カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

952.本日開店パン屋さん ― どんな菓子パンか

2020年09月12日 | Weblog

海を希望した友人のお供?をして三重の海を漕いだ。案内してくれる人が「かしぱんがあるので見に行きましょう」と言うので、どんなかしぱんか見に行った。 おぉ、これが噂の かしぱんか。

あんパン、ジャムパン、ハスノハカシパンの海の日の記録。

 

びわ湖のメンバーが、久しぶりに海に行きたいと言うので、2つの台風の隙間に漕ぐ事になった。前日から海辺の別荘?にスタンバイしていたのだが、夕刻から雷雨。明日も雨かも知れない、と天予報が言う。まぁ、それはそれで、いつもの行き当たりばったりの出たとこ勝負を楽しもう。

賑やかに過ごした夜も更け、雨音が止むと今度はコオロギの鳴く音が賑やかしい。遠くの雷光が木々を照らし、一瞬明るくなる木立がおどろおどろしい。そんな夜に、キャンプ用マットで寝る人、コットで寝る人、ハンモックで寝る人。今、はやりの 「 お家キャンプ 」 の一晩を過ごした。

朝、やっぱり雨。おや、雷までも。さて、どうするか・・ と思案している内に雨は上がり、青空も見えてきた。日頃の行いが良いのは誰かと言いながら出艇の支度をする。準備万端整い、いざ出艇、と言う時になりまた雨。

盛大に降り出した雨、雷も鳴りだした。濡れるのは良いとしても、雷は良くない。さて、どうするか。とりあえずタープを貼って雨宿りをする。

雨宿りに腰を下ろそうとして、海辺には珍しい青くきれいな 「 何か 」 がある。何だろう。

1つは 500円玉ほどの白と青の丸い何か。雨に濡れたそれは、一昔前の牛乳瓶の紙の蓋とビニールのカバーのようだ。もう1つは、


                                      

これは何と言おうか・・ 知人で産科関係の人が、「 エイリアンの胎盤と臍帯 」 と言った。なるほど、上手い事を言う。さすが専門職と頷いた。

後に、牛乳瓶の蓋はギンカクラゲ、胎盤と臍帯の方はカツオノエボシらしいと分かった。どちらも厄介な毒を持つと言う。うっかり手をついたりしたら、ただでは済まないだろう。恐ろしや。

至る所に打ち上げられている厄介者に気をつけて雨宿りの時を過ごした。雷は止んだし、雨は冷たくはない。漕ぎだしても良いし、この辺りの藪や浜を探索してみるのも良いし、とあくまでも濡れても行動することを放棄しないメンバー。

暫く待つと小降りになる。さて、濡れながら漕ぐか、濡れながら歩くか。この際、せっかくだから「 濡れながら藪歩き 」 となった。

別に藪を歩きたかった訳ではないが、結果として藪歩きとなった。

道がありそうでない。この先の藪を行くと 「 何かがあるはず 」。そんな言葉に踊らされ、濡れたクモの巣を払いながら道なき道を行く。

すると突然、妙に開けた平らな場所に出たり、カンゾウの咲く防潮堤に出たり、振り向けば洒落た別荘の屋根が見えたりする。藪の後は岩場。

どこの、どの岩も地球の力と歴史の展示物。この曲がり方、いったいどのくらいの力と時間がかかったのだろう。白い筋の時代にはどんな生き物がいたのだろう。捻じれた地層の時代はどんな環境だったのだろう。白い筋をたどっても、メビウスの輪のようで、その先に辿り着けない。。

この岩に今日の印を付けたなら、何万年、何十万年後の人類が、私がここへ来たことの化石として発見してくれるだろうか。それまで人類は存在しているだろうか。

瞬く間の時で形を変える波と、恒久の時で形を変える岩との間を作る浜。時の流れをワープするような感覚を覚える岸だ。

大きな湾の岸の内側は雨が降っても穏やかな海。しかし更に海辺を進むと、こんな波が見えて来る。

先の台風の波か、後の台風の風か、ここはもう、湾内ではなく外海の猛々しさだ。これを見れば、いくら雷が止んでいようが、陽が照っていようが、漕ごうなんてことは決して言わない。

