カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

919.変わった岸と変わらない岸 ― 梅雨前の芽吹き

2019年06月29日 | Weblog

穏やかな、申し分のない夜が明けた。 ただ残念だったのは、ちょいと寝坊した事。

 

辺りの明るさにハッとして起きた時には、太陽はすでに昇っていた。あと1時間早く起きたなら、瑠璃色からライラックに変わる空が見られたのに。あと30分早く起きたなら、橙色から緋色になる空が見られたのに。 まだ幼い太陽と朝の空気を分け合いながら、愚痴を言うのはもったいない。この美しいびわ湖の太陽に感謝しなければ。

朝の太陽はそそくさと昇って行く。広いキャンプ場はまだひっそりとし、しばらく湖を渡る風に吹かれる。

 

今年買ったテントの寝心地は申し分なかった。これまでは一人用の「おにぎりテント」。持ち運びにはコンパクトでいいのだが、出入りするのにちょっと狭い。新しいテントは室内も前室も大きく、出入りもしやすい。寝るだけなら二人でも十分だ。これは「レタステント」と呼ぼうか。 

朝日が元気を増すころ朝食とする。

 

質素な食事だが、外で食べるからおいしいのか、いやいや、友人が作るからおいしいホットサンド。かつては、「トーストにアンコを挟む」、と言ったら悍ましい顔をした人も、今では当たり前のようにおいしいと言う。そうです、餡トーストは美味しいのです! 因みに、アンパンをホットサンドにすると「たい焼き」になる(?)ことを知る人は、まだ少ない。

このキャンプ場は15時までいられるので大助かりだ。今日のカヤックはここからスタートして北上することにした。

対岸の尾根もくっきりと見える。びわ湖が広い。

 

昨日漕いだのがあの辺り、あそこがつづら尾半島。つづら尾もしばらく行っていない。つづら尾と言えば「GONN」さん。鏡のような湖面から枝がバキバキ折れる荒らしまで1日で経験したのはGONNさんと行ったつづら尾半島。

そう言えば、彦根から沖の白石、多景島の三角漕ぎをして、雷雲に追いかけられて慌てて岸を目指したのもGONNさんとだった。三角漕ぎの予定だったがとりあえず一番近い岸を目指して四角漕ぎになった日だった。元気でいると風の便りが知らせてきた。またご一緒願おう。

思い出は思い出として、ではそろそろ漕ぎだそう。

この先の岸は私のお気に入りの場所。水際のマルバヤナギの枝が大きく枝垂れ、覆いかぶさる空間に秘密の隠れ家を作る。湖面に届かない枝は緑のトンネルを作り、枝くぐりの絶好のコース。の、はずだったのだが・・

 

これは枝垂れている、のではなく、倒れている。他にも折れた木、傾いた木、倒れた木、何度も見てきたこの岸とは様子が違う。去年の秋、びわ湖には大きな台風が来て、その時に倒れた木が湖岸のあちこちにある。ここの倒れた木も台風のせいなのだろうか。ここにも、あそこにも、と続く。気がかりな岸だったがちょっと安らぐ岸も。

 

ヨシ保全柵の続く水辺。びわ湖に何ヶ所かあるこんな光景。ヨシが生活の中で使われなくなった今、そのヨシを保全・育生して行くにも課題がある。どれだけ増やせばいいのか、枯れたヨシが水質汚染にならないのか、あのハスの群生地のような事態にならないのか。計算された保全策があるのだろう。

ヨシキリの声が、やかましいほどに響く。声はよく聞くが、なかなか姿を見ない。ヒバリと同じだ。以前、水郷の屋形舟のコースのヨシに、ヨシきりの巣が不自然に見えていた。観光用のディスプレーかと思うのだが。

ヨシキリの囀りが小さくなる頃、見えてきたのは、 おや? 今は春? 

 

若葉の中に、芽吹き始めた木々の微かに赤い新芽がある。これは3月頃の、芽吹きの季節の色合いだ。なぜだろう、おかしい、今は他の木々は力強い緑になっているのに、芽吹きの色とは、いったいどうした事か。

しかし近づいて見れば、新芽の色ではなく、枯れる寸前の、しかし必死で葉を広げようとしている色だった。この一画も多くの木が傾き根回りの底を露に曝け出している。 こんなことで夏を乗り切れるのだろうか。ここも世代交代の時を迎えたのだろうか。

その先には小さなクリークがある。ヒシが広がり、オオバナミズキンバイも咲いている。花は可愛いがこれは厄介な代物。駆除が進んだためだろうか、今年は数が少ないように思うのだが。こんな所は「閉じ込められたい症候群」のカヤックにはたまらなく魅力的な所だ。

そんな夢見心地の城を出るとまた広々とした湖面が開ける。

 

