カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

875.消える歴史、生まれる歴史 ― ガイドデビューの水郷

2018年05月29日 | Weblog

先日、「チーム・気まま」で水郷を漕いだ。 水郷は、「その時のそこ!」と狙い撃ちして漕ぐ時もあるが、びわ湖漕ぎを予定していたが風が強くて漕げない時に代替えコースとして利用することもある。

今回は、びわ湖漕ぎの予定の日に、そよ風が吹く穏やかな日に、田植えの水が入って1年で一番濁っている時季に、澄んだびわ湖を外して水郷を漕いだ。 まぁ、その理由には整形外科的諸事情ってやつがあったりして・・

と言う訳で、のんびり漕ぎの水郷へやって来た。

水郷へは、春に桜が咲いたからと、夏にヨシが茂ったからと、秋に水鳥がやってきたからと、冬に枯れ穂に雪が積もったからと、口実なんて必要なく、行きたい時に行っている。 のはずなのだが、車では行っても、漕ぎに行ったのは3年ぶりだった。何と、ご無沙汰したことだろう。

そんな水郷にさっそくに漕ぎだす。

いつもは偉そうに「案内役」を豪語する?私だが、今回は相棒がガイド役。 コースは(私が名付けた)南水路から北水路を抜け、西ノ湖から中水路で戻るコース。

     ガイドさん、よろしくお願いします。
     迷路の水郷、遭難せずに帰れますように。

迷路、とは言うものの、目印がたくさんあるし、どこでも上がれるし、岸伝いに行けば必ず戻って来られるので(たいていの場合は)、遭難するのは難しい。途中出会った屋形船の船頭さんと挨拶をかわし、ガイドデビューの相棒の後ろ姿を追いながら行く。

細い水路を抜けると広い湖面。ちょっと風が吹く。久しぶりの桜の公園。東屋もカヤックから見ると緑の中に埋もれている。ここは思いがけない出会いがあった場所、あとでゆっくり来よう。おっと、ガイドさんがもうあんな所に。

ヨシキリの声が響く水路を抜けると目の前が大きく開く。西ノ湖に出た。 地図で見ると単調な内湖のようだが漕いでみると、ヨシの湿地や小さな船溜まり、朽ちた板橋、田んぼの跡など、想像と好奇心をくすぐる見所満載の内湖だ。今回はチラ見をするだけにとどめる。

 

とは言うものの、ここまで来たならちょいとあの木にご挨拶に行く。

「境界の木」 以前ちょうどこの木の所が二つの市町の境界だったのでそう名付けた。今は合併され一つの市になったので境界はなくなったが、それでも「境界の木」はその役目を果たしている。境界の木は、秘密の水路の入口の目印でもある。 陸からは見えない、水面を行く者にしか見えない秘密の水路。 今はヨシが更に水路を狭めていた。

      ここ、本当に秘境っぽいんだけどな、行きたいな・・

いやいや、ガイドさんはもう引き返している。心残りではあるが、私も戻ろう。

 

西ノ湖から元来た水路を探してみても、素人さんには? ちょっとわからない。新米ガイドさんはわかるだろうか。

大丈夫、あの木が目印。「角の木」水路の角に立つ木。 周りの木や草が枯れる冬はよくわかるのだが、緑が濃くなるとどの木も同じに見えてくる。そんな時の目印は・・

角の木も無事にクリアしてその先は、

 

 

 「双子の木」

 どうやら「二卵性」のようです
 

 

 

 

 

 
何年か前の冬の日に、初めてこの2本の木を見た時、左右同じように枝を伸ばしているので双子のように見えた。それで「双子の木」と名付けたのだが、こうしてみると葉の付き方が違う。ガイドさんが「これは二卵性だね」と解説してくれる。そのようですね。

時代劇の撮影に使われる橋がある。ある時漕いでいると、「本番なので静かに通って下さい」と言われたことがあった。股旅風の役者を見上げるようにして漕いだことがあった。もしかしてパドルの水音は浪人が乗った舟の水音に使われたかもしれない。そうだったらいいのに。使用料は要らない。

昼食の公園には上陸場所が3カ所あるが、今回は第一ポイント。 上がってさっそくにランチの用意。

ガイドさんのバナナホットサンド(私のリクエスト)。これは意外とイケルので皆に広めたい。 私は、代り映えのしない豚汁。他にあれやらこれやらで、水辺のランチは豪華に彩られた。頂きます!

ランチの後はちょっと散策。ヨシ原の中に散策路ができている。木で作られた物は木道だろうが、金属で(鉄?)でできた物は、やはり「金属の木道」と言うのだろうか。

 子供ならすっぽりと隠れてしまう草丈。高く伸びたトウモロコシ畑の中から往年の野球選手が出てくる映画がある。「君が作れば彼は来る」そんなセリフのシーンを思い出す。誰かが小道を作り、私は来た。

この公園には、にも、いろいろな思い出がある。ウッドデッキから上がった日に「ウッドデッキさん」とあった。何年前の事だろう。ウッドデッキさん、元気にしているだろうか。「先生」の出版記念をしたのは桜の咲く時だった。私の名前が本の1行に書かれていて気恥ずかしかった。水没した散策路をカヤックで漕いだのは、何回あっただろう。

 