藪蚊に刺されながらも、秘密の畑も発見し、廃墟の別荘も探索し、里への幻のルートも開拓し、ちょっとだけ見てこようと言って歩き始めた藪歩きだったが、しっかりと午前の部のイベントとなった。

そんなこんなのうちに雲は切れ、薄日がさしてきた。 ではと、遅ればせの漕ぎに出る。

出艇は湾の中。先ほど見た荒波とは打って変わって穏やかな湾内。白い物が点々と浮いている。何だろう。

あ、あれか。雨宿りの岸にたくさん打ち上げられていたクラゲだ。日本人には、銀貨と言うより牛乳瓶の蓋とか大きいボタンと言った方がわかりやすいだろう。それとも、「 カッパの頭 」 が良いだろうか。

暫く行くとさらに穏やかな小さな入り江。ここに例の物があるとのこと。素潜りのできる人が、浅い海底の砂をかいてこんな物を採ってくれる。

直径5,6センチの薄い円形の物。5分とかからず大収穫。浜に並べれば 本日開店パン屋さん。「 ハスノハカシパン 」の大サービスだよ!。 以前から名前は聞いていが、よく似た他のカシパンは見たことあるが、このカシパンは初めてだ。 ウニの仲間と言うが桜模様がきれいだ。ハスノハと言うより サクラカシパンとか、マルホシカシパン の方が、似合う名前だと思うのだが。表面のザラザラは猫の舌のようだ。風呂の洗体用ナイロンタオルの感触に似ている。これは毒はないようだ。本日開店したが、誰も買いに来ず、カシパンはまた海にお返しした。

防潮堤に上がってみた。こんなイスがあった。

誰が置いたのだろう、いつの日に置いたのだろう。朽ちかけた木がかろうじてイスとして立たせている。 ここに座って海を見ながら本を読んだのか、ビールを飲んだのか、チェロでも弾いていたのか。

7年前の事となるが、MTシリーズの最終回、日御碕を越える手前の岸で不思議なベンチを見た。

覚えておいでだろうか、このベンチ。近くに家があるでもなく、車が通れる道も見当たらない小さな砂利浜。カヤックで来て本を読むためだろうか。黄昏る海を見るためだろうか。それとも誰かと語らうためだろうか。ストーンサークルも謎めいていたが、なぜこんな所にベンチが置いてあるのか、誰が何の目的で置いたのか。未だに気になるベンチがあった。

びわ湖にも有名なベンチがある。大きく枝を広げた木と一緒にびわ湖の前にたたずむベンチ。テレビで紹介されたりネット上で話題になったりで、何年か前までは知る人ぞ知る のベンチだったのが、今やびわ湖の観光地となっている。 時にはそこで写真を撮るのに順番待ちがあったりするとか。ベンチでも椅子でも、そこに腰かけた時に安堵と平穏があってこそ、そこにある意義があるのかと思うのだが。

さて、今日見た防潮堤の朽ちた椅子にはどんなドラマがあったのだろう。これも又、私のカヤックの歴史の一コマとなった。

雨はすっかり上がり、優しい太陽も見え隠れしてきた。

対岸の街までは2キロもない。今からでも往復して来れるほどの時間も気力も体力も残っているが、久しぶりの海漕ぎの友人を慮って(と言うことにして)、それはやめにした。 対岸へは行かないが、岬の先端までは行ってみよう。

ここを越えると外海。荒れる白波はまだなかったが、大きなうねりが入ってくる。ここらで戻ろうか。

帰りは後ろから押すうねり。フワァーと乗り上げたうねりの上でパドルを捌くのは、少し緊張するが、快感でもある。エレベーターが上下するときの重力の変化を感じる時のような非日常な興奮がある。まだ、ひっくり返ったことがないからそんなことが言えるのだろうが、万が一うねりの中で沈した私を引っ張り上げる人は、それは厄介な仕事となるだろう。そんなことにならないよう、ちょっと緊張する。そんな高揚もじきになくなり、鏡面の海となった辺りで、今日の海漕ぎはお開きとなった。

 

良い海だった。良いカシパンだった。
帰り道で寄った店で、あんパンを買った。 久しぶりに菓子パンを買った。

 


951.漕いで行ってこその ― フナサン、マスサン 

2020年09月10日 | Weblog

残暑だ台風だ、と騒いでいる内にちょっと時間が経ってしまった。8月も終わろうとする暑い日に、夏の残りのびわ湖を楽しんだ日の記録。久しぶりに「びわ湖のカバさん」に会った日の記録。今年最後の水遊びをした日の記録。そしてわざわざカヤックでサンドイッチを買いに行った日の記録。

