カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

958.2つの漕ぎ納め ― 今年とKW

2020年12月29日 | Weblog

先日、穏やかに晴れた冬の日に2つの漕ぎ納めをした。1つは今年の漕ぎ納め。年頭からの外出自粛で、今年は近年稀に見る少ない漕ぎだった。「外出禁止」ではないにしても、我が身のため、世のため人のため、更に「世間の目」が気になり、気の小さい私はひっそりと鳴りをひそめていた。そんな今年の漕ぎ納め。

もう1つは、ささやかながら壮大なシリーズ KW(くまなく湾)シリーズ の漕ぎ納めでもあった。ふと思い立って始めたシリーズだが、進めるにつれ、なさねばならないと言う信念のような力が湧いてきて、ボチボチとではあったが着実に漕ぎ進め、とうとう完結した。そんな漕ぎ納めをした日の記録。

 

このKWシリーズが始まったのは8年前のこと。この経緯については話が長くなるので後日改めてお話するとして、今回はそのKWシリーズの最終回となった漕ぎの事を記す。

最終回の漕ぎの日は、これが師走の海かと思うほどに暖かく穏やかな日だった。 前日、珍しく宿に泊まった。集合の時間が朝早かったりする時は近くで宿をとることはたまにあるが、最近は車中泊が多かった。しかし今回は、gotoトラベルなんてけっこうなものがあったので、遠慮なく利用させてもらった。

宿からこれから漕ぐ海が真下に見えた。

今日はこの海を漕ぐぞ。海を漕ぐ私は、あの辺りにいるだろうか。手を振る私に気が付くだろうか。何時間後かの私に手を振った。

今日のコースは以前、陸から眺めたことがある。使えそうな出艇地を探したり、神社仏閣巡りで垣間見たり、古道歩きの峠から見たり、と何度か見たが陸から見る海と海から見る海は全く別物だ。陸から見る時は過去や未来の自分に声援を送る者の目であり、海から見る時は今の自分に声援を送る者となる。 あの日、あの時、陸にいた自分が送った声援に応える漕ぎをしよう。

では出発。 今回も熊からさんがご一緒くださる。

師走の海とは思えないほどに穏やかで、暖かい。澄んだ水はほんのりとした温さ。いい漕ぎ日和だ。太平洋から見たらほんの小さなゴマ粒ほどの湾だが、私にとっては雄大な海だ。 ところで、この湾の入口・出口はいったいどこなのだろう。

大きくくびれる湾はその起点(と認識できる所)はわかるが、うねりながら続く岸は、いったいどこまでが湾内で、どこからが外海なのだろう。その境がわからず、結局シリーズ当初の「くまなく湾」から「くまなく岸」漕ぎとなったのだが。

この辺りに来ると、もろに外洋だ。うねりがある時には白波が猛り狂い近づけない磯も今日は白波1つ立てない。釣り人があの岩、この岩に陣取っている。 あの隙間は通れるだろうか。お、行かれそうだ。この辺りにしては珍しい岩抜け、崖抜けの水路。

予報では少し風があるようだったが、今日のコースは殆どが風裏になるので泰平の海となる。12月だと言うのに、と言いたくなるが、太平洋側は意外と冬は穏やかだ。反対に、太平洋側が台風の大きなうねりが来て磯が白波で荒れ狂っていても、日本海側の洞窟はお椀の中のように穏やかだ。そんなこともある。

崩れ落ちた岩を見ると、いつ落ちたのだろう、今は落ちないだろう、落ちないでほしい、今落ちるはずはない。と思いつつ、真下に行くのをためらう。

岩が続き、磯が続き、そして小さな砂利浜が見えて来る。

小さな集落がある。今年の1月、この辺りを探索し、この集落にも来た。古い石畳の道があり、徐福の宮があり、無人の駅があり、小さな神社もあった。覚えておいでだろうか、この景色。

集落の中は、こんな狭くて急な道を行かれるだろうかと怖くなる坂を、地元の人がさらりと抜けていく。小さな駅の小さなホーム。駅前、と呼べる場所などない。 ここを知らずに「車の人は駅前ロータリー集合」などど言わずに良かったね、と何度も語り草になる駅だった。

