カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

962.都合・忖度・桜花 ー 水郷の花見

2021年03月31日 | Weblog

記録が滞り、先週の話となったが、お決まりの水郷漕ぎの日のこと。

 

生きている物には動物でも植物でもそれぞれに命の長さがあり、輝けるタイミングがあり、人間の力では如何ともしがたいものがある。特に花は瞬く間の輝く時間を人間の都合に合わせるような忖度は、まず、しない。となれば人間が都合を付けなくてはならない。

特に桜は昔から、咲くか咲かないか、散るか散らないかで人の心を惑わせてきた。『 いっそのこと、桜なんて世の中になければ、落ち着いて暮らせるのに・・ 』なんて言った歌人もいた。

そんな桜が咲き出したと言うので花見漕ぎに行くことになった。こちらの都合をつけても、花の都合、天気の都合、どれもが合わないと花見はできない。人間の都合はつけた。天気もまずまずだ。さて花は?

2分、3分、所によって満開。私たちが行く水郷はどれほどに咲いているだろうか。来週、再来週に水郷に行くと言う人たちには申し訳ないが、4,5日前から、早く咲け、早く咲けと、念を送っていた。そのおかげだろうか、そこそこに咲き出し、贅沢を言わなければ中々の桜漕ぎとなった。そんな水郷を楽しんだ日の記録。

 

桜漕ぎの相棒は「チェブロさん」。チェリーブロッサムの桜色のカヤックに乗っているから。今日もよろしく。暖かく風もない朝だったが、午後から風が強くなる予報だったので、少し早めに漕ぎ出す。多少風があっても水郷の迷路に入れば安心して漕げる。コースは、びわ湖に出たり隣の西の湖も入れたなら、3キロでも30キロでもメニューは豊富。今日はさらりとのんびり漕ぎで行こう。

チラホラと満開の話題が出てきたが、水郷はまだ支度が遅い。さて、どんな具合に支度しているだろうか。露払いを買って出た木は、早々に緑の衣をまとっている。

すぐに有名な?水路に入る。

ここは水郷でお馴染みの場所。ここの桜はまだ2分か3分か。満開の溢れんばかりの桜の日に、仕事や天気やいろいろな都合が合うことはめったにない。遠くからここを目指して来る人達に、申し訳ないと、桜に代わって謝ったことも何度かあった。

今回は、まぁまぁ、そこそこだと納得しよう。手漕ぎの屋形船に出会うのもこの辺りだ。屋形船の後ろについて、船頭さんの舟歌を、ちゃっかり聞くのも楽しい。しかし今回は屋形船は1艘も来ていない。いつもの年なら、桜が蕾の内から賑わうのだが。

じきにこんな橋に来る。

私が「太鼓橋」と呼んでいる橋。ちゃんとした名前があるのだろうか。何度も通った橋だが、そう言えば、この橋の本名を知らない。今度調べてみよう。 以前、時代劇の撮影をしている時に通ったことがある。電話をしている三度笠の旅人や、自転車に乗っている侍がいたりして、時空を飛び越えた光景が面白かった。

水郷は西に東に気ままに進むことができるが、ここへは必ず行かねば。「よしの龍神」

龍神様のお名前も、以前は「竜神」だったが、いつの頃からか「龍神」に改名?された。初めてこの龍神様を知ったのは14年前。その時は社の右側に緑の葉を広げた木が立っていた。あれはマルバヤナギだっただろうか。

いつしかその木が枯れ、今度は左側に、小さな苗木が植えられた。

トンビが止まったら折れそうな細い枝だった。台風が来たら根こそぎ持って行かれそうな、きゃしゃな木だった。あれから8年程たち、今は立派に育っている。夏にはまた緑の木陰でお社を包むだろう。

ヤナギだけでなく、今は参拝者用だろうか、立派なデッキもできている。龍神様の歴史、水郷の歴史。そして自分の歴史。水辺の小さな移ろいがカヤックの歴史を刻んでいく。小さな思い出は大きな歴史となる。