水際すれすれまで木々が生えるこの辺り、陸なのか水中なのか混然とした光景が広がる。水位が下がれば林となり、水位が上がればぬかるみの湿地となる。その境辺りには朽ちた木杭が見られる。そして時々、その朽ちた木の中に小さな木が健気に生きている。

ここには若いシダ。いい具合に朽ちて、いい具合に生えている。 どこかの名のある旅館の廊下の坪庭にありそうな、高級料亭の入口の白玉石の横にありそうな、苔を敷いた水盤に乗せられて床の間に飾られていそうな、我が家の玄関先に置きたいような・・  しかし、これが置けるような家ではない、と言うのがメンバーの一致した思いだった。

 それにしても、盆栽の計算された姿も美しいが、自然(ネイチャー)が自然(ナチュラル)に作った姿も美しい。

 

湿地の先には水鳥の観察所がある。冬鳥が飛来する頃は近づかない辺りだが、十年以上前、やはり「チーム・気まま」で漕いで、そのセンターに行ったことがある。冬鳥たちが帰った後で、事前に連絡して行くと、わざわざ岸まで迎えに来て下さった。上がって「にわか望遠撮影講習」もして下さった。そんな話、覚えておいでの方はずいぶん前からお付き合いのある方だ。 今回は離れて沖の浮き堤を回って行く。ここを過ぎればもうあの常夜灯が見えてくる。

ここは「チェブロさんの岸」。なぜそう言うかと言うと、その話も長くなるし、言わないでおいた方が良いような気もするので・・ とにかくこれは「チェブロさんの岸の常夜灯」。今も夜の湖面を照らしている。

この先、きれいに晴れたびわ湖が遥かに広がるが北上はここまでとし、体力と気分次第で南下の終点を決めることとして、一度元の浜へと戻る。

 

漕ぎ続けて途中こんな小さな岸で一休みとする。これも倒れた木。幹は倒され、根は掘り起こされても枝は精一杯に緑を飾る。子供たちにこんな水辺で遊んでもらいたいと思うのだが、この水辺に来るのはカヤックでなければ至難の業だ。もったいないと思うのは貧乏性だからなのか。

 

スタートが早かったし、びわ湖は穏やかだし、距離も8キロほどと短かったこともあり、昼頃にベースに戻った。あとはランチをしてまったりして、昼からは漕ぐ気がしなくなった、と意見が一致し、今回のキャンプツーリングは早めのお開きとなった。

薄雲が広がったが刺すように澄んだ空、紫外線を余るほど浴びた二日間だった。いいびわ湖だった。次の日から梅雨入りし、絶妙なタイミングのびわ湖だった。

 さて、次のテントはどこで立てようか。

 


918. お馴染みの岸と新しいテント ― 梅雨前のびわ湖

2019年06月28日 | Weblog

今年の梅雨は例年になく遅かった。梅雨がないまま夏になるのではないかと思うほどに遅かった。そんなある日、まるで梅雨明けの爽やかさではないか、と思うほどに良く晴れた日に、「チーム・気まま」でびわ湖を漕ぎ、湖岸のキャンプをした。そんな日の記録。

 

今回はキャンプしての2日漕ぎ。これがまた、2日とも絵に描いたように良く晴れた、こんがり日焼けする、しかし爽やかな日だった。そして次の日から梅雨入り。日の設定はかなり前にしているので、ツーリングの日が絶好の日和になるかどうかなど、全くわからない。「時の運」で決めた日だったが、大当たりの日だった。

メンバーの意向に沿って、湖北の小さな浜から出艇する。何度も利用している浜だが最近はちょっとご無沙汰していた。では、と漕ぎだせば私のお気に入りの岸となる。

 

ご存知、かの有名な?「丸灯篭」の岸。いつもは上から見る湖水だが、今日は湖水から見上げる。せっかくの丸灯篭だが、この位置からは頭しか見えない。ちょっと残念。釣り人やカメラマン、デートのお二人さんに観光のグループ。いつも誰かがいるのだが、今日はひっそりしている。灯篭に手を振って漕ぎ進む。

 

良く晴れた日、湖水の青に空の青、木々の緑に雲の白。単色を張り付けただけのようでいて、重なり合う色のグラデーションが無限の色を作る。う~ん、しかし 実際に目で見える色はこれではないのだけれど・・

桜の時の混雑は、にぎにぎしいと言うより騒々しい。漕いでいてものろのろ動く車のエンジン音がいつまでも続くし、傍若無人な俄かカメラマンが「肖像権」も「プライバシー」もへったくれ、とばかりに写真を撮る。だからここ何年かは桜の頃には来ていない。

しかし、今日は良い。岸の桜が青葉の匂いを振り撒いて、岸に寄せるさざ波が囁く。小さなキャンプ場の前に俄かの賑やかさがある他は、貸し切りの岸。貸し切りの湖上にはこんな島が浮かぶ。

 

