カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

740.熊野灘八景(2) ― 串本、大島、珊瑚の海

2015年06月27日 | Weblog

さてさて、これから2日間の串本の海漕ぎの幕が開く。

               毎度どうも、の人
               先日はどうも、の人
               いつだったかはどうも、の人
               初めましてどうも、の人

               そして、

               皆々様、どうぞよろしく

の挨拶の後、出発となる。 まずはあの岩、橋杭岩を目指す。

               皆さまお久し振りです、お元気でしたか

               前回私とハイタッチしたのは、どのお方でしたっけ

灰色の空ではせっかくの岩が、写り栄えしない、などと贅沢は言わない。この穏やかな海なら御の字だ。

広い意味で日本人は農耕民族と言われる。しかし四方を海で囲まれた日本、大海原をはるばる旅をしながら生きてきた民族ではないので海洋民族とは言わないだろうが、「 沿岸民族 」 とでも言うのだろうか。

そんな沿岸には神や仏と人間との境がない暮らしがあった。弘法さまと天邪鬼、串本の海を舞台に展開したこの勝負、ここにも地質学では説明できないドラマがあったのだろう。

 

橋杭岩に 「 行って来ます 」 と挨拶し、一路大島へと渡る。 今回は1泊のキャンプをしながら大島の西側・通夜島をのんびり漕ぐ。

島に渡るとさっそくにこんな物がお出迎え。

 

 熊野灘 その七

 パレットの海

 どの色から塗ろうかな

 

 

 

 

     

           

                 

2日間で見た物、どれがどれやら覚えていないので順不同で記録する。 要するに、大島で見た珊瑚や海草たちだ。

色鮮やかな海、まるで色を塗ったかのようだ。 赤、青、紫、緑 、、なぜこの海の生き物達にこの色が必要だったのか、黒では生きていかれない理由があったのか。 この色は必然として与えられた色なのか、偶然として出現した色なのか。 茶色い珊瑚は華やかなオレンジ色を羨ましく思うことはないのだろうか。

『まっくろネリノ』と言う幼児向けの絵本がある。

他の兄弟は皆きれいな色をしているのに、弟のネリノだけが真っ黒で、誰にも相手にしてもらえず、いつも寂しい思いをしていた。それがある日、きれいな兄さんたちはそのきれいさゆえにつかまり、鳥かごに入れられてしまった。それをネリノが暗闇に乗じて救い出す。それからは兄弟仲良く一緒に遊ぶようになった。

そんなお話だ。その最後に

「ほらね、まっくろくろだって 、ちっとも かなしいことなんて ないんだ」と、ネリノが言う。 難しく言えば、マイノリティーを扱っているのだろうが、海の生き物、珊瑚や海草もそんな主人公になれるだろうか。それとも、そんな感情など、太古の海に置いてきているのだろうか。  

色の取り合わせを見ると、いつもこの話を思い出す。

ちょっと話がそれてしまった。海に戻そう。

灰色の空に溶けかけた木々、海までが溶けていきそうだ。

そしてこんな岸がキャンプ地となる。

ゴロタ石、砂利、薮、斜面、川、湿地。一体どこにテントを張れば良いのかと思った岸も、みんなそれなりに工夫して、立派なテント村が出来上がった。

こんな物が転がっていた。

 

 以前、三重の海で
 オレンジ色の物をみました
 
 もしかしたら、兄弟かもしれません

 カエルかクマか

 これもお話ができそうです

 

 

 

こんなかわいい物もあればまるで遺跡のように威厳さえ放つ物もある。

これはトラクターだろうか。すっかり草に覆われ、錆びた鉄板が煎餅の様に剥がれ落ちている。 こんな狭い岸でこんな大きな機械を入れて何をしていたのだろう。それとも処分に困りわざわざ船に積んでここに捨てて行ったのだろうか。

これが生きて働いていた日の栄光を、今に語る人はいないのだろうか。 海辺でたくさん見る廃墟・廃屋・錆びた物。哀れに思う反面、ここを舞台にしたドラマを想像する楽しみもある。崩れていく物には歴史と想像と創作が秘めている。

 

さて、待ってましたの夕食。あの手、この手の夕げが披露され、翌朝も朝からこんな海の幸が。

 

 「シッタカ」

 言うほど簡単には身がでません

 
 石でガンガン叩いて割って
 身を出します

 サザエのような海の味が広がります

 

 

 
高いサザエでさえ、巻貝はどれもまじまじ見ると食べる気がしなくなる。磯のいい匂いを吸い込んだら、後は一気に口に入れなくては。

 

一晩お世話になった岸、そんな形跡など、跡形もなく消して次の旅に出る。

昼に上がった岸にこんな物を見つける。

 

白い物や硬い物はサンゴとわかる。しかしカリフラワーのような黄色い物は? ブロッコリーのような赤い物は?

そしてあの青い物。これは三重県の海でも何度も見つけた。いつも色も形も書いてある文字も同じだった。

「 浙江 臨(?)海市 桃渚 漁具厂 」  臨の字は少し違っているが1500キロの旅をして来る浮きのようだ。それともほんの少し先で使われているのだろうか。

まだ見たこともない中国の港町だが、いつか行った事があるような、何か懐かしいような気がしてくるのはなぜだろう。

遠い街へ行って、滋賀ナンバーの車を見るとなぜか懐かしくなり、海外へ行って、日本語を話す人がいると見知らぬ人でもどこかで会ったような気がしてくる。そんな郷愁にも似た感情を、この青い浮きに持つようになった。次はどこで会えるだろうか、楽しみだ。

 

珊瑚の海に行くなら、とシュノーケルも持ってきたのだが、それをするにはちょっと肌寒い。他の人たちは皆海中散歩を楽しんでいたのだが私は、これからまた4時間以上運転して帰ることを思うと、「 体力温存 」 を優先した。 

あと水温が1.5度高ければ入るのに、と悔し紛れに言う自分が情けなくもいじらしくもあり苦笑した。 

 

そろそろパドルを持つとしましょうか、と促され島の北側へと進む。そして橋。

 

 くしもと大橋

 あの日、緊張して漕いだこの下を

 今度は鼻歌まじりで漕ぎました

 

 

 

 

 

なぁんだ、串本なんて、どうぉってことないじゃないか。そんなことが言えるほどの穏やかな海だった。このありがたさが、どの海でもありますようにと願いながらこの橋をくぐる。

島の西から北へと行くと、またがらりと光景が変わる。

 

 熊野灘 その八

 切り立つ崖の海

 

 人を寄せ付けない崖の岸
 

 

 

 

若狭・山陰の岩は地層が重なり折りたたまれてできている。 熊野の岸は寄せ集め削り取られてできている。そんな表現が思いつくのだが。

南側のまどろむような岸と北側のいきがっている岸。西側のけだるそうな岸と東側の猛々しい岸。大島はそれぞれの岸を披露してくれた。

のんびり過ごした大島の海、出発した浜に戻るとこんな模様が出迎えてくれる。

 

 大きな幹の枝にも

 揺らめく焚き木の炎にも

 民族衣装の踊り子にも

 いろんな物に見えてきます

 

 

 

 

寄せる波と引く波が作った砂の模様。砂鉄が黒の色付けして一枚の絵となる。 

海は何本もの筆にそれぞれの色をのせ、思いのままに絵付けする。そんな作品の海、大島・串本の海。                       

                  いい海だった     

                  次は熱帯魚となって泳いでみたい

 


739.熊野灘八景(1) ― 鬼と岩と弘法さま

2015年06月26日 | Weblog

先日、久し振りに熊野灘を漕いだ。

と、

言おうと思って、改めて地図を見ると、「 久し振り 」 と言っていいのだろうか、と自信がなくなった。私の頭の中での「 熊野灘 」 は尾鷲から潮岬辺りだったのだが、地図上には伊勢湾から潮岬まで熊野灘と書いてある。