おっと、思い出ばかりではない。龍神様に来たならちゃんとお参りしなくては。

いつもお賽銭として100円玉を供えて来る。そして何か月かしてまた行くと、なくなっている。きっと龍神様が何かにお役立てになったのだろう(おそらく・・) 龍神様でもゆっくりし、さてさて、と先へ進む。

次は「頭隠して尻隠さずの木」 なぜそんな名前になったかと言うと・・ 話が長くなるのでそれはまたの機会に。

そう言えばここでセームを落としたのは、あれは「コーヒー牛乳さん」だったかな。私だったかな。大昔とは言わないが、ずいぶん前の事となった。コーヒー牛乳さんの庭は、今年も「花まつり」になっているのだろうか。

久しぶりの水郷なので、思い出話が尽きない。この橋も、長いお付き合いだ。

橋桁の装飾だろうか、板が張られ、私の気に入りの場所なのだが、年々その板が剥がれ落ち、むき出しの橋材が不気味になってきた。その内、「心霊スポット」と言われそうだ。風情のある形でもあり、修復を願っているのだが。

水郷に来たならここも定番の所。「橋の桜」いや、「桜の橋」だろうか。

この日はまだ満開ではなかったが、薄紅色の花は妖艶と言っても良いだろう。チェブロさんのクルミ餅でささやかな花見とする。この日は屋形船も他のカヤックも来なかったが、賑わう日には写真撮りの順番待ちとなる。 電線・電柱がなければ更に良いのに、とよそ者は思う。

ヨシが刈られ、ヨシ原はあっけらかんとしている。

焼いた所も刈り倒しただけの所も見晴らしがよくなり、迷路らしさに欠けるのが残念だが、きれいに水際だけ残っているのは、意識的に刈ったのだろうか。枯れ穂のヨシも、根元には緑の新葉が出てきている。ヨシも春を感じているのだな。

こんな桜の水路もある。

両側が開け民家も程近く街の匂いがする。この先の、私が「タワシのロープ」と呼ぶ辺りから水路は3つに別れる。どの水路もそれぞれに面白いが今回は2番目の水路。この水路にはお馴染みの木がある。「ぞうりの木」

私とこの木とのお話をご存知の方は、残念に思う事態になっていた。久しぶりに訪ねたこの木、長い間、しっかりと「ぞうり」を抱えていたのだが、そのぞうりは今はなくなっていた。

何年前か、何十年か前にこの木の根元にやって来た片方のぞうりが、この木を宿として長い年月を過ごしてきた。その時間の途中で知り合った仲だった。今は、根が抱えていた土も大きく削られ、むき出しの根が更に荒々しくなった。いずれこの木も朽ちていくのだろう。何十年、何百年と言う水郷の歴史の一時に立ち会えたことを、しんみりと、そしてうれしく思う仲間だ。

一面に焼かれたヨシ原も見事な眺めだ。

今なら初めてここを訪れたカヤックも、帰りに迷うことはないだろう。焼いた匂いの残る見晴らしのいい水郷も良し、両側を緑のヨシに高く囲まれて彷徨う水郷も良し、ヨシの銀の穂が優しく揺れる水郷も良し、枯れ穂に綿帽子のように雪が積もる水郷も良し。 

早めに上がった私たちを待っていてくれたかのように、風が強くなり、白波が立ち始めた。今日もいい水郷だった。 

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  人・花・天気、それぞれの都合と忖度で花見漕ぎをしたあの日から何日か経った今日、
  水郷はきっと満開だろうな 

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961. お待ちどう様の初漕ぎ ― やっぱりびわ湖

2021年03月24日 | Weblog

春うららのある日、お待ちどう様の初漕ぎに出た。鏡餅がある内に漕ぎ出した年もあったし、分厚い氷を割るために漕ぎ出した年もあったが、今年は桜の便りが聞こえて来てからの初漕ぎとなった。 まぁ何だかんだと遅くなったが、1年の4分の1が過ぎる前に漕ぎ出せたので良しとしよう。そんな初漕ぎの日の記録。

