カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

17.罪作りな手紙 ― また胃が鳴った

2006年09月29日 | Weblog
最近は胃が痛くなることが続く

先日、ある失敗をした。相手の人は何ともないと言ってくれたが、自分自身の中では大失敗だった。2.3日胃がジンジン鳴っていたが、「これからは気をつけろ」と言う警鐘として、それは真摯に受け入れた。

やっとそれも治まった今日、また私の胃をジンジン鳴らす、罪作りな手紙が来た。

10月の末に「奥木曾湖紅葉ツアー」があることは知っていた。
木曽川・ダム湖・紅葉そのどれをとっても魅力的な響きがあり、「行きたーい!」と思った。
しかし、9月、10月、11月と、何かと外出が多く(つまり遊び)、「自分へのご褒美」の言い訳も効き目がなくなってきた。

しかし

  行きたい!   ― 仕事はどうする!
  行きたーい!  ― ただじゃないんだぞ!
  行きたーーい! ― そんなに遊んでいいんか!

心の声と影の声とが戦った。そしてやっぱり遊びすぎと諭されて、今回の奥木曾は諦めた。
我慢と言うストレスが胃をジンジン鳴らしたが、行きたい気持ちは心の奥の奥に固く封印した。


    のはずだったのに


今日、着いた手紙とは「奥木曾湖紅葉ツアー」の誘いだった。


    ナ、ナンじゃー! これは!


  「笠置山に寄る…」       ― 言うな!
  「紅葉が楽しめる…」     ― 聞きたくない!
  「ダム湖見学・周遊…」    ― やめてくれー!
  「他のグループと交流…」   ― あぁ、もうだめだ~!

いとも簡単に解かれた封印により、また私の胃がジンジン鳴った。
「どうしよう、どうしよう。どうやって家族に言い出そう…」

     今日、罪作りな手紙が来て、また胃が鳴った。


16.ふるさとは遠きにありても ― 小景同情

2006年09月28日 | Weblog
父が入院したとの事で、しばらく実家に帰ってきた。幸いたいしたことではなく一安心したが、両親とも80歳を超えているのでいつお迎えが来てもて天寿だろうと覚悟はしている。

・・・・・・・・・・・・

私の実家は海の近くで、実家に帰った時はいつも海を見に行く。
その日は佐渡がきれいに見えていた。

穏やかな波の向こうに横たわる佐渡は暮れなずむ夕日の中で凛としていた。
いつも見えるとは限らないので幸運だった。

海を見るとほっとする。知らず知らず口ずさんでしまう。

   ♪うーみは あーらあうーみー 
   むーこぉおーはー さぁーどぉーよー♪
         




佐渡も何十年見てきたことだろう。ずっと変わらずそこにある。
「自分史」としてのブログを書き始めて、今までは何気なく見ていた物事も、それぞれに歴史を刻んでいることを改めて意識する。

実家の近くに「タコの公園」と呼ぶ公園がある。
赤いタコの滑り台とわずかばかりの遊具があるだけの小さな公園だが、日本海が180度見渡せ、「地球が丸い」事を実感できる、私のお気に入りの場所だ。

                  

年に1、2回の帰省時にしか遊ばなかったこの公園だが、子供たちは小さい頃から遊んできた。

そう、この公園はずーと昔からここにあり、子供たちの成長を見続けて来た。

そしてこのフグの置物。
昔の写真を見るとまだ小さかった子供と一緒に映っている。

今はきれいに塗り替えられて、また新しい子供達を楽しませていた。浜辺の、どうって事のない遊具にも我が家の歴史があった。

                     
                                     

渋いグミを採って遊んだ砂浜も、年々波に削られ、今はテトラポットが海岸線を縁取っている。それでも、もう、グミが小さな実をつけていた。
まだ青い実を食べてみると、舌がビリっとするような渋い実だが、これもまた懐かしい味だった。

            

近くに展望台があり、街を見渡せる。
もう、40年も前、ここに信濃川の新しい分水路ができることになり、多くの家が立ち退きをしたが、私が育った家もこの水の中に沈んだ。
そう、この真ん中あたり…

    
     
角に、イチジクの木がある家があり、反対側には松林があった。春には菜種油を採る菜の花が一面に黄色く波打っていた。
当時の写真もなく、私の思い出の中だけに映っているその街、私が思い出せなくなったら、この街も消えるのだろう…。



