カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

968. 月遅れの記録 ― トンネルとアジサイ

2021年07月28日 | Weblog

盆や正月、桃の節句に端午の節句、「月遅れ」のおこないは、昔からある。「雛人形は節句が終わったらすぐに片付けないと、娘が嫁に行きそびれる」、とお節介な人が言うと、ずぼらな人は「いえいえ、うちは、月遅れの祝いをしてますので」とかわす。落語にでもありそうな話だが、今の時代、「婚期」なんてことを言うと何とかハラスメントと騒がれそうだ。

私のブログが滞っているのは、カヤックに行っていないと言う大きな原因があるのだが、昔ほどにカヤック以外の事を書かなくなったことの他、何かと野暮用に追いかけられたり、最近はこの暑さに降参したりで・・

それでも片付けるべきことは片付けなくては、ひと月(以上)前の出来事を「月遅れ」の記録として印し始めた。

 

びわ湖のほとりに「世界のアジサイがある」と言うアジサイ園がある。広さはアジサイ園としては中規模だろうか。じっくり見て回るにちょうど良い大きさだし、何より、木陰を作る木々が多いのがありがたい。梅雨時とは言え、天気が良い日にはうだるような暑さになる。散水したばかりのアジサイは、木陰の涼しさを一層さわやかにしていた。

古い舟が花壇のようになっている。

海の湾内では時々、沈みかけた廃船や陸に揚げられ朽ちていく舟を見る。物悲しい姿と見る人は多いが、廃船には語りつくせない歴史があり、語らない舟に代わってその歴史を想像するのは海での(海とは限らないが)楽しみの一つだ。

この舟はどんな歴史を重ねて今アジサイを乗せているのだろう。

先に見える2つのトンネル、自由の国へ入口のようだ。実はあの先には小さな内湖があり、その先は大きなびわ湖につながっている。園に入るには歩いて入る入口があり、花の時季には入場料がいる。しかし、「自由の国の入口」からはカヤックなら入れる。

いつでも、とは言わない。水草でトンネルが塞がっていた事もあった。

たいていは通れた。すんなり通れた日もあれば、笑いのハプニングの日もあった。

近江の国の、ちっとは名の知れたお方が、思いがけずにトンネルの中で沈をした。何でこんな、何の問題もない所で・・と皆が一斉に笑った。レスキューするより先に写真、写真、と撮らせてもらった。薄情なメンバー揃いの時だった。

すんなり通った日もあった。ここに来るのは、びわ湖を漕ぐ予定が風が強く、「お願いの木」の内湖を漕いだ時、ついでにと言って寄る所だ。

何度か来たが、アジサイが咲く時には入ったことはない。入園料払わず入るのはちょっと気が引けるし、入園者たちのカメラがうっとおしいからだ。それ以外の時にはちょっと不思議な体験ができるトンネルと水路だ。

いつだったか、このトンネルの前に柵があり、入れなかったことがある。あんな時、こんな時、いくつものカヤックの歴史を作ったトンネルだ。

思い出を振り返っていると、せっかくのアジサイを記憶に残すことなく通り過ぎている。

あんな花、こんな花、葉の形が少し違うだけでも名前が違う。違いを見分けるなど、到底できない。5分前に聞いた名前を、もう忘れている。要するに「アジサイ」なのである。

花を愛でると言うより、カヤックの思い出に浸る、暑い日だった。 涼しくなったらまたあのトンネルをくぐろう。