船頭さんの漕ぐ舟を見送って、私たちも舟出する。 3年ぶりの竜神さま。しょっちゅうお参りしているような気がするが、何と、3年ぶりの竜神様だった。

初めてお会いしたのはいつだっただろう。その頃は水辺でカメラを持ち歩くことが無かったので写真はない。初めてカメラに残したのは11年前。

 

 11年前の5月

 お社の横に涼し気な木
 竜神様をお守りしていました

 

 

 

 

 7年前の7月

 枝だけ残し木は枯れたようです
 まだまだ大きくなれるはずだったのに
 

 

 

 

 5年前の4月

 枯れた木の反対側に
 若い苗木が控えています

 世代交代の時です
 元気に育てと願います

 

 

 3年前の6月

 背伸びして竜神様を追い越しました
 アカメヤナギでしょうか
 

 

 

それから3年経った今年、竜神様の木はずいぶん大きくなり、お守りする役目をしっかりと果たしているようだ。

水郷にはどこにでもあるありふれた木なのだが、一期一会の出会いの人もいれば、十年一昔の思い出話をする人もいる。 水郷の歴史、竜神様の歴史、そして私のカヤック史が育つ水辺。ありふれた木が特別の木になる場所だ。

 

大きく広がるヨシ原。ヨシキリが盛んに鳴く。近くに巣があるのだろうか。賑やかと言うより騒々しい。水辺の鳥たちは、白鳥にしてもカモにしてもアヒルにしても、上品な鳴き声の鳥を知らない。カワセミでさえ、うるさくはないにしろ、可憐とも優美とも思えない。アオサギに至っては、10羽いたら騒音に近い。

 

その先には「スカートの橋」。地図には別の名前がかかれているが、この橋は「スカートの橋」以外の何物でもない。

腰板の外れた所にも風情がある。変に新しい板を貼ったりしないでもらいたいものだ。 古くなり朽ちて崩れることがナチュラルな自然であるなら、そこに人が手を加えない事がネイチャーの自然ではないだろうか。昔ながらの風情と言うならこの外れた腰板の橋こそ、昔ながらの風情かと、思うのだが。   

中水路の出口近くにこんな木がある。

 

「ぞうりの木」 7年前に気が付いたのだが、倒れたヤナギの根が抱えていたぞうり。剥き出しのはらわたをさらけ出し、それでもしっかり抱えていた鼻緒の切れた草履があった。水郷に来たら懐かしさにおいて、竜神さまと同じ格付けにある草履の木だ。 今はヨシが広がり、「ぞうりの木」の草履を見つけることは難しい。

何年か経てば、これが「ぞうりのき」であることを知る人も居なくなるだろう。残念な気がするが、そうやって水郷は新しい顔を作りながら歴史を重ねていくのだろう。ならば私は消える水辺の語り部になろう。

 

水郷を漕ぐのはこれで20回目位だろうか。漕ぐたびに歴史が積まれて行く。消える歴史、生まれる歴史。水郷に来る人はどんな歴史を作っているのだろう。とりあえず、相棒のガイドデビューは無事終わり、新しい歴史が生まれた。

 


874 山にも海にも懐かしさ ― 記憶も揺れるゆらの海  

2018年05月26日 | Weblog

先日、久しぶりに和歌山の海を漕いだ。メンバーの中には、その気さくさ? フレンドリー? でかい態度? は、もはや「歴戦の友」と言っても過言ではない御仁もいたが、そんなメンバーで漕いだのは去年の9月以来の和歌山の海。 和歌山の海は前回は風があって予定の場所を変えて漕いだ。その前は現地まで行って、あまりの風に飲んで食べて寝て帰って来た。その前は・・

さてさて、今回はどんな海になることやら。

 

久しぶりの和歌山、海が目的だったが山のあの島も懐かしい。と言う事でインター下りてから更に30キロ程山に向かい、やって来たのはこんな島。「あらぎ島」

島は海とは限らない。びわ湖にも人が住む島はあるし、山の川の畔にも島はある。そんな島は時々あるが、こんな円形の棚田の島は珍しい。5年前にも来たことがある。その時は稲が緑に光り、島全体が盛り上がっていた。この5年でこの田んぼは、この川は、この土地は、何か変わったことはあっただろうか。私の記憶の中の「あらぎ島」は5年前と全く変わらず、時が止まったままだった。懐かしい。

懐かし続きに何度目かの温泉にも寄った。大きな露天には誰も居ず、もったいない、と貧乏性の独り言が出る。

今回は、これまた懐かしい海辺で一夜を過ごす。 その建物で見たこんな物。

 イタドリだろうか。デッキの隙間から申し訳なさそうに顔を出している。 少し前、「良寛さまと竹の子」の話をしたが、このイタドリはどうなるのだろう。明日にでも邪魔者として引っこ抜かれるのか、観葉植物としてデッキを飾るのだろうか、それとも食用として育てられ、ある日の夕げの一皿になるのだろうか。 それを見届ける日にまた来たいものだ。

メンバーが揃い、出艇地へと向かう。 今回ご一緒下さるのは ハンチングさん。 桜のびわ湖で偶然に会って、「また行きますね」と言ったその日がこの日となった。

抜けるように青い空。風無く波無く、今回も絶好の海日和り。このところ天気に恵まれどの日も漕ぎ日和りとなる。ありがたい事だ。 澄んだ水に薄紫の花が咲く

水クラゲはいつ見ても微笑ましいが、こんな色がついていると部屋に飾っておきたい。竜宮城ではタイやヒラメが舞い踊ると言うが、こんな水クラゲのラインダンスも面白い。きっと見た人も魚も居眠ってしまうに違いない。