竹生島。観光船で、カヤックで何回行っただろう。ただ、カヤックでは上陸に難がある。地図では島の西側に「弁天浜」と書かれている。私の考える「浜」とは、さらさらした砂、もしくは細かい砂利がある岸の事。しかし、竹生島にはそんな「浜」は見たことがない。友人は、昔はあったのじゃないか・・と言うのだが。国土地理院の言う「浜」には、「切り立った岩場」も含まれるのだろうか。気になるなぁ。

そんな事を言いながら進むと、湖岸に大岩・小岩が見えてくる。

 

軽く岩抜けを楽しみ、時々ボトムを擦り、アオサギのしゃがれ声に振り向きながら行けば、いつの間にか目指す岸。 おや、その前に、あれは何だろう。

 

ちょこんと乗っている石。上から落ちて来たものではないようだ。敢えて置いている感のある石。ケルンのような、観音様のような、と見ていると、やはり誰かが積んだとはっきりわかる物が近くにあった。これはこれでびわ湖の観音様、いや、弁天様と言う事にしておこう。

少し早めのランチタイムに懐かしい岸に着く。 

びわ湖八景の一つ、海津の岩礁。ここもよく来た所だ。ここでキャンプをし、暮れなずむ湖面に感動した日。桜の岸で乾杯した日。あの大きな岩の下にもぐり、「びわ湖の巨人の足」を見た日。キャンプの岸を山から見た日。

  

   

                   

まだまだ、宴会し過ぎて翌日漕げなかった日や、変わったゆで卵で盛り上がった日もあった。

思い出いっぱいのキャンプ場。そばの旅館には人の気配がしたが、去年の台風で裏山が崩れてから利用できなくなった。残念なことだ。 

 

パンとバナナだけの質素なランチもこの水辺から見るびわ湖があればベラージオのランチにだって引けをとらない(行ったことはないが・・)

思い出にふけり、さて、と腰を上げる。今日はここまでとし、元の浜へと戻る。 

いろいろなパンフレットに登場するこの光景。まるで写真のようなびわ湖。ここにもまたしばらくご無沙汰するだろうが、次に来る時にも変わらぬ光景であってほしいと願う。

 

帰りは思いのほか風が出た。沖では白波が立ち始めたが、岸沿いに行けば特に問題はなく、ちょいと飛沫がかかっても、爽やかな風がすぐに乾かしてくれる。

12キロ足らずをのんびり漕いで無事ゴールする。メンバーの希望で風呂に行くことになった。何度か行ったことのある湯に行ったが、休館日とのこと。うっかり調べずにいた、私としたことが、これはミスった。

すったもんだをしていると近くにいた人が、思いがけない事を言ってくれた。この先の自分の家でシャワーが使えると。話せば長くなるのでそれはまたの機会にお話しするとして、ご厚意に甘え、シャワーをお借りした。

         お兄さん(?) どうもありがとうございました!         
                          いい感じのお家、今度ゆっくりおじゃまします。

身も心もさっぱりし、今晩のお宿のキャンプ場へ向かう。このキャンプ場は2度目の利用。最初の利用は4年前、これもまた話せば長くなる思い出がある。

まぁ、そんなこんなでさっそく設営。今回はヘキサタープと、今年買ったテント、焚火台その他色々を広げてのキャンプ。新しいテントの設営にちょっと手間取ったが無事設置。宴会メニューもあれこれと並ぶ。  しかし・・

設営後の乾杯でホットしたせいか、その後の写真を撮り忘れた。唯一撮ったのがメンバーが作ったプルコギ。

まぁ、そんなこんなの夜は更け、星明り、波音、焚火の微かな匂い、水辺のテントはいつの間にか眠りに就いた。

さて、明日はどんな日になるだろう・・

 


917. お馴染みで初めての海 ― 開かずの橋の開く時

2019年06月26日 | Weblog

先日、もったいないほど穏やかな日に、そんな穏やかな日に入り江の中を漕ぐなんてもったいない(入り江の中は風のある日のエスケープコース)と言う日に、お馴染みであるのに初めての海を漕いだ。そんな日の記録。

 

最近は外海を漕ぐことが多くなった。湾の中もその外海もくまなく漕いで来たが、この港の入り江の中は、何度も近くを漕いでいるのになぜかそこだけ漕いでいないミステリーゾーンだった。ならば行かねば、と思い立つ日が来た。

この辺りの海は何ヶ所か出艇場所があるが、今回はこんな物が見える所。

 

大きな丸い「何か」。養殖の生簀かと思っていた。詳しく見てみたいと思いつつ、いつもそそくさと通り過ぎていた所だ。今回はじっくりと見てみよう。

どれどれ、、ほぉー、、なるほどね、、

 

なるほど、と唸るほどの事はわからないのだが、とりあえずこんな風になっていることはわかった。ドーナツ状の「それ」は海水が出入りでき、消波ブロックにも生簀にも、花火の打ち上げにも良いかもしれない。ケーソンと言うらしい「それ」の使命は、謎に包まれているのも、また魅力の一つだろう。と言いつつ、今度、地元事情に詳しい人に聞いてみよう。