ふるさとはいつ来てもいいものだ

室生犀星は

>『 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの 』と言った。

しかし私は

    『 ふるさとは 遠きにありて思ふもの
     そして懐かしくうたふもの
     よしや
     うらぶれて異土の乞食となればこそ
     帰る所にあるべきぞ
     むつみし埴生のゆふぐれに
     ふるさとに立ち安堵する
     そのこころもて
     遠き我が家に帰らばや
     遠き我が家に帰らばや
                   ― 小景同情 ― 』



15.ちょっとピンぼけ ― キャパに勝っただろうか

2006年09月24日 | Weblog
写真をする人なら『ロバート・キャパ』は聖人だろうし、『ちょっとピンボケ』は聖書のようなものだろう。澤田教一と並んで、私の多感な頃の英雄の一人だ。

キャパと張り合うつもりなど、毛頭ないが、それでも、キャパは水中撮影はできなかっただろう。
それを今日、私は やった!

3日間、悩みに悩んだ末買った「水中撮影できるデジカメ」。プー太郎の身には痛い出費だったが、これもまた、「自分へのご褒美」と言って買った。
「自分へのご褒美」というと聞こえはいいが、(私の場合)誰も許可してくれない時の言い訳として使っているのだが…。

水深3メートルまでならこのまま水中撮影できる という優れもの。

            

今日の木津川ツアーに合わせて買ったそのカメラ。
「店長おすすめ」のチラシに惑わされて買ったそのカメラ。

しかし、怖くて使えない。

シャッターの隙間から、レンズの隙間から、水は入らないだろうか。
  絶対大丈夫なのだろうか…。

バッテリーの差込口から、コードの差込口から、水は入らないだろうか。
  絶対大丈夫なのだろうか…。

大金はたいて買ったカメラが怖くて使えない。それでも勇気を奮って1枚だけ撮った。それがこれ。

         
            『 木津川の怪 ― その光と陰 』

何の意味もポリシーもない画像だか、それでも私にとっては記念すべき最初の水中撮影私にとっての戦場、水辺…。

  「ちょっとピンぼけ」   私はキャパに勝っただろうか…




14.八幡堀 ― 旅のお供は正露丸

2006年09月23日 | Weblog
水郷で名高い滋賀県近江八幡市の八幡堀り。

八幡堀、はっきり言って、非常にきれい。

夏には水面に白壁が美しく影を落とし、木々の緑が萌えたつ。
秋には赤や黄色の錦が華麗さを競っている。

           


ここをカヤックで巡ってみたいと思うのは、しごく当然のことと思う。

しかし、(簡単には)行くことができない。

西の湖から続く水路の途中には観光和船の船着場があり、通してもらえない。
しかも水門があり、ここはどうにも通ることはできない。
更に、所々に近隣の家が架けた「板橋」がある。以前は置いてあるだけだったが今はヒモで縛ってあり、ここも通行不能。                 

しかし、何が何でも行こうとするならば、行けない訳ではない。
2年前だったか、 ”強行突破” したことがある。

西の湖から船着場近くまで来たならば、

1、イチジクの木の所からカヤックを担いで石垣をよじ登り
2、「ちょっくら、通しておくんなさい」と佃煮屋さんの畑を、犬に吠えられながら通り
3、水門越えた所で水路に戻り
4、「板橋」に来たら降りて、人は陸、艇は橋の下を通り
5、これを2.3回やり、右の写真の所に出る

     

ここまで来たら… ♪「せまいながらも 楽しいすいろぉ~」 と思ってはいけない。

更に困難が…。

この水路は幅4メートル程。運悪く、ここでも観光船と遭遇したらば、一旦停止で片側交互通行となる。

         
   
しかも、(滋賀県では)有名な観光地のため、休日ともなれば水路の両側や橋の上には観光客がいっぱいいる。そう、握手できる位すぐそばに…。

で、

物珍しそうに眺めている、ジロジロと。
                   
      

広い水辺で岸の人に手を振るのは楽しいが、八幡堀りのギャラリーに観察されるのは非常に恥ずかしい。「どうか知り合いに会いませんように」と願う。
これさえ耐えられれば後は琵琶湖へと続く。

しかし、堀から木々を見上げることができるのは、そうざらにはない。
やっぱりカヤックのおかげだ。

それにここは、万が一にも沈するような所ではない。


    しかし

万、万が一、沈したならば、すぐさま「正露丸(もちろん糖衣錠)」を飲むことを 強く、強く お勧めする。

八幡堀、はっきり言って、非常に「そんな水」




13青い地球を見ながらこう言いたい ― ヤー・チャイカ

2006年09月21日 | Weblog
私はいろんなものに憧れるが、これこそ叶わぬ夢か…

最近、私が忘れようとしていたあることを、思い出させるニュースがあった…。



私にはどうしても見たい物がいくつかある。(詳しくはいずれまたお話ししたいが…)その中でも一番見たいと思うもの、
それは「青く、丸い地球」  私はこれを見ることができるだろうか。

