カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

921.初めましてとお久しぶり ― 峠の奥の細道

2019年07月17日 | Weblog

梅雨だから仕方がないと言えば仕方がないのだが、天気がスッキリしない。こんな日は海でも山でも「雄大な景色」を見るには難があるが、足元の草や土に新しい発見をするには具合が良い。 

そんな具合の良い日に、再会した物、しなかった物。覚えていた事、忘れていた事。新しく見付けた物、出会えなかった物。 良い具合の山道歩行・山道車行をした日の記録。

 

今日は漕いでも良かったのだが、風は少しはあったが風の当たらない所に行くこともできたのだが、漕ぐには暑くも寒くもない最適の気温だったのだが、多少の雨が降っても漕ぎに影響することはなかったのだが、どこかが痛かった訳でもなかったのだが、

敢えてパドルの雫を作る気になれなかったのでカヤックは却下した。では何するか。そんな時用にいろいろメニューを考えてくれる人がいて、では、と言うことで出かけた先は。

 

剣峠。峠、と名の付く所はたいてい細く曲がりくねった急な道の先にある。旧国道421号線は「酷道」、伊勢の県道12号線は「険道」。そんな道を敢えて行きたがる連中の中でも誉高い我らは、今日も今日とてその名を高めてきた。

3回目となる剣峠。決して楽な道ではない。しかし一応「県道」と言うだけあってか、ガードレールの付いている所もあるし、カーブミラーが付いている所もある。ただ、「所もある」、と言うのであって、完璧に整備されている、と言う意味ではない。3回目の道だが、何度来ても初めての怖さがある。対向車が来たらどっちが下がるか、あの落石が今だったら、緩んだ路肩が崩れたら、車が落ちたら同乗者皆同じ運命・・

そんな事を考えていては剣峠には行かれない。

さて、無事についた峠前には小さな池がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一坪もない池。 初めてこの池を見た6年前には金魚が数匹いて、そばに金魚のエサが置いてあった。

5年前に来た時にも金魚は元気だった。こんな不便な所にわざわざ金魚にエサをやりに来る人がいるのが不思議だった。それとも、たまたま通りかかった人が、親切にもエサを撒いてくれることを期待して置いて行ったのだろうか。

 

 5年前の金魚 

 狭いながらも楽しい我が家
 のようでした

 

 

 

 

 

 

しかし今は金魚はもういない。池も一回り小さくなっていた。崩れた土や落ち葉が池を埋めたのだろうか。誰が放った金魚かわからないが、それでも剣峠と言う名を聞くたびに、あの金魚、どうしているだろう、と懐かしく思った。たかが金魚、されど金魚。ここは私の地図では『 金魚峠 』として記されている峠だ。

その池で金魚の思い出にふけった後は早速に山歩きに出かける。とは言っても、今日の歩きはほんのほんの僅かな距離で、山歩きと言うにはおこがましいのだが、それでも立派な名前が付く山だ。

歩き始めてじきに峠の標識がある。その先、目指す山頂までは尾根道。

 

あまり1本道では退屈だろうと、山が配慮してくれたのか、たまにこんな道らしからぬ道もあるにはあったが、私が転ぶことも躓くこともなく歩ける山だった。

 

尾根の道にはたくさんの石標が立つ。

 

神域林との境界を示すものだろうか。以前この近くの山へ行った時にもこんな石標が道しるべのように続いていた。書かれた文字の一つ一つにも意味があるのだろう。

じきに今日の目的地に着く。標高は400メートルを超えているが、峠の登り口まで車で上るので、実際の高低差はさほどない。

 

頂上からも途中からも、遠くに五ケ所湾が望める。漕いだ岸、上がった島、登った岬。歩いた山、展望露天風呂の宿、渚の喫茶店、その向こうの太平洋。鮮烈に覚えているようで、他の湾と混同しているようで・・ しかしどれも宝物となる思い出ばかりだ。

山はこの先何キロも行かれるのだが、今回の私の山はちょい歩きでおしまいとする。麓に下り、港の食堂で昼食とする。最近は「食堂」と言う言葉をあまり聞かないが、古き良き時代の懐かしさが漂う。