と言う事は KW 漕ぎも広い意味での熊野灘漕ぎ、となるのだろうか。とすると 「 久し振り 」 の間隔は1ヶ月でもそう言うのだろうか。

まぁ、その辺りは海の泡に包んでおいて、1年半ぶりの久し振りで、串本の熊野灘を漕いだ。 その旅の記録、陸路と海路の時の記録 ・・・

 

まずはいつものように漕ぐまでの記録、パドルを持たない旅の記録。

ナビ予測では5時間半と出るが、実際は高速道路が伸びて4時間ほどで着く。しかし、4時間は十分に長い。そして途中で見所もたくさんあるので1日あっても時間は足りない。

しかし、そうも言っていられない忙しい身とあって?、今回はここ、と狙いを定めて出発する。

 

狙いを定めた所とは

 

 「 鬼が城 」

 

 

 

 

 

 

 

 

駐車場に車を置いて歩き出すと程なく荒々しい岩場に来る。この辺りにはまだ観光客が大勢いて、断崖と奇妙な穴のあいた岩に歓声を上げて写真を撮っている。

ここまでは何年か前に家族と来たことがある。その時は鬼が城一周の道が途中で崩れて先へは行かれなかったが今は一周全て行かれる。行かれるとなれば行ってみなくては。

 

 

 抉られた断崖は鬼の城に相応しい

 手すりを頼りにこんな道が約1キロ

 

 ここまで来る人はめったにいません

 誰か、いないかなぁ・・

 ちょっと不安・・ 

 

 

 

 

この先どうなっているのだろう、途中で足を踏み外しても、誰も助けに来なかったら、と少し不安になりながらも 「 えぇい、ままよ 」 と先へ進む。

この崖を作った自然の力に感嘆するが、ここに道を作った人間の思いにも敬服する。それはもはや 「 執念 」 だったのかもしれない。

太平洋が余りにも雄大なので、この岩がちっぽけに見える。波打ち際までほんの数歩のように見えるが、恐怖を覚えるに十分な高さがある。 それでも見入ってしまうのはこの 「 青さ 」 のせいだろうか。

 

 熊野灘 その一
 鬼が城の海

 懐かしい海です

 

 

 

 

 

 

「 青 」 とは別の言い方をすると 「 吸い込まれる 」 なのだろう。 ふと、ここから落ちたら、いや、ここから飛び込んだらどうなるだろう、と不思議な衝動が湧く。

何年か前、この海を、この崖を見ながら漕いだ。岩からカヤックを見る人に手を振る余裕などなかったが、今日はこの岩からあの日の自分に手を振る。

              あれからたくさん漕いだね   
              いろんなことがあったね

湧き上がる衝動に逆らい、この岩場から下りる。

 

さて、どうやって車まで戻るか。今来た道を引き返すか、ぐるっと回るか。しかし、「 ループをつなぐ 」 に拘る私はここでも一周を目指し歩みを進める。 

岩場も不安があったが、ここでも足が止まる。

 

 確かに明るくはありました

 でも
 誰もいないトンネルはどこまで続くのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

たまたま岩場で会った人たちと一緒になり、ほっとする。

「 木本隧道 」。土木遺産のトンネルは、レンガ積みの筋が隧道という表示と共に郷愁を誘う。 土木遺産と言う言葉はそれほど昔からある言葉ではないが、カヤックをするようになり、特に 「 漕ぐだけではないカヤック 」 をやるようになり、その言葉を聞く機会が増えた。

                 

やれやれ、と車に戻る。さてちょっと長居をしたようだ、干潮の時間帯に行きたい所がある、急がなければ。 と言いつつ、あの川の表示が目に付くと、ついハンドルはその方向へ向いている。

 

 熊野灘 その二 
 太田川河口

 あの人が轟沈した海です

 でも今はとても静かな海でした

 恐怖と笑いの懐かしい海です

 

 

 

地元の人が、「 この川を漕いできた? こんな浅い川を? 」 と呆れ顔で言った太田川。河口は砂州で今よりもっと狭く、出る川の波と入る海の波がせめぎあってとんでもない波ができていた。

私を助けるべき人が先に沈して、ここで沈したら死ぬ、と思い必死で漕いだ海。今思うとけっこう笑えるシーンだった。 今、この浜ではサーファーが団子状態で海に浮かんでいた。 やはりあの人が轟沈してもおかしくない波が立つ所なのだろう。 

ちょっとのつもりがここでもまた長居をしてしまった。そろそろ潮が満ちて来ている、急がなければ。

                                               

 熊野灘 その三

 橋杭岩

 TKシリーズで漕いだ海
 懐かしい海です

  

 

 

 

 

天邪鬼と言う鬼と弘法大師の掛け合いでできた岩とか。 熊野灘には鬼が多いようだ。鬼はやはり、神出鬼没、なのだろう。

明日は潮の満ちたこの岩を漕ぐだろう。干と満、二つの姿のこの岩を確かめたくて急いできた。 それもしっかり見届けて、温泉のお宿へと着く。 

料理とお湯と窓からの橋杭岩と、「 ここは串本 向かいは大島 」 と歌の一つも歌いたくなる夜を楽しんで朝を迎える。

 

さて、漕ぎの日。いかにも梅雨時、と言うどんよりした空ではあったが風がない事はありがたい。 集合の時間までにまた探索。

串本と言えば大島。大島と言えばこんな所

 熊野灘 その四

 海金剛

 一度漕いでみたい海です
  

 

 

 

 

 

大地のマグマと大海の波とが作り出す絶景。とてつもないエネルギーを秘めている海と言うが、今日なら私でも漕げるのではないかと、思わせる海だった。

一息ごとに海の神聖さと不気味さ、豪快さと繊細さが体内に入り込む。

さて、十分に海の英気を取り入れて、次の目的地へと進む。

私が海を漕いで、一番怖いと思ったのはこの橋の下を漕いだ時だった。以前、そのお話をした事があったが、覚えておいでだろうか。 今日は穏やかに通してくれそうだ。

橋から見る海は今日の穏やかな海を保証している。

 

 熊野灘 その五

 串本の海

 ここは大島向かいは串本

 ここも懐かしい海です

 

 

 

 

風と潮の橋の下を抜け、ちょっと安堵の顔で漕いでいた自分がいた海。あの時の自分に、「 お疲れさんでした 」、と声をかける。 

 

そろそろ時間が迫ってきた。行きたい所はまだまだたくさんあったが、これでお終い、と最後の場所へ寄る。

 

 潮岬灯台

 紀伊半島の最先端

 TK シリーズの最大の難所と言われたこの灯台の岬越え

 この灯台を見て漕いだ海を

 今日はここから海を眺めます

 

 

 

 

 

 

 

 熊野灘 その六

 潮岬の海

 ほら、あそこに、真剣な顔で
 漕いでいる私が見えませんか

 おととしの冬の日の
 懐かしい海です

 

 

 

               

これまでにいろいろな「難所」を巡ってきたが、私が行くのはいつも避難場所のような静かな時ばかりだった。この潮の岬も、太平洋が渾身の力で打ち付ける波など、私は知らない。 そんな海の旅ができた事を、海や風やカヤックや人や、諸々の事々に言い尽くせないほどの感謝をしている。

灯台へ上がる階段にこんな物がある。意外な物と、思えたこんな物。

 

 コンクリートの螺旋階段と中心柱

 その堺に木の飾り板? があります

 木目も残る、寄木細工のような飾りです

 

 

 

 

 

 

 

 

私が 「 飾り板 」 と思うこの木は、灯台の強度と関係があるようには思えないのだが。灯台に聞いてみたが、いつ、どのようにしてできたか、知ることはできなかった。 明治の頃に建ったというこの灯台に、この飾りを施した人の、遊び心か、職人魂か、設計技術か、そんな 「 灯台物語 」 を思い起こさせる階段だった。

潮岬灯台、太平洋の雄叫びを受けてきたこの灯台に、こんな繊細さがある事を、この海を漕ぐカヤックたちは、知っているだろうか ・・

 

おっと、もうこんな時間。そろそろみんなの待つ場所へ行かなくては。 

熊野灘、鬼と岩と弘法さまの海、さぁ、今日は漕ぐぞ!

