カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

867.春のびわ湖で流氷体験 ― BーⅤー18の漕ぎ 

2018年03月31日 | Weblog

びわ湖5周目の18日目の記録。

先日、桜があちこちで咲き始めたと話題が広がった日、風がなく時季外れに暖かかった日、そして霞がかかったように煙った空の日、

また、「チーム・気まま」でびわ湖を漕いだ。 前回、まさかと言うほどびわ湖を漕いでいなかった日から何日も立たずに、立て続けにびわ湖漕ぎとなる。まぁ、人生もカヤックも、割り切れる予定が立たないところが面白いのだろう。 

 

そんな日の出艇場所はこんな所。急に暖かくなった水辺には黄菖蒲の芽が、待ちきれないと顔を出している。

ここは私(達)のいつもの場所、「占有地」とは言わないが、言えないが、気持ちとしては「我らが所有地」と思っている。 まぁ、他の人が使っても良いけど・・ の感がある。

もう、何年も前、初めてこのチームでこの岸をゴールとした時、上がる場所を20メートル程行き過ぎて藪漕ぎをしてしまったことがある。ヨシや藪草の茂る中をカヤックを運びながら、こんなバカげた事を、いや、こんな楽しい事をやるのは私たち位だね、と笑っていたことを思い出す。 ちょうどこの辺りだ。懐かしい。

岸には鯉釣りの人が何本もの竿を並べている。日向ぼっこをしながら、昼寝をしながら、釣れるまでの時間をのんびり過ごすことを楽しみとしているとのこと。貴重な時間を追いながら生活を送る人が多い中で、「湯水のように時間を流す」、そんな暮らしを楽しむと言うのはこの上ない贅沢ではないだろうか。さりげない身なりのおじさんではあるが、「とんでもないセレブ」なのかもしれない。

セレブおじさんの邪魔をしないよう、ソロリソロリと漕ぎ出そう。今回は前回漕いだコースのちょうど対岸になる。お向いさんの岸に手を振って行ってきますの挨拶をする。

その先は枝くぐりの岸。今はまだ枝だけの木々もじきに緑のトンネルとなるだろう。今はまだ透かし模様の枝を広げている。見通しの良さを楽しんでくぐる。

じきに大きく開けた所となる。

 ヨシを波から守る柵。岸近くで所々に施されている。このようにヨシを守ってはいるが、守られて育ったヨシはこのように毎年枯れて朽ちて湖中に沈む。この循環もまた水質浄化のサイクルに適っているのだろうか。いつも考えてもわからない。

箱入り娘のヨシもあれば、自由奔放に遊ぶ放蕩息子のヨシもある。 

そんな所ではカヤックもヨシと一緒に遊ぶ。時々カヤックに驚いて跳ねる魚や水鳥にカヤックも驚く。その水音が消えると後は静寂。びわ湖でカヤックを漕ぐなら、こんな光景を楽しんでこそ「びわ湖カヤック」ではないだろうか。 

長閑な田舎の風景から都会のにぎにぎしい光景と続き、ふと見れば遠くにびわ湖大橋が横たわる。 

それにしても美しい流れだ。約1400メートル。近江大橋と共に、びわ湖の最も細い部分に架けられた橋。「びわ湖横断」と言うと大そうな事に聞こえるが、この橋の下を行けば立派に「びわ湖横断」となる。そう言えば久しく横断をしていない。

 遠くに見えていた橋がいつの間にか目の前に来る。

橋上で工事をしていた。作業する人の声が聞こえたが、彼らは自分の足の下を人が通っていることに気が付いただろうか。

1車線がメロディーロードになっている。この位置では曲は終わっているので聞こえないが、西詰めの下では車に乗っていなくても、通った車が奏でる曲が、湖上に居ても聞こえる。カヤックで湖上に浮かびながらびわ湖大橋が歌う「琵琶湖周航の歌」を聞く。これもまた「びわ湖カヤック」の楽しみだ。

