カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

943.やっぱり遠い岸 ― 思い違いの湾と灘

2020年02月28日 | Weblog

いつも、ことあるごとに言っていた事。「尾鷲湾は、湾に入ってからが長い」と。 つい先日湾と入り江の違いがどうのこうのと講釈したのだが、今になって、今更にして、あの恐ろしく長いと思っていた湾を、勘違いしていたことに気が付いた。今まで言いふらしてきた嘘を、今日、ここで訂正し、反省し、過去の発言を取り消し、湾に、申し訳なかったと謝らねば・・

そんな懺悔をすることになった日の記録。

 

桜が見送る岸から出艇する。小さな町の小さな港。高台のすぐ下に、海辺に張り付くように立ち並ぶ家々。その前を走る狭い道。長い釣竿を立てたクルーザー。たまに大漁旗を上げた漁船。干からびた魚の臭い。岸壁にまどろむ猫が数匹。・・

なぜか懐かしく、ほっとする、よくある港の風景。私の先祖に漁師がいたのだろうか。遠い昔のDNAがこんな小さな港町を懐かしむ。

今日も穏やかな海。港は眠り、入り江はまどろむ。外海もこんなに穏やかでありますようにと願い、漕ぎ進む。

大海原を漕いでいるとここにこんな入り江があったとは、ここにこんな漁港があったとは、まったく気が付かないような奥まった海。そこから外海を目指して漕ぐが、

さて、道はどっちだろう。右も左も正面も、塞がっている。本当に外海に開いているのだろうか。 そんな風にも見える入り江。ここは地図通りに行けば、こんな海に出る。

大きく外海に開いた辺り、パステルカラーの水辺が続く。水は2月とは思えないほどに暖かい。もう少し暖かければ潜っても良い。もぐらなくてもくぐることも良い。この辺りはまだ外海のうねりが来ない。こんな洞窟も今日は楽に入れる。

洞窟としては小ぶりなものだが「ミニカプリ」と言っても良いだろう。洞窟の色にもいろいろある。濃い緑、薄い緑、濃い青、薄い青、そしてこんなパステルブルー。どんどん奥に行ってみたいのだが、この辺りで戻った方が、後々良いのかも・・。

そろそろ外海に出るころだ。

岩の切り口が変わり、海の色が変わり、磯に白波が打ち、外海に出たと知る。

何度見ても惚れ惚れする光景。積み重なり、押し合い、傾き合い、削り取られ、波に砕かれ、幾多の工程を経て今ある姿を作ってきた時間を、ぎゅっと握りしめるとこの岩の硬さになるのだろう。そんな岸を漕ぎ、岬の先端に来る。

岬からは以前漕いだ岸が見える。意外と近くに見えると驚いたのだが、1時間ほど漕ぐ距離だと知って、意外と遠くなのだとまた驚く。

この先端を過ぎたら、そこは大きく開けた『 湾・漕いでも漕いでも先の長い大きい湾・尾鷲湾 』と思っていたのだが・・

まぁ、その話の前に、こんな洞窟。

少し風が出てきた海だが、私が行く所には波もうねりもない。ちょいと洞窟遊び。いつものように、実際よりは5倍は大きく見える写真。そんな巨大な?洞窟を出れば白玉の岸。

この辺りのよくある地層や岩が砕け、波で研がれて角が取れた。と言うには不思議なほどに丸くて白い。まるでどこかの庭園から持ってきたような、ちょっと気取った石。ゴロタと言うには失礼だ。海に沈んでもその白さが光っている。

積み重なった地層、削られた岩。先の長い旅のパドルを止める誘惑がたくさん現れる。今度はこんな人。

この横顔、どこかで見たような。トムだったか、レオだったか、ジョージだったか・・。 昔から、「世の中には似た人が七人いる」と言うが、誰に似ているのだろう。

2時間以上漕ぎ続け、そろそろ休憩しようよ、と言う辺りでランチタイム。疲れた。

小さな岬の先には灯台のある島がある。島だからこの岸とは離れているのだが、ここから見ると陸続きのように見える。本当にあの間には海があるのだろうか。

少し風が出てきた。沖では白波も見え始め、コーヒータイムもそこそこに出発する。

大きな「湾に入ってから」この島に来るまでにかなり漕ぐ。そしてこの島から岸までさらにかなり漕ぐ。まだかまだかと言いながら漕ぐ。

そして、あとでとんでもない事を知った。

少し前に越えた岬から先が大きな湾だと思っていたのだが、とんでもない。あれからまだ熊野灘。実際にはこの島から先が「尾鷲湾」だというのだ。それを知った時は、「滝の拝」から飛び降りた時のような(飛び降りたことはないが)ショックを受けた。