波風のある日は近づけない荒磯も今日は遊び放題。

 

         

海では、びわ湖でもそうだが、陸から付き出た地形を「岬」とか「鼻」とか言う。正確な区分は知らないが、私的には、漕いで20分以上かかる所は「岬」、それ以内なら「鼻」。で、小さな鼻を越えると大きく港が開ける。

時折漁船が通るが、意外と静かな港だ。今の時間だから静かなのか、今日だから静かなのか。港の北側は何度か行ったことがある。今回は西の入り江。初めて行く海だ、どんな所だろう。

入り江の奥に行くには橋を2つくぐる。何年か前、いつかこの橋をくぐろうと車で下見をしたことがあったが妙な形のオブジェを見た。

 

こうして下から見るとまさにその通り、と納得する。α橋、とはよく名付けた。その先には可動橋。

 

いつ開くのだろうか、5分、10分なら待っているのだが、作業している漁師に聞いても、いつ開くかは、はからないとのこと。暫く待っていたが、開く気配がなく、残念に思いながら先へと進んだ。

入り江の中はますます静まり返る。風も潮も波も、雲の湧きたつ音を聞こうとしているかのように、しーんと息を殺している。岸の喫茶店から誰かがこちらを見ている。目と目があった。この道も何度も通った道だが、こんな所に喫茶店があったなんて、気が付かずにいた。今までどこを見ていたのだろう。

入り江の奥から硬い音が聞こえてくる。

 

造船所のドックからの音。カーン、カーン、カーン。金づちで鉄板を叩いているような音だ。何と言うか、「手作り感」とでもいう暖かさを感じる音。造船所の音と言ったら、重機の唸るような騒音やドリルのけたたましい叫びや鋼材のぶつかり合う重厚な響きの溢れている所と思っていた。 そんな日もあるのだろうが、今日のこの造船所の音は、さしずめ、幼子が母親に爪を切ってもらっている場面の音、とでも言おうか。

カーン、カーンの音も次第に遠のき、入り江はひっそり静まり返り、時が止まったようだ。

 

パドルの雫が作る輪が広がり、カヤックがかき分ける波が小さなシワを作る。鏡面の水面を得ようと雫の一つ先へと行く、そんな進み方をしながら行くと何やら赤い鳥居が見えてきた。

 

市杵島神社の幟。弁天様だろうか。何を願って参いろうか。私は漁はしないし、楽曲も励まない。立身出世は望まないし、縁結びも今更だ。しいて言うなら、金運・家内安全、ついでに国家鎮護。おっと大事な海の安全。そんなにお願いしていいものかわからないままに、ただ漠然と手を合わせる。

    何かの神さま、何事も、何卒 よろしくお願いします。

 小さな入り江をぐるりと回り、また可動橋へ戻る。

 

いつ開くのだろう。せっかく来たのだから見てみたいのだがしばらく待ってみても一向に動く気配がない。待ちきれずに去ることにした。

 

「私たちが帰った後に開いたら腹が立つね」と言う話を、橋は聞いていたのかいないのか。時々振り返っても開くことはなかった。

今日の予定を漕ぎ終わり、漕ぎながら見た喫茶店に行ってみる。店に入るなり、「さっき、ここを漕いでいた人でしょ」と。「はいそうです、さっき目が合いましたね」。 

可動橋の事を聞いてみると、どうやら朝に動くことが多いとか。それでも店の人が双眼鏡で橋を見てくれる。

      あ、開くかな。あ、違った

やっぱり朝が狙い目か。それと、私の勘違いがわかったのだが、私の知っている「可動橋」はどれもハの字に開く「跳ね橋」だった。しかしここの橋は上下にスライドして開く橋とのこと。 そう言えば何年か前、下見に来た時にそんな話を聞いたような気が、しないでもない気がしてきた・・

 

何度も通ったのに初めて来た海。何度も見ているのに今日も見られなかった、可動橋の上がるところ。

梅雨前の見事に晴れた穏やかな日に、静かな入り江を探索した日だった。いい港だった。

 


916.祠の主はいずこに? ― 下からも上からもの海と山

2019年06月22日 | Weblog

いつものことながら、ちょいと前の記録。

それにしても、何もやることが無く退屈な日々、と言うのは辛いだろうが、やることが多すぎて尻に火が付いてくる、と言うのも困ったものだ。そんな熱い日に、それでもこれは優先事項、とカヤックの記録を記す。

 

冬の終わり頃漕いだ海で、見上げる崖の上に3つの「何か」を見た。2つは山歩きの地図にも載っている祠と展望所。今回はそれを確かめに行って来た。もう1つの「何か」は、それはまた後にして・・