25年位前か、かなり昔のことになるが、「宇宙開発事業団」(今の宇宙航空研究開発機構)という国の機関が、日本で最初の宇宙飛行士の募集 をしたことがある。

もちろん私はすぐに飛びついた。募集要項 を取り寄せ、よくよく読んでみた。

ヨッシャ! OK、OK!条件は全てクリアーしていた。(ただし私ではなく私の〇が…)
給料はその時勤めていたものより下がるが、お金より「名誉」があった。

― ロケット打ち上げの日、インタビューに応えて、こう言う自分の姿を想像した。「はい、家族として大変うれしく思っております…。」と ―

早速本人に「宇宙飛行士、ならない?」と聞いてみたが「アホか!」の一言で全てが終わった…。
(何と夢のないヤツか! その時から、ホレ度をまた一つ下げた)

しかし、それからも私の宇宙への、あくなき憧れは終わらなかった。



そしていつだったか、15年か20年位前となっただろうか…



たしか、ペプシだったと思うが、宇宙旅行プレゼントの募集があった。1500万円の費用のうち、300万円の自己負担で宇宙旅行をプレゼント、と言うものだった。(どの程度の「宇宙」だったか忘れたが…)

私はなんとしても行きたかったが、その頃の私には300万円などどいう大金どうにも工面できなかった。家のローンがあり、子供の学費があり、ヘソクリもわずかだったし…。応募したかったが泣く泣く諦めた。

しかし、今なら、生命保険解約しても、借金してでも絶対に 

 行く!

一昔前は「宇宙旅行」など夢物語だったが、今は民間人やジャーナリストが何人も宇宙に行っている。しかも既にビジネスになっている。JTBでは「商品」として販売しているし、先日はアメリカ人女性が「旅行」として宇宙に行ったとニュースがあった。

忘れていたことをまた、思い出した。

「金」さえあれば(もちろん体力もだが)「宇宙」なんて、木曽川くらいのもんだろう。(実は木曽川も行ったことはないのだけれど…)

そう、たかが「23億」という金さえあれば…
    ・
    ・
そうか、23億か…。  せめて22億なら…。 

    ・
    ・
別に「イスカンダル」まで行きたいと言うのではない。 (??の人は「宇宙戦艦ヤマト」 ご参照)
飛行機よりもう少し上、青く丸い地球さえ見れたら本望なのだ。

もう、40年も前、女性で初めて宇宙に行ったテレシコワというロシア人宇宙飛行士が宇宙で言った言葉

        「ヤー・チャイカ」 = 私はカモメ (本当は「こちらカモメ号」の意味らしいが…)

私も青い地球を見ながら、その一言を言ってみたい  ― 何十年たっても忘れられない夢、これもまた、私の憧れ… ―




12.女王のベッドシーン ― ファルトはベッドで増殖する

2006年09月19日 | Weblog
 ようこそおいで下さいました「KIDUの女王号」様

「館」の隅っこに預けているマイ・カヤック、「KIDUの女王号」だが、先日、初めて家へ連れてきた。いつもはほったらかしなので、せめてもの罪滅ぼしにと、こってりと洗った。

それから拭いて。しかし問題が…

    

だいたいは拭けるがこの奥が手が届かない。(パパ・カヌー、何とかならないの?)
布団たたきでも届かないので竹竿の先にタオルを巻いて奥の奥まで拭いた。

それでもまだよく拭ききれないので自然乾燥に任せた。と言ってもこのままでは中が乾かないので、どうやって中を広げようか…



ザルを中に入れた。1つでは足りないので家中のザルを使ったら「うどんの水切りができない!」とクレームが出たので1つは台所に返した。

         
しかし

ファルトの先輩達はみんなこんな風に拭いたり乾かしたりしているのだろうか。そうは思えない。

     いや、絶対思わない!

じゃぁ、どうやって?
たぶんこんなことをするのは最初だけで、後はテキトーに湿らせているに違いない。

     いや、絶対そうに決まってる!

私も「これが最初で最後だな」と思い、記録に残すこととした。そしてザックが乾くまで「女王」をたたんでベッドに置いた。2,3日して広げてみた。

するとこんなに大きくなっていた(これは8畳の部屋)

           
             
水辺で広げた時はこんなに大きくはなかった、絶対に!

