カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

242.洞窟探険 ― 山陰海岸その1

2008年07月31日 | Weblog
サイッコォー!! と言う言葉はそんなにしょっちゅう使う言葉ではないが、
今回はもう、サイッコォー!! の海を楽しんできた。

「サイッコォー」とは水も、景色も、トーゼン 風も波も

私の中では近年まれに見るヒットだった。 水も、景色も、風も、波も…

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先週末は但馬・香住の海をツーリングした。
その一日目

金曜の夜出発し、9号線をひた走り、夜明け前に出艇地に着く。

薄明かりの中でおぼろに見える海は、大小の岩をシルエットにし、薄明かりの中でさえ、その景色の美しさをあからさまにしてくれる。

ほんの何分かの間に次第に色を変えていく海は、これから始まる夏の冒険を静かに待ち構えていた。

夜明け前、海辺の街はもう動き出している。ジョギングをする人、犬の散歩に出る人、慌ただしげに荷物を積み込むトラック、そして空。

夕空はオレンジに、朝空はピンクに染まる。以前、朝空と夕空とどちらが好きかと聞かれて困った事がある。どっちも好きだから。その時の返事は、覚えていない。

どちらも好きだから、見ているその空が一番だと言ってしまう。そしてその一番好きな朝空。


 桜の精が舞い降りるような

 生まれたての赤子のような

 母の優しさのような

 とろけてしまいたいような

 ………
 

こんな朝が始まった。

ちょっと仮眠を取ったのだが、目覚ましなんていらない。じきに夏の太陽が「オッキロー!」と起こしにかかる。暑くて寝てなんかいられない。

メンバーが揃うまでの長い時間、じっとしている訳がない。
水のきれいさは上から見ても申し分なかったが、中から見ても格別の世界だった。

 さざめく光の中、
   魚が舞い、花がゆれ、
    鳥が歌い…、と、これはなかったか。

誰かがタコを捕まえた。触るとニュルッとしてドロドロして、うぅ~気持ちワルー!
吸盤に吸いつけられるのが快感だ、と言う人がいたが、なんて勇気があるんだろうと尊敬した。

   次の日の大波に出る時より、タコの吸盤の方がぽっほど怖かった。
   このお話しはまた明日にして…

しかし、夕食の皿に上った時にはとってもラブラブの気持ちになれた。私って、食い気に単純なのだろう。

更にこんな物を見つけた人もいる。



 アメフラシ ? 
 ウミウシ ?
 どちらとも言うらしい

 2センチ程の不思議な生き物
 
 水中眼鏡の中で
 華麗なダンスをしていた
 

華麗なダンスもいいが、もっと実用的な物は更にいい。例えばこんな物。
これは最高ー! 



 お久しぶりです! ようこそ我が口へ!

実用的ではないにしてもこんな物も捨てがたい。まるで水の中のバラ、いや牡丹か。その一輪をコサージュにしていつも胸を飾りたい、そんな花がいっぱい咲いている。



 これは海のバラ!

 これは海の牡丹!

 これが「海草」なんて事は
 言わせない。





夏の太陽が照りつける中、シュノーケリングを堪能する。これから12キロを漕ぐと言うのに、もう一日分を遊んだ気分になる。 ちょっと「体力温存」なんて言葉が聞こえ始めた。



水の中から見える夏の空。魚たちはいつもこんな空を見ているのか。
そう、こんな青い空の一日だった。

昼過ぎ、やっとメンバーが揃い、やっと出発。こんな景色の中、この先の洞窟探険の旅が始まった。



兵庫・京都・福井にかけての海は何度か来た事があるが、今日のコースは初めて。
「ちょうどいいあんばいの雨男」さん絶賛のコースだ。ここに来る事をとっても楽しみにしていたのに、あろう事か、仕事とか…