橋を過ぎると小さな砂浜が現れる。夏にはここでシジミが獲れるとのこと。しかし私はまだここでシジミとりをしたことがない。次に来る時は熊手を持って来ようか。浜を上がるとショッピングモールがある。焼きたてパンもアイスクリームも調達自在。流行りの服からアウトドア用品の足りない物も手に入る。

しかし我らはこのすぐ先の別の浜でランチとする。 さてさて今日はどんなランチとなるだろう。

 

 こんなランチ

 「流氷カレー」!
 と野菜サラダ

 詳しく解説すると・・

 

 

 

 

相棒が一年前に期限が切れた非常食米があるので・・と持って来た米は、十分に食べるに耐え得る物だった。1年まえの期限切れには驚かなかったが「流氷カレー」なる物には驚いた。群青のルーは北の海、白いルーは流氷を意味する物だとか。 なるほど・・

私は庭に生えていた「ヤブカンゾウ」を持って来た。それを茹でて流氷の海に浮かべ、「ジャイアントケルプ」に見立てた。セロリの漬物はラッコ。 にわかにびわ湖の水辺が宗谷の海になった。後で考えると、流氷の宗谷の海にジャイアントケルプがあるかどうか、ラッコがいるかどうか疑問だったが、まぁ、そのいい加減さが「チーム・気まま」の良さだろう。

1年まえに期限が切れた米にはジャイアントケルプがちょうどいい。

 

波音を聞きながらコーヒータイムを過ごし、この浜に来たなら見て来なくては、と腰を上げる。

遠目にはまだ黄色い絨毯を敷き詰めたように見えるが花の殆どは折れて首を垂れている。この花も長い間鮮やかな黄色を楽しませてくれた。もうそろそろ今年の任務も終わりのようだ。ご苦労様でした、と労を労い別れた。

 

この位置から見るこの光景は、私には特別な意味がある。私が「訂正の岸」と名付けた岸だ。

間違いは誰でもやる。しかし間違いと指摘されて訂正しないのは、それは「噓」になる。自分の間違いを訂正する事を恐れてはいけない、と発信する場所である。

      自分に正直であり 人に誠実であり     
      自分に臆病者にならず 人に卑怯者にならず

 

そんな思いを背中にして漕ぎ進めば、冬の日に白鳥を見た川や気の早い鯉のぼりが泳ぐ岸や、おや?さっきも車で通った道なのに、あんな建物、あったかな? の岸が流れていく。 そして気が付けばもうゴールの岸に着いた。

対岸の岸はかすんで見えず、水平線の彼方は太平洋かと見紛う大海原のびわ湖だった。カヤックを積んでスタートした岸に戻ると、もう鯉釣りのおじさんはいなかった。なぜだが残念な気持ちになった。「ただいま」と言いたかったのかもしれない。「釣れましたか」と聞きたかったのかもしれない。水辺を同じくした人はみな友人のような気がしてくる。

比叡の山も障子越しの虚ろさだ。こんな比叡もまた春らしいと言うのだろうか。

今回は風も波もなかった。暑くなく寒くなく、カヤックを漕ぐには良い気候となった。思いがけずに桜の時季に流氷に出会ったびわ湖だった。

これで遠くまで見通せたなら申し分のない日だったのだが。

 


866.BーⅤ-17 ― そんなはずはないびわ湖風

2018年03月23日 | Weblog

今年は例年になく漕いでいない。しかも例年になく記録が遅い。この記録も1週間も前の事を書いている。しかし、まぁ、1週間はまだ良い方だろうか。1ヵ月前の事を、朧となった記憶を広げて書いた時もあったし、まぁ、1週間はましな方だろう。と言い訳しつつ書き始める。

 

今回はB- Ⅴ-17の日の記録。 びわ湖一周シリーズの5周目の17回目。

久しぶりのびわ湖、久々の「チーム・気まま」、久々々ぶりのBⅤシリーズ。

     えっ、びわ湖が5ヵ月ぶり?
   え、えっ、「チーム気まま」が2年ぶり??