    な、何でだぁー!


わかった!ファルトのカヤック細胞はベッドの上では増殖するんだ!

孵卵器に入れた大腸菌や木星のモノリスのように。

(意味不明の人は スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』ご参照)


増殖して益々大きな顔となた「女王」は「女王とお呼び」とのさばっている。


しかしその日の夕方、たたんでザックに入れてみると、なぜか前と同じ大きさで収まった。
収まったところで正式に我が家に迎え入れた。

            

     ようこそおいで下さいました。「KIDUの女王号」様。




11.「KIDUの女王号」とかけて ― スターバックスととく 

2006年09月17日 | Weblog
「KIDUの女王号」とかけてスターバックスととく。その心は…

青くスリムなボディーを誇る「KIDU」の女王号だが、裏から見るとこんなふう。         
            

鯨・白い鯨・「白鯨」 まるで「Moby-Dick」。エイハブ船長まで付いている。
  (意味不明の人はハーマン・メルヴィルの『白鯨』ご参照)

(映画ではグレゴリー・ペックが演じていた。Moby-Dickに体を縛りつけ、既に息絶えたエイハブ船長の腕が、船員達にまるで「来い!来い!」というように揺れるシーン、印象的だった)

私はコーヒーをよく飲む。           
3食後は必ず、他に10時と3時。「夕方以降飲むと寝られなくなる」と言う人もいるが、私は11時に飲んでも12時には寝られる。(早い話が、にぶい、鈍感なのか…)出かけた時も喫茶店で休憩する時はいつもコーヒー。スターバックスもよく利用する。
                          
ところで

「スターバックス」の名前の由来は『白鯨』の中のコーヒー好きの航海士「スターバック」から来ていることを知っている人はどれ位いるだろうか。
(しかし、実際のところ、作品にはスターバックがそんなにコーヒー好きとは書いてないと思うのだが…)

それはさておき

今の若者は文学離れ、と言うより文字離れが著しいと言う。
スターバックスで(スタバに限らないが)、短いスカートから露わに出した足を組み、携帯メールを打ちながらコーヒーをすするお嬢さんは、自分とハーマン・メルヴィルとの関係を考えたことはあるだろうか。

あるわけ、ないだろうなぁ…。

私も「女王」を裏から見て初めて気がついた。あ、これは「白鯨だ」と。

「物」から「自」となった「KIDUの女王号」だったがこんな所で「旧友達」と親交を深めていたとは…。
           
       
         
        (陸に上った鯨たち ― 熊野にて ―)

「非日常」を求めてのカヤック生活だが、日常の中にも意外な非日常があることを思い出した。

「KIDUの女王号」とかけてスターバックスととく。その心は…
    どちらも「白い鯨」がついています





10.ブラック・ジョー ― 四万十のヒ・ミ・ツ ―

2006年09月15日 | Weblog
「館」の常連客ともずいぶん顔なじみになった。

その中の一人、「ブラック・ジョー」と名付けた人がいる。
男性。年のころは30半ば(かな?)「おじさん」ではないが、「青年」と言うにはキツイ。

初めて会った時その人は、黒いスポーツカータイプの車に(私は車のことは詳しくないのでタイプではなくバリバリのスポーツカーそのものだったのかもしれないが…)黒いカヤックを積んで、黒い帽子をかぶり、黒のジャケットを着ていた。そしてちょっとニヒルな感じが西部劇に出てくるガンマンっぽく見えた。


今にして思えば「ガンマン」は言い過ぎでかなり「お笑い系」も入っている。


ま、それはともかく

まだあまり言葉も交わさなかった頃の印象は「ちっとキザな奴かな」と思ったような気がする。(「ブラック・ジョー」には聞かせられないことだが…)何度かツアーで一緒になるうちにその話に結構引き込まれるものがあり、次に会うのを心待ちにするようになった。

昨年のこと、四万十川へ行く途中、偶然列車の中で一緒になった。彼もまた「館」のツアーに行くところだった。大きなカバンとリュックを持った二人連れ。周りの人にはどんな関係に見えるのだろうか。

「#☆Я>@§…」な関係か。「$Ю¥*Φ…」な関係か。
                 
                        

全く見ず知らずの人が自分のことをどう見ているかを想像するのは旅をする時の楽しみの一つだ。
知らない土地の知らない人たちの中では、自分を舞台に立つ一人の役者を見るように、客観的に観察することができる。 
だから「ブラック・ジョー」との話も楽しかったが、自分(達)がどう見られているかを想像するのも、また楽しかった。