今日はカヤックからその駅を見る。電車が止まった。何人が降りたのだろう、何人が乗ったのだろう。海から見ている人間がいることなど、運転士は気が付いただろうか。上からも、下からもの海となった。

電車を見送り、また漕ぎだす。程なくしてこんな物があった。

一見すると、船を引き上げるスロープのようなのだが。それにしてはあの大きな石が邪魔だ。漁船用のスロープではないだろう。林の奥にもそれらしい建物も場所もない。唐突だが、費用と時間をかけてしっかり作ってあると言うことは、何かの必要性、意味がある、あるいは、あったのだろう。 それは何だろう。 なんとも不思議なスロープだ。

その先にまた見事な柱状節理続く。

屏風のように広がる岩もあれば、トルコやエジプトの崩れた遺跡のような岩もある。高くそびえる岩、崩れ落ちた岩、そして横に切り取られたような岩。同じ場所にあって、三様の姿をしている。地球の大きさからすれば、50メートル、100メートルなど、剃刀の刃にも足りない幅だろうに、その僅かな距離で岩の形を変える技。節理の奥でどんな力が潜んでいるのだろう。不思議な岸だ。

それにしても、どんな時に崩れるのだろう。台風か、地震か、大雨か。今、崩れてもらえないだろうか。柱状節理が崩れる瞬間の、歴史の証人になりたいのだが。

不思議と言えばこんな岸もあった。

全く違う種類の石が同居する。色も形も違う石。玉石はかの岸から流れ着いたのだろうか。角の立つ石がここに辿り着き、波にもまれて丸くなったのか。それともマグマが地表に押し出す手順にミスがあったのか、鉱物を混ぜる匙加減を間違えたのか。節理の筋目の、どの時にできたのか・・ これもま不思議な岸だ。 不思議、不思議と言い放つが、専門家にとっては当たり前の、簡単に説明できる理論があるのだろう。私の不思議は時に、科学的に証明されたくない、私が踏み込めない、云わば100億光年先の星の想像の世界のであってほしいと言う願望なのかもしれない。

そんな岸に見とれながら漕げばいつの間にか熊野の山々がシルエットに浮かんで現れる。

あの岬を越えればゴールは見えている、と言ういつもの言葉に「はいはい、はるか遠くに見えるんですよね」とチャラけて答える。しかし今回は本当に岬を越えると目指すゴールが見えていた。

あぁ、見える見える。ほんの一漕ぎではないか。目指すは鬼ヶ城。朝、陸から手を振っていた私に、ありがとう、来ましたよ。と海から手を振る。これまでに2回歩いてこの城巡りをした。初めてこの岩城を歩いたのは10年前。海から見るのも今回で2回目。初めて見たのは11年前。だいぶ昔のこととなった。

おおきく抉れた岩の中を、鬼の胎内巡りのように歩いたことが懐かしい。昔行った時の写真を開いてみる。

あの日に見た海。あの日、岩から海を見て、いつの日かこの下を漕ぐ事になろうとは、夢にも思わなかった。だからその日には、海を漕ぐ私に手を振ることはなかった。ただ、こんな岩場を漕ぐ人も世の中にはいるんだと言うことは知っていた。11年前に、タンデムでみんなでこの沖を漕い時も、いつの日か一人で漕いでここに来るなどと、思いもしなかった。来ようとも思わなかった。 そしてつぎの場面を覚えておいでだろうか。

11年前、大勢で伊勢を目指した旅の日、あと少しで今日のキャンプ地と言う時。うんざりするほど単調な長い長い岸を漕いでこの岩城の前に来て、観光客が大勢見ている中で今沈したら絶好の笑い者になるだろうな、いや、SUーさんが後ろで漕いでいるから沈はしないだろう。とカメラを出したのが鮮明に思い出される。 風のある、波のある日だった。

そして今日、KWシリーズ最後の日の海は穏やかに暖かく待っていてくれた。

そんな鬼の城を、今日はじっくりと眺めながら行こう。 あ、あそこに立つのは10年前の、5年前の私だろうか。 あの波影は11年前のカヤック旅のパドルだろうか。 今年、退治される者として脚光を浴びた鬼だが、鬼の城は10年も100年も、千年・万年も変わらずに在り続けてほしい願う城だ。