 


738.ペンタ&GONN とその仲間達(2) ― 蘇洞門の海

2015年06月19日 | Weblog

若狭の海の2日目。 今日は蘇洞門。 

去年と同じ岸から出艇する。カヤックで蘇洞門を目指すのは4回目。その内1回は風のため大門を途中で断念した。だから大門・小門へ行へは今回が3回目。 どうぞ無事行って来られます様に、と海の神様に願うほどの風も波もなかった。

けっして侮る訳ではないが、けっこう派手な波風に蘇洞門を途中で断念したあの日のことを思うと、本当に今日の海は赤ん坊の様にかわいいものだ。

                あれから4年経ったんですねぇ。 ね、GONNさん

                そう言えば、あの時も WWW号 だったなぁ

 

今日は大丈夫、久し振りの大門くぐりを楽しみに漕ぎ出す。 湾を出ると岸の様子が一変し、荒々しい日本海が剥き出しになる。じきにこの岩と再会する。

 

 「 鎌の腰 」

 実はこの岩
 ある人に似ているのです

 その人とは・・

 

 

 

 

昨日より少しうねりがあるものの、洞窟巡りは存分に楽しめる。いくつか入った後に、例の 「 神社の鳥居 」?が見えてくる。 手前に中が通り抜けられる洞窟があり、みんなは次々に入って行く。

しかし私は、洞窟も心惹かれたが、今はあの 「 鳥居 」 が気になって気になって落ち着かない。洞窟はすっぽかし、一人先に探索に出る。

 

 ん? 鳥居?

 いや、鳥居ではないような・・

 

 ん~ん、炭坑の入り口のような・・

 

 

 

 

もっと近づいて見る。やはり鳥居ではないようだ。何かの入り口だと確信する。 一体何の?

          

私一人なら上がって中を確かめるのだったが、洞窟くぐりを終えたみんながやって来た。他の人はこんな穴のことなど何の興味もないようだ。それとも、とっくに知っているので、改めて見る必要がないのだろうか。

去年見た時より一歩先を見ることができたが、更に謎が深まり、ますます興味が湧いてきた。

後日調べたところ これは 「 内外海鉱山 」 の廃坑らしい。去年、「 コンクリートの桟橋をつくってまでお参りに行く神社とは 」 と言ったそれは、海からしか行かれない鉱山の入り口だった。

詳しい資料が見つからなかったが、どこで調べたら良いかの糸口は見えた。 

               海を知るとは、その海の岸を知り、その海の波を知り、その海の岩を知る

               これは面白くなってきた。 

 

       

ダイナミックな舞台、繊細な手仕事、何度来てもこの仕上がりの丁寧さには感服する。「 網かけ岩 」 とはよく言ったものだ。投網を打った様にも似ている。

                                                                    

 

 スパッと豪快にスライスされた岩

 どんな包丁で切ったのでしょう

 

 下を漕ぐカヤックがケシ粒のようです

 

 

 

 

今回、いたるところで滝ができていた。それも水量が多い。こんな所に、あんな所にと現れる滝は名前がある物、ない物。地図に名前がない物は自分に命名権があると、漕ぎながらの命名式をやる。

この滝は、「 白糸の滝 」

この滝には既に名前が付いている。滝つぼがあるのだろうか、落ちた滝が海に流れ出る様子がない。水はどんなふうに消えているのだろう。 

山の水が終わり、海の水が始まる所。どんな形で出会っているのだろう。 次にここに来る時はあの岸にも上がってみよう。

 

そして大門・小門。

  

 

 波が抉る穴、風が削る穴

 ツララを叩き落とすように岩を落としたものは

 何でしょう

 

 その力が、今は働きませんように

 

 

 

 

 

ここにも滝がある。

今回、ここで上がることはなかったが、次に来る時にはあのお不動様にもお参りして来なくては。 次に、次に、とやりたいことが増えていく。 どれ程の 「 やりたいこと 」 を溜め込んでしまっただろう。

今回はここで引き返す。時々観光船が来るがお客にとって、人工的な物がないパンフレット通りの景色が良いのか、カヤックと言う意外な物が見える光景が良いのか。

言い方を変えればカヤックは観光船の客にとって邪魔な存在なのか、付加価値を高める存在なのか。 海とその景色はカヤック以外の人たちの物でもあること、頭の隅に入れて置かなくてはならない。

 

元の岸へ戻る途中、あの岩、「 鎌の腰 」 をまた通る。しかし行きとは少し違った岩となっている。

 

 誰かの横顔に似ています

 ツンと尖った頭、揃えられた髪

 太く渦を巻く眉、細く通った鼻筋、

 深い顎と太い首・・・

 

 

 

 

いつだったか、どこだったかこの人物のことを話した気がする。 眉のこと、鼻のこと、そしてこれがアイヌの文様に似ている、と。 いつのことか、どこのことか思い出せないまま、また新たな感動で言う。

                 この模様、アイヌの文様みたいだね と

 

見上げる断崖も集落に近づくと土の斜面となる。そんな所で見つけた物は

 

 カモシカの親子

 急な崖を登る赤ちゃんカモシカ

 お母さんが振り向きながら
 励ましているようです

 赤ちゃん、ガンバレ!

 

 

 

行きにもシカとカモシカを見たが、同じ辺りで帰りもまたシカとカモシカを見る。シカはよく見るがカモシカはめったに見ない。それが1日に2度も見るとは、カモシカが増えて山林被害が多くなったという話もうなずける。

 

2日間、穏やかな海だった。「 ペンタ & GONN とその仲間達 」 と漕いだ若狭の海は、懐かしい物、新しい物、ありふれた物、珍しい物、確かめたこと、確かめられなかったこと、そして新たな課題を露わにして静かに終わった。

           要塞、廃坑、モリブデン、タングステン、アイヌの文様 ・・

           調べなければならない事が

           また、増えた

        


737.ペンタ&GONN とその仲間達(1) ― 成生の海

2015年06月18日 | Weblog

今年もまた若狭の海へ行ってきた。舞鶴と小浜の海。懐かしい物、おなじみの物、初めての事、やっとわかった事。岩と波とが織り成す世界で楽しんできた。そんな海漕ぎの1日目。

 

 舞鶴には意外と?友人が多い。殆どがカヤックつながりだが引っ越し先が舞鶴という人もいる。 ちょくちょく行く街ではないので行った時にはみんなに会いたい。しかし時間がない。

で今回は急なお誘いを受けてくれた 「 コーヒー牛乳 」 さんと久し振りの再会の祝杯を挙げた。 話は尽きなかったが互いに明日の用があり、ほろ酔い気分でお開きとなった。

             コーヒー牛乳さん、ありがとうございました!