海は、人を殺し街を破壊し生活を奪い取る力も持つが、癒し、感動、睡眠導入剤の力も持つ。何ともまぁ不思議な存在だ。

そんなクラゲに見送られ、海へと漕ぎだす。ちょいと一漕ぎで着きそうな距離にある島。無人島だが個人の所有なので上陸はできない。あの島は後で見に行こう。まずは岸沿いに岩抜けなどやりながら進む。

大きさはさほどでもないが、幾つかの洞窟がある。しかし、太平洋ではよくあることだが、目の前に波はなくても「隠れうねり」はある。その隠れうねりが洞窟入りを邪魔する。

残念ではあるが、海と空と山のコントラストはちっぽけな洞窟の一つや二つ論外にしても惜しくはない。それほどに面白い場面がやって来る。

 海にはよくある光景。硬いが脆い岩、そこに立つ孤高の木。どこに根を張っているのか。割れ目に風が運んできた土にしがみついているのか、自らの根で岩を打ち砕いて根を張る場所を作っているのか。 猿山のボスザルの様にも見える。一山一匹、私はどの山のボスになろうか。

岩のてっぺんに立つ木もあるが、張り付く木もある。みんな頑張って生きているんだな。

と見ていた岩に目が止まった。おや、あんな所に・・。

おや、あんな所に「ハート」の忘れ物が。

心を忘れて行ったのか、心残りを置いて行ったのか。それとも海への熱い思いを打ち明けているのか。ハートコレクターではないが、こういう形はなぜかよく見つける。これも又私のコレクションの中の「ハート」のフォルダに入れておこう。

ふと気が付くと遠くに見覚えのある景色。あの白く光る岩に懐かしさを覚える。そうか、この先の海だったのか。

こんな景色の浜で昼食とする。4年前に、やはりこのメンバーでこの浜に来たことがあった。その時は今回とは別の浜から出艇したのだったが、それでも確かにこの浜に来ていた。みんなでカメノテやシッタカなどを獲り、それを入れたパスタのランチだった。カワハギの刺身もあった。シュノーケリングをしてスズメダイも見た。 ところが・・

その記憶が朧で、確信が持てない自分が情けなかった。後でその時の記録を見直して、確かにあの日、あの浜に居たことを納得した。

やはり記憶と記録、どちらもおろそかにできない車の両輪だと改めて記録の大切さを思った。 それにしても私の記憶は・・・

思い出の記憶を振り返るに十分な時を過ごし、その浜を後にした。

その先には、行く手を塞ぐように岩礁帯が伸びる。引く潮、押す潮、流れる潮、被さる潮。こんな岩場の潮は予測付かない動きをする。時々押す潮で岩にぶつかり、時々引く潮で岩に乗り上げ。そんなスリリングな事も岩場の楽しみ。

振り返ると、どの岩の間を通って来たのかわからない。モーゼが海を渡り終えると海が閉じたと言う聖書の話。この岩達も私たちが通り終わるのを見届けてその道を閉じたののだろうか。 何年か前、紀伊半島をまわっている時、岩礁帯を抜ける場面で、先導してくれる人がよく「私の5メートル真後ろ、ついて来て!」と言っていた。 今回はそれほど緊迫した場面ではなかったが、そんな古い話を思い出しながら穏やかな海を行く。 

のんびり漕いでももうこんな所。あの島目指してまっしぐら。

蟻島。これは個人所有の島なので上陸できない。この島に限らないが、私有地の浜や島には上がって休憩するのにうってつけの岸がある。野菜の無人販売所のような料金箱があって、「お一人1時間500円で上陸OK」なんて岸があると、ツーリングの楽しみが増すだろう。ばったりその島のオーナーと出会い、島の絶景ポイントに案内してもらったりお茶をごちそうになったり・・ そこまでの贅沢は言わないが。

風も波もなくゴールもまじか。あまりにも穏やかな海にちょっと退屈した辺りで相棒がとんでもないリクエストをする。

「牽引希望!」 牽引したいと言うのではなく、して欲しいと言うのだ。

 

楽ちんカヤックを楽しみたいと。 ハンチングさんは、えっ、まさか、と言いつつも快く(か、嫌々だったか)、しばらく引いてくれる。1人を引くのでも大変だろうが、その横にこっそり私もつかまり、知らん顔してしばらく2人分を牽引させた。 けっこうな筋トレになったのではないだろうか。 お疲れさまでした。

そんなお遊びもして、今日の漕ぎは終了した。

 

まだまだ日は高い。近くにステキなカフェがあると言うので次の作戦を練る名目で行ってみる。

古民家風の佇まいに店内はシックな装い。正直言って私好みの店だった。海辺の窓からは運が良ければ潜水艦を見ることもできると言う。と聞けば、次は「カヤック漕いで潜水艦見物ツーリング」がしたくなる。 

いつだったか東京湾でアメリカの艦船ブルーリッジのすぐ横を漕いだことがあった。とがめられることもなく艦上から手を振ってもらった。舞鶴では海上自衛隊の駆逐艦の横を漕いだこともあった。その時もすぐそばに行っても警告されることもなかった。 きっと何キロも先から私たちの行動を監視していて、カヤックの中に爆弾もロケット砲も入っていないことは透視されているから、こんな近くまで接近できるんだろうね、と話していたものだ。