案内係はいつもの「バルト」さん。今日もよろしく。

バルトさんは以前ここを歩いたことがあり、この私でも行けそうと言う事で今回の運びとなった。「本当に簡単で、ちょいちょいと言って来られる」と言う言葉を私は半分しか信用していなかった。バルトさんの「ちょいちょい」は、私の「かなり」であることを、これまでの経験で会得していたからだ。

案の定、それほどちょいちょいではなかった。急な斜面は張られたロープを引いて上ったし、石段は手すりに縋りついたし、何度も立ち止まって息を整えたし・・。それでも、終わってしまえば「ちょいちょいと行かれる山」だったと、と言っておこう。

お馴染みとなった海辺から出発する。歩き始めはちょいちょいのお散歩コース。バルトさんは「日傘」をさして上っていく。しかしこの時点で私は、「杖」を持って来れば良かったと後悔する。

 

上から見ると単に左右を分けるロープのように見えるが、下から見た時には断崖絶壁のクライミングロープに見えた。この時点で杖など持っていたらかえって登れない、持って来なくて良かった、と先見の明に自画自賛した。

こんな上りがしばらく続き、視界が開けると、こんな光景が広がる。ここから見下ろす海は以前漕いだ海。そうそう、あの浜で昼食をとったんだった。小さな浜にも名前があることを、後で知った。

 

そして出会った「1つ目の何か」。レンガの小さな祠跡。そこにはどなたもおいでにはならず、お供えされたと思われる酒の瓶や皿のかけらがあるだけだった。近くには小さな鳥居とレンガの基礎台。どんな神様がおいでになっていたのだろう。

 

切り倒された木々は見晴らしを良くし、神が不在となった祠の時間の長さを物語る。どれ程前までここに祀られていたのだろう。どんな理由でここをお発ちになったのだろう。今はどこにおいでなのだろう。

この祠を初めて見たのは4ヵ月前のこんな日。

 

海を漕いで、「ほら、あそこに何かある」。と言って見つけた物。いつかあの「何か」を確かめに行こうと思った日だった。実は、漕いでいる時にこの他にも祠らしき「何か」も見たのだが、それを確認するのは至難の業らしい。とりあえず1つは確認できた。あるじのいない祠に別れを告げ、覆いかぶさる木々の道を暫く行くとまた突然に開ける。

 

 あの岬の先端に 
 赤い大きな岩がありましたね 

 うねりがあって
 なかなか浜に
 上がれない日でしたね

 

 

 

 

 

息を切らせて登って来た人に、ちょっと一服してください。とばかりに据えられているベンチ。「2つ目の何か」。平家街道と呼ばれる山道を、平家の人々も歩いたのだろうか。その頃にも、一休みの腰掛があったのだろうか。木々やシダや腰掛が変わっても、この光景、あの岩は変わらずに平家人を慰めていたのだろうか。

振り向けば、ここも又漕いだ海。

 

あの池は海跡湖なのだろうか、それとも入り江の砂州が伸びてできたのだろうか。いつか山の上から見下ろすことになるとは、思いもよらずに漕いでいた。暫く進むと更に視界が開ける。

 

英虞湾、御座の岬もはっきりと見え、遠く大島・小島までも朧に見える。皆漕いだ海だ。それぞれに漕いだ人と出来事とが思い出される。「走馬灯のように」と言う言い方があるが、近ごろは走馬灯を見ることもなくなった。それでも思い出は回っている。

眼下の海は五ケ所湾。あそこにもたくさんの思い出がある。満月の夜に漕ぎ出した岸がある。海が異様に明るくて月明かりの偉大さに驚いた。地元の人達が月見の宴をしていて、「この穴から満月を覗いて願い事を唱えると叶うと言うよ」と言って、穴の開いたナスとゆで卵をもらった。何年前の事だろう。

「追いやれ祭り」も見た。たまたま泊った宿の女将さんが、「半紙に自分の髪の毛を包んで小舟に乗せて海に流すと厄が落ちる」と私たちも祭りに参加させてくれた。あれもいつの事だっただろう。

狭い水路の先の池に漁船が何隻もあった。カヤックでも気を遣う狭い水路を、どうやって漁船を通したのか、未だに不思議だ。ボトルシップとか、瓶てまりとか、意表を突くやり方があるのだろうか。

思い出から現実に戻り、見飽きぬ景色を後にして先に進む。シダが道を塞ぐが、下り道は軽快だ。ここなら日傘も役に立つ。

 

しばらく行くと、海と港と町を見下ろす所にこんな鳥居が現れる

 

白い鳥居。これまでにも何回か見た事のある白い鳥居。その色に何か意味があるのか、いくつかの鳥居について調べたが、特段の理由にはたどり着けなかった。そう言えば、別の湾の小さな島の弁天様は黄色の鳥居だった。神社関係者に問うと「ただ赤く塗らなかっただけ」との返事だった。鳥居は赤、と思い込むのは間違いということか。石の鳥居は石の色をしている。