まさかまさかの記録を紐解いてみれば、唖然とする数字が出てくる。 最近は海に行くことが多くなったので、カヤックに乗ってはいてもびわ湖にご無沙汰するようになった。それにしても5か月ぶりとは、情けない。

それ以上に「チーム・気まま」で海は漕いでも、2年近くびわ湖を漕いでないとはにわかには信じがたい事だ。最近のこのチームは漕ぐより「食・湯・遊」ツーリングが多くなったからだろうか。去年はこのチームで3回出かけたが、3回とも漕ぎ無しのツーリングだった。 その代わりお宿とグルメには詳しくなったが、カヤック乗りとしては呆れ返る。まぁ、そこが「気まま」と冠する所以なのだが。

その久しぶりの「チーム・気まま」、いつもの?岸から漕ぎ出す。 この時、私は大きな失敗をした。私としたことが、何とした事か、びわ湖大橋の写真を撮り忘れたのだ。

久しぶりだったからなのか、いつもの変わらない事だからだったのか、そそくさと通り過ぎてしまった。近くに緊急車両が並んで居たからだろうか・・

 

ま、それはともかく、1日中3メートルの風と言う予報のびわ湖に漕ぎ出した。

漕ぎ出してすぐに目に入るこんな物。

出来島(でけじま)の木の灯台。「出島」とも書くようだ。海でよく見る石の灯台とも違い、旧街道でよく見る常夜灯とも違い、不思議な形をしている。明治の文明開化の光を今につないでいる。アニメに出てくる巨大な人型ロボットに似ている。もしかして、夜、こっそりと歩き回っているのかもしれない。近所の人が毎朝掃除しているのに次の日には小石が散らばっているとか・・

 

 2代目うみのこ

 近江の国では
 「湖」を「うみ」とも言います
 本当に海のような湖です

 

 おや、
 今日最初で最後のびわ湖大橋が
 覗き見してました

 

 

その先の造船所には2代目「うみのこ」が浮かぶ。滋賀県の小学5年生が船に泊まってびわ湖の学習をする船だ。35年働いた初代に代わり、今年から就航するびわ湖の学習船。

林間学校、臨海学校、子供たちの好奇心・冒険心を膨らませる宿泊学習はいろいろあるが、湖上の船で泊まる、と言うのはさすがびわ湖の国だ。私は乗ることができなかったが、初代「うみのこ」に親子2代で乗ったと言う家族がいる。新しい2代目も「親子で乗った」と言う家族をたくさん作ってくれるだろう。

うみのこには沈まないほどに大きな期待を託し、造船所を後にする。そしてお馴染みのこのお堂

私はいろいろな所をくぐりたい。水面に垂れ下がった木々の枝、養殖筏をつなぐロープ、朽ちかけた桟橋、のけ反って通る洞門、湖中の鳥居・・ 魚や水鳥以外、誰もその下をくぐる私に気が付く者はいない「くぐり」がある。 カヤックの醍醐味だ。

しかしここはけっこう人目に触れる。今回もお堂の回廊に大勢の人がいたのでくぐらなかった。真上から傍若無人にカメラのシャッターが襲いかかって来る。 白髭神社の鳥居もくぐるのは好きだが、岸からのレンズが迫って来る。 だから人がいる時はくぐらない。観光客の好奇の晒し者にされたくないからだ。

久しぶりの浮御堂、くぐらないのはもったいなくも残念ではあったが、そそくさと漕ぎ去った。

漕ぎ始めてまだどれ程の時間も距離も経っていない辺りで、「ちょうど良いから」とランチタイムとする。

チームの合作ランチ。今日はホットサンド、ミルク餅フルーツ乗せ、そしてコーヒー。BGMにびわ湖のさざ波、湖畔のそよ風付き。 久しぶりの気ままランチを楽しんで、そろそろ出発しようとびわ湖を見ると、

ん? さっきより波が立っている。そう言えば風も出てきた。 あれ?今日は1日3メートルのはずだったのだが。 ま、どうってことない風だし、出発しよう。

 