由良の潜水艦はどうだろう。手を振ったらハッチを開けて手を振ってくれるだろうか。それとも潜航デモしてくれるだろうか。

 

夏を思わせる空の日に、紀州の海を楽しんだ日だった。良い日だった。 次は何にチャレンジしようか・・

 

 


873.湾の続きは外海 ― 貝と卵と恵比須と鐘と

2018年05月18日 | Weblog

KWシリーズ。 KWシリーズは湾漕ぎを旨としているカヤック。そのすべての岸を余すことなく漕ぎ繋ぐシリーズだ。しかし、厳密に言えばどこまでが湾でどこからが外海なのか、その境界は定かではない。びわ湖と瀬田川の境には標識があるし、淀川と大阪湾の境にはゼロポイントのプレートがある。しかし海には「ここがその境界」と言うピンポイントの表示がない。

と言う事は、これまで漕ぎ終ったと安心している湾も、もしかすると10メートル、あるいは100メートル、漕ぎ残しているかもしれない。カヤックの軌跡に隙間ができると言うのは不本意な事である。

それなら海岸線をすべて漕げば、どこに湾と外海の境界があっても、自信を持って「くまなく湾漕ぎ」と言える。 と言う事で、外海の海岸線もくまなく漕いでいる。そんなある日の記録。

 

風無く、波無く、注ぐ日差しはあっても暑くはない。天気予報と言う未来世界の予言など、丸めてゴミ箱に入れても罰は当たらないほどに穏やかな日。漕ぐ距離も大してなく、ちょいとカフェに行くような気分で漕ぎだした。

途切れなく海岸線に軌跡を残すため、この海を漕いだ日の最終ポイントまで行く。 その日は五ケ所湾を出て東へ向い、途中から引き返して終了した。今回はその引き返したポイントに行くために、出艇しやすい浜まで戻り、そこからスタートする。

程なくしてこんな岩が見えてくる。

おそらくウの糞だろう。雪を頂く山のように天を突く岩。これは「白槍岩」と名付けよう。以前、この岩の少し先の浜まで来ていた。今回はそこが今日の本来のスタート位置。では改めてスタートする。

この海に来たのは4年前の事となった。その日も穏やかな海で絶好の漕ぎ日和だった。5キロ程先の海水浴場がはっきりと見え、ちょいと一泳ぎで行かれそうに近くに見えた。あの日からもう4年も経ったのか。半年前だったような気がするのだが。

小さな磯があり、大きな浜があり、大きな崖があり、小さな岩がある。緩急取り混ぜたバラエティーに富んだ海が続く。夏日だとか、熱中症だとかの言葉がニュースで出てはいたが、初夏の薫風が岸から離れた海の上にもそよいでいた。磯の香りと新緑の匂いのデュエットが流れる。

漕ぎを邪魔する風も波もないが、太平洋の奥から遠慮がちにやって来るうねりが岩礁に眠気覚ましの白波を立てる。

見とれていると突如目の前に隠れ岩が現れ、ヒヤッとする。波が崩れて消えたのでそこを通ろうとすると海面が引き、次の瞬間横の岩に覆いかぶさる。その波に押されると岩に乗り上げる。おっと危ない、座礁するところだった。 

なんてことにならないよう、こんな岩礁地帯は遠巻きに漕ぐ。それにしてもいいあんばいの白波だ。

 

崖の上にある小さな東屋、車で何度か行ったことがことがある。海を見下ろして、いつかこの海も漕ごうと海に手を振る私がいた。その私にやっと海から手を振る。

 

 そこから私が見えますか

 私はここですよ

 やっと、海から会えましたね

 

 

 

 

 

東屋の横には「つばすの鐘」がある。漕ぎ終わったら、また行ってみよう。鐘に、後で行きますよ、と言って先へ進んだ。

 

等高線の地図で見ても航空写真で見ても「浜」・「崖」・「建物」はわかっても、その「ニュアンス」まではわからない。崩れた崖と新緑の色重ねの中に配置された建物。一漕ぎするたびにそのバランスが変わって行く様は、やはりこの目に映った光景でしか確かめることができない。 

その変化に中に海藻・海草の世界もある。

ブーマーの立つ岩礁帯が続いたかと思うといきなり水面がザラザラする。ホンダワラが浮かび、ヒジキが岩を覆う。 どこにでもある海中の光景だが、荒々しい磯の白波から一転して竜宮城の揺らめく世界に投げ込まれたようで面食らう。 時々海女さんが潜っているのが見える。 邪魔をしないよう離れて漕ぐ。

「ウミシダがいた」と教えてもらった先には、初めて見た泳ぐウミシダ。

近年、クラゲに人気があるそうな。ふわりふわりと泳ぐ姿に癒し効果があるので人気が出たとのこと。このウミシダの動きもクラゲに似ている。そろ~りそろりと動かすその手?はおいでおいでと海中に誘っているかのようだ。つられてカヤックから身を乗り出し、ひっくり返りそうになる。 暖かい日とは言え、どっぷり海に浸かるにはまだ早い。 

目的のポイントまで行き、小さな浜で一休み。何度か通った岸なのだが、こんな隠れ家的浜があったとは知らなかった。波音さえしない長閑な海辺で、スマホからクラシックの曲が流れる。海辺の演奏会も良いものだ。