あぁ~、かわいそうに・・・
でもご安心下さい。あなたの分まで、いえそれ以上に楽しんで来ましたから。写真でちょっぴりおすそ分けしますから。

山陰・若狭にかけては見上げる絶壁、不思議な形の岩、怪しげな洞窟、吸い込まれそうな磯。どれをとってもカヤック三昧の海が続く。

そして「地層の標本」がいたる所に展示されている。
どうしてこんな形になるのだろう。何万年、いや何億年前の昔、積み重なった大地が押し曲げられぐるっと一回りして、今、私の目を楽しませてくれる。

硬い石をしなやかに曲げる地球の力の大きさに感服する。



 まるで扇を開いたよな岩

 横に重なり
 押されて縦になり

 扇の中心には
 いったい何があったのだろう




じきにこんな所に来る。待ってました! こんなとこ!
きっとある、絶対あるに違いない洞窟。



行け行け! うわ~すごい!
ほらね、やっぱり洞窟になっている。



異次元の世界の入り口のような光と闇。遠くから見ると小さな入り口のようだったが意外と大きく、中の広さに圧倒される。



今日が波の静かな日で本当に良かった。どんどん奥に入っていく。
こんな洞窟がたくさんある。

あるものはすぐに行き止まり、あるのもは隣の洞窟につながり、
あるものは光が差し込み、またあるものは真っ暗な手探りの世界。

まずはこて慣らし。うんうん、思っていた通りの海だ、洞窟だ。

途中の休憩地でまたまた、いや今度は正式に本格的にシューノケリングを楽しむ。
磯の浅瀬には珊瑚のような青い「海草?」が華やかさを演出している。見事な青だ。

そしてウニ! えぇー! と驚くほどにたくさんのウニがひしめき合っている。
なんちゅうか… その… 、「獲り放題」状態にいる。

でも獲ってなんかいませんよ。決して「盗って」なんかいませんよ! 
     少なくとも私は…。

テニスボール位の大きさのウニが、岩の丸くなったくぼみに1こずつ、チンと納まっている。「タコツボ」と言うがまるで「ウニツボ」のようにきれいに1こずつ並んいる。

もしかして漁師の人が、ウニが入るように穴を開けているのではと思う程だ。
   もしかして漁師の人が、穴を開けているのかも…



例によって魚たちは、写真を撮るから待って、と言っても待ってはくれず、ろくな物が撮れなかったが、この目にはしっかりと写し取って来た。

タイやヒラメはいなかったが竜宮城を垣間見て、尽きない名残を振り切って、ここを後にする。まだまだ先にもいっぱい冒険があるはず!

とパドルを進めると、やっぱりあったこんなとこ。



波の力で開いた穴。そんな無粋な言い方なんてして欲しくない。僅かな光さえ届かなくなった漆黒の世界を、パドルだけを頼りに、ついには両側の岩を手で押しながら潜り抜けた洞窟。

こんな世界があったなんて。
川の早瀬で感じるドキドキする「非日常」と、この洞窟で感じるワクワクする「非日常」と、どちらが好きか聞かれたら、

今は絶対「洞窟!」と答えるだろう。



あんな洞窟こんな洞窟、まだまだいっぱいあった。ぜぇ~んぶ行きたかったが、薄雲が帰りの時間を催促していた。無念の洞窟を残して帰り路を急ぐ。



ちょっと遊び過ぎ、6時頃、餘部着。帰りが遅くなったが、ちゃあんとお出迎えがあった。餘部鉄橋。
思わず電車に手を振った。




 見上げる電車っていいなぁ

 今度あの電車に乗って
 この海を見てみよぉっと。






「ちょうど良いあんばいの雨男」が逃した山陰の海、「かなり良いあんばいの晴れ男」と楽しんだ。

遅い夕げの席に、なぜかタコとアワビとサザエの刺身が鎮座していた。
 なぜなんだろう??? うぅ~ん…。




241. 川のエピローグ ― 2つ目の区切

2008年07月28日 | Weblog
淀川下りの最終回。

琵琶湖を出てから早瀬にもまれ、ダム湖に浮かび、三川、いや五川に遊び、
都会の美しさに驚嘆し、思いがけない自然に癒されて。

のんびり下って来たこの川も、瀬田川、宇治川、そして淀川と名前を変えて、私の「大人遊び」を楽しませてくれた。

そしてこれが川の最終回。最終回を意識するあそこへ行こう。

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17日に、淀川大堰から大阪湾までの約16キロを漕いだ。
河口まではおとなしく(?)行けば9.5キロ。そこを、左岸に行ったり右岸に来たり、西島川に行ってから神崎川を下り、矢倉緑地を回って今度は淀川を少し遡り…。