 

昔は「浅間」と言う文字を「あさま」としか読まないと思っていた。しかし三重の海・山を知るようになってから、これは「せんげん」と読むことを知った。それぞれの地区に「浅間山」があり「浅間神社」がある。

神社には立派な社が建つものもあり、小さな石の祠だけの物もあり、朽ちた鳥居が倒れたままの神社もあった。それぞれに、そこに神を祀った時と人の思いが眠っている。

 

ここの神様は何と言うお名前なのだろう。男女一対の石像が鎮座されている。 ずいぶん昔、学校の授業で 木で仏像を彫ったことがある。念じて彫ると魂が宿り、「丸太」が「仏」になると言われた。その時の私が何かを念じて彫っていたか、その木が仏様になったか、木彫りの仏像が今どこにあるのか、今となっては何もわからない。それでも、道端の小さな仏像や鳥居や木や岩にさえ魂を込めて拝んだ人々のささやかな願いが思われる。

 

振り返れば白い鳥居が威厳を放って建つ。こちら側から上る人には畏れ多い神の領域を意識させるに十分な佇まいだ。

港に下りる山道は礫や小岩や枯葉などで足を滑らせるが、土留めの杭を止めるピンがまだ新しい。値札が付いたままの物もあり、ごく最近手入れがされたようだ。どこの誰だか知らない人が、どこの誰だか知らない人のために労金を費やしてくださった。ありがたい事だ。感謝する。

 

池と言うには大きすぎる大池。漁船の出入りもなく、静かな水面に時折風が吹く。あともう少し、頑張ろう。

尾根の祠探しの旅、距離は短かったが意外と時間がかかった。しかし、知りたかった物がレンガの祠だったと確認でき、思いがけずに山の神社にお参りし、山歩きに日傘も便利だとわかり、暑過ぎず、程ほどの運動ができ、

 

海を漕いで見上げた山を歩き、山から見下ろして漕いだ海を見る。「下からも上からも」の、私流カヤックを楽しんだ日だった。良い日だった。 次はどの下からか、どの上からか。

 


915. 名句と共に島渡り ― 松島の海

2019年06月10日 | Weblog

民謡にもある松島。俳句にもある松島。日本三景でもある松島。多島海でも有名な松島。そんな松島の海を、いつか漕ぎたいと思っていた「いつか」がやって来た日の記録。

 

前日に食べきれない程の料理の山と格闘し、朝は朝で海辺の幸を頂いてやって来た海。初めての松島の海。「お初にお目にかかります」の海は上々の天気。わっせわっせと舟を運ぶと汗が滲む。例の四人衆、今日はどこまで漕げるだろう。さっそくに舟出する。

 

お堂がある小さな島にかかるこんな橋。目にも鮮やかな朱塗りの橋をくぐれば別の今日が始まりそうで引き付けられる。しかし、ここは通れない。

 

島のお堂は瑞巌寺の仏堂の一つ。乗ったままで失礼ではありますが、と手を合わせる。その先には大小さまざまな島。いよいよ『松島』本番だ。行き方はいろいろありそうだが今日はあの橋をくぐってから、と島を繋ぐ長い橋をくぐる。

前日に漕いだ海よりさらに平坦な島々が並ぶ。太平洋に面してはいるが、たくさんの島が波消しとなっているのだろうか、削られた岩でさえ優しさがある。

 

「枝くぐり」はできないが「岩くぐり」にいい具合の岸がある。ここも又水準器で計ったように一直線の水辺を作る。地層が引き裂かれることなく、押しつぶされることなく、折り曲げられることなく、静かに眠って来た証だ、少なくともこの岸は。 時々ノジュールがあり、洒落たペンダントトップを見せる。

右にも左にも島が見える。島なのか本土なのか。島なのか半島なのか。

 

地図で見れば今にもちぎれそうな細長い島がある。今は1つの島となっているが、遠い未来にはいくつかの小さい島に分かれているのだろうか。それとも周りの島と合わさって大きな島になっているのだろうか。 プレートの移動、などと言う言葉は科学に裏付けられた現実的な言葉のように聞こえるが、日々の生活の中では70年に1度御開帳される秘仏ほどに非日常な言葉だ。

それより、恋焦がれた2つの島が何万年もの時を越えてやっと手をつなぐことができた「引き寄せ島」
傲慢な巨人が神の怒りにふれて手足をちぎられて、放り投げだされた手足が島になった「手足島」
そんな、国土地理院の地図には記されていない名前を付けて行くのも島渡りの楽しみだ。

実際の地図にはそれぞれに名前が付いているが、その由縁を紐解いていくカヤックもまた良い。大型の動力船が近づくことのできない岩肌に触れて、岩の息遣いを感じるのも良い。

島の一画がやけに騒がしい。水鳥の雛のようだ。

 