岸伝いに箱メガネと竿を持ったおばさん(失礼だろうか)がやって来る。何を採っているか尋ねると、「何かいるかと思って・・」とのこと。あったらめっけもの、の海のお宝さがしのようだ。何か見つかっただろうか。

またしばらくすると磯伝いに突然現れたおじさん。(お兄さんではないので・・) 「これ食べるか? おいしいよ、あげるわ」と言って、袋に入れた小さな巻貝を差し出す。名前は知らないがホラ貝の小さい物とのこと。思いがけない海の幸、ありがたく頂戴する。

浜にはこんな珍客も来たようだ。

ネコザメの卵とか。この中に小さな粒々の卵がぎっしり詰まっているのかと思ったが、さにあらず。そんなことになっていたとは・・ ネコザメの生態や卵について、新たな知識を得た。さて、これを誰に自慢しようか。

 

今回は海は申し分なかったし、目的ポイントまで漕いだし、土産もできたし、海辺の店で旨い物を食べたし、これ以上ない海漕ぎ日和だった。漕ぎ終わり、今日漕いだ海を今度は上から見下ろしてみる。

  

 遠くに小さく見える点は
 「白槍岩」

 下の岩礁帯は 
 白波の向こう側を漕いだ

 こう見ると
 僅かな距離だったんだな 

 

 

 

別の展望台からも眺めてみる。

「小学校唱歌」なんて古い歌に出て来そうなどことなく懐かしい光景の海。この岸にはホンダワラが多かった。ウミシダを見たのはこの辺りだっただろうか。

この岸はもっと波が打ち寄せていたはずなのだが、上から見ると何と穏やかな岸だろう。怖がって岸から離れて漕いでいた私に声援を送ろう。

地図として見ると前方しか意識しないが、漕ぎ終わった軌跡として見ると後方が愛おしく意識される。

もう1つ、いやもう2つ、確かめに行く所がある。1つはこれ

 

 つばすの鐘

 何度か来たことがあるが
 鳴らしたのは1度だけ

 次に来た時には鳴らそうか
 願い事が叶いますように

 

 

 

 

願い事と言えば、確かめ事の2つ目。 あの恵比須様はいずこに!?

 

 こんな所においででした

 鼻欠け恵比須さま

 お鼻が欠けてもにこやかに
 海を眺めておいでです
 

 

 

 

 

 

 

ずいぶん前から探していた恵比須様にやっと会うことができた。意外と近くにおいでだった。以前、散々探しても見つけられなかったのに、あの苦労は何だったのだろう。

 

漕いでもドライブしても散策しても、良い海風の1日だった。 遅い夕飯には頂いた貝。一緒に漕いだ人と分けようと思っていたのだが、ついうっかり? 全部持って帰って来てしまった。まぁ、あの人は、いつでも獲りに行かれるから、いいっか。

小さいながら、バイガイのようで旨い貝だった。おじさん?は「ホラ貝の小さい物」と言っていたが、食べ終わってから調べると、ホラ貝の内臓には毒があるので内臓は食べてはいけないとのこと。 

えっ! 幾つかは食べてしまったけど・・ 地元の人が食べて大丈夫なのだから、毒などないだろう。しかし、ホラ貝の内臓は食べないのが常識、としてそのことについては言わなかったのかもしれない。カニのエラは言われなくても誰も食べないように・・

と言うか、これは本当にホラ貝なのだろうか・・

 

そんなこんなで海漕ぎの日は終った。あれから何日か経ったが、救急車を呼ぶこともなかったので、毒はなかったようだ。

 


872.変わった事・変わらない事 ― 紀伊長島の海

2018年05月10日 | Weblog

KW-KN漕ぎ。

三重県の海岸線もずいぶんと漕いで来た。的矢湾、英虞湾、五ケ所湾、さらに西へ進み、伊勢から尾鷲までの湾は岸に沿い、くまなく漕いで来た。それでも外海の海岸線は漕いでいない所が幾つかある。今日はその一つの岸を漕ぎ進めた日の記録。

 

出艇場所もお馴染みとなった。 岸の桜の古木には小さな実が付いている。 今の子は「マッチ」なんて言葉を知らないと言う。 その「マッチの頭より少し大きい位」のサクランボをかじってみる。 うっ、酸っぱい! やっぱり花桜の実は食べられないな。

そんな事よりそろそろ漕ぎだそう。一漕ぎするとまた出艇に都合の良い浜が現れる。この岸も何度か使った。

山の色合いは季節ごとに違いいつ見ても楽しめるが、今の時季の新緑は一口に「緑」と言うのは罪になるのではないかと思う程に万色を誇る。これはモノトーンのバリエーション。

寒くなく、暑くなく、風も穏やかで波もない。漕ぐには申し分のない海なのだが、カメラ的にはパッとしない天気。 もう少し晴れてくれると私のヘボカメラでも、もう少しマシな景色が残せただろうに。

そんなカメラが写した亀島と赤野島。いつも「亀島」と呼んでいるので、地図上の名前が出てこない。

この亀さんを見送ると早々に岸に向かう。まだ上陸休憩するほどの距離は漕いでいないのだが、今回はこの岸に大事な用があって、早々と上陸する。 その大事な用とはこんな用・・