そうか、そうだったのか。尾鷲湾は、私が思っていたよりずいぶん小さい湾だったのか。漕いでも漕いでも縮まらない大きな湾ではなかったのだ。これまでの誤解を返してほしいと叫びたかった。誰に叫ぼうか、当然ムーミンにだろう。いや、私にだろうか。

そして正真正銘の湾に入る。

見慣れた発電所。街のランドマークだったあの煙突も、見られるのはあと僅か。もう一度見られるだろうか。びわ湖の象徴だった大観覧車は、びわ湖から消えても遠い異国で活躍した。この煙突も、どこかの遊園地で楽しむことはできないだろうか。クライミングの練習台とか、サバイバルジャングルジムとかになって。

後ろからのうねりは好きだが追い風はあまり好きではない。進むべき方向が振られ、修正に労力を使う。ラダーがあると楽だと聞くが、1,000キロ以上漕いでいる海の、99%はラダーなしだった。純正カヤック乗りはラダーなんぞと言う邪道は使うな、と言うことらしい。

まだかまだかと言って漕いだゴールは、今度こそ着いたも同然の目の前。その前に、海から川へ入らねば。さて、どこから入るか。

サーフ波が立ち、入りづらい(私には無理な)時もあるのだが、今日はちょろいもんだよ、と冷や汗かきながら無事鬼門を過ぎる。やれやれ。ここまで来れば、もう沈の心配はない。

強者たちにはどうってことのない19キロだが、私には久しぶりに漕ぎ感180%の海だった。

いい海だった。湾と灘の境を知った、目から鱗の海だった。やっぱり遠い海だったが、次にここを漕ぐ時は「尾鷲湾は、意外と小さいよ」と言いふらそう。

 

 

 


942.奥が深い海 ― 湾か入江か港か湊か

2020年02月26日 | Weblog

似ているようでいて拘れば別物。違うようでいて大雑把に言えば同じこと。そんな、些細で寛大な言い回しがある。湾と入り江、港と湊、湖と池、沼と湿地。辞書に書いてある解説と地図に記されている文字がどうも一致しない。地図に記されている文字と現地の様子が、どうも一致しない。そんな、些細で大雑把な拘りを記録しに、行ってきた。

 

暫く暖かい日が続き、梅だ、いや桜だと言い出したある日、突然に雪が降った。家の周りはうっすらと雪化粧だったが、海へ向かう高速道路は積雪5センチ、途中では吹雪さえ。これはどうしたものかと思案しながら、それでも現地の天気は雪などなかったし、まぁ何とかなるだろう、とそろりそろりと進む。

予報通り、高速のジャンクションを一つ変わると湿ってさえいないアスファルトに低い太陽が眩しい。集合場所には予定より早く着く。近くの公園には早咲きの桜が鮮やかな花を見せて、もう桜の季節かと先ほどの雪が嘘のようだ。では、とスタート地へ向かうと、その岸にも桜。早咲きの桜にもいろいろな種類があるのだろうが、「河津桜」なんて言葉を知ってからは、まだ寒い時に咲く濃い色の桜はどれも「河津桜」と言っている。まぁ、私の言うことだから、適当に聞いておいてほしい。

お馴染みとなった、透明度抜群の川岸から出艇する。川を少し下り、お次はこんな、水路と言うのか川と言うのかに入る。河口にちょっとした島がある。島と言うのか分離した砂州と言うのか。 ちょっと上がってみよう。

取り立てて何があると言うのではないが、この川(水路)には思い出がある。10年ほど前、初めてここを通った時、海漕ぎ初心者だったその頃、その時は潮が引き、漕いでも漕いでも前に進めない時だった。そうだ、必死で漕いだんだった。今なら潮の引き時・押し時を考えてここを通るのだが。あの時の必死で漕いでいたメンバーを懐かしく思い出す。

今回はすんなり抜ける。水路を抜ければそこは穏やかな海。

ここは湾だろうか入り江だろうか。港だろうか湊だろうか。私が考える「湾」は大きく孤を描く広い地形で、「入り江」は細く奥の深い狭い地形。「港」は大型の船が出入りする海域で、「湊」は古き良き時代の手漕ぎ舟が係留される所。と認識している。ではここは? 地図上の記載は私の認識とは大きくかけ離れている場合が多い。そんな曖昧模糊は「カオス」なんてこじゃれた言い方で片付けよう。 

私流に言えばここは「入り江」。地図とはちょっと違う。前を見れば港、振り向けば海。いつものあの子? が寝そべっている。ちょいと行って来ます、と手を振って旅を進める。