覚えておいでだろうか、この「手すり?」

初めて気が付いたのは10年程前だろうか。湖中から出た杭なのだが、唐突に現れ、しかも傾き具合も10年前と変わらない。この間に大嵐が度々襲い、湖岸には倒れた大木が痛々しいが、この「手すり?」は何の寄る辺もないびわ湖の真っただ中で、健気にも立つ。彼ら(彼女ら)は自分たちの今の存在意義を誇りとしているのだろうか。過去の存在意義を懐かしんでいるのだろうか。 謎の物体である。

下は8年前の写真。この手すりと近江富士とのコラボを『 びわ湖九景 』にしよう、と言ったのを思い出した。

 

謎の物体に見とれている内に、あれあれ? あの白い物は何だろう。 白波が立つほどの風が出る予報ではなかったのだが・・

まぁ、無理となればどこでも上がれるので心配はなかったが、横波を受ける辺りでは久しぶりにまともに波をかぶった。ウェアの中まで濡れたのは想定外だった。今日は濡れずに帰る予定だったのに、とチーム内でボヤキの声が上がる。 それでも春の太陽が優しく温めてくれる。

 

このコースを漕ぐのは久ぶり。いろいろな記憶が蘇る。 

   あの岸でアヒルに会ったことがある。 あのアヒルは今もいるのだろうか。
   あの水辺にはハスの小さな群落があった。 草津の群生が壊滅があそこはどうだろう。
   あの澱みに睡蓮が群生していた。睡蓮の群生はびわ湖では珍しい。今もあるだろうか。

風が強くなるとのんびり写真を撮ることもできなくなる。しばらくは真面目に漕ぎに励む。

それでもこれは撮っておかなくては。

「びわ湖のUFO」とも言われた水質観測塔。ずいぶん前から稼働せずにあり、年内にも撤去されるとのこと。また1つびわ湖の名物が消えるのか。しっかりと見ておこう。

 

3メートルのはずはないな、この風は。とぶつくさ言いながら、沖の白波を睨む。 朝ののんびり漕ぎから午後のガッツリ漕ぎまで楽しんで、この岸に無事ゴールした。

 

三角の赤い鳥居。あまり見かけない形。これもびわ湖のこの岸辺を特定する物だ。 

        鳥居の神様、どうもありがとうございました。

 

漕ぎ終わり、チームは解散し、帰りのびわ湖大橋の風速計は6メートルと表示されていた。そうだろ、6メートル、確かにあったあの風は。と納得して家に帰った。そしてネットで見てみると、

えっ! 1日中3メートル!?  そんなはずはない! あの白波は絶対に6メートルの風だ。 

びわ湖には時々、「そんなはずはないびわ湖風」が吹く、と言うのは本当の話だな・・

 


865.ちょいとのつもりが ― 熊野のダンパー

2018年03月04日 | Weblog

先日、梅が咲き、よく晴れた、暖かい、風もうねりもない(はず)の日に、KWシリーズの続きを漕いだ。

 

熊野の海辺もだいぶわかるようになった。「明日はあの岸、集合」の合言葉にもすぐに「了解」の対応ができる。 しかし、完璧に理解できている訳ではないので、似た名前の岸や、「その辺り」の別の岸に行くことが、ないわけではないが。

まぁ今回は、間違えても集合時間には余裕をもって出かけたし、間違えてもちょっと戻れば良かったので事なきを得た。そんなことは敢えて言わなくても日常の事なのだが。 

この岸もお馴染みになった。1年前、送水管の峠道を歩いたのがずっと昔のような気がする。桜の時季に来ようと思いながらその時季を逸した。今年もそろそろ桜の話題が出てきた。ここの岸の桜はどんな景色になるのだろう。今年こそは、と毎度のセリフを言う。

 

今日は熊からさんと。合流後、ちょいと漕いでこの岸をゴールにしようと車の回送に行く。

おや? おやおや?? 今日は風もうねりもないはずなのだが・・

 写真ではとても穏やかな波に見えているのだが、実際はけっこうなダンパーが打ち寄せている。 思わず、「私が最も得意とする波じゃないですか!」と開き直る。まぁ、熊からさんと一緒だから、何とか、いや何とでもなるだろうと、この波も心配の種にはならなかった。