店の自慢の石窯ピザ。一緒に漕ぐ人からここでのランチの提案があり、海辺の「食堂」でのランチを楽しみにしていたのだった。焼きたての香ばしい香りとチーズの匂いが格別のピザだった。今日は久しぶりに(?)グルメカヤックだ。

漕ぎ終わってから店で食事をすることはあるが、漕いでいる途中で上陸して店に入るのはめったにない。 水辺から歩いて行かれる所にあるレストランやカフェは、そう多くはない。わざわざ店に行かなくとも、岸でラーメンでも作った方が手っ取り早いのだが、あえてカヤック漕いで食べに行く、と言うのがカヤックの、オプション的醍醐味なのだ。

思い出してみると、びわ湖でウナギ、ラーメン、うどん、カレー、の店に行った。和歌山でも秘境めいたカフェに行った。三重の岸でも港のうどん屋やパン屋に行った。カキ筏にも行った。 浜名湖ではラーメンやウナギの店にも行った。 数えれば、けっこう行っている。

初夏の浜風がミカンの花の香りを運んでくる、そんなテラスで頂くピザに、ここを去りがたくなる。とは言ってもゴールの岸はまだずっと先。では、とまた浜への道を歩く。 

集落の外れの浜にはこんな木が立っている。

 

どこにでもある、どうってことのないように見える木なのだが、私にとっては特別な、懐かしい木。 実はここは、前回の記録でお話しした、12年前の風の紀伊長島漕ぎの日に上陸した浜。そしてこの木は、出艇地に歩いて戻る時にカヤックをつないで置いた木。3本ある木の、たぶん一番右側につないだように記憶している。 強い風に飛ばされないよう、みんなのカヤックを繋いでこの木に括り付けた。 

       浜の木さん、いつぞやは大変お世話になりました
       今もお元気そうで 何よりです

       そうそう、あの時一緒に漕いだナイアードさんに、先日思わぬ形で会いましたよ
       みんな変わらずカヤックを楽しんでいます

       ではまた来ますね、お元気で

12年前の日は、出艇地に戻る時に、地元の人が散歩のついでだからと、熊野古道を歩いて出艇地の浜まで案内してくれた。 「カヤック漕いで熊野古道」なんて、思い出のツーリングをした日だった。あの時の人は、どうしているだろう・・

新しい発見・出会いの岸も嬉しいが、懐かしい・再会の岸も嬉しい。旧友が居てくれると思うと、それだけでパドルに力が入る。懐かしい浜、道瀬の浜を後にして先へと進む。

折り重なる山並みと点在する島影、前を見ても後ろを見ても熊野の海は、雄大でいても身近にあり、毅然としていても孤独ではなく、畏れおおくもあり親しみもある。付かず離れずの海。何年経ってもこの距離感は変わらない。

波打ち際の岩にこんな木が生えている。

岩の割れ目に生える草はよくある。岩に張り付くように根を張る木もよくある。しかしこの木は岩の中から幹を伸ばしている。大きな幹を支え、水を吸収する根をいったいどこに伸ばしているのだろう。もしかすると硬い岩に見えていてこの岩はスカスカのスポンジ状に砕けているのだろうか。

川の堤防に桜などの木が植えられている。一説では、大きくなった木が根を張り、堤防の土をがっちりと掴むので堤防が丈夫になるので植える、と言う。しかしまた一説では、大きくなった木が台風などで揺さぶられ倒れると堤防にヒビが入ったり、土を掴んだまま倒れるので堤防が決壊する。だから木を植えてはいけない、とも言う。

どちらが正しいのかわからないが、岸辺の木もまた水際の岩を補強しているのか、破壊しているのか。硬い岩の様に見えていて、意外と表面は脆くガサガサと剥がれる。それはもしかして、岩から生える木の仕業だろうか。

大して漕いでいないのにここでも上陸休憩。

モノトーンに浮かぶ山と島と海と空。休憩のための上陸ではない。日向ぼっこでもない。穏やかな海を、ただぼんやりと眺めると言う贅沢を味わいたい、と言うための上陸だったようだ。

あるいは、この光景のどこかにきっと神がおいでになるに違いない。その神様の眼差しを感じたくて、この浜にいたのかもしれない。そんな浜に次第に上がって来た潮に促されるように、また漕ぎだす。

錦の魚にはお目にかからなかったが、時々こんな華やかな舞台も楽しめる。

海藻、海草、ソフトコーラル、巻貝の仲間、二枚貝の仲間。知ったかぶりをして学名なんかを言って間違えて恥をかくよりは、分類名で止めておくのが良いのが私の常だ。そして、魚の仲間も。

漕ぎ進むといつしか見慣れた山が見えてきた。ゴールも近いようだ。 そしてこんな水路に入る。若葉が息苦しいほどに光り、澄んだ水さえ緑に変える。春に来た時とはずいぶん変わっていた。

うまい具合に満ち潮に押され、まるで川下りのようにすいすいと進む。これが、時間がずれて最大干潮にぶつかっていたら、どんなに必死で漕いだだろう。このグッドタイミングは、計ってこの時間に来たのか、たまたまこの時間だったのか。 先導役の采配の良さだったのだろう(たぶん)

