先日、「チーム・気まま」で水郷を漕いだ。 水郷は、「その時のそこ!」と狙い撃ちして漕ぐ時もあるが、びわ湖漕ぎを予定していたが風が強くて漕げない時に代替えコースとして利用することもある。
今回は、びわ湖漕ぎの予定の日に、そよ風が吹く穏やかな日に、田植えの水が入って1年で一番濁っている時季に、澄んだびわ湖を外して水郷を漕いだ。 まぁ、その理由には整形外科的諸事情ってやつがあったりして・・
と言う訳で、のんびり漕ぎの水郷へやって来た。
水郷へは、春に桜が咲いたからと、夏にヨシが茂ったからと、秋に水鳥がやってきたからと、冬に枯れ穂に雪が積もったからと、口実なんて必要なく、行きたい時に行っている。 のはずなのだが、車では行っても、漕ぎに行ったのは3年ぶりだった。何と、ご無沙汰したことだろう。
そんな水郷にさっそくに漕ぎだす。
いつもは偉そうに「案内役」を豪語する?私だが、今回は相棒がガイド役。 コースは(私が名付けた)南水路から北水路を抜け、西ノ湖から中水路で戻るコース。
ガイドさん、よろしくお願いします。
迷路の水郷、遭難せずに帰れますように。
迷路、とは言うものの、目印がたくさんあるし、どこでも上がれるし、岸伝いに行けば必ず戻って来られるので(たいていの場合は)、遭難するのは難しい。途中出会った屋形船の船頭さんと挨拶をかわし、ガイドデビューの相棒の後ろ姿を追いながら行く。
細い水路を抜けると広い湖面。ちょっと風が吹く。久しぶりの桜の公園。東屋もカヤックから見ると緑の中に埋もれている。ここは思いがけない出会いがあった場所、あとでゆっくり来よう。おっと、ガイドさんがもうあんな所に。
ヨシキリの声が響く水路を抜けると目の前が大きく開く。西ノ湖に出た。 地図で見ると単調な内湖のようだが漕いでみると、ヨシの湿地や小さな船溜まり、朽ちた板橋、田んぼの跡など、想像と好奇心をくすぐる見所満載の内湖だ。今回はチラ見をするだけにとどめる。
とは言うものの、ここまで来たならちょいとあの木にご挨拶に行く。
「境界の木」 以前ちょうどこの木の所が二つの市町の境界だったのでそう名付けた。今は合併され一つの市になったので境界はなくなったが、それでも「境界の木」はその役目を果たしている。境界の木は、秘密の水路の入口の目印でもある。 陸からは見えない、水面を行く者にしか見えない秘密の水路。 今はヨシが更に水路を狭めていた。
ここ、本当に秘境っぽいんだけどな、行きたいな・・
いやいや、ガイドさんはもう引き返している。心残りではあるが、私も戻ろう。
西ノ湖から元来た水路を探してみても、素人さんには? ちょっとわからない。新米ガイドさんはわかるだろうか。
大丈夫、あの木が目印。「角の木」水路の角に立つ木。 周りの木や草が枯れる冬はよくわかるのだが、緑が濃くなるとどの木も同じに見えてくる。そんな時の目印は・・
角の木も無事にクリアしてその先は、
「双子の木」
どうやら「二卵性」のようです
何年か前の冬の日に、初めてこの2本の木を見た時、左右同じように枝を伸ばしているので双子のように見えた。それで「双子の木」と名付けたのだが、こうしてみると葉の付き方が違う。ガイドさんが「これは二卵性だね」と解説してくれる。そのようですね。
時代劇の撮影に使われる橋がある。ある時漕いでいると、「本番なので静かに通って下さい」と言われたことがあった。股旅風の役者を見上げるようにして漕いだことがあった。もしかしてパドルの水音は浪人が乗った舟の水音に使われたかもしれない。そうだったらいいのに。使用料は要らない。
昼食の公園には上陸場所が3カ所あるが、今回は第一ポイント。 上がってさっそくにランチの用意。
ガイドさんのバナナホットサンド(私のリクエスト)。これは意外とイケルので皆に広めたい。 私は、代り映えのしない豚汁。他にあれやらこれやらで、水辺のランチは豪華に彩られた。頂きます!