こんな事をしていたので16キロほどになった。



最近ちょっと不思議に思う。川の名前をローマ字標示する時には、どう書くのが正しいのだろうか。

「ヨドリバー」か「ヨドガワリバー」か。同じ国土交通省の標示なのに、この出艇地には「ヨドリバー」とあり、この上流の街では「ヨドガワリバー」とあった。


 どうでもいいと言えばどうでもいいが、

 気になると言えばすごく気になる。
 
 責任者、出てこ~い!

 (ご存知の方、教えて下さい)




出艇地の川原に咲く小さな花。そして、小さな虫、いや蜂。
なぁるほど、さすが大阪!、蜂もタイガースカラーをしている。


 そう言えば
 
 ピンクのハチって、見ませんね

 青いハチも知りません

 もしかしたら
 
 東京ドームのハチも黒と黄色?


長い大堰の水門は両端からだけ水が流れ落ちていた。その区切られた水面の向こうに、前回ゴールしたあの岸が見えている。

あの日のあの景色は、この日のここのためにあったのだろう。あのゴールがこのスタートに続いていると実感できる光景だった。


 この段差をスルリと下ってみたい

 怒られるに決まっているが
 本当は危ないのだろうが
 でも、気持ちいいだろうな

 本当はガーンという落差に
 突っ込みたいのだが



漕ぎ出してじきに、浅瀬でおじさんが何やらしている。こういうのはすごく気になる。
え、何、何? 何してんの?

早速そばに行き
 「こんにちは、何してるんですかぁ」
     「シジミや。」
 「どれどれ。わぁーおっきい!」
     「今日は10キロ獲らんと帰れんわ」

 「あれやらこれやら…」
     「それやらどれやら…」

と話が弾む。おじさん、ひざ下位の水の中で獲っている。ためしに私もカヤックに乗ったまま川底に手を伸ばしてみる。

ニュルッ、とした泥の中を掘ってみると…

あ、いた! あー、ここにも!
と、意外なほどに簡単にすくい取れる。へぇ~、わー、と手を伸ばして獲って、危うくひっくり返りそうになる。ひぇー危ない!


 

 おじさんの1時間の収穫
 
 クマデのような道具で
 獲っていました

 大きなシジミです



大都会大阪の川でこんなに自然の恵みがあるなんて。も、もしかして、ここってシジミの養殖場?





 これは私の収穫

 5,6回泥をすくって
 この収穫

 


意外な出会いで私を喜ばせたシジミ達は晩の味噌汁になる事もなく、またもとの川へと帰って行った。

こんな浅瀬に行って、見知らぬ人と話をし、意外な発見をし…
カヤックでなければできないこんな遊び方、気がつかない人、結構いるなぁ。

でもおどろいたな、淀川にあんなに大きなジジミがいたなんて。シジミ獲りも面白かったが、先があるので出発する。



お昼の休憩を取っている間に風がちょっと出てくる。
川面を波立たせ、草をなびかせる。どんな風かと言うと、こんな風。



目指す例の物はこのすぐ先。いざ出陣! と意気込んだが、しかし予定のコースを変更し、西島川へ入る。決してきれいとは言いがたい川だ。

かと言ってきれいな物がないかと言うとそんな事はない。作業船に写った水の煌めき。

この光を切り取ってベッドの横のスタンドに貼りたいと思わないだろうか。



この光を切り取ってレースのカーテンの下につけたいと思わないだろうか



「きれい」とは衛生的という事とは違う。労働の汗を汚いと言うかたくましいと言うかの違いと通じる物がある気がする。

この茶色の川の、臭いのする川の美しさは錆びた船体があって初めて気が付くのかもしれない。

西島川から神崎川に出て、風のおかげで思いがけずにまた二川も漕ぐことができた。これで淀川水系 計七川行った事になる。

おぉ~! 距離さえ言わなければ、なんと聞こえの良いことだろう。
自慢し~よぉっと。  淀川水系 七川 行ったぞ~!