腹ごしらえも済んだところでまた狭い道巡り。ただ漫然とガソリンの無駄遣いをしている訳ではない。次の山歩きの下見だったり、時には出艇地探しだったり、気になる所の確認だったり、林道がどこまで続くかの調査だったり、本能と言うか性と言うかの得体の知れない何かに呼ばれたりだったり、単に思い付きの行き当たりばったりだったり・・

一応地図にはあるし、かろうじて轍が残っている、と言う道を行く。少し林道を行き、分岐があればとりあえず右の道、これ以上行かれなくなったら戻って左の道。意外な道にはいつも意外な物と出会う。

こんな石標に車を止める。この道はまだ上等な道だ。いつの時代の人たちがこの道しるべで汗をぬぐったのだろう。右に行く人、左に行く馬、街道として賑わったのだろうか。私たちはまっすぐ行こう。

どこをどう行ったのか、ナビの軌跡を見てもよくわからない。まだ行けるだろう、もう少し行けるだろう。そして、これ以上行くとマズイかな、と言う辺りで引き返す。

山奥の一軒家を訪ねるテレビ番組がある。スタッフが、「わぁ!すごい道!」とか、「えぇー! こんな道行かれるの?!」とか、「狭い! 落ちそう!」とか騒ぐのだが、我ら「酷狭道愛好連盟 名誉会員」?からすれば、その大騒ぎがおかしい。あんな道、ちょっと狭いだけの、時々落石のあるだけの、よくあるフツーの道でしかないのに。

しかし、酷道も険道も侮ってはいけない。道々の神仏に無事を願うだけでなく、十分に気を付けて行かなくてはならない。それとシートベルトと保険の確認も。

地図上ではこの道を行けば向こうの集落に抜けるはず。しかし、本当にこの先に集落があるのだろうか。と不安になってかなり進んだ時、突然に視界が開け、家が見えた。こんな不便な山奥にあんなに大きな家が、それにこんなに広い田畑が。

と思ったのだが、そこはすでに向こうの集落に抜けた辺りだった。どうやらわざわざとんでもない悪路から来たようだ。

 

民家の前の道端にこんなお地蔵さまがおいでだった。

立っているお地蔵さまはよく見るが座っているお地蔵さまは珍しい。台座には何か文字が彫られているが、その石も風化してよく読めない。石の仏はどれほどの月日をこの里で過ごして来たのだろう。ここを通る旅人を、どれだけ見送ってきたのだろう。

その足元に小さなピンクのウルトラマンの人形があった。ウルトラ一族も大勢いるようなのでそれが「ウルトラマン」本人なのか、「ウルトラ〇〇」なのかわからないが、小さな人形だ。どんな子供が忘れて行ったのか、あるいは子の無事を願う親が供えたのか、古い地蔵とウルトラマン、そこにかかわる子供の顔を想像してみた。あんな子か、こんな子か。

その集落を抜けて、また山道へ入る。地図ではこの先に滝があるらしい、滝と聞けば行かない訳に行かない。程ほどに狭い道を行くとこんな滝があった。

 

「白滝」と言う名の滝は時々ある。この白滝には見覚えがないので初めてお目にかかる滝かと思っていたのだが、後で確認すると6年前に来たことがわかった。すっかり忘れていると言うか、6年前に来た時は何かのついでに見たので、意識に残らなかったのだろう。今度はしっかり意識して見る。

滝のそばにはお不動様。この滝の水が川となり、五ケ所の海に注ぐ。お不動様に遥か遠くの海の安全も願い、お参りする。

道にはこんな石碑があった。

 

野口雨情の詩碑。剣峠にもあったが、野口雨情の歌を知っている人も、今は少ないのではないだろうか。「童謡」と言われる歌の多くを、最近は聞くことがなくなった。それにしても、こんな人けのない細道で懐かしい名前を見つけると、何だか嬉しい。

