いつも、ことあるごとに言っていた事。「尾鷲湾は、湾に入ってからが長い」と。 つい先日湾と入り江の違いがどうのこうのと講釈したのだが、今になって、今更にして、あの恐ろしく長いと思っていた湾を、勘違いしていたことに気が付いた。今まで言いふらしてきた嘘を、今日、ここで訂正し、反省し、過去の発言を取り消し、湾に、申し訳なかったと謝らねば・・
そんな懺悔をすることになった日の記録。
桜が見送る岸から出艇する。小さな町の小さな港。高台のすぐ下に、海辺に張り付くように立ち並ぶ家々。その前を走る狭い道。長い釣竿を立てたクルーザー。たまに大漁旗を上げた漁船。干からびた魚の臭い。岸壁にまどろむ猫が数匹。・・
なぜか懐かしく、ほっとする、よくある港の風景。私の先祖に漁師がいたのだろうか。遠い昔のDNAがこんな小さな港町を懐かしむ。
今日も穏やかな海。港は眠り、入り江はまどろむ。外海もこんなに穏やかでありますようにと願い、漕ぎ進む。
大海原を漕いでいるとここにこんな入り江があったとは、ここにこんな漁港があったとは、まったく気が付かないような奥まった海。そこから外海を目指して漕ぐが、
さて、道はどっちだろう。右も左も正面も、塞がっている。本当に外海に開いているのだろうか。 そんな風にも見える入り江。ここは地図通りに行けば、こんな海に出る。
大きく外海に開いた辺り、パステルカラーの水辺が続く。水は2月とは思えないほどに暖かい。もう少し暖かければ潜っても良い。もぐらなくてもくぐることも良い。この辺りはまだ外海のうねりが来ない。こんな洞窟も今日は楽に入れる。
洞窟としては小ぶりなものだが「ミニカプリ」と言っても良いだろう。洞窟の色にもいろいろある。濃い緑、薄い緑、濃い青、薄い青、そしてこんなパステルブルー。どんどん奥に行ってみたいのだが、この辺りで戻った方が、後々良いのかも・・。
そろそろ外海に出るころだ。
岩の切り口が変わり、海の色が変わり、磯に白波が打ち、外海に出たと知る。
何度見ても惚れ惚れする光景。積み重なり、押し合い、傾き合い、削り取られ、波に砕かれ、幾多の工程を経て今ある姿を作ってきた時間を、ぎゅっと握りしめるとこの岩の硬さになるのだろう。そんな岸を漕ぎ、岬の先端に来る。
岬からは以前漕いだ岸が見える。意外と近くに見えると驚いたのだが、1時間ほど漕ぐ距離だと知って、意外と遠くなのだとまた驚く。
この先端を過ぎたら、そこは大きく開けた『 湾・漕いでも漕いでも先の長い大きい湾・尾鷲湾 』と思っていたのだが・・
まぁ、その話の前に、こんな洞窟。
少し風が出てきた海だが、私が行く所には波もうねりもない。ちょいと洞窟遊び。いつものように、実際よりは5倍は大きく見える写真。そんな巨大な?洞窟を出れば白玉の岸。
この辺りのよくある地層や岩が砕け、波で研がれて角が取れた。と言うには不思議なほどに丸くて白い。まるでどこかの庭園から持ってきたような、ちょっと気取った石。ゴロタと言うには失礼だ。海に沈んでもその白さが光っている。
積み重なった地層、削られた岩。先の長い旅のパドルを止める誘惑がたくさん現れる。今度はこんな人。
この横顔、どこかで見たような。トムだったか、レオだったか、ジョージだったか・・。 昔から、「世の中には似た人が七人いる」と言うが、誰に似ているのだろう。
2時間以上漕ぎ続け、そろそろ休憩しようよ、と言う辺りでランチタイム。疲れた。
小さな岬の先には灯台のある島がある。島だからこの岸とは離れているのだが、ここから見ると陸続きのように見える。本当にあの間には海があるのだろうか。
少し風が出てきた。沖では白波も見え始め、コーヒータイムもそこそこに出発する。
大きな「湾に入ってから」この島に来るまでにかなり漕ぐ。そしてこの島から岸までさらにかなり漕ぐ。まだかまだかと言いながら漕ぐ。
そして、あとでとんでもない事を知った。
少し前に越えた岬から先が大きな湾だと思っていたのだが、とんでもない。あれからまだ熊野灘。実際にはこの島から先が「尾鷲湾」だというのだ。それを知った時は、「滝の拝」から飛び降りた時のような(飛び降りたことはないが)ショックを受けた。
そうか、そうだったのか。尾鷲湾は、私が思っていたよりずいぶん小さい湾だったのか。漕いでも漕いでも縮まらない大きな湾ではなかったのだ。これまでの誤解を返してほしいと叫びたかった。誰に叫ぼうか、当然ムーミンにだろう。いや、私にだろうか。
そして正真正銘の湾に入る。
見慣れた発電所。街のランドマークだったあの煙突も、見られるのはあと僅か。もう一度見られるだろうか。びわ湖の象徴だった大観覧車は、びわ湖から消えても遠い異国で活躍した。この煙突も、どこかの遊園地で楽しむことはできないだろうか。クライミングの練習台とか、サバイバルジャングルジムとかになって。
後ろからのうねりは好きだが追い風はあまり好きではない。進むべき方向が振られ、修正に労力を使う。ラダーがあると楽だと聞くが、1,000キロ以上漕いでいる海の、99%はラダーなしだった。純正カヤック乗りはラダーなんぞと言う邪道は使うな、と言うことらしい。
まだかまだかと言って漕いだゴールは、今度こそ着いたも同然の目の前。その前に、海から川へ入らねば。さて、どこから入るか。
サーフ波が立ち、入りづらい(私には無理な)時もあるのだが、今日はちょろいもんだよ、と冷や汗かきながら無事鬼門を過ぎる。やれやれ。ここまで来れば、もう沈の心配はない。
強者たちにはどうってことのない19キロだが、私には久しぶりに漕ぎ感180%の海だった。
いい海だった。湾と灘の境を知った、目から鱗の海だった。やっぱり遠い海だったが、次にここを漕ぐ時は「尾鷲湾は、意外と小さいよ」と言いふらそう。