大きい。

なぜこれだけが残されているのか。撤去の費用が底を尽きたからか、古き良き時代の土木遺産として残しておくと議会で決まったからか、このトンネルをくぐる観光ツアーを計画した業者が撤去に反対したからか、あるいは、コンクリートの橋の経年劣化の資料を取るためにどこぞの大学が経過観察しているからか。それとも・・

 

知る人が聞けば大笑いするだろう存続理由も、顛末を想像するだけでも幾晩もかけられる。その内、『日高の川の七不思議その三 謎の橋脚、ついに解明!』なんて本を書く日を想像するのも、また、面白い。

ゆっくり押す上げ潮も、この辺りまでは力が及ばず、流れ下る力が勢いを増す。この先は川床も浅く、漕ぎ上がるのはここまでとする。浅い川の所々にこんな物がある。

 

何かの仕掛けのようだ。少し先で網を手繰っている人がいた。今思えば、行ってこの石が何なのか、何を獲っているのか尋ねれば良かったと後悔する。『日高の川の七不思議その四 謎の石積み、ついに解明!』となるはずだっただろうに。

 

朝は良く晴れていた空が、河口に戻る頃には怪しげな雲に覆われてきた。風も出てきた。ちょっと急ごうか。

広い河口にはヨシの湿地が広がる。満ちてきた潮に干潟が沈んでいくのが漕ぎながらでも感じることができる。そんなヨシ原の合間に船溜まりが続く。コンクリートで囲った港が多い中で、川と船との本来の繋がり方を示す姿が、微笑ましい。そして、経験がないのに、なぜか懐かしい。

 

水門があった。当然行くでしょ。 

 

どの門、トンネルも、狭く暗い所から広く明るい所へ抜け出る解放感に、生まれ変わるとまでは言わないが感動する。「胎内くぐり」と言われる所がある。母の胎内から世の中に生まれ出る様を再現しているのだとか。小さな水門もまた、母なのかもしれない。生まれた出た時の感動などわかりはしないが、赤ん坊は、自分は、こんな感動を持って生まれてきたのだろうか。

 

別の橋もくぐってみよう。狭いほど、長いほど、緊張と感動が増す。

 

河口に戻り、堤防の浜でランチとする。今日はホットサンド。自分で用意する時はおにぎりやパン。寒い時には鍋1つでできるラーメンやうどんを流木や砂利のテーブルで済ませるが、作ってもらう時は、けっこう本格的になる。

 

河口のランチタイムが終わる頃、徐々に上がってきた潮に催促されて、あの水路に入る。

 

この水路のハマボウの群生が見たくて「渦巻さん」と30キロ程を下って来たのはもう6年前の事となった。別に、30キロも下らなくても簡単に見ることはできたのだが、「川を下って海に出る」に拘った時期があり、幾つかの川を30キロ程下って河口に行くツーリングをした。 この川も6年経ったのか。もう6年? たった6年? 時の過ぎる感覚が鈍ってきたこの頃だ。 

 

夏には見事に花盛りとなる木々も、今は数えるほどしか咲いていない。それでも咲いていてくれただけでも嬉しいではないか。ありがとう。

 

別の水門もくぐってみよう。

 

降りそうで降らない空は怪しげに光る。吹き始めた風も水門はくぐれない。パドルが動かなければ水も動かない。そんな水路に波紋を広げてちょっと散策する。

 

頭の上で動く風を感じて、そろそろと帰り始める。

 

潮がずいぶん上がってきた。ランチの時には見えていた階段がすっかり沈み、浜も小さくなった。かろうじて頭を出している堤防が川と水路の境を作り、水の形の違いを作る。

 

河口の先の海に出たいと思ったのだが、うねりが見える。今日のところは無理はせずに引き上げよう。そんな川下り、と言うより、河口散策カヤックは終わった。

 

しかし、

 

今回の目的の一つだった「時計台」、目的の一つと言うより、大きな目的だった時計台。記憶の曖昧さと準備の悪さによって、確かめることができなかった。

 

11時15分で止まったままだったあの時計。大きな建物も、今はなくなったのだろうか。それを確かめようと思っていたのに、何とした事か。

ちょいと関係機関に電話をかければ確認できることなのだろうが、それでは夢がない。丸メガネのおじいさんの家と同じように、止まったままの時計もまた、日高の川の七不思議として留めておこう。

 

さて、今度確かめに行くのは、いつの事となるだろう。


929.まだ元気でいるだろうか ― 無人島の火焔土器の木

2019年10月22日 | Weblog

先日、びわ湖の「チーム・気まま」で久しぶりの県外海漕ぎをした。10年前に初めて見たあの木はどれ程大きくなったか、まだ元気でいるか確かめたくなって、久しぶりの島へ行くことにした。遠くの台風はまだ悪さをせず、秋が始まった海を楽しんだ日の記録。

 

今回の気ままメンバーは2人。前夜に海辺のお宿に集合し、さっそくに宴会。いつもの事だが、持ってくる物の分担を決めた訳ではないのに不思議とダブらない。

                     

海辺のデッキは潮騒と思いがけないギター演奏で、賑やかな前夜祭となった。夜風が寒くなった頃、宴会はお開きとなり、シュラフに潜った。

翌朝、見事に晴れた秋の空、風は少しあるものの、我らが漕ぎを邪魔する物ではない。さっそくに漕ぎだした。ご一緒願うのは久しぶりのハンチングさん。よろしく

 