そこから先は海。大阪湾。 やっと来たー!!

しかし…

風が強く、お目当ての矢倉緑地には上がれなかった・・・

やむなく対岸のゴールを目指す。結構強い追い風で、なかなか艇のコントロールが利かない。上流側に行きたいのに下流側に行っている。「逆フェリーグライド」状態を余儀なくされる。

それでもあんまり景色がきれいだったので、撮らねば!と撮る。

撮っているので前と間隔が空き、Kさんに「間を空けないで!」と注意を受ける。
はぁ~い、ごめんなさ~い。

それでもとっておきのこの一枚は外せなかった。

 こんなに美しい雲をこんなに美しい空を

 こんなに美しい淀川を

 大阪の人は知っているのだろうか

 やはり「青い鳥」は
      すぐそばにいた




後ろ髪を引かれる思いだったが、自然の力には逆らえない。やむなく水の上から川のゴールを通り越す。ちょっと肩すかしの川の最後だった。

と、この時は残念に思ったのだが、このことで改めてここに来る目的ができ、結果として思っていた以上の記録が残せた。(№239.ここをご覧下さい)

今思えば、あの風、あの波、あの日の決定、これらは全て、川の部終了のセレモニーのための演出だったのではないだろうか、とさえ思える。

風にも、波にも、一緒に行ったメンバーにも、スタッフにも
そして Kさん にも 

みんなみんなに ありがとう!

とりあえず川の部終了。さて次は…

  皆々様 次もお覚悟 願います!





240.ジャック・ロンドン ― ウサギにツノは何本あるか

2008年07月25日 | Weblog
先日、私の知人で大学の同窓会の仲間から、突然の電話があった。そう言えば今度の週末は同窓会がある。私は都合で行かれないのだが…。

久しく会わなかったが、彼の 「 オヤジギャグ 」 は健在だった。盛り上がった話は尽きなかったが、彼と別れた後、これまた長いこと会っていない友人達を次々に懐かしく思い出した。

その中の一人に 「 ジャック・ロンドン研究会 」 なるものを主宰している人がいて、その人を思い出したらジャックロンドンの作品も懐かしくなった。

大人になってからは、っていったい何十年前からか…

まぁ、 とにかく 、青少年の頃を過ぎてからは彼の作品ともすっかりご無沙汰していたが、最近また読み始めている。

若い頃に感じた寂しさと今感じる哀愁とが違うように、怒りと憤怒、喜びと歓喜、諦めと絶望、そんな言葉の違いもまた昔と違う気がする。

新しく買った本は昔の単行本と違い、紙の手触りもよく漢字も読みやすくなっている。

ここだけの話、私はずっと長い間、『 兎に角 』 が読めなかった。
この字が出てくると、パス!と言って先に行った。しかしこの言葉をパスしたからって特に問題なく先に行けたので、たいして重要な言葉ではない、とわかっていた。

『 うさぎにつの 』 、でないこと位は想像できたが、これが 『 とにかく 』 である事を大人になって知った。
     
        ・
        ・
  
  余談だが、シカは角で年齢がわかるとの事。
  分岐が4つなら4歳らしい。

  先日行った若狭の海で切り立った岩場の下にこんな物が落ちていた。
  
  そう言えばこの記録、まだ途中だったなぁ…

        