準備万端整い、いざ、と熊野の海に漕ぎ出す。 ささやかな風はあるものの、我らが漕ぎを邪魔するような物ではなく、冬の終わりの暖かな日差しを楽しみながら漕ぐ。

ここにも「亀島」がある。亀島なのか、岩の配置でそう見えるのか、島は漕ぎ進むにつれその形を変えるので人を惑わす。そして楽しませる。 ここの少し北にも私が名付けた「長島のカメさん」がいる。いろいろな海に、いろいろな友人がいると広い海も狭く感じる。

まずはあの島を目指して、と向かった島が後ろに去り、岸から1キロほど離れても見慣れた島々が見える。漕げば遥かに遠いのだが晴れた空と青い海の中ではほんの一漕ぎの距離に迫る。 あの島、行った。あの島も行った。その時々に一緒に漕いだ人の顔が思い浮かぶ。 つい先日も一緒に漕いだ人、しばらくご無沙汰している人、風の便りに聞く人・・

 振り返れば熊野の山々。遠く、雪を頂く峰が見える。大台ケ原だろうか。北の国では今まさに大雪の真っただ中と言うが、梅が咲き桜が咲く熊野の海から雪の山を眺めると、それほど高くはない山が、5千メートルの山にも思えてくる。 言い換えると「海は暖かい」、と言うことなのだろうか。

岩も小島も、どこの海に行っても同じようにある。「インディアンロック」は山陰だけではないし、「ゴジラ岩」は伊豆だけではないし、「軍艦島」も能登だけではない。しかし付けられた名前は同じでもその土地、その海での姿は違っている。 亀島が各地の海や湖があるように。

この二つの岩(島?)もどこにでもありそうで、しかし、この海でしかない岩だ。7年前の11月、この海を漕いだ時にこの岩を「夫婦岩」と言った人がいた。私は、「双子岩」もいいな、と言った。そんなことを思い出しながら、風の出始めた海を漕ぐ。

そして今日の目的地のこんな洞門へ。ところが・・

この洞門をくぐるのを楽しみにしてきたのだが、おやおや、予想外のうねりが邪魔をしている。 遠目にはどうってことのない波に見えるが私が行こうとするとでかい一発波が来て洞門の中で破裂する。タイミングさえ合わせれば、破裂した波に負けない力があれば行かれるのだが・・

いやいや、ひっくり返ったらタンコブだけでは済まないだろう。残念だが今回は見送った。

先端をぐるりと回り、反対側から見てみると、

この位置から見るとハートの洞門。7年前となったが、ピアスさんたちとここを漕いだ時にくぐったことがある。

 

 覚えておいでですか 
 7年前の日を

 日の射さない、
 でもうねりのない日でした

 WWW号とくぐった日です
 ピアスさんが撮ってくれた1枚です

 

 

 

すっかり忘れていたが以前の記録を見てみると、そうだ、キャンプして、「卵かけごはん専用醤油」があることを知った日だった。 あの時のみんな、どうしているかな。 またここをくぐりたいな・・

 

スタートして一気に洞門まで渡ったが、向かい風がちょっかいを出していた。その風も岸伝いに行くと穏やかな追い風となり、岩に打ち付ける白波を楽しむ余裕も出る。 岸近くの岩場にこんな鳥居がある。

海辺で時々見かける岩場の鳥居。どんな神様なのか、どこにおいでなのか確かめることはできなかったがパドルを止めて手を合わせる。

予想外のうねりは私が上陸するのを邪魔する岸となり、いくつかの浜を見送ってやっと昼食にありつける。 熊からさんの作るホットサンドをほおばり、波音のGBMでコーヒータイム。 眠くなるが潮が上がって来た。そろそろ出発しよう。

 

 風裏の水辺は、のたりのたりと揺れる。早春の海を絵にすると、こうなるのだろうか。 そんな海ばかりではなかった。しかし今日の風も波もうねりも、まだまだ十分に「楽しい」範疇だった。岩に打ち付ける白波もゆっくりと楽しめる強さだ。