水路を抜けると広い池に出る。ここもお馴染みであり懐かしい。ここまで来たらゴールは目の前。ちょっと寄り道して行こう。

この池を知る人は多いが、こんな隠れ家を知る人は、多くはないだろう。私たちの秘密の場所にしておこう。この秘密の隠れ家にも友人がいる。「鍋」。

覚えておいでの方も多いだろう。1年前に見つけ、夏にも会った埋もれた鍋。 台所で活躍していた頃、この鍋にはどんな肉や野菜が入っていたのだろう。どんな人が腕を振るっていたのだろう。どんな災難で土に埋もれたのだろう。どんな出来事がまた太陽の下に出したのだろう。

泥と小石をてんこ盛りにして、鍋は今日も池の賄い係をしている。 味見は? それはカエルに任せよう。

 

又寄り道三昧のカヤック旅だった。新しい発見、懐かしい再会。どれも水際を行けばこその出会いだった。

帰りの高速のパーキングで久しぶりにこのハートを訪ねた。パーキングの踏み石にある石。特にハート型に凝っている訳ではない。この石に特別の思い出がある訳でもない。しかし、何年経ってもそこに行けば会える。その安心感に、物静かな親友のような温かさを感じ、このパーキングに寄りたいと思わせる。

気の向くままののんびり漕ぎを堪能し、満足した1日だった。残念だったのはこのパーキングに寄った時に買うプリンが、以前は2種類あり、そのどちらも好きだったのだが、今は1種類しか製造していないとのこと。みやげを買う楽しみが一つ減ったことだけが残念だった。

 


871.歩いて越すか馬で越すか ― 熊野古道の峠道

2018年05月07日 | Weblog

先日、と言っても2週間ほどたっただろうか。野暮用があったり、PCの機嫌が悪かったり、旅行に行ったり、休養したり・・ と、何かとあって、記録がおろそかになっていた。まぁ、昨日食べた物は忘れても、2週間前のことは覚えているのでまだ幸いだ。幸いな記憶が残っている内に記録をしなければ。

 

久しぶりにバルトさんと世界遺産の熊野古道を歩く。熊野古道はいくつものコースがあるがその中でも更に分岐や近道・遠回りと、その人その時その場合によって歩き方が自由自在。私は、意気込みとしては30キロ程歩けるのだが、結果としては3キロ程の古道だった。まぁ、夢と意気込みは大きいにこしたことはない。

その3キロは、距離ではたかが3キロだが私の足には十分な3キロだった。

 

数ある熊野古道の中でもこのコースは難所とのこと。急な石道が続く。

石段であったり、石畳であったり、飛び石であったり、ゴロタ石であったり、小岩であったり・・ 道のりとしては山越えが近かったとしても、この石道を作る困難、歩く労力、かかる時間を考えると、多少遠回りであったとしても山の裾野に道を作った方が、どれだけ楽だっただろうに。遠い昔、紀州の殿様も通ったと言う石道を、今日は世界遺産の道として私が歩く。

暫く行くとこんな祠がある。

夜泣き地蔵。明治の頃までは旅人の無事を祈る石地蔵がおいでだったと言う。それがいつしか夜泣き封じを祈って夜泣き地蔵と呼ばれるようになったとか。小さな哺乳瓶が供えられていた。角ばった石は、赤い頭巾を被せられ、地蔵としての魂を宿して道行く人が合わせる手に慈悲の眼差しを送る。

大きな石段が続き、一歩一歩登って行くと息が切れる。思わず手をついた石に何かを感じた。 何だろう、この筋は・・

何かの文字のようだ。しかし石碑ではない。多くの人が歩く踏み石の一つにまじまじと見なければ気が付かないような線が刻まれている。 いったい何のために踏み石に彫ったのだろう。

       遠?*深?***

後日調べると、ある人がかろうじて文字は判読したが、その意味することは分からなかったと言う。石には時々それを作った人や関わった人が名前を刻むことがある。木津川では石工の頭領の名前が刻まれた石を見た。この石もこの石畳を作った頭領が彫った物だろうか。 

あるいは、今の人が旅行先の壁に自分の名前を落書きするように、遠い昔の旅人が雨宿りの時間を持て余し、自分の名前や出身の村を書いたのかもしれない。それがいつしか踏み石にされて・・

それにしても何千、何万と敷き詰められた石の中で偶然にもこの石に手をついたとは、私にも何か神憑り的な霊験があるのだろうか。それともこんな石は至る所にゴロゴロあるのだろうか。

フーフー言いながらも前方が開けてくると歩みが早まる。やっと着いた峠の頂上。かつての茶屋跡が公園として整備されている。見晴らしも良い。

 

ここにはどんな茶屋があったのだろう。小さな暖簾が架けられ、あねさん被りのばあさんが、

              「お武家さん、団子かい? 蕎麦かい? おやお茶だけ?」
              「旅の人、雨が降りそうだよ。この先は石が滑るから気ぃ付けて行きなされ」

そんな言葉が聞こえてきそうだ。私たちもちょっと一服する。

急な石段を登っても汗をかくまでにならないと言う程良い風が吹き、日陰でじっとしていると寒くなる。峠に来れば後は下るだけ。ではそろそろ出発しよう。

尾根の辺りに時々ある「木の根道」と呼ばれる道。この根は地を這って、入り込める土を求めて根を巡らせたのだろうか。必死で弄り、皮が剥け、先が砕け、それでも根を張れる柔らかい土を求めてもがいたのだろうか。それとも温かい土に埋もれて眠っていたのを、大雨がその庇護を剥ぎ取ったのだろうか。