 

今年は本当にカヤックに乗る機会が少なかった。コロナ禍でツアー中止ありぃの、我が身の自粛ありぃの、メンバーの辞退ありぃの、世間の目がありぃの・・

そうこうするうちに、猛暑が襲い、熱中症防止で引きこもりありぃの、気力消失ありぃの・・ と散々な日々が続いた。それでも少しずつ社会が動き出し、夏も終わりの匂いが漂い始め、そして、こんな上等の天気の日には漕がずにいられないと言う日に、びわ湖に浮かんだ。

久しぶりのカヤック。久々ぶりのびわ湖。遠くの山の端から湧き上がる入道雲がびわ湖を夏の絵に仕上げる。

我等としては珍しく、有料キャンプ場から出艇する。何年か前、良い季節だと言うのにどう言う訳か、広いキャンプ場に我等だけしかいず、貸し切りの夜を過ごしたことがある。あれは何年前だっただろうか。 

ファルトを組み立てている人がいた。私は、今はファルトを手放したが、暑い中、汗を拭き拭き組み立てていた頃を思い出した。アルミパイプの、パチン とはまる時の音が小気味良かった。そうそう、冬の日には、指を挟んで血豆を作ったことも、良い思い出となった。 「女王号」は今、どうしているだろう・・

湖面は穏やかに夏の色を映す。朽ちた木杭から出る小枝は、ちょいと一休みしている旅人のようだ。茶店の軒先で、姉さん被りのばあさんが、「お客さん、団子はいかがかね」と声をかける。

若い女、老いた男、幼い子をあやす母親、騒ぎ立てる坊主を叱る父親。そんな旅人たちが、あの木に、この木に腰かける。 そんなびわ湖の旅人の木に見えるのだが。(時代劇の見すぎかもしれないが)

 

団子は買わなかったが、湖岸の店に寄って、こだわりのサンドイッチを買った。今回のツーリングはそのパンが目的だったのだが、その話はあとですることにして、先へ行こう。

びわ湖にはいろいろな消波・流砂・湖岸保全対策としての施工がある。こんな石積みもその一つ。蛇篭のような網の中に漬物石ほどの石が入っている。そのてっぺんが小さく盛り上がり、湖岸の車道から見るとまるで、あれ に見える。私が「おっぱいの岸」と呼ぶ辺りだ。

夏は水がくすんでいる。入り江とも言えないような小さな窪みの澱んだ水にはこんな花が咲く。コウホネだろうか。澱んだ水に鮮やかに黄色が映える。

映える、と言えば最近は何かと「映える」と言う文字を目する。しかしその文字単体で言う時は「バエル」と言う(ようだ)。他の言葉と続けて言う時は「見映え・みばえ」とか「夕映え・ゆうばえ」などと「ばえ」言うが、単体で使う時は「はえる」とは言っても、「ばえる」と言うのは、どうも違和感がある。

まぁ、そんなことを言う時ではないので、とりあえず、くすんだ水に黄色のコウホネがよくハエテいた、と記しておこう。

岸近くにはいろいろな木杭がある。消波の杭が連なる湖岸は、びわ湖の大きさを一段と誇張する。艇をかわせる間隔が開いていれば、スラロームよろしく入り込む。それも又びわ湖の楽しみ方。岩はすり抜けるためにあり、ヨシは分け入るためにあり、枝はくぐるためにあり、そして、杭はかわすためにある。

久しぶりのびわ湖。今回は漕ぎが目的と言うより、湖岸の店で『漕いで行ってフナズシサンドを買う』が目的の漕ぎ。車では何度も行っている店だが、今回のメンバーのたっての希望で、漕いで行って上陸し、その店で フナズシサンド を買ってランチとする。

フナズシに目がない友人は「フナズシサンド」、私は「ビワマスサンド」。どちらもびわ湖に欠かせないアイテムだ。どちらもびわ湖を演出する絶品だった。今時の人はこんな光景を、「はえる」と言うのか「ばえる」と言うのか・・