 

朝、お宿の前を散歩すると目に入るこんな物。

 

 さすが海の街

 渚の公園にも山の公園にも

 ありました

 「 それ碇上げ波乗り越えて
 乗り出せわが海原へ ・・」

 そんな歌を思い出します

 

 

 

今回の海漕ぎ、ペンタさん、GONNさん、初めて会う人、いつか会った人、おなじみの人、こっちは忘れていたけれど相手はよく覚えてくれていた人、いろいろな人たちと大勢で賑やかに漕いだ。 一緒に漕ぐ人数が二桁と言うのは私にとっては 「 大人数 」。 久し振りに賑々しいツーリングとなった。

 

 白く柔らかい砂の浜

 昔は舟屋の岸でしたが
 砂が溜まり浜になったとのこと

 どうりで海に面して舟屋の作りが
 並びます
 

 

 

 

予報では最高気温が32度と言っていたが、朝だからなのか湿度が低いからなのか、出艇の岸はさわやかな風が吹く。 波はない、いい具合の漕ぎ日和だ。 一同勢揃いすると、そろそろ漕ぎ出す時間となる。

                では行きましょうか。  よろしくお願いします。

 

 まずはあの島へ。

3度目の訪問となるこの島。訪問と言っても上がることはできない。上がれないが、くぐることはできる。最近、洞窟・洞門を見れば入るのは当然と思うのは私だけではないと確信し、少し安心している。

積み重ねられた地層、吹き上げられた溶岩、それらを押して捏ねて捻って曲げて。それでも飽き足りずに波打たせたり横倒しにしたり突き刺したり。想像だにできない悠久の時が作る岩。それを更に穿つ時間。

自分の生きている時間はこの洞門ができる時間の何千万分の一の時間なのだろう。その中で悩み、怒り、悲しみ、嘆き、そんなことに関る時間のなんと無意味なことか。 洞門を通るたびに生きている時間の短さを思い知る。

どうしてこんな形や色になるのだろう、と不思議でならない岩がある。 調べれば溶岩の冷える温度の違いや含まれる鉱物の違いや、堆積した土砂の違いや、プレートの圧力の違いや、風や波や ・・ 

それがわかる人はその分析結果に自画自賛し、それがわからない私は地球の不思議に感嘆する。

        

岩の成り立ちは料理に似ている。 土を土台に積み、その上に火山灰を降り、マグマをコーティングして、時々ドライ化石を埋め込む。しばらく寝かせ、十分に浸み込んだら斜めにあるいは四角に切り分ける。白や緑のトッピングで出来上がり。 お味はいかが?

洞窟の中は外の岩以上に不思議な色をしている。他の岩石の中に取り込まれた鉱物、あるいは他の鉱物と混ざってできた鉱石などを調べる時、特殊なライトを当てるとその部分が光ったり色が変わって見えたりする。

今見えている緑の岩は太陽の下でもやはりこんな光る緑色をしているのだろうか。何かの波長の光りが当たった時、あるいは当たらない時、それともカヤックに感応して怪しげに緑色になるのだろうか。

              岩の本性を知っているのは洞窟だけかもしれない

 

 

 「 象の鼻 」

 海には象がたくさんいます

 長い鼻、短い鼻いろんな鼻の象

 今日はこの象の岸でお昼です

 

 

 

 

この象の鼻を避けて行く人もいれば、あえてくぐって行く人もいる。カラオケが好きな人は、全ての人がカラオケが好きに違いないと思っているし、鮒寿司が好きな人は、こんなにおいしい物を嫌いだという人の気がしれない、と言う。 独りよがり、思い込み、あるいは自分勝手。

私は・・・

                  洞窟・洞門に入らない人が理解できない

ザックリ開いた口に次々に吸い込まれて行くカヤック達。 吸い込まれて行くのか、惰性で付いて行くのか、それとも抑えきれない衝動で入るのか。

 

浜へ帰る途中で見つけたこんな物。

行きにこの標識に気が付いたのだが誰も行こうとしない、気が付くこともないように素通りして行く。そして帰り道、この近くを通ると、どうしても抑え切れない思いに押され近づいて見る。

 

 「 ※※ 舞鶴要塞第三區地帯標 」?

 そんな文字が見て取れます

 ※はアルファベットか数字か・・

 要塞?  
 いったいいつの話?

 

 

 

この標識が気になり後日調べると、旧軍港としての舞鶴の姿が見えてきた。 

私は、海を漕ぐとはその海を知ることであり、その海がある街を知ることであり、その海と自分との関りを知ることだと思っている。  

「 要塞 」 ― 戦争 ― 自衛隊 ― 集団的自衛権 ・・ 

舞鶴の海には古い時代の記録だけでなく、これからの時代の伏線もあるようだ。

行きに寄った島に、帰りにも行く。何度行ってもどこへ行っても以前のことを ( 朝のことを ) 思えていないというのは、常に新鮮な感動を得られて全くもって得な人生を送っている。

 

最近は何かにつけて 「 パワースポット 」 と言う。 神がかり的現象・事象のある所。ではこれはどうだろう。

 

 落ちそうで落ちない石

 落ちない = 沈しない

 カヤック乗りの聖地 ( 聖海?)

   

  「 聖石 」 !?

 

 

 

「 落ちそうで落ちない物 」 は不思議な力が宿っているとして崇められる。 この石も沈しない海の守護神となる日が来るかもしれない。 それを広める広報部長、その任を買って出よう。

 

1年前の懐かしい光景があれば、今年初めて見た発見の光景もあった。 賑やかにめぐった洞窟の後はこんな夕食。

 

 タイにヒラメにアジに何か・・

 アワビにサザエにモズクに何か・・

 煮物に焼き物に揚げ物に何か・・

 

 食べきれないほどのご馳走

 

 

 

舞鶴は 「 肉じゃが発祥の地 」 と言われている。「 発祥の地 」 には他説もあるようだが舞鶴に来て肉じゃがは外せない。やっぱり夕げの一品として登場する。

    カヤック → 舞鶴 → 肉じゃが → 東郷平八郎 → 薩摩藩 → 西郷隆盛 → ・・・

カヤックとは、地理から料理から歴史から文化から、「 世の中の縮図 」 と言い換えることができそうだ。

 

満腹の体を布団に置き、ある人とカヤック談義。談義と言うより私の信条披露とでも言おうか。

それぞれの人にそれぞれのカヤックの楽しみ方があり、私の楽しみ方とは・・・

そんな話をしたような・・

さて、明日は、明日も、一年ぶりの海。何と会えるか楽しみだ。

 

                  


736.選り取り見取りの選択 ― 初夏の水郷

2015年06月10日 | Weblog

先日、「 チーム・気まま 」 で水郷漕ぎをした。 びわ湖漕ぎの予定だったが現地に行くと少し風がある。漕ぎを中止するほどの風ではなかったが、予報では昼にかけて更に上がるとの事。 びわ湖は既にざわついている。

                   どうする? 行って行けないことはないけど

                       水郷にする!

                   あっそ、それがいいね

よく言えば臨機応変、悪く言えば場当たり? いや、柔軟な対応と言うべきだろう。 その日、その場の状況次第で、最良の漕ぎ場所が選べるのがびわ湖の良さ、このチームの良さ。

 

さっそくに水郷へ移動する。途中、横目で見えるびわ湖は白波さえ立っている。やっぱり水郷にして良かった。

 

水郷は穏やかに迎えてくれる。スズメのような小さな波がチョコチョコ動いてはいたが、これは脈打っている、と言うものだ。 水郷は透き通っていたためしはないが、今日はことにくすんでいる。前日の雨のせいだろうか。

いつもの場所からいつものように出艇する。私が 「 中央広場 」 と言っている水郷には水路が3本ある。そのうちの南ルートを進む。 いつもはこのルートに観光船が来ることは ( まず ) ないのだが、さっそくにやって来た。

おかしいな、と思ったが、広い水路は追い風で漕ぎ、向かい風の時は狭いヨシの水路で漕ぐ、という事なのだろうか。 まぁ、コース取りにもいろいろあるのだろう。

   

  ぎっちらこ ぎっちらこ

 船頭さんの漕ぐ舟が揺れて行きます

 その後をのんびり漕ぐカヤック

 

 船頭さん、歌ってくれないかなぁ

 

 

 