 

今回のメンバーは3人。久しぶりの3本柱。5日前の予報では雨だった。2日前の予報は曇り時々晴れ。そして漕ぎの日は、快晴で穏やかで暖かく絶好の漕ぎ日よりとなった。何とまぁ、運の良いことか。それぞれに、自分の行いが良いからだと思っている。ではでは、3人の今年の初漕ぎに出かけよう。

穏やかな日差しと優しい湖面。アメンボウかミズスマシか、そんな言葉が出るのはメンバーズが「若者」ではないからだと言う声も聞こえたが、いやいや、気持ちは十分に若者だ。じきにこんな物を見た。木のベンチ。

一頃、「あのベンチ」が脚光を浴びた。今もファンが多いが、「このベンチ」はどうだろう。誰が置いたのか、何を思って座るのか。私が水辺に土地を持つことができるなら、こんな木のある岸にする。そして木の下に小さなベンチを置いてびわこを眺めよう。朝日も良い、夕日も良い。良いだろうな・・

誰もいない水辺はカヤックの遊び場。

水辺は幼いヤナギがやっと起き出したばかり。ヨシはまだ寝坊している。そのヤナギをくぐりヨシをくねり、突然跳ねる魚に驚く。水中から大きな木が幹を伸ばす。

これは1本の木が株別れしたのか、何本かの木が押し合い圧し合いして都合のいい方向に広がったのか。離れてみると扇を広げたようだ。「扇の木」と名付けようか。

昔、いや、以前、日置川を見下ろす小山に「おろちの木」と名付けた木がある。確か、ヤマモモだったと思うが、根元からたくさんの幹を広げ、ヤマタノオロチがのたっているような姿だったので、そう名付けた木だ。暫く行っていないが、あのおろちの木はどうしているだろう。会いたくなった。

その先に水中林がある。今は水位が上がっているのだろうか、湖北でこのような光景の所があるが、この辺りで見るのは珍しい。通り抜け自在。ならば行かねば。

 

行けると思っても小枝が邪魔したり、意外と浅かったり、それでも根性で進む。じきにこんな松並木に来る。

防風林だろうか。ここは昔からの港だったのか、新しく(と言っても30年とか50年位前)作られた船溜まりなのか。この辺りの岸にしては違和感のある松並木。違和感があると言うのは、この木が「松」と思うからもある。見慣れている松とはどこか違う気がする。 私のよく知る松を、何かの目的でこの形に剪定したのか、それとも違う種類なのか。

メタセコイアと思っていた木が、実はよく似たラクウショウだったことがあった。モミの木と言っていた木が実はヒマラヤスギだったこともあった。この木も実は松ではないかもしれない。まぁ、私が言うことだから・・

大きく伸びるエリがある。岸を行こうとしていると、釣り人が、「すみません、魚が逃げるので通らないでほしい」と言ってきた。

何度も通られて、その度に困った。と言う。ここをそんなに何度もカヤックが通ったのだろうか、そんなにカヤックが来たのだろうか。今日は我等以外、1艇も見ていないのだが。それとも、この何年間の間で、と言う事なのか。

それでも、丁寧な言い方だったので、こちらも快く応じることができた。時々、川でも海でも、釣りが最優先だ、と言う傲慢な態度の人がいる。ほとんどの場合、カヤックが引き下がる。「邪魔だ! カヤックが通るんだから、糸を引け!」 などと言わないところが、カヤック人の良いところなのだろう。

快く引き下がり沖に行ったが、やけに大きなエリだった。風も波もなかったから良かったが、荒れた日は怖い。まぁ、そんな日はカヤックは漕がないが。

のんびりと漕いで、ちょっと早めのランチをする。

今日は珍しく弁当を作って来た。久しぶりの、そして初漕ぎの日だったのでちょっと張り切った。 高菜のおにぎりを持ってきたメンバーもいた。デザートは草餅にフルーツシャーベットにコーヒー。差し入れに分担がある訳ではないが、不思議と被らない。これを以心伝心とでも言うのだろか。