まぁ、これ以上書くとお互い社会的立場が危うくなるのでこの位に止めておくが、妄想であっても実害はないのでかまわないだろう。
「ブラック・ジョー」がこれを読んで「冗談じゃない!」と憤慨し、夜も寝られなくなった時、初めて実害が出るのだから、それまでは二人の関係は「・・・ヒ・ミ・ツ・・・」の関係にしておこう。



そして今年、

    四万十川ツアーは

       台風のため



中止になった…。


  今頃、「ブラック・ジョー」は、どうしているだろう…。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は夜行バスのチケットを事前に購入していた。キャンセル料と電車賃を引かれたが、払い度しに行って来た。
                     
       

 クッソォー!






9.Yさんへ ― ちょっと電気を消してみませんか

2006年09月14日 | Weblog
     
    もっともっとと ふくらんだ。

     出るな出るなと 押さえられた。  

    そうして地球も まあるくなった。

           ― ひろはまかずとし ―



私の好きな詩の一つです。


・・・・・・・・・・・・・

   明るい光の中で

   もっと光れ もっと光れ と励まされ

   ある時、これ以上光れないと周りの光を遠ざけると

   すでに光っている自分を見つけた

    
 
これは以前旅行した南アフリカの、小さな港町の露天で買った、ダチョウの卵の置物です。中に電球を入れるとランプシェードになります。

どこの誰だかわからないけれど、色の黒い、背の高い、ほっそりとしたおじさんが手渡してくれたこの卵、その小さな光に癒されます。


同じ物なのに見方(環境)を変えると、全く別の物になります。

どちらに身を置くか。

どちらに置いても同じあなたです。

                  ― びわっこヨ ―

8.カヤックの組み立て方 ― マイカヤック・アルピナ1

2006年09月13日 | Weblog
「館の霊能者」によってお買い上げとなったマイ・カヤック (ここをご覧下さい)
名前は「KIDUの女王号」だが、科学的に(?)分類すると

船舶界・人力航行門・カヌー網・カヤック目・ファルト科・
アルピナ属のアルピナ1
 
(ただし分類は「びわっこヨ」無作為抽出独断偏見法による)


参考までに、カヤックも、広い意味でのカヌーの仲間だ。一般的にパドル(漕ぐもの。ボートで言えばオール)の漕ぐ面が片方だけの物がカヌー、両方ついている物がカヤックと言う(らしい)

とまぁ、硬い話はここまでとし、早速組み立ててみよう。

私が担ぐとこうなる。このザックは私の身長より26センチ位高い人を想定して作ってあるようだ。私が担ぐと重心がぐっと低くなる。 - 私が26センチ高ければそれでいい話ではあるが - 


   ツノの生えた「ヌリカベ」

私のザックの中にはカヤック本体の他に、排水ポンプ、ライフジャケット、エアーポンプ、パドルが入っている(パドルは両サイドに挿している)

             

   重さ:本体約12キロ。 何だかんだと詰め込んで17キロ。
   出来上がると長さ全長400cm、幅60センチ

出来上がったら、担いでいる時は半径2メートル以内は立ち入り禁止!
回った時に誰かをなぎ倒しても、私は責任取らない、

    とにかく私に近づくな!


では順番にやってみよう。

ただし、

本来なら取り扱い説明書に書いてある専門用語を使うべきなのだろうが、私はどの「取説」も大っ嫌いだ。もっと簡単に言えば良いものを、やたら知ったかぶりして横文字を使いたがる。「私は日本人だ!」と叫びたくなる。

とにかく日本人であることを誇りに思う私は何語かわからないカタカナは日本語でかくことにする。
前置きはこの位にして先に進もう。


1.全てのパーツをザックから出し、ペキペキと折りたたんであるポール類を展ばす
  (中にゴムひも?が入っている物や、ポチンという突起がついている物 がある)

2.台形のフレームをさっきのポールにはめ込む

3.全てのポールをどうにかこうにかつなぎ、とりあえず骨組みを作る
  (この時、つなぎ間違えや、はめ残しがあると、後でマズイことになる)

     

4.骨組みに座る所(シート)をくくりつける
  (あまり前にセットするとコックピットが狭くなり乗り降りに不便。やせていれば問題ないが)

5.骨組みにカバー?(船体布)をかける。と言うより、カバーの中に骨組みを入れる
  (カヤックには前と後ろがあるので入れ間違えないこと。逆向きに進む恐れあり)

6.きっちり入れるために足で突っ込む (上品ぶっているとカヤックは作れない)

                   
7.それでもはみ出す時はヒモ?を引いてテンションをかける。

8.ファスナー、マジックテープ等でカバーを閉じる

9.両サイドに空気を入れる体裁よく整え、飾り物があればここでつける。

        
                 完 成!