この先には 「 ぞうりの木 」 前回来たのは4月。やっとヨシの根元が緑になりかけ、ヤナギの芽が広がり始めたばかりの頃。 ぞうりの木はどうしているだろう。

はらわたを露わにした 「 ぞうりの木 」。ぞうりの木は死んでも、その土に根ざした新しい命が、大きく育っている。 命を育む木、母の木。 ぞうりの木は 「 母の木 」 でもあった。

                 

 ぞうりの母さん、

 子育てご苦労様です

 

 母さんも体に気をつけて
 下さいね

 

 

 

時計はまだ昼前と言っていたが、いつもの東屋の公園で昼食とする。 時々近くを船頭さんの漕ぐ舟が通るがあとはまたひっそりとした水郷。貸切の公園はささやかにして贅沢なランチ会場となる。 

水郷と言えば近江八幡、近江八幡と言えば赤コンニャク。ならばと赤コンの一品を作ってくる。おいしかったかどうかは別として、持ってきた分はとりあえず、皆売れた。

 

今はびわ湖の水位が少し上がっているが、更に70センチほど上がると、ここはすっかり池となる。そんな公園を漕いだことが2回あった。 漕げるほどに水位が上がった時には、他の用を断ってでも来なくては。

さて、お腹も膨らんだことだしボツボツ漕ぎ出しましょうか。

お馴染みの太鼓橋。 園地の広場にはこれまでも幾つかのいすやベンチがあったが今回更に多くなっていた。この橋を渡った島にも水路を眺めるようにベンチがある。座ってゆっくりこの静けさを楽しんでもらおうという配慮なのだろうか。

朝、雲が広がっていた空には青さが増えてきた。青い空、白い雲、塗り分けられた天空が眩しい。

 

 安土山、 繖山

 戦国武将も山の城から
 この湖水を見ていたのでしょうか

 

 信長さん

 あの赤コンニャク、持って来ましたよ 

 

湖面の網目模様は、びわ湖ではまだ風があると、教えてくれる。 「 双子の木 」・「 いとこの木 」 にさらりと挨拶し、また水路へと戻る。

 

初めて水郷を漕いだ時、「 迷路 」 と言われる水辺から抜け出られず、捜索隊に発見されて 「 生きてて良かった 」 と思わず涙ぐむ、そんな光景が頭をよぎった。 今では、「 目を瞑っていてもわかる 」、とは言わないが、そこそこの案内ができるまでになった。 けっこう成長したのかもしれない。

 

 桑の実

 熟れた実がたくさん付いています

 

 

 

 

 

と言った直後に、ここにこんなに大きなクワの木があったなんてことを初めて知った。 まだまだ目をしっかり開けていても知らないことがたくさんある。

向こうから来る船頭さんの声に押されて次の水路へと進む。そして、水郷に来たなら必ず行かなければならない所と言えば、

 

 竜神さま

 会いたくてたまらないから来た
 水郷ではなかったですが

 かといって

 風があるから仕方なく来た
 水郷でもありません

 お会いできて嬉しいです

 

 

ヨシ焼きが済んだばかりの頃には、竜神さまのお社の向こうは遠くまで見渡せていた。しかし今は秘密の水路。 次々に観光船が来るので、今日はカヤックに乗ったままでお賽銭をあげ、竜神さまのご機嫌を損ねないよう言い訳のお参りをする。

水郷のヨシの水路は、微かに揺れる水面と大きく揺れるヨシ。

                シャワシャワシャワー

                ザワザワザワー  

                ザザザザザァー

時々茎がこすれて、シーシー、キーキーと鳴る。 このヨシを鳴らせている風は、びわ湖では白波を作っているのだろう。

友人が、トウモロコシ畑みたい、サトウキビ畑みたい、を連発する。 いかにも! この中から 「 彼ら 」 が現れる、そんな幻想と期待が交錯する。

ヨシキリがけたたましい声を上げ我に帰る。 

この橋の、外れた飾り板も、水郷のひなびた郷愁を誘い、なまじ直さないで欲しいと願う。 少し開けた所では、船頭さんは体を大きく揺らし、風に向かって漕いでいる。何人もの客を乗せ、カヤックの何倍も大きな舟を一人で、あの薄い魯1本で漕ぐのだからその技術・体力には脱帽する。 魯の推進力も大したものだ。

ぐるりと巡ってこの木の所に出る。

 

 「 頭隠して尻隠さず 」 の岸

 前からは枝で見えないですが
 
 後からは丸見えの場所

 

 でも水郷では
 岸に上がれる貴重な場所です

 

 

いつだったか、遠い海からおいでになったお客様が、この岸で大事なタオルを水郷にお供えした。もしかしたら、竜神さまが夜な夜な、お使いになっているかもしれない。

背伸びして見る岸にはこがねいろの麦が穂を揺らす。                 

 

びわ湖か水郷か、気ままに選んだ水郷。 ヨシが背丈ほどに伸び、麦は茶色に秋となり、桑の実が熟れ、ヨシキリが鳴き、

水郷はしっかりと初夏だった。

                


735.洞窟三昧の旅 ― 長州の海漕ぎ・4

2015年06月05日 | Weblog

長州漕ぎの3日目。

今年のカヤックは何かと天気に振り回された。3日の予定を組んでも1日は陸漕ぎを余儀なくされた。しかし今回の長州漕ぎ、3日ともこの上なく穏やかで、こんな時に時間切れだなんて、残念至極。

そんな3日目の朝。

 

昨日の朝は風がない上に見事に晴れ、夜明けにはちょっと寒いくらいだった。しかし今日風はないものの、薄曇り。その分冷え込みがなかった。 着込んだ上着を夜中に脱いだ。

柔らかな下草が生え、寝心地の良いキャンプだった。テントを薄日に向け、もう片付ける日かと心残りに干す。

 

いつものことながら私は 「 鎮座 」 することを旨としている。 そんな私の前に現れた朝ごはん。

 

 「 シャクシューカ 」

 イスラエル料理とか

 下を噛みそうな名前です
 
 でもその前に、

 名前が覚えられません

 

 

 

朝からそんなにねぇ、と言いつつお代わりをする。だからカヤックに出かけた後は体重が増える。なんとまぁ、忌々しきカヤック事情なんだろうと言いつつ、出されたバナナもぺロリと腹に入れる。

 

今日は午後から帰る日、ゆっくりする時間がない。そそくさと片付けるとさっそくに海に出る。 そしてさっそくに例の物が現れる。

 

 3日続けてうねりのない海

 前回の 「 台風漕ぎ 」 のお詫び、と

 海の神様が下さったのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな南海の孤島の洞窟かと思いきや、ぐるりと回った先に何かの建物があったり橋があったり荷揚げをする船がいたり・・

大遠征をしなくとも大興奮はできる。  ここは海のアミューズメントパーク。

しかし、そんな事を言えるのも、こんなに穏やかな時だから。ひとたび海が荒れたら、それはこの洞窟を更に広げる事となるのだろう。

私は大風、大波の日に漕ぐ事はない。しかし、そのつもりはなかったのに結果として風・波に振り回されたことは何度かあった。 何度かあったが太平洋側で遭ったことはない。 

若狭で、山陰で、びわ湖で。びわ湖の風は若狭を抜けて日本海から吹く風の時だった。 私が 「 怖い 」 と思ったカヤックはいつも日本海の風と波だった。

太平洋をはるか彼方からやってくる波は、雄大なと表現されるが、日本海の波は荒々しいと言われる。

                  名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実一つ ・・

                   海は荒海 向こうは佐渡よ ・・ 

一つの海にもいろいろな表情があるが、歌はその一番良く似合う顔を出している。

 

さてさて、海のアミューズメントパーク、お次のアトラクションは

 