穏やかな水域には目を見張るような奇岩はないが、ほっとするどこか懐かしい光景はある。

我が家の庭がもう少し?大きかったら、こんな島を浮かべた池を作りたい。木の根元に小さな仏様を祭り、時々魯の小舟で花を供えに行く。天気の良い日には亀が甲羅干しに上がり、満月の夜には枝越しに昇る月を見ながら酒を飲む。そんな池に置きたい岩だ。ジャンボ宝くじ1等が当たったら実行しよう。

外海から奥まった水域でも透明度は高い。奇岩がなくてもほれぼれする地層は見える。

年輪のように同じ周期で積もった地層。その規則性をもたらしたものは何だったのだろう。地球は体内時計でも持っているのだろうか。私が生きてきた時間はこの地層の幅のどれ程になるのだろう。 地層はいつ見ても人生を振り返る。

大きな防潮堤の前の砂利浜で上がる。ちょっと中を覗いてみよう。

周りの林とは一線を画した平地。不自然に木がない。何らかの人の手が入った跡だ。畑だったのか、家があったのか。それとも池だったのか。対岸の集落とは大した距離ではない。ここに人の暮らしがあったとしても不思議ではない。林の向こうに行ってみたかったのだが、ちょっとゆっくりし過ぎた。林探索は次の機会に、とまた漕ぎだした。先はまだ長い。

私が言う「入り江」。それもかなり大きな入り江。意外と?、思った通り?、奥が深い。対岸の船は「港」にいるのか「湊」にいるのか。呼べば答えるほどの対岸には人々の暮らしが並ぶ。

対岸には民家が続くがこちら側には防潮堤が続く。

よくある、どうってことのない防潮堤。あんな木もこんな木も珍しくはない。そんなありふれた防潮堤に蔦だろうか、身をくねらせてツルを伸ばす。強い意志で伸びようと頑張っているのか、水と日光が勝手に伸ばしているのか。ありふれたコンクリートのありふれた植物ではあるが、私の目を止める特別な場所となった。

さてさて、これはありふれてはいないが、

何だろう。1メートルほどの石積み。船の係留に使ったのか、弁天様を祀っていたのか。あるいは狼煙台か。明らかに何かの意図を持って作られた石積みにも 長い年月が刻まれていた。これも、「いつか調べよう」と思いながらお蔵入りになるケースとなりそうだ。

静かな波打ち際にこんな木があった。

桜のようだ。桜がこんな波打ち際にあることに驚いたが、その根元を見て、更に驚いた。

大きく枝を広げた巨体を支えているのはたったこれだけの根なのだろうか。これでこの木の命を守っているのだろうか。地表に露になった根を晒してそれでも新しい芽を付けている。

桜は、折れた枝からも花を咲かせることはよくある。残された枝に秘めている水分や養分を、最後の力を振り絞って花を咲かせるために注ぐ。この木は来年また新芽を付けるのだろうか。傾いた桜の花見、見たいものだ。

この辺り、かつては人が盛んに来ていたようだ。崩れかけた桟橋や藪の中のトイレ。さぞかし賑わっていたのだろう。桜はその人たちを楽しませていたのだろうか。

「入り江」の一番奥には海苔網が広がる。本当に波の静かな海と言う証拠だ。民家が並び、漁船が並び、海苔網が並び、養殖筏が並ぶ。右に左に目をやり漕ぎ進めばいつの間にかこんな景色となる。

「ムーミン、ただいま」とあの島にあいさつし、元の岸を目指して川を上る。今回、水路では難儀はしなかったが川を上るのは参った。誰だ、後ろから引っ張るのは! と言いたくなるほどに前に進まない。風か流れか潮か。やっと岸に着いた時には背筋が悲鳴を上げていた。

それでも、良い海だった。背筋がもう少しマッチョであったなら、あの岩の上の鳥居も見に行きたかったのだが・・

 

 


941.漕ぎと食とお参りと ― 変わった事と変わらぬ事

2020年02月07日 | Weblog

先月、今年の初海漕ぎを済ませたが、今度は初びわ湖漕ぎ。久しぶりの食堂と久しぶりの鳥居を楽しみに行く。そんな初漕ぎの日の記録。

 

びわ湖の初漕ぎはいつもの「チーム・気まま」。メンバーの希望は久しぶりの食堂に行くこと。ではその希望、叶えましょう。と漕ぎ出した。 風はなく波もなく、薄曇りではあるが冬場にしては珍しく暖かく、絶好の漕ぎ日和となった。