  他に骨がなかったので、どこかから流れて来たのだろう。
  「 鹿に角 」 と書いても 「 かにかく 」 と読む人はいないだろうな…

        ・
        ・

そしてその買った本に挟まれていた栞。そこにこんな事が書いてある



『 いま、息をしている言葉で 』

    息をしている言葉、息をしていない言葉。
    どれが息をしていて、どれがしてないのだろう
 
    どうやってそれを知ることができるのだろう
    
        息をしている言葉
        生きている言葉
        自分の言葉


兎に角、そんなこんなのブックライフ、今読んでいるのは 野性の呼び声
この舞台を想像し心躍らせている。




239.忘れ物をとりに ― 意識したい区切

2008年07月21日 | Weblog
先日、淀川へ行った。
そして3つの忘れ物をした。

1つは日焼け止めの塗り忘れ。
いつも長袖に手袋をしているのだが、手首が日に当たり日焼けをするので手首にも日焼け止めを塗っている。

ところがその日はついうっかり塗り忘れて…
時計のところでしっかりと「境界線」ができ、おかげでこんな手になってしまった。



はずかし~ぃ!
腕を出すこの頃、レジで、職場で、吊り革で、他人の目がこの手首に行っているようで仕方がない。

まぁ、いいっか。楽しく遊んだ名残だから。その内腕も焼け、この境界線も「とれる」だろう。

2つ目の忘れ物。それは靴。
着替えをした車の横に、履いてきた靴を置き忘れてきた。ゴールして着替をしていて気がついた。その車の所へ行く人がいたので持って来てもらうこともできたのだが、なぜか、あえてそうはしなかった。

あえて、履いてきた靴を公園のパーキングに置いたままにし、あえて、パドリングシューズで電車に乗って帰って来た。

時々、高速道路のサービスエリアやスキー場の駐車場なんかで、サンダルやスリッパ、一度はスキー靴も見たことがある。

私は靴を忘れた事は、今までは なかったが、あえて取りに行かなかった。
私の、この日の、ちょっとしたこだわり、とでも言ったらいいか。

ここの掃除をするおじさんは「こんな所にこんな物捨てて行って!」と怒ったかも知れないが、

しかし、橋の上に脱いで置いたのではないし、岸壁の上に脱いで置いたのでもないので、
まぁ、いいっか。


そして3つ目の忘れ物。これはどうしても必要な物だったので、「とり」に行った。淀川の河口のあそこへ、今日、とりに 行って来た。

          ・
          ・
          ・

JRで大阪に出て、環状線に乗り換えて、それから阪神電車に乗って…
小さな駅で降りてからはこの夏最高と言う炎天下の中、往復7キロを歩いて行って来た。

途中、長く続く遊歩道が生温い木陰を作っている。射すような日を遮ってくれる木々だが、ここが「うるさい!」

車ではない。 この暑さでうるさいと言えば、そう 「セミ」

  雨のように…
    あられのように…
      石つぶてのように…

ガンガンとセミの罵声が攻撃してくる。しまいに耳が麻痺してきて、これも夏の1コマかと、その罵声を声援として受け入れる。



そこからすぐに堤防に出る。日差しは強いが、川面を渡る風は心地よい。つい先日川面から見上げた堤防に立ち、風の中を漕いだ川面を見下ろす。
そしてこんな物を見つける。うん、そうそう…



次はこれ、



その先にはこれ、



更にこれ



かすかに「1.6」と書かれた小さなプレート、そのプレートを受け止めているこの堤防。



いたずら書きかと惑う、消えかけた赤い文字。



 今までの物より一段と
 大きな文字。

 コンクリ―トの堤防に
 1.4と彫られていました






今度はこれ、



草が生い茂ってきたらその存在さえ見失われそうな小さな標示板。
この小さな標示板。そしてこの数字は河口までの距離。



高速道路では起点から100メートルごとに標示されている。川ではどうやら200メートルごとのようだ。それとも淀川が200メートルごとなんだろうか。

だんだん近づいてくる。だんだん、私の とって来なくてはならない物 が近づいてくる。



置いてきた靴ではないが靴を履いてここにやって来た。次は靴を履いてここにくることにこだわって置いてきた靴。今はどうなっているだろうか…。



長い石畳みの道にはこんな物がある。



小さな子供を2人自転車に乗せたお父さんが、私を追い越して行ったが、ここで魚とりをしていた。

緩い登り坂での追い越しざまに子供が父親に、「がんばれ!、がんばれ!」 と言っていた。

先日、ここを漕いだ時、追い風にあおられてコントロールがうまくいかず、自分自身に「がんばれ!がんばれ!」と声援を送った所だった。

そしてあとわずか、
このすぐ先、湾岸高速の手前、そこに私がとりに行った物がある。



きっとあれに違いない、間違いない!

