カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

982.そんな名前があったとは ― 嵐の逃げ込み岩

2022年10月05日 | Weblog

アウトドアは天気に影響されやすい。特に海は、達人たちはお構いなしかもしれないが私は、とびっきりの快晴でも風が強い日は漕がない。風はなくてもみぞれが降っている日も漕がない。しかし、そんな天気になるとは思っていなかったのに、急転直下の嵐に遭うこともある。そんな目に遭ったことを楽しんだ海がある。その海にまた行った日の記録。

 

集合場所の浜はずいぶん前に行ったことがある。とんでもなく悲惨なキャンプをした浜だ。その頃は借りたテントでしかも立ててもらったテントだった。それはまぁ良かったのだが、夜中に大雨が降り・・

立ててもらったのだから文句は言えなかったのだが、きちんと立ててなかったとみえ、テントは揺れるわ、浸水はするわ、雨漏りはするわ。とうとうマットにしゃがんで荷物を膝に乗せテントの中で傘をさして一晩を過ごした。そんな悲惨なキャンプ、大概の人ならもう金輪際キャンプなんぞしない!と言ったのだろうが、その悲惨さが私の非日常の火に油をさしたのだった。あの日以来「とんでもキャンプ」が好きになった。あの時、私のテントを立てた人は、もううまくできるようになっただろうか。20年近く前の話だ。

そんなキャンプ場をまた訪ねてみた。かすかに残る記憶が蘇る。そうそう、この辺りに「傘さしテント」が立っていたのだった。

集合場所には懐かしい顔、どこで会ったか覚えていないが確かにどこかで会った顔、私は覚えていないが相手は私を覚えていた顔、初めて会う顔。久しぶりの顔はどれだけぶりだろう、コロナの前だから2年ぶり? いや3年ぶり? そんな会話をしている内に、メンバーが揃った。今回は総勢10名、私にとっては大所帯のメンバーだ。

 

そろそろ漕ぎ出す時間となった。あの悲惨だったキャンプ場には今日は若い人たちの賑やかな声がきこえている。タクシーが行くのが見えた。今時の若者はタクシーでキャンプに行くのだろうか。グランピングなんて洒落た言葉も耳に慣れ、「タクシーキャンプ」があってもおかしくないのかもしれない。

いつだったかこの辺りを漕いだ時、ちょうどこのキャンプ場前に来た時に、浜に上がって休憩したいと思ったのだがキャンプ客が大勢いたので上がらずに、海上で休憩した。ロールを披露する人、再乗艇の練習する人それぞれに休憩時間を楽しんだ。自艇には再乗艇しやすいようにデッキの両側にロープが張ってあり、後ろからまたいでひょいひょいと(?)上がったものだった。

それはさておき、漕ぎ進めばこんな岩。

 

覚えておいでだろうか、この岩。ずいぶん前の事だが突然の嵐に逃げ込んだこの岩。向こう側に抜けていてトンネルのようになってる。あの日は全国的に急な天気の変化があり、日本海側でも突風が吹いた。水遊びをしていてあれよあれよという内にこんな天気になった。

雷も鳴り、皆で大慌てでこのトンネル岩に逃げ込んだ。冷たい風が吹き、水に浸かっている方が暖かいと海に浸かって嵐が終わるのを待った。

あれから何度かこの岩の前を漕いだが私は「嵐の逃げ込み岩」と呼んでいた。しかし今回あの岩は地元では「窓岩」と言われていると知った。窓のように向こうが見えるからとか。なるほど。

今日は逃げ込む必要のない窓岩だった。「あの時は本当にお世話になりました。ありがとうございました。」遠くから礼を言って先へ進んだ。

この辺り、海の観光地ともなっている。繊細な節理や縦横無尽の地層の重なりが続く。写真写りが悪いが「鎧の袖」。見上げる絶壁が立ち塞がる。ここでふと思った。ここは正しくはどこにアクセントを置くのだろう。「ヨイのそで」なのか、「ロイのそで」なのか。物としての鎧ならヨイだろうし、地名としてならロイと思うのだが。

関係あるような無いような話だが、びわ湖には『うみの子』と言う学習船がある。県内の小学5年生が船内で一泊してびわ湖の学習をする船だ。この呼び方が以前から気になっていてた。私に限らず殆どの滋賀県人は(私が思うにたぶん)「みのこ」と言うが、ある放送局は「うのこ」と言う。私はこの言い方が気に食わない。海無し県と言われる滋賀県だが、びわ湖を「み」とも言う。日本全国津々浦々、海を「う」と言う町がいくつあるのか、知りたいものだ。放送局にイチャモンつける意図は全くない。先へ進もう。

そしてこんな岩。横顔がそっくりではないか。

言い慣れた言い方は「インディアン岩」だが、昨今、インディアンと言う言葉は差別用語として使われないとのこと。それなら「ネイティブ・アメリカン岩」とでも言ったらいいのだろうか。地元では「鷹巣の島」とも言うようだ。差別意識など毛頭ない私はやはり「インディアン岩」に親しみを感じるのだが。

「婦人」と言う言葉が差別用語として公の場から消えて久しい。しかし日常生活の中では今でも婦人と言う言葉は生きている。その言葉を言っても聞いても「差別」とは思わない私は、時代に乗り遅れているのだろうか。

いや、海はもっと気楽に行こう。奇岩・怪石・洞窟・洞門、数限りない山陰の海だが今回はその序幕だけ。お次はメガネ岩。岩は見る角度によって形が変わる。しかしこの穴は、どの角度から見てもメガネと言うのはちょっときつい。まぁメガネにもいろいろだろうので・・

洞窟・洞門、今回はほんの少しだけ。ヘッドライトも持って行ったが出番がなかった。真っ暗な洞窟、両手で押してく洞門、もう勘弁してくれと言う程に行ってみたいのだが。

こちらの穴から入って向こうの穴から出る。直線もあれば曲線もある。180度回ってさっきの穴の隣に出る物もある。

何だかんだと言っている内に余部の橋に来た。前回お話した「テッキョウ」だ。ちょうど電車が出るところだった。

以前は、本数の少ないこの路線を通る電車に合わせて漕いできたこともある。あとちょっとの所で行ってしまった電車を恨めしく思ったものだった。

上の写真は余部橋梁がまだテッキョウだった頃の物。絵になる光景だ。この橋が好きだった。今の最新技術なら耐震・耐風・耐塩の、以前のような形の鉄橋が造れると思うのだが。旧世界へのノスタルジーだろうか。 とかなんとか言いつつ、お腹を空かせて宿に行く。

さてさて今晩のお宿はこんな料理。炭焼き、鍋、舟盛り、やっぱり最後は食べきれなかった。

カニやエビのガラを入れる容器があった。洗面器。これを見て全くデリカシーのない御仁が要らぬ一言を言った。そう言われればそんな場面も想像できる。私がこの宿の人間なら、プラスチックで良いので皿にするのに、と思ったりもした。鍋奉行も居れば焼奉行もいた。わいわいにぎにぎと終了時間が過ぎてもまだお開きにならない夜だった。

 

久しぶりの海で懐かしい岩の新しい名前を知った日だった。そんな名前があったとは。