 右へ左へお好み次第

 この先、どこまで続いているのかな

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと見とれている内に、前を行く人の姿を見失った。一瞬ドキッとする。右も左もお好み次第とは言ったものの、この洞窟で遭難しては、次のカヤックができない。それは困る ・・

見上げる高さの岩もあれば、思わず頭を下げる洞門もある。下手にパドルを立てるとひっくり返る。この場はスーッと通り抜けて ・・

 洞窟の入り口だけを見ると対象となる物(人)が大きく見え、洞窟が小さく見える。かと言って洞窟全体を撮ろうと思うと人が小さくなって見えなくなり、結局洞窟の大きさが比較できない。

きりがない、本当にきりがないほどに続く海を、時間にキリがあるカヤックは戻り始めた。 薄曇ながら暖かい海は最後まで穏やかに受け入れてくれた。 

 

 昨日行った島

 次に行きたい島

 

 火山の噴火でできた島は
 どの島だろう

 

 

 

 

今回もまた多くの人に助けられ、(時に助け)、記憶と記録を残す旅だった。

                 みんな、ありがとう

                 皆さま 、ありがとうございました

 

                 長州の海漕ぎ、洞窟三昧の旅の記録、ここに閉じる

 

 


734.距離じゃないです数ですよ ― 長州の海漕ぎ・3

2015年06月04日 | Weblog

海漕ぎ2日目。 

ここ、阿武町には立派な道の駅がある。道の駅はいろいろな町でお世話になっているが、ここには 「 全国道の駅発祥の地 」 と書かれた大きな幟が立つ。 

いろいろな分野で使われる 「 発祥地 」 ・ 「 日本初 」 ・ 「 元祖 」 ・ 「 生誕地 」 ・ 「 墓所 」 と言う文字。たった一つしかないはずのものが各地にあったりする。それぞれの視点、思い、でのお国自慢の結果だろう。 それにしてもここは快適な道の駅だ。

その一角にこんな物がある。

 

 「 円満の鐘 」

 向こうに見えるのは
 男鹿島と女鹿島

 夫婦、恋人、親子

 どちら様も円満に

 

 

 

このモニュメント、別の位置から見ると2つの島がハートに包まれるように見える。しかしある人が、「 ハートが割れている 」 と言っていた。 そう言われれば・・・

これに限らずだが、その意味・意図、それを正しく伝えるには、理解してもらうには難しいものがある。

               そんなつもりで言ったのではなかったのに・・

               ここから見たら本来の姿が見えたのに・・

           

と、そんなことに悩んでいる暇はない。そろそろ海漕ぎにでよう。 まずはあの島へ。

ほんの一漕ぎの目と鼻の先、小さな島の立派なお社の神様にお参りし、今日の無事を願う。

短い挨拶をして、次の島へと向かう。 お次は大島訪問。

島を一周、さらには隣の島へ、いや、島に上がって散策・・ いろいろ案があったようだが今回は島でゆっくりすることとなった。ガッツリ漕ぎもいい、のんびり漕ぎもいい。 

夏を思わせる陽気となり、港のスーパーでみんなが買ったものは、アイスクリーム。

岸壁に腰を下ろし、しばし海の匂いに浸る面々。今日は漁がないのか、港は静かに船をつないでいる。いや、とっくに漁から帰って来たのだろうか。網の繕いをする人達を見る。その手さばきの速いこと。

私の父が漁師の家の育ちだったが、そのせいか編み物が得意だった。 子供の頃、セーターや 「 毛糸のパンツ 」 など作ってもらったし、裁縫も上手かった。 海の男はその節くれた手で繊細な仕事をする。

 

その土地柄を表すものにはいろいろある。市町村章、高速道路の表示板、マンホール。 その中でも 「 マンホール 」 の模様はその町の歴史、伝統、民話、産業、いろいろな要素を持ってる。市の広報を読むより一目瞭然でその町を知ることができる。

長州に来てからも3種類のマンホールを見つけたが、ここではこんな物。

 

 マンホールの蓋に描かれた絵

 島と瀬付きアジとタバコの葉

 この絵を見てから
 ここの特産品を知りました

 

 

 

 

 

 

アジの刺身を食べ、タバコで一服。そんな人がこの島に来たなら、自分の足元に自分を成すもの示されていると気が付くだろうか、気が付いて欲しいと思うのは私だけだろうか。

 

しばらく島に滞在し、そろそろと言ってまた海に出る。 

島の海はきれいに澄んでいるが浅い所は一面に海草が生える。撫でるように、舐めるように、浅く広くパドルを回す。海草の切れ間からは小魚が右往左往する姿が手に取る様によく見える。 時々パドルに引っ掛けて危うくカヤックを傾ける。

海中から突然に聳え立つ崖。岩肌に触れてそっくり返って空を見る。空と岩が視界を二分する。普段見ている世界はなんて余計な物が溢れているのだろうと、がらにもなく無心になる。

そんな岩場で鋭く尖った音がする。鳥の鳴き声のようだがどうやら私たちを警戒しているようだ。

 

 イソヒヨドリ

 この時はわからなかったのですが
 後日教えてもらいました

 チッチッチッ!

 

 

 

 

エサを咥えているように見える。カヤックが近くに寄っても逃げていかない。近くにヒナが居るのだろうか。 赤と青、もう少し小さければカワセミと思ったかもしれない。 

                脅かしてごめんね

洞窟には、大きくアングリ口を開けている物もあれば、スパッと裂けている物もある。

  

 

 岩と岩に挟まれてしまいそう

 昨日とは違った岩肌です

 ここはどんな姿をしているのでしょう

 

 岩の間から染み出る水が岩肌を濡らし

 おどろおどろしいまでの絵画を描きます

  

 

昨日も穏やかな海だったが、今日はそれ以上に穏やかだ。 うねりのある時には決して入ることのできないこんな洞窟を幾つも入る。 漕いだ距離などどうでもいい、入った洞窟の数に価値がある。そんな私の主張を、この海はしっかりと聞いていてくれたのだろう。 ありがたいことだ。

 

 洞窟と言う家にいて

 岩のカーテンを少し開き 外の様子をそっと見る

 

 あの島の向こうには何があるんだろう

 あのカヤックはどこへ行くんだろう

 

 行ってみたい でも この家を離れたくない

 

 

 

 

 

そんな洞窟にも別れを告げ、見上げれば、ただ空しか見えない世界へも憧れる。 綿飴をちぎったような雲、

 

今日は午後になっても風は出ない。いい漕ぎ日和だった。 漕ぎ足りなかったのでは、と聞かれた答えは

             距離じゃないですよ、数ですよ(洞窟の)

 

キャンプに戻り、宴の準備にかかる班と温泉に行く班に分かれる。 私は当然、温泉班。 友人たちを乗せ、往復50キロ以上の温泉への旅をした。

 

              良い日だった

              良い海辺の 良い酒宴

              竜宮城はこんな洞窟の奥にあるのではないかと、思える日だった。

              

 

 


733.さっそくの洞窟 ― 長州の海漕ぎ・2

2015年06月03日 | Weblog

穏やかな朝が明けた。良く晴れ、風も無い。絶好の漕ぎ日和だ。では今日はここの海、と行ったのはこんな木が並ぶ海辺。

 

 切り落とされた葉の跡

 うろこの様に並びます

 魚のうろこと言うよりは、龍のうろこ、

 これは 「 うろこの木 」

 ここは海の龍が立つ海辺

  

 

 

 

 

細かな砂のきれいな浜が続く道で、散歩に来た地元の人が気さくに話しかけてくる。 

                   おじゃまします 良い海ですね

 

みんなの仕度もでき、ではお待ちかねの洞窟漕ぎ。大きな湾の岸に沿って行くと、ホンダワラが一面に広がる。この辺りは浅いようだ。ホンダワラは食べられただろうか。さぞかし腹持ちが良いだろうな。そんな事を考えながらホンダワラ海を抜ける。

 湾を出る辺りから洞窟・洞門・奇岩・が並ぶ。風はない、波もうねりもない、いざ、進め!