広いびわ湖、ぐるりと回るとおよそ230キロ。

昨年から外出することが少なくなり、何かと時間があったので、これまでにカヤックで漕いだ距離を積算してみた。川、海、びわ湖と、合わせると7,600キロ程になった。川は、沈して流される距離もあるが、そこはご愛嬌ということにする。

「びわ湖一周シリーズ」で漕いだのが1,200キロ、シリーズ以外では(例えば今日のような)1,000キロ強。びわ湖だけでも合わせると2,200キロにはなる。「塵も積もれば山となる」と言うが、ボチボチと漕いでも結構な距離になるものだ。今日の漕ぎがまたびわ湖を広げる。

小さな川の岬を越えると比良の山々が遠く望める。

この辺りはびわ湖の最北部からの距離が長く、風のある日は大きな波とうねりが起きる。隣を漕ぐ人がうねりの谷に入ると姿が見えなくなり、まるで海、怖い、と思った日があった。ずいぶん前の記憶の日だ。今日は寝ていても大丈夫の穏やかさ。今回は往復だったのでこの辺りで引き返す。

ますます穏やかさを増すびわ湖。対岸もほんの一漕ぎ、今日なら十分行かれる。と言いつつ、誰も「行こう」とは言わない。

びわ湖大橋が見える。 
    「そう言えば、以前、観覧車があったね。目印だったのにね。どこかの国に行ったんだよね?」
    「バンジージャンプもあったね。行く行くと言って、とうとう行かなかったけど」
    「温泉がなかった? あれは別の所だったかな」

それぞれにびわ湖の思い出がある。少しずつ変わるびわ湖はメンバーズの人生の一部でもあった。

のんびり漕いでも、もう橋に来た。

鏡面の湖水に映り込む橋脚。いつだったか、この橋脚の周りを囲っている板が外れている所があり、中を覗いてみたら見事な「青の洞窟」いや、「緑の洞窟」だった。不思議な世界。この一枚を覚えておいでの方は、古いお付き合いの方だ。あれから何年が経っただろう。

新しい物を見つけ、古い物を思い出し、3メンバー、肩慣らしの初漕ぎだったが、それでも12キロは漕いだので、上々の初漕ぎだった。 

びわ湖大橋と言ったら定番のこの一枚。ハイポーズと言って、今日の漕ぎは終わった。

良い日だった。お待ちどう様の初漕ぎは、やっぱり良いびわ湖だった。


960.一歩戻ってニ歩進む ― もうすぐ春かな、もうすぐ春だな

2021年03月03日 | Weblog

この時季を一言で言うなら「三寒四温」だろうか。一歩戻って二歩進む季節。小さな一歩が大きな春を呼ぶ。びわ湖にもそろそろ春が来そうだ。弥生の穏やかな陽気に誘われて湖北を訪ねた日の記録。

 

先月、びわ湖の北をパトロールに出かけたが、まだまだ確かめなくてはならない所が残っているので、改めて行ってきた。びわ湖レンジャーを自称する私としては義務として、責任として、と言って、遠出を正当化している。

風もなく、穏やかなびわ湖。対岸の比良山系や伊吹の雪も山肌の筋までもきれいに見える。北に向かう時はいつも、本道から敢えてそれてこの道を通る。そしていつも「あぁ、また先客に取られた」とがっかりする木がある。

それでもたまには独占できる時もある。そう、この日も木の下には誰もいなかった。何と幸運な事か。

最近は少し収まったが、一時大フィーバーした。木が、と言うよりベンチが、だったのか。それとも「木の下のベンチ」なのか、「ベンチの傍の木」なのか。

この場所など、他人がネット上で騒ぐ前から知ってはいたが、気にするものではなかった。びわ湖によく馴染んだ、何の違和感もない場所だった。場所と木だった。ベンチも。いつから今のベンチになったか定かでないが、7年前は背もたれのないシンプルなベンチだった。