と、ざっとこんなものだ。いたって簡単

…の割には悪戦苦闘を繰り広げ、いつも誰かが手伝ってくれる。(自立しなくては)

以上組み立て時間は今の私で20分。(スタッフは目にも止まらぬ早さ)


使い終わるとまたザックに入れられ、たいていは「館」の隅っこに置き去りにされている。


   今度、家族として家に迎え入れてあげようと思う…。

7.水辺で大人は子供に返る ― 男は無邪気に、女はおバカに

2006年09月12日 | Weblog
夏も終りにさしかかる頃、

琵琶湖で漕いだ。なぎで薄曇、絶好のコンディション。
(帰りの渋滞を除けば)
車窓から見慣れている光景も、水の上から見ると全く別の世界だった。

宮島の鳥居はあまりにも有名だが、琵琶湖の白髭神社の鳥居もまた立派なものだった。



     




どこの水辺でもそうだが大人は子供に返る。そして男は無邪気に、女はおバカに…


     
 いい歳をしたおじさんも兄ちゃんも、アワビもウニもいない湖で
       自分のロマンを探した

 

     

いい歳をしたおばさんも姉ちゃんも、常識と体裁から
            解き放たれおバカになった

せっかくの写真だったがレンズが曇っていたようなので顔がはっきりしない。せめて名前だけでも紹介しよう。

下はエミリーとシャーロットの姉妹。
ジェーンとキャサリンはヒースの波間に漂っていた。

 (どうしても理解できない人は「嵐が丘」「ジェーン・エア」ご参照)

そして無邪気な兄ちゃんは…

日に焼けた顔、たくましい腕、そして短い足(?)

悔し紛れに言うのではないが、そんなに憧れる名前ではないと思うようになった。確かに地名だが、
しかし調べて見ると日本の苗字の多くが何らかの形で地名と関係があることがわかった。 (ここをご覧下さい) (ここもご参照)

それに…

未だに「〇ヨー漕げ、漕げ! 〇ヨォーーォ!」 と励ましてくれない。



夏も終わりにさしかかる頃、水辺で


          ・・・・ また一つ、おバカ度を上げた ・・・・


6.ただ憧れを知る者だけが ― 時にはゲーテを

2006年09月10日 | Weblog
ゲーテの詩に「だた憧れを知る者だけが…」という一節がある。

   Nur wer die Sehnsucht Kennt,Weiss,was ich leide
   (ただ憧れを知る者だけが、私の苦しみを知るのです)

この詩の内容を知る人にとっては今日の内容とはちょっと違うと思うだろうが、最初のフレーズだけを見ていて欲しい。知らない人はこのまま Go!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は子供の頃、憧れるものが二つあった。

一つは白壁の蔵。

扉を開けると、平家から続く家系図があったり、家康の家来が使っていた茶碗があったり、明治維新に活躍したご先祖の羽織があったり…、とお宝が埋まっていそうで、蔵のある家の前を通るだけでワクワクしたものだった。

残念ながら実家にはそんな蔵はなく、我が家にももちろんない。これは憧れだけに終わってしまった。

               

もう一つは地名のついた苗字。しかも簡単に読めない名前に。
自分のルーツがわかるようで、どんなに遠くに暮らしていても(その頃はアフリカの草原やアマゾンのジャングルを思っていたのだが…)自分の帰る所がはっきりわかる気がして、憧れた。

しかしこれも憧れに終わってしまった。

       
          アフリカの草原  

 
                
                 アマゾンのジャングル(中央にいるのはワニ)      

今も昔も私の名前はと言えば、まぁ、どこにでもある単純な名前だ。「日本の名前百選」の上位にランクインされる。ご先祖様には申し訳ないが、あまり好きではない。
    ・
    ・
    ・
私は「幻のトランペッター」さんが好きだ。
まじめ(そう)、誠実(そう)だし、思いやりもある(ようで)、頼りがいがある(みたいだ)。
それにレスキューしてくれた。だから好きだ。