あった! やっと見つけた!!  これこれ!!!



 長い間、このプレートを
 探していました

 長い間、ここに来ることを
 願っていました。

 長い間、この日を夢見て
 いました



ここが河口  川の終わり…

私はいろいろな事に、はっきりとした区切をつけたいと思う。
私はいろいろな事に、はっきりとした意義をつけたいと思う。

  「自立の木」であったり
  「ウサギの木」であったり
  「エッサホイサの木」であったり
  「ビワガメ」であったり
  「ビッシー」であったり

  べッカム島であったり
  近江大橋であったり
  南郷洗堰であったり
  菜の花のマンションであったり

  そしてここであったり…。

自分史としてのカヤックの記録に、区切とその意義を意識したい。

琵琶湖が終わった時、 川が始まった時、 そして川が終わった時。
琵琶湖を出た水がここに流れ着いて、そして海に出る。その節目を意識したい。

それでここにこれをとりに行った。
次第に薄れていく記憶ではなく、毅然として残る記録のためにここに

この 0.0 の印を記すためにこれを 撮りに  来た


「矢倉緑地」、この前は風が強くて上がれなかったこの岸だったが今日は穏かに釣り人を遊ばせている。こんなに静かな日もあるんだ。



 橋の手前に白く見えるのは
 ボラです

 この前も、今日も
 あっちこっちでボラのジャンプ
 が見られます。





この前ここに上がれなかった時には、ちょっと、いや、かなり残念な気持ちが湧いたが、今日こうして改めて河口までの区切を意識しながら川の最終を確かめる事ができ、この結果に非常に満足している。

水辺の神様はいつだって、私が計り知れない広い視野で導いてくれている。

    これからもその導きに身を委ねていこうと思う…



238.なんでだろう ― これもまた非日常

2008年07月15日 | Weblog
このところブログの更新が滞っている。

記録するに足る「非日常」がなかった訳ではない。それどころか、つい先日も最高の「非日常」を楽しんできたところだ。

磯に打ち寄せる波に揺られ、海の中の魚を追い、洞窟に入り、たっぷり太陽を浴び、これぞバカンス!という夏の海を満喫してきた。

しかしこの飛びっきりの 非日常 を記録している暇がないほど 日常 に追われている。

と言いながらこれを書いている。ちょっと矛盾してるかな。まぁ、いいっか。

と言うのも、今日、と言っても日付が変わったので昨日のことになるが、私のこの記録にもいつもとは全然違う 非日常 が起きたので、これもまた私の「非日常」として記録することにした。

それは何かって…

このブログのアクセス数。パソコンで時々「訳わからん!」という事が起きるのだが、たいていは私の技術的なこと。しかし昨日はなぜかアクセス数が非日常的に多かった。

何も更新していないのに…。訳わからん? だった。

このブログ、最初にお話ししたように、筆不精の私が、「生きていますよ」の便りとして何人かの知人に知らせただけだった。

それが、今はいろいろな方が私の安否を気遣って下さるようになった。ありがたいことだ。しかし昨日は べらぼうに 多かった。訳わからん!