びっしり営巣された木はでフン害で枯れている。びわ湖でも大問題となったが、害鳥として駆除された鵜には罪はなく、この海は、観光業者ではなく、水鳥の方に先住権があるのかもしれない。これ以上水鳥が悪者にならないためにも、被害が広がらないようにと願う。そうそう、カモメにエサをやらないで、と立て札があった。

幾つかの島を回り小さな浜に上がって昼食とする。ふと気が付くと後ろの崖が面白い。

 

「騒乱状態」の地層は呆れ返る興奮があるが、こんな地層のこんな切れ込みには惚れ惚れする興奮がある。切り込みを入れられた竹の切り口のようだ。左側は名刀正宗でバッサリ切ったところ。左側は竹挽鋸で切ったところ。斬鉄剣なら左右同時に切れるだろうか・・。作られた物語とこれから作る物語、何も語らない物はいろいろな物語を教えてくれる。

我ら以外、誰もいないと思っていた水辺に、突如人が現れる。えっ!いったいどこから!? カヤックの人が上陸するならわかるが、明らかに観光客風の人が歩いて来る、それも何人も。

なんと、ここは、長い橋が架かる島の遊歩道下だったのだ。観光客も驚いたに違いない。 実はこの島、2日前に散策に来た島だった。確かに遊歩道があったし、浜に下りる道があった。 今日はその道を上がって遊歩道に出る。展望所に上がると、今漕いで来た海、これから漕ぎに行く海が広がる。

 

どこからどこまでが1つの島なのだろう。案内板によれば、10個以上見えるはずなのだが、連なる島々は水平線を消す。名前も覚えきれない。まとめて「島」と言おう。 下からも、上からもの光景を手に入れたし、そろそろ出発しようか。まずはあの島、小さいが一人前に「島」と名が付く。

『千貫島』。伊達政宗公が「この島を館に運んだら銭千貫遣わす」と言ったのでこの名前がついたとか。今の時代なら、この位の大きさの物なら物理的には移動は可能だろう。大型ヘリで釣りあげるか、曳家工法で行くか。 その前に、千貫とは、今の金額ではどの位になるのだろう。費用対効果は・・

そんな下世話な話はこの位にして、それにしてもあの松はこの島には無くてはならない物のようだ。ロープで支えられている。確かに島の見栄えが良くなる。カモメは、悪戯者が来ないよう見張り番をしているのだろうか。お役目、ご苦労様です。

この木を見て、和歌山の島にある『火焔土器の木』を思い出した。この木を覚えているお方はそう多くはないだろう。

 

初めて会ったのは、ちょうど10年前のこの月。それから何度か会いに行ったが、最後に会ってから何年も経つ。どうしているだろう。今年、会いに行ってみよう。

更に幾つかの島を巡る。奇岩・珍岩、波が作るオブジェの妙をカメラに収めようとしたのだが・・

な、何とした事か、バッテリー切れとは! クライマックスの岩たちは撮り損ねたが、急遽差し替えたバッテリーで漕ぎの締めくくりは撮ることができた。

 

大漁旗を掲げる船がかき分ける波のようだ。「えんやぁどっと、えんやぁどっと」。そんな祝いのが唄が聞こえそうな岸がある。私もまた、祝い唄のご相伴にあずかろう。

12キロ程の松島の海を一巡りして無事お堂の浜に戻った。

 

景勝ではあるが奇をてらわず、穏やかないい海だった。

しかし、よくある話だが、

パンフレットにある幾多の島々が浮かぶ海、あの光景はドローンに乗らないと見られない景色だな。カヤックから見える島は連なって大きな島に見える。言い換えれば大島ができる程島が重なっている、と言う事なのか。それにしても、芭蕉はどの光景を見て松島を詠ったのだろう。

すっかりお腹を空かせ、ちょっと遠い街のお宿へと着いた。「海辺の民宿」と言う既存のイメージとはずいぶん違う洒落たお宿。それも又震災の結果とか。新しいを喜べない理由が、ここにもあった。

 

昨日の宿もそうだったが海辺の民宿はどこでも満足の料理が出る。しかしこのお宿には仰天した。

食べきれるだろうか、と一皿手を付けたところで舟盛がデンと登場する。これも通常料金の内なのか、と驚いていると、トドメを刺して牡蠣の群舞が舞い降りる。驚きを越えてあっけにとられ、写真を忘れた。

今日も又良い海だった。漕ぎにも宴にも、海の幸が満載だった。四人衆も今日は最後まで漕いだ。さて、明日はどうするか・・

 


914.久しぶりの再会 ― 新しい堤防の島

2019年06月09日 | Weblog

久しぶりに新幹線に乗った。久々ぶりに「乗り継ぎ」をやった。帰りの切符を買うのにスッタモンダがあったものの何とか乗り切り、遠出の旅は無事に終わった。そんな旅をして行ったのは宮城の海。長年思っていた海と島とをやっと成し遂げた日の記録。