 岩の白波は楽しめたのだが、さて、ゴールの浜の砕ける白波は、と言うと・・

朝、回送に来た時より強くなっているようだ。一か八かで上陸する、と言う方法も、ない事はないが、もしひっくり返って濡れるのは嫌だし。と言うか、もし、ではなく私はきっと、絶対ひっくり返る、と自信を持って言える波だった。 

で、そこでの上陸は却下。6キロほど進んで元の出発した浜まで戻り、無事終了した。

向かい風に遊ばれ、うねりに邪魔され、ダンパーに拒否され(私がビビったのだが)、チキンな岸へ逃げかえり、ちょい漕ぎのつもりが結局16キロほど漕いだ。 しかし、良い海だった。

漕ぎ終わり、夕陽が落ちる頃、いつもの温泉で潮を落として帰る。 もう、桜が咲いていた。 冬はもう、終わったな。

 

それにしても熊野の海は、しょっちゅう、ダンパ―ってやつにいじめられるなぁ

 

 


864.寺と神社と水と木と ― 宮川上流探索

2018年03月03日 | Weblog

風はあったが暖かな日差しに恵まれた日に、かねてより気になっていた所を探索に出かけた。寺と神社と水と木に恵まれた熊野路で幾つもの発見をした日の記録。

久しぶりにバルトさんと熊野路探索に出かけた。ほんの少し前に、「氷を割ってみるのも良いですね」なんてお誘いがあったのだが、この暖かさ、氷なんてどこにあるのだろう。梅が満開で、早咲きの桜も咲き出していると言うのに。 そんな川沿いを、何度も下った宮川を、今日はズンズン上って行く。

よく晴れた日、川も山も空も春ののどけさ。今日は漕がない日だが、ついつい「ここは漕げるかな」、「どこから出艇できるかな」と下心が騒ぎ、ちょっと下見と言って川辺に下りる。

ダム湖はどこも穏やかだ。ここなら風がある日も大丈夫だろう。よしよし、ここはなかなかよさげ。桜の頃が良いかな。と、目星をつけて先へ進む。

広い道も進むにつれ細くなる。細くなる、とは言っても小型ながらもバスも通る道、我ら「狭道突撃隊」にとっては退屈するほど立派な道だ。 

その道も次第に狭くなり、ダンプカーとすれ違う時にちょっとヒヤッとする辺りに来ると大きなダム湖が現れる。観光船が出るらしい。ちょっと見に行こう。

 今は休止のようだが湖上観光と登山の客を運ぶとのこと。ずいぶん水位が下がっているが、満水の時には優雅に湖上散歩を楽しめるのだろう。 ちなみに、ここは漕げるのかな・・ カヤック禁止とは書いてないが・・

道々気になる石像がある。七福神のようでもあるが、違うようでもある。苔むした古石もあれば、平成と彫られた像もある。これは・・

こんな像もある。これはあの人だろう、二宮金次郎さん。だが・・

何か違う。ふくよかな顔、鼻筋から長く流れる眉、大きく下がる耳たぶ、何だか観音様のような・・

長い時をこの路傍でじっと本を読み、とうとう石になったと言うのだろうか。悟りを開いて仏になったと言うのだろうか。古い石像の横をダンプカーが通る。その音にも動じず、その人は石のように佇んでいた。

そしてこんな橋が現れる。

 

 大きな吊り橋 
 14トンまでOK

 14トン? 1.4のまちがいでしょ?
 だって吊り橋ですよ

 14トンと言ったらダンプカーでしょ
 まさかダンプカーは通れないでしょ

 えっ? 14トン?
 え、え? ほんとに14トン!?

