先日、お馴染みの海へ行って来た。どうやらこれが今年の漕ぎ納めとなりそうだと思うと、集合場所へ向かう高速道路も名残惜しい。じっくりと噛みしめてアクセルを踏む。
いつもの岸には既にお馴染みの顔、顔、顔。今回は14人だろうか。すでにちょいと漕いでいたようだ。私は夕げの支度が出来上がる頃、「遅くなりました」と言って登場し、後は食べて飲むだけ。
ワインに良く会う洒落たクラッカーのつまみもあれば、ビールが進むカキのソテーもあれば、ずっしりお腹に収まる豚汁もあれば、サラダに焼きそばに、それから・・ それから酒の肴にたまらないアジやサンマの干物もある。
洒落たチーズのナンタラカンタラと言うつまみも良いが、ちょっと塩味の干物を、しっぽを持って頭を咥え、クイっと首を振って頭を取る。粋な酒飲みのスタイル、箸でほぐすなんて野暮な事はご法度だ。(私は呑兵衛ではないことは、はっきり言っておくが)
6時間?、7時間?、8時間? 海辺の酒宴は終わることを知らない。私は一足先に眠りに就いたので、どれだけの酒と料理がみんなの胃袋に消えて行ったのか、定かではない。私が寝てから、何やら面白い出し物があったようだ。起こしてくれれば良かったのに、と恨み節も出る。
一夜明けて朝。車中泊した車も霜が覆っている。道理で寒かった。 朝一番に起きた人がお湯を沸かしてくれていた。カヤックの朝はいつも、1杯のコーヒーから始まる。
煤けたヤカン。海辺で流木の炎に巻かれる時も、BBQ広場で薪の炎で炙られる時も、その時々の炎と煤がヤカンの歴史を作っていく。このヤカンはどれだけのコーヒーでカヤック乗りのカップを満たして来たのだろう。
お世話になりました。
これからもお世話になります。よろしく。
朝ごはんにはパンが定番。しかし、「前夜の豚汁」、これも又、定番。一晩置いた豚汁がチーズとトマトのパンに不思議と良く合う。
この鍋も「煤度」で言えば王将級。大して傷はついていない。大きなへこみもない、蓋のツマミも融けていない。この鍋は煤の厚みにしては若輩者のようだ。
海の長旅をする人たちはこんな大きな鍋をカヤックに積んで行く。これで米を炊き、汁を沸かし、一団の腹ごしらえの主役となる。この鍋を積めるのはカヤック乗りの憧れであり、名誉なのではないかと、思うのだが。 私にはその任が来ないまま今年もまた終わった。まぁ、10年早いか。
冬の晴れた日、風も波もなく、空気も海も暖かい。 どこへ向かうのか、いや、そんな目的地などこの旅には必要ない。行かれる所まで行って、戻りたくなった時に戻る。そんな海漕ぎが始まった。
この海域は何度も漕いでいる。先月にも漕いだばかりだ。しかし、何度来てもその都度新しい感動がある。波が打ち付ける日とベタ凪の日。潮が満ちている日と引いている日、追い風の日と向かい風の日、真っ青な空の日と滴る雨の日、照り付ける太陽の日とかじかむ手の日。微妙なさじ加減でその組み合わせは無限にある。 10回や20回来たからと言って、たとえ100回来たとしても一度として同じ海には会えないだろう。
今日は西へ行くのか東へ行くのか。そうですか、こちらですか。では行きましょう。
湾を渡り対岸の岩場へ向かう。少人数で漕ぐことが多い私にとって今回の10人越えのツーリングは、お祭り騒ぎだ。漕ぎ屋のメンバーに遅れないようしっかりと漕ぐ。穏やかな岩場は行き放題のアミューズメントパーク。
お代は要らないよ
順番? 行きたい時に行きたい所へ行けばいいさ
前を行くカヤック、すぐ後ろから聞こえる話声。岬を越えると隣りの海から遥かな海まで見通せる。
熊野のこの景色、何度見ても神々の威厳を感じる。 右を見て、左を見て、良さげな岩をぐるっと回って・・
ん? みんなはどこ? えっ?
