カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

981.久しぶりの再会と初めての出会い ― 鳥と蛙と橋と蟹

2022年10月03日 | Weblog

このブログも随分ご無沙汰してしまった。かろうじて元気にしているし、勿論まだ向こうへは行っていない。 コロナがどうの、熱中症がどうの、ガソリン値上げがどうの、骨粗しょう症がどうのなどと言う些細な理由でも、いくつも重なるとあれほどカヤックにのめり込んでいた私もちょいと鳴りを潜めていた。

しかしその一つ一つにいつまでも囚われていたのでは拙ブログも滞り、まさかとうとう逝ってしまったか、とあらぬ疑いも囁かれる。まぁお騒がせな問題はあったかもしれないが、とりあえずカヤックモードに戻ったので、ボチボチと記録を続けよう。復帰第一戦?は、漕ぎの海に向かう途中で、初めての事、懐かしい事などを楽しんだ日の記録。

 

山陰の海へは何度か行ったことがある。その途中にも見処はたくさんあるが目的地に行くのに時間がかかるので途中の寄り道はできななった。しかしこれだけはどうしても見たいと思うものがあり、1日余分の日程を組んで、念願を果たしてきた。その念願とはこんな鳥に会う事。

 

私はまだ「ナマ・コウノトリ」を見たことがなかった。亀岡には居ることは知っていたが、ちょっと遠い。時々びわ湖にも来ているようだがじっとしていないのでこれもまた見たことがない。何十個目かわからない「冥途の土産」用に、今年こそはと思っていたところちょうどその街を通る用ができ、ここぞとばかりに行ってきた。

整備された公園にそぞろ歩きのコウノトリ。びわ湖によくいるコサギよりもアオサギよりもずいぶん大きい。幸福を運ぶと言うが、あの目つきがもう少し可愛げがあると良いのだが・・ それはさておき、ナマコウノトリ、冥途の土産袋に詰め込んだ。

さて、鳥の次はこんなカエル。

 

上の写真は2006年に初めて会ったこのカエル。初めて漕いだこの海で海から見ても岸から見ても、なるほどカエルだった。あれから山陰の海は何度か漕いだがこのカエルには随分ご無沙汰してしまった。さて、元気にしているだろうか、と今日は陸から訪ねてみた。

いたいた、変わらずに海を眺めている。

今年のカエルは、相変わらずちょいと気取って中腰姿勢だ。昨今の日本海は何かと騒がしい。ミサイルとらやが飛んで来たり、武器を装備した外国船が浮かんでいたり、居るはずのない魚がいたり、そうそう、地震もあった。カエルにとっては日常茶飯事のドタバタ劇の一つなのかもしれないが、人の暮らしの一大事を見守るかのように、ただ自じっと海を見張っていた。 無事帰る、それを願って別れを告げた。

カエル岩、ゴジラ岩、ゴリラ岩、いろいな名前が付けられて親しまれている岩がある。カエル岩、そう言えばびわ湖から流れ出る川にも、かつてカエル岩と呼ばれる岩があった。大水の時流されたと聞いたことがあったが、もしかしてダム湖の岸にひっそりと見つけてくれるのを待っているかもしれない。あの川もダム湖も随分ご無沙汰してしまった。見事な紅葉を思い出す。今年、見に行ってみよう。

まだまだ行くべき所はある。余部の駅。

上の写真は2008年の物。まだ鉄の足で踏ん張っていたが、それでも取り壊しが決まっていて新しい橋の工事が始まっていた。今はオブジェ的に鉄の橋脚が残っている。久しぶりに行った駅にはエレベータが付いていた。そうだろう、あの高さまでの上り下りは高校サッカー部員でもなければそう簡単には辿り着けない。以前はあの高さまで歩いて行ったものだ。

そう多くない利用客とエレベーターを付ける費用対効果。今来る電車を逃したら今月3回目の遅刻となる学生や、出張用の重いカバンを下げた勤め人や、両手に幼子を連れた母親や、医者通いの神経痛の年寄りや、日頃運動などしない観光客や・・ そんな利用者の便宜と建設費用を比べる天秤など、このエレベーターには不要なのだろう。ありがたく使わせてもらった。

以前の鉄橋はトンネルに向かって真っすぐに伸びていた。線路を渡ることはできなかったが一点透視法のお手本のような構図だった。

今は古い線路は遊歩道となり、年季の入った枕木のシミが郷愁を誘う。錆びたレールに耳を当てれば遠い昔の黒い煙をなびかせていた汽車の音が聞こえてくるだろうか。新しい橋がトンネル前で微かにカーブしているのは、古い線路と繋げる部分だったとか。どれどれ、この先は・・ おっと、これ以上先へは行かれない。

何年か前に来た時も言ったと思うのだが、電車の(汽車も)通る橋はどれも「鉄橋」と言っているが、正しくは「橋梁」と言うとのこと。なるほど、列車の通る橋は全てが鉄の橋とは限らないだろう。現に新しい余部の橋はコンクリート製だ。しかし「アマルベ・コンクリートキョウ」とは言わないし、かつての橋も私たちは「アマルベキョウリョウ」とは言わなかった。「アマルベテッキョウ」だった。 何で出来ていようとも、例え木の橋であっても、しゅっぽ・しゅっぽと言わなくても、列車の通る橋は「鉄橋」に決まっている。今回、この橋を海から見ることは叶うだろうか。

そんな鉄橋の他には、今はどうしているだろうと会いに行ったのは・・

こんなカニ。このカニに会いたくて寄ってみた。

いかにもカニの町らしい。この写真は12年程前の物。駅の前に立ち、「またきてね」と言っていた。はい、また来ましたよ。と言ったのだが・・ 今のカニは以前のカニではなかった。鮮度が落ちたからなのか、よく似ているが別の物に代わっていた。このカニも「またきてね」と言っているのだが、う~ん、

駅を出てすぐの所に駅に向いて立っている。 駅を降りてこの町に来た人に向けるなら「またきてね」ではなく、「よくきたね」とか「ゆっくりしていってね」とかではないだろうか。「またきてね」と言うならこれからこの町を去る人に、だから駅を背にして立つべきではないだろうか。私がこの担当者なら駅の入口に置くのだが・・

ま、とにかくまだまだ書ききれない思い出の地・初めての物にあいさつをして今夜の宿に落ち着いた。さて、明日はハンドルではなくパドルを持つ日だ。