本来の目的の島までは真っすぐ行けば4キロ程。向こうに見えている。まずは岸沿いに岬の先端へ。途中、こんな岩がある。

 

一刀両断に切ったような岩。その切り口もさることながら、落ちそうで落ちないその心意気。「落ちそうで落ちない岩」と言うのが各地にあって、それぞれに受験の神様とか、パワースポットと言われて人気がある。この岩にも何かご利益があるのだろうか。ちょっと押したらどうなるか、やってみたいが。

そんな衝動にかられながらもまずはあの島を目指す。

 

岸からも、3キロ沖の島のこの洞門が見えている。何年か前に2度くぐったことがあるが、今日も是非にくぐりたい。と思いながら、まずはこの先の小さな浜に上がって懐かしいお方に会いに行く。

会いに行くと言っても簡単ではない。潮の満ち引きの具合にもより、ひざ下位濡れればいい時も、胸まで浸からなければ行かれない時もあった。今日は腰のあたり。まだ暖かい水で水に浸かっても苦にならない。 それから急な坂道を上って、足を踏み外したら・・ いやそんな事は考えないで行こう。

崖の上の、少し開けた所にお上人様はおいでになる。初めて会ったのは12年前。最後に会ったのは5年前。今回は4回目の訪問だ。 お久しぶりです、お元気でしたか。

 

今日も変わらずインドの方を向き修行をされているようだ。その邪魔をした訳ではないが、しばらくここで、自然や宗教や上人の歴史や原発問題に至るまでのカルチャー講座が開かれた。

その講義の後は島の探索。探索と言っても、草に覆われた細い小径があるだけなのだが、その道からの景色が素晴らしい。

 

この島、苅藻島はいくつかの島からできている複合島。しかし、上がれるのは私が知る限りではこの島だけ。どれ程に絶景か、説明はいらない。

 

この島に来た人は、―その殆どがカヤック乗りだと思うが― 誰もがこの光景に見とれ、カメラを持つ人は誰もが写真を撮るスポット。今時で言う「インスタ映え」ポイントだろうか。ならば私も一枚。

島に上がっている間に風もあがって来た。白波が流れるのがよく見える。ではそろそろ、とまた漕ぎだす。あの洞門はくぐれるだろうか。

 

残念なことに、水位が低く通ることができなかった。この洞門を通ったのは2回。3回目の記録が残せなかったのは残念だったが、上人様に会えただけでも良しとしよう。 では今日の本来の目的地、あの島を目指そう。 

出発の岸からも見えている島、鷹島。私が目指していた物とは、

 

この木を覚えておいでだろうか。10年前、MTシリーズで初めてこの木を見た時に「火焔土器の木」と名付けた木の事を。細い枝が火焔土器の形に広がっていた。 それから何回か見たのだが、最後に見たのは7年前。7年経ったらどんなに大きくなっているだろう。7年の間に何度も台風が来たがあの小さな体で持ちこたえたのだろうか。その姿がどうなったか確かめたくて、またやって来た。

 10年後の姿は、


 波が大きくなり近くまで行くことはできなかったのだが、しっかりと確認できた。「火焔土器の木」健在なり! 小さな体で健気に、あるいは屈強に灯台の岩にしがみつき、火焔土器然の姿を誇示していた。

良かった、壊れていない。と安心すると同時に、10年経っても殆ど大きくなっていないことにも驚いた。小さいままであったから、風で倒されることが無かったのかもしれない。 木は、大自然の中で自分の身の安全を、DNAとして受け継いできたのかもしれない。

元気な木を確かめた後は浜に上がってランチとする。今日はこんなごちそう。

 

アンコウ鍋。少しでいいと言いながら、シメのラーメンもお代わりする。旨さに負けて、ちょっと食べ過ぎた。腹ごなしにあの石碑を探しに行く。

見えるだろうか、あの石碑。

生い茂る草に頭の先だけを見せている石碑。明恵上人が詠んだ詩が刻まれている石碑。今、草に埋もれているのは来る人もなく見捨てられたからなのか。夏草の勢いに押されているだけで、冬になればまたあの詩が詠めるようになるのか。それもこれも、歴史の、自然の、移り変わりの1ページなのだろう。

また風が強くなった。漕ぎだせば横波に押され、カヤックが傾く。おっと、ドキッと何回かし、『それ碇上げ』に続いて『がんばろう』の歌が出る。それほどの風だった。チーム・気ままのメンバーが、「ワァー!」だの「キャー!」だのと声を上げていたが、あれは悲鳴ではなく、歓声だったに違いない。

それでも湾の中に入れば穏やかな海。ちょっと川にも行ってみよう。

 

この川に入るのは初めてだ。どの河口もその河の匂いがする。魚の匂い、木の匂い、船の匂い、護岸に張り付いた海草の匂い。どれも馴染みのない人にとってはクサイ「臭い」だろうが、私は海のいろいろな姿を偲ばせる甘い「匂い」と感じる。そんな港を出て、元の浜に戻る。戻ってみれば、もう少し波風があっても面白かったな、とうそぶいてみる。

カヤックや釣り船たちがすっかり陸に上がり、海には風と波と、名残の夕空が残った。

 

 

火焔土器の安否を確かめただけでなく、お上人様にもご挨拶できた。久しぶりの和歌山の海は、今回も良い海だった。