途中、小さな港に入ってみる。この先に内湖があるのだが、いつも入口に釣り人が並び、その先に行かれない。今日はどうだろう。ちょっと覗いてみよう。

おぉ、これは何と幸運な。こんなに良い天気なのに誰もいないとは珍しい。早速にお邪魔しよう。 池に入るのは久しぶり、何年ぶりだろう。見覚えのある光景。

今日は冬枯れの池。前回、と言っても何年も前だがその時にはヨシの緑が迎えてくれた。今は「乙女が池」と優雅な名前が付いているが、古の武将や姫達の悲話も沈ませている。趣のある橋。歩いては何度か渡ったが、カヤックでくぐるのは人生3度目か。心してくぐろう。

誰もいない池を一回りし、またびわ湖へと出る。一つ小さな鼻を越えればあの鳥居が見えてくる。近年この辺りは騒々しくなり、こんなに静かなこともめったにない。まぁ、こんな冬に湖上に出る方が、めったにいないのかもしれないが。

何年か前に「何とか遺産」になったとのこと、その頃からか鳥居辺りが騒がしい。暖かくなるとカヤックやサップの軍団が筏のように流れ寄り、マリンジェットが渦を巻く。 確かに、4,5年前でも神社前の道を渡って湖岸に出るのは車に気を付けなければならなかったが、最近は無謀な横断を、当たり前顔で渡る集団が増えた。危険なので「横断禁止」とロープを張っても、その隙間から渡る。どこでも渡ってはならないと言うのではないが、神社前は道がカーブしていて、車から見えにくく、危険だ。

以前なら、冬のこの時季に湖岸の石段にいる人など、ほとんどいなかったのだが、今は、今日も10人ほどが来ている。カヤックで湖岸に行けるのだが、それはそれで傍若無人なカメラマンの餌食になる。ここはちょっと鳥居から離れて漕ぐ。白鬚さんにはあとでお参りに行こう。

それにしても昔は(?)良かった。みんなで鳥居をくぐり、お参りに行った。鳥居の下で写真を撮った。岸で鳥居をバックにして撮った。良い時代だった。ほんの4,5年前の昔なのだが。

  

古き良き時代の鳥居。余談だか、当ブログの冒頭にある、『大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます』。これは、昔(もう、昔と言っていいだろう)、カヤックで神社に行き、この鳥居下で遊んだ時の光景を文字にしたものだ。 言わば『カヤックと過ごす非日常』の原点とも言うべき鳥居。

私が知る「〇〇遺産」で、喜ぶのは商売人だけのような気がするのだが。

まぁ、ここでぼやいても仕方がない。この辺りでちょっと上がろう。

かつては湖岸に鉄道が走っていたという。びわ湖を渡る風に吹かれながら車窓から身を乗り出し、水遊びに興じる人に手を振っている自分を想像するのも楽しい。柔らかい砂が優しい。

柔らかい砂もうれしいが、こんなガサガサのヨシも楽しい。かき分けるためにこそあるヨシも、今はひっそりとしてヨシキリの声もしない。魚たちはどうだろう。

今年初の「チーム・気まま」。まだまだ漕ぎ足りないとこんな川へも行ってみる。ここも久しぶり。

河口は、確かに広くはあるが、写真で見るような幅ではない。どんなに広い川かと見まごう写真。水は清く、暖かい時には魚たちが右往左往する姿がよく見える。しかし今日はみんなコタツにでもはいっているのだろう、1匹もいない。

いないと言えば、水鳥もいない。以前はどの水辺に行っても水鳥がたくさんいた。ウやカモやその他名前の知らない鳥たちが大群を成して浮かんでいた。 別に「突撃ー!」と突っ込んだのではなくても、近づけば遠くにいても一斉に、爆発したように飛び立ち、その羽音がカヤックの頭上で響いた。 近年なのか、今年なのか、それとも今日だからなのか、水鳥の姿もやけに少ない。

そんなこんなの初びわ湖漕ぎも穏やかに終わった。

 

おっと、これで終わったのではなかった。チームメンバー熱望の「あの食堂」へも行った。

当然注文は「豚汁ラーメン」。気取らない店は、昔のままだったが、辛口と言うメニューもできたようだ。うどん丼に入ったラーメンと、ラーメン丼に入ったうどん、が面白く何度か来た。初めてこの店に来た日も、カヤックの日だった。あの日のメンバーはどうしているだろう。

そして大事な事、神社でいただいた福豆でWWW号の豆まきをした。

「鬼は外、福は内」 これで今年もびわ湖とWWW号の旅は、安全で楽しいものとなるだろう。びわ湖で変わった事と変わらぬ事、そのどれも楽しんで行こう。

        白鬚さまとびわ湖に ありがとう