削られた岩の一つ一つの穴に、削られた時の風や波や、太陽や雨や、暑さや寒さや、大地の動きや時の流れや、そんな自然と宇宙を司る大きな力の物語があるのだろう。 菊の花に見える穴には「 熊野の民話集 第19話 鬼の菊屋敷 」が書けるだろう。降る雪のように一面に開いた穴には「 熊野の民話集 第20話 熊野に降る雪 」が良い具合だ。 摩崖仏のような姿の岩は「 熊野の民話集 第21話 石になった仏様 」なんてお話にしても良い。それとも、ここらで弘法大師を登場させるのも面白いだろうか。 創作民話のネタに事欠かない宝の鬼の城だ。

そんな空想・想像・妄想も、いつの間にか現実へと戻り、あの長い長い砂利浜が目の前となる。 

いつもは私の天敵である白波砕ける砂利浜も、今日は珍しく静かだ。鬼が、私のKW完了祝いとして静かな海を贈ってくれたのだろうか。 急いで漕いだ訳ではないのに思いの外早くゴールできた。本当にシリーズ完結したのだろうか、爆発的な感動が吹き上げなかったのが不思議だ。 お世話になった皆さま、どうもありがとうございました。 今日、無事KWシリーズは漕ぎ納めました。 

全ての湾の岸にくまなく軌跡を残したいと始めたKWシリーズ。岸から5メートルを願って漕いだが、湾を漕ぎ終わり外海に出るとそうもいかない。港があったり、船の往来があったり、定置網があったり、磯釣りの長い糸があったり、厄介な岩礁や打ち付ける白波があったりで、岸から大回りをしたことも度々あった。

8年前に始めたこのシリーズ、途中川に行ったりびわ湖を漕いだり、古道歩きをしたり、島渡りをしたり別企画の海漕ぎをしたり、別に急ぐ旅ではなかったので、しかし、それにしてもゆっくり漕いだ。

当初は湾内をじっくりのんびり漕ぐつもりだったが、湾の始まりとは?終わりとは? が定かでなく結局外海も漕いで、海岸線をくまなく漕ぐ事によって、すべての湾をまわったことになった。

ざっと計算するとこのシリーズで1,000キロ以上になるだろうか。 二見が浦から鬼が城まで、リアス式の入り組んだ岸を舐めるように漕ぎ、湾内の小さな島々をぐるりと回ったり、遠くの島まで出かけたり、切りのいい所で終了して次回はそのポイントまで行ってそこからカウントし始めたり、スタートとゴールの場所がうまく取れなかったので往復したり・・ そんなこんなで実際の海岸線より長く漕いだだろう。 英虞湾だけで220キロ程か。恐るべし英虞湾!

話し出すと際限なく言いそうだが記録も長くなったので、続きはまたの機会にお話ししよう。

 

今年の漕ぎ納めの日、KWシリーズ漕ぎ納めの日。 二つの漕ぎを納めて今年のカヤックの記録を閉じる。

 


957.いにしえの石畳 ― 今年の古道納め

2020年12月23日 | Weblog

先日、北の町に大雪が降った日に、私の車にうっすらと初雪が積もった日に、まだgotoトラベルが使える内に、今年最後の遠征?、に出かけた。何かと騒がしかった1年、私の活動史上最高の、いや、最低の出動回数だったが、今年最後の出動日には山も海も空も穏やかに迎えてくれ、無事に記録できたことを感謝した。そんな日の記録。

 

今年最後の(予定の)山歩き。海を漕ぐにはちょっと風があったので古道歩きとなった。漕ぎがなかったのは残念だったが、古道も又心躍る物がある。こんな風がある日に敢えて漕ぐより、峠の風に当たる方がどんなに良いか。悩むまでもなく古道歩きとなる。今回も道案内はバルトさん。