まぁ、とにかく、私を知っている人、知らない人、私は元気にしています。仕事もそこそこ真面目にやっています。家のこともほどほど適当にやっています。

ですからご安心下さい。楽しかった非日常の記録、いずれまたご報告します。
では夜も更けてきました。今晩は、これにておやすみなさいませ。






237.七夕の再会 ― まだ見ぬ友へ

2008年07月07日 | Weblog
今日は七夕。

特に会いたい人もなく、会いたいと言う人もなく…
いつもと変わらない日常が終わろうとしている。

しかしいつもと違っているのは、久しぶりのあの人からグリーティングカードが来た事。

          ・
          ・
          ・

お久しぶりです。お便りありがとうございます。
お変わりありませんか。私は…、私はご存知のとうりです。

今日、地元の新聞のネットにこんな記事が出ていました。

    「うたごえ喫茶」青春再び
     大津・仰木の里でお年寄り67人

歌声喫茶と言えば…と 「 歌声喫茶 K 」 を思い出したところだったので、あまりの偶然にちょっと驚き、とても嬉しく思いました。

この前のお便りでは雪のお話でしたね。今はクーラーの話で賑わっています。こちらはまだ梅雨は明けてはいないようですが、蒸し暑さ200%です。

今日もお天気がはっきりせず、残念ながら天の川は見られません。
織姫も彦星も見ることはできませんが、☆に祈ってくださったこと、感謝します。ありがとうございました。

お礼に私は、あなたと 「 歌声喫茶 K 」 と、そしてそのお客様とに ご幸運、強運、そして幸多かれ  と月に祈ります。

これから暑さも本番、お体大切にお過ごし下さい。
またお便りくださいね。今日は本当にありがとうございました!

             脱水状態をダイエット成功と勘違いしたびわっこヨ



236. 何を見つけるか ― 財産の価値 in Biwako  

2008年07月03日 | Weblog
今日のお話の前に、

 「 river fog 」さんへ。
     mistake しましたね、いえ、私がです。
     私は決して 「 H 」 な人間ではありません。これは余計でした。
     どうぞ誤解なさらないで下さい。

     envelopment 自動詞も他動詞もOKです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では本論


B-Ⅱ-21 柳が崎から琵琶湖大橋

おとといは久々に 「 チーム・気まま 」 で琵琶湖を楽しんだ。

B-Ⅱシリーズでは5月の初めから1ヶ月以上空いた。
そう、あの、 「 予約・貸切レーン 」 という言葉に動揺し、私にとっても、「 師匠 」 にとっても大事なポイントを空振りしてしまったあの日以来のこと。

今、思い出しても悔しい! もう絶対、予約も貸切にも動じないぞ!

   あのリベンジもしなくては…
     「 師匠 」、いつにしましょうか。

「 チーム・気まま 」 では桜の沖島以来のびわ湖だ。そんなにご無沙汰していたんだぁ。

と言っても、びわ湖には結構出ている。仕事では胸まで浸かったことも何度か。
あの忌まわしい事件のあとは「どうか変な物を見つけませんように」、「どうか変な物を踏みませんように」と神仏に祈ってびわ湖に出た。

そう言えばあの事件、どうなったんだろうか…(ご冥福をお祈りします)
なんてことを思いながら気ままにスタートする。

距離は14キロ程なのにやけに時間がかかった。まぁ、私に合わせたらいつもこんな時間になってしまうのだが。

出発してじきに 「 唐崎の松 」 に着く。本当はここで上がって、例の団子屋さんに行く予定だった。それなのに…

相棒が、「えぇ~、上がる所が汚い~」だの、「団子よりミニストップのソフトがいい~」だのと、のたまうので「そ、そう?じゃぁそうしようっか」ということになり、団子はパス!


 ここはパス
 幻のみたらし団子
 
 ミニストップは団子屋さんの
 商売敵だったのかぁ…

 ゴール後の回送時に
 念願のソフトを食べたことは
 言うまでもありません


予報では3メートルくらいの風とあったが終始穏かな、梅雨とは思えない暑い日となった。水は思ったよりきれいで、夏を迎える前の時季に来て良かったと思った。

それでも藻が一面に水面を覆っている所もある。決して 「 浮島 」 なんてふうには見えず、遠くから見ると湖面にゴミが浮いているようだ。

この光景、北湖でも何度も見た。一番 「 ひどい 」 と思ったのが去年の秋、長浜を目指して漕いだ時、ベッカム島辺りから、もう何ヘクタール?と言うほどに広がっていた。

この時は先を急ぐ事もあり、この 「 大平原 」 の下を覗き込む事はなかった。と言うか、私はしたかったが、他のメンバーが先へ行くのでできなかった…。

   何でこの下を見ないのかなぁ…

まぁ、今さらそんな事を、

で、いや、しかし、今回はゆっくりと飽きることなく覗き込む。

あぁ~、いる!、いる!!、いる!!!