剥き出しの根は痛々しいようにも見える。しかし、人が踏み歩くたびにその肌は磨かれて艶やかさを増す。気の毒なのか、もしかすると、肩こりマッサージのように、踏まれることを気持ちよく思っているのだろうか。毛細血管のような木の根道は旅人の足をくすぐる。

下りは楽ではない。登りは息が切れるが下りは膝が笑う。石を踏み外さないよう足元を確かめながら歩くと見えているのは1メートル先の石ばかり。 そんな時、すれ違った男性が

    「この先に(私たちからすると後方に)ギンリョウソウがあるよ、見た?」

と声をかけてきた。 えっ、そんな物があったとは全く気が付かなかった。ちょっと先にあると言い、案内してくれた。

 

 花言葉は 
 はにかみ・そっと見守る

 いかにもはにかんでいる花です

 

 

 

 

 

久しぶりに見たギンリョウソウ。案内してくれたのは地元で古道案内のボランティアをしている人で、毎日この峠を歩いているとのこと。さすが、どこに何があるかよく知っている。言われてから道の脇にも目をやるようにすると、意外にも、ここにもあそこにもと顔を出している。 

小道を逸れた林の中にもこんな祠がある。

 

薄板を重ねた物、野積みの石の物、大岩の窪みだけの物、石仏の祠はどれをとってもなぜか懐かしい。レンガ造りにお住いの仏さまは、どなただろう。路傍の石仏に思わず手を合わせる時、森羅万象の事々に神・仏を宿して崇めてきた日本人のDNAが私の中にうごめくことを感じる。

そうこうする内に世界遺産の山道は終わり、小さな公園に出た。朝、回送の車をどこに止めようか下見に来た公園だ。今回は別の所に止めたのだが、確かに駐車場はあるしトイレもあり使いやすい所ではあるが、ここに来る道は、我ら「狭道愛好家」でも一瞬ためらった、そんな道だった。

近くに滝がある。行ってみよう。お不動様がおいでだ。

このコース、ベンチや東屋、道標などきれいに整備されている。このお不動様も大事にお守りされていることがそこここに見て取れる。世界遺産には行政も観光協会も金も力も注ぐだろうが、地元の、あるいはそこを愛する人たちの日々の活動があってこそ、木も花も石も仏も守られているのだろう。 その全てをありがたく頂いて、また手を合わせる。

お不動様を後にすると、おや、大石? 何だろう、行ってみよう。

大きすぎ、カメラの位置からは全体が写らない。ぐるりと一周できるのだが、どこを見てもいつ転がりだしてもおかしくない状態。地震大国の日本、この石はいつからこの姿勢で揺るがないでいるのだろう。人が押したくらいでは動くはずはないのだが、それでも触るをためらい、そそくさと一周した。

1日分をしっかり歩いた気分なのだが、実際には3キロ程だった。その割にはいつものことながら時間がかかった。じっくりたっぷり検証したからと言う事にしよう。

古道ハイクを滞りなく済ませまだ日が暮れるまでにはたっぷり時間がある。では、とこんな所へも行ってみる。

ごつごつした堀跡に光が当たり、ここにもあそこにも妖怪の顔を映し出す。最近はあまり怖い物がなくなった私ではあるが、ひとけのない道の湿ったトンネルは、1人では行きたくない。

そんなトンネルを抜けると、見事と言う太さの竹がそびえる竹林。木戸を開けて入った所に東屋があるのだが、そこにこんな物が。

タケノコ。奥の物はもはや「竹の子」と言うより、「竹のお兄さん」だろう。しかし、このまま伸びると屋根にぶつかる日も近い。

良寛さまは床下から生えた竹の子が伸びられないでは可哀そうと床板を剥がしたとか、天井にぶつかりそうになった竹のために屋根を切ったとか、竹に関するいろいろな逸話がある。さて、ここの竹のお兄さんは、屋根を切ってもらえるのか、それとも自身が切られるのか。この竹の行く末が気になった。

そうこうする内に夕方も近くなった。ここで解散とし、私はちょっと、とある海辺へ向かう。

紀北町の海。この海は何度も漕いだ。あの島へも何度も行った。そしてここは特別な思い出がある浜。 久しぶりにあの神社にお参りして来よう。

薄暗い木立に囲まれてひっそりと建つ小さな社。すぐ後ろの山肌はこの何年かで大きく崩れた跡がある。お社も年代物ではない。いつの大雨の時だろう、どの台風の時だろう。今は神様はご無事のようだ。

覚えておいでだろうか、この木の階段。

もう12年前の事となったが。初めて紀伊長島の海を漕いだ日、蜃気楼が「地球防衛軍戦車」を見せてくれた日、白波は立たないのにとんでもない突風が吹いた日、潮が煙のように宙に舞い上がった日、ナイアードさんたちとこの浜に逃げ込んだ日、熊野古道を歩き出艇地まで戻った日。そして、その時歩いたこの階段の事を。

日々の生活の中では10年前の事はずいぶん昔の事のように感じられるが、カヤックでの10年はつい先日の事のように思われる。時間は、水の上では異世界の早さになるのかもしれない。そんな古い出来事を思い出しながら浜辺を歩く。 

 

ところで、「箱根八里は馬でも越すが・・」と言うが、今日の熊野古道「馬越峠」は本来、歩いて越す所なのか、馬で越す所なのか。 とりあえず私は歩いて越した。