通れる門もあれば通れない門もある。あの石さえなければ行かれるのに、と残念に思ったのだが、それも最初の内、際限ないと言われるほどに次々に現れる。

パドルが作る波以外、何も海を動かす物はなく、壷の中の油の様だ。海の色、岩の色、そして光りの色。どれもが洞窟を作る色。

小さく黒く見えていた穴が、そばに来ると見上げる高さになる。まだ陽光が射す洞窟も、先を行く人の姿が小さくなるにつれ闇の世界となる。

どこまで行かれるのだろうと一人入っていく洞窟、薄暗くなるとなんだか不安になり、真っ暗になるとさすがの私も怖くなる。 外の明るさがこんなにも偉大に思えるとは、私は実は 「 暗所恐怖症 」 なのかもしれない。

と言いながら次の洞窟が現れたら決して逃すことはない。

 

 あっちから入って
 こっちから出て

 中でつながっている洞窟もあります

 ここはどうかな

 

 

 

 

シーカヤックで狭く暗い洞窟の中を行くのは心地よい緊張がある。 岩でこすらない様に、右は?左は?と微妙なパドリングは、時には外科医のメス捌きにも思える。

                 ここは心臓の血管、傷つけないようにパドルはこう動かして ・・!
     
                 この手術も成功!

時々天井が大きく開き、空が見える事もあれば、滝のように水が落ちていることもある。洞窟は単に暗いだけのものではなく、あの手この手を隠している。

上がった岸で見つけたこんな物。

 

 捨てたのか、落としたのか

 流されてしまったのか

 

 

 

 

 

 

いろいろな漂流物が流れ着いているが、韓国、中国の物も多い。 以前三重県の浜で、中国浙江省・桃渚 と書かれた長さ10cmほどの小さな浮きを見つけたことがある。最短でも1600キロの海を渡ってきたつわものだ。その小さな青い浮きは健気で愛おしいほどに思えたのだが、ここに並んだビンやペットボトルは不愉快なゴミとしか思えない。

決して彼らの責任ではない。彼らもまた波にもまれ、遠く異国に流された身の上を憂いているのかもしれない。

「 いずれの日にか くにかえらん 」。 そんな日が来たなら、「 気をつけてお帰り 」、と手を振ろう。

 

今日は幾つの洞窟に入っただろう。まだ満足するとはいかないが、それでも十分に楽しんだ。

 

 

穏やかだった海に、風が出てきた。そろそろ帰ろうか。 行きは洞窟めぐりでゆっくり進んだ海を、帰りは向い風を受けてしっかり漕ぐ。 そんな海も湾に入ればまた元の静けさ。

 

今日のキャンプは夕陽のきれいな海辺。近くには温泉もある。地元ガイドさんのご好意で快適なデッキもお借りでき、私はみんなが作る料理ができるのを待つだけだった。

並んだ夕げのご馳走に話の花が咲き、食べ、飲み、もう目が開けていられない、と言ってテントに入った。

良い日だった。明日もこんな日でありますように、と願うと同時に眠りに付いた。

                     明日はどこを漕ぐのだろう

                      洞窟、幾つ入れるだろう

                      明日も・・

                      良い日で・・

                        ・
                        ・ 

                        ・

 


732.まずは陸から ― 長州の海漕ぎ・1

2015年06月02日 | Weblog

話が前後したが、先月、山口の海を漕いできた。

これからのシーズン、日本海側へ行くことが多くなる。遠くの太平洋で台風が発生すると、1000キロ離れていても太平洋側ではうねりが入り、洞窟巡りはできなくなる。 しかし、太平洋側に風が吹いていても、日本海側は驚くほど静か、そんな事もある。今度の日本海、洞窟もたくさんあると言う、どんな海になるか楽しみにして行く。

 

海漕ぎの始まる前に、いつものように陸からの観察。山口の日本海側と言っても広い、それなのに時間は多くはない。とりあえずは萩を中心にした辺りを探索してみよう。

 「 明神池 」、 海につながる汽水池。 大きな池には観光案内にあったように魚が岸に群れて寄って来る。 なぜかこの石橋、記憶の遠くにあるような ・・

 

     こんな景色もいつか見たような・・

     

         「風穴(かざあな)」、この説明書きにも覚えがある。 

                

地下の冷えた空気が岩の隙間を通して出てくる。辺りは肌寒いほどだ。              

なぜだろう、そう言えば、ここにネコが居たような気がする。 私のカメラに 「 ネコモード 」 と 「 イヌモード 」 があったが、そんな使い分けが必要なのか、と言った気がする ・・

幼児が、まだ母親の胎内に居た頃の記憶が残っていることがある、と聞いたことがあるが、私のこの記憶はいつのことなのか、それとも幻想なのだろうか・・

 

釈然としない気持ちで次の目的地へ行きかけ、とあるホテルの前を通った時、

              あっ! わかった! あの時、ここへ来たんだった!

              そうだ、ホテルの前に石のドラエモンがあったんだ!  

竹がスパッと割れたように思い出す。2年前、友人と旅行した時の宿がこの近くだった。その時見たのだった。ツアーで参加して、旅行会社のお勧め観光地へ行ったが、この 「 明神池 」 はついでに見ただけだったので主役の座ではなかった。

だから覚えていなかったと言うか、それでも覚えていたと言うか。 記憶の引き出しは、思いも寄らないことで開くものだ。

 

明神様に旅の安全を願い、次の目的地へ進む。 

 

 地球の入り口、地球の出口

 太古の火炎の山は
 今は緑に安らいでいます

 

 

 

 

 

「 笠山 」、高さ100メートルほどの山だがここには小さな噴火口跡がある。最近、何かと騒がしくなった火山だが、この山も何万年も前には真っ赤なマグマを吹き上げていたのだろうか。今は赤茶けた岩肌を冷たくさらしている。

 

山の上の展望台からは日本海に点在する島が見える。 

島、と言うとポコンと盛り上がった形をイメージするが、この海の島は一様に平だ。テーブルマウンテンと呼ぶに相応しい。これもこの地方の地層の成り立ちから来る形なのだろうか。

ぐるりと目を移し、島影を数える。あの島、この島、どの島へ漕ぎに行かれるだろう。

 

山から降りると椿の群生地がある。今は花の時季ではないがほど良い高さの林は木漏れ日がさし、散歩道として気持ちが良い。

庭の1本立ちの椿とは樹形や幹が違うのも面白い。三重の海跡湖にあったのも、こんな形の椿だった。 海辺ではこういう植生になるのだろうか。海辺の植物、この椿を漕ぎながら見るというのも面白い。

 

ところで、萩には反射炉がある。現在は暫定的とのことだが、正式に世界遺産に登録されるのも遠い日のことではないだろう。

冬に伊豆へ行った時、「 韮山反射炉 」 の表示を何度か見た。反射炉、聞き覚えの無いその言葉に心惹かれ何だろう、行ってみたい、と思いはしたのだが、行かずじまいだった。「 世界遺産登録 」 のニュースを聞いて、行けば行かれたのに行動しなかったことが悔やまれた。

                 やりたいと思った事、やるかやらないか迷った時、

                 それをやれない理由がないならば、変化する方に進む
                 
                 そんな事を誰かに言ったような気がするのだが

 

陽が傾いた頃、こんな鐘の見える所で温泉に入る。

この頃はこんな鐘をあちこちで見る。 愛の鐘、幸福の鐘、誓いの鐘、平和の鐘・・。 山の上の公園や高速道路のSA、道の駅、でも見るが、その多くが海の見える所にある。 海を渡る鐘の音に人は何を求めているのだろう。

 

