記録が滞り、先週の話となったが、お決まりの水郷漕ぎの日のこと。
生きている物には動物でも植物でもそれぞれに命の長さがあり、輝けるタイミングがあり、人間の力では如何ともしがたいものがある。特に花は瞬く間の輝く時間を人間の都合に合わせるような忖度は、まず、しない。となれば人間が都合を付けなくてはならない。
特に桜は昔から、咲くか咲かないか、散るか散らないかで人の心を惑わせてきた。『 いっそのこと、桜なんて世の中になければ、落ち着いて暮らせるのに・・ 』なんて言った歌人もいた。
そんな桜が咲き出したと言うので花見漕ぎに行くことになった。こちらの都合をつけても、花の都合、天気の都合、どれもが合わないと花見はできない。人間の都合はつけた。天気もまずまずだ。さて花は?
2分、3分、所によって満開。私たちが行く水郷はどれほどに咲いているだろうか。来週、再来週に水郷に行くと言う人たちには申し訳ないが、4,5日前から、早く咲け、早く咲けと、念を送っていた。そのおかげだろうか、そこそこに咲き出し、贅沢を言わなければ中々の桜漕ぎとなった。そんな水郷を楽しんだ日の記録。
桜漕ぎの相棒は「チェブロさん」。チェリーブロッサムの桜色のカヤックに乗っているから。今日もよろしく。暖かく風もない朝だったが、午後から風が強くなる予報だったので、少し早めに漕ぎ出す。多少風があっても水郷の迷路に入れば安心して漕げる。コースは、びわ湖に出たり隣の西の湖も入れたなら、3キロでも30キロでもメニューは豊富。今日はさらりとのんびり漕ぎで行こう。
チラホラと満開の話題が出てきたが、水郷はまだ支度が遅い。さて、どんな具合に支度しているだろうか。露払いを買って出た木は、早々に緑の衣をまとっている。
すぐに有名な?水路に入る。
ここは水郷でお馴染みの場所。ここの桜はまだ2分か3分か。満開の溢れんばかりの桜の日に、仕事や天気やいろいろな都合が合うことはめったにない。遠くからここを目指して来る人達に、申し訳ないと、桜に代わって謝ったことも何度かあった。
今回は、まぁまぁ、そこそこだと納得しよう。手漕ぎの屋形船に出会うのもこの辺りだ。屋形船の後ろについて、船頭さんの舟歌を、ちゃっかり聞くのも楽しい。しかし今回は屋形船は1艘も来ていない。いつもの年なら、桜が蕾の内から賑わうのだが。
じきにこんな橋に来る。
私が「太鼓橋」と呼んでいる橋。ちゃんとした名前があるのだろうか。何度も通った橋だが、そう言えば、この橋の本名を知らない。今度調べてみよう。 以前、時代劇の撮影をしている時に通ったことがある。電話をしている三度笠の旅人や、自転車に乗っている侍がいたりして、時空を飛び越えた光景が面白かった。
水郷は西に東に気ままに進むことができるが、ここへは必ず行かねば。「よしの龍神」
龍神様のお名前も、以前は「竜神」だったが、いつの頃からか「龍神」に改名?された。初めてこの龍神様を知ったのは14年前。その時は社の右側に緑の葉を広げた木が立っていた。あれはマルバヤナギだっただろうか。
いつしかその木が枯れ、今度は左側に、小さな苗木が植えられた。
トンビが止まったら折れそうな細い枝だった。台風が来たら根こそぎ持って行かれそうな、きゃしゃな木だった。あれから8年程たち、今は立派に育っている。夏にはまた緑の木陰でお社を包むだろう。
ヤナギだけでなく、今は参拝者用だろうか、立派なデッキもできている。龍神様の歴史、水郷の歴史。そして自分の歴史。水辺の小さな移ろいがカヤックの歴史を刻んでいく。小さな思い出は大きな歴史となる。
おっと、思い出ばかりではない。龍神様に来たならちゃんとお参りしなくては。
いつもお賽銭として100円玉を供えて来る。そして何か月かしてまた行くと、なくなっている。きっと龍神様が何かにお役立てになったのだろう(おそらく・・) 龍神様でもゆっくりし、さてさて、と先へ進む。
次は「頭隠して尻隠さずの木」 なぜそんな名前になったかと言うと・・ 話が長くなるのでそれはまたの機会に。
そう言えばここでセームを落としたのは、あれは「コーヒー牛乳さん」だったかな。私だったかな。大昔とは言わないが、ずいぶん前の事となった。コーヒー牛乳さんの庭は、今年も「花まつり」になっているのだろうか。
久しぶりの水郷なので、思い出話が尽きない。この橋も、長いお付き合いだ。
橋桁の装飾だろうか、板が張られ、私の気に入りの場所なのだが、年々その板が剥がれ落ち、むき出しの橋材が不気味になってきた。その内、「心霊スポット」と言われそうだ。風情のある形でもあり、修復を願っているのだが。
水郷に来たならここも定番の所。「橋の桜」いや、「桜の橋」だろうか。
この日はまだ満開ではなかったが、薄紅色の花は妖艶と言っても良いだろう。チェブロさんのクルミ餅でささやかな花見とする。この日は屋形船も他のカヤックも来なかったが、賑わう日には写真撮りの順番待ちとなる。 電線・電柱がなければ更に良いのに、とよそ者は思う。
ヨシが刈られ、ヨシ原はあっけらかんとしている。
焼いた所も刈り倒しただけの所も見晴らしがよくなり、迷路らしさに欠けるのが残念だが、きれいに水際だけ残っているのは、意識的に刈ったのだろうか。枯れ穂のヨシも、根元には緑の新葉が出てきている。ヨシも春を感じているのだな。
こんな桜の水路もある。
両側が開け民家も程近く街の匂いがする。この先の、私が「タワシのロープ」と呼ぶ辺りから水路は3つに別れる。どの水路もそれぞれに面白いが今回は2番目の水路。この水路にはお馴染みの木がある。「ぞうりの木」
私とこの木とのお話をご存知の方は、残念に思う事態になっていた。久しぶりに訪ねたこの木、長い間、しっかりと「ぞうり」を抱えていたのだが、そのぞうりは今はなくなっていた。
何年前か、何十年か前にこの木の根元にやって来た片方のぞうりが、この木を宿として長い年月を過ごしてきた。その時間の途中で知り合った仲だった。今は、根が抱えていた土も大きく削られ、むき出しの根が更に荒々しくなった。いずれこの木も朽ちていくのだろう。何十年、何百年と言う水郷の歴史の一時に立ち会えたことを、しんみりと、そしてうれしく思う仲間だ。
一面に焼かれたヨシ原も見事な眺めだ。
今なら初めてここを訪れたカヤックも、帰りに迷うことはないだろう。焼いた匂いの残る見晴らしのいい水郷も良し、両側を緑のヨシに高く囲まれて彷徨う水郷も良し、ヨシの銀の穂が優しく揺れる水郷も良し、枯れ穂に綿帽子のように雪が積もる水郷も良し。
早めに上がった私たちを待っていてくれたかのように、風が強くなり、白波が立ち始めた。今日もいい水郷だった。
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人・花・天気、それぞれの都合と忖度で花見漕ぎをしたあの日から何日か経った今日、
水郷はきっと満開だろうな
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