 

遠くの街に3人のカヤック友がいる。私と同じ世代の人と、ちょいと年上の人と、一回り上の人。年に1、2度一緒に漕ぐのだが、今年も又そんな再会の日がやって来て、相変わらずの息災を喜び合った。 この四人衆、ボチボチ漕ぎを常とし、ほどほど漕ぎをモットーとする。

今回のメンバーは6人。我ら四人衆の他に強者がお二人。全員揃ったところで、小さな穏やかな浜から出艇する。この辺り一帯の堤防は白く整然と積まれ、小さな集落にも洒落た今風の家が建つ。その新しさが、先の震災の被害の大きさを物語っているようで、きれいな町だと喜べない。

しかし海は水も岩も木も美しい夏色で迎えてくれる。漕ぎだした浜は大きな島の浜。島とは言っても短い橋で結ばれていて、ここが「島」と言う感覚が湧かない。天気がはっきりせず、写真写りは悪いがこの位の風なら上々の海だと漕ぎだす。

 

じきに小さな洞門をくぐる。この辺り、目印とする高い山はない。複雑に入り組んだ地形と小さな島々に、洞門一つくぐると方向がわからなくなる。だから常に新しい感動を味わえる。得な性分だ。ここにも洞門があった。

 

岸は穏やかな地層とその上に松を乗せる岩。伊豆の猛々しい崖とも、山陰の荒々しい崖とも、熊野の艶めかしい崖とも違う、何と言うか、「清純な崖」とでも言おうか。 悶えるような収斂や、奇想天外な節理や、摩訶不思議な湾曲や、そんな地層学者を喜ばせる一発芸を持たない控え目さ。

 

長い間穏やかに積もり、静かに眠り、緩く木々を遊ばせてきた崖。島の海岸線はこんな崖の岸が続く。どこをとっても長閑な光景が連なり、ここに大津波が来たのだろうか、と俄かには信じがたい。

劇的なパフォーマンスをすることなく続いていた崖に妙に人工的な窪みがある。何だろう。

 

人工的、と思ったその切り取りもよく見ればそれもまた自然の営みで生まれた物だった。水平に堆積された地層はナイフで切ったように抜け落ちて、どこぞの城塞の入口のようだ。高くなく、低くなく、アイロンで伸ばしたように平らに続く地層、その地層が作る崖。どことして同じ所はないのに、どこも同じに見える。そんな水辺を漕いで、小さな浜に上がる。

 

向いの岸には白く伸びる防潮堤。的矢湾や英虞湾にも数限りなく防潮堤はあった。不思議な引力を感じ、その防潮堤の中に入ると、そこは別世界の不思議さがあった。 無数のガラス玉が埋もれていたり、かつての賑わいを偲ばせる廃屋があったり、栽培しているのか思うほどのハンゲショウの湿地があったり、バッタリ鹿とであったり・・

そんな発見はどれも、少し黒ずみ、少し藻が生えていたり、野積みの石が1つ2つ外れていたり、色あせた漁網が絡んでいたり、周囲の山とは明らかに違う植生があったり。初めて見るのに、なぜか懐かしい人の匂いを感じる防潮堤だった。だからそんな防潮堤を上って中を見てきた。

しかし三陸の、この島の防潮堤はまだ新しく、懐かしい匂いがしない。懐かしくはない姿が目の前に広がると胸が痛い。そんな浜で昼食をとり、風の出始めた海へ漕ぎだす。

 

向いの島との間の海峡。その幅は狭い所は100メートルもない。そのせいか波が立つ。潮も動いているようだ。海峡を抜ければ今度は風が当たる。さて、この状況でどこまで漕ぐか。

まぁ、私はいつも気ままな漕ぎをしているし、びわ湖での「チーム・気まま」は予定などあってないような漕ぎをする。しかし今回集ったメンバーの中の3人は、ちょっと風が出ると、波があると、案内してくれる強者に

「今日の我らの漕ぎはここまで。悪いけど、ちょいと一っ走りして車取って来て」 とか、「悪いけど、一人で漕いで帰って車で迎えに来て。ここで待ってるから」とか、何の躊躇もなく(?)言う面々だ。私は、それに便乗して待っている組に入るだけなのだが(という事にしておく)。

 

そんな事で、今回も小さな港の岸に上がり、歩いて車を取に行った強者を待つことにした。漕ぐ距離が短かったこともあり、早めに終わった夕方は今度は足を動かす番、と小径散策へと出かけた。

 

おっと、それを話すと長くなりそうだ。宿の夕食だろうか、魚の煮付けの良い匂いがしてきた。魚を待たせるわけにはいかない。今日の記録はここまでにしておこう。

いい海だった。運転手を歩かせたが、それも又我ら四人衆の四人衆たる所以だろう。さて、明日はどこを漕ぐだろ。