10cm程の魚や30cmはあろうかと思う魚が、もう、い~っぱいいた。
へぇ~、こんなにいっぱい見えるんだ。とっとこ漕いでいたのではわからない、「 竜宮城 」 のような世界が舟底に広がっている。

湖底から生えている藻がかすかな波に揺られ、まるでCGで作った世界のようだ。
相棒が、いやこれは 「 師匠 」 もそう言っていたような気がするが、もちろん私もそう思うのだが、

「風の谷のナウシカ」の「腐海の底」の光景。はるか下から、上へ上へと伸び上がり、覗き込んだその下は、いつ終わりが来るのかわからない深さ…

そんな錯覚に陥る世界が広がる。混沌とした闇に続く湖面もあれば、ずっと奥に白い砂が見え隠れしている湖面もある。

ナウシカの中でも、朽ち果てた木々が白い砂になって、サラサラと流れ落ちる場面があった。

白い砂がサラサラ流れる音… そう言えば、そんなセリフ、どこかで聞いたことがあるな、いや、けっこう何回も聞いたなぁ、とその人を思い浮かべた。

    ( 今笑った人、心当たりがありますね )

どんな世界だったかと言うと…、それがいつもの事で、うまく写真に撮れていない。




 これではナウシカも
 サラサラ流れる白砂も

 イメージできませんね





しかしここにたくさんの魚たちが寛いでいた。どんなかと言うと、こんなイメージ
 


こんな世界を見ずして行ってしまうなんて、びわ湖の持っている財産を、びわ湖の価値を半分も気がつかないままにしてしまっている。

さっき、「 ひどい 」 なんてひどい事を言ったが、あそこは本当は広大なパラダイスだったのだ。

( パラダイス、この言葉、関西では逆効果だったかも… )

そう思うと、去年のあの湖北の大平原は返す返すも惜しい事をしたと、悔やまれる。大勢で行くとしかたないのだが…。

しかし、水中が見えないほどに藻が生い茂って入る所もある。遠くにサギが水面に立っているのが見えた。

え、あそこはそんなに浅いの?と思ったが、茂った藻の上に立っているのだった。それ程に絡み合った藻が繁殖している所もあった。



 サギはこの上に立てるのです

 私は…
   ちょっとぉ…
      ムリかも…
   




こんな調子で行くものだから、意外と時間が経ってしまい、後半はピッチを上げた。びわ湖大橋が見えてくると浮御堂も見えてくる。



目標物があると漕ぎやすくなる。ベタ凪だった湖面も、軽く向かい風か吹き、快調に漕ぎ進む。

ここも上がる予定だったが、急遽、ヤボ用?ができたのでゴールを急いだ。 「 満月寺 」 満月の時にこの下をくぐったら、何か、特別の何かが起きそうな気がするのだが…。

今回は上がらなかったが、それはまた次回のお楽しみにとっておくことにした。
そして夕方早く、ゴールのびわ湖大橋に着く。ここはもうお馴染みで、と言うかびわ湖の拠点とも言うべき所。

ここからの景色も、日の出、日の入り、月、星、橋の明かり、そして対岸。
スタートの時もあれば、ゴールの日もあった。

B-Ⅰ シリーズの最終日もやっぱりここからスタートした。いろいろな思い出のあるびわ湖大橋。

時が経っても変わらないもの、時が経って変わるもの、その岸から見える景色にも変わらないものや変わったものが写っていた。その変化が街の歴史あり、その変化の時間が私の歴史となる。

 変わらないままのマンション

 新しく建設中の
 ショッピングモール

 変わらない橋と空とびわ湖


それぞれの「事」や「物」や「時間」にあるそれぞれの価値。その価値を押し付けられた苦役として他動するか、授かった財産として自動するか、自分の気持ち次第でその価値が違ってくるだろう。

びわ湖の財産、その価値。私は私の方法で受け入れている。

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B-Ⅱシリーズ、そろそろ完結させなければ…