三重県の古道は熊野古道だけとは限らないが、迷わずに無理なく歩けるのは標識や地図がしっかりしている、そして、連れて行ってくれる人が信頼できるからだ。まぁ、時々、その信頼と地図が乖離して、とんだ藪漕ぎや引き返しが、無いわけではないが・・

熊野古道のコース、駅から駅までを歩くと10キロある所でも、車道の終わりまで車を使えば歩く行程を半分にできることもある。私はたいてい、と言うか95%は後者だが。いつものように今回もお手軽ショートカットコース。それでも世界遺産の部分は歩く。

歩きだして程なくに、石垣の中に小さな祠がある。

石を積み上げただけの囲いに小さな石仏。そばに貯水槽のような物がある。かつては集落があったのか、旅人の喉を潤すためにだったのか、今は水の流れない筧は苔で覆われていた。いつの物か賽銭が幾つか置かれていたが、花を手向ける人もいない石仏は何を思って立つのだろう。

整った石畳が続く。古道情緒満点の石畳だが、一歩一歩踏む石を確かめて行かないと足をくじきそうだ。熊野詣のいにしえびとは、わらじで歩いたのだろう。難儀だったに違いない。いや、歩きなれていて、現代人より楽に歩いたのかもしれない。あの石仏様ならご存じだろう。

絵はがきにある踏み石の小径もあれば、敷き詰められた石段道もある。

この道に限らないが、土留めの石垣や猪垣など、何百年も崩れずに形を保って来れた積み方。日本の石積みの一つに穴太積と言う手法がある。ただ雑然と、思いつくままに置いて行ったように見えていて、計算され尽くされた配置の手法。この古道が人々の足音で賑わっていた頃、この石を積んだ職人たちは「何百年も残る積み方」などと、考えて積んだのだろうか。あるいは、崩れては積み、剥がれては被せて今の姿になったのだろうか。どうと言うことのない石道に、古人の手音、足音が偲ばれる。

緩く上り緩く下りを繰り返しながら次第に登り、一つ目の峠に着く。

海で吹いていた風は山に入ると途端に鳴りを潜め、寒さ対策に入れたカイロで汗が出た。しかし峠に着くと尾根を渡る風がやはり今は冬だと吹いてくる。この先にもう一つの峠があるが標識に書かれた数字を見て、まだこれしか歩いていない割にはたくさん歩いた気がする。次の峠を越え、ゴールまでどれ程あるのだろう。 どれ程と言う程の距離でないことを知っているにもかかわらず、はぁー、と息をつく自分が情けない。ま、ぼちぼち行こう。

近くに見慣れない標識の杭がある。時々そこが県の管理地であったり、寺や神社の境内であることを示す石杭があるが、これは初めて見る杭だ。何か書いてある。後でわかったのだが、林業関係の会社の名前が彫られていた。どうやらこの古道は、その会社の社有林を通っているようだ。ありがたく通らせてもらう。

峠を越えると足に優しい土の道。

乾いた土の上に細い筋が見える。私が思い当たるのは、自転車のタイヤの跡。まさか。 この土の道ならさもありなんと思えるが、途中、石段も石畳もゴロタ石も木の根もある細道を、まさか自転車が?

しかし、世の中には想像を絶する過酷な、もはやスポーツとは言えない、私に言わせれば、狂気の沙汰・自殺行為、と言うほどの危険を楽しむ人たちがいる。そんな人達にとって、私が歩けるような古道など、自転車の散歩程度なのかもしれない。ならば、この道の細い跡は、自転車であっても、おかしくはない。私はシダの擦れる音を楽しんで行こう。

踏み固められた道、長く続く石垣、その奥の平地。家があったのか、畑があったのか、山にしては不自然な平地には、いつの時かに植えられた木々が深い林となっている。

暫く行くとこんなお地蔵さまがおいでになる。庄五郎・善吉地蔵。

祠として作られたと言うより、雨に濡れるお地蔵さまが気の毒で、とりあえず石を積み上げ、屋根にした、と言う祠だ。

作った人が、
『ちょっと傾いてはいるけれど、これで雨は防げるでしょう』と、言ったかどうか定かではないが・・
お地蔵さまは、
『いやいや、水はけが良くて、居心地がいいのぉ、ありがたい事じゃ』と、言ったに違いないと思うのだが・・