あまり褒めるとつけ上ると悪いのでこの位にしておくが、私が「幻のトランペッター」さんを好きな理由はもう一つある。

彼の名前がちょっと変わっている。簡単には読めない。更に「きへん」付き!
しかも「 地名 !! 」

「あこがれるゥ~!」 お近づきになろう。




・・・・・ しかしある日の川で、それもまた幻に終わったことを知った。

その日以来、「幻のトランペッター」さんを好きな理由が一つ、減った。

                  だた憧れを知る者だけが…


5.呼び方でわかる二人の関係 - XとYの場合

2006年09月08日 | Weblog

ある人とある人との関係は二人の呼び方でわかる。

初めて名前を聞いたとき「えっ、小泉?」。面識ができると「小泉さん」。それから親密になり「じゅんちゃん」。さらに親しみをこめて「あいつ」。
そしていつしか「ジュンイチロ~!」…

ある日、熊野川を下った時の事、その日は前日からの雨で増水して流れが速かった。大きな瀬にさしかかた。その瀬は流れが強く、左岸にはテトラもあり、瀬の手前で一度エディーに入る段取りだった。

ここに入り損ねるとそのまま瀬に突入し下手すればテトラに激突も…。しかも反転流が強く、漕でも漕いでも流される。

しかし、その手前のポイントでスタッフがいて指示を出してくれる。

「Aさーん、もっとひだり~ィ!」「Bさ~ん、もっと漕いでェー!」と

そしてX花子さんが下って来た。花子さんは一生懸命漕いではいるが、どんどん流されている!このままでは瀬に入ってしまう。!

あぁー危ない、漕げ!漕げ!と思っていると、ポイントにいたある人(Yとしよう)が叫んだ。

「ハナコォー!漕げ!漕げ!  ハナコ―オ!!」



おいおい、そうかい、そうかい。そうだったのかい、二人の関係は。
まぁ、いいけどさ。

そして私は思った。

願わくば、私も、こう言ってくれたなら、もっとしっかり漕げるだろに…



                            ムリか

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その日の熊野川       
                         
 こんなに雨が降って増水し            それなのに浅瀬で降りて引っ張って


             山の神様、川の神様、その節はどうもありがとうございました…         

                       



4.スタッフ紹介 ― 役者はそろった、主役は誰だ!

2006年09月07日 | Weblog
『館の』スタッフを紹介しよう。

スタッフは

  あの人にこの人に、このほかにはその人も…


他にもまだまだ秘蔵っ子を隠しているらしいので、いずれまた紹介しよう。

もう一人、『懐かしのかの君』。この人を忘れることはできない。以前ツアーで何回かお世話になった。
その漕ぎ方に憧れて、後ろについて真似をしてみた。できるものではないが、その時だけは何かうまくなったような気がしてうれしかた。

彼についてはもっと話したいことがあるが…また、いずれかの時にしよう。

以上でスタッフの紹介は終わるが、肝心の私の紹介がまだだった。

    年齢:不詳(半世紀は生きたらしい)
    性別:(不明)どちらでも可
    住所:滋賀県
    氏名:びわっこヨ
    趣味:カヤック、旅行

こんな私ですがどうぞよろしく。

3.会社の名前 ―女王の館

2006年09月06日 | Weblog
私がいつもお世話になっているのは不思議なえにしで結ばれたある会社。
歴史ある古都の山と川に囲まれた、とある所にある会社だ。
その昔、近くで今の静けさとは不似合いな大きな「一揆」があった。あいにくその時私は不在だったが物の本にそう書いてあった。

しかし今は穏やかな流れと、春には山桜が静かに咲き、休日には橋を見上げる川原にキャンプをする人たちが賑わいを見せている。



これから度々お世話になる会社だが「会社」では色気がない。そこでこの会社にふさわしい、夢のある名前を進呈しよう。

さぁ~て…

いざ、気の利いた名前を考えてもなかなか思いつかない。
私のカヤックはここで生まれた。だから「女王の館」
う~ん、確かに女王はここで生まれた。しかし王子だっているだろうし…

何かもっと夢のある…

またしても名前でつまづいた。(こんどは心電図を出すか)

こんな所でつまづいていたのではこれからのカヤック人生、暗雲に包まれどおしの予感がする。

こんな時は今まで行った水辺のことを思い出してみる。ここでお世話になる前にもいくつかの主催者と出会ったがみんな私を育ててくれた、いい出会いだった。

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初めてキャンプをした日置川
懐中電灯で手長エビを獲った。ゴール寸前で「町内釣り大会」に遭遇し、大会役員とスッタモンダの末、川から上ることになった。川での勢力図は       「釣り人>カヤック」であることを知った。