ランチの後はちょっと散策。ヨシ原の中に散策路ができている。木で作られた物は木道だろうが、金属で(鉄?)でできた物は、やはり「金属の木道」と言うのだろうか。
子供ならすっぽりと隠れてしまう草丈。高く伸びたトウモロコシ畑の中から往年の野球選手が出てくる映画がある。「君が作れば彼は来る」そんなセリフのシーンを思い出す。誰かが小道を作り、私は来た。
この公園には、にも、いろいろな思い出がある。ウッドデッキから上がった日に「ウッドデッキさん」とあった。何年前の事だろう。ウッドデッキさん、元気にしているだろうか。「先生」の出版記念をしたのは桜の咲く時だった。私の名前が本の1行に書かれていて気恥ずかしかった。水没した散策路をカヤックで漕いだのは、何回あっただろう。
船頭さんの漕ぐ舟を見送って、私たちも舟出する。 3年ぶりの竜神さま。しょっちゅうお参りしているような気がするが、何と、3年ぶりの竜神様だった。
初めてお会いしたのはいつだっただろう。その頃は水辺でカメラを持ち歩くことが無かったので写真はない。初めてカメラに残したのは11年前。
11年前の5月
お社の横に涼し気な木
竜神様をお守りしていました
7年前の7月
枝だけ残し木は枯れたようです
まだまだ大きくなれるはずだったのに
5年前の4月
枯れた木の反対側に
若い苗木が控えています
世代交代の時です
元気に育てと願います
3年前の6月
背伸びして竜神様を追い越しました
アカメヤナギでしょうか
それから3年経った今年、竜神様の木はずいぶん大きくなり、お守りする役目をしっかりと果たしているようだ。
水郷にはどこにでもあるありふれた木なのだが、一期一会の出会いの人もいれば、十年一昔の思い出話をする人もいる。 水郷の歴史、竜神様の歴史、そして私のカヤック史が育つ水辺。ありふれた木が特別の木になる場所だ。
大きく広がるヨシ原。ヨシキリが盛んに鳴く。近くに巣があるのだろうか。賑やかと言うより騒々しい。水辺の鳥たちは、白鳥にしてもカモにしてもアヒルにしても、上品な鳴き声の鳥を知らない。カワセミでさえ、うるさくはないにしろ、可憐とも優美とも思えない。アオサギに至っては、10羽いたら騒音に近い。
その先には「スカートの橋」。地図には別の名前がかかれているが、この橋は「スカートの橋」以外の何物でもない。
腰板の外れた所にも風情がある。変に新しい板を貼ったりしないでもらいたいものだ。 古くなり朽ちて崩れることがナチュラルな自然であるなら、そこに人が手を加えない事がネイチャーの自然ではないだろうか。昔ながらの風情と言うならこの外れた腰板の橋こそ、昔ながらの風情かと、思うのだが。
中水路の出口近くにこんな木がある。
「ぞうりの木」 7年前に気が付いたのだが、倒れたヤナギの根が抱えていたぞうり。剥き出しのはらわたをさらけ出し、それでもしっかり抱えていた鼻緒の切れた草履があった。水郷に来たら懐かしさにおいて、竜神さまと同じ格付けにある草履の木だ。 今はヨシが広がり、「ぞうりの木」の草履を見つけることは難しい。
何年か経てば、これが「ぞうりのき」であることを知る人も居なくなるだろう。残念な気がするが、そうやって水郷は新しい顔を作りながら歴史を重ねていくのだろう。ならば私は消える水辺の語り部になろう。
水郷を漕ぐのはこれで20回目位だろうか。漕ぐたびに歴史が積まれて行く。消える歴史、生まれる歴史。水郷に来る人はどんな歴史を作っているのだろう。とりあえず、相棒のガイドデビューは無事終わり、新しい歴史が生まれた。