ついさっき、いや、つい今の今まで前にも後ろにもカヤックたちが居たのに、岩を一回りしている間に、誰もいなくなった。 神隠し!?
もしかして一瞬にしてこの先まで行ったのだろうか。いやいや、確かに私の後ろに何人かいたはず。
あの岩の影に居るのだろうか、この岩の奥に居るのだろうか、それともずっと先に通じる洞窟に入っているのだろうか。外海に出るこの辺りにはうねりが入り、岩場には白波も打ち付ける。こんな所にたった一人? 急に不安が込み上げてきた。それも気になったが、もしかしてみんなが、私が居ない、と心配しているかもしれない。それも気になる。
10回ほど心臓がドキドキッと鳴った後で、みんなの頭が岩の向こうに見えた時は半年分の安堵の気持ちが湧いた。やれやれ。 言っておくが、私がみんなから逸脱した行動をとった訳ではない。ただ私は、遠くの島と近くの岩を眺めて、小さな岩を一回りしただけだったのだが・・ まぁ、ともかく、捜索願も出さずに済んだので、これも良い思い出となった。
誰かが、トイレに行きたいのでもう引き返そうと言った。「行かれる所まで行き、戻りたい時に戻る」。緩い海漕ぎのツーリングこれもまた良し。
そんなこんなで、一団はいつもの浜に向けて漕ぎ進む。じきにいつもの浜、座佐浜に着く。先月来た時は浜の北端で上がったが、今回は南端。水位が下がり、カヤックでは行かれなかったが、歩いてなら、歩いてならあのエンジンに会いに行かれる。
7月に来た時には漕いで来られた。漕いで来るのもこの池らしく、歩いて来るのもまたこのエンジンらしい。みんなは、いつも不思議に思うのだが、誰もこの「錆びたエンジン」に思いを寄せることが無く、誰も会いに来ようとしないのはなぜなのだろう。多くを語らず、しかしいつも待っていてくれる静かな友人なのに。
今年も楽しい水辺をありがとうございました
来年もまた来ますよ 楽しませてください
どうぞ、良いお年をお迎えください
暮の挨拶を済ませ、ザブザブと池を渡って海辺に戻る。 と、 あ、これは・・
5メートルほどあろうか、大きな倒木。覚えておいでだろうか、この丸太。いつからここにあるのかは知らないが、6年前の5月にはこの池に在った。
6年前にもすでに樹皮が剥けた丸太だったがそれでも力強い幹をしていた。あれから6年経ち、幹は細り、ささ剥けてきた。7月に来た時にはこの場所にはなかった。あれから池の水が上がり、ここまで運ばれてきたのだうか。
この丸太はまた元の山に帰りたいと思っているのだろうか。それともあと少しで辿り着く海へ漕ぎだしたいと思っているのだろうか。彼の、あるいは彼女の憧れる道を、その先を、見届けたいと思うのだが。
15キロ程漕で元の岸へと戻る。15キロは、私にとっては1日で漕ぐ距離だが、メンバーにとっては「昼飯前」の距離。岸に戻ってゆっくりとランチとなる。食事の支度の時は私はあまり手を出さない。他に手を出す時は何か、言われると・・・
まぁ、それはともかく、「船頭多くして 船山に登る」と言うではないか、調理の腕が立つ人に場所を譲っている、と思ってほしい。
そんな支度ができる間、あの木にもゆっくりと挨拶に行く。 おや、何だろう、あの白い物は。
先月にはなかったが、この広場の何本かの木に白い布が結わえてある。何の目印か、お呪いか。 見れば、とあるメーカーの名前が書いてある。この木に付ける特段の理由があったのだろうか。
この木には、次第に色づいてきた実の他には付ける物はいらないのだが。
海辺のセンダンにも、サクラにも、ヌルデにも、そしてタイヤにも、今年1年の礼を言い、来年もよろしくと挨拶をして、古和浦を今年の漕ぎ納めとした。
この1年、びわ湖、川、ダム湖、海。いろいろな水辺を楽しんだが、初めて行った所でも、どこか懐かしかった。意外と前世で漕いでいたのかもしれない。来年はどんな水辺と会えるだろう。
どれもいい水辺だった
いつもいいカヤックだった
人と水とカヤックに
ありがとう