何だかんだと彷徨って、今日も無事に里に戻ってきた。

初めましての出会いとお久しぶりの出会い。ほれぼれするような青空にはお目にかかれなかったが、足元の小さな事々に新しい出会いがあった日だった。

今日の滝は川となり、いつか海に出るのだろう。明日か、来週か。それとも来月か。しかし、海のどこかで、どこかの海で、この山で出会った水たちときっと会えるだろう。会いたいものだ。五ケ所の奥の細道、良い細道だった。

 

そうそう、足元の小さな事々に、また、ヒルにやられたこともあった。人生二度目のヒル。これはしっかりと記しておかなければならない。

 


920.新しいシリーズか ― くまなく浅間神社?

2019年07月13日 | Weblog

梅雨時の天気予報は、(あまり)あてにならない。2日前に晴れマークが出ていたのでそのつもりで支度していても、1日前になると雨予報。慌てて雨の算段をした当日は1日曇りだったり、傘マークが出ている時間に晴れ間が広がったり。 誰を責める訳でもないが、こちらの予定もあるので・・

そんなある日に、カヤックの予定だったのだが、海の具合が良くないようなので、それなら陸でとお声がかかった。たぶん降らないだろうと、ちょいと神社巡りに出かけたある日の記録。

 

今回は南伊勢町の浅間(せんげん)神社。これまでにもいくつかの浅間神社に行った。別に「浅間めぐり」をしている訳ではないが気が付けば1,2,3,4、・・。となればいっそのこと『くまなく浅間 ― KSシリーズ』もいいかな、と出かけてみる。

 

港近くの駐車場から歩き始め、5年前に漕いだことのある大きな汽水湖を見ながら進む。途中地元の人に神社への道を聞くと、

  「あぁ行って、こぅ行って・・。まっすぐ行くとダムに行くので右に行って・・」

  「そうですか、どうもありがとうございます」

しっかり確認して歩き出したのだが、まぁよくある話だが、行ってはいけない方に行ったようで、

 

とんでもない藪漕ぎの後に、堰堤が見えてきた。もしかして、あの堰堤を越えて行くのだろうか、いやいや、そんなはずはない。これは絶対に道を間違えている。 やっと間違いに気が付いて、やっと正しい道に気が付いた。よくよく見なくとも、ちょっと見ればすぐにわかる標識があったのだが。

こんどは標識に沿って安心して進むのだが、それでもこんなシダ道となる。

 

足元が見えないシダの藪。前を行く人の後について行くだけの道に、また間違えたのかと心配になる頃、浅間山への標識が見える。これで良かったのだ、とほっとする。じきに尾根の分岐点に着く。その先は細いなりにも歩きやすい尾根道。

 

両側のウバメガシはガードレールと言うには心許ないが、仮に足を踏み外したとしても、真っ逆さまに海に落ちる事は防いでくれよう。

程なくして木々が途切れて眺望の開けた所に出る。今にも降り出しそうな空が、海と山を幽玄の世界に作り出す。

 

黒い影の中に浜島の賑わいを語るホテル群、遠く御座岬の灯台までも見える。眼下は以前上陸した浜。良く晴れた日で、向かいの御座までは5キロ程。ほんの一漕ぎで行かれそうな日だった。その先は太平洋。

道の傍らに誰が置いたのだろう、こんな所にベンチとパラソルが。

 

伸びた草の中には切り株の丸い腰掛もある。ここに腰かけ、海を見ながら一息入れるためのイスだろうか。そのイスもベンチも朽ちかけ、茂った木々が眺めを遮っているが、それがかえって自然の山に馴染んでいる。

閉じられたパラソル。私の前に最後に開いたのは誰だったのだろう。この夏、私の後に来た人が開くのだろうか。山道を歩く知らない誰かとのバトンのようで、そっと触れてみた。

その先じきに第一の目的地、宿浅間神社に着く。

 

石段を登り振り返ると今くぐった鳥居が木々の中に埋もれている。お堂が2つある。1つに入ってみる。

 