7年前の冬の日、「波乗り青年」いや「波乗りおじさん?」がここで波乗りカヤックしていた日には、背もたれのないベンチだった。冷たい風の日だった。ベンチは変わったが「おじさん」は今も波に乗っているようだ。またびわ湖で再会したい。

そんな岸を後にして、次の目的はこれ。

北帰行が始まり何日が経ったが、まだたくさんのハクチョウがいた。先月もこの辺りまでハクチョウを見に来たのだが、その時は皆さん田んぼでお食事中だった。飛翔のハクチョウは力強い。湖水に佇むハクチョウは優雅だ。しかし、田んぼを歩くハクチョウは、ちょっと不格好。先月は優雅な姿が見られなく残念だったが、今回はしっかりと浮かんでいる。ただ・・

岸から離れているので拡大すると「ちょっとピンボケ」。キャパ程の腕はないし、1メートルも伸びるレンズのカメラもないし、しかしまぁ、人に見せるを目的とした写真ではないので、場所と時間を印す「メモ」としての写真だから、と自分を納得させる。このハクチョウたちも後何日びわ湖にいるのだろう。北の国は、もう春なのだろうか。 15分ほどして車で通りかかった時にはたくさん岸に寄っていたのは、ちょっと悔しかった。 

お次は、これは途中で思いついたのだが、そう言えばこの先に噂のカフェがあったような。湖岸の道は時々通るが、そこから一筋入った集落の中の家。大きな看板がある訳でもないが、なぜか(おっと、これは失礼か)賑わっている。

 

ちょうど昼時だったせいか30分は待つようだ。いつもなら30分待って店に入るなど、考えられない私だが、家から70キロ程あるこの地、そうちょくちょく来ることもないだろうと、待つことにした。 待つ間に集落の神社へ行ってみる。

裏山に、張り付くように建つ神社と寺。長い歴史のある近江の国。この辺りにも、古墳やら平家やらびわ湖水運やら信長やら、いにしえに思いを馳せる者を喜ばせる歴史があったようだ。

散策していると待ち時間も苦にならず、店へと入ることができた。つづらお半島、竹生島、15キロ程先の対岸、更に向こうの雪を被った若狭の山々。北に帰るハクチョウたちもこの景色を見ながら飛ぶのだろうか。

初めて行った店だがどこか懐かしい。昔の農家の作り、「四つ間(よつま)」だろうか。子供の頃、親戚の農家の作りはたいてい四つ間だった。客間、居間、仏間、そしておばあちゃんの隠居部屋が1本の柱を中心に、田の字にできていた。四つの部屋がつながっているので「四つ間」と言うのだとか。葬式や結婚式の時には各部屋の仕切りが取り払われ、大広間となった。サラリーマン家庭の小さな家だった私は、その大広間が体育館のように思われ、農家は皆大金持ちなんだな、と子供心に羨ましかった。 そんな昔を思い出させる作りの店だった。

お目当ての蕎麦は終了したとのことで、久しぶりに鴨蕎麦にした。以前友人が、「びわ湖にはたくさん鴨がいるし、地元では食べ放題だね」と言っていた。そうだと良いのだが、びわ湖の鴨は勝手に獲れない。丼に沈む鴨がどこからおいでになったのか、聞きそびれたまま店を出る事となった。 

 

湖岸には水仙が咲き、寒咲桜が咲き、ホトケノザが咲き、梅が満開になり・・ もうじきハクチョウたちの北帰が終わるとびわ湖にも春が来る。そうしたら、この辺り、大手を振ってカヤックが漕げる。ハクチョウたち、まだ居てほしいような、早く帰ってほしいような。

もうすぐ春かな。もうすぐ春だな。