勝浦でのトンネルキャンプ
どしゃぶりの雨の中、不思議なトンネルの中でテントを張った。でこぼこ道の先に まだ 使われていない立派なトンネルがあり、その先には断崖絶壁だけがある、と言うか、しかない。

カヤックを積んだワゴン車がその中で方向転換できる、立派な代物だ。「千と千尋の神隠し」に出てくるトンネルの超現代版とでも言うか、不思議なトンネルだった。 

― あれは車のためのトンネルではない。来るかもしれないⅩ‐DAYに備えた防空壕だったのだろうか ― 

現実の出来事だったのか、ふとわからなくなることがある。あのトンネル、今もまだフェンスで入り口がふさがれているのだろうか。もう一度見たい…。

(ほら、ゆかし潟の奥、きよもん湯を曲がって行った、あのトンネル…)  


桜の大川で
造幣局の桜も川から見た。1日何千台もの車が通る橋の裏側は、鉄骨が織り成す美しい幾何学模様だった。この美しさを一体何人の人が知っているだろう、と思うと優越感に浸れた。
川に「クチ」があるのは知っていたが、川には「コウモン」もあることを初めて知った ― 閘門て、書くんですけどね。 ―


川だけではない。水ウミでも
琵琶湖でも、白波が立ちうねりの中に前の人の頭が隠れる日があった。漕いでも漕いでも進まず、このまま永遠に漕ぎ続けるのだろうか、と思った。
 
― 1週間後、やっと小さな港にたどり着いた時には無精ひげが伸びて…(あっ、これはないか) ― 
やはり琵琶湖は「ウミ」だった。

穏やかな湖もあった
暁の湖にパドリングの音だけが静かに響き、沖からご来光を仰いだ時、一晩かけて大地の下を駆け巡ってきた太陽に神秘を感じた。

桜吹雪と舞ったことも
路上の雑踏を眺めながら湖上から優雅に花見をした海津大崎。毎年行くが、早かったり遅かったり、桜は私の都合に合わせてくれないものだと思い知らされる。      

                

初めて沈した万水川
やっと一人前になれた気がした。どこかのヘボが(人の事は言えないが…)突っ込んで来てアバラにヒビが入った犀川。
ウェットスーツで入場したわさび園「みんなで入れば怖くない」を実行した。
水車の羽根と一緒にまわり、湧き水にはしゃいだ。
信州の川はいつもデンジャラスだった。

コーヒー色の気田川で
コーヒー色の濁流を見ながら夜明けのコーヒーを飲んだ気田川。
こんな「非日常」を求めてキャンプに来ている自分を改めて意識した。清流も癒されるが、荒々しい濁流もまた癒される。

「仁淀にはイノシシがよく似合う」
こんなせりふをどこかで聞いたような…。臭味をとるためだとかで、丸々一頭が川に浸けられていた。まだまだ私の知らない世界があることに気づかせてくれた川だった。ありがとう。

四万十と言えば沈下橋
憧れていた「飛び込み」をした。前々から一度やってみたかったが勇気がいるものだ。
「高さ」に勇気がいるのではなく、「あの歳であんなことする」いや「この歳でこんなことをしていいのだろうか」というためらいを振り切るのに勇気がいる。

ここで何かあったらきっとツアー主催者が「安全管理はどうだったか」、なんてことで警察やマスコミに叩かれるんだろうな…。自分自身は、どうせ一度は死ぬんだからどこで死んでもかまやしないが、主催者に迷惑はかけられない。と思うと、「やめとけ」という自制心が足を引っ張る。

それを振り切るのに勇気がいる。

しかし、歳もマスコミも他人の迷惑も、私の好奇心にはかなわない。飛び込んでしまえば何のことはない。無事生還した。(レスキューしてもらったと言うべきか…)  チャンスは逃さないと心に誓った。
     
      
        飛び込んで             助けてもらう

私の信条:  『これから始めるアドベンチャー!』

まだまだいっぱいあった。
櫓を漕ぐ船頭さんの唄を聞いた八幡の水郷めぐり 
            
            

ジェット船との遭遇にスリルを感じた北山川
海も川も湖も、みんな、みんな楽しかった。

こう綴ってみると私のカヤックの歴史となった。癒しを求めた歴史であり、日常からの逃避の歴史であり、水とのロマンの歴史だった。  そう、ロマン…

        これだ!

結論 = この会社の名前は「ロマンの館」

ウン、良い名前だ。私の夢を受け止め欲しい。

これからもよろしく。