何年か前までびわ湖の沖島に佃煮屋さんがあった。覚えておいでだろうか。給食センターのような大きな釜でいろいろな佃煮を作っていて、時々カヤック漕いで島に渡り、その店の佃煮を買っていた。わざわざ島まで買いに来てくれたからと、おまけをてんこ盛りに入れてくれる店だった。湖魚の佃煮など、どのスーパーにも売っているのだが、「カヤックで行って買う」ことにこそ、意義がある。と島の店に買いに行ったものだ。今はその店は島を出て本土(?)に立派な店を構えている。新しい店になって何年も経つが、新しい店に行ったことはない。漕いで行ってこその佃煮だった。

今回のフナズシサンドも、そんな、「漕いで行ってこそ意義がある」びわ湖の恵みなのだろう。今回のミッション、大成功だった。

 

遠くに見えていたウィンドサーフィンの一団が上陸してきた。どうやら私たちがランチをしていた辺りがベースのようだ。取り囲まれたような雰囲気となり、そそくさとその場を発った。

途中の岸で久しぶりに珍しいお方と会った。「びわ湖のカバさん」

パイプ2本があるとか、小窓らしき蓋があるとか、中が空洞らしいとか、そんな詮索などしなくても、どこから見たって カバさん だろう。この位の水位の時が一番カバらしい姿だ。 出生を詮索する気はないが、お名前は? お里は? お仕事は? いつからご滞在? と 聞きたいことはたくさんある。黙して語らずのカバさんだ。

今日の水位ではカバに会えるが、水位が-60センチくらいになると、この辺りに「クジラ」や「潜水艦」が現れる。クジラにも、ずいぶん長い事会っていないが、元気にしているだろうか。

この辺り、くぐるための枝は少ない。少ないからこそ、くぐらないのはもったいない。こういう所に来ると『オンブラマイフ』を歌いたくなる。ハンモックがあれば、きっとここから動かないだろう。

水門前には菱が威張っている。場所によっては、あるいは写真の撮り方によっては「広大な菱の草原」が見られるこの時季。そんな所に突っ込んでパドルが絡まり、身動きできなくなる「菱地獄」は、私としてはびわ湖の快感の一つだ。しかし、漁業関係者にとっては迷惑千万な厄介者だろう。

菱の実は食べられると言うが、びわ湖の菱は実が小さいからか、食べたという話を聞かない。 菱と言えば、遠い海の町で、

   確かに菱採り舟を見た! 気がする・・
   菱を採っていたと言う池も見た! 気がする・・
   本物も見たし、昔の写真も見た! 気がする・・ 
   資料館で展示してある資料も見た! 気がする・・   

一緒に見たはずの人もやはりそう言うのだが、それがどこだったか、いつだったか、どう調べてもわからない。キツネかタヌキかカッパの仕業か、不思議な菱の池が、ある。いや、あった。

湖岸には静かな波打ち際、涼やかな松林が続く岸が長くある。しかし、その割には駐車場が少ない。だからだろう、人が来なく、水辺が荒れない。BBQの金網やら弁当の空袋やら花火やら、そんな不届き者の後始末が露になると、今ある公園も閉鎖される。以前はそんな公園もあった。 

美しい松並木の湖岸を、美しいままに残すためには、人を入れないと言う事しか、方法はないのだろうか。

フナ・サンミッションが無事終了すれば、後は気の向くままに戯れる。

連日の猛暑、びわ湖の水も昨日の風呂ほどの暖かさ。火照った体を冷やすには温かったが、久しぶりに水に浮かんで大人遊びに興じる。 大した距離は漕いでいない。のんびり漕いでもまだ時間は早い。それならちょいとこの先まで行ってみよう、とまた漕ぎだす。

八ッ崎

びわ湖を渡って来た神が上陸したと言う小さな岬。それを記す小さな印。ここにも何度か来たが、草木の中に埋もれ、これを知る人も少なかろう。びわ湖を漕ぐ人には、びわ湖を渡った神の言い伝えの岸も心に留めてほしいと思うのだが。

湧き上がる入道雲に雷を心配したが、雷様も今日は私たちの邪魔はしなかった。

比叡の嶺もびわ湖大橋も、夏の終わりの太陽に精一杯のシルエットを作っていた。 

    いいびわ湖だった。

    フナズシもビワマスも、いいサンドイッチだった。

    さて、次はどの岸のどの店に入ろうか。