海辺の町の探索、まだまだ思い残すものがたくさんあったが、そろそろビールが待っているころだ。行ってあげなくては。

                     明日はどんな海を漕ぐのだろう

                    どんな洞窟があるのだろう

                    早く明日にならないかなぁ

 

              


731.年に一度のびわ湖 ― 赤野井に集結

2015年06月01日 | Weblog

大きなびわ湖に小さなクラブがある。のんびりボチボチと漕ぐだけで大した活動はしてないが、年に一度の大会を開いている。 そんなクラブの一員として、今年もまたこの大会を無事終了できたことを嬉しく思い、また関係各位に心より感謝している。

そんなびわ湖の一日を記録する今日。

 

昨日は第10回目の 「 びわ湖カヌーツーリング大会 」。何日か前までは、この日だけ、狙ったように天気が悪くなるとの予報。まぁ、台風で中止にした年もあったので、雨くらい、多少の風くらい、大目にみよう、と皆が思っていた。

そして当日、

予報は見事に外れ、朝からさわやかな陽射しとなった。風は少しあったが湾の中は波立つこともなく、このまま1日が過ぎてくれることを願い、参加者の到着を待つ。

 

前日から泊りの方や当日おいでの方、飛び入り参加の人など次々に湖岸に集結する。

 

 比叡の山を望む赤野井の湖岸

 色とりどりのカヌー・カヤックたちが
 並びます

 

 

 

 

 

シーカヤック、リバーカヤック、カナディアンカヌー、インフレータブルカヤック、リジット、ファルト、シングル艇、タンデム艇、ポリ、FRP、ウッド、あのメーカー、このメーカー、手作り、輸入、あれやらこれやら、・・

全部で50艇はあっただろうか。カヤック見本市のようだ。

 

さてさて、皆さんお揃いのようだ、会長の開会の挨拶が始まる。 が、その前にスタッフから、「 手短に! 」 の野次が飛ぶ。会長挨拶の時には恒例の野次となっている。言う人、言われる人、今年も元気に参加している証しとして、嬉しく聞く。

手短に済んだ挨拶の後は、カヤック体験の人、湾のミニツーリングの人、見るだけの人、昼食時の豚汁つくりに取りかかる人、歓談する人。 それぞれの時間を楽しむ。

私は午前・午後ともツーリング組み。

 

少し風が出てきた。うねる訳でも波立つ訳でもなかったが、当初の湾漕ぎを変更し早々に内湖に入る。

さっそくにいつもの木

 

 「 お願いの木 」

 願い事を唱えながら周ると
 願いが叶う


 と私が決めた木

 何をお願いして周ろうか

 

 

 

水草が辺りを被い、周れなかった時もあったが今はきれいに水面を開けている。 しかし、1年前にはまだ緑の葉をつけていた枝もすっかり枯れ、初夏の空が透かして見える。

諸行無常、人も木も内湖も、変わっていくことが定めなのだろうか。

 

午後の回で参加者に 「 お願いの木 」 のことを話すと、多くの人がここを周っていた。以前は 「 3回周ると願いが叶う 」 と言っていたのだが、最近は一周するだけでもご利益がある、と端折っている。 

            周った人たちの願いは叶うだろうか

 

この辺りもかつては湖岸がもっと内陸側にあった。その頃の名残として内湖の奥に松並木が残っている。

 

 松並木とヨシ原

 時代劇の撮影ができそうです

 

 おっかさん

 あの松並木の向こうが
 おとっつぁんのいる村だね・・

 

 

 

びわ湖周辺はいろいろな所が埋め立てられ干拓され、住宅地に、道路に、公園に、「 周辺整備 」 がされてきた。水辺に残る松並木は人の生活が向上した証なのか、失われた水辺の最後のあがきなのか。

 

水辺にはこんな神様もおいでになるようだ。

 

 「 龍宮神社 」 と書かれた石碑

 でも、
 神様はどこにおいでなのでしょう

 

 

 

 

 

 

ここはめったに船が来る所ではない。誰に知らせようとして建てられた石碑なのか、屋形船にだろうか、それともカヤックにだろうか。

内湖が開けた所に出る。

ヨシが大きく伸び、ヨシキリの鳴き声が賑やかになる。上品とは言い難い声だが、水面によく通る声だ。 彼らはよく鳴いている。それはラブコールなのか自己主張なのか、威嚇なのか。 

ヨシ原の保全・復活の活動がある。その反面、活用されないヨシが水質悪化の一因ともなっている、と言う話も聞く。びわ湖はその広さゆえに、いろいろな利害が交錯する。ヨシが増えることは良いことなのか、悪いことなのか。私はどちらかを絶賛する根拠を、持っていない。

短い内湖巡りも終わり、またびわ湖へと出る。 心配した風もなりを潜め、お決まりの枝くぐりも楽しめる。

 

 ここはお気に入りの場所

 緑のトンネルが長く続きます

 

 今日は釣り糸はないかな

 

 

 

 

多くの人を先に行かせ、後ろの方で漕ぐ。 以前、私が枝くぐりをするのを見て続いて来た人が枝に引っかかり沈した事があった。 

              私の真似をしようなんて、10年早いんだよ

 

なんてことは言えず、申し訳ない事をした、と反省した。それ以来、不慣れな人の前では枝くぐりはしないように気をつけている。 午後は私が先頭を行く予定。 だから、今の内、今の内。

無事ベースに戻り一安心。

大会の開催を祝しみんなで乾杯! 昼食時には こんな振る舞いもある。

 

 大鍋いっぱいあった豚汁も

 あっという間にあとわずか

 

 

 

 

 

 

この豚汁を 「 とんじる 」 と言うか、「 ぶたじる 」 と言うか。子供の頃は 「 ぶたじる 」 と言っていたが、今は私の周りではとんじる派が多い。 「 マクド 」 と言うか、「 マック 」 と言うか、そんな地域性もあるな、と一人 「 豚汁考証 」 に陥ってしまった。

 

自己紹介、ちょっとしたデモ、艇の説明など、いつものことや初めてのこと、滞りなく進む。

 

 大きなポプラは大会の旗印

 比叡の山からも見えるでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

具たくさんの豚汁はお代わりするとそれだけでお腹が膨れる。では午後のツーリングに出かけようか。

 

午後も少し風があった。湾を漕ぐにはどうってことない風だったが内湖をメインとした。 赤野井は KW シリーズに似ている。風が無ければ外海 ( びわ湖 )、風があれば湾の奥 ( 内湖 )と風と波の具合で漕ぐ場所が変えられる利点がある。 取り回しが良いというか、使い勝手が良いというか。 特に初心者には漕ぎやすい水域だ。

のんびり、わいわい周った水路もいつの間にかびわ湖に出、今度は枝は ( 殆ど ) くぐらずにベースに戻る。 まだ暑い日ざしが残る中、特に怪我をしたという人もなく大会は無事終了した。 たいしたことはしていなくとも、ほっとする。

対岸の山の端に陽が傾き、賑やかだった湖岸にまた静けさが戻る。

いつだったか、びわ湖を漕いだ人が、「 大津の地平線に陽が沈む頃・・ 」 と言ったことに、

「 びわ湖には、ましてや大津には陽の沈む地平線はない! 」 と突っ込んだことがあった。 大津の山に沈む夕陽を見るといつも思い出し、苦笑する。

 

小さな大会ではあるが、チラシ作成、配布、後援依頼、買出し、会場設営、豚汁準備、カヤック手配、後片付け・・

不備な点は多々あったがそれでも事故もなく無事終了できたことは何よりだった。多くの方々、漁業関係者、団体、関係機関の協力・支援のおかげと感謝している。

                   皆さま、大変お世話になりました

                   どうも、ありがとうございました

 

                   良い日だった、良いびわ湖だった

                    みんな、みんな、ありがとう