 

 

 

 

14トンまでOKと言う橋を1トン余りの車で渡る。絶対大丈夫のはずなのだがなぜか尻がムズムズする。高所恐怖症を自負するバルトさん、わぁ、わぁ、と言いながらアクセルを踏む。そして私は揺らそうと飛び上がる。 途中でワイヤーが切れることはなく、隙間から落ちることもなく無事渡りきる。やれやれ。

道はますます狭くなり、いよいよ我ら「狭道突撃隊」の本領発揮の道となる。そんな道の途中で「六十尋滝」の案内。滝? それも行かねば。 山道をしばらく行くと水音がしてくる。

ずっと高い所から3段になって落ちてくるまでは見えたのだが、その先、どれだけの高さがあるのか確認ができなかった。90メートル? いや、六十尋あるに違いない。 岩に当たり砕け散って落ちる滝は、流れを水滴にし、水しぶきを水煙に変え、滲ませた水をまた流に変えて下って行く。 岩肌を伝いながら七変化の姿で六十尋の旅をする。

 

滝に別れを告げ、行きつく所はどこか、と先へ進む。そして行きついた所に現れるのが今日の目的地。

 

 

 宮川第三発電所

 何か音がしています

 誰も拍手をしてくれなくても
 誰かのために仕事をしています

 ならば、私が拍手しましょう

 お仕事、ご苦労様です

 

 

 

  

この近くには先ほどの観光船の船着場がある。ここまで船で来て山に入るようだ。幾つのルートがあるかは知らないが、こんなルートもある。 

今は入山禁止となっているが、登山道入っていきなりの鎖場。足元は30センチ程の所もある。しゃがみ、のけ反り、鎖に身を託して進む。こんな所がこの先にもあるとのこと。ゲートが開いていたとしても私は行かない。 まだ冥土に行くには早い。

 

この近くにこんな物がある

 

 衛星電話

 1分300円 
 100円玉しか使えない

 緊急時は・・

 この電話が鳴っていたら必ず出て・・

 携帯電話がつながるのは何キロ先から・・

 

 

 

 

 

駅前の公衆電話では見かけない文字が並ぶ。この文字を見るとなぜだか手先に緊張の電気が流れる。ここはそれほどに緊迫する所なのだろうか。 携帯電話は7キロ先までつながらないと表示されていたが、どうやら最近アンテナを立てた電話会社があるようで、つながる電話もあった。

誰もこんな所に来る人はいないだろう、と思っていると、発電所関係の車がやって来た。ちょっと驚いたような、ちょっと安心したような、つま先に不思議な感覚が流れる。

 

町の観光案内を見ると「神木」と書かれた神社がある。神木? 樹齢1200年? これは行かねば。

 

神木の大杉。高さは40メートル、樹齢1200年とか。ひっそりした山に凛としてそびえる大木は、その下に立つだけで霊気を授かる。

それは、溢れかえる1200年の喜怒哀楽をただじっと体内に潜ませて、それが1200年の時の中で昇華して霊気となり、樹上から降り注ぐ。それは巫女が舞う時に鳴らす鈴の音のようなものかもしれない。巫女の鈴音が頭上に降り注ぐように、霊気は心に染み入って来る。

ちょっと身震いをして、大杉を後にする。 その身震いの余韻が抜けきらない内に、今度はこんな木に会いに行く。

これも見事な大木。樹齢300年以上のスダジイ。

木の下に立つ人間と比べてその大きさがわかるだろう。 広く枝を伸ばすその姿は、全ての人間を受け入れようとする千手観音の腕にも似ている。私は何本目の腕にすがっているのだろう。

広げているのは枝だけではない。 むんず、と言わんばかりに地面をわしづかみにして立つ姿は威風堂々としている。

板根が大きく張り幹には苔を宿し、土地の人々と道行く旅人を見守って来たのだろう。 古く大きな木は神木・霊木と呼ばれるが、もう一つ、「語り部」でもあると思う。長い歴史の秘話を知っていて語らずの語り部だ。 いつか、こっそりと、私に囁いてもらえないだろうか。

まだまだ書きつくせない多くの物を見、出会い、感じた日だった。 良い日だった。

 

寺と神社と水と木と、宮川上流には知らせたいが秘密にしたい事が、たくさんあるものだ。