大きな木を後ろに従え、小さいながらも凛と立つ石の仏。彫りは浅くなり、苔や泥でそのお顔はおぼろだったが、行く人来る人、笑った人泣いた人、幾多の旅人がこのお地蔵さまに手を合わせたことだろう。私も旅の無事を願って合掌する。

程なくして二つ目の峠に着く。やはり風が通る。松が生える峠には松が歌うザ―、ゴーと言う声がするが、杉や桧の峠はシンとしている。木にも歌好きとそうでない物があるようだ。 

こんな木もいた。

大切な我が子を守るように大きな石を抱え込む根。 転げないように、守ってあげるね。と言ってるかのようだ。
いや? そうだろうか? 
なんじゃお前は! わしの領地に勝手に出て来るな! これ以上出ることは許さんぞ! と押さえつけているのかも。

さて、真相はいかに。

道はまた石段となる。

同じ傾斜でも坂は歩きやすいが、段は辛い。上りは息が切れるが、下りは足の関節が痛む。これしきの石段で弱音を吐く私ではなかったのだが・・

それにしてもこれほどの石、昔の人はどんな苦労をして積んだのだろう。切り出し、運び、並べ。重機などなかった時代、天秤で運んだのだろうか、背負子で担いだのだろうか。怪我人、死者も出ただろう。それをさせた力は権力か、金銭か、信仰か。当時、地域貢献などと言う言葉はあったのだろうか。いずれにしても、その何かの力が作り上げた道を、たくさん歩きて来た。古道の一つ一つに感謝して、この道も歩かせてもらう。

その石道も、しばらくすると周りの気配が変わってくる。里が近くなったようだ。おや? そびえる木々の間に何やら丸い物が。

いったいどこから来たのか、湧いたのか。周りには崩れ落ちそうな崖はなく、植林される以前からあったようだ。

 

   『 昔々、伊勢と熊野の神様たちが、どちらの刀が強いか自慢比べをしたそうな。

     峠道にあった二つの岩の、まずは小さい方を、
     これを切った者がこの地方全部を支配できると言う約束で、
     順番に何度も刃を下ろしても、大石はなかなか切れない。
     それでもとうとう真っ二つになったんだと。     
     
     すると神様たちは、自分の刀が強かったから切れたんだと言い張って
     争いとなったんだと。

     それを聞いていた峠の神様が、仲ようするよう諭し、半分になった石を
     一つは伊勢の神様に、もう一つは熊野の神様に、分け与え

     いずれの世かに、大きい方の石を半分にできる刀ができた時、またここに来るように
     と言って立ち去ったんだと。
     ほんでな、後の世の人はここを、「神様が逢う坂」、として大事にしてきたんじゃな。 

     それから幾代も経ったけれど、まだ大きい石を切る刀ができず、
     以来、伊勢と熊野の神様は争うこともなく今日まできたんだと。

                    ~ 熊野の民話集 第18話より ~ 』

なんて、創作民話ができそうだ。 そんな想像を膨らませる割れ岩だ。それにしてもいったいどんな力がこの岩を割ったのだろう。斬鉄剣か、日輪刀か。私なら気合で割るか。             

          

 エイッ! トリャー!!

 見事に割ったどー!!!

 

 

 

 

ここを通る人はみなこの隙間に心奪われるようだ。通り抜けようとしたり、切ろうとしたり、割ろうとしたり・・ 後日、どこかの誰かの画像をみて、自分と同じようなことをしている人を知り、一人笑いころげた。

そんな古道もやがて商店の並ぶ道となり、ゴールもまじか。海に面した道筋にこんな物があった。

巡礼者のための道しるべ。天保の時代に作られたようだ。長い月日に彫りが薄れ黒ずん石は、はっきりとは読めないが、那智山と伊勢道との方向を記している。 私たちは那智の方向へと進んで行き、今日の古道歩きは終わりとなった。

今日の、と言うか、今年の古道歩き納めとなった。 良い日だった。 今年は外出自粛で古道歩きもままならなかったが、少ないながらも心に残る熊野古道だった。来年は、どの峠を越えようか。