中は外から見るより広い。祭礼の時にはここに大勢が集うのだろうか、ゴザも用意されている。石で囲まれた祠はその先に潜む神憑り的な「何か」に心を向けさせているのだろうか。お堂の回りにはわざわざ運んだであろう黒い玉石が敷かれ、堂内には飛び石のように小石が敷かれている。ちょっと遊び心があると言うのか、それともこの飛び石にも、信仰の深い意味があるのだろうか。

お堂の裏がこんな風になっていた。

 

初めて見る形だ。御山富士の胎内に続く道を思わせる。苔に覆われたコンクリートの山。霊峰富士の麓も今頃は緑の海になっている事だろう。隣のもう1つのお堂は、と入ってみる。

 

こちらにはお不動様。後で、波切不動と知る。水辺にはよくおいでのお不動様だがこんな山の上においでとは。しかしそう言えば、この半島の先端の崖の上にもお不動様はおいでになっていた。

 

 覚えておいでですか
 2年前の良く晴れた日に、
 何年か越しにやっと会いに行った
 岬のお不動様 
 あの崖路、今も通れるのでしょうか

 

 

 

 

水辺でなくても、水を見下ろす所、水を見上げる所、波音が聞こえる所で守って下さっているのだろう。浅間さんとお不動様に「何卒よろしく」と手を合わせ、今度は田曽浅間へと向かう。

はっきり道とわかる所、たぶんこれで合っているだろうと思われる所、それでも間違えることなく浅間神社へと着く。

 

ここもしっかりしたお堂の中に立派に祀ってある。やはり人々が寄って講の集いをするのだろうか、ゴザや唱える文言の紙がある。どのお堂もかび臭いのは仕方がないが、お供えや注連縄がきれいに整えられ、大切に守られていることがうかがえる。

 

鳥居のそばに古いブロックが積まれている。ここも何か他の物があったのだろうか。

     小さな社があり、参拝の無事を願う山の神様が祀られていたり、     
     あるいは海の安全を祈願するお不動様がおいでだったり

そんな昔があったのだろうか。

神社の前にも道中にも、鳥居はいくつかあった。

 

船主が海上安全を願って建てた物や、「富士山 何回登山記念」として建てられた物や、それぞれの鳥居には『村中安全』と彫られている。地区の人たちが地区全体の安全を願う気持ち、それは今の新興住宅地では影が薄くなった「共助・共栄」の気持ちを思い起こさせる。 善意で建てた鳥居や鐘楼でも、「宗教を強制させられた」と訴訟が起きる昨今。やおよろずの神仏に手を合わせる心が「日本らしさ」を作って来たのではないかと思うのだが。

尾根をぐるりと回わり、だいぶ麓に下りてきた。

 

あの岸を漕いだのは2回、沖を漕いだのが1回。海を漕いでいる私に、やっと手を振ることができた。「下からも上からも」のカヤックがまた1つ完了した。

帰りの道は下りと言う事もあるが、歩きやすい、少なくとも藪のない道だった。

 

急な坂には手すりがあり、この先の石段では大いに助かった。どんなに疲れるかと思った山道も、終わってしまえば小学生の遠足程度、と大口叩く。距離も時間も私にはちょうどいい浅間巡りだった。心配した天気も崩れることはなく、暑くなく、寒くなくのありがたい天気だった。

港に戻り、たしかこの辺りにあったはず。と懐かしい食堂に入る。

 

飾り気のない小さな食堂は健在だった。5年前に海を漕いで、この店でお昼を取るために敢えて上陸してやって来た店だった。その時から気になっていた「めひびうどん」。めひびのトロトロ・コリコリがうどんに絡まって素朴なおいしさが溢れる。

今日の予定を終了しての帰り道、久しぶりの温泉に寄った。客は他にいず、貸し切りの贅沢な湯を楽しんだ。朝、家を出る時に痛みがあった足も、歩き終われば痛くない。これも浅間巡りのおかげだろうか。

 

良い日だった。良い山だった。良い歩きだった。これで青空に山がくっきり見えていたら、なんて言っては贅沢過ぎるだろうか。